大東亜戦争開戦の日に思う

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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727

■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
ねず本、ネットで立ち読みができるようになりました。スマホでも読めます。
http://homepage2.nifty.com/sai/e_book/t_n56_nezu_01/
ラジオでのねず本のお話です。下のURLで聞くことができます。私も出演しています。
http://www.sinkan.jp/radio/radio_1674.html


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明治の日本風景


昭和16(1941)年12月8日「大東亜戦争」が開戦となりました。
この日の未明、ハワイオアフ島の真珠湾にあった米海軍太平洋艦隊基地および、マレー半島への上陸作戦が開始されています。

この戦争について、戦後のわたしたちの世代は、名称を「太平洋戦争(The Pacific War)」と教わりました。
現在、日本と米国では、その名称が使われています。
なるほど米国からみれば、この戦争はまさに太平洋で行われた戦争です。

けれど戦争には、英国や、オランダ、フランスなども参加しています。
彼らにとっての戦域は、太平洋ではありません。
とりわけ西欧では、太平洋戦争(Guerra del Pacífico、スペイン語)といえば、明治12(1879)年から明治17(1884)年にかけて、南米のボリビアとペルーが、チリとの間で行った戦争のことを指します。

従って昭和16(1941)年にはじまる極東地域での戦争のことも「太平洋戦争」というのでは、同じ名称が重なってしまいます。これではわかりずらい。

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ですから英国では、この戦争のことを「対日戦争(War with Japan)」と呼んでいるし、その英国の歴史学者クリストファー・ソーンは、この戦争の戦域に東アジア、東南アジアだけでなく、西太平洋、オーストラリア、インドなども含まれることから「極東戦争」と呼ぶべきと提唱しています。

一方、中華民国や中華人民共和国では、この戦争を「中日戦争」と呼んでいます。
開戦始期も、昭和12年としています。

つまりわたしたち戦後世代は、この戦争を「太平洋戦争」と呼びますが、実は他にも「極東戦争」や「対日戦争」、「中日戦争」など、様々な呼び方があるわけです。

名称の問題は大切です。
なぜならそれは、その戦争が、何を意味するかを明確に規定するからです。

そのわが国では、実は「太平洋戦争」という正式名称は存在しません。
この名称は、戦後に日本にやってきたGHQが、占領統治時代の「検閲」によって「事実上定着」させただけのもので、法的には、いまも昔も「大東亜戦争」です。

というのは、「大東亜戦争」という名称は、開戦後まもなくの12月12日に内閣で閣議決定された名称だからです。
そして実は、翌昭和17年2月17日には、法で定められていた「支那事変」の呼称も、「大東亜戦争」に含めると閣議決定されています。
いまにいたるまで、これを修正する閣議決定も法律も定められていません。
ということは、わが国における正式名称は、いまもなお、実は「大東亜戦争」のままなのです。
遵法精神があるならば、「大東亜戦争」と呼ぶのがわが国国民としてふさわしいことです。

それに、太平洋戦争と呼ぶと、東アジア地域での戦争の説明がつかなくなります。
マレー半島は太平洋ではないし、満蒙や支那での戦いも、戦域から外れてしまいます。

それにそもそも「太平洋戦争」と呼ぶから、支那事変との戦争の一体性が切れてしまい、支那事変と太平洋戦争がまるで別々な事案のような印象になってしまうわけです。
昭和12(1937)年にはじまる支那事変は、昭和20年まで戦闘状態が継続していたわけですから、本来これもふくめて「大東亜戦争」と呼ぶという閣議決定が、正しい呼び方です。

さきほど、昭和16年12月12日に「定められた」と申し上げました。
では、12月8日の開戦当時には、この戦争が何と呼ばれていたかと言うと、「対米英蘭蒋戦争」です。
ですから、真珠湾攻撃やマレー攻撃のとき、呼び方は、報道用語として「対米英蘭蒋戦争」だったわけです。
もう少し詰めて「対米英蘭戦争」という呼び方もされています。

では、それがなぜ「大東亜戦争」という名になったかというと、理由は3つあります。
1 この戦争が「対米英蘭戦争」というだけでなく、支那事変も含めた戦争である。
2 大東亜新秩序建設を目的とする戦争である。
3 戦争地域が単に東亜のみを限定したものでなく、アジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すものである。
というものです。

