小型の高速艇が巨大戦艦を打ち破る。
これをまさに世界に向けて証明してみせたのが、日清、日露における日本海軍でした。
後に総理となる鈴木貫太郎は、この水雷艇を指揮して多大な戦果をあげています。
ただし、当時の魚雷は射程距離が100メートルです。
海上で100メートルといえば、まさに手を握り合えるほどのすぐそばです。
それを鈴木貫太郎は、なんと50メートルの距離まで近づいて、魚雷を発射しました。
もう、こうなると相手と抱き合って魚雷を撃ち込むようなものです。
砲弾どころか、銃弾まで飛んで来る。
そこまで近づくのですから、これはもう百発百中で、そのために貫太郎はものすごい訓練を施し、ついたあだ名が「鬼貫」でした。
さて、日本海軍のこうした大戦果を受けて、どうにかして水雷艇をやっつけなければならないという研究が、世界中で行われました。
そして、ちょこまかと走り回る水雷艇を捕捉し退治するためには、やはりちょこまかと走り回れる水雷艇が良いと考えられ、それまでの水雷艇から、砲力と走行性能を一段と強化した船考案されました。
それが「駆逐艦」です。
駆逐艦は、英語名がデストロイヤー(Destroyer)です。
プロレスラーのデストロイヤーと同じ名前です。
「破壊者」という意味です。
その駆逐艦に生涯を捧げた日本軍人がいます。
それが、吉川潔(きっかわきよし)海軍少将です。
明治33(1900)年1月のお生まれです。
出身は、広島県広島市段原町です。
吉川潔少将は、「不滅の駆逐艦長」といわれ、連合軍が恐れた五人の提督の中のひとりです。
五人の提督の中で、彼だけは、当時の階級が中佐でした。
戦死された後、二階級特進で少将の栄誉に輝いています。
生家は代々漢学者の家で、もともとは戦国時代の猛将、吉川元春の子孫にあたるそうです。
旧制広陵中学(現広陵高等学校)の出身です。
広陵高校といえば、広島商業と並んで、甲子園でも有名な学校です。
プロ野球選手も多数輩出しています。
広陵を卒業した吉川潔少将は、海軍兵学校を受験するのですが、身長が低かった彼は、身長と胸囲の不足で不合格になってしまいます。
彼は、口惜しさから器械体操と陸軍被服廠での積荷作業で体を鍛え上げ、翌年海軍兵学校に合格しています。
海軍兵学校時代の吉川少将は、同期生のなかで、もっとも背が低かったそうです。
後年彼は駆逐艦長を務めるけれど、戦闘の指揮を執るときは専用の台の上に立ちました。
部下を殴るときも、飛びあがって殴ったそうです。
兵学校での成績は、残念ながら下の方だったそうです。
けれど体力、気力にあふれ、相撲、柔道、剣道、水泳に長じ、分隊競技では、隊を優勝に導いています。
たまにいるんですね。そういうタイプ。
身長が低いのに、やたらに運動能力に優れ、どちらかというと大柄な選手が有利な柔道の試合で、相手選手をまるで丸太のようにポンポン投げ飛ばす。
最近の学校では、ハンデがあるからと甘やかしたり、競争そのものを否定したりするそうですが、昔の日本は違いました。
ハンデがあるなら、それを克服する。
強い自分になる。
誰にも負けない実力を身につける。
先日書いたハンセン病患者もそうですし、眼の見えない人、耳の聞こえない人(昔は多かった)であっても、それなりの技術を身に付け、立派にみなから尊敬を集める人材になった人はたくさんいます。
吉川少将は、大正11(1922)年6月に海軍兵学校卒業すると、「長月」の水雷長などを経験した後、「春風」「弥生」「山風」「江風」と4つの駆逐艦長を勤めています。
そして昭和15(1940)年、40歳で中佐に昇進し、駆逐艦「大潮」の艦長となりました。
艦長としての彼は、恐れを知らない豪胆さと、決して偉ぶらない人柄、部下に対する思いやりの深さで、みんなから尊敬され、慕われました。
艦の中で最年長だった彼は、どんなに苦しい戦いのときでも明るさを失わず、乗員のなかへ入って気軽にはいり、笑いの渦を巻き起こしました。
すこし脱線しますけれど、不思議なもので、昔から左翼系の人というのは、会って話していてもひとつもおもしろくない。
なんだか教条主義で権威主義でツマラナイ。
ところが保守系の人というのは、どなたとお話していても、めちゃくちゃ楽しいし、面白い。
