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31番歌 坂上是則(さかのうえのこれのり)
朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里に降れる白雪 あさほらけ
ありあけのつきと
みるまてに
よしののさとに
ふれるしらゆき
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簡単に現代語訳すると「吉野の里に降っている白雪って、まるで明け方の月の光とみまちがうほどですね」といった意味になります。
たいていの本には、そのように歌の解釈が書いてあって、雪の積もった夜は、月の光で夜が明るく、それが明け方ともなれば気温も下がってとても冷たい。そのような「情景を詠んだ歌」と解説しています。
そしてこの歌の背景として、李白の「静夜思」という漢詩が元歌になってることにも触れられています。
その李白の詩です。
牀前看月光 牀前に月光を看る
疑是地上霜 疑ふは是れ地上の霜かと
挙頭望山月 頭を挙げては山月を望み
低頭思故郷 頭を低れては故郷を思ふ
この歌は、李白が妻の実家のある安陸(あんりく)にいたときの作で、自分の故郷である蜀の国を思って歌ったものだとされています。
ちなみに、牀前(しょうぜん)というのは寝台のことです。
これはこれで故郷を偲ぶ美しい歌ですし、坂上是則も、この李白をモチーフにしてこの31番歌を詠んだことも事実であろうと思います。
けれど、それだけのことなのでしょうか。
坂上是則は、奈良県にある吉野の里にいて、遠く都を懐かしんだだけなのでしょうか。
日本では、なんの意味もなくただ感傷にふけることを、古来、女々しいといいます。
征夷大将軍の子孫であることを自覚する男が、ただそれだけの歌を詠み、それが古今の名歌になる?
ありえないことと思います。
歌の中身をみてみます。
「朝ぼらけ」は、夜明け前の太陽が昇る前の、夜空が少し明るくなった状況です。
「有明けの月」は、その夜明けに、まだ空に残っている月です。
「みるまでに」は、実際に見ているという意味と、「そのようにみえる、そのように思える」といった意味です。
「吉野の里」は、奈良県吉野郡のあたりで、坂上是則の生きた千年前は、いわゆる山里です。
「ふれる白雪」は、「る」が継続を示す助動詞の「り」の連体形です。ですから「雪が降り続いていますなあ」といった意味になります。
この歌は、延喜6(908)年に、坂上是則が大和国の権少掾(ごんのじょう、地方官)に任ぜられて、寒い冬に任地に向かうとき、吉野の山里にある宿に泊まった朝に詠んだとされています。
ふと目を覚ますと、表がとても明るい。
明け方の月明かりだろうかと、そっと窓を開けて外を見ると、そこは一面の雪景色に白く光っている。
とても美しい光景ですが、同時に冬の明け方ですから、底冷えのする、寒くて辛い時間帯でもあります。
坂上是則と李白の違いは、李白がただ月の光を地上の霜とみたてているのに対し、坂上是則は、そこに「底冷えのする冬の早朝」を詠みこんでるところです。
さらに、「有明」は、明け方に残っている月を示す言葉であるとともに、明るい太陽の光がこれから差し込んでくる、そういう時間帯を示しています。
つまり有明の月は、それ自体が地上を照らす明かりであるとともに、そのすぐ後に昇ってくる朝日、すなわちすぐあとにやってくるであろう太陽の光をも暗示します。
この歌を詠んだ坂上是則は、任地に赴く途中です。
つまり、まだ任地に着いていません。
あと少しで、任地にたどり着く、そういう場所にいます。
坂上是則は、夜明け前の有明の月と同じ位置にいるわけです。
もうすぐ昇る太陽=もうすぐ到着する任地、です。
任地である大和国は、その昔は都があった場所とはいえ、いまは京の都からすれば、さびれた田舎です。
そのさびれた田舎に地方官として赴任する坂上是則は、もともと征夷大将軍の家柄という武門の家柄に生まれた男です。
そして武門の家は、古今ともに「潔(いさぎよ)さ」を旨とします。
坂上是則が、この歌を詠んだ時間帯は、雪の降りしきる冬の夜明け前です。
夜の闇は、夜明け前が一番昏(くら)い。
けれど、そんな夜明け前にも、有明の月が地上を照らし、その月明かりに、地上の雪が輝いている。
そして、もうすぐ夜は明ける。
あたたかな太陽が昇り、地上は光に包まれる・・・。
坂上是則は、これから赴任する大和国の権少掾(ごんのしょうじょう)として、胸に希望を持ち、任地に骨を埋め、その任地を明るく照らす存在、つまり大和国の民(たみ)たちにとって、明るい希望となろうという決意を持っています。
だから「もうすぐ夜は明ける」のです。