大東亜戦争を、「日本の軍部による侵略戦争」だったという人がいます。
最近の学校などでは、そのように教えているし、教科書にも、そのように記述しているものがあります。

けれど、少し考えたら誰にでもわかることだけれど、戦争は軍が「勝手」に行うものではありません。
戦争は、国家が国家の意思として国と国とで行うものです。
軍は国の命令によって動きます。
勝手な暴走などできるものではないし、暴走があれば、すぐに鎮圧部隊が出動して、関係者は軍法会議によって処断されます。あたりまえのことです。

「日本による侵略戦争」という言葉も、不適切です。
日本が戦った相手国は、どこの国でしょうか。
日本はアメリカもイギリスも、一度も侵略していません。

ハワイは、開戦当時は、米国の州ではありません。
ハワイが米国の50番めの州になったのは、昭和34(1959)年8月21日のことです。
開戦当時のハワイは米国が力によって強引にハワイ王室を廃絶させた自治領でしたが、人口の半分は日本人でした。
そのハワイ、オアフ島に、米国は海軍基地を作りましたが、日本が行った攻撃は、その海軍基地に対してだけのものです。
もし、日本によるハワイ攻撃が侵略とするなら、米欄によるラバウル攻撃も、侵略です。

そもそも、です。
江戸時代の終わり頃、欧米列強は地球の陸地の35%を支配していました。
その欧米支配の脅威に対して、国論をまっ二つにしながらも、多くの血まで流して国をまとめ、統一的近代国家を形成するために大変革を行ったのが明治維新です。
日本は、明治維新を無事になしとげたからこそ、その後の近代化が起こったし、その日本が立ち上がったからこそ、世界から植民地支配が一掃されるという動きになったというのは、歴史が示す通りです。

ところが第一次世界大戦が始まるころには、欧米の支配地域は約84%にまで拡大していました。
その第一次世界大戦に勝利した日本は、大戦の戦後処理を行うパリ講和会議で、国際連盟の結成に際し、その連盟憲章の第一条に「人種の平等」を入れるべし、と提案しました。
世界にむけて人種の平等を高らかに謳い上げたのです。
この時代、そんなことを言い出したのは、日本だけです。

この提案は、は米英によって拒否されるけれど、この時点で間違いなく日本は、世界の被支配諸国の民衆にとっての大きな希望となっていたのです。

そしてこのことは、同時に日本が、明らかな植民地支配国からみた敵国となったことを意味しました。
方や世界の84%を支配する大国群です。
方やまだまだ貧しい国でしかなかった東亜の一国です。
日本は、全身血まみれになりながらも、必死の戦いをしました。
その結果、世界から植民地が一掃され、それだけでなく、日本という国も民族もしっかりと保持されました。
それが大東亜戦争であり、その結果です。

戦後のわたしたちは、ながく豊かで平和な生活を維持することができました。
世界の先進諸国のなかで、戦後68年間、戦争をまったく経験しなかった国は、日本だけです。
それがなぜ可能だったのかといえば、その理由は、昭和16(1941)年9月6日の御前会議の際の永野修身海軍軍令部総長の言葉にあります。

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政府側陳述によれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことであったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。
すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である。

(現代語訳)
アメリカの主張に屈服するというのは、日本が亡国の憂き目に遭うということです。
しかし、戦うのもまた、亡国であるかも知れません。
戦わないなら国が滅び、戦ったとしても国は滅びる。
けれど、戦わずに国が滅びるというのは、日本民族が、身も心も永遠に国を失うことになります。
もし戦い、護国の精神に徹するなら、たとえ戦いに勝てなかったとしても、祖国を護るという日本精神が残ります。
そうすれば、私たちの子孫は、必ず再起し、あるいは三起する。
統帥部としては、もとよりあくまでも外交交渉によって平和的解決を望んでいます。
けれどもし、不幸にして開戦と決し、陛下の大命が発せられるようなことになるなら、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟でございます。
=======

日本は、まさに勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦いました。
いくたびの玉砕戦では、傷ついた体に蛆がわき、食べるものさえない中で、身を敵に晒し、果敢に戦い抜きました。
それは、祖国を守るため、後世の日本に生きる、いまを行きているわたしたちのためです。
そのおかげで、わたしたちは、戦後の平和な生活を享受できました。

