百人一首(34〜36番歌)

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和柄0416


さて今日は、百人一首の34〜36番歌です。

以前、元陸軍士官クラブの偕行社の機関誌に、インパールの戦いに関する記事を投稿したときに、とっても共感してくださった方がいらして、その方から「ビルマ句集、佛桑華」という本をいただいたのですが、その本の扉を開きましたら、そこに万年筆で、
「ビルマ戦線従軍記念、○○へ 父」と書いてありました。
○○は、息子さん(私に本をくださった方)です。

そのような大切なご本を私ごときにどうして?、と思ったのですが、ご著書の中の歌を読み、最後まできたとき、そこにあった「編集を終わって」と題したあとがきを読んで、とても感じるものがありました。

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 ビルマで終戦を迎えたとき、精神的支柱を失ったわれわれ日本人は、
「いかに生きるべきか」
という厳しい命題の前に立たされた。
 このような抑留者キャンプ全体を覆う黒い雲の壁の中から、突如として、ひとすじの光のように「皆で俳句を作ろう」と呼びかけた神崎保正軍医大尉は、抑留者の心の拠り所を与えてくれた意味で、命の恩人と言える。
(前掲書P.225)
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この本は、戦時中にビルマで戦った仲間たちや、亡くなられた戦友の奥さんなど161人の歌や絵画など、がぎっしりと詰まった本です。
そしてその歌は、いかに生きるべきかという混沌の中で、生きるために勇気を呼び覚ますものでした。

亡くなった戦友への思い、親兄弟への思い、そして祖国への思い、戦犯として収容される暗い生活、そのなかでの勇気、友情、絶望、希望、そういう胸に迫る万感の思いを、歌に託し、生きる喜びに、生きる知恵にしてきたのです。

そして、この本の編集に携わったお父さんが、息子さん(といってももう70です)に、丁寧な文字で表紙裏に文字を書いて渡してくれた。
それは、ただ渡したというのではなく、国を愛した純潔の思いを、東亜への夢を、願いを、真心の深さを、「伝えてくれよ」というものであったのだとわかりました。

辞世の句といわれるものもあります。
大石内蔵助の
 あら楽や思ひは晴るる身は捨つる
 浮世の月にかかる雲なし

吉田松陰の
 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
 留め置かまし大和魂

など、有名な辞世はたくさんありますが、死を前にして、自分が生きた生涯を、自分の人生のすべてを、和歌ならたった31文字に、俳句ならたった17文字に押し込めるわけです。まさに万感胸に迫る思いを、そこに凝縮するのです。

ですから、書いてある言葉よりも、そこに書かれていないところに、ずっとずっと大きな意味や事績が込められている。
それが日本古来の伝統文学である歌です。

そしてその書いてないところの意味を、しっかりと読み解いていく。
それは、まるで謎解きのような楽しさがあるし、わかったときに、まさに詠み手の胸に迫る万感が、思いが、わたしたちに語りかけてくれます。

さて、前回の百人一首の33番歌の紀友則「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」の歌の解説に、この歌は、親しい友の死を歌ったものと書きました。
春の桜を美しく謳い上げたこの歌を、親しい友の死を悼む歌だと読むことには、いささか抵抗感を持たれる方もおいでになるかもしれません。

けれど死を示唆しているということは、次にくるのが、34番歌の藤原興風(ふじわらのおきかぜ)であることからもわかるのです。

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34番歌 藤原興風(ふじわらのおきかぜ)

誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに


たれをかも
しるひとにせむ
たかさこのまつも
むかしのともならなくに
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現代語に直訳すると、「いったい誰を友にしたらよいだのろうか。長寿で有名な高砂の松でさえも昔からの友ではないのに」となります。

「誰をかも」は、「か」が疑問をあらわす係助詞で「誰をか?」のようなイメージになります。これに強調の意味の「も」が付いています。
「高砂の松」は、現在の兵庫県高砂市にある松の名所です。こちらの「も」は同じ係助詞です。
「昔の友ならなくに」の「なら」は、「なく」が古代の言葉で打消しで、「ならなくに」で「〜ではないのに」となります。つまり、「昔の友ではないのに」となるわけです。

この歌を詠んだ藤原興風(ふじわらのおきかぜ)は三十六歌仙のひとりに選ばれた歌人です。
関東にはとっても縁のある人で、相模の国(神奈川)、上野国(こうずけのくに、群馬)、上総国(かずさのくに、千葉)の権大掾(ごんのだいじょう)などを歴任しました。

