百人一首(13〜15番歌)



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筑波山
筑波山0215


百人一首の順番は、巷間言われるような、ただ古い順というのではなくて、和歌を理解するために必要な知識が、順を追って解釈していくと、自然と身に付くような構成になっています。
とりわけ百人一首には、天皇の御製が、1、2、13、15、68、77番歌と6首出てきますが、いわばこれが百人一首の「章建て」の節目となっています。

つまり、1番歌の天智天皇、2番歌の持統天皇にはじまる12番までの歌は、いわば「第一章、和歌の技術と可能性」とでも題するもので、それぞれに深い意味をもった歌と、それを読み解く楽しさを楽しく学べる名歌が並んでいます。

次の13番歌と、14番歌は、いわば第二章で、技術や可能性ではなくて、もっと純粋に、和歌そのものをたのしめる、そんな歌になっています。

さて、ではさっそく次の第二章、13番の陽成天皇の御製から観てまいりたいと思います。


==========
13番歌 陽成院
筑波嶺の峰より落つるみなの川
恋ぞ積もりて淵となりぬる


 つくはねの
 みねよりおつる
 みなのかわ
 こひそつもりて
 ふちとなりぬる
==========

この御製の作者は、陽成院(ようぜいいん)となっています。
陽成院というお人はけっこう御長命で、80歳で没した方なのですが、実は、清和天皇の皇子としてお生まれになり、10歳で、第57代陽成天皇に即位されました。
ところがご病気のため、御公務が継続できないからと、17歳で天皇の位を譲位されて、陽成院となられた方です。

勅撰集にある陽成院の御製は、この歌だけです。
要するに、生涯のただ一首が、小倉百人一首に収録されているわけです。
お歌の内容から、この歌は陽成天皇の時代の御作ではなく、陽成院となられてからの御製と拝せられます。
さてその一首は、何を詠んだものなのでしょうか。

「筑波嶺(つくはね)」というのは、茨城県にある筑波山(つくばさん)です。
関東平野からですと、天気の良い日などには、北東の方角にポツンとひとつ、てっぺんのデコボコした山が見えますが、これが筑波山です。

筑波山は、山頂にとんがった頂と、まるい頂きのふたつがあります。
それぞれ男体山と女体山です。
頭が男女の二つで、体がひとつ。
そんなところから、古くから男女交合を象徴した、めでたい山とされました。
筑波山では古くから農閑期の行事として、春と秋に近隣から多数の男女が集まって歌を交わし、舞い、踊り、性交をする習慣があったのだそうです。
これは、豊穣を喜び祝い、来る年の豊穣を祈り、また子を産む産霊(うぶす)という意味がこめられた神事でもあったのだとか。

祭りのあとに、見知らぬ男女が交合におよぶというのは、いまの人たちにとっては多少抵抗感があるかもしれませんが、農業社会で地縁血縁が濃く、村々の移動の少ない社会においては、近親婚による奇形を避けるためには、むしろこうした習慣が、よりよい子を得るために必要な行事でもあったわけです。
これはある意味、とても理に叶ったものであったといえます。
もちろん、男女が互いに納得のうえで交わるものです。

続く、「峰より落つるみなの川」は、漢字で書くと、「峰より落つる男女の川」です。ここでも男女が出てきます。
「みなの川」は、「水無乃川」とも書きます。
これは筑波山の男体山、女体山の峰から流れ出る川です。
麓に流れて桜川に合流し、筑波山のふもとの農地にきれいな水を供給して、平野部に多くの稔り(みのり)を与えるありがたい川で、さいごは霞ヶ浦に流れ込みます。
つまりここでも、男女の交合による「稔り」が象徴されているわけです。

そして下の句は、「恋ぞつもりて」と続きます。
これは、「恋心がつのって」という意味と、「たくさんの男女のそれぞれの恋がつもって」という2つの意味に掛けられているようにもみえます。
そして上の句の「峰より落つるみなの川」に続くことで、はじめは細かった川の流れが、やがて太くて大きな川の流れになるというイメージにも、掛けられているように見受けられます。

そして最後の「淵となりぬる」は、「淵」が、流れがたまって深くなっている場所をいいますから、恋心がつのる気持ちと、たくさんの愛の結晶をイメージしています。

歌を通解すると、
「男女の愛を寿ぐ筑波山の峰から、流れ落ちる男女川(みなのがわ)が、はじめの細々とした流れでも、次第に大きな川となり、人々に恵みを与える深い淵となるなあ」となります。
けれど問題は、歌の最後にある「淵となりぬる」の、「ぬる」です。
「ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形で、これは思い詰めたような強い感覚をあらわしています。

この歌が掲載された後撰集の詞書には、「釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかわしける」とあります。
「釣殿の皇女」というのは、光孝天皇の娘の綏子(すいし)内親王のことで、この方は後に陽成院のお后となられています。
つまり、陽成院の恋は、ちゃんと実ったわけです。