こうして日本は、世界の植民地秩序をぶち壊し、そして戦後はいちはやく祖国の復興を遂げ、アジアへの技術援助、経済援助を行い、アジアに工業生産がはじまると、それをどんどん買い上げて、お金がどんどんその地にはいるようにしました。
日本が商品が買い上げてお金が落ちることで、独立したばかりのアジアの諸国の近代化は、さらに拍車がかかりました。
これによって、非欧米世界は、いちはやく近代化を実現し、工業化が順調に軌道に乗って行きました。

わたしたちは、いまの平和を享受するあまり、歴史が順調に推移したと思いがちです。
何か安全なレールの上を順調に走って来たかのように誤解しています。
けれどそこには、実は様々な試行錯誤があり、その中で、勇気をふるって決断をし、汗を流し、血を流して、時代を切り開いてくださった先輩たちがいてくださった。
わたしたちは、そのことを忘れたり、見落としたりしてはならないと思うのです。

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コメント

残念ながら、、、

No title
ほぼほぼ、同感です。大東亜戦争で奴隷開放戦争です。
しかし、最後、国民性なのか、マッカーサーの策略なのかは分からないが、GHQによる洗脳は今も強固に蔓延っています。
もう悲しい位、時にはなんて馬鹿な国民なんだと思います。ほんと、平和ボケして、感謝もできない、自分の事しか考えない大馬鹿です。

具体的には、南京大虐殺、慰安婦、東京裁判、東條英機と、、、
冷静に考えれば分かるものを洗脳なのでしょうか?それとも、国民性なのでしょうか?それとも、ただの馬鹿でしょうか??

まぁ〜全く理解していません。国民に理解する気持ちなどサラサラないのかもしれません。ほんと、日本人から愛国心と言う欠片も感じません。

今巷でこの様な事を豪語すれば、国民は何と言うかわかりますか??
おぉ〜、こいつ極右やな〜〜。この一言ですよ。

明治維新を研究して説けば、歴史研究家、歴史好きですよ。

大東亜戦争、東條英機を語れば右翼ですよ。
呆れて物がしゃべれません。

結論、この国では太平洋戦争戦争ですよ。
この国では東條英機は悪者。またこれ誰??ですよ〜。
慰安婦問題はどうでもいい。誤っとけですよ〜。
南京大虐殺は、あったんか??そんなんおりゃしらんですよ〜。

普通にこんな国ありますか??
どう考えても、おかしいとおもいません??

先日、初めてサンシャイン60、旧巣鴨プリズンに行ってきました。
まぁ〜慰霊碑的な文字の書いた石板は確かにありました。

まぁ〜ここまで、何も説明文もなくて、何なんこの石状態で放置して、、、
凄い待遇やな〜と嘆きましたよ。
微力ながら、謝りましたよ〜。ほんと情けない。

松井大将に於いてはまだ、30万人虐殺汚名はきせたままですよ〜〜。

もう戦後、70年の事やから、ええ加減に名誉回復、この国が残った事、アジアで奴隷が回復された事、感謝しようよ〜。

歴史どうのこうのより、まずそこからスタートだと僕は思います。

-

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失礼します

No title
ふと、思ったのですが、
戦争であれ、戦前であり、真実を述べると、左翼は、「美化するな」といいますよね。

と、言うことは、日本は、美しい事を沢山したと、
左翼は、認めていて、だから、嘘をつかなければ、日本を貶められないんですよね。

すみません。いまさらですが、左翼のみっともない姿に、
吐き気がしてきました。

いち鬼男として

今日と言う日に日本が立ち上がったからこそアジアの植民地支配は終わりを告げた。
戦争には負けたがその目的は達成する事が出来た。

今日国旗を出した自分に妻が「何で国旗を出すの?」と不思議がってました。

ポッポ

No title
戦争の名前は、それぞれの国によって呼び方が変わる。
考えてみれば当たり前のことですが、小学校の頃は太平洋戦争と習った記憶があります。親に聞いたら、大東亜戦争というので、意味が分からなかったのですが、親の呼び方が正しくて、習ったことが間違っていました。
学校教育で大東亜戦争と何故教えなかったのかと、思います。これくらいは、今なら正しく教えていると思います。日本の法律で大東亜戦争と決めているのに、それを履行しないのなら教育が違法状態にあります。