そんなところから、この歌の解説としては、
「歳をとると、身の回りからだんだん昔からの友達が亡くなっていく。気がつけば、昔よくいっしょにつるんで遊んだ仲間たちも、みんな死んでしまっていて、もう誰も残っていない。
高砂の松は、美しい風景を奏でるけれど、それだって昔からの友達というわけでもない。
この先、何を楽しみに生きていこうかなあ、といった感傷が、歌に詠み込まれている」といった解釈をしている本がほとんどです。

けれど、「爺さんになって、長生きしたら、昔、つるんだ仲間がみんな先立っちまって、おいらひとりになっちまって」ということと、「高砂の松」に何のつながりがあるのでしょうか。
多くの解説本は、このことについて、「松は長生きの象徴だから」と説明しています。
そして松の木を擬人化しているから、この歌はすごい歌なのだといいます。

つまり、17番の天才歌人在原業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川」や、26番の高貴な貞信公の「小倉山峰の紅葉葉心あらば」などと同じように、藤原興風も擬人法という高尚なテクニックを使っているから、すごい歌なのだというのです。

しかし擬人法というのなら、そもそも日本列島は、イザナミノミコトが産んだ島だとされているのが日本です。日本列島そのものが擬人化されているのですし、火も水も大地も植物も、この世のありとあらゆるものは、神が産み、ひとつひとつにすべて何々の神と名前が付けられているのです。
そういう意味では、太古の昔から、日本では森羅万象すべてを擬人化しています。

なにも擬人法は、現代の学者さんたちだけの特権ではなくて、大昔から日本ではあたりまえに行われてきた技法というより、常識です。
大国主神話には、有名な稲葉の白兔や、ワニなどが登場しますが、ウサギさんもワニさんも、人と同じようにしゃべるし、怒るし、悲しむし、つまり擬人化されています。

要するに和歌より、はるか何千年も古い神話でさえも擬人化のオンパレードなのです。
百人一首に所蔵された和歌が擬人法を使っているからといって、そのどこがどのように「すごい」のでしょうか。

そもそも日本は多神教の国です。
多神教は、万物に心があり、それぞれに神が宿るとするものです。
それが日本人の古来からの思想です。

また、「周囲に友がいなくなったから、松の木を友達にする」という解釈も疑問です。
なるほど松の木と語り合いながら、余生をすごそうということは、庭木や盆栽の好きな方なら、そういうこともありそうです。

けれど藤原興風は、関東に赴任している人です。
ところが「高砂の松」は、兵庫県にあるのです。
身近にある松なら、「松を友として生きよう」という解釈はありですが、なにせ新幹線も飛行機もない時代です。
関東から兵庫県まで、どうやって愛でに通うのでしょうか。
それに、松の名所というのなら、もっと近くに静岡の三保の松原もあるし、都に近い大阪にも住吉の松があります。仙台に行けば、名所の松島もあるのです。
ただ「松を友とする」という歌なら、どうして「高砂」が、ここにあえて出てきているのかの説明がつきません。

和歌は、このように矛盾やストレスのあるところにこそ、歌を読み解くヒントが隠されていることが多いです。
では、高砂の松は、いったい何を象徴しているのでしょうか。

なるほど松には松の神様(精霊)が宿ると考えたのが日本人です。
そこでこの歌に詠まれている「高砂の松」を、単に植物や樹木としての松のことを言っているのではなくて、「美しい高砂の松に宿る精霊(神様)」を詠んでいると考えてみます。
歌では松を、「昔からの友ではないのに・・・友にはならないよなあ」と詠んでいますが、指しているのが松の神様なら、それは当然、そのような意味になります。

そして「自分が歳をとって身近な友達が誰もいなくなったから」というのですが、この歌のどこに、自分が歳をとったと書いてあるのでしょうか。

藤原興風は、関東に権大掾(ごんのだいじょう)として赴任していた人です。
権大掾というのは、いまで言ったら、県知事と地方国税局の局長みたいな存在です。
その職を彼は、都から遠くはなれた「関東で」勤めていたわけです。
なのにどうしてわざわざここで兵庫県の「高砂の松」を題材にしたのか。そもそもこの歌には藤原興風が、どこでこの歌を詠んだのかという説明もありません。藤原興風は、兵庫県の高砂に観光旅行して、そこでこの歌を詠んだのでしょうか。

「古里は遠くにありて思うもの」なんて言葉もありますが、藤原興風は、遠くにある松の精霊たちを、老後の友として生きようかと言っているのでしょうか。
もちろん、そういう解釈もありです。
遠くにある風景に思いを寄せるということもあるからです。
けれど、繰り返しになりますが、そうであるならば、松は、大阪の住吉の松であろうが、静岡の三保の松であろうが、どこでも良いわけです。

