百人一首(7〜9番歌)



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小野小町


和歌の詠み手は一般に、一番言いたいことをあえて言いません。
言わないことで、相手にそれを悟ってもらう。
そして歌の真意がわかったとき、相手には、ドカンとその衝撃が走る。感動が走る。
それが和歌の醍醐味のひとつです。

和歌には五七五七七の中に、上の句と下の句があります。
これを、いってみれば三角形の底辺の角にみたてているわけです。
和歌は、その三角形の底辺の両端にある2点を、上の句、下の句で指し示すことで、三角形の頂点にある「いいたいこと」を詠み、聞き手はそれを推理し想像する。
そういう知的ゲームといったらいいすぎかもしれませんが、そんなところが、和歌をして、教養人を惹きつける魅力となっているのかもしれません。

和歌には「掛詞(かけことば)」という技法もあります。
ひとつの言葉に、ふたつ、もしくはみっつないしそれ以上の複数の意味を持たせます。
そしてその掛詞が、和歌の理解の手がかりになったりします。

和歌を読むと、そこには、論理矛盾をしたり、よけいな仮名が一文字乗せてあったり、一見すると意味不明だったりするところにぶつかったりします。
そういうとろこには、注意です。
そこが解釈の手がかりになることがおおいからです。

さて、今回は、7番、8番、9番の歌です。

前回までのお話で、
1番2番は、天皇の御世の素晴らしさ、
3番4番は、和歌のもつ可能性と、その読み方
5番6番は、和歌でできる表現の素晴らしさ
が、ひとつのテーマとなっていることが、ご理解いただけたと思います。
では、7、8、9番歌は、何をあらわしているのでしょうか。


=========
7 番歌 安倍仲麿
天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも

=========

この歌は、非常にわかりやすい歌とされています。
「♪月がぁ〜出た出た、月がぁ出た」の歌のようだというわけです。
本当にそうでしょうか。

「天の原」というのは天空です。
「ふりさけみれば」は枕詞なので「意味がない」という人もいますが、私はそれは違うと思います。
たった31文字しかないなかに、無駄な言葉など一字もないはずだからです。

この場合の「ふりさけみれば」が、どういう意味かというと、字をみたらわかります。
誰でも遠くをみようとするとき手を目の上にふりかざします。
昔の衣装は袖が広いので、その袖を、もう片方の手で避けるようにして押さえるかもしれません。
ですから、「ふりさけみれば」は、手をかざして遠くを見る仕草とみることができます。

ところがそうなると、不思議なことがあります。
この歌では、見ているのが「月」なのです。
月は、手をかざさなければならないほど、まぶしいものではありません。
ということは、これは、夜空に浮かぶ月を、まるで「まぶしいものを見るかのように」万感の想いをこめて、仰ぎ見ている姿ということになります。

「春日なる」は、奈良の春日神社のあるあたりです。
そして「三笠の山に出でし月かも」は、春日大社のあたりで、三笠山の上に出ていた月、その昔見た月と同じなのだなあ、となります。
三笠山は、まあるいお盆を立てたような形をした円球状の山ですから、「三笠の山に出し月」は、まあるいお盆のような満月、もしくはそれに近いまあるいお月様であったろうとわかります。

するとこの歌の通解は、
「夜空を仰ぎ見ると、そこにまあるいお月様が昇っている。あの月は奈良の都の春日で見た、あのまあるいお月様と同じ月なのだなあ」となります。
たいていの本には、そのような意味の歌だと解説されています。

けれど、不思議なことがあります。
この歌が、「♪月がぁ〜出た、出た、月がぁ出た」というだけの歌なら、そのどこがどう名歌なのでしょうか。

その手がかりになるのが、詠み手と、そのシチューションです。
歌を詠んだのは安倍仲麿(あべのなかまろ)です。
安倍仲麿は、安倍仲麻呂とも書きます。仲麻呂のほうがお馴染みかもしれません。

8世紀に生きた人で、16歳で遣唐使の一員として唐に渡り、そこで玄宗皇帝に気に入られ、China名「朝衡(ちょうこう)」として50年以上にわたって皇帝の側近中の側近として仕えた人です。
長年の功労から、後年やっと日本への帰国を許されるのですが、途中で船が難破して引き返し、結局帰れぬまま唐の地で没しています。

