百人一首には、実はいろいろな種類があって、なかには「英雄百人一首」とか「烈女百人一首」なんてのもあります。
そこで、もともとの元祖・百人一首を、他の百人一首と区別する意味で名付けられたのが「小倉百人一首」です。
「小倉」というのは、残念ながら九州の小倉(こくら)ではなくて、京都の小倉山(おぐらやま)で、この歌集が編纂されたから、その名がついています。
編纂したのは、平安末期から鎌倉時代初期にかけて活躍したお公家さんの藤原定家(ふじわらのさだいえ)です。
この藤原定家は、実におもしろい人物で、お公家さんでありながら、若い頃に宮中で源雅行と大乱闘して、お公家の身分を剥奪されたり、土御門家と政治的に対立して放逐されたりと、たいへんに一本気な方であったようです。
けれど、その苦労の分、味のわかる人物となり、偉大な歌人ともなり、また素晴らしい歌集の編纂などもされています。
藤原定家が編纂した歌集は他にも新古今和歌集、百人秀歌、物語二百番歌合などがあり、歌学書や和歌の注釈本なども数多く残しています。
なかでも13世紀のはじめ頃に編纂された「小倉百人一首」は、出来が良いとされ、後には「かるた」として全国的に広く普及し、またこの歌集を覚えることが、子供たちの教育の養成にも役立つとされました。
その「百人一首かるた」は、上の句を書いた「読み札」と、下の句を書いた「取り札」があって、これは古今の名歌100首を覚えなければ、ゲームになりません。
しかもそのかるたとりは、ゲームとしての競技性があって楽しく、参加人数も問わないし、たいへんに「勉強になる」ということから、鎌倉、室町、戦国、織豊、徳川、明治、大正、昭和を経由して、公家や武家、庶民の別なく、時代をこえて人々に愛され続けたものです。
実際、私などが子供の頃は、お正月ともなれば、たいていのご家庭で、大人も子供も一緒になって百人一首の「かるた取り」が行われていたし、いまでも、百人一首かるた大会などが催されています。
この「小倉百人一首」は、それぞれの歌に1番から100番までの順番が付してあるのも特徴のひとつです。
この歌番号の並び順は、古い歌人から新しい歌人への順番ともいわれていますが、そんなことはありません。
なるほど、全体としては、そういう並びに近いですが、順番が逆転してる歌もありますので、必ずしも古い順番ということではありません。
それで、最近の解説本などでは、「百人一首の順番には意味がない」などと切って捨てているものをよく見かけるのですが、天才歌人の藤原定家が、順番にまったく意味を持たせなかったかというのは、むしろ疑問です。
そもそも和歌は、たった31文字の中に万感を込めて、一文字一文字にこだわりぬいて作る作品です。
それだけのこだわりを持つ歌人たちが古今の名歌から百首を選ぶのに、その順番になんのこだわりも持たないと考える方が、およそ異常です。
ですから順番にも大きな意味があるのです。
そして詳しいことは順次明らかにしていきますが、ひとつはっきりと申し上げれるのは、百人一首の歌の理解は、わが国古来の伝統、そしてなにより「天皇のご存在」、これを否定したら、歌の意味がまったくとれなくなる、ということです。
わが国は、天皇のご存在あっての日本なのです。
そこを否定したら、見るべきものがまったく見えなくなる。あたりまえのことです。
逆に、天皇の存在のありがたさを、しっかりと確認すれば、歌はものすごく素敵な本来の日本の姿を、活き活きと私たちの前に繰り広げてくれます。
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1番歌 天智天皇 秋の田の
かりほの庵(いお)の
苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は
露(つゆ)にぬれつつ============
百人一首の第一番を飾る歌は天皇の御製です。
しかもその御製が、天智天皇の作品です。
そこにどのような意味があるのでしょうか。
天智天皇は、天皇に即位する前はご皇族の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)です。
皇子は中臣鎌足(なかとみのかまたり)らとともに、皇極天皇の御前で蘇我入鹿(大金持ちの渡来人だったとも言われています)を斬り(乙巳の変)、翌日に皇極天皇にご即位いただき、自分はその皇太子として、様々な改革を行う中心人物となられました。
この大改革が「大化の改新」です。
つまり天智天皇は、皇子、皇太子時代に、大化の改新における律令制の基礎を築かれ、その上で、後年天皇に即位されています。
ちなみにここがすごく大事なところですが、天皇は政治を行う者に認証を与える権威というお立場ですから、天皇ご自身は、政治権力の行使ができません。
ですから、やるべきことをやり、打つべき手を打って、その上で、天皇に即位あそばされているわけです。
その天智天皇が、百人一首の1番です。
つまり、わたしたちの国のカタチの基礎を築かれた偉大な天皇が、百人一首の第1番歌です。