アメリカは日本を挑発することで、大東亜戦争を起こさせました。
日本の暗号を解読しているのですから、真珠湾攻撃も予想していたでしょう。しかし、あれだけの被害は想像していなかったと思います。また、チャーチルにしても、東洋艦隊の戦艦2隻が日本の航空隊に撃沈されるとは想像しなかったと思います。
米英ともに、日本軍からの被害が予想より大きかったことは、間違いないでしょう。東洋の猿が米英の軍隊に敵うはずがない、日露戦争は米英の後押しがあったから、日本が勝てたと信じていたと思います。



尖閣諸島の大正島は、米軍の射爆撃場とされていましたが、これを移転したそうですが、その理由は沖縄の基地負担を削減するためだとされました。これが、理解できません。
沖縄にある米軍施設でも大正島の射爆撃場は、長期間に渡って使用されていないため、現状では実質的に何の負担削減にもならないのです。
そのままにしておいても、良いのではないかと思いました。

魔除けに牛島辰熊

コメ返し
>歴史の視点を矮小化し、重大情勢を隠蔽する

↑それについて昔毛沢東が
「揚子江は部分的には北にも流れてるし、南にも流れてるし、西にすら流れてる。 だが大きく見れば、確実に西から東へ流れている」
ってな事言ってましたなw 
ブサヨはブサヨの親玉の言に従うべし。

閑話休題

閑話休題
閑話休題1
昭和28年(1953年)8月3日衆議院本会議で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が、与党、野党全会一致で採択されました。これは東京裁判で有罪判決を受けた全て人々が国内法では犯罪者ではないということです。つまり、日本国には、A級、B級、C級の戦犯は存在しません。絞首刑の東条英機様以下6名でさえ法律上「法務死」つまり、「公務よる死亡」と扱われます。
それを忘れてか意図的か、共産主義者など反日工作員の手中にはまったのか、鈴木善幸内閣の官房長官宮沢喜一が中国の内政干渉に折れ、ついに「近隣諸国条項」を作り、1993年細川護熙総理の「侵略戦争発言」、次の羽田孜政権の近隣諸国への追従発言、海部俊儒樹首相の「アジア諸国謝罪歴訪」、1994年村山政権下での「過去の戦争責任の反省」、1995年に終戦50周年ということで土井たか子衆議院議長を団長とする中韓両国並びにアジア諸国へ「反省」と「謝罪」表明の使節団派遣という流れができてしまった。
1950年十月、トルーマン大統領と会談したマッカーサーは「東京裁判は誤りであった」と発言しているのをよもや日本の報道機関が知らないはずはないでしょう。更に、マッカーサーは1951年5月3日米上院軍事外交合同委員会における聴聞委員会で聖書に誓って「日本が戦争に突入した主たる動機は安全保障の必要に迫られてのことだった。」と証言している。これこそ東京裁判の十人の判事の中で唯一人の国際法学者ラダ・ビノード・パール判事の主張が正しかったということの証左ですよね。
日本が韓国に支払った賠償金は当時の韓国の国家予算額を超える程の巨額であった。中国には政府開発援助(ODA)と旧銀行経由の借款で十兆円にもなる。(一旦賠償金の請求を放棄したはずの中国に形を変えて日本の国民の血税が毟り取られています。キックバック受領政治家のリストはお持ちですよね。相手国の政府関係者が公言しているのですから)

terag3

戦前、戦中の日本人と現代人の違い
このたびのお話で私も、昔のことを思い出してみました。昭和10年、満州で生まれ、小学校3年生まで満州で育ち、11歳で日本へ引き揚げてきましたので、幼児時代は別として小学校入学から3年生まで、戦前、戦中の日本人として育てられた訳です。

当時、親からは「しっかり勉強してお国の役に立つ立派な大人になりなさい」と言われて育ち、小学校3年の時に学校で、苛められて帰宅し母親に報告したところ「男の子が何でそのような弱虫なのか、これからその子の家に行って呼び出してもう一度、勝負を付けてきなさい」と叱られました。

それ以来、日本へ引き揚げてきて小学校5年生に転入しましたが、苛めには単なる遊びと考えて、殴られれば殴り返し、いじめグループの手下は、相手にせず、ボスに向かっていくので、そのうちにボスと仲良くなって克服できました。