ちなみに、この遣唐使として日本がChinaに送った留学生たちというのは、「身分が高くて、豊かな素養があり、優雅な立ち居振る舞いができて、背が高くて容姿端麗な好男子」たちです。
これは日本のイメージアップを考えていたからで、その結果、Chinaでは「倭客(日本人のこと)が最もすぐれている」という評判が生まれました。

なかでも安部仲麿は、日本人として最初に難関校である唐の大学に入学した日本人であり、しかもいまどきの国家公務員上級試験よりもはるかに難度の高い科挙(かきょ)の試験に、見事一発合格を果たすという、すさまじい秀才です。

科挙の試験がどのくらい難しかったかというと、10代で受験をはじめて70代でやっと合格する者、あるいは合格したときに、あまりの嬉しさに昏倒して亡くなってしまった人もいるというくらい難しいもので、それを唐からみたら外国人の安倍仲麿が一発合格したというわけですから、仲麿がどれだけすごい秀才だったかわかります。
そして科挙に合格した安部仲麿は、安南都督使(ベトナム総督)にまで出世し、有名な詩人の王維や李伯らと交友し、客卿(はっけい)にまでなっています。

イケメンで、立ち振る舞いも優雅、高貴な身分の出身でとびっきりの英才で好男子。
まるで絵に描いたようなイイ男です。

この安部仲麿、一族が後年、安倍一族として11世紀には八幡太郎義家と前九年の役(ぜんくねんのえき)を戦い、安部姓のまま地方に散り、21世紀にはその一族から内閣総理大臣を出しています。
血はつながっているものです。
安部総理も背が高いし、なかなかのイケメンだし、もしかすると8世紀の安部仲麿は、若き日も、壮年期も、いまも、安部総理とそっくりさんだったかもしれません。

さて、唐にわたって30年を経て、ようやく最初の帰国を許された仲麿は、現在の寧波(にんぽう)の港で、日本への出発前に送別の宴を催してもらいました。
宴もたけなわのとき、みあげると、そこにはまあるいお月さまがかかっています。

その月を、片手で袖を押さえながら見上げ、
「あの月は、故郷の奈良の都にかかる月と同じ月なのだなあ、懐かしいなあ」と、おそらくこのときの安部仲麿の気持ちは、まさに肺腑をえぐられるような強い望郷の念があったに違いありません。

ここまでの解釈で、80点だろうと思います。
では残りの20点は何かというと、実はこの歌は、その後に、その凄味があるのです。

当時の唐と日本を結ぶ遣唐使の航海は、実に危険極まりないものでした。
無事に生還したのは約半分です。半分が難破して海の藻くずと消えてしまっていたのです。

この遣唐使の航海の危険性については、もちろん中には暴風雨に襲われて難破したという事例もあったでしょうが、私は、それだけではないとみています。
というのは、遣唐使の往来の船は、朝鮮半島を沿岸伝いに航海するルートです。

常に陸の見える近海航海です。
暴風雨がきそうならば、先に港に避難すれば良いだけのことです。
それに、そもそも日本は卑弥呼の時代には南洋の島々から、なんと南米までも航海をしていたくらいの海洋国家です。
それだけの高い航海技術があったし、船舶技術も相当の技術を持っています。
それに、そもそもそんなに航海が危険なら、朝鮮半島を陸路で唐の都との往復をすれば良いだけのことです。
何もすきこのんで暴風雨の怖い海洋ルートをとる必要などありません。

にもかかわらず、海洋ルートを採ったのです。
ということは、陸路はもっと「危険だった」ということです。
朝鮮半島を陸路で旅することは、海で暴風に遭うよりも、もっと危なかったのです。
それ以外に、危険な海上ルートにこだわった理由はあり得ません。
つまり陸路を行くことは、まさに魑魅魍魎と凶悪強盗団、強姦魔の巣窟を行く、難儀な旅だったわけです。
それだけ朝鮮半島の住民が未開の蛮族であり、その蛮族の襲撃があまりにもえげつないものだったということです。

遣唐使で派遣されるのは、何も美男子ばかりではありません。
日本は金銀の産地でもありますから、遣唐使は山のような財宝を満載していたし、舞いの勉強のためにと、美しい女性たちもたくさん同行していたのです。

蛮族からしたら、これほどおいしい旅人の一団はありません。
ですから、襲われないようにと、わざわざ海路をとったのであろうし、その海路を行く遣唐使の往来の船は、また同時に、朝鮮蛮族に狙われ、襲撃されることになったであろうことは、容易に察することができることです。
なにせ、当時の朝鮮族は、汚穢(おわい)の濊(わい)の字の濊族(わいぞく)なのです。