その「わが国の基礎を築かれた最高の天皇」の御製として、藤原定家(ふじわらのさだいえ)が選んだ御製が、
「秋の田のかりほの庵(いお)の苫(とま)をあらみ、わが衣手(ころもで)は露(つゆ)に濡れつつ」です。
この歌の通解を読むと、多くの本が「秋の田んぼの脇にある仮小屋の屋根を葺いた苫の目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れてしまったよ」と書いています。
秋の田んぼのわきに、目の荒い、藁(わら)でできた茣蓙(ござ)を屋根にした、ほったて小屋があって、”ござ”の目が粗いから雨漏りして、ワシの着ている服が濡れちまったよ、というわけです。
これではまるで、そんなところに案内をした部下の不手際を、天智天皇がとがめて文句を言っているみたいです。
「まさか」とびっくりしてしまうけれど、最近の解説書に、そのように解釈しているものがあります。
おそらく、天皇をChinaの皇帝のような威張り散らした絶対権力者のような存在に仕立てたいのでしょう。
そのような通解では、果たして、天智天皇を、そのようなムシロの屋根の下にお連れした係の者は、天皇の着衣を濡らしてしまったことで、首でも刎ねられたのではないかと、子供たちが心配します。
けれどもし、この歌がそのような歌なら、この歌のどこがどう「名歌」なのでしょうか。
いくらなんでもこれでは歌の詠み方が貧弱すぎるのではないでしょうか。
仮にも百人一首は、古今の「名歌」を集めた歌集です。
しかもその「イの一番」に出てくる、わが国の基礎を築かれた陛下の御製です。
それが、まるで暴君がプンプンと怒って横暴な言動をしているかのような歌が、わが国の古今の名歌の筆頭歌になるのでしょうか。
日本の文化は、入り口は幼児でもわかるようにできています。
剣術も、棒振りだけなら幼児にもできます。
けれど、これを極めようとしたら、一生かかってもできるかできないかです。
これが日本文化の特徴です。
和歌も同じです。
そこで歌をすこし詳しくみてみます。
歌い出しは「秋の田」です。
秋は稲の収穫のときです。
そして「かり穂(=刈り穂)」と続くのですから、田んぼの稲が刈られたあとの時期です。
その刈り取られた田んぼの脇に、庵(いおり)があるわけです。
「庵」というくらいですから、小さな「草庵」のようなものが連想されます。
問題は「苫(とま)をあらみ」です。
「苫(とま)」というのは、ワラなどでできたゴザのことをいいます。
「あらみ」は、「あらい(荒い)」と「あみ(編み)をかけています。
ですから、目の粗いゴザを編んでいる、という意味です。
稲は、実がお米になりますが、茎や葉も利用されます。
稲刈りの後に田んぼで天日干して乾燥させ、乾燥した茎や葉でゴザや縄、ワラジや、冬のためのカンジキ、雑囊袋などに編んで用いて生活に役立てるわけです。
稲は、実だけでなく、茎も葉も、そのすべてが私たちの生活に役立つ植物です。
その茎や葉は、稲刈りあと、田で天日干しして乾燥させます。
そして乾燥させたものが藁(わら)で、せっかく乾燥したのに雨に濡れたら意味がないので、これを屋根のついた作業場に持ち込みます。これが「庵(いお)」です。
そしてその庵の中で、人々は、ゴザや縄など、生活に必要な物資を手作業で作るのです。
ここまでが上の句です。
そして天智天皇は、下の句で「わが衣手(ころもで)は露に濡れつつ」と詠まれています。
「我が」衣手が「露に濡れた」とおっしゃられているわけです。
なぜ、濡れたのでしょう。
作業場に立たれただけなら、袖も手も濡れません。
天智天皇ご自身が、作業をする人々と一緒になって苫(ゴザ)を「あらみ」、つまりご自身でゴザを編まれ、一緒になって作業されたから、濡れたのです。
濡らしたのは「露」です。
露は、夜になってからの夜露と、早朝の、夜明け前の朝露があります。
歌には、夜露か朝露か書いてありません。
ただ「露」とあるだけです。
つまり、大改革を成し遂げた偉大な天皇が、ご自身で、お忙しいご公務の間をぬって、夜露に濡れる夜遅くまで、あるいは朝露に濡れる夜明け前の早朝から、民と一体にあって、ご自身の手でワラを編まれていると、この歌は、そう書いているのです。
つまり「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」は、秋の田んぼの刈入れのあと、ワラを乾かし、そのワラでゴザを編むお仕事を、大化の改新を挙行され、わが国最高位となられた天智天皇ご自身が、一般庶民とまったく同様にむしろ率先して朝早くから夜遅くまで働いている、そういうお姿が描かれているのです。
ワラでゴザを編むくらいです。
ということは、おそらく天智天皇は、田植えから、稲の刈り取り、ワラの天日干し、庵への運搬、そして運び込んだワラでゴザや縄やワラジを編むお仕事まで、民とともに御作業をされていたのでしょう。
しかも「あらみ」です。
天智天皇は、ご自身でご自身やご家族が使われる「ござ」を編んでおいでなのですが、そのゴザは「目が荒い」のです。
ゴザは、目の細かなものが、それだけ編む手間がかかりますから良質とされます。