しかし本当にそうなのでしょうか。
たった31文字しかない和歌の中で、そんなどうでも良いような言葉がはいった歌が、名歌になるものなのでしょうか。

もっというと、松がただの物体としての松ではなくて、松の精霊を意味する(だって擬人化なのでしょう?)とすると、こんどは前段の「誰をかも知る人にせむ」と矛盾してしまいます。
なぜなら前段の「知る人」は、自分をよく知ってくれている人だからです。つまり現実の人間です。
その現実の生身の人間と、高砂の松の神様、つまり人と神様は、同列に語るべき存在なのでしょうか。
それって、どうみても神様に対するご不敬というものです。

要するに、この歌を、冒頭に述べた最近の一般的解釈のように、「気がつけば昔よくいっしょにつるんで遊んだ仲間たちがもう誰も残っていなくて、高砂の松は、昔の友達ではないから、この先何を楽しみに生きていこうかなあ」という歌なのだとすると、どうしても「高砂の松」でひっかかり、矛盾だらけの歌になってしまうのです。

では、その「高砂の松」は、いったい何を意味しているのでしょうか。

実は、小倉百人一首の選者である藤原定家は、百人一首だけでなく「伊勢物語」の書写もした人です。
その「伊勢物語」は、いつ頃成立したものかわからないもので、現存する伊勢物語は、この藤原定家の写本がすべて元になっています。

その「伊勢物語」がどういう物語かというと、主人公が在原業平で、その様々な経験を描いたものと言われていて、つまり「伊勢物語」に描かれた時代と、小倉百人一首の歌人たちの時代は、同じ時代です。
その伊勢物語の中の重要な物語のひとつが、まさにこの「高砂の松」なのです。

どういう物語かというと、熊手を持ったおじさんと、箒(ほうき)を持ったおばさんが出てきます。
そして高砂の松林で、木陰を掃いています。
このお二人のおじさん、おばさんに、
「名所で有名な高砂の松はどこにあるのですか」と尋ねると、
「ここがそうですよ」という。
そこで、
「高砂の松と、大阪の住之江の松は、遠く離れているのに、どうして相生の松(あいおいのまつ)というのでしょうか」か尋ねると、
「おじさんが住吉の住人で、おばさんは高砂の住人なんですよ。けれど二人は夫婦でございまして、遠く離れていても心の情は通い合うのです」と答えるわけです。

そして二人は仲良く連れ立って、大阪の住之江へと去っていく。
そこでこれを追いかけると、なんと住吉明神様が出現されて、千秋万歳とお祝いを踊ってくれて、めでたしめでたし、というわけです。

これを能楽にしたのが、時代がずっと下った室町時代初期の世阿弥(ぜあみ)で、このラストのところで、「高砂や〜、この浦船に帆をあげて〜♪」という有名な長唄がはいります。
この長唄が、昔、結婚式などでよく歌われた「高砂」で、この「高砂」の最後のところには、「千秋楽は民をなで、萬歳楽(まんざいらく)には命をのぶ、相生(あいおい)の松風、颯々(さつさつ)の聲(こえ)ぞ楽しむ」と歌われていて、これがお相撲(すもう)や、お芝居興行などにおける最終日の「千秋楽」の語源になりました。

高砂の松が、伊勢物語でこのように扱われているということは、百人一首の歌人たちの時代には、すでに高砂の松は夫婦和合の象徴とされていたということです。
そして、住之江が男、高砂は女性の神様です。

ということは、藤原興風の「誰をかも知る人にせむ高砂の松」の歌は、高砂の松の精霊を友にしようなどといった不埒な歌詞などではぜんぜんなくて、もっと別な意味を持った歌だということになります。

どういうものかというと、
私はずっと関東に単身で赴任で赴任していて、仕事に追われ、仕事上のおつきあいばかりでずっと生きてきました。
その間、女房はずっと京の都においてけぼりでした。
けれどこうして親しくしていただいた友を失って残りの人生を考えたとき、やっぱり自分には女房しかいないんだなあと。
これからの人生、私は、もういちど妻を私の友として生きていこうと思います、という心情を詠んだ歌になるということです。

歌の下の句の「松も昔の友ならなくに」は、「松も昔の友ではないのに」、つまり松の精霊を「友でない」といっています。
ではいったい、友とは誰のことなのでしょうか。
その友は、藤原興風が、これかの人生を唯一の友にしたい女性なのです。だからこそ女性神である「高砂の松」が出てきているのです。

そして高砂の松が夫婦和合の象徴であり、高砂が女性神なら、この歌で藤原興風は、これからは妻を友として生きたい、と述べていることになります。他に解釈の余地はありません。