終戦直後の小学校では、まだ戦前からの先生が教壇に立っていて、悪さをした3人組が教壇の前に立たされて竹の棒でゴツン、ゴツンと「こぶ」が出来ない程度に殴られていました。悪さをすれば体罰が当たり前のことでした。

一方、現代人はどうですか!暴力反対、戦争反対、戦中の日本軍が暴走したので国民は苦しんだなどと、特高警察に捉えられた共産主義者たちの自虐史観に洗脳された日教組によって、体罰も許されない、全体主義もダメ、個人の権利一辺倒で、個人の責任や義務にも目をつぶる・・・・

このたびのお話の中に出た>永野修身海軍軍令部総長の言葉の一節「戦うもまた亡国であるかも知れない。すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。・・・・

そしてまた、ケネディ元大統領の演説にもあった>国民は国に何かをしてもらうのではなく、国に対して何が出来るかを問うてほしい・・・・

この言葉と、永野修身海軍軍令部総長の言葉とは、通底するものが有るのではないでしょうか?現代人の多くは、戦争が始まったら、真っ先に逃げるというひともいますし、我が子を戦場にはやりたくないと言うのも親心でしょうが、国民のみんながそのようであれば、この日本国は潰れてしまいます。

やっぱり何と言っても、この国を守り抜くという気概は国民全員で共有していなければならなものと痛感しています。

桜子

No title
昭和16年12月8日、大東亜戦争開戦の日。
戦いに至るまでの経緯は当時の世界情勢を見ていかなくてはなりませんが、真珠湾が果たして騙し討ちだったのか、そうでなかったのかを考えてみました。

古今東西、戦争には秘密が付き物です。幾多の戦いがある中で、大東亜戦争ほど奇々怪々な物はないでしょう。
その大きな謎は今もって明らかになっていないのが実情です。
アメリカは開戦1年も前から日本の暗号電報の傍受、解読に成功しており、
日米交渉における日本側の手の内を知り尽くしていました。
と言う事は、アメリカにとっては画策のし放題だったわけですね。

当時すでにヨーロッパでは戦端が開かれていました。そこで、イギリスはどうしてもアメリカに参戦してもらう必要がありました、そこでチャーチルは再三再四、ルーズベルトに参戦を促しましたが、ルーズベルトとしては参戦しないと国民に公約をしています。
言われたといって「ハイそうですか」と言うわけにもいかない、そこで開戦の大儀名文が欲しいが為の画策が始まったという訳です。

それに元々、アメリカは何処が母国か考えたらすぐ解かりますよね。
宗教改革の嵐が吹き荒れるヨーロッパから新天地を求め、メイフラワー号でアメリカにやって来ました。
その母国、欧州がすでに戦場となっているのです。
母国を見捨てる訳にはいかない、いかにして日本を戦争に引きずり込むか、ルーズベルト、チャーチルの間でどのような画策があったのかは分かりませんが、
たとえモナコの小国であろうと、あの状況では戦いを挑んだであろうと言わしめたABCD包囲網で日本を追い込んでいきます。

それに当時は植民地時代です、亜細亜のほとんどの国が欧州各国の植民地でした。
その中で唯一独立国の日本、幕末から明治、大正、昭和の短い間に世界と肩を並べるほどの大国へと成長。
アメリカ、西欧諸国から見たらまさに目の上のたんこぶだったことでしょうね。

皆さんは既にご存知かもしれませんが、真珠湾に関してはほんの一部ですが、不可解な事があります。

◎ルーズベルトは、この重大な日曜日の午前中からこぶる上機嫌で趣味の切手コレクションを整理中であったといいますし、また、もっとも有名なのは日米開戦の夜、歴史的な1941年12月7日(米国時間)当夜にルーズベルトは早寝して、ぐっすり眠ったという事です、つまり、安眠したという事です。
戦争が既に始まっているのです、普通なら夜も眠れないと思います、安眠などと常識では考えられませんね。
自分達の企図に、まんまと日本軍が嵌った事の安心感からでしょうか、わたしにはそうとしか思えません。

◎マーシャル参謀総長は12月7日の朝、のんびりと恒例の日曜日の乗馬運動に一人で出かけ、副官に行き先も告げず、正午近くまで帰ってこなかった。
緊急電報を入手した陸軍省は慌てて彼の行き先を探しています。
マジック情報ですでに日本の重大決断と軍事行動を察知しているのだから、先頭切って陸軍省に登庁し、開戦の一報を待つのが普通です。

◎海軍最高責任者であるスターク作戦部長も開戦前夜、夫人同伴でのんきにもワシントン市内の劇場に芝居見物に出かけ、同夜遅くまで帰って来なかった。
その不在中に海軍省では緊急のマジック情報を彼に手渡す事ができず、翌朝まわしにした事実があります。

普通に考えて、日本の行動を把握し、知りえる最高責任者である彼等の不可解な行動をどう見たら良いのでしょう?

