百人一首(28番〜30番歌)

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冬霞


和歌は、「日本のあらゆる伝統文化の中心をなすもの」です。
なぜそうなのかといえば、思いやりの心や察する心、感謝の心など、そうした心の文化は、すべて相手の立場に立って、相手の気持ちを察し、考え、行動するものだからです。

日本画にしても、彫刻にしても、陶磁器にしても、あるいは能、浄瑠璃にしても、また講談や落語や浪曲などの話芸にしても、あるいはまた服飾文化にしても、あらゆる日本文化に共通するのは、ウワベを飾り立てることではなくて、相手の心を察し、互いの心をわかりあおうとすることを原点としています。

ウワベだけをコテコテに飾り立てれば、一見、立派そうに見えます。
そうすることで、あたかも立派そうな、大切そうなものに見せかけるという文化は、世界中に多くあります。

たしか司馬遼太郎が何かの小説の西郷隆盛が、「貫禄などというものは、四頭だての馬車に乗せて、市内を何周かまわれば、それだけで出るものでごわす。それだけのものでごわす」と述べていたシーンがありました。
日本一貫禄のある西郷隆盛が、所詮、貫禄なんてものは、それだけのものにすぎないと述べているわけです。
そういうことではなくて、心こそ大事。
それが日本の文化の根幹にあるからこそ、このような台詞が出て来るわけです。

========
28番歌 源宗于朝臣

山里は冬ぞ寂しさまさりける
人目も草もかれぬと思へば


やまさとは
ふゆそさびしさ
まさりける
ひとめもくさも
かれぬとおもへは
=========

この歌を詠んだ源宗于朝臣は、これで「みなもとのむねゆき、あそん」と読みます。
「朝臣(あそん)」は、位をあらわす姓(かばね)で、地位としては上から二番目、皇族以外の臣下としては、最上位の地位にあたるものです。

源宗于(みなもとのむねゆき)は、光孝天皇のお孫さんにあたる方で、寛平6(894)年に源(みなもと)姓を賜与され、皇族から臣籍に降下して「朝臣」となりました。
ひとことでいえば、たいへんに位の高い方です。

小倉百人一首に選ばれたこの28歌は、単純に現代語訳すると、「山里にいて、人も来なくて草も枯れてしまうと思えば、冬の寂しさは一段とこたえるものです」となり、このことから歌の解釈としては、寂しい景色が目に浮かぶ歌です、などと解説している本がたくさんあります。
けれど、山里にいて人が来ないので淋しいと詠んでいて、そのどこがどう名歌のひとつに数えられるものといえるのでしょうか。

この歌について百人一首の選者の藤原定家は、歌人の名前として源宗于という本名と、朝臣という位を併記しました。
そして歌の順番としては藤原定家は、偉大な政治家でありながら、あくまで「神々の思し召しのままに」と詠んだ菅原道真公(24番歌)、世のため人のために尽くす思いを詠んだ三右大臣、お忙しい陛下のために紅葉見物行幸の制度を切り拓いた貞信公、そして、天平文化花咲いた時代を恋しいと詠んだ中納言兼輔という、たいへん立派な方々の歌の次に、この源宗于(みなもとのむねゆき)の歌を配置しています。
それが、単に「冬の景色は寂しい」なのでしょうか?
それしか言ってないのでしょうか?

この源宗于については、大和物語に、その逸話が載っています。
どういう逸話かというと、それがちょっと手厳しい逸話です。

源宗于は、宇多天皇もおいでになる歌会に参加したのですが、その際に、
 沖つ風
 ふけゐの浦に立つ浪の
 なごりにさへや
 われはしづまぬ
と歌を詠みました。
この歌は、単純に現代語訳したら、「沖から吹く風で、吹井の浦に立っている波の名残りで、私は沈んだままになっています」といった意味の歌です。

「吹井の浦」というのは三重県の松坂市にある浜のことで、要するにこの歌は、和歌の深みもなにもなくて、宇多天皇の前で、「私は伊勢に、権守(ごんのかみ=地方長官で)として飛ばされたままになっていますが、いつまでこうして飛ばされたままでいるのでしょうか。(私をもっと出世させて、はやく中央に帰してください)」と詠んだわけです。
つまり、露骨に出世を望んだわけです。

