百人一首(10〜12番歌)

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遣唐使船(復元)
遣唐使船(復元)


今回もきっと感動があると思います。

ここまでの小倉百人一首の解説を読まれた方は、実は百人一首のそれぞれの歌に振られている順番(番号)には、和歌を理解するための手がかりが、そっと埋め込まれていることをすでに充分ご理解いただけたことと思います。

和歌は、上の句と下の句という2つの頂点から、「言いたいこと」という頂きを聞き手に想像してもらう知的な創作です。
ですから和歌は、いわゆる「通解」だけでは、その味わい(作者のほんとうに伝えたかったメッセージ)はわかりません。

そこに、和歌の詠み手と聞き手の、いわば真剣勝負みたいなものがあって、これが和歌の醍醐味というか、楽しさですし、またそのために、詠み手も聞き手も、一字一句をとことん大切にする。
なにしろ、たった31字しかないのです。
いっさいの無駄を省いた、いわば鍛き研ぎすました鋭利な日本刀のような、鋭さがあるのも、実は和歌の特徴でもあるわけです。

そして、ここが一番大事だと思うのですが、その「一字一句を大切にする」という姿勢が、日本人のひとりひとりを、おおみたらかとして、どこまでも大切にする、という古代からの姿勢にも共通するものとなっているのです。
さて、これまでの御歌は、一番から九番まで、次のようなストーリーがありました。
一番歌 天智天皇  働くこと
二番歌 持統天皇  働くこと、夫婦愛
三番歌 柿本人麻呂 和歌の持つ深み
四番歌 山部赤人  ビジュアルの可能性
五番歌 猿丸大夫  質素の大切さ
六番歌 中納言家持 護国の努力
七番歌 阿倍仲麿  歌に託す望郷
八番歌 喜撰法師  氏のありがたさ
九番歌 小野小町  逆説の妙

では早速、続く十番歌を見てみたいと思います。

=========
10番歌 蝉丸
 これやこの行くも帰るも別れては
 知るも知らぬも逢坂の関


 これやこの
 ゆくもかえるも
 わかれては
 しるもしらぬも
 あふさかのせき
=========

この歌の通解は、「ここが京の都から出て行く人も都へ帰る人も、知っている人も知らない人も別れてはまた出会うことを繰り返す逢坂の関なのだなあ」とでもなろうかと思います。
さてこの歌が示している作者の真意は、いったい何なのでしょうか。

「逢坂の関」というのは、京都と滋賀県の境にあった難所(関所)で、美濃の不破の関、伊勢の鈴鹿の関と並んで、昔は日本三関のひとつとされた難所だったところです。
いまは、このあたりに、名神高速道路の「蝉丸トンネル」があります。

蝉丸という人は生没年不詳で、どういう人だったかは諸説あります。
いちばん有名なのが、蝉丸が琵琶の名人だったという説で、このお話は今昔物語集に掲載されています。
それが、無類の音楽好きの源博雅(みなもとのひろまさ)が、逢坂の関に住む盲目の琵琶法師、蝉丸のもとに三年通い詰めて、ついに琵琶の秘曲「流泉」と「啄木」を伝授されたというお話です。

この歌の特徴は、「行くも帰るも」、「別れては逢う」、「知るも知らぬも」と、対になる表現を三つも重ねることで、人々の激しい往来という「動き」を出しているところです。
「逢う」は、出会いと別れの動詞と、「逢坂」という固有名詞と両方の意味に掛けられています。

ちなみに、いまでは東海道や東北道、山陽道や九州道といった大街道といえば、道路の道幅はとても広くて、なかには片側4車線なんていう道があったりしますが、これは自動車社会になったことが原因です。
自動車のなかった大昔は、大きな街道でも、道幅はだいたい1間(1.8m)くらいしかありませんでした。

ですから街道筋の人の往来は、いまどきの新宿の歩行者天国や、渋谷のハチ公前交差点のような激しいものではなくて、普段の日の神社の参道の往来のような感じのものであったろうと想像することができます。

そこでは、都から出発する人、見送る人、遠方から都にのぼる人、帰る人、近所の知っている人もいれば、知らない人も、出会いと別れを繰り返す。
そして「あう」が、「会う」ではなくて「逢う」となることで、もしかするとそれは男女の恋の出会いと別れのことにもつながっているかもしれないと想像することができます。

