矢頭右衛門七の恋



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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727

■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
ねず本、ネットで立ち読みができるようになりました。スマホでも読めます。
http://homepage2.nifty.com/sai/e_book/t_n56_nezu_01/
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http://www.sinkan.jp/radio/radio_1674.html


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矢頭右衛門七1215


この時期、毎年やっているのですが、どうしても好きな話なので、今年もやります!(笑)
矢頭右衛門七(やとうえもしち)の恋です。

すこし日にちがすぎてしまいましたが、12月14日といえば、赤穂浪士討入の日でした。
赤穂浪士の物語というのは、本編(内匠頭と上野介の確執、切腹から討入まで)のお話だけではなくて、四十七士その他登場人物のひとりひとりに、それぞれの細かなエピソードがたくさん語られています。ここまでくると、もう、どれが実話で、どれが脚色なのか、さっぱりわからない(笑)。ただ、それらのエピソードの中でも特に好きなのが、「矢頭右衛門七(やとうえもしち)」のお話です。

矢頭右衛門七は、討ち入りのときわずか17歳でした。大石主税(おおいしちから、内蔵助の息子)につぐ若さです。当時は「数え年」ですから、いまで言ったら、16歳。それも栄養事情がいまよりはるかに悪かった時代ですから、見た目はいまの13~4歳みたいだったかもしれません。


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それでもやはり武士は武士です。はじめ大石内蔵助は、右衛門七(えもしち)を同志に加えることを、あまりに若いからと許さなかったそうです。しかし同志に加えなければ切腹もしかねないという右衛門七の真剣な姿に、内蔵助もついに折れ、父・矢頭長助の代わりとして、同志に加えています。この右衛門七(えもしち)ですが、討ち入り後に「赤穂浪士には 女が混じっている」と噂されたほどの美男子であったと言われています。

さて、時は元禄15年の秋のことです。上京した右衛門七(えもしち)は、大石瀬左衛門とともに浅草の花川戸の裏店に住んでいました。ちかくには、浅草山の聖天宮があります。ここは紅葉の名所です。
まだまだ隅田川の水も、透明できれいな水であった頃のことです。透き通った青空に、ぽっかり浮かんだ白雲のもと、墨田の川面に浅草山の真っ赤に燃えた紅葉が、見事に映えていた、そんなある日のこと。

右衛門七(えもしち)が、ひとり紅葉見物に歩いていると、浅草山の崖の上から、紅色の扇子が落ちてきます。
「はて?紅葉のように美しい扇子(せんす)だが、誰が落としたものか・・・」
右衛門七(えもしち)は、落ちてきた扇子を拾い、持ち主に届けようと、坂道を登ります。すると、そこに同じくらいの年頃の、美しい少女がいました。時は元禄です。世は、まさに好景気にわいた頃です。その少女は実に美しい着物を着ていました。

右衛門七(えもしち)が、「もしやこの扇子は、あなたのものでは?」、と声をかけると、その少女は、顔を真っ赤にして、「よけいなことをしないで!」と、走り去ってしまいます。
近くにいた町方のおじさんが、右衛門七(えもしち)に声をかけます。
「そこなお武家さん、野暮なことをしちゃぁ、いけませんよ。これは紅葉供養って言ってね、年頃の娘さんが、良い人(夫)が見つかりますようにって、願いをこめて、ここから下の紅葉の中に紅扇を捨てるんでさあ。それを拾うってなぁ、雰囲気ぶちこわし、ってことですよ」
知らなかったとはいいながら、ささやかな乙女の願いを邪魔してしまったことを深く恥た右衛門七(えもしち)は、こんど見かけたら、ひとこと謝ろうと、何日か浅草山に出向きます。

2~3日経ったある日、右衛門七(えもしち)は、ようやく少女を見つけました。少女は、紅葉の枝を取ろうと、背伸びをして手を伸ばしています。
「おどきなさい。私がとってあげよう。」
抜く手も見せぬ早業で、剣を抜いて一瞬で鞘におさめて枝を斬り落とした右衛門七(えもしち)に、少女は目をまるくします。
「まぁ、なんということをっ!私は願い事を書いた短冊を枝に結び付けようとしていたのです!それを切り落とすなんて!」

田舎から出てきたばかりの武骨者の右衛門七(えもしち)には、花のお江戸の若い女性の習慣など、知るすべもありません。親切にと思ったことが、またまた裏目に出てしまいました。
こういうの、なんだかすごくよくわかる気がします。私事ですが、よかれと思って女性にしたことが、ひんしゅくのオンパレードになって、「デリカシーがない」と叱られてしまう。十代の昔からそうです。って、60近いオヤジの話なんて聞きたくないって?うるせえ!俺にだって十代の頃はあったんだい!(笑)