藤原興風は、いまでいえば、神奈川県知事、千葉県知事、群馬県知事を歴任した人です。
そして当時の知事(権大掾)というのは、ある意味、中央の進んだ文化の伝播者であるとともに、各県の国税局の局長さん的な収税官といった意味合いの地位でもあります。

そして日本では、古来、徴税にあたって、世界各地で行われたような武器を突きつけて脅し上げて税を強引に奪い取るような行為は、まったく例がありません。
江戸時代の百姓一揆にしても、凶作続きから税の減免を求めた一揆は、数限りなくありましたし、それはいまでいうならば国会前の街宣デモみたいなものであったわけですけれども、税の徴収の仕方が強引だ、卑劣だといって一揆が行われた事例は、ただの一件もないのです。

そしてそのことは、すくなくとも、文献資料に明らかな7世紀の大化の改新、大宝律令以降においても、まったく同じで、諸外国にあるように、税の支払いに応じないからといって見せしめのために衆人環視のもとで非納税者を磷付(はりつけ)にしたり、拷問して殺したりなどという事例は、ただのひとつもない。

平安時代においても、地方官である権大掾は、兵力や武力に相当するもの自体、ほんのひとにぎりの護衛以外、まるで持っていません。
むしろ武装武力としては、地方豪族や、寺社の僧兵たちのほうが、よほど強力です。

そうした中で、税の徴収を行うのです。
そのためには、権大掾という権威権力を振り回すのではなく、地方の豪族や名主さん、あるいは農家と日頃から良好な関係を築き、誰もが納得して税を納めてくれるように工夫し、努力していかなければなりません。

なるほど時代が下った鎌倉〜室町時代には、「泣く子と地頭には勝てぬ」などという言葉も生まれました。
たしかに収税に来る税吏というのは、税を取られる側からしたら嫌な存在であったかもしれません。
けれど、その嫌な奴が、何にたとえられたかと言えば「泣く子」なのです。
その「泣く子」が誰の子かといえば、我が子です。いちばん大切な存在です。
その一番大切な存在に、地頭さんがたとえられているのです。
どれだけ地頭さんたちが税を払う側と精神的なつながりをもっていたかがわかろうというものです。

そういう日本社会の風土の中にあって、地方官である権大掾が赴任先での税の徴収をまるくおさめようとするならば、赴任先の土地では、その地方の納税者たちにほんとうに気をつかったであろうし、また良好な人間関係の構築をはかっていたであろうことは、少し考えれば誰しもわかることです。

そして中央から派遣された権大掾さんたちが、税の徴収のためという目的のためあったかどうかに関わらず、彼らは、同時に中央(京の都)の学術文化の普及伝播者でもありました。
そして三十六歌仙のひとりに数えられ、弦楽にも通じていた藤原興風は、芸術分野において、特に地方の豪族たちと仲良く交流をしていたに違いありません。

そしてそういう中には、きっと教養人である藤原興風と、まさに対等に語り合うことのできる刎頸の友とまでいえる友人が、赴任先の関東にできたことでしょう。
けれどある日、その親しい友が、急逝する。
とっても悲しいことです。

歌には「誰をかもしる人にせむ」とあります。
「しる人」というのは、「自分をよく知ってくれた人」という意味です。
ですからそれは、藤原興風のよき理解者であり、友人であったわけです。

そういう友人を失うことは、まさに何もかも失ってしまったような悲しさを感じます。
「この先、私はいったい誰を友として生きていけば良いのか・・・。」

そのときに、ふと思い返すのが、都に残した妻のことです。
妻は、友とは違った存在です。
「自分には、もう妻しかいない。」

そしてそのことを、藤原興風は、「高砂の松」にたとえました。
なぜなら「高砂の松」は、夫婦和合の象徴であり、遠く離れた夫婦の絆の象徴でもあり、そして「高砂の松」は、妻の象徴でもあるからです。

だからこそ、この歌において、松は、大阪の住之江でも、駿河の三保(みほ)でもなく、「高砂の松」なのです。

こういう気持ちは、おそらく、長く単身赴任をご経験された方なら、きっとおわかりいただけようかと思います。
大切な友を失った悲しみの前にあって、遠くはなれた妻を思い、俺には女房しかいないんだよなあと思う。
それがこの藤原興風の34番歌なのです。