けれど天智天皇は、ご自身やご自身の大切なご家族がお使いになるゴザに、粗末な目の荒いゴザを編んでおいでなのです。
世界の王や皇帝は、絶対権力者として君臨し、国民を絞り上げて、ありとあらゆる贅沢の限りを尽くす存在です。
けれど日本の基礎を築かれた天智天皇は、政権そのものを後任に譲られ、ご自身は国の最高権威というお立場にお就きになれながら、ご自身で田植えをし、稲刈りをし、ワラを天日干しし、庵にはいって朝露に濡れる早朝から、夜露に濡れる深夜まで、衣手を濡らしながら、ご家族のために粗末な目の荒いござを編まれているというのです。
大化の改新によって起きたことをひとつだけ申しあげます。
それはこの大化の改新のときから、わが国が、わが国独自の元号を使い出した、ということです。
ですから西暦645年が、大化元年で、これがいま、明治、大正、昭和、平成と続く、わが国の元号のはじまりです。
そして、独自の元号を用いるということは、わが国が、完全にChina文明から決別して、完全に独立した国家として、独自の政治、文化、文明の道を歩み始めたということを意味します。
そして、このすこし後(持統天皇の時代)に、わが国は、公式に外交文書でも「日本」の国号を用いるようになっています。
つまり、ものすごく詰めていうなら、天智天皇は、皇子時代に大改革を断行し、皇太子としてわが国の独立自尊を成し遂げ、これを定着させて第38代天皇となられた偉大な天皇です。
その偉大な天皇が、民とともに、民といっしょになってお手ずから田植えをし、刈入れをし、ワラを干し、干したワラでゴザを編んでおいになるわけです。
それも、夜遅くまで。朝早く朝からです。
日本の平均気温というのは、だいたい600年ごとに暖かくなったり、寒くなったりしています。
天智天皇の時代はとても寒い時代で、その寒い日本で、早朝から深夜まで、民とともに働く。
歌には「秋の田の」とあります。
それも「刈り穂の秋」ですから、刈入れが終わった頃、つまり、朝晩がめっぽう寒くなって来た時期です。
その寒い中を、早朝から深夜まで、陛下ご自身が作業されている。
これが「天壌無窮の神勅」をいただく、わが国の最高元首のお姿です。
そして私たち庶民は、大化の改新によって、その天皇直轄の民と規程されました。
ということは、私たち庶民は、豪族たちの私有民ではない、ということです。
その豪族たちのはるか上位におわす天皇直轄の民なのです。
ですから私たち日本人は、中華文明圏にあるような、豪族たちの私有民として収奪や奴隷の対象となっていません。
これはある意味、究極の民主主義が確立された、ということです。
そしてその中心におわす天皇が、御みずから、「わが衣手」を「露」に濡らしながら、率先して働いておられるのです。
それも露に濡れる祖末な庵で、です。
そしたら、私たち庶民は、やれ暑いだの寒いだの、雨に濡れるだの手が汚れるだの、我儘なんて言っていられません。
とにかくみんなと一緒に黙って働くしかない。
これが君民一体です。
そういうありがたい歌が、百人一首の1番歌だというわけです。
田んぼで大人たちが農作業しているそばで、子供たちが遊んでいる。
「おいっ!お前たち。この世はなあ、天子様だって朝早くから夜遅くまで働いておいでなんだ。百人一首にそう書いてあったろ。こら!お前たちも一緒に仕事を手伝わんかっ!」
お父さんやおじいちゃんの、そういう声がなにやら聞こえてきそうです。
この御製は、決して「秋の田んぼのわきにあるほったて小屋には、藁で編んだゴザを屋根の代わりにがかぶせてあるけれど、ゴザじゃあ、目が粗いので、私の来ている服の袖が濡れちまったじゃねーか」なんて、御歌ではありません。
それではまるでクレーマーです。
そんなクレーマー歌なら、子供の教育上も良くないし、そんな良からぬものなら、大人たちが何百年もの間、おめでたいお正月のかるたとりになんて、絶対に使いません。
けれども、天子様自ら働き、国民みんなが一緒になって働く。
それが「はたを楽にさせる=はたらく」を大切にする私たちの国のカタチであり、その歌が、百人一首の1番歌であるとわかれば、大人たちは、すすんで我が子に、その「かるた」を薦めます。
神社だって大勢の子供たちを集めてかるたとり大会をします。
そしてそれが習慣となって定着し、何百年も続きます。
小倉百人一首は、「大化」の改新の天智天皇に始まります。
後世のいまを生きる私たちは、決して「退化」したくないものだと思います。
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2番歌 持統天皇 春過ぎて
夏来にけらし 白妙(しろたえ)の
衣干(ころもほ)すてふ
天の香具山(あめのかぐやま) ===========
この歌も、最近の学習指導要項によれば、「春が過ぎて夏が来た。純白の衣を天の香具山に干そう」という意味と解釈されてります。
「春が過ぎて夏が来た」は、問題ないです。
けれど、そもそもどうして純白の衣を、わざわざ都から、はるか遠くに見える香具山に持って行って干すのでしょうか?
そんなこをすることに何か意味があるのでしょうか?