ということは、この歌の解釈は、なるほど下の句で「恋ぞつもりて」とありますが、これは「たくさんの男女のそれぞれの恋がつもって」という意味ではなくて、詞書に「釣殿の皇女につかわしける」とありますから、むしろ素直に「私の恋心がつのって」と解釈したほうが、詠み人の心に叶います。

つまりこの歌は、病のため、若くして天皇を引退して上皇となられた陽成院が、恋心を寄せる綏子内親王に、その想いを歌に託して届けられたものです。

そうするとこの歌は、
「男女の愛を象徴している筑波山、その筑波山の頂きから流れ落る男女川(みなのがわ)も、はじめは細い流れであったかもしれないけれど、次第に水かさを増して深い淵をつくるように、私の貴女を愛する恋心は、ますます深くなっています」と、素直に、ストレートに解釈すれば良いということになります。

百人一首は、天智天皇の一番歌から、僧正遍昭の十二番歌まで、和歌のテクニカルな技巧や、高度な技術性や、その深みを学ぶ歌となっていました。
ここまでが第一章で、この陽成院の十三番歌と、次にご紹介する十四番歌の二つは第二章として、もっと気楽にというか、技巧的でなく、ストレートに気持ちや思いを伝える歌、すなわち、歌そのものの楽しさを伝える代表的歌として紹介されているわけです。

それにしても、積もる恋心を、相手の女性に「筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる」と、山や川、そして淵にたとえて詠むなんて、なんだかすごくロマンチックです。

それと、もうひとつ大切なポイントとして、この歌を詠んだのは、元天皇で、いまは引退して上皇となられている陽成院という立派な御身分の御方です。しかも独身です。
しかもこの御歌をみれば、相当な教養人であったことがわかります。
家柄良し、身分良し、収入多し、しかも教養があって、独身です。

ある意味、それだけの身分の男性なら、よその国なら、欲しいと思った女性は権力にモノをいわせて、いくらでも強引に自分のものにできたことでしょう。

ところがわたしたちの国では、古代の昔から、たとえどのように高い御身分の方であれ、どれだけ実権を持っている人であても、女性に対して、素直に想いをぶつけ、そして相手の女性が承諾してくれなければ、勝手に自分の女性にしたりすることはできないという社会であったことを、この歌は見事に象徴しています。

筑波山は、なるほど頂上は男体山と女体山にわかれています。
写真をみたらわかりますが、筑波山は、まるで男女が同衾して、ふたりが頭だけを布団から出しているかのような姿をしています。
そして、筑波山は、はるか昔から、男女の交合と、子孫繁栄を願う山でもありました。

ですから、陽成院のこの歌は、単につのる恋心を謳い上げたというだけでなく、筑波山と主張することで、もう一歩踏み込んで綏子(すいし)内親王に、「私の妻となり、私の子を産んで下さい」というダイレクトメッセージとなっています。
まさにプロポーズの歌です。

そして、このストレートすぎるほどストレートなラブレターを、綏子内親王は、真っ直ぐに受け止められ、お二人は結ばれ、綏子内親王は、陽成院の妻になられています。

まさに「実る恋」を象徴した御製であると思います。
そう思って、この歌をもういちど眺めると、なんだかとってもあたたかくて、おおらかな感じがしてきます。


=========
十四番歌 河原左大臣(かわらのさだいじん)

陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに
乱れそめにしわれならなくに


 みちのくの
 しのふもちすり
 たれゆゑに
 みたれそめにし
 われならなくに
=========

陽成院の歌が、「叶う恋」であり、結婚の成立したおめでたい恋の歌なら、この河原左大臣の歌は、「しのぶ恋」、叶わぬ恋、秘めた恋心がテーマの歌です。

歌を詠んだ河原左大臣というのは、嵯峨天皇の皇子(みこ)の、源融(みなもとのとおる)です。
古来、我が国では、すべての国民に姓があります。
けれど、天皇にだけは姓がありません。
その天皇の皇子の融(とおる)が、臣籍降下して、「源(みなもと)」の姓を賜ったことで、お名前が「源融(みなもとのとおる)」となりました。

その源融が、京の都の六条河原にお住いだったことから、通称が河原左大臣(かわらのさだいじん)です。
ちなみに、この河原左大臣の別邸が、いまの平等院です。

さて、歌です。

まず「陸奥」というのは、いまの東北地方です。
「しのぶもぢずり」は、その東北地方のなかの、福島市あたりのことを、昔は信夫(しのぶ)地方と呼ばれ、その信夫地方の特産品が、乱れ模様に染めあげた「信夫摺り(しのぶずり)」と呼ばれる染め物だったのです。
その見事な「乱れ模様」に、「忍ぶ想い」を掛けています。