この汚穢族の襲撃があまりに酷いことから、後年になりますと、遣唐使の航海は、朝鮮半島沿いではなくて、五島列島から直接黄海を横断する、遠洋航海ルートに切り替えられたりもしています。
まだ羅針盤のない時代に、陸のまったく見えない外洋を航海するのです。
それこそ危険きわまりない。
それでも、黄海ルートをとったというところに、朝鮮半島の怖さがあったわけです。

遣唐使は、そういう、いつ襲撃をくうかわからない危険な旅です。
行きも帰りも、無事に到達できる見込みは5割です。

死ぬかもしれない航海なのです。
生きて到着できる確率は5割、死ぬ確率5割です。
帰りたい。けど途中で襲われ、帰れないかもしれない。

俺は帰ることができずに、途中で死んでしまうかもしれないが、俺の子が、あるいは俺の仲間たちの誰かが、あるいはその子が、その孫が、いつの日か日本に帰れるかもしれない。
そしたら、あのとき俺が見上げた月を観て、「三笠の山に出でし月かも」と望郷の想いを歌に詠んでいたよと、故郷の人たちに伝えてくれよ・・・。

以前、知覧の特攻隊員たちが、出撃前の三角兵舎の前の樹々に、自分の名前を彫っていたという記事をご紹介させていただいたことがあります。
そのお話は、ねず本の第一巻でも「思いやりの心」という記事でご紹介させていただきました。

二度と帰れない旅に出る。
けれど、命はなくなっても、書いた文字は残る。
自分は日本にたどり着けないかもしれないけれど、歌は、いつの日かきっと日本にたどり着くにちがいない。
俺の体は、海の藻くずと消えても、俺の心は、俺の歌は、日本にきっとたどりつくことができる。
歌よ、俺の想いを祖国に届けておくれ。

和歌は、伝えたい想いの深さを、こうして後に託すこともできるのだという、この歌はそのことを明確に残しています。
ですからこれが百人一首の7番歌になったわけです。

この歌は、単に「同じ月なのだなあ」と望郷の想いを詠んでいるだけの歌ではないのです。
自分は死んでしまうかもしれないけれど、その自分の想いを、後の世に託することができる。
それも歌の持つ価値であるわけです。

そのことを、この歌は教えてくれているのだと思います。


=========
8番歌 喜撰法師
わが庵は都の辰巳しかぞ住む
世をうぢ山と人はいふなり

=========

この歌は、「ワシの庵は都の東南(辰巳)の方角にあって、然(しか)ぞ心静かに暮らしているのじゃが、ワシのことを宇治山の引きこもりだと世間の人は言っているようじゃ」みたいな意味だと、多くの解説書が解釈しているようです。

しかし、冒頭に申し上げましたように、歌というのは、上の句と下の句で、まるで三角形を描くように、底辺の両端の2点から、頂点にある言いたいことを、聞く側に想像してもらうものです。
そんな額面通りの単純な歌なのでしょうか。

上の句の歌い出しは、「我が庵」です。
これは、自分が住んでいる庵(いおり)のことです。
「都のたつみ」は、平安京(京都)からみて東南の方角です。
「しかぞすむ」は、「然(しか)り」が「このように」という意味で、「しかぞ住む」で、「このように心静かに住んでいる」で、同時に「鹿ぞ住む(=鹿が住んでいる)」にもかかっています。

ですから「わが庵は都の辰巳しかぞ住む」という上の句は、「わたしの住んでいる庵(いおり)は、都の東南にあって、鹿が住むような鄙びた山奥で、そこで私は心静かに暮らしている」というわけです。

そして下の句です。
下の句は、「世をうぢ山と人はいふなり」です。
「うぢ」は、現在の京都府宇治市の「宇治」、地名の宇治ともとれますし、「憂し」との掛詞ともとれます。

しかし問題は、「世を」です。
なぜ「を」なのでしょうか。
もしこの歌が単に「世の中の人がワシのことを『宇治山の引きこもりだ』と言っている」というだけの歌なら、「世を」ではなく「世は」でもよさそうです。
それがなぜ「世を」なのでしょうか。