これを聞いた宇多天皇のお言葉がふるっています。
側近の者に、
「はて、なんのことだろうか。意味が分からない」とおっしゃられたというのです。

冒頭申し上げたように、源宗于は光孝天皇のお孫さんです。
たとえは悪いですが、いわばサラブレッド(貴公子)であり、臣籍降下したといっても陛下直々に源(みなもと)姓を賜り、しかも丹波権守、摂津権守、三河権守、相模権守、信濃権守、伊勢権守などの国司を歴任していたわけです。
にも関わらず源宗于は、「俺をもっと出世させてください」とやったわけです。

この源宗于の主張は、二重の意味で間違っています。

ひとつ目の間違いは、天皇という存在に対する誤解です。
天皇は、政治を司るお方ではなくて、その上位の御存在です。
ですから天皇が直々に政治に口を出すことはしませんし、できません。
それが我が国の伝統であり、しきたりです。
ですから、当然の如く、天皇は、地方長官の人事そのものには介入しません。
それは、太政官の仕事であって、天皇はそこで決まった人事を追認(親任)するだけです。

これがもし、天皇が直接人事に関わり、政治に口を出すようになると、世の中の構造が変わってしまいます。
太政官は、政治を司る省庁として、民衆を支配しますが、その太政官が支配する民衆は、天皇の民なのです。
ですから太政官は、いわば会長がオーナーで、社員がオーナーの子女たちという会社における雇われ社長みたいなもので、子女たちにとって迷惑な存在というレッテルを貼られれば、簡単に飛ばされてしまう。

つまり天皇という存在によって我が国の民衆は、政治を司る者・・・つまり政治権力者の私的な私有民、すなわち奴隷とならないという、諸外国に類例のない我が国独自のありがたい仕組みができあがっているのです。

ところがもし、天皇が、その人事を含む政治に直接介入するとなれば、天皇こそが政治権力者(支配者)となってしまいます。
そうなれば、民衆も政府官僚たちも、ことごとく天皇の私有民です。つまり天皇の奴隷です。
それではイケナイからこそ、我が国では、天皇の下に、すべての政治権力を持つ太政官という役所を設けたのです。

源宗于は、元皇族という立場にありながらこれをわかっていない。
つまり、天皇こそ支配者であり、全ての人事権を持つ者と誤解しています。
そして宇多天皇の前で、まるで直訴のような歌を詠んだわけです。
我が国の天皇という存在を、まるで身分の上下のように誤解している。
だからこそ宇多天皇は、「はて、なんのことだろうか?」と、知ってわからぬフリをされたわけです。

源宗于の間違いのふたつめは、役職に対する誤解です。
このときの源宗于の役職は、伊勢の国司です。
そして伊勢は、天皇の祖である天照大神のおわす伊勢神宮のある大切な国です。
その国の太守を命ぜられたということは、同時に、いまは臣籍降下されたとはいえ、もともとは天皇のお孫さんである源宗于に、天皇とその歴史について、伊勢神宮のお膝元でしっかりと学んできなさい、という趣旨でもあったかと思います。

けれども源宗于は歌の中で、その伊勢に「我は沈まん(自分は沈んでいます)」と嘆いているのです。
何もわかっていない。
そしてわからないままに、ただただ自分の立身出世だけを願い、自分をもっと重用してほしいと自分勝手で我儘な思いを天皇の前で詠んだわけです。

宇多天皇もご臨席賜る歌会です。
その歌会で源宗于がこの歌を詠み上げたとき、歌のわかる貴族たちは、まさに色をなし、青くなったに違いありません。なにせ源宗于は皇孫なのです。

この歌会は、紀伊の国からご皇室にあてて、珍しい海草が献上されたことを祝って催された会だったといいます。つまり祝いの席です。
その祝いの席で、まさに全員が青ざめるような発言があったのです。
場の空気が、さっと青ざめる。周囲が静まり返る。
まるでその場の空気が伝わってくるかのようです。

このときに、宇多天皇が発せられたお言葉が、側近への「はて、なんのことだろうか?」というお言葉です。
そのひとことで、みんなが救われる。

源宗于が間違ったのは、その場の空気を青ざめさせたということではありません。
伊勢の太守という、名誉ある仕事を任せられていながら、その伊勢に沈んでいると言ってのけた源宗于の心のことです。