そしてこれまた日本の特徴ですが、強い組織というのは、どこも笑いが絶えないようです。
その笑いも、いまどきのテレビに出て来る朝鮮系お笑い芸人のようなものではなくて、腹の底から笑う。
それでいて、締まるところはビシっと締まる。
それが日本の強い組織です。
映画やドラマなどでは、かつての日本軍を描くとき、妙に暴力的だったり、妙に真面目くさったような描き方をしますが、実際には、普段は楽しくて仕方ないほど笑いが絶えないし、その一方で訓練は厳しくて、みんなが真面目に一生懸命取り組んだ。
そういうものだったといいます。
吉川艦長の艦もそうでした。
笑いの渦があり、一本筋金の入った厳しさがあり、艦には「この艦長のためなら」という気風がみなぎっていました。
昭和17年2月、バリ島沖海戦が起こりました。
吉川艦長の指揮する駆逐艦「大潮」は、僚艦と協力して、巡洋艦3、駆逐艦7からなる米蘭の連合艦隊に4回にわたって戦いを挑みました。
そしてオランダの駆逐艦ピートハインを、砲と雷撃で撃沈し、さらに巡洋艦3隻を中破、駆逐艦3隻を小破という大金星をあげています。
要するに、圧倒的に強力な敵を、壊滅させてしまったのです。
ありえない、すごさです。
この年4月、吉川艦長は一時内地に帰還し、駆逐艦「夕立」の艦長に異動となります。
そして8月末、「夕立」に乗った吉川艦長は、ソロモン海北西の島を基地にして、陸軍一木支隊の兵員をガダルカナル島に上陸させる任務を負っています。
以来、第三次ソロモン海戦開始までの二か月半、「夕立」はガダルカナル島に、なんと18往復もしています。
すでに、敵がうじゃうじゃといる海域です。
うだる暑さ、絶え間ない空襲、まとめて2時間と寝ることのできない不眠という悪条件のなかで、一回に約150名の陸兵と、15~30トンの武器、弾薬、食糧を回送しています。
これまたすごいことです。
輸送任務のとき、軍医長だった永井友二郎中尉が吉川に聞いたそうです。
「輸送を何べんやっていても、急降下爆撃機に突っ込んでこられると、首をすくめてしまいます。艦長はこわくないのですか」
すると髭面の吉川艦長は答えました。
「俺だってこわいさ」
そして、ニヤリと白い歯をみせてこう言ったそうです。
「だがなぁ、永井、私は対空戦闘や操艦で頭がいっぱいで、こわいのを忘れてるんだ。軍医長のように、する仕事がなくて、ただどうなるか待っているのはこわいはずだ。自分の使命感で耐えるほかはないだろうなあ」
率直に「こわい」と語る吉川艦長の言葉に、永井軍医は心を和ませたそうです。
そしてその後は任務第一を心がけるように努めたそうです。
看護長の奥村忠義二等看護兵曹は、吉川艦長から、こんなことを言われた記憶があるそうです。
「なぁ奥村。俺は死んでも代わりがある。だがな、お前が死んだらだれが病気やけがの面倒をみてくれるんだ? 奥村、おまえは体に十分注意しろよ」
激しい戦乱の中でのことです。
奥村はこの言葉に涙したそうです。
バリ島沖海戦では、こんなエピソードがあります。
撃沈した「ピートハイン」からボートで脱出中の敵乗員10人を、吉川の「大潮」が救助しました。
そして彼らを捕虜収容所に送ったのです。
1ヵ月ほどして、捕虜の食糧が欠乏していると聞いた吉川艦長は、「そりや大変だ」と言って食糧、菓子、タバコを持って、捕虜たちの慰間をしたのです。
このとき吉川艦長が捕虜たちにみせた笑顔はとても暖かく、まるで自分の息子に語しかけているようだったそうです。
輸送作戦に従事していた9月4日、陸軍兵をガダルカナル島に揚陸したあと、敵飛行場を発見した「夕立」は、これを砲撃して大打撃を与え、さらに駆逐艦二隻を撃沈しています。
このときのことを連合艦隊参謀長宇垣少将は、9月5日の日記にこう書いています。
「吉川中佐の如き攻撃精神旺盛、体力気力抜群の者が武人としてよく勝ちを収める」
昭和17年11月12日の深夜、第三次ソロモン海戦が起こりました。
ルンガ岬沖に進出した日本艦隊を、カラハン少将率いる米艦隊が待ち伏せしていたのです。
「敵艦隊発見!」
このままでは、日本艦隊は包囲され、壊滅してします。
吉川艦長は、僚艦の「春雨」とともに、2隻で米艦隊に向けて猛突進を敢行しました。