実は、ここでいう「うぢ」は、「宇治、憂し」だけでなく、実は「氏(うじ)」でもあると解します。

「氏」というのは、先祖を同じくする同族集団のことをいいます。
よく「姓氏」といいまして、いまでは、姓も氏もおなじ名字のことをいいますが、もともとは氏と姓は異なるものです。

「氏(うじ)」というのは、もともとは出雲氏、尾張氏、和邇氏、吉備氏、葛城氏などのように、同じ土地に住む集団の氏か、または物部、大伴、阿曇、額田部などのように、朝廷の官位に基づくものを言いました。
ですから、たとえば、尾張氏の中の、織田一族や、大伴氏の中の斎藤一族だったわけです。

そして百人一首の1番歌にある天智天皇の大化の改新は、もともと氏のなかった新興地主たちにも、氏を与えました。
それが藤原氏、橘氏、源氏、平氏などで、ずっと後年になると豊臣氏なども登場しています。

つまり大化の改新は、誰もが天皇の民として「氏」をいただき、氏のない人々、つまり奴婢や奴隷という存在を否定したのです。これが7世紀の大化の改新です。

そしてこの歌を詠んだ喜撰法師(きせんほうし)は、平安初期の歌人で9世紀の人です。
世の中に完全に、すべての人が氏を持つ「おおみたから」という概念が、完全に定着した時代の法師です。

そして喜撰法師は、自ら都の東南の草深い田舎に住み、いわば世捨て人のような暮らしをしながらも、世の中のすべての人が「氏」をもらい、人々が活き活きとした人間としての集団(山)となっていることを、「それって、とっても素晴らしいことじゃないか」と詠んでいるわけです。

なぜって、歌を詠んだ歌人の名前が「喜撰法師」です。喜びの選択の法師という名です。

「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」

「世は氏の山だよ。みんながこうして氏のある人として、活き活きと生きている。ありがたいことじゃないか。だから私は自分の名前を喜撰と付けたのだよ」
人が人として生きることができること。それはあたりまえのようでいて、とっても大切で重要で、そして9世紀頃の東亜秩序の世界では、あり得ないことでもあったわけです。

「日本は、すべての人が人間としての尊厳を与えられていて、それが世の中でちゃんとみとめられているじゃろ。ワシはな、それってまさに喜びあふれる選択だと思うのじゃよ・・・」

ニコニコしながらそんな風に話す喜撰法師のしわがれ声が、なにやら聞こえてきそうな気がしませんか?


========
9番歌 小野小町
花の色は移りにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに

========

もう、この歌は、私などは大好きな歌で、これほどまでに男心をとろかし、また女性に憧れを抱かせ、知的で美しく、たおやかでいて、しかもしなやかな歌は、古今の歌の中でも、まさに筆頭と言っても良いくらいの素晴らしい歌だと思います。

この歌の解説については、過去記事の「小野小町」にも書いていますので、すでに意味のおわかりになる方も多いかと存じます。

けれど、ものすごく残念なことに、この素晴らしい歌を、最近の和歌の解説本では、どれもこれもすべての解説本が、
「花はむなしく色あせてしまったわ。世の雨を眺めている間に、私の容姿はむなしく色褪せ、私はおばあさんになってしまったわ」と解説しています。

そんな解説を読む度に、もう悔しくて悔しくて、とても悲しい気持ちにさせられてしまうのです。
なぜなら、そもそも小野小町は、我が国を代表する美人で、美人の代名詞とも呼ばれる女性です。
そんな美しい女性が、「私はおばあさんになってしまったわ」と愚痴を言っていて、そのどこがどう素晴らしい歌になるのでしょうか。

そもそも小野小町の肖像画というものはありません。
なるほど、恋の歌をたくさん残している歌人ですし、恋文をある日燃やしたら、そこが小町文塚となったというくらい、たくさんのラブレターをもらったという逸話があるくらいですから、もちろん美人であったことでしょう。

けれど、その小町を「美人だ!」と言ったのは、小町が生きていた時代の人ではなくて、小町が亡くなって200年も経った後の時代の、紀貫之(きのつらゆき)です。
ですから紀貫之は、小町に会ってはいないのです。
会ってもいないのに、ではどうして紀貫之が小町を美人だと騒ぎ出したのかと言うと、小町の「この歌」が、あまりにも美しかったからです。