「会うは別れの始め」といいますが、仏教用語では「生者必滅、会者定離(じょうしゃひつめつえしゃじょうり)」といって、生きるものは死に、出会えば必ず別れが来ると説かれます。
人は、辛い坂道を登るように、苦しい人生を生き、そこで出会いと別れ、別れてまた出会いを繰り返します。

この歌は、そういう人の往来と、人生の会者定離という、「動き」そのものを読んだ歌といえようかと思います。
そして、ひとりひとりの出会いと別れ、人生の悲哀と喜楽が、逢坂の関ですれ違う。

往来を通る人は、ただの通行人という「モノ」なのではなくて、そこを通る人々は、実はひとりひとりに、大切な人生がある。

そのひとりひとりを大切にするという、わたしたちの国のカタチが、民衆のひとりひとりを「おおみたから」とする、わたしたちの国のカタチです。

もし蟬丸が、逢坂の関に住む盲目の琵琶法師であったのなら、彼の目には、逢坂の関を往来人々の姿は見えません。
けれど、彼の目には、人々の往来の中に、目の前を通り過ぎるひとりひとりの背中に、それぞれの人生があり、その人生が交差する会者定離と、そうしたひとりひとりが大切にされている私たちの国のありがたさが、見えない眼にしっかりと浮かんでいたのかもしれません。

いま、教科書にもなっている「公民(こうみん)」という字ですが、昔はこう書いて「おおみたから」と読みました。
すべての民は、天皇の「おおみたから」と、明文化され、規定されたのが大化の改新以降の律令制度です。

そしてこの制度ができたことによって、実はかつての日本にも一部存在(人口の5%くらいだったといわれています)した奴婢(ぬひ)、つまりモノや奴隷としての豪族や権力者たちの私有民という存在が完全否定されました。
ですから律令以降、わたしたちの国には、奴隷という存在、人が人をモノとして支配し収奪するという、世界ではあたりまえのように行われていた統治がなくなりました。

すべての人が、人として生き、そして出会いと別れを繰り返し、自由な往来、知らない人とも安心して出会い、知り合い、また好きな人にも逢える自由を手に入れました。
人には、それぞれの喜怒哀楽があるけれど、それも、人が人として生かされ、生きることができる幸せあってのことです。

そうした姿を、この歌は1番から10番までの歌の中で、はじめて「動き」をテーマにしながら伝えているのだと思います。
そしてこの歌は、「会者定離」という出会いと別れを見えぬ眼で眺めながら、そして天皇の御代によって誰もが人としてたいせつに扱われる社会への喜びを、琵琶法師の蝉丸が、見事に謳い上げた名歌となっているのです。


=========
11番歌 参議篁(さんぎたかむら)
 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
 人には告げよ海人の釣船


 わたのはら
 やそしまかけて
 こぎでぬと
 ひとにはつげよ
 あまのつりふね
=========

この歌を詠んだ参議篁(さんぎたかむら)という人は、本名が小野篁(おののたかむら)で、参議というのは、朝廷の高官の役職名です。
この人は、Chinaの「隋書」に記録されている「日出処天子」の言葉で有名な国書を隋に届けた小野妹子の子孫にあたる人で、9番歌の小野小町は、篁(たかむら)の孫です。

この小野篁は、第19回の遣唐使の副使に任じられた人で、当時、遣唐使に選ばれる人というのは、外交上、唐の国で日本人が多くの人に好かれるようにと、家柄が良くて気品があり、生活にゆとりがあって、学問がよくでき、人柄も良くて、容姿端麗というのが、選任の条件でした。

なかでも小野篁は、記録によれば「身長六尺二寸」です。
これはいまでいったら身長186cmで、小柄な人が多かった当時の日本では、相当の大男です。
しかも彼は陰陽道を修めた陰陽師で、術を使ってあの世に行って閻魔様と会話をしてきたという逸話もある人でもありました。
容姿端麗、学問優秀、いまでいったら三高を併せもったような男性ですから、相当の自信家でもあったかもしれません。

小野篁は、遣唐使の副使として、承和3年(836)に出港したのですが、出発早々に遭難被害に遭って帰国しています。
出発したのです。
ところが出港まもなく遭難にあい、やむなく船は引き返してしまいます。

遣唐使船は、あらためて2年後の承和5年(838)に再出港を図るのですが、ところがこのとき小野篁は、よほど最初の遭難で懲りたのか、副使でありながら仮病を使って乗船を拒否してしまったのです。
一説によれば、壊れた船に乗せられそうになって怒って喧嘩したとも、また正使(大使)の藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)と、仲が悪かったからともいわれています。