藤原興風は、別に歳をとって爺さんになったわけではありません。
現役の地方赴任した収税局長です。

前項で、33番の紀友則の歌の「しづ心なく花の散るらむ」は、ただ桜の花が騒がしく散っていくと歌っているわけではなくて、親しい友人の死を「花が散る」と歌い上げたものだと申し上げました。
なぜそうだと言い切れるのかといえば、それは続く34番歌のこの藤原興風の歌が、親しい友人の死を意味する歌だからであると申し上げました。
そしてこの歌は、ただ友の死を悲しむだけでなく、同時に愛する妻への思いを綴った歌でもあるわけです。

妻はかけがえのない存在です。
ですから失った友も、妻に比喩されるほどの、かけがえのない友であったことがわかります。

そして、なぜこの藤原興風の歌が、妻を指していると特定できるかといえば、その理由は、続く35番歌の紀貫之の歌にもあります。
これまた妻を歌っています。


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35番歌 紀貫之(きのつらゆき)

人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香に匂ひける


ひとはいさ
こころもしらす
ふるさとは
はなそむかしの
かににほひける
===========

この歌の現代語訳は、「さて、人の心はわからないけれど、ふるさとの梅の花は昔のまま香ってますよ」といった意味だと解されています。

「人はいさ」の「いさ」は、その下の打消し語を伴うことで「さあ、〜ではないですね」といったときに用いられる語で、この場合「心も知らず」ですから、人の心なんてわからないものですね、といった意味となっています。
「花」が出てきますが、その花は「香る花」です。
いっぱんにこの時代に「花」といえば桜を指しますが、桜は匂いません。ですから匂う花ということで、ここでの花は「梅」だと特定されます。

この歌には古今集に注釈(詞書)があって、そこには紀貫之が、初瀬にある長谷寺詣(もうで)をしたときに、ひさしぶりに泊まった宿でそこの主人から、
「かく定かになむ宿りは在る(このように宿は昔のままです)」と言われ、それに答えて紀貫之が、梅の花一輪を手折ってこの歌を詠んだとあります。

長谷寺というのは、奈良・大和路にある有名な花のお寺です。
その寺に詣でる途中の宿屋の主人ですが、その主人が男か女かはわかりません。
わかりませんが、一般に、昔の旅籠というのは、基本的に接客は女性の役目で、男性はたとえ主人であっても、帳場と外や風呂場の掃除、調理場などのどちらかというと裏方仕事というのが、一般的な通り相場です。

そして特別に大切な賓客(この場合、紀貫之は、当時の大文豪であり、宮中の貴族なのですから、賓客そのものです)の場合は、たいていは、(もちろん宿の男主人も挨拶には出てくるけれど)、基本的には宿の女将(おかみ)さんが、おもてなしや接客を担当したものです。

なにせ紀貫之は、当代きっての一大有名人なのです。
宿としても、それはそれは気を使い、大切におもてなししていたことは、想像に難くありません。
しかも紀貫之は、何度となくその宿を使っているお馴染みさんなのです。

そしてこのお馴染みさんの賓客に、女将さんが「あら、おひさしぶりでございますわね。私もずいぶんと歳をとってしまいましたが、このように宿は昔のままでございます」などと声をかけるわけです。
すると紀貫之が、それが家の中なら、花瓶に挿してある梅の小枝から、表ならば、すぐ脇にあった梅の木から、小枝一輪を手折り、黙って、
「人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける」という句を女将さんに手渡すわけです。
まさに絵になるかっこよさです。

そこでこの歌の意味ですが、解説本の中には、「花の香りは昔のままだが、人の心は変わりやすいものなので、あなたの心などあずかりしらぬところだ」と詠んだ歌だと解説しているものなどがありますが、これなどは論外で、それではまるで紀貫之が、まるで冷淡な男性で、女将のことを頭から拒絶しているような歌になってしまいます。
そんなツマラナイ駄歌なら、そもそも百人一首に選ばれる理由もないわけですから、その解釈は間違っていると思います。

すると冒頭にある「人の心はわからないけれど、ふるさとの梅の花は昔のまま香ってますよ」といった意味だということが、なにやらいいところをついているようにも思えてきますが、和歌は、その文面にないところに、その真意があるものです。

この歌で、ものすごく目を引くのは、やはり「花」です。
なぜなら、紀貫之は、それを「花は」とか、「花の」としないで、あえて「花ぞ」と詠んでいるわけです。
格別に「花」を強調しています。

つまり、「花ぞ!」があって、「香り匂いける」と続いているわけです。
「花の香りが〜」と詠んでいるわけではないのです。
そしてその「香り」は、「昔の香り」と書いています。
「昔のままの香りだ」というわけです。
しかし、「花の香りが昔のままだ」というのなら、どうして「花ぞ」と、あえて花だけを先に強調しているのでしょうか。その理由の説明がつかなくなるのです。