「誰ゆえに」は、単純に「誰のせいで?」という意味です。

そして下の句は、「乱れそめにし われならなくに」です。
「乱れそめにし」の「そめ」は、信夫摺りの染め物の「染め」と、はじめてのという意味の「初め」の二つの意味に掛けられています。
「われならなくに」は、「私のせいでは無く、あなたのせいですよ」といった意味になります。

ですので、通解すれば、
「陸奥の国の信夫摺り染め物の模様のように、私の心が乱れ初めたのは、私のせいでは無く、あなたのせいですよ」です。

「信夫(しのぶ)摺り」の染め物の乱れ模様のように千々に乱れる恋心。
それはあなたのせいだ、というのです。

実はこの歌には、元歌があって、それが在原業平(ありわらのなりひら)の
 春日野の 若紫の 摺り衣
 しのぶの乱れ 限り知られず

です。業平(なりひら)のこの歌は「伊勢物語」の最初の段に出てくる歌です。
元服直後の若い男性が、奈良の春日で偶然に出会った若くて美しい姉妹に、思わず着ていた信夫摺りの狩衣(かりぎぬ)の裾を切り、そこにこの歌をとっさに書いて贈ったというのです。

この業平の物語の恋も、実らぬ恋がテーマです。
このように実らないとわかっていながら、つのる思いが、「しのぶ恋」です。

世の中には、陽成院のように、明るくさわやかに、しかも直球勝負で見事に結ばれる恋もあれば、つのる想いを誰にも打ち明けられず、結ばれぬ恋もたくさんあります。
天皇の皇子であり、役職は左大臣という、高い身分にあっても実らぬ恋、しのぶ恋というのですから、やはりここでも、権力にものをいわせて、女性を我が物にするような非道とは、全然異なる世界が象徴されています。

この歌を詠んだ源融は、源氏物語の光源氏のモデルのひとりとも言われる人です。
ですから、いま風にいえば「モテ系男子」です。
家柄もよく、教養もあり、身分も高く、財力もあり、顔良し、頭良しです。

しかも河原左大臣、源融は、「源(みなもと)」姓に明らかな通り、嵯峨源氏の初代となられた方です。
そして源融の子孫が、後に武家となり、渡辺氏、滝口氏、瀬戸内村上水軍や、松浦氏、蒲池氏となっています。
もしこの文をお読みの方で、それらの苗字をお持ちの方がおいでなら、まさに1100年前の9世紀に生き、しのぶ恋を歌ったこの河原左大臣源融につながるお血筋なのかもしれません。

つまり、何をいいたいかというと、女性から見たら、おそらくこれ以上はないという良縁であり、しかも一夫一婦制ではなかった時代であり、養う財力があれば、ある程度複数の女性を妻にできた時代にあり、それだけの財力、資力、権力があって、しかもこの上ない家柄で、最高のDNAを持った男性であっても、「しのぶ恋」、「実らぬ恋」に身を焦がした、ということです。

しかもこの源融、のちには、侍従、右衛門督、大納言などを歴任しています。まさに超のつく大物です。
なんでも手に入れることができそうな大物さんです。
それでも、しのぶ恋に心乱れることがある。

前の段にも書きましたが、それだけの権力者であっても、思いを遂げられないということは、古来日本では、女性の気持ちがとても大切にされてきたということですし、それは、女性が「人として」たいせつにされてきたということでもあります。

男女の仲というのは、不思議なものです。
晴れて実る恋もあれば、道ならぬ恋に心が乱れることもあります。
そして不思議なことに、そうした道ならぬ恋、不実な恋、しのぶ恋の方が、心を強く乱したりします。

13番の陽成院の御製と、14番の河原左大臣の歌は、いわば対になっていて、恋の明と恋の暗を歌っています。
この百人一首の解説を書きはじめたとき、昨今の百人一首解説本の多くが、「歌の順番は、単に古いものから順番に並べたもので、なかには順番が前後しているものもあるから、歌の順には何の意味もない」と解説していることをご紹介させていただきました。

けれど、この13番の陽成院の御製と、14番の河原左大臣の歌を見ただけでも、意図的に対をなす歌を配置したりと、選者の藤原定家が、歌を学ぶのに、ほんとうにわかりやすいようにと、意図的に歌をならべたものであることが、明白にわかろうかと思います。

ちなみに、たいへんおもしろいことに、13番の陽成院の御製は古来、未婚の男女に人気があり、14番の河原左大臣の歌は、大人たちに人気があるのだそうです。
これもまた、おもしろいところです。


========
十五番歌 光孝天皇

君がため春の野に出でて若菜摘む
わが衣手に雪は降りつつ


 きみかため
 はるののにいてて
 わかなつむ
 わかころもてに
 ゆきはふりつつ
========

百人一首は、順番に読み解くことで、和歌のもつ素晴らしさや、和歌の読み方が理解でき、しかも国を愛する心が自然と熟成されて行くという仕組みになっています。
そして、順番の中に天皇の御製が登場するところが、いわば章立ての境目にあたるところであるということを、前に申し上げました。