米艦隊は、この2隻の駆逐艦との衝突を避けようとパニックに陥いります。
そのパニックに乗じて、後方にいた日本側戦艦が先制砲火を開始します。
これを確認した吉川は、艦を反転させると、日本の主隊と交戦を始めた敵艦隊の真っただ中に夕立を進めました。
そして軽巡洋艦「アトランタ」に魚雷2本を命中させて航行不能に陥らせ、次いで至近距離から旗艦「サンフランシスコ」に多数の命中弾を浴びせます。
敵のど真ん中に日本の駆逐艦「夕立」がいるのです。
真夜中の戦いで、戦いが終わったとき、「夕立」は、多数の砲撃を満身に浴びて航行不能となったけれど、この海戦における吉川艦長の働きは、その旺盛な攻撃精神といい、卓抜した戦闘技法といい、まさに駆逐戦隊の華と称えられています。
この戦いにおける駆逐艦の戦いぶりは、世界の海軍史を通観しても、これに匹敵する事例を他に見出せないものとされています。
吉川艦長の戦歴は、全海戦で8隻を撃沈、12隻撃破というすさまじいものです。
しかし彼は、功を誇ることは一切しない人でもありました。
第三次ソロモン海戦を振り返って中村悌次は、
「闇夜のなか、流れるように口をついて出る的確な号令は、まさに自己訓練の賜物だった」と、吉川の冷静で果断な指揮を語っています。
第三次ソロモン海戦から帰投した吉川は、海軍兵学校教官への転任を断り、駆逐艦「大波」の艦長を引き受けて、ふたたび激闘のソロモン海へ向かいました。
ガダルカナル島撤退の後、敵の北進を阻止するため、「大波」はブーゲンビル島北端にある、ブカ島への輸送、補給の任務につきました。
その目的を果たして帰投中のことです。
昭和18年11月24日、最新式レーダーを装備した米駆逐艦に雷撃され、「大波」は大爆発を起こし、数分で乗員もろとも海底に没しました。
吉川潔中佐は、戦死後、駆逐艦長としてただ一人、二階級特進の栄誉を担い、少将に任ぜられています。
私は、軍の経験がないですし、あくまで素人ですから軍事行動の詳細については、よくわかりませんし、言及できるほどの知識もありません。
ただ、吉川潔少将という、小兵ながらも自らを鍛えあげた立派な軍人がいて、部下たちからよく慕われ、たいへんな軍功を残し、そして海に散っていかれた。
男として、その凄味、その人生は、やはり学ぶべきたくさんのものがあるように思います。
わたしたち日本人にとって、戦争の記憶というのは、長くとても苦しいものでした。
けれど、それだけではなくて、その長く苦しい戦いの中で、堂々と潔く立派に生きた人たちがいたという記憶は、わたしたちは絶対に失ってはいけないことだと思います。
※この記事は2009年11月9日の記事をリニューアルしたものです。
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コメント
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2013/12/03 編集
ひげ親父
2013/12/02 URL 編集
お猪口
ドラマなどでの日本軍の描かれ方は観るに耐えないひどさだと思うことが多いです。実際には誠実で、厳しい中にもユーモアや優しさがあった人が沢山いたと思います。昔の戦争映画を観ると、兵隊さんは快活で男気とユーモアがあり、とてもかっこいいです。戦争を美化している風でもなく、まだ戦争の記憶が新しかったので、人々の事実の姿に近かったのだと思います。現代に近づくほど物語は自虐的で言い訳がましいものが多く感じます。昔は俳優も製作者も戦争経験があったせいでしょうか、画面から伝わる気迫が違います。当時は映画を作るほうも観るほうも、みんな辛い戦争を乗り越えた同士、お互いの苦しみを労い励ましあう気持ちがあったのではないでしょうか。自分達はあの苦しみをよく頑張って耐えたものだ、だからこれからも何とかなる、と戦後の日本を建て直す気力と希望を持って前を向いていた人が多かったのだと感じます。時代が新しくなるごとに、日本軍の姿が捻じ曲げられて事実から遠ざかっていったと思います。
2013/12/02 URL 編集