これを知るには、昔の「妻」について、少し考えておく必要があります。
明治のはじめまでの日本は、古代からずっとですが、一夫多妻制の国でした。
これには理由があって、昔は、男性も女性も、ちょっと病気になれば、すぐに死んでしまったものだったのです。

せっかく夫婦になっても、夫に死に別れた、妻に先立たれたということは、実に身近な出来事であったわけで、特に女性は出産で死に至ること、男性であればちょっとした怪我がもとで破傷風になって死んでしまったりなどということは、まさに年中あったわけです。

そうすると、たとえば夫に先立たれた妻は、子を抱えて、生活がにっちもさっちもいきません。
昔の生活は基本的に自給自足ですし、体力勝負の農業活動が生活の中心ですから、幼子を抱え、女手一つで子供を育てるというのは、現実の問題として、たいへんやっかいなことだったわけです。

これは男性の場合も同じで、基本的に農地(知行地)は、世襲で相続しますが、妻に先立たれたり、さらにたとえ妻が存命であったとしても、跡継ぎの息子がいなければ、官位も財産も全部失ってしまうわけです。

しかもその子供は、いまと違ってよく死にました。
時代は異なりますが、幕末の大老井伊直弼は、井伊家の14男です。
その14男坊が、どうして井伊家の跡を継いで幕府の大老という要職を得たのかといえば、長男から13男まで、みんな死んでしまったからです。
それくらい、子供はよく死にました。

私の父は長男ですが、ひとりしかいない叔父は四男です。
なぜ、四男なのに、兄弟二人しかいないのかといえば、次男と三男は、病気で幼い頃に他界してしまったのです。
それほどまでに、子供を大きく育てるということは、たいへんなことでした。

ですから、貴族などは、立派な子を大人にするために、側室をおきました。
つまり、一夫多妻制をひいていたわけです。
そして力のある男性は、複数の妻を持ちました。
そうしなければ、寡婦(離婚したり、夫に死別したりした女性)は、子供を抱えて生きていくことができなかったわけですから、これは生活の知恵ともいうべきものです。

また、兄弟に先立たれたとき、その先立った弟や兄の妻を、兄弟が妻に迎えるということも、よくありました。そうしなければ、子が飢え死にしてしまうのです。

一方、一夫一婦制というのは、仮に兄弟姉妹に万一のことがあったとしても、誰もその配偶者の面倒をみない制度ということができます。
果たしてどちらが、社会制度として、やさしさのある制度といえるのか。
医療の充分でなかった古代や中世においては、すくなくとも一夫多妻制の方が、合理的な社会制度であったということがいえるのではないかと思います。

ちなみにすこし脱線しますが、この問題は、我が国の天皇につていも重大な問題を投げかけます。
現代社会では、天皇が側室を置くということには、おそらく反発が大きいと思います。
けれども、現在の皇室典範では、ご皇族の男系男子が天皇の地位を引き継ぐことになっています。
そしてその皇族は、三親等までと決められているのです。

ということは、三親等以内が、全員女性だったとき、天皇には皇室典範上の跡継ぎが存在せず、その時点で、我が国の天皇は、絶えることになります。

どういうことかというと、まず今上陛下の親にあたる昭和天皇のご兄弟は三笠宮様です。
そしてその三笠宮様には、お孫さん(三親等)が5人いますが、5人全部が女の子です。つまり天皇にはなれません。

今上陛下から三親等というと、皇太子殿下のお子様は、女性の愛子内親王殿下だけです。
ご皇族内の男系男子は、なんとかろうじて、皇太子殿下の弟君である秋篠宮殿下の御子の悠仁(ひさひと)親王殿下しかいないのです。

もしその悠仁親王殿下に万一のことがあったり、あるいは将来結婚したときに女の子しか産まれなかったら、我が国の天皇は、128代目の悠仁殿下の第でついえることになってしまうのです。
これは絶対に考え直さなければならない、たいへん重大な問題です。

そもそも戦前の皇室典範は、ですから10親等までをご皇族としていました。
それだって女の子ばかりという危険があったのです。
一夫一婦制となり、側室が認められないという制度の中では、親等枠を広げることしか、万世一系の天皇を維持する方法がないのです。これは大問題です。

と、つい脱線してしまいましたが、要するに個人主義ではなく、家系の保持をたいせつにしたかつての日本社会ではどうしても、特に高貴なお家柄の方々においては、妻を何人も持つことがどうしても必要なことであったし、それは貴人としての義務でもあったわけです。