そして一番歌から十二番歌までが第一章で「歌の読み方」、第二章の陽成天皇と河原左大臣の二首は、わかりやすい、いわば単刀直入な、恋の明暗の歌でした。
そしてこの十五番歌からが、次の第三章のはじまりです。

この光孝天皇の御製は、いっけん「貴女のために、まだ雪の残る春の野に出て、我が衣手を雪に濡らしつつ若菜を摘んでいますよ」といった、恋歌のようにもみえます。
そのように解説している本も、数多くみかけます。

ところがそういう単刀直入な恋の歌は第二章の歌であって、この十五番歌からは第三章にはいっているわけです。
そしてこの第三章からは、第一章で学んだ「上の句と下の句で、詠み手が本当に言いたかったことを読み解く」という本来の歌の読み方の、いわば実践編になります。
ですから、そうそう単純な歌ではなく、その意味で、この歌はしっかり読み解いていかなければわからない御製となっています。

さて、この光孝天皇の御製ですが、この歌は古今集の詞書には「仁和(にんな)の帝(みかど)、皇子(みこ)におはしましけるとき、人に若菜たまひける御歌」と書かれています。
つまり光孝天皇が天皇の位に就かれてからの御製ではなくて、まだ時康親王(ときやすしんのう)と呼ばれていた頃の歌だというのです。

ところが百人一首では、この歌を光孝天皇の御製として紹介しています。
百人一首では、中納言家持とか、参議篁(たかむら)とか、あるいは陽成院とか、河原左大臣とか、実名ではなく、役名やあだ名で、詠み手の名を付しているときには、そこに歌を詠み説く鍵が隠されているということを、わたしたちは学びました。
ということは、この十五番歌も、本当ならば「時康親王」と書かなければならないところを、あえて、後の位である光孝天皇(こうこうてんのう)のお名前にしているわけですから、そこに歌を読み解く鍵が隠されているわけです。

では、この歌の真意は、いったいどこにあるのでしょうか。

まず、冒頭の「君がため」が気になります。
ここでいう「君(きみ)」とはいったい誰なのでしょうか。

「君(きみ)」というのは、いまでこそ二人称の「you」と同じような意味に用いられる語ですが、当時は「君」といえば、目上の人です。

「きみ」というのは、「き」が「翁(おきな)」の「き」、「み」が「嫗(おみな)」の「み」です。
つまり「きみ」は、男と女を意味します。
そして男と女のはじまりは、イザナキ、イザナミの二神です。

そしてわたしたちの国は、国土も神々も、そしてわたしたちの国の最高神であられるアマテラス様も、この二神から産まれ、そしてそのアマテラス様からの直系の御子孫が天皇です。
ですから「君」は、男女であるとともに、この世には男と女しかないわけですから、世のすべての人々であり、直系のお血筋としての天皇の意味にも掛けられます。

その代表的例が「君が代」です。
ですから君が代は江戸時代までは、結婚式などで歌われる男女の祝いの賀歌の代表歌とされてきましたし、明治以降は国歌として、天皇を意味する歌となっています。

さて、光孝天皇の御製の「君がため」は、誰なのでしょうか。
古今集の詞書には、「人に若菜たまひける」としか書いてありません。
その「人」が、男なのか女なのか、はたまた友人なのか同僚なのか、目上の人なのか民衆なのか、それさえもわかりません。

次に、「春の野に出でて若菜摘む」です。
摘んでいるのは「若菜」です。
「若菜」というくらいですから、それは特定の植物の名前ではなくて、春に、雪の下から芽生えてきた、どういう草かはわからないけれど、若い葉であるようです。

ただ、「春の若菜」にはもうひとつの意味があって、春の七草としてお正月にこれを食べると「邪気がはらわれる」とされていたのだそうです。
では、「邪気がはらわれる」という意味で、「春の若菜」と述べたのでしょうか。

下の句は、「我が衣手に雪は降りつつ」です。
このくだりは、天智天皇の一番歌にある「わが衣手は露にぬれつつ」によく似ています。

天智天皇の御製は、粗末な庵の中で、朝露の出る時刻から、夜露に濡れる刻限まで、天皇ご自身が、粗末なゴザを編んでおられるという、たいへんにありがたい御製でした。
そして親王殿下であった頃の光孝天皇も、冷たい雪の降りしきる中で、「我が衣手を」雪に濡らしながら、若菜を摘んでおられるわけです。

そして百人一首の選者である藤原定家は、この御製を、あえて、親王殿下とせず、光孝天皇の御製として、第三章の筆頭歌として、ここに掲載しているわけです。

ひとついえることは、この歌は、「君がため、春の野、若菜」と穏やかな単語を並べ、これを冷たいであろう「雪」と対比させていることです。
ということは、あたたかさ、やさしさについて、何かを言おうとしているのであろうということがわかります。
そういう目で、この歌をもう一度観てみます。