古代の人たちには、なにかそういう秘技のようなものがあったのでしょうか。
というより、こういう解釈ではなんだか持統天皇が極めて横暴な女暴君で、部下たちに無理難題をおしつけてイジメでもしているかのようです。
では、実際にはどうなのでしょうか。
「春過ぎて夏来にけらし」、ここまではわかり易いです。
この当時の日本はとても寒かった時期です。
けれど、「干す」というくらいですから、お洗濯のことを詠んでいるわけですが、当時は全自動洗濯機などありません。
ぜんぶ、川で手洗いです。
ですから冬、氷の張った川でお洗濯をするのは、とても辛かったことでしょう。
それが春となり、そして初夏ともなると、逆にこんどは、冷たい川の水が心地よい。
だから、おもわず一所懸命洗っちゃって、だからお洗濯物が、ほら、こんなに真っ白になっちゃったわ。
青い空、白い夏雲。ひんやりして心地よい川の水、真っ白に洗い上がった洗濯物。
「白妙(しろたえ)の衣(ころも)」というのは、真っ白にきれいに洗った洗濯物です。
そこで、せっせと洗濯をし、真っ白に洗い上がった着物を、青空のもとで「干し」ているわけです。
まぶしい太陽。
初夏の緑の香り。
額から流れる汗が気持ちいいことでしょう。
ふとみれば、向こうには天の香具山が、凛々しい山姿を見せています。
その山の姿は、若くして亡くなった夫、天武天皇の勇姿にも似ています。
「あなた。私はいまもこうして頑張ってるわよ!」
真っ白な洗い立ての洗濯物を大空のもとで干されている持統天皇のお姿、お亡くなりになった夫を愛し続けならが、元気に生きておいでの持統天皇のお姿がここに描かれています。
持統天皇は、天智天皇の第2皇女です。
後に、天智天皇の弟の天武天皇の皇后陛下となられ、天武天皇の施政を継いで、わが国最初の体系的な法典「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」を制定、施行された第41代の女性天皇です。
その持統天皇ご自身が、天皇となられたいまも、ご自身のお手で洗濯をし、凛々しい香具山に、亡き夫を感じられている。
愛する夫を失うことは、とても辛く悲しいことです。
けれど、どんなに悲しいことや辛いことがあっても、精一杯笑顔で元気に生きて行く女性たち。
そんな姿を、亡き夫もきっと見ていてくれているわ。
そういう御製が、
「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山」なのです。
そこには、男は男として、女は女として、互いに助け合い、それぞれの役割(仕事)をきちんと果たすことの大切さ、そして亡くなった夫ということから、死者とともに一体となって生きる日本人の原点が明瞭に描かれています。
最近でこそ、各ご家庭の墓所に行くには、電車で何時間も揺られなければならないような状態になりましたが、昔は、どのご家庭でも、家から歩いて行けるところに、墓所がありました。
これが縄文時代の遺跡などを見ると、集落の真ん中にご先祖の墓所があったりするわけです。
つまり日本は、何千年も前から、死者と共存し、死者とともに生きて来た。
そして純白の衣を干すという洗濯は、そのまま命を洗濯して純白になっていくことをも想起させます。
この世は修行の場で、正しく生きることで魂を浄化し、そして死んで神となる。
洗濯は、汚れた命の洗濯でもあるわけです。
そうやって、いまも俗世間に生きている私(持統天皇)を、亡くなった夫(天武天皇)が、天の香具山となって、いまもずっと見守ってくれている。
そこにあるのは、究極の夫婦愛です。
これが百人一首の2番歌です。
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3番歌 柿本人麻呂 あしびきの
山鳥(やまどり)の尾の
しだり尾の
ながながし夜を
ひとりかも寝む===========
百人一首の3番歌は、柿本人麻呂です。
この「3番に人麻呂が来ている」ということが、実は、世界的にみて画期的なことです。
なぜかといいますと、百人一首は、はじめの1番歌と2番歌が天皇の御製です。
普通に考えたら、世の中身分制ですから、3番目にくるのは、皇太子殿下か、すくなくとも政治における最高権力者である「太政大臣」クラスの人の歌であるはずです。
ところが小倉百人一首では、三番目が柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)です。
なるほど人麻呂は、天才歌人としてよく知られた人ではあります。
ですが、出自は、とても身分の低い人です。
その低い身分の人麻呂が、並みいる政界の大物や名だたる高僧たちを差し置いて、そればかりかなんと光孝天皇(15番)まで差し置いて、3番歌に名を連ねているのです。
さらにいうなら、律令制における政治の最高権力者(それはいまの内閣総理大臣よりも位の高い上位の役職)は、太政大臣です。
その太政大臣に至っては、76番歌、91番歌、96番歌と、むしろ後の方での登場です。
こういうことに「順番は何の意味もない」としか考えられないのだとしたら、よほど鈍感としか言いようがありません。
3番歌が人麻呂。
つまり、百人一首は身分や出自よりも「才能や能力を重んじる」という、これまたわが国の古代からの習慣そのものを、ここで明確に示しているのです。
もちろん、秩序のための身分制は大切にしています。
ですから、それぞれの歌には、歌詠みのお名前に、必要に応じてちゃんと位が付されています。
しかしそれは、あくまで秩序維持のための役割分担としての位であり、人としての大切さはまた別だ、ということが姿勢として、明確に現れているのです。
そこのことは同時に、勤勉に努力し、才能を開花し、人々に良い影響を与えるようになることは、身分や出自以上に大切だよ、という教えでもあります。
だからこそ、真面目に学問し、努力することが大切だといういう意味になるからです。
さて、その人麻呂の歌です。
「あしびきの山鳥(やまどり)の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」です。
最近の通解では、「山鳥の尾の垂れ下がった尾が長々と伸びているように、秋の長々しい夜を一人で寝ることになるのだろうか」とされています。
要するに、独り寝のぼやきだというのです。
人麻呂がひとり寝の淋しさを愚痴っているのでしょうか?
