タテマエ



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左近山の景色より-1


先日、あるところでお話していたら、たまたま「タテマエとホンネ」の話になりました。
最近では学校などでも、「タテマエ」より「ホンネ」が大事だと教えていることが多いのだそうです。

「それってタテマエでしょ?ホンネのところは何?」
そんな会話が日常的に行われるのが、いまの世相なのだそうです。
けれど、それは大きな間違いです。
「タテマエ」こそ大事です。



早い話が、誰だって眠い眼こすって朝、疲れた体をひきずって満員電車に揺られて不愉快な思いをしながら会社行くよりも、家で寝ていたほうがいいです。
それが「ホンネ」です。
仕事をしないで遊んで食べて行けるなんて、ある意味、理想かもしれない。
けれど、誰もが「タテマエ」より「ホンネ」を大事にするようになったら、社会は崩壊してしまいます。

「タテマエ」というのは、今風にいえば「目的」のことです。
家族を支えるため、自立するため、生活のため、少々体が疲れていようが、落ち込んでいようが、おはようございます!と明るく元気な顔して会社に行く。仕事をする。
その「〜のため」という目的が、まさに「タテマエ」です。

バレーボールでもサッカーでも野球でも、あるいは柔道やボクシングのような個人競技の強化練習でも、試合に勝とうとか、全国大会に出ようとか、強くなりたいとか、その目的意識をチームが一丸となって共有するから、強くなれるのです。
そのみんなで共有する目的意識のことを、昔は「タテマエ」と呼んだわけで、これがなければ、目的のない集団、つまりただの烏合の衆になってしまいます。

だいたい人の心などというものは、常に揺れ動いているものです。
仏教用語に「一念三千」という言葉があるのだそうですが、正確な意味かどうかはわかりませんが、聞くところによれば、それは「人の一瞬の思いの中には、三千の別な思いが共存している」ということなのだそうです。

この季節、紅葉がそろそろ終わりのシーズンですが、赤や黄色に色付いた紅葉を見て、「ああ、美しいなあ」、「観に来て良かったあ」と感じる心は、同時に「でも、落ち葉を掃除するのがたいへんだろうな」とか、「どうやって掃除しているんだろうか」とか、「あれ、この落ち葉、虫が食ってる」だとか、感動と同時に、余計なことをいっぱい頭の中で考えている。それが人の心です。

人ひとりの一瞬の心でさえ、かように千々に乱れているのです。
まして大勢の人が集まったとき、そのホンネっていったいどれを指して言うのでしょうか。
ひとりが、一瞬の中に三千の別々な思いを持っているわけです。
そんな人が仮に100人集まれば、瞬間の思いだけでも、30万種です。
そのどれが、「ホンネ」なのでしょうか。

「私はあの人を愛してる、あの人と結婚したい」といっても、同時に「でも結婚は親が許してくれるだろうか」とか、「結婚したあと、生活はどのようにするのだろうか」とか、「料理はちゃんとつくれるだろうか」とか、同時にたくさんの不安がそこに共存します。
なかには別な人が好きかも、なんてのもあるかもしれない。
「ホンネ」はどこにあるのでしょうか。
がんばろうという気持ちもあれば、めんどいとか、いやだなとか思う気持ちもある。
そのいやだなと思う気持ちを乗り越えるところに、人間の成長があるし、人と人との結(ゆ)いも生まれます。

大昔、戦国大名が戦(いくさ)をするときは、何より「大義名分」を大事にしました。
誰だってホンネをいえば、殺し合いの戦(いくさ)などしたくないです。
それでもやらなければならないときがある。
だからこそ、「大義名分」の前に、たとえ苦しくとも、みんなで気持ちを一致させ、目的を成し遂げようとしたのです。

要するに、人の「ホンネ」など、そもそも千々に乱れていて、どれが本心かなんて、ないのです。
必要なことを、みんなで共有化して、成し遂げる。
その共有化する目的が「タテマエ」です。

よく政治評論などで、「タテマエ論が横行する政治の世界」などと批判的な言い方がされます。
だからその中で、「ホンネをズバッと語る人」が、世間の耳目を集めたりします。
大きな間違です。