◎それに不可解なのが、重要なマジック情報を手にしながら、それにもかかわらず、現地(ハワイ)の太平洋艦隊指令長官キンメル大将、陸軍司令官ショート中将に知らされていなかったことです。
これもどう考えても意図的としか言いようがありません。
敵を欺くにはまず味方からですか、、、。
お気の毒に、キンメル大将、ショート中将は国民から無能扱い、事実を知って、さぞ激怒されたことでしょうね。

◎真珠湾事件に関して核心を突いている証言があります。
「陸軍長官ヘンリー・スチムソンの日記」1941年11月25日のページに書かれている事です。
「それから正午に、我々はホワイトハウスにおいて、1時半ごろまで協議を重ねた。
この会議にはルーズベルト、ハル、ノックス、マーシャル、スタークと私が列席した。
その席上でルーズベルトは「ビィクトリー・パレード」計画(欧州戦争に米国が参戦した場合の参謀本部原案の戦略計画の隠語名称)を持ち出す代わりに、全て対日関係が討議の的になった」彼は、米国がおそらく次の月曜日にも(それほど速やかに)日本軍によって攻撃されそうであると、事態の急迫した事を言明した。
それで、我々はいかに対処すべきか、という事が議題の中心になった。
それはいかにして、我が方にあまり過大の損害を及ぼさせずに、日本軍をして第一発を発射させて、戦端を開かさせるように巧みに計略を図るべきか、という問題であった。それは大変難しい提案であった」

これは、ハル国務長官の対日回答が日本側の野村大使、来栖両大使に手渡される前日の出来事です。
アメリカ側が内心で、何を画策したかということが分かる日記ですね。
もう、この時点で騙したのはアメリカだと言ってるようなものです。
勿論、チャーチルも一枚かんでいる、そう見るほうが妥当です。

◎その陸軍長官ヘンリー・スチムソンが、真珠湾事件をめぐる大論争の矢面に立たされ、1946年、昭和21年のはじめ、ワシントンで上下両院合同調査委員会に証人として発言した内容があります。
「一つの問題が我々を大変、悩ませました。すなわち、もしあなた方は、敵があなた方を攻撃しようとしている事を知る場合には、
その敵が先手を打ってあなた方をめがけて飛び掛ってくるのを待つ事は通例では賢明ではありません。
しかしながら、たとえ危険をおかしても、日本軍に第一発を発射させて先制攻撃をさせる事には、
我々は有利な点を認めたものであります。
すなわち、アメリカ国民の前面的支持を得る為には、日本軍はこのような野蛮な事をしたのであると確信させる事が
好ましかったのであります。
そうすれば一体だれが侵略者であるかについて、もはやどんな人でもまったく疑念を残す事はなかったでしょう。
この会議で我々(ルーズベルト、ハル、ノックス、マーシャル、スターク、スチムソン)が討議した事は、もしも日本側の突然の軍事行動のために、我々がただちに戦わねばならなくなった場合、わが米国の立場をもっと明瞭にアメリカ国民並びに全世界に向かって説明できるような基本方針でありました」

これは決定的な事を言ったも同然です。
要するに真珠湾事件の前夜、当時の最高首脳部はまず日本側を欺くと同時に、ハワイ現地のアメリカ陸海軍司令官を欺き、さらにアメリカ国民まで欺いて、参戦の大儀名文、そして国民の戦意昂揚の一石二鳥を狙ったという事です。

戦争が終わって何十年もたった証言なら何を今更ボケた事を、、、で済まされるかもしれませんが、終戦から1年も経っていません、
その内容は(画策について)一言一句、覚えていたに違いありません。
この証言こそ真珠湾攻撃の核心を突いている、そのように思えるのは私だけでしょうか?