さらにいうなら、「あしびき」は枕詞(まくらことば)だから、何の意味もないのだそうです。
ちょっと待ってくれといいたいのです。
和歌は、五七五七七という短い言葉の枠の中に、万感の思いを込めて、世界を表現する知的技術です。
その、たった31文字しか使えないなかで、4文字も意味のないことのために犠牲になどするでしょうか。
一字一句に鋭く深い意味を持たせた、名人の碁にも似た知的産物である和歌なのです。
意味のない言葉なんてあり得ません。
では「あしびきの」は、何を意味するのでしょうか。
これは漢字で書いたら「足引き」です。
険しい山道を進むとき、坂道ですからしまいには、疲れて足を引きずるようになる。
だから深い山道は、あしびきの道です。
そしてその「足をひきずらなければないほど深い山奥に「山鳥」がいます。
その山鳥は、雉(キジ)の仲間でしょうか。美しい羽根と長い「尾」があります。
その尾は「しだり」ですから、しだっているくらい長くて立派な尾です。
これが上の句で、下の句は、「ひとりかも寝む」と続きます。
ここで気になるのが「か」と「も」です。
「ひとり寝る」ではなくて、どうして「ひとりかも寝る」なのでしょうか。
一般には「か」は、疑問系ですから「ひとりかあ」といった意味、「も」は感嘆詞の「もぉ!」と同じで、強調語だと言われています。
ですから、今風に言ったら、「なんだ、ひとりかよっ!」みたいな感じで、しかも「寝る」わけですから、
「なんだ、ひとりで寝るんかい!」みたいな感じにも、もちろん受け取れます。
けれど、本当にそうなのでしょうか。
和歌でよく用いられるものに、掛け言葉というものがあります。
ひとつの文字を、二重の意味に使うのです。
そうなると、この場合、「か」は「書く」であり、「も」は「文字」とも読めます。
すると歌の意味がまるで違って来るのです。
山奥は薄暗いし、山奥まで行くには長い時間がかかりますから、これは夜中を暗示しています。
その夜中に「かも」=文字を書いているわけです。
書いているのは人麻呂です。
人麻呂は歌人ですから、一生懸命歌を考えているのでしょう。
そして「かも寝む」ですから、どこまでが起きて考えていて、どっからが寝てしまっていて、どっからが起きているのかもわからないほど、人麻呂は歌に没頭しているわけです。
要するに、起きていても、寝ていても、歌のことばかり考えているわけです。
ここまで読み解くと、上の句が意味するものも見えてきます。
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾」は、現実の山奥の鳥やキジのことを言っているのではなくて、歌を詠み、歌を考え創造することは、まさに足を引きずりながら、険しく深い山に登り、そこで名鳥である尾の長い孔雀(くじゃく)に出会うようなものといっているわけです。
深い山奥にわけいれば、孔雀に出会えるというものではありません。
それは、まるで「火の鳥」に出会うようなたいへんな難事です。
その山鳥(孔雀)の尾がしだれているように、美しいその歌の姿は、長い夜にも似ていて、茫漠としていて、それでいて美しく、なんとかしてそれを捕まえようと、悶々としながら、ひとり夜更けに筆や硯(すずり)を前に、人麻呂が長い夜をすごしているわけです。
誰しもお仕事などで、何事かを真剣に思い悩んだご経験をお持ちの方なら、おわかりいただけようかと思います。
およそ無から有を生むという作業は、設計にしてもデザインにしても、文学、芸術にしても発明も、もだえくるしむように、とことん考えに考え抜き続けた先に、ある日、ポンとひらめきとなって、その姿をあらわしてくれます。
それは、まるで、深い山奥で突然、美しい孔雀に出会うようなものです。
そこまで考え、打ち込む。
できあがった歌が、孔雀です。
それを人麻呂は「あしびきの山鳥の尾のしだり尾」と表現しています。
考えに考え抜く様子を、険しい山道を行くことにたとえ、その先に見出されるべき知的成果を山鳥(孔雀)に、そしてそこにたどりつくまでの苦しみを「しだり尾」にたとえているわけです。
ですから山道も、山鳥も、リアルに山登りをして鳥を捕まえるという話ではなくて、考えに考え抜いて「ひらめきを得る」までの様子を描いているわけです。
そうなると、「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」というのは、ひとつのことを真面目に真剣にひたすらに一生懸命に考え、孔雀にも似た美しい鳥(思考による成果)を得るために、ひとりで書き、文字にし、夜遅く、時の経つのも忘れて、そのひとつのことに没頭する、そういう意味の句であることが見えてきます。
人麻呂は、歌聖だ、天才歌人だといわれています。
その人麻呂さえも、ひとつの歌を詠みあげるためには、もだえ苦しみ、必死になって努力し、葛藤し、真剣に思い悩んでいるんだと、この歌は述べているのです。
人から見たら天才だと言われるような人でも、そこまでして真剣に考えに考え抜いてひとつの歌を詠み上げているのです。
まして凡人の私たちが何かを得よう、何かを成し遂げようとするには、人麻呂以上に努力し、脳みそが爆発するくらい真剣になって考え抜き、チャレンジしていかなくてはなりません。
そして、人として大切なことは、その結果もさりながら、その過程における努力そのものが大事なのだと、人麻呂の歌は、それをとても美しい言葉でしっかりと聞き手に伝えているのです。
そして、そうとわかれば、
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」
の歌は、ただひとり寝が淋しいなどと、くだらないことを詠んでいるだけというような、つまらない歌ではない、ということがわかります。
険しい山奥の孔雀は、悩みぬき、考え抜いた先に得られる美しい歌です。
天才歌人と呼ばれる柿本人麻呂でさえ、そこまでして考える。
このことは、私たち凡人なら、もっと考え続けなければならないということを示唆しているとともに、和歌というものが、それだけ深いものであることを、私たちに教えてくれています。
百人一首の1番歌は、男性の天智天皇、御自らが働くお姿を示された御製でした。
2番歌は、女性の持統天皇が、御自ら洗濯をしているお姿の御製でした。
この2つの歌が、私たち庶民のおっさんや奥さんが詠んだ歌なら、また意味が違ってくるかもしれません。
けれど、働くことを、わが国最高権威でおわす天皇御自ら率先しておいでということを、この2つの御製は示されています。
そして3番歌に人麻呂のこの歌があるのは、そういう歌のもつ深みが、ひとつひとつの歌に込められている、どうかその意図を真剣に汲み取ってほしいという選者の心が、そこにあるからともみてとれます。
和歌は、詠み手は一番言いたいことを、あえて書かないとされます。
その一番言いたいことを、むしろ読む側に想像し、連想してもらうことで、意味にハタと気付いたとき、その読み手にその感動が伝わる。広がる。
それが、名歌と呼ばれる歌の特徴なのです。
・・・・・・
さて、百人一首の1番から3番までをご紹介しました。
今回は、この3首の歌でおしまいです。
また近いうちに、4番歌以降について順次、書いて行こうと思います。
なにせ百歌あるのです。
全部を書き終えるのには、2年くらいかかるかもしれません。
けれど、なんとしても、これは最後までやり遂げたいと思います。
ちなみに4番歌は、山部赤人の
田子の浦に
うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
です。
さて、みなさんは、どのように読まれますか?