政治は、ひとりで行うものではありません。
大勢の人が目的意識を共有化することで、ひとつひとつの事業が成し遂げられます。
その共有化すべき目的意識のことが「タテマエ」です。
「横行」どころか、「なくてはならないもの」です。
それを「横行」などという横暴な言葉で横槍を入れること自体が、横暴だし、間違っています。

みんなで目的意識を共有化してひとつの事業を推進しようとするときに、「ホンネを言えばやりたくないんだよ」みたいなことを言えば、世間はびっくりしてその人に注目するかもしれません。
それにもっともらしい上手な理屈をつければ、「そうなのか!」などと納得してしまう人も出るかもしれない。
けれど多くの場合、その「ホンネを語った人」というのは、ただの目立ちたがりやの売名行為者でしかない。
みんなでひとつにまとまろうとするとき、タテマエを共有化できないなら、その時点でその人はただの脱落者です。

11人で戦うサッカーで、選手のひとりが「今日はやる気しねえ。俺、体調が悪いんだ」といえば、残りの10人も、監督もコーチも、予備の選手も、みんなが注目します。
なぜなら、みんなにとって迷惑だからです。
喜ぶのは、対戦相手、つまり敵の側だけです。

大切なことは、「タテマエ」の中にこそある。

わたしたち戦後世代は、わたしたちの世代がかつて馬鹿にしてきたこと、軽くみていたことの中にこそ、もしかすると本当は、国を大事にしたり、世の中を良くしたり、自分自身がまっとうに生きたりするために本当に必要なことがあったのではないか。
そういうことを、見失っていたのではないか。
そういうことを、いま一度考え直し、見直してみるときにきているのではないかと思います。

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コメント

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No title
以前は、「日本からたたき出せ!」などと乱暴な言葉を使う保守派デモに反対していましたが、
これも護国という目標を真摯に掲げた彼らのタテマエなんだと思い始めました。
まだまだ平和ボケ日本人、「良い韓国人だっている」と言う保守がいるからこそ、その優しさにつけ込まれてしまうことを危惧して、
敢えて彼らは鬼の役目を果たしているんだと思うようになりました。
日本では鬼を悪鬼と神の化身の両方の意味がありますよね。

愛国日本!反日撲滅!

色々とコメントさせて頂きましたが・・・
色々とコメントさせて頂きましたが、この記事のコメント欄の一番最初にコメントされている、団塊の世代の後輩さんが仰っている、「“タテマエ”という言葉の響きが少しよくない・・そしてその印象の悪さ~」で答えが出ていた様に思います。

今現在だと、一般的に大多数の方は、タテマエ=引っ込み思案な遠慮、のような解釈になるのでしょうか。しかしねずさんやその他コメントで賛同されている方の仰るタテマエは、タテマエ=和を保つための配慮、でしょうか。

それを踏まえれば、賛同と少し賛同しかねる人の基準の差は、保守視点でタテマエを解釈した場合と、左翼思想に陥っている方の視点というか立場に立った上でタテマエを解釈した場合の差、といったところでしょうか。

手前勝手ながら、コメント欄において、今回のタテマエの記事での賛同と少し賛同しかねる人の違いはそれだけで、結局言いたいことは同じだった?で解決したように思えるので、この記事に対するコメントはこれで終えておきます。

愛国日本!反日撲滅!

もうひとつ、最近の分断工作かもしれない事象に対するコメントを投稿させていただきます。
この頃、政府が特アに対して緩過ぎるんじゃないかとか、そういう態度を弱腰だとして、批判されている場面をたびたび見かけます。

この記事の後半で政治での本音や建前にも書かれていますが、私は、個人の建前や本音=政治の建前や本音、ではないと考えています。

あくまでも私見ですが、政治は戦略によるところが大きく私達が知らないような情報も当然得ているでしょうし、それらが公になること自体が他国の政治的戦略に乗せられることに繋がったりするのではないでしょうか。政治の専門家ではないので上手く表現できませんが・・・。