そしてこの乗船拒否を咎(とが)められて、小野篁は隠岐に島流しになりました。
この歌は、その遠島の際に詠んだ歌とされています。

さて、この歌を通じて、小野篁が伝えたかったメッセージは、いったい何だったのでしょうか。

 わたの原
 八十島(やそしま)かけて
 漕ぎ出でぬと
 人には告げよ
 海人の釣船

「わたの原」は、わたる原っぱのように広い海原のことです。
「八十島(やそしま)」は、たくさんの島。
「海人(あま)」は、船乗りさんたちです。
「人には告げよ」の人は、都にいる人々のことです。

ですので通解すれば、「大海原の向こうのたくさんの島々を目指して、船乗りさんの釣り船に乗って、漕ぎ出たと、都にいる人に伝えてくださいな」といったものになります。

では、この歌で小野篁は、何を告げようとしたのでしょうか。
単に、「釣りに行った」と告げてほしいのでしょうか。

この歌で小野篁は、詠み人の名前を「参議篁」としています。
自分の名を名乗るのに、
ただ、山田太郎と名乗るのと、役職名を名乗るのとでは、意味が違います。
つまり小野篁(たかむら)は、個人としてではなく、公人としてこの歌を詠んでいるわけです。

その篁は、これから壱岐島に流されるところです。
壱岐島は、九州と対馬の間にある、船で行く島です。
地図で見たらわかるのですが、壱岐島も対馬も、もとからの日本の領土で、唐津ではなく、福岡から壱岐島に渡るなら、その福岡ー壱岐島までの距離と、壱岐島ー対馬の距離はほぼ同じ、対馬から朝鮮半島までの距離も、それとほぼ同じです。

みなさまにひとつ質問なのですが、壱岐や対馬に安全に往来できるだけの航海術と船舶を保有する日本が、どうして対馬ー朝鮮半島、そして朝鮮半島の沿岸部添いに進む航海が危険な旅になるのでしょうか。
しかもこの頃になると、あまりにも朝鮮半島の沿岸沿いに行く航海が危険だということで、五島列島から東シナ海を横断して上海にたどり着くという極めて危険な旅までしているのです。

なぜ遣唐使が危険な旅となったかについては、前の阿倍仲麿の7番歌のところで解説しましたので、重複は避けますが、このような背景をもとにこの歌を見ると、上にある通解とは、まったく別な筋書きが、くっきりと浮かび上がってきます。

小野篁は、九州から壱岐島までの航海を、「ほんの軽いお遊び程度の釣り船と同じだ」と言っているわけです。
九州ー壱岐間も、壱岐ー対馬間も、対馬ー釜山間も、渡るのは同じ海です。
航海技術や船舶技術面では、その旅は安全な遊びの釣り船と同じで、何の問題もありません。
けれど、遣唐使自体が、実に危険な旅となっている。

そしてその遣唐使には、多くの優秀な男女の人材が乗り、また金銀財宝が満載されているわけです。
その遣唐使が相次いで朝鮮半島で海賊団に襲われ、危険を避けようと東シナ海を横断すれば、遭難の危険はげ激増します。

小野篁は、遣唐使への乗船を拒否しました。
けれど彼は、決して自分は危険な旅であることや、死を恐れて乗船を拒否したのではない。
航海そのものは、大海原に浮かぶ島に釣りに行くようなもので、楽しくもあり、また特段の問題はないものです。
だからこそ、彼は遣唐使船を「海人の釣り船」と斬って捨てています。

けれどその航海は、途中の盗賊や海賊に襲われ、それを避けようと途中に立ち寄るべき島のない大海原を航海する東シナ海ルートをとれば、なおのこと、危険は倍増する。
そのような危険を冒してまで、遣唐使を派遣する意味があるのだろうか。
そのことを、船頭さん、都の人たちに告げてくださいなと、この歌を詠んでいるわけです。

実際、小野篁が乗船を拒否した第19回遣唐使のあと、寛平6年(894)まで、なんと56年間も、遣唐使は派遣されませんでした。
それまでは、およそ5〜10年サイクルで頻繁に遣唐使が派遣され続けていたことを考えれば、この56年という期間は、異常に長い経過期間です。
そして寛平6年(894)のこの年、ついに遣唐使は、菅原道真の献言によって廃止が決定されたのです。