 君がため春の野に出でて若菜摘む
 わが衣手に雪は降りつつ
        光孝天皇

実は、この歌には、異なる二つの意味があるのです。
はじめに光孝天皇が、まだ親王殿下であられた頃にこの歌を詠まれたとき、そのときにこの歌の意味は、一般の解釈にあるように、相手の方が誰かはわかりませんが、どなたか目上の方のために「まだ小雪の舞う春の野に出て「わが衣手」を雪に濡らしながら若菜を摘みましたよ」という意味の御歌でありました。

けれど、55歳という、当時としては晩年に至って天皇の位にお就きになられた光孝天皇は、あらためてこの歌をもう一度天皇の御製として、世に問われているわけです。
そしてそのときのこの御製は、まったく別な意味を込めた歌となっています。

どういうことかというと、天皇は、この世の最上位におわす方です。
その最上位におわす天皇陛下にとって、それよりも上の「君」は、もはや神々しかありません。
けれども、その天皇が、人の身である誰かのことを「君(きみ)」と呼びかけているわけです。

君が代の「君(きみ)」は天皇を指しますが、民にとっての最上位の目上の人は天皇です。
けれどこの歌は、詠み手が天皇ですから、消去法で、「君=天皇」という解釈は消えます。

そして「君(きみ)」とは、目上の人という意味だけではなくて、男女であり、この世には男と女しかいませんから、そうなると、天皇にとっての「君」は、「この世のすべての人々」という意味になります。

そしてその「この世のすべての人々」のために、天皇が「若菜を摘む」わけです。
けれどその「若菜」は、具体的にどの植物なのかの特定がありません。
つまり、植物を指しているかどうかも、わかりません。
であるとするならば、この場合の「若菜」は、植物ではなく、「若い人」を意味しているのかもしれないと読むことができます。

どういうことかというと、わたしたちの国では、古来、優秀な才能を持った人は、積極的に人材として朝廷の政治に登用されました。
冒頭に申し上げました柿本人麻呂も、身分は賎しい出身です。
けれども、才能がある人、世の中に役に立つ人であれば、家柄や門閥に関係なく、どんどん人を採用したのも、また日本の社会の特徴でもあります。

その意味で、「君がため春の野に出でて若菜摘む」というのは、人々、つまり民衆の幸せのために、野にいでて、積極的に若い人材を登用する、という意味ととることができます。
そしてそれが決して「悪い意味」ではないことには、「君がため」、「春の野」、「若菜」と、やわらかで暖かな意味合の言葉が重ねられていることでもわかります。

ところが下の句になりますと、語調が一変して、「わが衣手に雪は降りつつ」と、冷たい雪であり、衣手が濡れるとは、自らの手を汚す、という、非情な感じになっています。

光孝天皇は、陽成(ようぜい)天皇の後に、関白である藤原基経(もとつね)に擁立されて、55歳という、当時としては平均寿命を10歳もすぎてから天皇に即位されました。
この時代、ある意味、権謀術数が渦巻いた時代です。
そうした中にあって、若くて才能のある人材を、政治のために抜擢すること自体は、決して悪いことではないのだけれど、そういう人材を、権謀術数渦巻く政治の世界に巻き込んでしまう、そのかなしさを、光孝天皇は、自らの責任として「我が衣手に雪は降りつつ」と詠まれたのです。

和歌は、「表面上の意味ではなく、常に真意が別にある」というのが、和歌の持つ特徴です。
もちろん、陽成院や河原左大臣の歌のように、率直に愛を謳い上げた歌も数多く存在しますが、この十五番歌から、ふたたび別な章立てとなると考えるならば、この光孝天皇の御製には、表面上に見える歌意とは別に、大身心のあたたかさと深さを感じさせる名歌となっています。


さて、続く十六番歌と十七番歌は、天才歌人である在原の行平、業平兄弟の歌です。

 立ち別れいなばの山の峰に生ふる
 まつとし聞かば今帰り来む (行平)

 ちはやぶる神代も聞かず竜田川
 からくれなゐに水くくるとは (業平)

さて、この歌には、どんな意味が隠されているのでしょうか。
次回をお楽しみに♪

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コメント

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いつも楽しみにブログ閲覧してます。
もし機会があれば八雲立つ出雲~
の解説お願いします。

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No title
百人一首の解説ありがとうございました!
楽しみにしておりました。

また次も期待しています!!!