出世を望むという気持ちは誰しもあることです。それは向上心ですから、とても良いことです。
けれどそのためには、「いまいるその場所」で、「誰からも、ああ、あの人ならば」と納得してもらえるだけの仕事をすることが、なにより大切なことです。

いたずらに自分の出世だけを求めるというのは、ひとことでいえば夜郎自大です。
自分の地位が向上することで、自分の収入があがり、その分、贅沢な暮らしができ、自分が支配できる人の数が増え、自分がより強大な権力をを行使できるようになることを希求するという「さもしい心」です。

こういう考えを、我が国では古来、「ウシハク」と呼びました。
「ウシハク」というのは、漢字で書いたら「主人(=うし)佩(は)く」です。
「佩(は)く」というのは、「大刀を腰に佩く」というように用いられますが、要するに「私的に所有する」ということです。
ですから「ウシハク」は、主人が下の者を私的に所有することをいいます。

主人が支配し君臨し、民衆を私的に支配しているのですから、主人は下の者に対しては絶対者です。
極端にいえば、収奪することも殺すことも支配者の自由であり、勝手です。
これは諸外国では、ごくあたりまえの統治方法でした。

王や皇帝は、民衆を私的に領有し、支配し、収奪します。
ある国では、両班と呼ばれる貴族階級は、下にいる白丁とよばれる一般人に対して、おいしそうな農作物があればそれを勝手に奪い、若くて美しい女性がいれば、たとえその場に旦那がいようが彼氏がいようが、容赦なく拉致して強姦するということが常態的に行われていました。
それが人の上に立つ者の特権だと考えられていたのです。
これが「ウシハク統治」の恐ろしさです。

これに対して、日本の統治は「シラス」です。
「シラス」は「知らす」ことです。
「知らす」は情報の共有化で、君民一体となって情報を共有し、みんなで問題意識を共有し合って、よりよい社会、よりよい国を築こうというものです。
この話は、古事記の大国主の国譲り神話に出てきます。

この統治を現実にするために、我が国では古来、政治の最上位権力者よりも高い位置に天皇という存在を置き、民はその天皇の「おおみたから」としました。
そして統治を行う権力者は、その天皇の下におかれたのです。
そうすることで、君民一体の家族国家を実現する。
そういう人類史上類例のない画期的な統治手法を、古代の日本は編み出し、それを統治の根幹においたのです。

ところが源宗于は、皇孫でありながらこうしたことを真摯(しんし=真面目で誠実なこと)に理解しようとせず、わが身の出世だけを願う、つまり「ウシハク」を希求したわけです。

周囲の者たちは、源宗于のそういう姿勢が見えたからこそ、彼を、あえて伊勢の権守という地位に据えました。
皇祖を祀る伊勢神宮のある伊勢の国司になることで、そういう我が国の伝統文化をしっかり学んでほしかったからです。

けれど、出世欲に目がくらんだ源宗于には、それがわからない。
わからないまま、詠んだ歌が、

 沖つ風ふけゐの浦に立つ浪の
 なごりにさへやわれはしづまぬ

だったわけです。

そして小倉百人一首に収蔵されたこの28番歌の

 山里は冬ぞ寂しさまさりける
 人目も草もかれぬと思へば

も、同じその延長線上にあります。
自分がいるのは、寂しい山里だ、こんなところにいたら、自分は立ち枯れてしまうと詠んでいるわけです。

そうではなく、仮にそこが辺鄙(へんぴ)な山里(やまざと)であったとしても、いまいるその場所を終の住処(ついのすみか)とわきまえて、民のために誠実を尽くす。
それが、人の上に立つ官というものの、持つべき根本の姿勢なのだということを、この歌は反証的に述べているわけです。

なぜ、この歌が、そういう意味の歌になるのかといえば、その証拠になるのが、実は次の29番にある凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌なのです。


========
29番歌 凡河内躬恒

心あてに折らばや折らむ
初霜の置きまどはせる白菊の花


こころあてに
おらはやおらむ
はつしもの
おきまとはせる
しらきくのはな
=========

凡河内躬恒というのは、これで「おおしこうちのみつね」と読みます。
身分は決して高くなかった(低かった)人なのですが、後年、藤原公任(ふじわらのきんとう)によって、三十六歌仙のひとりに選ばれている歌人であり、紀貫之とも親交のあった和歌の世界のエリートです。
そしてこの凡河内躬恒は、たいへんに思慮深い、深みのある歌を多く詠む大歌人(詠み口深く思入りたる方は、又類なき者なり)とまで言われた人でもあります。