つまり、夜の雪景色にただ故郷を偲んだだけの李白とはまったく正反対に、坂上是則は夜明け前の有明の月と、月明かり、そして夜の闇を照らす雪明かりと、これから昇る朝日を通じて、これから赴任する任地にでの骨をうずめる覚悟、真剣に、誠実に、民のために尽くそうという決意を、この歌に詠み込んでいるわけです。
このことは、30番の壬生忠岑(みぶのただみね)が、やはり「有明の月」を詠み、その歌を通じて、たとえどんなに辛いことがあったとしても、男は黙ってそれをグッと心に秘めて生きていく、そういう歌を詠み、その続きとして、やはり「有明の月」を題材とした武門の家の坂上是則が続く31番歌にきているということからも、窺い知ることができます。
おそらくは、坂上是則にとって、地方官としての赴任は、やはり「都落ち」です。
いまふうにいえば、「地方に飛ばされた」人事であったかもしれません。
けれど、たとえそこがかつて都が置かれた大和の国とはいえ、いまはさびれた土地であっても、たとえそれが理不尽な、意に沿わない人事であったとしても、ひとたび決まれば、従容として任地に赴き、それがたとえどんなに底冷えのする、まるで冬の夜明け前のような寒くて冷たくて、辛いものであったとしても、その任地に希望を持ち、その任地で骨を埋める覚悟をし、そしてその任地の民のために、全力で誠意を尽くす。
その決意が、この歌の核になっているわけです。
かつて、東北の征夷のための将軍に選ばれて、寒い東北の地に戦いのために赴いたご先祖の坂上田村麻呂も、きっとそういう決意だったに違いない。
その厳しさからみれば、自分の大和赴任など、まるでたわい無いものでしかない。
ひとたび赴任する以上、その地で大誠実を尽くしていこう・・・そのことが夜明けの陽光に象徴されています。
なんども繰り返しますが、和歌は、上の句と下の句で、作者の一番言いたいことにたどり着いてもらうという仕組みです。
そして坂上是則は、三十六歌仙のひとりに選ばれたほどの和歌の達人です。
ですから、彼の歌の心は、ただ字面に書いてある額面にあるのではなく、その上の句と下の句が指し示すベクトルによって示されるところにある。そういうものです。
一見すると、ただ夜明け前の月明かりを詠んだ歌のようでいて、実は、たとえどんなに不本意であったとしても、夜明け前の暗さに、夜明け前の雪明かりに、そしてこれから昇るであろう太陽に希望を託し、未来を夢見て行こうじゃないか。
「どんなところにも、そしてどんなに底冷えのする冷たいときであっても、陽はまた昇る。」
この歌は、ただ字面にある風景の情感を詠んでいるだけでなく、(もちろんそれだけでも情景の美しさはありますが)、決してそれだけの歌ではなく、そういう どんなときにも希望を捨てない、そういう、くじけない心を詠んだ歌なのです。
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32番歌 春道列樹(はるみちのつらき)
山川に風のかけたるしがらみは
流れもあへぬ紅葉なりけり やまかはに
かせのかけたる
しからみは
なかれもあへぬ
もみちなりけり
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この歌は、小倉百人一首の選者である藤原定家のお気に入りの歌だったようで、彼はこの歌を元歌として、自信の作「木の葉もて風のかけたるしがらみに、さてもよどまぬ秋の暮れかな」という歌を残しています。
それほどまでに、お気に入りの歌だったということです。
この歌を簡単に通釈すると、「山奥の川で、風が掛けたのであろう流れを塞き止めている柵(しがらみ)は、なんと川面に散った紅葉の集まりでしたよ」となります。
古今集には、この歌の詞書として「志賀の山越えにて詠める」とあり、ここでいう「志賀」は、今の滋賀県のことをいいます。
京都から大津へ向かう山道のことを、昔は「志賀越道」と呼んだのですが、この越道の先には崇福寺(すうふくじ)というお寺がありました。
春道列樹(はるみちのつらき)は、そのお寺に向かう道中で、この歌を詠んだのでしょうか。
この歌を詠んだとき、春道列樹は、いまでいえば大学生でした。
その彼は、されようやくこれから就職という段になって、病気で短い人生を閉じてしまっています。
歌にある「しがらみ」というのは、川の流れをせきとめる柵(さく)のことです。
稲を栽培する水田は、田植えにの頃には、その「しがらみ(=柵)」を閉じることによって川の流れをせきとめて水位を上げて田んぼに水をひきます。
稲が生長したら、その柵を外して水を流し、田から水を抜くわけです。
「ながれもあへぬ」は、流れようとして流れない、といった意味です。