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昔の和歌も今の歌も、告白する恋もあれば忍ぶ恋もある、人の心は変わりませんね

古希のネトウヨ

No title
つい最近まであった、夜這い と言う風習では、女性が身籠もると相手の男を指名して結婚した。 その女性の指名は絶対で、中には全く身に覚えのない男性でも、指名されたらおとなしくそれに従って結婚したものだ。日本は古来女性をもの凄く大切にしたのだ。
 日下公人さんが宮脇淳子さんとの対談で、話されていたのを思い出しました。
それと、男が狩りやなんかで留守の間 竪穴式住居にとどまり、火を守るから ヒメ なのだとか。
男がいくら頑張っても、子供を産み育てる事が出来るのは、女です。
その女性を、保育所を作ったり、なんだかんだと社会に引っ張り出して労働力にしようというのは、日本のあるべき姿を破壊することではないでしょうか。
経済のために、女性が子供を預けて働かなければならないなんて事は、おかしなことだ。 その分男の収入を増やす、家族手当を増やす等に傾注すべきではないか。
勿論、倭ナデシコの優秀な能力で社会に貢献していただきたいと言う思いもあるが。
家族の様な国家を作りたいと言いながら、本来の家族を壊していくのは、共産主義者の思うつぼのような気がする。
 常陸風土記によると、筑波山の麓の水辺では、夏の暑い日は、近隣の男女が集まり、酒を飲んだりしながら凉を取ったという記述がある。
そんなのどかな生活を取り戻すことは出来ないものかと思う。

”ちはやぶる・・・”の歌は、この歌の意味を解釈する珍妙な落語を思い出しました。
次回が楽しみです。

mari

No title
「筑波嶺の」「陸奥の」の二首のように目に見えない心象を絵画的な表現で示す手法、大好きです。

光孝天皇の御製はお優しいお人柄が溢れていますね。でも「我が衣手に雪は降りつつ」の冷たさには胸がつまります。ちょうど菅原道真が活躍し失脚する少し前の時代なんですね。ねずさんの解説を面白く拝読しました。

次回も楽しみにしています!

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ポッポ

石原信雄官房副長官が参考人招致
速報です。

衆院予算委員会は19日の理事会で、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」の作成に関わった石原信雄元官房副長官を、20日の集中審議に参考人として招致することを決めました。

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維新は河野氏の参考人招致も要求していたが、自民党が「犯罪関係を除き、元衆院議員を参考人として呼んだ例はない」として拒否したため、山田氏が質疑の中で改めて要求する見通しだ。

.自民党は、河野談話がいかに大きな意味を持つか、判ってはいないようです。これを主張する国民は、今も多いのです。
そして、そのために安倍首相も、苦労されているのではないでしょうか?

それはともあれ、石原信雄元官房副長官の参考人招致、期待して予算委員会を視聴したいと思います。

硫黄島

こんにちは
三島事件で自決なさった森田必勝氏の遺書を思い出しました。

恋は不思議なもので、ときにそれしか目に映らないほど夢中になってしまうと。その恋人は、どういうわけか森田氏が生まれたときから運命のように結ばれていたのであり、そして、ついにその恋人とお別れをしなきゃならないんだと。

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これほどに日本を愛した人がいるとは、というよりも私は・・・

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ねずさん、ありがとうございます。

日本、ありがとうございます。

神々の皆様、そして天皇陛下、私を日本人に生んで下さいまして、本当にありがとうございます。

そう思っていますと、あれほど憎かった共産党の両親にさえ、日本人に生んでくれただけで、もうそれだけで感謝してしまいます。

日本って、本当に凄い国です。

森田氏と同じく、私も日本の虜です。もう他に何も考えられないほど。

大日本帝國万歳!天皇陛下万歳!

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愛国日本!反日撲滅!

知っている事と理解している事
私にはまだ、ねずさんの様に和歌そのものから何かを読み解くという事は適いませんが、十五番歌 光考天皇の御製の解説から、次の様な事が解る様に思います。

光考天皇が、若くて才能のある人材を政治の為に抜擢し、権謀術数が渦巻く政治の世界に巻き込んでしまう事を悲しく思う。私は、これが大東亜戦争に結びつきました。

政治も戦争も、国民の為、国の為です。古今東西、我国以外では、そういう解釈でない場合も在ります。政治は戦時と違い平時なので、政治特有の辛さ等が在るかと思います。それとは逆に戦時は政治と違い緊急時なので、戦時特有の辛さ等が在るかと思います。「辛さ等」という言葉では言い表し難いものが在るのだと思います。

政治は何の為に在るのか、また戦争は何故起こるのか、政治は人の為に在る事は、現代であれば、我国の国民で在らずとも誰もが知っている様に思います。そして悪人も知っている筈です。ただそれを悪用しているという違いが有ります。

戦争は何の為に在るのか、これを知っている人は余り居ない様に私は思います。それ以前に、何の為に在るのか、すら考えず、戦争は在っちゃいけない!と決め付けているかと思います。戦争は何故起こるのか、それは悪い人が起こす、とされているかと思います。現代において考えない人は、こういう固定観念に落ち着きます。これも悪人は理解した上で悪用しているのです。

上に挙げた政治や戦争とは何かとは、皆が知っている事であり、理解している事ではありません。ただ単に、そういうものだと自身の人生において、そういう情報を得て知っているだけです。昨今の一般的に入ってくる情報が大元であり、それらは皆様ご存知の通り、その信憑性は皆無と言っても過言ではないかと思います。