つまりは今現在、一見すれば弱腰の様に見えてしまう状態が最上の状態かもしれない、という可能性も頭の片隅に置いておかなければならないのではないかということです。

戦争は政治での最終手段であり、それまではやれる限りのことはする必要が有り、そこでは私が述べたような、例えそれが良いことは良い、悪いことは悪い、という本音も大事、が該当しないのが政治だと思えます。

特に今現在の日本は戦前の日本ではない訳です。保守が盛り返し、勢いが出てきたと色んな事象を通じて感じていますが、それが=戦前の日本の強さが蘇ったのかと見てみれば、そんな感じは余りしません。

少なくとも私が理想とする、良いことは良い、悪いことは悪い、と自然と言えるような社会は、その当時の日本人の大多数が、それを当たり前の様に思っていて、また愛国心なども当然のように持っていたから成り立っていたのだと思います。

言動が伴わないと信頼や信用は得られない、と私は思いますので、今の状態の日本で、本音を押し通しすぎてしまい、万一戦争などが起こった場合は、多くの日本人(具体的には左翼思想に陥ってしまっている大多数)が日本という国を誤解する様に思いますし、それを見た諸外国の同様の人達も誤解するように思います。

政治での本音は、良い事は良い、悪いことは悪い、という私の理想が必ずしも通用するものではない、ということで、しかし多くの日本人が真実を知りえた後でなら、戦前の日本同様誇り高き日本人が大多数の日本は、例え本音を押し通し、戦争で敗れたとしても、目的は達成するように思います。

私個人としては、政府が本音を押し通し、仮に戦争になったとしても、国家の未来の為に覚悟を決めるという想いは有りますが、未だ真実を知らない状態で目を覚ましていない多くの日本人の方々は、国への不信感が、国への憎悪へ変わるのではないでしょうか。その後やその最中でなんとかすれば良い、という考えの方もいらっしゃるかも知れませんし、私もそれでも良い様に思ったりしますが、私の経験上、長い年月をかけて左翼思想に陥ってしまっている方というのは、残念ながらそんなに簡単には目を覚ましません。

という訳で、ねずさんの仰りたかったのはそういうことではないのかなと私は考えていますが、どちらにせよ、そういう表面的な部分だけで弱腰だから頼りない!見限ろう!といった考えにはなってほしくないものです。

それはつまり、考えない左翼思想と大差ないように思えます。

そしてそれが分断工作かもしれないということも念頭に置いておく必要があるのが、現状の日本だと私は思います。

私は、芯に一本真っ直ぐな想いが通っていると感じている方々が、何かしらのアクションを取った場合、その意図を推し量る努力を怠らない努力をしています。

それはネットやニュースなどを通じて多面的(情報もとの保守反日オカルト等を問わず)にそのアクションを見てみると、おぼろげながらに見えるように感じます。

勿論、それで全てが見えるとかではないし、間違ってる場合も多々有るでしょうから、断定などしませんし、この可能性はどうか、などという問いかけに留めるようにしています。常に問うことが大事、私はそう思います。

そうすれば、パッと見たら確かにそうかもしれない、と思ってしまう情報が、それが実際はそうではないという事が分かるってきたりします。

少し前の記事で面接での質問のお話が有り、その中で面接後の試用期間の必要性も記事かコメントかで出ていました。面接で雇用主が気に入るような情報を提示し、更に良い人ぶれば、好印象で雇われる可能性も高くなるでしょう。しかし試用期間があれば、その中でその人の本質を見抜くことが出来るはずです。私が上で述べたことが、これに相当する様に思います。


つまりは、より良いものを目指す場合に用いる建前は本音より重要で、逆に悪い方向へ向かう場合に用いる建前より本音が重要であり、しかし政治では戦略というものが有るのでそれが必ずしも該当しない、のではないかと私は思います。


勿論例外なども有ろうかと思います。家族を食わせる為に仕事でつきたくない嘘をつく必要が有った場合など、それらはある意味政治的な判断の縮小版で、本音より建前が優先された、最善ではないが最良の選択かもしれない。