さて、顔を真っ赤にして、素直に詫びる右衛門七(えもしち)に、少女も、いつしか心をときめかせたそうです。それから何日か経ったある日、右衛門七(えもしち)が歩いていると、川端でたたずんでいる少女がいる。あの少女です。見ると川面には、なにやら荷物のようなものがプカリプカリと浮いている。こんどは間違っちゃイケナイと思った右衛門七(えもしち)、行動を起こす前に、ちょっと慎重になって、先に声をかけます。
「なにを流しておいでなのですか?これも何かの風習でしょうか?」
すると少女は、
「ちがうのよ。大事なお届けもののお荷物を川に落としてしまったの。お願い、拾って!!」
ええっ!とばかりびっくりした右衛門七(えもしち)は、おもわず初冬の隅田川に飛び込んでしまったそうです。荷物は無事に拾い上げたけれど、全身、水浸し。さ、寒い!こうなったら、もはや走るしか体を温める方法はないとばかり、右衛門七(えもしち)は、近くにあったゴザで身を覆うと、後ろで何か叫んでいる少女をさしおいて、いちもくさんに家に向かって駆け出しました。

この少女は、浅草駒形の茶問屋、喜千屋嘉兵衛の娘で、お千という娘でした。茶問屋さんというのは、江戸時代、どこも大店(大金持ち)です。いくら若い男女とはいえ、娘がお武家さまを、冬の川に飛び込ませたとあっては一大事です。親御さんは、とにかくお礼をしなくてはと、家にあった反物(たんもの)を使って、お千に、お侍さんの着物を縫わせます。何日もかけて、ようやく右衛門七(えもしち)の居所をようやく見つけた家の者は、右衛門七(えもしち)をお千の家に招待しました。そしてお千が縫った着物を右衛門七(えもしち)に渡そうとします。
けれど右衛門七(えもしち)は、
「そのようなお気づかいは、ご無用に」と、受け取らない。
「せっかく心をこめて縫ったのに、受け取らないなんて!」お千ちゃんは泣いて、奥に引っ込んでしまいます。そこに、ばあやが出てくる。聞けば、お千は、不治の病で、もういくばくの命もないという。そして、お千の家の茶問屋では、宇治茶を「吉良家」にしばしば届けていると。
「これは!」
吉良家の動静を知る上で、重要な手掛かりになるかもしれない。右衛門七(えもしち)は、お千ちゃんの縫った着物を受取り、またの来訪を約束します。

若い二人です。美しい大店の娘と、女と見まごうほどの色男の右衛門七(えもしち)です。二人には恋心が芽生えます。しかし右衛門七(えもしち)は、討入したら、死ぬ身です。いくらお千さんのことが好きでも、自分には彼女を幸せにすることはできません。そうとわかっていながら、お千が吉良家に出入りしていると知って、自分はお千ちゃんに近づいている。お千ちゃんを「利用」しようとしている。「こんなことでいいのだろうか・・・・」
しかし、お千ちゃんの命は、聞けばあと半年ともいう。お千ちゃんも自分も、実るはずのない命。せめてその短い間だけでも・・・
いや、しかし・・・。右衛門七(えもしち)の心は、千路に乱れます。
それでも、あいたい、無性に、逢いたい・・・

12月14日、朝からしんしんと雪が降る日、屋敷にいた右衛門七(えもしち)のもとに、お千ちゃんがやってきます。ひどい高熱でした。お千は、「今夜、吉良家で茶会が開かれます。吉良様もご在宅です」と右衛門七(えもしち)に告げます。右衛門七(えもしち)は高熱に侵されているお千を、籠屋を呼んで家に帰すと、すぐさま討入の仲間に、「今夜」と報告をしました。

討入の当夜、もともと体の弱かったお千は、雪の中を無理をして右衛門七(えもしち)に報告に走ったことがたたって、床に伏せたままになってしまいます。

そして、討入り。
翌朝、お千のばあやが、血相を変えて、お千の部屋に飛び込んできます。「今朝早くに、深川へお茶を届けに行くと、たいへんな騒ぎで、なんでも赤穂の浪士が吉良邸に討入ったとか。」そこへ引揚の赤穂の浪士がやってきというのです。
「右衛門七(えもしち)さんも、いましたか?」
「いましたよ、いましたとも!」
ばあやを見つけた、右衛門七(えもしち)は、隊列を抜け、ひとこと、
「ばあや、昨夜はお千さんのもとにお見舞いにいけませんでした。お千さんに、すまぬと、お詫びしてください。すまぬとひとこと。」
討入のあと、赤穂の浪士たちは、細川、松平、毛利、水野の4家に、別々に預けられました。矢頭右衛門七は、水野家にお預けです。