遣唐使の廃止は、もちろん菅原道真公の尽力と決断の賜物ではありますが、小野篁の、まさに政治生命をかけた乗船拒否と、その想いを綴ったこの歌が、歴史を動かし、道真公を動かして国策としての遣唐使廃止を決断させたといえます。
そして遣唐使が廃止され、以後わたしたちの国は明治の開闢(かいびゃく)まで、なんと974年間、つまり約千年の長きにわたって、公的な貿易関係が廃止され鎖国が続けられました。

鎖国というと、徳川幕府の鎖国といったイメージが先行しているかと思いますが、幕府などの政権や民間における交易は、時代を越えてずっと続いています。
しかし、わたしたちの国の頂点におわすのは、天皇です。
そして天皇による皇室外交(これこそが国家としての公的外交ですが)は、明治天皇の御代になるまで、約千年廃止されてきたのです。

遣唐使の廃止にあたって、菅原道真公が献言した廃止の理由は4つあります。
1 Chinaでは内乱が続いている。
2 遭難が多く、国家有意(うい)の人材を失う。
3 日本と唐の文化ギャップはすでになく、もはや唐にまなぶべきものはない。
4 いつの間にか、我が国使節が朝貢のように扱われており、国の辱(はずかしめ)である。

2の「遭難が多く、国家有意(うい)の人材を失う」、つまり危険を冒してまで旅をして、現実に国家有意の人材を失っているという現実が前にあり、その一方では、すでに学ぶべきものなど何もなくなった唐の国がある。
それでどうして、危険を冒してまで、唐に渡る必要があるのですか?と、「人には告げよ海人の釣船」と歌ったのが、実は、この歌の意味なのです。

そしてこの歌は、現実に半世紀を経て、遣唐使の廃止という、時代を変えるエネルギーとなりました。
たった一種の歌が、人々を動かし、時代を変える原動力となる。
小野篁の歌が、10番にあるのも、まさに、とうなづけようかと思います。


========
12番歌 僧正遍昭
 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ
 乙女の姿しばしとどめむ


 あまつかぜ
 くものかよひぢ
 ふきとぢよ
 をとめのすがた
 しばしとどめむ
========

さて、9番歌の小野小町は、歌に書かれた言葉とはまるで正反対のことを、詠んだ歌でした。
そして10番歌の蝉丸は、会者定離という出会いと別れ、そして天皇の御代によって、誰もが人としてたいせつに扱われる社会への喜びを歌ったものでした。
そして11番歌の小野篁は、その素晴らしい日本社会を護るために政治を変えた名歌でした。

では12番目は、とみると、ざっと通釈したら、「天を吹く風よ、雲間の通り道を閉ざしてくれ。乙女たちの舞姿をしばらくとどめておきたいのだ」となります。

この歌は、「古今集」の詞書には「五節(ごせち)の舞姫を見て詠める」と書かれています。
「五節(ごせち)」というのは、陰暦の11月中旬に行われる新嘗祭(にいなめさい)の翌日に、「豊明節会(とよのあかりのせちえ)」という宴(うたげ)があり、その後に公家などの家から選ばれた未婚の美しい娘さんたち5人が、舞を奉納する舞楽のこです。

歌を詠んだ遍昭(へんじょう)という人は、桓武天皇の孫にあたる人で、若い頃は深町の少将と呼ばれ、小野小町との恋物語などを残した色男です。
後年出家して天台宗の高僧である僧正となり、74歳で没しています。

この遍昭について、紀貫之は「歌のさまは得たれどもまことすくなし」と書いていて、これはつまり「歌の体裁は良いけれど、真情にとぼしい」という意味ですから、ちょっと厳しい評をしています。

ところがその真情に乏しいと酷評された遍昭の歌が、ここでは名歌として小倉百人一首の12番歌になっているわけです。
ということは、やはりこの歌には、表面上に見えるもの以上の深い意味があるに違いない、とこのように考えるわけです。

そもそも歌は、冒頭にも申し上げましたように、本当に伝えたいことをあえて書かずに、上の句と下の句で、その作者の言いたかったことを伝える、そして聞き手はそれをいわば推理する、という知的生産物です。

歌をざっとみれば、五節(ごせち)のイベントで、優雅に舞う5人の乙女たちの姿を見た僧正遍昭が、そのあまりの美しさを讃えながら、その舞う姿を是非とも眼に焼き付けたいから、しばしの間、「天を吹く風よ、雲間の風の通り道を閉ざして、舞をゆっくりと見させておくれ」と歌っているようです。
では、僧正遍昭が、本当に伝えたかった想いとは、いったい何だったのでしょうか。