ですから、「しがらみは 流れもあへぬ紅葉(もみじ)」は、まるで柵でもあるかのように、山奥の渓流に紅葉がいっぱい溜まっているところがあったね、そんな情景でもあります。
問題は、この歌が、そのモミジの澱(よどみ)を、あえて「しがらみ」と詠んでいることです。
「しがらみ」という言葉で連想するのは、もちろん人間関係のしがらみです。
そしてこの歌を詠んだ春道列樹は、これから志賀越道を崇福寺に向かおうとしているのか、それとも、崇福寺に行った帰り道で、この紅葉の澱(よど)みを見たのでしょう。
そしてそれを見たとき、彼は何かを感じたわけです。
それは何だったのでしょうか。
それこそが、この歌のテーマです。
その彼は、川面に浮かんで、まるで塞き止められたかのように淀(よど)んでいる紅葉を見ています。
そして彼は、学生でありながら、何か人間関係のしがらみに悩んでいます。
そこで、彼は、ハッと気がつくのです。
人間関係の、まるで淀んだかのようなしがらみも、よくみれば、そのひとつひとつが、美しい紅葉じゃないか、と気がついたのです。
この当時の日本の人口は、550万人程度だったといわれています。
今の時代からみれば、ずいぶんと人口が少ないです。
それでも、人が住むエリアが、それだけ少なかったというわけで、人里には、多数の人が身分差を超えて、互いにひしめきあって暮らしていました。
これが大陸になると、たとえば当時のChinaには、日本の5倍くらいの人口がありましたけれども、土地の広さを言ったら、日本とは比較になりません。
つまり、人口密度が、圧倒的に違ったわけです。
しかも、日本は島国ですから、この小さな島の中から、他に逃げてしまうこともできません。
それだけ日本は、今も昔も、人間関係の濃密な社会であったわけです。
それだけ濃密な社会ですから、当然のごとく人間関係のしがらみも深いものになります。
そして人間関係のしがらみは、ときに重荷となって人に襲いかかることもあるわけです。
そんな人間関係に、ときに疲れ果て、いやだと感じることもあったことでしょう。
そんなときに、人は心の救いを求めて、お寺を訪問したりしていました。
まだ学生だった春道列樹も、そんな人間関係のしがらみの辛さに耐えかねる思いを抱いていたのかもしれません。
そんな彼が、お寺(崇福寺)に参拝した帰り道か、あるいは、これからお寺に向かおうとするところか、いずれにせよ、魂の癒しを求めてお寺への往復をするとき、その途中の山道の渓流で、散った紅葉が、まるで澱(おり)となって淀んでいるところを見つけるわけです。
そして、その澱(よど)みが、よく見れば、ひとつひとつが美しい紅葉であることを知る。
つまり、重荷や、辛いものと思えた人間関係が、実は、そのひとつひとつ、ひとり一人が、それぞれ美しさを持つ紅葉・・・つまり美しい心を持った人々であるということに気がつくわけです。
自分も人なら、周囲の人たちも人です。
人間関係のしがらみの辛さに悩んでいるのは、自分だけじゃない。
誰もが、そういうしがらみの中で、それでも、もみじのように美しく生きようとしている。
春道列樹は、ひとりじゃない。
みんな一緒なんだ。
そういうことに、春道列樹は気がついたわけです。
つまりこの歌は、道に悩む春道列樹が、紅葉を「しがらみの中で生きている自分の周囲の人々」に、擬人化しているわけです。
そしてこの歌は、単に歌の字面に書かれた情景だけでなく、そういう深みを持った歌であることによって、百人一首に選ばれた歌であるわけです。
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33番歌 紀友則(きのとものり)
ひさかたの光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ ひさかたの
ひかりのとけき
はるのひに
しつこころなく
はなのちるらむ
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この歌は、学校の国語の教科書などでも広く紹介されているので、記憶にある方も多いのではないかと思います。
通釈すると、「久しぶりに、のどかな陽気に包まれた春の日に、どうして落ち着こうともしないで、桜の花は散ってしまうのだろうか」といった意味になる、ある意味、とてもわかりやすい歌といえます。
ただ、この歌について、多くの教科書や解説本が、「ひさかたのは、ただの枕詞で意味がない」と解説していることには疑問を感じます。
春の陽気というのは、猫の瞳にたとえられるくらい変わりやすく、曇り日で強い風が吹いたと思ったら、翌日には雨の日になり、さらに翌日はきれいに晴れ上がったと思ったら、今日はまた雨だという具合に、とにかく安定しないし、落ち着かない。