ところが小倉百人一首に収蔵されたこの歌は、正岡子規によれば、「初霜が降りたくらいで白菊が見えなくなるわけないじゃないか」と酷評されています。

すこし詳しく見て行くと、
「心あてに」というのは、あてずっぽうにという意味です。
「折らばや折らむ」は、もし折るというなら折ってみようか」という意味です。
「初霜」は、その年はじめて降りる霜のことで、晩秋に起こるものです。
「置きまどはせる」は、「置く」が霜が降りるということで、「まどはす」は、まぎらわしくするです。

ですのでこの歌を単純に現代語訳したら、「初霜が白く降ってあたり一面真っ白になって、白菊と白い霜が見分けがつかなくなっています。ですのであてずっぽうでもいいから、もし折るというのなら、その白菊を折ってしまいましょうか」くらいの意味になります。

白菊を折ってしまうというのですから、なんだか乱暴ですが、けれど考えてみれば、正岡子規の言うように、いくら霜が白くたって、菊の花と霜の区別くらい、誰だって簡単に見分けがつくことです。
その、いったいどこがどう名歌なのでしょうか。

この歌を解く鍵の最大のものは「白菊」です。
菊の御紋は、いったいどういう人たちが用いるものでしょうか。

ご皇室やご公族です。
わたしたちがよく知る「錦の御旗」に代表される菊の御紋は、皇室の御紋で、正式名称は「十六八重表菊」といいます。
戦前までは、皇族になると同じ「菊の御紋」であっても花びらの数が違っていて「十四一重裏菊」の御紋になります。

また、有栖川宮様、高松宮様、三笠宮様、常陸宮様、高円宮様、桂宮様、秋篠宮様なども、それぞれ菊の御紋をお使いになっておいでになりますが、それぞれ図案はご皇室の「十六八重表菊」とはまったくデザインの異なるものになっています。
ご興味のある方は、ネットなどでお調べいただいたら良いと思います。

凡河内躬恒は、さすがに黄色い菊とはせずに、遠慮して白菊と言ってはいるものの、その白菊、つまり我が国のご皇族やその関係者である公族であったとしても、霜(しも=下)の見分けがつかないなら、折ってしまえ!と言っているのです。
これは、すさまじく過激な発言です。

けれどそういう諸外国では絶対に許されない、下手をしたら一族郎党全員が極刑にでもなってしまいそうな極言を、凡河内躬恒のような身分の低い者が、こうして堂々と発言しているのです。
それが何を意味するかといえば、凡河内躬恒が生きた時代は9世紀の後半から10世紀の前半を生きた人ですけれど、要するに千年前の日本に「ちゃんと言論の自由があった」ということを、この歌は何より如実に語っています。

つまりこの歌は、詠み手の凡河内躬恒が「白菊と霜の見分けがつかない」のではなくて、たとえ菊の紋章を持つような高貴なお家柄の方であったとしても、「見分けがつかない」のなら、むしろ放逐せよ!と言っているのです。

では、何の見分けがつかないのかといえば、それが「まどはせる」くらい識別のつきにくいものであるということを、凡河内躬恒は、同じ白い色の「白菊」と「霜」にたとえているわけです。
ですからそれは、「同じようにみえるものであっても、その本質がまるで異なるもの」を意味します。

それが何かといえば、そのヒントにあたるのが、実は前にあるう28番歌の源宗于朝臣の歌です。
この歌では、端的に言えば元皇族であっても、「シラス」と「ウシハク」の区別がつかない見苦しい人もいる、ということを意味した歌です。

そしてその「シラス」と「ウシハク」は、統治の基本的姿勢のことであり、どちらも「統治」という意味においては、白菊と霜の白い色のように、同じ色のものです。
ちなみに、政治のことを昔は「色物(いろもの)」と言いました。
その理由も、この凡河内躬恒の歌から来ています。

けれど、同じ白色であったとしても、菊と霜では、まるで違います。
同様に、「シラス」も「ウシハク」も、統治という面では、同じですけれど、その本質にあるものも、その結果起こることも、まるで違います。