見るべき部分は、それが自分のためではなく家族のためであると言う事です。そして政治的戦略的判断では、利権や保身のためではなく国家の為であるならば、最善ではなく最良の判断も在るだろうと言う事です。

真実の歴史を知り、正しい情報を得て、その場その時において最善または最良の選択を行い、最高の結果を導き出す努力を怠らないことを心掛ける。これが芯に在るであろう方は信じられると私は思います。

逆に、真実の歴史を知り、正しい情報を得て、その場そのときにおいて最善または最良とは逆の選択を行い、最高の結果を導き出す努力を怠らないことを心掛ける。これが芯に在るものこそが情け容赦の必要がない存在である様に思います。今の特アはがこれに該当するように思えますが、真実の歴史や、正しい情報を知っているのは、ほんの一握りではないでしょうか。

恐らく政治の場ではそういうところまで考慮し、というか、取り戻すべき日本人の精神性が在れば、それは考慮すべきとなるのではないでしょうか。それが和を保つための建前であって、一見すれば弱腰に見えているだけだと思えます。

ただし、そういう状態でも敵となった場合は容赦はすべきではない、が、情けはかける。それはそこで初めて考えを改めるかもしれない、が、そこで改めないのなら情け無用。政治的戦略的な判断での、今の日本が特アとの関係を推し量っている部分はそこではないかと、私は考えていますので、現政府は弱腰ではないのではないでしょうか、ということが言いたかったのですが、いつもながら人様のブログに長文で失礼しました。たった一人にでも読んでいただければ幸いです。

大和2600

No title
今回の記事は・・・定義によって変わるのでなんとも言えないかなと正直思います。

タテマエが中心になれば、それは言い換えれば「上っ面」だけ、ということにもなりかねませんよね。

もちろん何でもかんでも、人を押しのけてでもホンネを言えばいいというわけでもありません。

要は、至誠という言葉があるように、ホンネとタテマエが一致、あるいは大きな繋がりがあることが大事かなと思います。

和をつくるためのタテマエ。
そのタテマエを支えているのは、やはりホンネではないでしょうか。

多少の・・・まあ色々あっても、やっぱりどこかホンネから発生or派生したものが中心でないと、風が吹いたら飛んで行ってしまうような関係になりかねないと思います。

でも、まあ正直何とも表現しづらい難しい問題かなとも思いますが(汗)

越智富夫

一念三千とは、仏教の極理(ごくり)
ねずさん、お久しぶりです。諸事にかまけて御無沙汰いたしておりました。
さて、「一念三千」ですが、「一念に三千の気持ちが含まれる」ではなくて、「一念に三千種の世間が含まれる」という壮大な原理のことです。これこそ、「一切衆生皆成仏道」の根本原理です。この理論、もとい、法門がなければ、絵像や仏像を本尊として信仰することの意義が見い出せません。単なる心理学的事象ではないのです。
「三千種の世間」とは、言い換えれば「三千次元の世界」ということす。仏教では十種の世界を説きます。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏という世界です。この十界のそれぞれに十界を具し、合わせて百法界となります。一界に三十種の世間を具するので、百法界はそのまま三千種の世間を具することになるわけです。
「当に知るべし。身土一念の三千なり。故に成道(じょうどう)の時、此の本理に称(かの)うて一身一念法界に遍(あまね)し」。一人の人間が覚醒して仏陀となる時、その人の一身一念は大宇宙に遍満します。つまり、「一念三千」とは、「成仏の原理」です。それほど深いものです。
感心するのは、我が国で言えば聖徳太子が生きていた時代にシナでこのような奥深い仏教思想が確立されていた、ということです。「一念三千」を唱えたのは天台大師。この天台大師の師匠・南岳恵思禅師は、聖徳太子の前身(ぜんしん、前世の人物)とも言われています。
ちなみに、この南岳恵思禅師は、反対勢力によって毒殺されています。

タテマエの元で団結し、ホンネも言い合える仲でありたいですね!