ですから、ここは「枕詞だから意味がない」などと決めつけずに、そういう春の陽気の中で、今日はひさしぶりにきれいに晴れ上がった青空で、うららかで暖かな良い日となったくらいに、素直に解釈すれば良いものと思います。
春の前は、寒さの厳しい冬なのです。
それが薄皮を一枚一枚はぐように、コロコロと天候を変えながら、気がつけば桜が咲き乱れる季節になる。それがわたしたちの国の四季ではないかと思うからです。
前にも書きましたが、たった31文字しかない和歌の中で、「ひさかたの」と5文字も意味のない言葉を連ねるなどということ自体、ありえないことです。
さて、その「ひさかた」に、陽光うららかな春の日となりました。
そんな良い日なのに桜の花は、静かに落ち着こうという心なく、散っていく。もっとゆっくりと咲いていてくれたら良いのにと思う心が、歌に詠まれています。
とってもわかりやすいし、言葉も美しくて、素晴らしい歌だと思います。
ちなみに9番歌の小野小町のところでも書きましたが、この時代、花といえば桜を意味します。
そして桜は、散り際が美しい花でもあります。
そしてこの歌の特徴として、これはよく言われることですが、花を擬人化しています。
静心(しずこころ)なく花が散るというのは、花に心があると見なしているわけで、これが擬人化です。
いまから千年も前に、擬人法という高尚な技法が使われていたというのは、すごいことだ、といったようなことを書いている本も、多々あるようです。
けれど、そういうことを言われないようにするためにこそ、百人一首の選者の藤原定家は、ひとつ前の32番歌で春道列樹の「山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」と、紅葉を「しがらみの中で美しく生きようとしている多くの人々」として、まさに擬人化した歌を紹介しているといえるのではないでしょうか。
要するに、擬人法という意味においては、32番歌と、この紀友則の33番歌は、どちらも擬人法を用いた作品です。
そして擬人化という技法によって、32番歌では人のしがらみを、続く33番歌では、落ち着かない人の心を詠んだ歌を紹介しているわけです。
すこし厳しい言い方になりますが、「いまから千年も前に、擬人法という高尚な技法が使われていたというのは、すごいことだ」と、現代の学者などが言うのは、まるで幼稚園児が、ちょっと良いことをしたから、大人が褒めてあげているようで、なんだかとっても傲慢な気がします。
要するに、千年前の人々はオクレていて現代人である自分は進んでいるのだという決めつけや、千年前の歌人たちよりも、自分の方が上だ、というような、さもしい心がそこに見え隠れしているような気がしてしまうのです。
千年前も今も、そして千年後も、日本人は日本人です。
そして、人の心や人間関係の葛藤を抱えながら、美しいものを美しいと感じ、泣いたり喜んだり、怒ったり楽しんだりする、そういう人としての心は、昔も今も変わらないと思います。
いやむしろ、まだ学生だった春道列樹の葛藤や、この紀友則の美しい歌を読ませていただくと、素直に昔の人はすごいなあと感じます。
相手を見くびって、上下関係だけで人をとらえるという思考は、もともとの日本人の思考ではありません。
どんな相手にも、尊敬と謙譲の心をもって、相手の心を思いやり、みずから率先して、相手のお役にたとうとする。
相手もまた、そういう心や行動を察して、互いに協力しあってみんなの満足を図ろうとする。
それが日本の心です。
そういう謙虚で素直な心を持って百人一首を読めば、そこに、かつての歌人たちが伝えたかった万感の思いが、まさに怒濤のようにそれぞれの歌から湧き出てきます。
それが百人一首なのだと思います。
それともうひとつ、「しづ心なく花の散るらむ」についてです。
この歌には、別な解釈として、もう一つ、違う意味があるように、私には思えるのです。
それが何かというと、「花が散る」は、誰か親しい友人が亡くなったことを暗示しているように、読めるのです。
そのように読む理由は、次の34番歌にあります。
続く34番歌は、藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の、
誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに
です。
この歌そのものの解説は、次回に譲りますが、ご高齢となり、老境の域に達して、昔一緒に集った仲間たちが次々と他界してしまい、「さて、これからは誰を友として生きていこうか」と詠んだ歌とされています。
私もそのような意味の歌であろうと思います。