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【国際】カナダ海軍技師を逮捕、中国に造船機密漏えい計画か 有罪なら終身刑の可能性も
カナダ連邦警察(Royal Canadian Mounted Police、RCMP)は1日、
同国海軍の造船調達戦略に関する機密情報を中国に漏えいしようとした疑いで、カナダ人海軍技師1人を逮捕したと発表した。
駐カナダ中国大使、中国企業のスパイ活動を否定
逮捕されたのはトロント(Toronto)在住のクィン・クエンティン・フアン(Qing Quentin Huang)容疑者(53)。
カナダの造船資材の調達戦略に関する詳細情報を入手しており、その中には監視船やフリゲート艦、
補助艦艇、科学調査艦、砕氷艦などが含まれていたという。
フアン容疑者は情報保全法に基づき11月30日に身柄を拘束され、
機密情報を国外に漏えいしようと試みた罪2件で1日に訴追された。
4日に保釈査問会が開かれる予定。裁判で有罪になれば終身刑となる可能性がある。
連邦警察では、フアン容疑者は単独で犯行に及んだとみている。
フアン容疑者は、カナダ造船最大手アービング造船(Irving Shipbuilding)の委託業者で英ロンドン(London)に
本拠を置く船舶審査企業ロイドレジスター(ロイド船級協会、Lloyd's Register)に監査員として登録されている。
一方、ビジネス向けソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「LinkedIn(リンクトイン)」のプロフィールでは
ロイドレジスターの海軍技師と記載されている。【翻訳編集】 AFPBB News
AFP=時事 12月2日(月)13時32分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131202-00000026-jij_afp-int
2013/12/02 URL 編集
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沖縄における左派系統の小規模なデモを、全島民の行動だと誤解するほど大きく報道するマスメディアが、その一方で東京での愛国系市民の大規模なデモを報道しないことは、マスメディアによる一般国民への情報操作だ。
一般国民は、マスメディアが報道することしか見えないことを、マスメディアは知っている。
そのようなマスメディアに対して、日本の秘密保護法を批判する資格があるのか疑問である。
2013/12/02 URL 編集
ポッポ
各艦長は、命令に従って任務を果たされましたが、艦本来の能力を生かせないことは、誠に辛かっただろうと察するに余りあります。
11月30日に開催された日韓議員連盟において、島根県の竹下亘衆議院議員は「竹島が含まれる島根県選出議員」と自己紹介したところ、韓国側が抗議したため謝罪したとのことです。
ジョークのつもりで言った場合でも、抗議されて引っ込めたら韓国の主張を認めたことになるでしょう。しかし、そのまま主張を引っ込めなかったら、日本の国民からはその発言が高く評価されたと思います。
民主党(細野)、維新(松野)、みんな(江田)が野党を合併して、新たな勢力を考えているそうです。
維新の党の松野氏は、元民主党ですから現民主党の細野氏とは話しやすいでしょうし、これにみんなの党の江田氏が加わって合併することが容易に考えられ得ます。
さらに、これに国民の生活が合流し、かって自由党と民主党が合併したときの状況を作り出し、再び政権を目指す可能性があります。(細野氏と小沢氏は関係が近いと思います。)
この場合、維新から旧太陽の党の方は、脱退するでしょう。
民主党と維新の合併には、絶対に反対します。
橋下大阪市長はいわゆる従軍慰安婦問題後に人気を落としましたが、彼の方法はともかくとして、韓国の主張する従軍慰安婦問題は無かったとの主張は今でも正しいと思っています。子孫にこんな捏造問題を、残すこともできません。
親韓国・親中国の民主党を支持することや、野戦隊長の元に日本の進路を預けることはできません。
2013/12/02 URL 編集
名無し
2013/12/02 URL 編集