(ヒント)雪が降っていたら、富士山は見えません。
※この記事は、2014/1/26に、24時間限定で一度アップし、時間経過によって見えないように設定を変更していたものです。
2017/8/6に、Facebookの「小名木善行ねずさんと学ぶ会」で紹介するにあたり、記述を少しリニューアルして再アップしました。
◆小名木善行ねずさんと学ぶ会
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コメント
憂国の一草莽
「白妙(しろたえ)の衣(ころも)」は仰るとおり白く洗った洗濯物ですが、この場合の洗濯とは例えば坂本竜馬やその他歴史上の人物が国を洗濯すると表現するところの「洗濯」です。
天武天皇の事業を引き継いだ持統天皇は国の新たな制度作りや改善などを多く手がけていてそれが洗濯と言う事です。
それを藤原京を見下ろす天の香具山に干すと言うは、天武天皇に成果をお見せするということです。
天の香具山は多武峰(とうのみね)の尾根の先の部分の山であり、天の後ろに武があり天武天皇に見立てている事に対するヒントもさりげなく入っています。
そう考えれば、「春が過ぎて夏が来た」と言うのは、夫から引き継いだ事業もいよいよ収穫の秋を待つばかりに差し掛かったということです。
貴方から引き継いだ事業もようやく完成が近くなりました、いずれ必ず其の成果をお見せ出来るよう努力致します。
と言うお気持ちを歌われたのでしょう。
一番歌についても嘆かわしい巷の通解本等と比べると素晴らしい解説ですね。
2014/07/04 URL 編集
にっくん
http://fusau.com/hyakuichi/hyakuichi054.html
の解釈がどれだけ薄っぺらなものかよくわかります。上のサイトでは長々と小倉百人一首の解釈を書いてますが、撰者の悪口、当時の日本人を卑しめる解釈ばかりで気分が悪くなります。ねずさんの解釈の方が日本人にはすうっと染み込んできます。早くねずさんの小倉百人一首の解釈本が発行されることを願っています。
2014/07/04 URL 編集
知ると楽しい
こんなに深い意味があったなんて。
こんな風に教えてもらえれば学生時代にもっと古文に興味を持てただろうに、と思うと同時に、今、こうして習える、歌の本当の意味が心に染み込んでいき、歌の世界が広がる喜びを感じています。
浅い浅い現代語訳しか今まで知りませんでしたが、さすがに1番のクレーマー歌解釈!?には、まさかそれは無いでしょう、と思いました。でも、本当に子供達がそんな風に教えられているとしたら、嘆かわしい限りですね。
競技かるたの漫画が人気だったり、小学校等で暗唱させているところもありますから、こちらの解説を目にする子供達もいるはずです。
今後の解説も、楽しみにしています。出版されたら、ぜひとも購入したいと思います。
2014/04/21 URL 編集
けこ
枕詞だから意味がないなんて、そんなはずはないと思っていました。
秋の田の~の解説も、かりほのことを無視して仮の庵と解説していたり、「ほ」はどこに行った??と思っていました。
無意味な言葉なんてないはずと思っていたので、とても嬉しいです。
次回、たのしみにしています。
2014/04/19 URL 編集
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2014/02/22 編集
くり
教えながらなんだかなぁ…と違和感を覚えていたので、今回のエントリを読んで本当に感動しました!
百首分は大変だと思いますが、楽しみにしています。
書籍化されたら絶対に購入します!
2014/01/30 URL 編集
もりもり
子供のころ、授業で習いましたけど、まさにそのまんまの訳でちっとも面白くありませんでした。( ´_ゝ`)フーンとしか感想でませんでした。
しかし本当はこんなにすばらしい奥深い歌と知り感動いたしました。私は書道を習ってまして、ねずさんの本が出るまで、和歌を課題にして楽しもうと思います。ありがとうございます!
2014/01/27 URL 編集
みやび
たくさんの方が、感動されていてとても嬉しいです。
是非、全部訳されて本にしてください。
また、スライドを使った講演会もいいですね(^.^)
楽しみです!!