そうすると、ひとつ前にある、紀友則の「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」も、久々のうららかな春の日に、昔から仲良しで「しず心なく」、つまりよく笑い、元気一杯だった友が、突然お亡くなりになり、その悲報に接した紀友則が、友の死を「花の散るらむ」と詠んだとも、読めるのです。
私は、むしろ、そういう解釈の方が、この歌の心に合っているように思えます。
時代は違いますが、昭和20(1945)年の3月に、沖縄戦が始まりました。
すでに制空権、制海権を奪われていた日本は、九州の航空隊基地から、沖縄海に群がる米艦隊への邀撃(ようげき=迎え撃つこと)のために、250kgの爆弾を抱えた特攻隊を送り出しました。
それはちょうど桜の咲く頃のことでもあります。
そして飛び立つ飛行機に、桜のひと枝を手折った少女たちが、その出発を桜の小枝を降りながら見送りました。
知覧特攻隊出撃(手前は桜の枝を振る撫子隊)

「昔は、花と言えば桜のことです」と、さらっと読んだら見過ごしてしまうことですが、昔も今も、花は桜だけではありません。ツツジもあれば、キキョウもある。ナデシコは、大昔から日本の女性を意味する花です。
にも関わらず、花といえば桜だというのは、桜は、春の空を満開に彩りながら、潔(いさぎよ)く、パッと散ってしまう。
そういうところから、古来、日本では、男性の生き様を桜にたとえていました。
そういう心から、この歌をもう一度読み返すと、まさに、うららかな春の日に、あんなに元気一杯だったやつが、突然亡くなってしまった。
そのように読めるのです。
散ることを潔(いさぎよ)いとする精神性からすれば、お亡くなりになったのは、おそらく男性の友でしょう。
「静心なく」というのですから、ちょっと騒がしいくらいに元気一杯だったやつだと読むことができます。
そんな、こないだまで、明るくて元気一杯だったやつが、とつぜん散って(死んで)しまった。
もしこの歌を、歌心のある男女の集まる通夜や葬儀の席で、葬式での送る言葉として読んだのなら、席にいる人々は、もう号泣だったのではないかと思います。
この歌を詠んだ紀友則は、紀貫之の従兄弟にあたる人で、紀貫之もたいへんな天才的歌人ですが、この紀友則も三十六歌仙の一人であり、古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集などの勅撰和歌集に、64首もの歌が納めらている天才歌人です。
それだけの天才歌人の代表作でもあるこの歌が、ただ、桜の花を擬人化して「静心なき」と詠み、その歌の語感が良いというだけで、それが名歌とされたのだとは、私にはどうしても思えないのです。
さて、31番歌〜33番歌、いかがでしたでしょうか。
どんなに意に染まない人事であっても、ひとたびそれが辞令が出れば、まさに今いるその場所で、大誠意をもって民衆に尽くそうという、征夷大将軍、坂上田村麻呂の直系子孫の坂上是則。
人間関係のしがらみの悲哀を感じながらも、周囲の人たちも、一生懸命に生きているもみじのようだと歌った春道列樹。
そして桜の散る様子を、見事なまでに美しい歌に仕上げた紀友則。
それぞれが、たいへんに素晴らしい歌であったと思います。
続く34番歌は、藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の、
誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに
です。
この歌の意味については、33番歌でも少し触れましたが、もう少し、詳しく歌の中身を見ていきたいと思います。
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コメント
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2014/04/08 編集
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2014/04/08 編集
mari
今日紹介して下さった歌はどれも言葉の流れが特に奇麗で、噛み締めると心が浄化されるようです。いつもありがとうございます。
次は紀貫之登場なんですね。正岡子規の有名な『歌よみに与ふる書』に書かれた「つらゆきは下手な歌よみにて・・・云々」を読んでひっくり返った思い出が(笑)
次回も楽しみにしています。
2014/04/08 URL 編集
ねずさんの門下生
ところで一首~三首以外のバックナンバーが見られないのですが、ねずさんご自身が削除されたのですか?