年が明けました。梅の花が咲く季節となりました。ようやく床から起き上がれるようになったお千が、水野家を訪ねます。けれど右衛門七は罪人です。面会謝絶です。水野家では追い返そうとしたけれど、見ればお千は、病いで苦しそうな様子です。たまたまその様子を眼にした水野のお殿様は、お千に、
「梅が見たいのなら、小庭をまわって、見られたらよかろう」と話しました。
「えっ?!」
「ただし、けっしてお声をお出しなさるな。梅を見るだけじゃ」
そうか!右衛門七(えもしち)様に会わせてくださるんだ!お千は、涙を流します。いっしょにいたばあやは、あの勝気だったお千が、こんなにもいじらくと、これもまた涙を流します。
水野のお殿様は、その足で、浪士たちがいる部屋に向かいました。そして右衛門七(えもしち)を見つけると、
「矢頭殿、庭に梅が咲いております。庭に降りてご覧になったら、いかがかと」
「!ここからでも、梅は見えますが」
「そういわずと、さぁさぁ、庭にお出なされ。ただし、どんなに美しくても、決して声は出してはなりませぬぞ」
おかしなこと言う老人だと思いながらも、右衛門七(えもしち)は、水野の勧めにしたがって、庭に出ます。すると、庭の境の垣根の向こうに、お千ちゃんがそこに・・・いた!

二人は互いの目と眼を、じっと見つめあいます。しかし声を出すことは禁じられています。
「右衛門七様、たったひとことでいい。いつわりの恋ではなかったと、お聞きしたかった」
「お千殿、あなたへの心は、真実と、伝えたかった」
二人は声に出さずに、眼と眼だけで、そう会話すると、右衛門七は、懐(ふところ)から、紅扇を取り出しました。そうです。それは最初に二人が出会ったときに、お千が投げた、あの扇子です。右衛門七(えもしち)は、梅の小枝を一枝手折ると、その小枝を紅扇に乗せて、庭の小川に流します。扇子は小川をゆっくりと流れ、お千のもとへと流れつきます。

ひとことも語ることは許されませんでした。けれど、何も語る必要はありませんでした。二人の心と心が、百万の言葉を費やすより雄弁に、強く互いの心を知りあてていたのです。そして紅扇に乗せた、梅の花が、すべてを伝えてくれました。

まもなく右衛門七(えもしち)は水野の家人から、お千の死を知らされました。お千どのは、おそらく右衛門七(えもしち)殿の心を知りたくて、弱り切った体で無理をしてやってきたのであろうということでした。

元禄16年2月4日、赤穂四十七士に、切腹のお沙汰が下りました。水野邸においては、右衛門七(えもしち)が、先んじて短い命を絶ちました。
矢頭右衛門七(やとうえもしち)切腹。介錯人杉源介享年18歳。

矢頭右衛門七(えもしち)というのは、母妹の世話に苦難したことでも有名です。父は、赤穂藩家臣の勘定方、矢頭長助。母は、姫路松平家の家臣の娘です。元禄14年3月の浅野内匠頭の殿中松の廊下での刃傷のあと、4月19日には、早々と赤穂城が開城され、引き渡しになっていますが、このとき、大石内蔵助のもとで、藩の財務の残務処理を最後まで行ったのが、右衛門七(えもしち)の父の長助です。心労がたたった父・長助は、元禄15年8月15日には、病死してしまっています。
右衛門七(えもしち)は、義挙に加わらねばならない身の上ながら、母と妹3人をどこかに預けようと、母の実家のある奥州白河藩(松平家がここに転封されていた)へ向かうのだけれど、荒井関所で女人通行手形不携行として通してもらえず、大阪へ帰るなどしています。
そして同年9月には、討入のために上京。
翌元禄16年切腹となりますが、浪士の義挙によって、事件後右衛門七(えもしち)の家族の苦難が知られるようになり、母と妹3人は、奥州白河へ行くことが許されています。そして長女は、多賀谷致泰(奥州白河藩松平家家臣)
次女は、多賀谷勝盛(奥州白河藩松平家家臣・致泰の息子)、三女は、柳沢家の家臣山村氏にそれぞれ嫁ぎ、母も娘達の嫁ぎ先の多賀谷家で暮らしました。