けれど、この歌の意味が「世の中に降っている雨をいたずらに眺めている間に、私はおばあちゃんになっちゃったわ」という程度の意味なら、ただの年寄りの愚痴です。
そのどこがどう、美人なのでしょうか。

実は、この歌で大事なのは「花」です。
この時代、「花」といえば、「桜花」を意味します。
桜花は、「色は変わりません」。
桜花は、色は変わらず、そのままの色で散っていきます。
紫陽花(あじさい)とは違うのです。

雨が降ったら、桜花は散ります。
見ている前で、はらはらと散ります。それが桜吹雪です。

小町は「花の色はうつりにけりな」と詠んでいます。
それは桜花の状態が移って行く、つまり散っていくことを意味します。
なぜ散るのかといえば、「世に降る」つまり、雨が降っているからで、それが「世に降る」で、時を経てという意味にもかかっています。
その雨を、「眺めせしまに(眺めている間に)」というのです。

雨が降っている。
小町の見ている前で、雨に打たれて桜の花びらが散っていく。
けれど、桜花は、色は変わりません。
色が変わらずに散るのが桜花です。

雨が降って散る桜もあるけれど、散らずにまだ咲いている桜花も、あるのです。
そして小町は、この歌のどこにも、「花が散った」とは描いていません。
つまり小町は、「私はまだ散っていないわよ」と歌っているのです。

この歌は、小町晩年の作と言われています。
つまり、92歳まで生きた小町の晩年ですから、70代か80代です。
当時の平均寿命は、40歳前後といわれていますから、もうしわけないけれど、その時代の70〜80歳代の女性というのは、最早、老境の婦人というよりも、もはや妖怪の世界の住人といえる年代だったかもしれません。

そんな歳を召された小町が、「私、まだ散っていないわよ」、つまりもっというなら、「私、まだまだ燃えるような恋がしたいわ」と詠んでいるのです。
亡くなられた金さん、銀さんくらいの方が、「私、まだまだ燃えるような恋がしたいわ」と詠んでいることを想像してみてください。それって、ものすごく可愛いし、素敵だって思いませんか?

いくつになっても、恋する情熱は、女性を(男性もですが)輝かせます。
そしていくつになっても、老境に至ってもなお、恋する情熱を失わない、若々しい心を失わない小町をして、紀貫之は、小町を絶世の心の美女と讃えたのです。
そして百人一首の選者の藤原定家も、この歌を、なんとヒトケタの9番歌にもってきているのです。
これが日本の心です。

世界三大美女といえば、クレオパトラに楊貴妃に、トロイヤ戦争のヘレネです。
三人とも傾城、傾国の美女です。
つまり、その美しさ故に、国を城を滅ぼしてしまった、そういう女性たちです。

けれど小町は、心の美女です。
そういう外見よりも、人間としての内面を、愛し大切にするという、これが日本文化の大きな特徴です。
そしてそれを象徴しているからこそ、この小町の歌は、名歌とされているのです。


さて、9番歌までの解説を行いました。
次は10番の
 これやこの行くも帰るも別れては
 知るも知らぬもあふ坂の関
という有名な蝉丸(せみまる)の歌です。

通解は「これが噂に聞く、行く人も帰る人もお別れをする人も、知っている人も知らない人も、別れてもまた逢うをくり返す、逢坂の関なのだなあ」とされています。
さて、ほんとうにそうなのでしょうか?

続きはまた次回に♪

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コメント

そま

いたづら
いたづらがキーなのではないでしょうかか?
虚しくなどという意味ではなくて現代視点にすぎるかも
しれませんが悪戯 それともただ意味もなく(小町にとって)
花の色は移っていくけれど私には意味のないことだわ
そんな小町のとてもとても粋で愛らしい心を感じます
非常にモダンな人だったんじゃないかと
快活でお茶目で利発な女性 言葉の使い様が素晴らしい

すごく為になります
100まで期待しています
文部大臣に貴方のような方がなるべき 


牛男tv

No title
井口博士のブログから来ました。
とても感動しました。
教科書に載せたいくらい、すばらしい解説だと思います。

-

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

確かに

No title
『帋灯 猿丸と道鏡』『 帋灯 柿本人麿呂』『百人一首の魔方陣―藤原定家が仕組んだ「古今伝授」の謎をとく』もご参考に。

愛国おばさん

No title
ススキとセイタカアワダチソウのお話で心を打たれ、それ以来ブログを拝見させていただいています。
小4の息子が国語の時間に百人一首を学んでいるので、
私も覚えられなかった歌を暗記すべく勉強しているところです。