そして政治や戦争とは何かと真剣に深く考えれば、それは全て我々が目指す世界をいずれかへ導く手段に過ぎません。そのいずれかは、絶対的に対照的な善の世と悪の世、その狭間の良い世と悪い世、と分類できるかと思います。善の世と悪の世はハッキリしていて、決まった形です。善の世は悪に対する備えが万全な世界です。悪の世はその逆です。良い世は悪が許容範囲な善寄りの世、悪い世は悪が許容を超えた悪寄りの世です。

つまりは善の世を築かなければ、良い世と悪い世を一定のサイクルで繰り返すだけになります。悪い世の時に善が悪に飲み込まれると悪の世になります。善の世を築くには、良い世の時にこそ悪が芽吹かない様な仕組みを堅持する事です。これ以外に自然の摂理である善悪のサイクルを良~善で維持する方法は私は無いと思います。しかしこれは、逆の悪の世も然りです。恐らく悪意在る者は、これを承知している筈です。

そしてこの良~善の世を善で維持するには、善を維持するには悪が芽吹かない様な仕組みを堅持する必要が在る、と云う事を、知っているだけではなく、理解しておく必要があります。何故ならば、知っているだけでは悪意が放つ(楽・欲)という甘い誘いに乗ってしまうからです。平和下程、つまりは自身に危機感が無い時ほど乗ってしまいやすくなります。

知っているだけで通用したのは、古来より我国の国体が堅持されてきたからであり、だからこそ皆、疑う事無く、真の平和、善の世に向けて尽力できていたのだと私は思います。それが大東亜戦争敗戦で、それらを疑うよう工作され、それに経済成長が相まって(楽・欲)への傾きが加速され、現在に至っている事が見えてきます。

推察するに、天皇人間宣言などというマヤカシを考えたものは、これらを理解した上で、そうしたのではのないかと感じます。

そして何故、この光明天皇の御製から、当時の権謀術数渦巻く政治の世界への若者の抜擢に対する悲しさと、大東亜戦争での若者の神風特攻が結びついたのかと言えば、政治でも、戦争でも、それが何の為に必要なのかを知っているだけではイザと云う時に苦しみ、もしかしたらそれに耐えられないかも知れない。それについて悲しまれて居られたのではないかと感じます。同時に悲しくとも、そうせざるを得ない事を理解されて居られたであろう事とも感じます。つまりは善の世の在り方を理解されて居たからこその、この詞ではないかとも感じます。

それを我々に訴えておられるように感じます。私達は、その御心を裏切らぬ様にする為にも、例え苦しくとも考え、例え辛くとも決断する必要が在るのではないでしょうか。

その為には、何時如何なる時に、その決断を迫られても、すぐさま行動に移せる心構えを養って置く必要が在るのではないでしょうか。

ねずさんブログの過去の記事の、有森さんと武道に関する話のコメント欄でも述べましたが、その心構えとは、私は武道の心得で在るように思います。武術ではなく武道です。武術は武道の心得に、国体を護る為の手段を加え昇華させた形の一つではないでしょうか。武道(武士道)は心得であり、体術を用いる場合、刀術を用いる場合、銃術を用いる場合、その時々により必要に応じ、武道の心得をそれら術に加え昇華させ、国体を護る手段としたもので在ろうと私は思います。

今現在、我国の国体を護ってきた、それら手段は非常に制限されています。これを切り抜けるには、多少強引にでも元に戻すか、それら制限された術を補う手段に加え、新たに武道の心得を加えた術を昇華させ、国体を護る手段とする事ではないでしょうか。

ですが、それを行うには、それを理解しなければ、悪意に利用される事になる側面が在る事も理解しておかねば成りません。インターネットを通じて多くの方が目を覚まし始めておられます。ですが諸外国を見れば解るとおり、良心は悪用され悲しい結果となっています。全ては深く考え、善悪を理解出来ていないからに他ありません。ですが諸外国では我国の様に地盤が出来ていないので、それは仕方の無い事なのです。残念ながら、私はそれが現実だと思います。

ですが我国には先人達が築き上げてきた地盤が在ります。私が我国の事を真剣に考えられるようになったのも、先人を通じて誰かが我国の現状に危機感を抱きインターネットで啓蒙を始めたからです。私がそこに巡り合えたのは偶然ではなく、間違った情報ばかりのネットでも一応は常に考えていたからです。私も、その誰かも、先人達の築き上げてきた地盤がなければ、いくら考えても恐らくは、諸外国の様な惨状を辿っていた筈です。

今、インターネットでの言論は我国の武道を元に、インターネット術へと昇華させる必要が在る筈です。もしかしたら既にそう成っているのかも知れません。インターネットだけでなく、用いられるありとあらゆる全ての手段に武道の心得を加え、国体を護って行く術とする事が肝要ではないでしょうか。