「シラス」と「ウシハク」の説明は、前の段で述べましたので、ここでは重複は避けますが、「シラス」統治を国の柱とすることを根本とした我が国において、「ウシハク」ことしかできない、あるいはわからない高級官僚や政治家がいるならば、そのような者は、「心あてに折らばや折らむ」、つまり当てずっぽうでも良いから折ってしまえ(放逐してしまえ!)というのです。

それほどまでに、シラスを理解し、またその姿勢を保つことはむつかしい。
けれど、たとえどんなにむつかしいことであったとしても、それがわからないような者は、我が国の統治者として、ふさわしくない。

これを我が国の高位高官の人が言ったというのなら、いささか傲慢さを感じてしまうのですけれど、これを身分の低い凡河内躬恒が、明確にうたいあげたということが、貴重なのではないかと思います。

百人一首の歌の順番には、歌を解する上において、とても大きな意味があるのです。
そしてこの歌は28番歌の源宗于(みなもとのむねゆき)と並んで、我が国の統治の在り方の本質を、わたしたちに厳しくもやさしく教えてくれている歌なのだと思います。

ともあれ、シラス国つくりという、たいへんな難事業を二千年以上の古くから国家の血肉とし、それを全知全霊を込めて築き上げようとしてきたのが、わたしたちの国の祖先たちであったわけです。

けれど、そんな理想のもとに、日々がんばっていると、人は、ときに癒しを求めたくもなります。
それが次の30番歌です。


========
30番歌 壬生忠岑(みぶのただみね)

有明のつれなく見えし別れより
暁ばかり憂きものはなし


ありあけの
つれなくみえし
わかれより
あかつきはかり
うきものはなし
=========

29番、30番の歌のように、きわめて政治的で、かつ厳しい歌の後に、こういう情感のある歌を配置するというところが、まさに我が国の国風であり、やさしさであり、みやびなところなのだと思います。

この歌を現代語に通釈すると、「有明の月のようにつれなく見えたあの別れの日から、私は夜明け前の暁(あかつき)が憂鬱(ゆううつ)に感じられるようになりました」といった意味になります。

「有明」というのは、満月になる十五夜がすぎた後、だんだん痩せて細くなって行く月が、明け方まで空に残っている様をいいます。
「つれなく見えし別れより」は、つれない(=冷淡)に見えた別れから、といった意味です。
「あかつき(暁)」は、夜明け前の、まだ昏いうちのことです。
「憂きものはなし」は、つらくて憂鬱なものはない、といった意味です。

作者の壬生忠岑(みぶのただみね)は、身分の低い下級の武官だった人ですが、その歌は超一流とされ、藤原公任は、この壬生忠岑の歌を「上品上」、つまり最高位の歌に挙げています。
三十六歌仙の一人です。

いまから千年前のことですから、24時間営業のコンビニがあるわけでもなし、照明にも限界がありますから、そうそう徹夜でというわけにもいきません。
ですので、有明の月が残っている明け方近い時間帯での別れとなれば、これは、愛し合った男女が、西の空に月が残っているまだ夜明け前の時間に、別れを迎えるという、なんだか「♪別れの朝、二人は、覚めた紅茶、飲み干し」と歌う、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」みたいなシーンかもしれません。

歌だけですと、時間を忘れて仕事に打ち込んでいたのに、それが夜明け前の時間帯に何らかの事情でパーになったような状況も想像できますが、この歌は古今集の「恋」の段の625番に登場しています。
ですので、あまり考え込まずに、恋と別れの歌と理解してよさそうです。

「そんな辛いときがあったので、私はいまでも、夜明け前の時間がとてもつらくて憂鬱に思えるんです」と、これはかつて辛い別れを経験したことのある男性の、率直な思いを歌った歌なのでしょう。
本気になって異性を好きになっても、たとえそれが相思相愛であったとしても、世の中はそういう男女が、必ずしも添い遂げ、生涯をともにできるわけではありません。

この歌が29番の「たとえ相手が高貴なお方であったとしても、シラスという我が国統治の基本がわからないなら手折ることもやむなし」という手厳しい歌の次にきていることには、とても意味深なものを感じます。

つまり、どんなにそれが誠実な真心から出たものであったとしても、必ずしもそれは、まるで男女の仲と同じように、思い通りになるものではないし、無理に、つまり手折るようなことをすべきことでもない。
たとえそれが有明の頃の辛い別れのような憂きものであったとしても、男は黙ってそれをグッと内に秘めて生きていかなければならないのだ、ということを、この歌は述べているように思います。