手がかりになるのは、前にある参議篁(さんぎたかむら)の歌です。
篁の歌によって、その半世紀後に遣唐使は廃止になりました。
この僧正遍昭は、その廃止になった時代の、政治的にもたいへんに大きな影響力を持った大僧正です。

そしてこの歌を「遣唐使の廃止」という歴史上の大事件と並べてみると、ちょっと面白いことがわかります。

乙女たちの舞う姿は、平和でみやびな国風をイメージさせます。
そして僧正は、天つ風、雲の通ひ路に、「吹きとぢよ」と言っているわけです。
「閉じよ」とは命令形です。非常につよい言葉です。

では、「天つ風、雲の通ひ路」は何を意味しているのでしょうか。
実は、「天つ風」は、天の声、「雲の通い道」とは、そこへ行く路(道)を意味します。
そして「吹き閉じよ」というのは、その道を封鎖せよ、つまりこれは遣唐使の廃止そのものを言っていると拝します。

一方下の句の「乙女の姿」は、平和を愛しみやびな気風を大切にする、わたしたちの国の国風です。
そしてその国の民であり、国民であり、民衆です。
その民衆の平和な姿をとどめるために、遣唐使の道を閉じよ、それが実はこの僧正遍昭の歌の真意となります。

遣唐使は、もちろん唐の国に優秀な子女を留学させ、唐の国の文化を学ぶ旅でもあります。
が同時に、遣唐使は、往来に成功すれば、たいへんに経済的にも儲かる交易でした。

少し時代がくだりますが、宝徳年間(1499~1452)に明に渡った商人・楠葉西忍の記録によれば、明で250文で買った絹糸が、日本に持って来ると5貫文(5000文)の値で売れ、反対に日本で10貫文で仕入れた銅が、明で40〜50貫文で売れたとあります。
さらに、刀剣類や漆器などは、やはり2〜30倍の値段で売れたのだそうです。

このことをざっと計算してみると、日本で100万円分の商品を仕入れて、Chinaと往復すれば、20倍×20倍で、400倍、つまり100万円の元手が、なんと4億円に化けるというくらいの話になります。
貿易は、それだけボロ儲けできたのです。

当然のことですが、いかに危険がつきまとおうと、大儲けする者は出てきます。
いつの時代においても、富というのは、一定のパイの奪い合いです。
ですから、誰かが大儲けすれば、誰かがその分、損をする。
そして極端に大儲けする人がいるということは、他の多くの民の生活が困窮し、貧富の差が極端に開いて行くわけです。

貧富の差が開けば、いま、目の前で優雅に踊っている乙女たちも、どこかに売られていかなければならないような事態になってしまうかもしれない。

加えて、Chinaというのは、実になんでも食べる国です。
世界中、どこの国でも、食べてはいけないもの、つまり禁忌とされているものがあるのですが、Chinaではクマの手やサルの脳みそだけでなく、人間の肉までも、普通の食べものです。
Chinaからやってくるのは、高い文化や教典といった、文明文化の香り高いものばかりではありません。
そういう高尚なものにくっついて、きわめて野蛮な人たちまでも、一緒くたになって入り込んで来るわけです。

日本は、民度が高く、犯罪の少ない国です。
けれど、そういう国の、そういう人たちが、交易の名のもとに日本にはいりこんでくる。
わたしたちの常識では想像もできないほどの悪意を、日常的な通常行為にしか思わない人たちが、現実に日本にはいり込んでくるわけです。
そしてそのことは、「乙女たちが安心して舞を舞っていれる平和な社会」を破壊してしまいかねないものです。

こうした事実から、皇孫であり、政治に強い影響力を持つ天台の大僧正である遍照(へんじょう)は、目の前で「五節の舞」を舞う乙女たちの、その平和で牧歌的な日本を護るために、「天つ風、雲の通ひ路、吹き閉じよ」、つまり「唐の国との国交を絶ちましょう」と詠んだ、それがこの12番の歌です。

時代はずっとくだりますが、江戸の享保年間といえば、徳川将軍吉宗の時代です。
いまの私たちにとっては、「暴れん坊将軍」のテレビドラマでお馴染みの時代です。
テレビのドラマでは、次から次へと悪人たちが現れて、これを番組の最後で、将軍吉宗が「世の顔、見忘れたか。成敗!」といって、やっつける、という筋書きで、なんだかまるで悪党の巣窟のような時代にされています。