-

No title
私は護国という目的ができてから個人の本音は言わず、ほとんどタテマエばかりです。
一つの目的に向かって一致団結しなければ負けるだけ、と気付いたからです

巴里在住

愛国日本!反日撲滅!さんと同意見です
私も、愛国日本!反日撲滅!さんと同意見です

失礼かも知れませんが、今回お書きになったのは
本当にねずさんなのかと疑問が湧きました

「タテマエ」というのは、今風にいえば「目的」のことです。
というのは、かなり乱暴な定義じゃないでしょうか?
「タテマエと本音」という時は、もう少し違う意味合いが
あるような気がします

本音の言える社会、大事じゃないでしょうか
本音が言えない社会は偽善者の集まりということも
できるでしょう。

例えば、中国、韓国は本音が言えない社会です
タテマエに従ってワーワー遣っているわけです
本音を言ったら殺されちゃう恐ーい社会ですから

今回の問題は言葉の定義が問題だと思いますが
タテマエとは、政治的に表面的なことで、本音とは
自分の正直な意見という風に私は考えてきました

それを「目的」と言われたので、ちょっと戸惑いました
仰る意味は分りますが、やはり、今回はちょっと
こじつけすぎたのではと・・・

本音が言えないと、こんな議論もできない訳ですし!
遠慮ないことを言って申し訳ありません

今後とも、ねずさんのブログ楽しみにしています 

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

愛国日本!反日撲滅!

連投すみませんが、追記です。
先ほどのコメントに少し付け加えさせていただきます。

今回の記事の冒頭にある「建前こそ大事」という考えに対しての私の考えを述べさせていただきました。

戦後影響下で長らく人生を歩んでしまい、周りに保守的な方が居ない状態で育った人間の方がはっきり言って多いのではないでしょうか。私達の目的はそういう人達の目を覚ますことではないでしょうか。それが日本を取り戻すと言うことではないでしょうか。

だからこそ、今回の記事での「建前こそ大事」というのは、戦後の言いたいことも言えない世の中を継続させることに繋がるように思えました。少なくとも私が感じる戦前のよさとは、良いことは良い、悪いことは悪い、という本音を言える様な世の中であったのだろうという部分です。それが在ったから戦前の方々は道徳が高い社会を築けたのではないかと私は思います。

やはり私は、本音は大事、和を保つための建前も大事、これが適切だと思います。

愛国日本!反日撲滅!

意図せぬ左翼思想に陥っている、現代日本の無関心層には本音の方が大事ではないでしょうか
今回の記事は少し違和感を覚えます。

確かに和を保つ為に建前は必要だと思いますが、戦後レジームが蔓延る現状においては、本音こそ必要ではないでしょうか。妙なことを教えている教師に「それはおかしい」とはっきり物申すのは本音ですし、私達の日本を取り戻したいという想いも本音のはずです。

あくまでも、建前より本音が大事と学校で教えているということに対してのねずさんのご意見だと思いますので、ここを見ている方なら大方理解されるかと思いますが、そうではない、まだ目を覚まして間もない方などは勘違いするかもと思ったのでコメントさせて頂きます。

建前は大事、本音も大事、どちらもその場その時において各々が適切な判断をする必要が有ると言うことです。

戦後の悪影響に犯された状態での本音は自己中心的なものになると思います。実際私も目を覚まして初めてそれがそうだったと思うことが多々在ります。

ですが目を覚ましてからの私は、目を覚ます前の建前が今の本音になっています。自分から進んで日本の為になることをしたいとか、身の回りの方や、まだ合った事ない方の為にも何かしたいとか、今までちょっとしたことは見過ごしていたりしていましたが、もうそういうことはしたくないとか、それらは過去では建前でしたが今では本音です。

ですが今、その本音を実行したいという想いが有りながら、昔の本音が今の建前となっているような状態です。覚悟が足りないと言われれば その通りですが、それは私が目を覚ますのが遅く、それ以前の慣習に今だ捕らわれているからに他なりません。

皆さんはどうでしょうか。多かれ少なかれ、本音を言いたくても周りを意識してしまうのではないでしょうか。残念ながら私はしてしまいます。戦後のぬるま湯から抜け出しきれていないからだと自覚しています。