百人一首の解説本も楽しみです。
二冊目の本も出されて、台湾での講演等、すごいですね。
そちらももちろん楽しみにしています。
(^-^)/♪
日本人に産まれて本当に良かったと素直に思えます。
2014/04/08 URL 編集
ケイシ
2014/04/08 URL 編集
匿名女子
日本の1位は何と30年連続です。
国連の発表です、なのに日本のこのように素晴らしいことを報道するマスメディアはありません。
◆国連が公表した世界国民の民度・道徳レベルランキング
1 日本
2 アメリカ
3 フランス
4 オランダ
5 スイス
6 カナダ
7 オーストラリア
8 ドイツ
9 ロシア
10 ニュージーランド
159 東ティモール
160 スリランカ
161 メキシコ
162 北朝鮮
163 ウクライナ
164 タイ
165 コンゴ
166 アフガニスタン
167 中国
168 インド
◆マナーが良い観光客ランキング
1位 日本
2位 ドイツ
3位 アメリカ
4位 スイス
5位 スウェーデン
◆マナーが悪い観光客ランキング
1位 イギリス
2位 ロシア
3位 中国
4位 フランス
5位 インド
2014/04/08 URL 編集
ポッポ
そこでの話ですが、先日の大阪市長選挙では投票率の低かったことが、マスコミでは大きな話題になりました(23.6%で橋下氏の得票は377,472票)。
この得票は前回である2011年の橋下氏対平松氏の60.6%、橋下氏の得票は約75万票、平松氏の得票約52.2万票には及ばないものの、2007年の平松氏対関氏の投票率43.6%、平松氏(当選者)の得票約36.7万票、関氏の得票約31.7万票や2005年の関氏(当選者)の得票約27.9万票のときよりも、多かったそうです。
これを見ると、一概に投票率や得票が低いため市民の関心は少なく、無意味な選挙であったと決めつけることは、出来ないとの印象を持ちました。
日本維新の会は、いわゆる従軍慰安婦問題で日本の誇りを守ってくれていますから、もっと頑張っていただきたいと思います。
2014/04/08 URL 編集
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学校の教育もこの様な解説をもとにやってくれたら本当の学びになったと思います。おかげでまいにち百人一首を暗誦し紙に毛筆で書き味わっております。
団塊の世代ですが、我々は日教組により日本の良さを悪として洗脳されたようです。天皇に対しても支配者として不要な存在のごとく教えられました。日本は極悪な軍国主義でアジアに多大な迷惑を与えその首謀者は天皇と教えられました。
日教組の先生だけがそう教えたのではなく新聞、TV、雑誌、小説、映画など社会全体がそうでした。
この解説により日本人が如何に優れた人たちで有ったかを理解でき天皇の体制が世界に類を見ない優れた体制であったかしりました
和歌に残された日本人の人間力に誇りを感じます
2014/04/08 URL 編集
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2014/04/08 編集
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2014/04/08 URL 編集
ひろし
しづ心なく 花の散るらむ
この紀友則の歌は、今まで交際したいた友の突然の死を悼んで詠んだ歌なんですね。 手折った桜の枝をふりながら、特攻隊の隊員を送り出す撫子隊の写真を観た時、この歌の情景と重なって、感極まり涙が出ました。
友の死を悼む歌でありながらも、何故か友を偲ぶ人達の胸にほのぼのとした暖かさを懐かせるのは、この歌が名歌である所以だと想います。 ねずさん、心のこもったご解説、ありがとうございます。
2014/04/08 URL 編集