けれど現実にはどうだったかというと、享保年間というのは20年続くのですが、その20年間に、江戸の小伝馬町の牢屋に収監された囚人の数は、ゼロです。だれもいなかった。
これは、お役人がさぼっていたというわけではなくて、ほんとうに犯罪を起こす人自体がいなかったのです。

わたしなどが子供の頃、昭和30年代ですが、どこの家でも、家の玄関に鍵をかけるなんて家は、ほとんどありませんでした。
みんな開けっ放しです。
夏などは、玄関どころか、通りに面した窓も、暑いから開けっ放しで寝たものだし、どこか遠くに家族で泊まりがけの旅行に行くなどという場合でも、家は開けっ放しです。
それでも、泥棒なんて入らなかったし、そんな泥棒にはいるような人がいるということ自体が、あり得ないことでした。

ところが明治以降、日本が国を開き、日本に近隣国の人たちがはいってくるようになると、途端に様子が変わりました。
窃盗、強盗、強姦、殺人は、いまではあたりまえのように、日常的に報道されていますし、それだけでなく、福岡一家斬殺事件のような凄惨な殺人も起こるし、政治的意図的な謀略としての殺人や事件なども、毎日のように起きています。

それでもつい先頃までは、日本は、若い女性が夜道を一人歩きできる唯一の文明国だったわけですが、さらにもっと治安のよい国、安心して暮らせる国を築くために、わたしたちにはいま、何が必要かを、個人の欲得や金儲けよりも、もっとずっと大切なものとして考えて行かなければならないときにきているように思います。

 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ
 乙女の姿しばしとどめむ

そういう社会をいまと、そして次世代のためにしっかりと作って行く知恵と努力が、いまを生きる私たちに必要だといえるのではないでしょうか。

さて、11番の議篁(さんぎたかむら)と、12番の僧正遍昭と、遣唐使に絡んだやや政治的な歌が続きました。
いっけんみやびなこの二つの歌を、政治としてとらえるのは、いかがなものかと思われる方もおいでになるかもしれません。

けれど、遣唐使にいくことを拒否して島流しになった小野篁(おののたかむら)が、あえて参議篁(さんぎたかむら)と、役名で名を書き、「船旅なんて所詮は釣りに行くようなものさ」と詠んだ歌に、政治的なメッセージが込められていないと考える方が、むしろ異常です。

また僧正といえば、江戸初期の天海僧正が有名ですが、古来、天台の高僧の中の高僧として、政治的に強い影響力を持った遍昭僧正(へんじょうそうじょう)が、ただ「乙女の姿がかわいらしいね」と目尻を下げただけというなら、この歌が名歌になった理由になりません。
しかも紀貫之は、遍昭の歌は「テクニックに走り、真情に乏しい」と、批判しているわけです。

真情に乏しいというのは、ひとつにはまごころが足りないという意味ですが、もうひとつは、歌があまりに政治的にすぎるという意味でもあります。

であれば、遍昭の歌が、単に「乙女の姿」だけを詠んだわけではないということは明らかで、そこにはもうひとつ突っ込んだ、深い意味があると考えるのが、むしろ普通なのではないかと思います。


小倉百人一首は、3番歌の人麻呂から9番歌まで、歌のもつ様々な可能性を示す歌が並びました。
そして今回ご紹介した10番歌から11番、12番は、やや政治的なメッセージが込められた歌になっていました。
なんとなく重たい歌が続いてしまったわけですが、この次の13番歌からは、こんどは打って変わって、そうした遣唐使の廃止と、鎖国によって育まれたみやびな国風文化の素晴らしさを謳歌する、やわらかい歌が続きます。

その第一番の歌が、13番、陽成天皇(ようぜいてんのう)の御製です。

 筑波嶺の峰より落つるみなの川
 恋ぞ積もりて淵となりぬる

陛下御自らが詠まれたこの御製は、いったいどのような意味を持った歌なのでしょうか。
次回を乞うご期待!!