中途半端な偽りの平和を一気に善の世にする事は難しい事ですが、それが可能な事なのだと理解しておけば、何時如何なる時の、ありとあらゆる事象にも対応できる筈です。

昨今の我国が後手後手に回っている要因は、これらが理解されていない為故であるように感じます。念のため、日ノ本の凄さを鑑みれば、私の心配を余所に、ありとあらゆる全ては承知の上での事かも知れません。いずれにせよ、肝に銘じて置くべき事ではないでしょうか。

何時もながら長文で、近頃、似たような話題ばかりの投稿になっていますが、情報伝達技術の発展に伴う明暗を鑑み、我国の国民が共有すべき最たる部分ではないかと感じますので、ご容赦を。一人でも多くの善良に向かえる方の目に留まる事を願います。

terag3

日本人としての誇りを感じました
このたびのお話で、私が以前から「君が代の君は天皇だけを指しているのは無く、国民全体のことを言っているのだ」という持論を図らずも解説で目にして、我が意を得たりと言う心境になりました。

共産主義者は、天皇制を認めない非日本人であり、彼らは日の丸、君が代に反対して学校の一部の教師までもが学校の正式行事で行う国旗掲揚や国歌斉唱に反対して起立を拒否するなど、教師にあるまじき行為を平然と行っています。

ねずさんが、>和歌は表面上の意味では無くて、常に真意が別にあるのが特徴・・・と仰る通り、日本人ならば、やっぱり百人一首や、古事記(神話)などを徹底的に勉強しなければあの、サヨク教師のように無様な出来そこないの非日本人になってしまうのだと今回、思い知りました。

更に、このような古き時代から日本人の民度は、これほどまでに高かったのかと
いう思いと、日本人に生まれて良かったという思いと共に、日本人としての誇りを改めて感じた次第です。解説を、どうも有難うございました。

魔除けに牛島辰熊

筑波の恋歌
>筑波山は昔から男女交際を願う山 

↑たしか風土記に筑波山に関する話があったっけ?と思って調べてみたら、
常陸国風土記に「むかし神祖のミコトが富士山へ行って『今晩泊めてくれ』と言ったら富士の神が『いや、今日は新嘗祭の準備で忙しいから無理です』と断られたが、
筑波山の神は『どうぞどうぞ、今日は新嘗祭でバタバタしてますが歓待致します』と言って神祖を歓迎してくれた。
なので神祖は『ちっ、富士山なんて年中雪積もって寒い思いしてやがれ。誰も登れん様にしてやる。
それに対し、筑波山には年中人々が集い、歌って踊って飲んで食べて山の神を寿ぎ、
桜や紅葉の季節には恋人達が手を取り合って恋歌を掛け合う、そんな賑やかな山にしてやろう』
と思い、それ以降筑波山には常に人が絶えず、一方富士山は年中雪を戴き人が登れない山となった」

みたいなお話が出て来ました。
筑波山で歌垣という雅な風習はその後もずっと続きましたが、いつの間に無くなっちゃったんですかね勿体ない(>_<)
なんでも東南アジアや中国南部の少数部族間では未だ残ってるそうですが、
下心ばかりで歌心の無い自分が行っても振られるのがオチかw( ̄~ ̄)ξ

白もくれん

No title
いつも良いお話をありがとうございます。百人一首は教科書でも児童書でも読みましたが、ちっとも良さがわからないままでした。自分で良さがわからなければ子供に伝えることも出来ません。今回、ねずさんの解説を読み、そういう意味だったのかと思い、本当に感動しました。書籍化されるといいなと思います。
続きを楽しみにしています。

junn

No title
人手不足、賃上げで対応=外国人は効果薄-鹿島社長

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2014021700591

大手建設会社、鹿島の中村満義社長はインタビューに応じ、政府が受け入れ拡大を検討している外国人労働者について、育成に手間がかかる上、増えても規模は限られるとして、建設業界で深刻化している労働者不足の解消に効果が薄いとの見方を示した。中村社長は「賃金が上がれば人は集まる」と強調。雇用主体である下請け業者による賃上げを通じ、日本人の熟練工や若者を中心に労働者の確保を目指す方針だ。
 建設現場で働く外国人について「下請け業者が家族ぐるみで生活を含めて面倒を見る必要があり、その労力は大変」と指摘。これら外国人は現在約1万5000人で、建設労働者全体の1%にも満たないことから、「倍増したところで労働者不足(対策)とはあまりリンクしない」と述べた。
 国土交通省による建設労働者の賃上げ促進策については「鹿島としてもしっかり呼応していく」と明言。下請け業者に対し、賃上げが可能な価格で工事を発注する意向を改めて示した。(2014/02/17-16:09)

junn

No title
靖国神社参拝外国VIP参拝リスト

http://www.tamanegiya.com/yasukunivip.html
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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