つまりは、何が言いたいのかと言えば、確かに建前より本音が大事ではないと思いますが、本音より建前が大事でもないということです。私はそう思います。

ねずさんの仰る、学校が小中高大いずれかにもよりますが、若者にはもっと本音をいうような性格にし、その上で ねずさんが常々仰っておられるような立派な日本人になれるような教育をすべきだと私は思います。

日教組の教育下で左翼思想になってしまっているような若者が建前より本音の方が大事だとして反日売国活動へと傾くのは私も反対ですが、そうではない若者(に限りませんが)には建前より本音の方が大事ではないでしょうか。

ほとんどの人間は、正しいと思うこと、つまりは本音を通そうと思っても、何かしらのブレーキがかかり、それを建前としまっていると私は思います。それは本音が言えない環境に置かれてそうなっていると思います。それなら幼い頃から本音を言える性格に育てたほうが良いのではないでしょうか。その上で和を保つための建前というものを教えるべきだと思います。

また、幼いころから本音を言える人間に育てたほうが、目を覚ましたとき積極的に動けると思います。しかし本音より建前の方が大事だという考えだった人間には、今の私のように心にかけたくないブレーキをかけてしまう場合も有ります。

ねずさんが仰るように人は色んな本音があると思いますし、同時に色んな性格の人間も居るかと思います。そういったことを踏まえれば、私は幼い頃から本音を言えるような人間の方が良い様な気がします。




と、ここまで書きましたが、最近ねずさんの本が出版されて注目を浴びている状況を上手く利用して、本音教育に精を出させるという目的での今回の記事かなとも深読みしてしまいますが、そうでないのであれば、今回ねずさんが話題にされている例えに関してだけの見解に留めるべきではないかと思いましたので、僭越ながら賛同ではないコメントとさせて頂きます。

お猪口

タテマエがあるから、お互いに思い遣りが生まれる
とても良いお話を有り難う御座います。いつもながら着眼点が鋭いですね。
すっかり「自分の本音に素直に生きることが良いこと」という風潮になり、自己主張と権利意識が強まり、なんでもズケズケいう事を腹に何も無いサバサバと勘違いしたり、自己中心的な考え方の人が増えたと感じています。
自分を無理に押し込める我慢は良いとは言えませんが、未熟な自分を曝け出して押し付けるのは社会の迷惑です。でもそれが率直で良しとされる一面があるのが今の社会です。今やタテマエは水臭い、腹黒い、偽善、嘘偽りなどの悪いイメージばかりになりました。でもタテマエとは、何でも隠す秘密主義とか、遠慮して必要なことが言えないのと一緒ではありません。
誰でも、タテマエとは?本音とは?と悩んだことがあると思います。何かの役員も仕事の雑用でも、自分が負担になってもみんなの役に立ちたい、と思う心は本音なのか?それとも偽善なのか?と迷います。勿論、悪いけどやりたくない、という気持ちも同時にあります。
タテマエは自分がええかっこしたいためばかりではありません。誰かに役を押し付けて自分が楽できても、申し訳ない気持ちで嬉しくない。自分が助かって誰かが困っても、後ろめたさが残って素直に喜べない。自分は大変だったけど、みんなの役に立てて嬉しい、色々な想いがあります。タテマエは他の誰かを助けたり気遣うために言う事が往々にしてあるものです。それを「本音はどうなんだ?この偽善者!いい子ぶりっ子!」と迫るのは、「自分さえ良ければそれでいい」という答えを期待しているかのよう。
「本音が大事だ」となると、「思ったことを正直に言わないのが悪いのだ」という理屈になります。「はっきり言わなきゃ、理解なんかしてやれないよ」と突き放すようです。それこそ本音を大切にするように見えていて、実は思いやる心が欠如しているのかなと思います。
「本音が大事」は、人の心を利己主義へ向ける悪魔の囁きかも知れません。

人と人との間にタテマエがあることが前提ならば、本音はどうなんだと追求するのは野暮だし、相手がタテマエを言わざるを得ない立場や状況にいることを想像でき、相手を思いやる心が生まれます。手紙で言えば、行間を読む、ということでしょうか。
相手の心は完全には分かりませんが、だからこそ相手を気遣う心が大事なのではないでしょうか。
相手の言うに言えない事情や立場を察して、相手の本音を慮ることを忘れずにいたいものです。