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コメント

鳥子

No title
ただ字面を追うだけでも美しい百人一首が
ねずさんの解説のおかげで、さらにさらに価値のある
奥深いものであると理解でき始めたように思います。

日本の歌は、ただ伝統であるというだけでなく
こんなにもすばらしいものだったのですね。

本当にありがとうございます。
最後までお教えいただきたく、
そして、ぜひ書籍としてまとめてくださいますよう
心からお願い申し上げます。

-

No title
百人一首の解説、これからも楽しみにしております。
いつも楽しく拝見しておりますが、特にこのシリーズが大好きです。

何卒、よろしくお願い致します。

愛信

従軍慰安婦 ~彼女たちの叫びが聞こえますか
従軍慰安婦 ~彼女たちの叫びが聞こえますか
http://youtu.be/KZ2d1bqycmw
(動画、日本語版、英語版、朝鮮語版あり)

【動画ニュース掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj6.cgi
【動画ニュース最新版タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

魔除けに牛島辰熊

‥こりゃまた毎度の事ながら目から鱗な解読ぶりに驚嘆しました(°0°)!
「ふきとぢよ」と遣唐使廃止を絡めるなんて発想だにせんかった・・(οдО;) 
そもそも和歌をそこまで深く、時代背景まで捉えて考えるなんてしてこなかった。
もっともこちとら深く考えたところで、なぁ~んにも読み解けん自信だけはありますが(キリッ)

記事の書き手からも読み手からも「あ~あ、東アジアの三馬鹿国と断交すりゃ日本はもっとイイ国になるのに・・」
という声が聞こえてきそうですが、
ふとコメ欄に貼ってある“亡国の東アジア共同体”というリンク先に気付き、
入ってみたら「大アジア主義の幻想やめれ」みたいな主張がされてたので、
「そーなんだよなぁ。勝海舟や頭山満の時代ならアジアが白人列強に喰われてたから
『アジア諸民族が団結してアジアから白人列強を追っ払え!』って意見は至極真っ当だけど、
今はもう追っ払ったんだから大アジア主義なんて必要ないよなぁ・・」と思いました。
そもそも大アジア主義推進の親玉だった頭山さんからして
「大アジア主義? あ~ありゃアジアから白人勢力を追っ払うまでの話であって、追っ払ってしまえばもう用は無かばいww」ってな事言ってたし、
とっくに目的果たした今さら大アジア主義ならぬ東アジア共同体なんて必要無いどころか百害あって一利無し!! 
中国と国交無かった時でも日本はイケイケの高度成長全盛期だったし、南北朝鮮に至っては害「のみ」である事言うまでも無し。 
非特ア共同体なら反対しませんがねぇ~(笑) 
    
次回は陽成天皇の御製ですか・・これ以上目から鱗が落ちたら大変だこりゃ(*с*)ξ
スペアの鱗買っとかないと(^o^;

ポッポ

No title
逢坂の関付近で、旧東海道を少しだけ歩いたことがあります。
国道1号線の近くの道で、現在の道路幅は6メートル位ですけれど、両側には古い家が建ち並び、往時を偲ばせる雰囲気があります。



12日の衆院予算委員会で、安倍首相は憲法解釈に関し、「政府の最高責任者は私だ。政府の答弁について私が責任を持ち、その上で選挙で審判を受ける」と答弁したことに対し、13日の自民党総務会で批判が続出したとのことですが、与党が文句を言ってどうするのでしょうか?

民主党政権時には、内閣法制局長官の法律解釈を否定するために、長官に出席させなかったのです。それだけではなく、事務次官会議を廃止することで他省庁の情報が入らないようにした他、民主党の職員を官庁に大量に放り込んでいますから、それぞれの官庁は機能不全に陥ったのではなかったでしょうか。(この連中は、採用試験なしで公務員になったのです。)
さらに、国会で審議され、事務執行されている事業も事業仕分けで訳の分からないことになりました。
挙げ句の果ては、日韓条約で処理済みの両国の財産権に関することですが、朝鮮王朝儀軌等の書物1,200点を日韓図書引き渡し協定を策定して韓国に引き渡したのです。このとき、韓国にある日本の対馬宗家文書の返還には言及せず、仙谷氏はコピーできるから良しとするなどと、言っていました。民主党は国際条約に関わることをマニフェストにも触れることもなく、改悪したのです。
これは、韓国が日本に対する国際常識外の要求を飲ませた、ひとつです。

これらのことに較べたら、首相が責任を持っておこなうと話されていることは、そんなに無茶なことではないように思います。

ひろし

ねずさん、今日の百人一首の解説も吸い込まれる様に読みました。 是非、本として出版される事を期待します。

にっぽんじん

良心を売るアメリカ
アメリカのニュージャージー州で、日本海を東海単独表記にするという法案が出されたようです。国名や地名は、世界共通の表記であって、一部の要望で勝手に変更することは許されません。