ご紹介したお千ちゃんというのは創作で、水野家にやってきて対面したのは右衛門七(えもしち)の妹で、母の縫った襦袢を持ってきたときのエピソードだという話もあります(女たちの忠臣蔵)。
どれが本当の話しかはわかりません。けれど、恋に不器用な男子と、忠義か恋かの板挟み、そして見事、討入を果たし、水野のお殿様の配慮で、再会したときも、ちゃんと約束事を守って言葉を交わさない。そのルールを遵守しようとする日本人の気質。そうしたいろいろな要素が、この右衛門七(えもしち)とお千の物語には入っているように思います。

ちなみに、右衛門七(えもしち)は、実は東海道四谷怪談にも登場します。四谷怪談で、お岩さんにひどいことをした民谷伊右衛門を、ラストシーンでバッサリ斬って一件落着させるお岩さんの妹の旦那、佐藤与茂7が、矢頭右衛門七をモデルにしたキャラクターです。

このお話は、いわゆる「歴史」というものからは外れた物語かもしれません。けれど、吉野のお山で、義経が女人禁制を守って静御前と別れたり、この右衛門七が、約束を守って千代と言葉を交わさなかったり、そういう、誰も見ていないところでも、お天道様が見ているからとちゃんと約束を守る。そういう社会が、あるいはそういう気質が、日本人の原点にあります。

騙す人と、騙される人がいたとき、騙す方が悪いと考えるのが、わたしたち日本人です。けれど、世界には、騙される方が悪い、騙されるのが馬鹿だと考える国や民族もいます。
ただ思うに、騙す方が悪いとする文化こそ、世界の多くの民衆が切望する世の中といえるのではないでしょうか。
わたしたち日本人は、古い昔から、約束事やきまりを大切にし、それをキチンと守る文化や道徳を育んできました。それは、とっても大切な、守るべき日本の文化といえるのではないかと思います。

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コメント

団塊世代

No title
ねずさんのひとりごと、大変貴重、かつ有用な
史実がたくさん紹介されているので、全部に目を
通したいと頑張っているのですが、なかなか・・・です
いつも、新しいものの後、古いものの中から幾つか
選び出し読ませていただいております。
今日も感激する記事に出くわし、私のブログで
取り上げさせていただきました
シニア(団塊)世代人のつぶやき
http://sheep08.seesaa.net/
こういうファンもいることをお知らせします
同じく日本を蘇えらせたい思いで書いているのですが
これもなかなかですね


ポッポ

No title
中国の言葉だった天知る、地知る、我が知るですが、中国は言い放しでして、日本人は騙してはいけないことに重きを置いて生活してきたのですが、近頃は教育の偏重のためか、日本人の民度が下がったのか、情けないと思うこともあります。



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http://www.youtube.com/watch?v=mex5oo8bezg
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22465329

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【ゲスト】
田母神俊雄(元航空幕僚長)
青山繁晴(独立総合研究所代表)
井上和彦(軍事ジャーナリスト)
フィフィ(タレント)
北野誠(タレント)
金慶珠(東海大学准教授)
金惠京(明治大学准教授)

【司会】
石原良純
堀潤
春香クリスティーン


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No title
日本人ならではのお話、ありがとうございました。我が国を守るということはこうした国風を守ることです。野蛮国の輩には死んでも分かるまい!

下水油

昔も今もすごいな、日本人って
いつも素敵なお話ありがとうございます。日本人は誰が見ていなくても、お天とさまが見ている、と約束を守り正義を守る人たちです。人目を盗んで、いや見ていても、自分たちの方が強ければ何をやってもいい、というどこぞの半島や大陸の生き物とは全てが違うのです。日本人には通州事件やいわゆる南京大虐殺やいわゆる三光作戦などは命令されても出来ないのです。
この事を反日・自虐史観の日本人にも解って欲しいです(涙)

ミヤビ

ねずさん、今日も素晴らしいお話をありがとうございました。
毎朝、楽しみに拝読させていただいております(^_^)


『このお話は、いわゆる「歴史」というものからは外れた物語かもしれません。けれど、吉野のお山で、義経が女人禁制を守って静御前と別れたり、この右衛門七が、約束を守って千代と言葉を交わさなかったり、そういう、誰も見ていないところでも、お天道様が見ているからとちゃんと約束を守る。そういう社会が、あるいはそういう気質が、日本人の原点にあります。』

ここの部分が、とっても良かったです!
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
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○受付時間 
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定休日  木曜日

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