2014/01/27 URL 編集
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続きも楽しみにさせていただきますね。
2014/01/27 URL 編集
日本大好き母さん
あまりにもタイミングがよくて思わず投稿した次第です。
恥ずかしながら、私自身あまり意味を解らず遊んでいたので、改めてねずさん解説で歌の意味を知ると本当に奥深く、情景までもが伝わってきます。
今興味を持っている息子にも百人一首の楽しさと正しい歌の意味を教えていけるといいなあと思います。
ねずさん、定期での百人一首解説をよろしくお願いします。
2014/01/27 URL 編集
terag3
>「小倉百人一首」、興味を持って読みました。実は、私は小学校6年の頃には、百首を全部覚えていまして、上の句を読んでもらって下の句を書いた「取り札」を取った枚数を競う競技があるのですが、上の句を聞いて下の句を書いた取り札を取るのだけではつまらなくなって、作者の名前を読んで貰って「取り札」を取ることが出来るところまでなりました。
当時は、子供が冬室内で遊ぶゲームがなくて近所に住む木材製材所の社長さんの奥さんが、そこの子供たちと一緒に遊ぶのに教えてくれた遊びでした。家にも「百人一首」のカルタがありましたので覚えました。
従って、百人一首は得意中の得意でした。高校生の頃、国語(古文)の先生が、お正月に百人一首を教えてやるから家に遊びに来るように言われて、友人5~6人で遊びにいきまして、「源平合戦」(50枚ずつ取り札を分けて、自分の札が早くなくなったほうが勝ちとなる競技)で、先生をコテンパにやっつけたことがありました。
従って、今でも作者の名前をを聞いただけで、取れる札がかなりあります。今回紹介された3人の作者とその句は、勿論有名な作者と作品ですから覚えていました。ただ、意味が良く判らずに覚えていますので、この解説を読んで深い意味が良く判り大変興味深く読みました。お正月には、家内もやりますので子供たちや孫たちも一緒にやっています。今年の正月もやりました。
日本の文化ですから、孫たちもしっかり鍛えてやろうと思っていますので、更に興味を持つように、この記事を転送してやろうと思っています。有難うございました。
・・・・という内容でした。とにかくこのたびのお話は大好評でしたので、大変でしょうが100番まで是非とも継続して頂くようにお願い申し上げます。
2014/01/27 URL 編集
サバトラキララ
でも、意味をちゃんと分かって覚えていないので(表面上の意味だけテキストに書いてありますが)
ただの丸暗記に過ぎず、おもしろくなさそうでした。
ねずさん 是非100番までお願いします。
子供も喜んでいます。
2014/01/27 URL 編集
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できれば監修も経て、出版すれば、
ベストセラーまたはロングセラーになるのは間違いなしです。
こういう本こそ語り継がれるべきです。
2014/01/26 URL 編集
まさる
素晴らしいです。
これは子供だけでなく日本国民にとっての宝物になります。
今回の有名な3首でさえ、私が習ったものとは全く違い、日本人であるのに百人一首の意味すらきちんと知らない自分が恥ずかしくなりました。
小さい子供を持つ私としては、将来、ぜひねずさまの本を読んで聞かせてあげたいと思います。骨の折れる根気づよい努力が必要とされるお仕事ですが、心から敬意を表し、感謝いたします。ありがとうございます。
2014/01/26 URL 編集
古希のネトウヨ
これってすごいことですね。
それをカルタにして、子供の遊戯にして今に伝える。
あらためて、すごいことです。
そして、この和歌の伝統を護ることも天皇の大事な仕事だとも言います。
こんなこと、日本以外にはありえません。
すごいぞ 日本。
それにしても、日本の歴史も、日本の文化も、天皇という補助線を引かねば本当のところは理解できないのですね。
4首目以降楽しみにしています。
2014/01/26 URL 編集
ポッポ
それで解る人に聞いたら、ねづさんの解説はその通りとのことで、学校で習ったよ・・・・・ちなみに団塊の世代です。
団塊の世代が教職に就いていたならば、正確に教える能力があったと思いますが、その世代は定年退職を迎えていますし、ええ加減に教えていればどうなることやらです。
ねづさんの本は続本が出ると思いますが、こちらの方も日本人のために必要だと思います。
関西に住んでいますから、東京都知事の選挙報道は少ないと思います。
田母神氏の頑張りに、期待しています。
石原氏の支援にも、老年の方ですから無理の範囲でお願いしたいし、維新から支援をしている方々や石原軍団にもよろしくとの思いです。
2014/01/26 URL 編集
ペグ
ねずさんのお陰で、天皇陛下の御歌の本当の意味を知ってから、和歌の面白さに目覚めました。
百人一首は学生時代習ったのですが、丸暗記出来るかできないかと言うことが問題だったので、意味などはこちらで知るまで全く解りませんでした。
衣手を濡らすとは、作物があまり取れず泣いていらっしゃるのかと思いました。
しかし、お正月の愛でたい日に詠まれる御歌なのだから、心地よい汗をかいて、働く喜びを感じていらっしゃる歌なのでしょうね。
有り難いことです。
歴代天皇の御心をもっともっと知りたいです。
もし、ねずさんが御本になさってくださるなら、絶対購入します。
戦後教育の弊害で無知な私にも解りますよう、ぜひ解説を続けてお願いいたします。
また、子供たちに解りやすいような百人一首、歴史等の学習絵本や漫画があればいいなと思います。
私自身も漫画になった歴史の絵本シリーズ等を読み大きくなったのですが、それが正しい内容なのかどうか自信をもって買い与えられないのです。
こどもは素直ですので教えられたもの見たものをそのまま記憶しますから、最初に買い与えられる歴史書である学習漫画に右左に偏りがあると、精神の成長に問題があると自分の人生を省みても思うのです。
史実に正確であり、日本と言う国を天皇陛下の様に、愛し誇れるような児童書を待ち望んでおります。
2014/01/26 URL 編集
名無しの壺さん
時にはやらないと、感性を錆びつかせてしまうなと
うまく言葉にできませんが、そのように思いました
2014/01/26 URL 編集
かんな
此方に来られる方々ならご存知かと思われる、2ちゃんまとめ人気ブログの保守速報さんが、暫く前に突然、政治ブログランキングから外されてしまいました
そして、一時は総合ランキング40位圏内に居たのに、今では百位圏内すら見当たらない状態です
どうやら、何がしかの圧力がかかり、保守速報さんに対して言論弾圧が行われている模様です
一日平均アクセスが60万は下らない人気ブログがランキングからは除外されているとか、到底あり得ない話です
どうか皆さん、この異常な事態についてご関心を持たれて下さいませ
突然お邪魔して記事違いの訴えを致しまして申し訳ありませんでした
ご不快になられる方々も居られますでしょうが、今、本当に大変な危機が日本のネットの言論世界にも起きていることの恐ろしさを少しでも多くの皆様にお伝えしたく、お邪魔してしまいました。
どうぞ、ご一考下さいますよう、お願いします
2014/01/26 URL 編集
蠅皇子
天智天皇の御製は、単に労働というのではなく、秋の収穫の神事の際に、自ら刈り取った稲を用いて編むまでがひとつの祭りの一部ではないかと私は考えてしまいますが、いかがなものでしょう。
すなわち、そこに豊作の祈願が込められているというのものです。
2014/01/26 URL 編集
junn
http://burke-conservatism.blog.so-net.ne.jp/
2014/01/26 URL 編集
愛国日本!反日撲滅!