とかく人の世は、思惑通りになど、なかなか進んだりはしないものです。
いろいろな人がいろいろな思いを抱きながら、そういう葛藤の中で人は生きて行くのです。

そういう中で日々あがきながら、憂いながら、それでも誠実を貫いて来た、そんな下級武官であった壬生忠岑(みぶのただみね)の、男としての生き様が、この歌には、見事に反映しているように思います。


さて、続く31番歌は、征夷大将軍、坂上田村麻呂の直系の子孫にあたる坂上是則(さかのうえのこれのり)の歌です。
武官としての家柄に生まれた坂上是則が、やはり「有明の月」を詠んでいます。
さて、そこにはどのような意味が隠されているのでしょうか。

次回を乞うご期待です。

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前野曜子 別れの朝





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コメント

監督

No title
実にすばらしいです!

そま

No title
楽しい 心の物語性がつながって配置されていると・・
前にもありましたね
読み解く技から学ばせてもらえます

台湾の報道をしないマスコミは言論表現の自由を放棄したのですね どこかの国に都合の悪い報道はしない もはや報道機関ではなくどこかの国の宣伝機関でしかない CKHKに抗議します またTPPは絶対ダメです 年次改革要望書という微にいり細をうがった内政干渉からも明らかです

百人一首次回を楽しみにしています

匿名女子

伊勢の山が透けてスケスケに?-稜線の端がスケルトン状態に
20年に1度の伊勢神宮の式年遷宮が無事完了し、天皇皇后両陛下がご参拝された伊勢の地は神気が溢れています。
標高555メートル伊勢志摩で最も高い山「朝熊岳(あさまだけ)・朝熊山」の手前にある標高216.8メートルの「昼川山・昼河山(ひるがやま)」の稜線(りょうせん)の端が透けています。

http://iseshima.keizai.biz/headline/photo/1999/
http://iseshima.keizai.biz/photoflash/4587/

不思議なパワーが伊勢の地から始まってるようです。
頑張れ日本。

mari

No title
折に触れ「しらす」に言及して下さりありがとうございます。

来たる憲法改正の際には、大日本帝国憲法第一条の原案となった
「大日本帝国は万世一系の天皇がしらす所なり」
が再確認されるべきであると思いますので、「しらす」「うしはく」の違いを国民こぞって認識しなければいけません。『その日』が来るまで少しずつでも周知していきたいですね。

さて、定家は人事の不服を嘆いた歌を詠んで後鳥羽院の逆鱗に触れた(逆鱗の原因は諸説ありますが)過去がありますから、源宗于の事ももしかしたら他人事では無いかもしれないですね。

「有明のつれなくみえし」は、後鳥羽院が定家と家隆に「古今集の名歌はどれか」お尋ねになったとき、ふたりともこの歌を答えたそうです。恋、という要素を省いても多くの人に共感される名歌じゃないでしょうか。小野小町の「花の色は」に似た良さがあると私は思います。

もうすぐ3分の1ですね。毎度大好きな和歌に感動的な解説を付けて下さって感謝しています。次回も目からウロコの解説を楽しみにしています。

-

FC2 BLOG mobile の政治・経済の順位一覧から、
ここのブログが突然なくなったのですが、
何か設定変更しましたか?
携帯電話でのFC2順位です。

丹次郎

動画で、観賞するのも一興かと存知ます。
野路由紀子が詠う小倉百人一首で 
30番 壬生忠岑
29番 凡河内躬恒
28番 源宗干朝臣
以下更に続きます。 
Now playing -> imogarabokuto1250 channel :
http://videct.net/a/?c=UCeNNpXkdRiSY-yE4dKTKt_g&v=5cX7yjvt7wU

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ひろし

更新ありがとうございます。
百人一首のご解説、いつも楽しみにしております。 万葉集も百人一首も、天皇に対する敬愛の念を美しい日本の四季を織り混ぜながら詠んでいる歌が多いですね。 君民一体のシラスの国柄だからこそ、詠める歌です。五七五七七の奏でる大和言葉はなんて美しいのでしょう。 日本人である事の有り難さが身に染みます。 桜が各地で咲いております。 桜と言えば 国学者の本居宜長の歌が浮かびます。

敷島の 大和心を 人問わば
朝日に匂う 山桜花

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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