理由は日帝の占領によって強制的に東海から日本海にされたという韓国の「虚言」です。アメリカはもっと知性のある国かと思っていたがそうでもなさそうです。一票の為には悪魔にも魂を売り渡します。

放置すればアメリカ全土に広まります。ニューヨーク総領事館と外務省に下記の事実でもってアメリカ政府に抗議していただくように依頼しました。多くの日本人が抗議すれば効果があると思います。

勝手に地名を変更できるのであれば、ニュージャージ州はニューコリア州に変更しましょう。

アメリカの史実
米国議会図書館の1300年から1900年までの期間の所蔵地図帳を日本の外務省が調査した結果、同図書館所蔵地図帳で日本海海域を示していた地図は、

総計1728枚あり、その中の1435枚が同海域に何らかの呼称をつけていた。その地図の77.4%の1110枚が「日本海」と表記しているのである。

また、その中の188枚(13.1%)が「朝鮮海」、22枚(1.5%)が「中国海」、20枚(1.4%)が「東洋海」、そして「東海」と表記された地図はわずか2枚(0.1)にすぎなかったのです。

古希のネトウヨ

No title
千年を経て、我が国を取り巻く東アジアの情勢が、何も変わっていないことに気が付きます。
そこに、近年はアメリカという変数もあり複雑です。
日本人の海外留学が減っているということを問題視する論者もいますが、海外に学ぶことがなければ敢えて留学する必要はないと思います。
遣唐使廃止以後、国風文化が盛んになったという、次回以降の解説が楽しみです。
百人一首の最初の二首は、天皇皇后の労働歌であると教えてもらいました。
そのことを裏付けるように、皇后陛下が養蚕をされる様子を映像にして政府のインターネットテレビで配信するというニュースを今朝聞きました。
蚕を飼育し糸を紡ぎ機を織る。これは古来皇后の大事な仕事であったそうで、明治時代に復活したそうです。
生糸を紡ぐ、絹を織る事は日本の大事な産業で、古来女性によって守られてきたのでしょう。
私が小学生のころは、日本の主要な輸出品は何かと問われたら「生糸」と答えておけば○でした。
一説によれば、日本が英国から買った軍艦の代金は生糸で稼いだもだったとか。
日本の女性が買った軍艦に男を乗せたのです。
ちなみに、皇后の養蚕のお仕事には、秋篠宮家の二人の内親王も取り組んでおられるそうです。嬉しいことです。
ソチで、最高点んをマークした男子フィギュアの羽生選手が「日本人として嬉しい」というようなことを言っていた。
よく言った。今夜も日本人の誇りを胸に堂々と演技してほしい。
余談だが、小野篁の故事に、「日本は良い国だ」と言って公職を罷免された田母神閣下を思い出してしまった。
現代の菅原道真 出でよ。

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No title
やっぱり素晴しいわ。ワクワクドキドキ待ち遠しいわ。この百人一首シリーズ感動です。

junn

No title
作家川島擁子Yoko Kawashima Watkinsが下関へ

http://blog.goo.ne.jp/dgpyc081/e/f27e8a3df2e545904e8f881e7a2df611


『竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記』So Far from the Bamboo Grove 1986年(2013/7ハート出版)の著者の作家川島擁子氏Yoko Kawashima Watkinsが2月18日下関に来られることになった。

junn

No title
亡国の「東アジア共同体」

http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/BoukokuNoHigashiAsiaKyoudoutai.html


亡国の東アジア共同体-最新鋭の脱亜論

http://oncon.seesaa.net/article/136392215.html

junn

No title
宮崎正弘の国際ニュース・早読み(カナダ政府、中国移民を制限へ)

http://melma.com/backnumber_45206_5979079/

Nelson

No title
ねずさんの百人一首シリーズは本当にすばらしいです。

恥ずかしながら、このシリーズを知ってから初めて百人一首に興味が出てきました。そしてまた、ほかの和歌をも改めて読みこみたいと思いました。

もしよろしければ和歌についてねずさんのお勧めの本などご教示いただけませんでしょうか?

Mari

小野篁が流されたのは、後鳥羽院と同じく島根県の隠岐の島だと思っていました(^^)

次回も楽しみにしています!
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず

Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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