が、最近私は余りの反日の浸透ぶりに嫌気が差し、物事を端的に見てしまっていた様です。自身の欲求を抑えられていなかった為に、おそらく、私の先のコメントは、今現在、親日的であろう方々に不快な思いをさせてしまうような内容であったと、反省しております。
謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢が欠けていた事を深く反省します。
2014/01/26 URL 編集
鳥子
百人一種をここまで丁寧に解説してくださる方はどこにもおりませんでした。ありがとうこざいます。
これほど深い理解はありませんでしたが、和歌は本当に深く、美しいものだと思います。
「わが衣手は露にぬれつつ」この言葉の美しさに感動していたものですが、こちらの解説を拝見して、感動が何十倍にも深まりました。
源氏物語についても、現状は和歌と同様のようです。
「源氏物語を読んだが恋愛の話しかない。くだらない」とアメリカ人学生から批判的に言われてぐうの音も出ず、しょせん日本の文学はこの程度だ、などと偉そうに一般雑誌に書いていた日本人学者もいました(10年近く昔のことです)。
この程度の学者がわざわざ海外へ出て、自分は海外の大学で教えて来たと自慢しているのです。日本の学者とは一体何なのでしょうか。
学問のレベルを下げるような学者は一掃されるべきだと思います。でなければ、日本人の知性がどんどん雲っていってしまいます。
四首目以降もぜひご教授いただきたく、次回を楽しみにお待ちいたします。
2014/01/26 URL 編集
mari
ちょっと嬉しくなったのもつかの間、パラパラと見たところ、
ねずさんと同じくその内容の薄さに遭遇し残念に思っておりました。
写真は綺麗なのですけどね。
今まで読んだ百人一首の本としては、ビギナーズ・クラシックの
日本の古典 百人一首が結構面白く読めましたが、
ねずさんの解説はそれにもまして刺激的でした。
特に「あしびきの」ですが、
人麻呂は歌聖だし、定家は恋歌好きだから三番目に持ってきたのかな〜
と安易に考えておりました。まったく浅はかでした。
次回の解説も楽しみにしています。
2014/01/26 URL 編集
葉桜
そんな解釈をする人は、心ある人の行為までも悪し様に捉えるクレーマーの思考になっているのでしょう。日本人(のはず)なのに、立派な肩書がありながら、和歌の情緒が分からないとは…。
2014/01/26 URL 編集
博多のおばぁ
2014/01/26 URL 編集
terag3
現代の、いわゆる進歩的文化人と言う知識人たち、そして天皇の戦争責任などという似非日本人たちにこそ、この百人一首の真の意味を、しっかりと勉強して貰いたいものです。そうすれば天皇の存在が如何に尊いものであるか、日本人に生まれて如何に幸せで有るかが理解できるはずです。
ねずさん、ぜひこの百人一首の解説を最後までやり遂げて下さい。伏してお願い申し上げます。
2014/01/26 URL 編集
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今日は感動的すぎて書き込みします!中高の授業では全く興味を持てなかった古典、こんなにおもしろく意味深かったとは!
本の出版、ぜひお待ちしております!
2014/01/26 URL 編集
ひろし
私は、教養として百人一首を覚えようと想っていましたが、ねずさんの言われる様に、偉い大学の先生が書かれたものは、なんか貴族の放漫な生活ぶりのように書かれていて全く共感がもてなかったのですが、ねずさんの、
真解釈を読んで素晴らしいと想いました。
この解釈こそ、本当の百人一首です。
どうぞ、百首のご解説、完成して下さいませ。 ありがとうございます。
2014/01/26 URL 編集
白神 美里
ちなみに好きな句は‘ 茜さす〜 ,でした。(百人一首だった?)恋愛の歌が多いので女子はすんなり意味を解釈出来ていた気がします。
最近、マンガで題材にして結構流行ってたような・・まだ日本終わってませんよ。
2014/01/26 URL 編集
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2014/01/26 編集
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百人一首の和歌の真意を今になって知ろうとは。
驚きました。そして、感動しました。
是非是非、出版してください。
2014/01/26 URL 編集
大和守祥易
是非続編をお願いいたします。
2014/01/26 URL 編集