これからもどうか続けて下さい。楽しみにしています。

junn

No title
市川、国内最古の丸木舟 7500年前、魚介類など運搬 雷下遺跡

http://www.chibanippo.co.jp/news/politics/177281

一有権者

No title
舛添氏が都知事に最有力なのだろうか。う~んなんだかなぁ。

この人確か外国人参政権付与にどちらかといえば賛成の人ではなかったか。田母神さんはマスごみが印象操作などを行って邪魔するだろうしなぁ。これを何とか排除しないと。

都知事選には直接関係ないが産経によれば慰安婦問題の捏造記事を書いた朝日の植村隆記者が早期退社して神戸松蔭学院女子大学の教授だかになるんだと。

この大嘘つきの売国記者は自分の書いた記事で日本の国益と日本人の安全を毀損していながらさらに恥も外聞もなく学生に嘘を教えるつもりなのかなぁ。?
こんなやつを教授だか講師だかに招聘する学校もどうかしていると思う。これでどうやってシナ、朝鮮の嘘から日本と日本人を守れるのか。?本当に腹立たしいものだ。

mari

No title
「天の原」
頼山陽は「国費留学しておきながら日本に帰らず異朝に仕えるとは何ごとか」と帰らなかった遣唐使を責めていますが、仲麻呂のこの歌からは、長年彼の地に完全に溶け込みながらも大和言葉と大和心を忘れずに生活していたことが分かります。
この和歌のおかげで、日本人にとって仲麻呂の好感度が500%ぐらいupしているのではないでしょうか。

「花の色は」
小野小町も、8番の喜撰法師も、どんな人かはよく分からないけど和歌がすばらしいから知られている、という人ですよね。分からないこそ、残された和歌を頼りに想像を膨ませ数々の伝説が生まれたのだと思います。

小町のこの歌は童の時にきいてもピンとくるわけもなく、ただ掛詞の技を知るのみでしたが、思春期、青年期、壮年期と年を経る毎に見える景色が変わっていく(「移りにける」と申しましょうか)何とも不思議な歌です。それだけ、共感される範囲が広いからこそ多くの人に愛されているのでしょうね。

う〜ん、ねずさんの過去記事も読ませていただきましたが、やっぱり私は、定説に近い解釈をしてしまいますね。悲しい時や苦しい時こそ、この歌を噛み締めたくなりますから・・・自虐的ですかね?(^^)
男性目線と女性目線は違うかもしれませんし、もう少し年をとれば変わってくるかもしれませんが。いずれにしても私のようなちんちくりんな女でもずっと側に在って支えて欲しいと思う一首で御座います。

次回は蝉丸ですね。名前の面白さで我が家では大人気でした。楽しみにしています。

terag3

百人一首も然りながら、都知事選は如何許り
待ち望んでいた、百人一首7番~9番歌の解説を有難うございました。ねずさんの、ご解説を100番歌まで、すべて大事な資料として別途、保存しておきます。

さて都知事選の件、ランダム ヨーコさんが応援に駆け付けてくれたそうで、ホットしたところですが、収支をみますとあと6日間、宿泊費が不足してくると思うのですが、その点については如何されるのでしょうか?

またもうひとつ、贅沢を言えば、津川雅彦氏にも応援演説をお願い出来たら、また大きな効果が出るのではないかと思っていますが如何なものでしょうか?

何しろ、あと6日間、東京都民ではありませんが何としてでも田母神氏(たもさん)を、都知事として、トップ当選させたいものだと、いても立ってもいられず、ヤキモキしている毎日です。

junn

No title
全米に衝撃が走る!「オペレーション境界外」:韓国人犯罪者一斉検挙の巻!

http://quasimoto.exblog.jp/21639160/

junn

No title
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(欧米企業も中国撤退を急ぐ)

http://melma.com/backnumber_45206_5972802/

にっぽんじん

田母神応援団
私は都知事選挙権がありません。が、田母神さんを応援しています。九州からも応援動画が送られています。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=gTmSTgDZIUs

-

内閣府の職員が変死しています。国際会議のため韓国、ソウルに出張していたとの事です。 案の定テレビのニュースでは報道されていません。 韓国に日本人が行くのは、要注意です。

-

No title
百人一首も、ぜひ本にしてください!
イメージが膨らみますね・・・
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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