私は、この紀貫之が強調した「花ぞ!」は、その宿の女将か、もしくはその宿とは関係ないけれど、貫之が想う女性のことを指していたであろうと拝察します。

昔は「通い婚」社会です。
男性が、妻のもとに通ったのです。
そして、その妻は、正妻の他に、何人もいたわけです。
一夫多妻制なのです。

「あなた、最近、わたしのところにあまり来なくなったわね」
宿の女将のその言葉は、宿の女将が紀貫之の妻のひとりであったのか、それとも、そんな女将の言葉に、このたびの旅立ちの前の日の夜、久方ぶりに通った妻の言葉が、貫之の頭の中でプレイバックしたのか、そこのところはわかりません。

「それって、わたしがおばさんになって、容姿が衰えたから?」と聞いた女性がいたのでしょう。
女性は、いくつになっても、自分の容姿を気にします。
けれど男性にとっては、容姿よりも心こそが妻として大切なことなのです。
人間、歳をとれば、誰しも若い頃のような容姿も姿態もありません。
しかし、逆に年輪を重ねることによって、心がけしだいで、心根の美しさは倍増していきます。男も女もです。

女将のそんな言葉に、紀貫之は、黙って梅の花を一輪、その場で手折って差し出しました。
そして、「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける」と詠んだのです。

他人様がどうなのかなんて知らないよ。
けどね、君は私の心のふるさとなんだ。
そして、そのふるさとは、昔のまま、ずっと同じ香りに匂っているのだよ。。。。

それが男として、その女性を愛しく思い、愛し続けた率直な気持ちだったのです。

最近の能科学の研究で、性欲と愛情は、脳の別な場所が反応していることが確かめられたのだそうです。
女性は、自分の若さや容姿の美しさをとても気にするけれど、男性にとっては、長年愛し続けた女性は、外見よりも、その心への愛が先行します。
愛と性は別ものなのです。

そういう複雑な大人の愛を、この歌は高らかに謳いあげている。まさに名歌だと思います。

そうそう、歌の話に夢中になってしまって、紀貫之のご紹介が遅れてしまいました。
紀貫之は、醍醐天皇から、本邦初の勅撰和歌集の「古今和歌集」の編纂を命じられた人です。
命じられたのは、他に従兄弟の紀友則、先にご紹介した「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花(29番歌)の凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし(30番歌)」の壬生忠岑(みぶのただみね)がいます。

なかでも紀貫之は、古今和歌集の序文を書いているくらいですから、その中の筆頭であったわけで、古今の日本文学界で、最大の敬意と賞賛を受けてきた大歌人です。

その歌人の紀貫之が残した数々の歌(435首)の中から、藤原定家が、唯一、百人一首に選んだ歌が、この35番歌の「花ぞ昔の香に匂ひける」です。
情愛の深さ、梅の花一輪を手折って、即興の歌とともに差し出した風情、そしてその心。
30番歌、31番歌、32番歌、34番歌と、仕事に生き、仕事に打ち込む男性を描いた歌の続きに、藤原定家が選んだのが、この紀貫之の「花ぞ、昔の香」の歌でした。

どんな時代でも、およそ人間である以上、この世には男と女しかいないわけです。
個人主義の世の中では、個人にこだわるあまり、男と女が対立と闘争の関係だなどと言い出す昨今ですが、男が女を愛し、女が男を愛するということは、人間が人間である以上、過去も現在も未来も、決して変わることのないものです。

そして男子たるもの、いつまでも愛する女性に心の花の香りを見ていたいし、女性も男性の愛を感じ続けていたいのだろうと思います。


=========
36番歌 清原深養父(きよはらのふかやぶ)

夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを
雲のいずこに月宿るらむ


なつのよは
またよひなから
あけぬるを
くものいつこに
つきやとるらむ
=========

この歌で、まず気になるのは、詠み手の名前が清原深養父(きよはらのふかやぶ)となっていることです。
なんだか、清原 深という人がいて、その養父が詠んだ歌、みたいな感じがしますが、そうではなくて、清原が名字で、深養父(ふかやぶ)が名前です。

この人は、清少納言の曾祖父にあたる人で、官位は従五位下ですから、中級役人といった感じの人でした。
やはり三十六歌仙のひとりに数えられる教養人です。

小倉百人一首は、34番、35番と、妻をテーマとした歌が並んでいますが、この36番はどのような意味の歌なのでしょうか。

解説書などを読むと、たいていの本がこの歌の現代語訳として、「夏の夜は短くて、宵の口だと思っているうちに夜が明けてしう。月は、雲のどのあたりに宿っているのだろうか」などと書いています。
そして意味は、月を擬人化して、どこに泊まったのだろうかと歌っているのだ、などと書いています。