ポッポ

No title
タテマエの最たるものが、法律だと思います。
始めに目標をかき、その後にこれを実施するに必要な言葉を説明し、そしてこれを実施するに必要な事柄を列挙することで説明しているのですが、分かりにくいようで、それ以上に分かりやすくする文章はないと思います。



昨日、午後7時からのNHKニュースで意味の分かりにくいものが読み上げられました。
NHKが台湾の方に裁判で負けて、100万円を支払うことになったというのがその内容でしたが、どういった裁判なのかがもう一つ判らない。奥歯にものが挟まったような簡単な説明でした。
多分、2009年4月11日にねずさんのブログで取り上げられた、「腹立たしいNHKの偏向。台湾の非取材者が怒る反日性向!」のことだと思います。

NHKはこの放送について、敗訴したのならば100万円もの国民から徴収した受信料を無駄にしたわけですから、検証した上で、取材した方の意図に沿った内容にして、改めて報道する義務があると思います。

NHKが裁判に負けたことも、公共放送のタテマエとして放送しなければならないから、ニュースのときに放送したと言っても、受信者に内容が伝わらないようでは放送したことにならない。
これは、悪しきタテマエの事例で、本音ではなく、本質が忘れられています。

terag3

建前論、大義名分こそ今の日本にとって一番大切なこと
まさに、ねずさんの仰る通りだと同感です。
日本に今、欠落していることこそ「大義名分」です。本音が大事だと言うのは戦後教育の最たるもの。つまりは建前、大義名分と言うのは、全体主義に繋がるという観点から、本音で話し合うことが大事だと教える。

つまり、それは個人の立場こそ大事だと言う、我利我利亡者を生み出して、日本の伝統文化をも破壊したサヨク思想の骨頂だと思います。

先日、市川・女性ストーカー事件の容疑者のように、女性に振られたぐらいで、女々しくもその女性を、攻撃するなど、このような男を育てたのは現代教育の最大の瑕疵と言うべきものであり、現代教育では人間として如何に生きるべきか、男の生き方、女の生き方については全く教えられていないようです。

つまりサヨク思想では、全体主義や国家主義を徹底的に排除したいということで、個人の権利こそ一番大事なことだと教えるから、他人の迷惑を毛ほども考えもしない人間たちが蔓延ってしまうのです。

他人に後ろ指を刺されるようなことをするな。外へ出てみっともないことをするな、他人に迷惑を掛けるな、人の世の役に立つことをしなさい・・・・などなど、戦前戦中の日本人の生き方を、そして建前、大義名分を何とかして復活しなければならないと痛感している毎日です。

魔除けに牛島辰熊

よく「特攻隊も本音では・・」とか言われますが、
そりゃ決行までの間には「怖い;」とか「ヤルぞ!」とか色んな感情が巡ったろうが、結局タテマエに殉じたからこそ偉いんで。
怖いからやめちゃったでも別にいいんだが、それはそんなに偉くない。 
ヨソと違って日本の場合、タテマエに過ぎん事をホントにやっちゃうところが特殊なんで、それは偉い事なんだから建前不要論はオカシイ。 
同じく、我々戦後世代が作ってきた「真面目・律儀・政治話ダサイ」とかいう風潮もオカシイ。 
国防軽視も神話否定も白昼堂々国賊跋扈もアレもコレもあらゆるもんがオカシイ。
全部とは言いませんがね(´∀`)♪

団塊の世代の後輩

No title
しごくもっともなご意見です。ただ私から見ると“タテマエ”という言葉の響きが少しよくない・・そしてその印象の悪さゆえに、皆が一致団結して頑張ろうとする場にしたり顔で水を差す馬鹿者に利用される・・と思うのですが、誰もその馬鹿者がりこうとは思いません、まともな組織であればですが・・思うに売国民主政権がホンネに走りすぎて自滅したかな?
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
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