◎また、不可解な事が、、。
12月6(米国時間)、真珠湾攻撃の前夜、ハワイの領事館では転出が決まっていた寺崎一等書記官の送別会の為、暗号翻訳作業が中断、結果通告が遅れてしまった。
これもまた、普通に考えればおかしな事です、
日本の外務省と現地では温度差があったなどで済まされる問題ではないと思います。
一触即発のこの時期に、それに事もあろうに開戦前夜の出来事です。
何事があろうと領事館に詰めていなければいけない事くらい普通に考えれば分かることです。

仮に真珠湾攻撃を予測してなかったとしても、傍受した暗号解読で、まず南方を攻撃するのは確実と見ていました、そして真珠湾に関しても想定内にあったと思われます。
いずれにしろ、アメリカは南方であろうがハワイであろうが、最初の一撃は日本にさせる腹だったのでしょうね。

それにアメリカにとって南方はあくまで植民地です。
そこで攻撃があったとして、果たしてアメリカ国民の戦意昂揚がどれほどだったかというのは疑問です。
それよりも、国民の戦意昂揚の為なら膝元の自国、ハワイを攻撃させた方が、効果的ですものね。
ルーズベルトとしては南方より日本軍がお膝元を攻撃した事の方が、まさに「意を得たり」と思ったのではないでしょうか。
よって、私はアメリカは真珠湾攻撃は知っていたと思います。

真珠湾攻撃の謎についてはまだまだあります、チャーチルとルーズベルトの間でどのような画策が行なわれていたか、真相は地下のルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相を尋問しない限り、永遠に闇の中でしょうね。

あたかも日本軍が騙まし討ちをしたというのが悲しいかな定説になってしまっていますが、日本は律儀が上にも律儀であり、国際法を遵守してきました、それは今も変わりません。
日本海軍は明治40年にオランダのヘーグで調印されたヘーグ条約に基づき、宣戦布告をしています。
それが、陰謀か、画策か、はたまた単なる遅れか、それは今となっては闇の中、まさに事実は小説より奇なりですね。

長文になり申し訳ありません。
書くことにより、私が一番言いたかったのは、これでもまだ「日本の騙まし討ち」などと言えるのでしょうか?ということです。
そして、どこまで英霊の皆様を冒涜すれば気がすむのでしょう。
私は日本の名誉、英霊の皆様の名誉にかけて、「真珠湾攻撃は騙まし討ちではなかった!」そう言わせていただきます。

今の日本、歴史に学ばなければいけない事が多すぎますね。
あらためて英霊の皆様に感謝です。

魔除けに牛島辰熊

人種解放の父
最後の人種差別国だった南アフリカを解放したマンデラ氏が逝去されました。
先程サンデーモーニングでも彼を英雄視してましたが、思わず「じゃあその大元である大日本帝国は?」と突っ込んでしまいました。
願わくば、五十年後の中学校で↓ 


先生「今日の授業は予定を変更して、先日提出して貰った『帝国時代80年の検証』について優秀だったレポートを発表する事にする」

生徒一同「え~~っξ」

先生「まずはA!オマエのレポートから・・
『~白人支配を終わらせた帝国時代80年~
明治維新でその為の礎を創り、日露戦争で口火を切って被支配人種を目覚めさせ、ベルサイユ会議で人種の平等を提唱し、
最後まで欧米との軍事衝突を避けつつ交渉に力を尽くしたものの、共産勢力が仕掛けた無慈悲なハルノートを受け遂に亡国覚悟で立ち上がり、武力で以てアジア諸地域から白人勢力を追っ払った。
その代償として帝国は滅亡し、三百万もの日本人及び千万単位の有色人種の命が犠牲となったが、お蔭で戦後は維新以来の宿願であった人種平等の世界が実現した』
・・う~ん明快に80年を表現したナカナカのレポートだぞ♪ A!よくやった、誉めてつかわすw」

生徒A「てへへ(^^ゞ」


↑みたいな風景が極くフツーに見られる様な社会にしていきたいもんです。
 
・・それにしても、戦後諸民族が次々と独立へと向かう様を知って獄中で大泣きに泣いて喜んでた東條さんに、彼の目標叶った今の世界を見せてあげたかった!!(´Д`)
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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