はて。月の宿泊所と、夏の夜が短いということと、いったいどこがどうつながるのでしょうか。
そこがわからないので、月がまだ空にぽっかりと残っている情景を詠んだ名歌です、などと、意味不明の解説をしているものが、多くあるようです。

けれど、実感として、大好きな人と過ごしているときって、時間があっという間にすぎてしまう。
もう何時間も二人だけの一緒の時間を過ごしているのに、それがまたたく間の短い時間に感じられるという経験は、熱い恋愛経験をお持ちの方なら、きっとおわかりいただけるのではないかと思います。

男は日中は仕事がありますから、好きな女性と二人きりで過ごす時間というのは、夜しかありません。
これが夏の夜ともなると、西日本では、夜は8時近くまで空が明るいし、朝は4時半すぎには、もう明るくなっています。
夜がとても短いのです。

ただでさえ、好きな人と過ごしている時間は短く感じられるもの。
まして、それが夏の夜ともなれば、それこそあっという間に世が明けてしまいます。
だから「雲のいずこに月は宿るのだろうか。夜の月だって、こんなに短い時間では、宿るヒマさえなかろうに」と詠んでいるのです。

ここまでくれば、上の句の「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを」も見えてきます。
この上の句は、「夏の夜は、まだ宵の口なのに明け方になってしまっている」と、あり得ないような物理的時間を言っているのではありません。
大好きな人と、二人だけで過ごす時間が、とても短く感じられる、いわば精神タイムのことを言っているのです。

まあ、女性にあまりご縁のない私などは、「そんな恋ってしてみたいなー」と、ただ憧れるだけですが、そんな私でも、好きなことをしていると時間があっという間に経ってしまうことから、これが大好きな人といる時間なら、きっと、もっと短く感じられるだろうな、という想像くらいはたらきます(笑)


続く37番歌は、文屋朝康(ぶんやのあさやす)です。
この人は、先にご紹介した百人一首32番歌の歌人であり、小野小町の彼氏であった文屋康秀の子です。
36番の清原深養父の歌が夏の夜なら、文屋朝康は秋の歌です。
さて、そこにはどのような意味が隠されているのでしょうか。

次回を乞うご期待。

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コメント

竹千代

學び続けたい三十一文字の世界
ありゃ!
連投になってしまいました。
皆様ごめんなさい。

「令和」の改元を前にして、万葉集が俄然脚光を浴び始めましたね。
余談ですが「レイワ」という発音のロゴが埼玉には沢山あり、あちこちで大喜びしています。

さて、私達は百人一首です。
万葉集と違って、百人一首は詠み人が明記されています。
三十一文字の中にある詠み人の想いや時代背景に触れる…そして美しい語彙も覚えられる…素晴らしい書き物を残してもらい、実に有難いです。

読みながらいつも思うんですけど、現代の私達だって悩みますし、高い志だってあります。
千年経っても…ひとの心って変わらないものなんですね。
但し、ねずさんの懇切丁寧な読み解きに接しても、分からない部分はまだまだ沢山あります。
万葉集も含め、少しずつ身に付けていきたいと思っています。

takechiyo1949

遥かな雅の世界に浸る
今日は良い天気でしたが少し寒かったです。
指が凍えてキーボードも上手く叩けません。

さて、仕事であくせくし、喧しい世相に振り回されてばかりですと、何だか生き様が小さくなってしまう気がします。

偶には百人一首!
ねずさんの解説付きでじっくり読みながら遥かな雅の世界に浸る…リフレッシュだな~と感じる…そういう歳になったということですかね。
解説してもらっても、分からないことは沢山あります。
でもいいんです。
勉強して学者になるつもりはありませんから。
「學ぶ会」のスタッフさんに深謝申し上げます。

mari

No title
『誰をかも』の解説は少し分かりにくかったです。
高砂の松が妻であれば、「むかしのともならなくに」は「妻も昔の友ではない」となりませんか?何度読み直してもわかりませんでした。(でもねずさんが非常に奥様を大切に思われているのはよく分かりましたよ(^^))

貫之の『人はいさ』は、宿の主の返歌も好きです。
「花だにも同じ心に咲くものを植ゑけむ人の心知らなむ」
花を愛でつつお互いの心の内を確かめあっているようで、こんなおしゃれなやり取りをとても羨ましく思います。私は理系人間なのでとてもこんなことは出来ません・・・

『夏の夜は』には、古代の日本人の天体に対する表現の豊かさを思い知りました。月が雲に泊まるなんて奇想天外です。さすが竹取物語を産み出した民族ですね。

百人一首は1日限定公開になったんですね。うっかり見逃さないように気をつけないと!もちろん、書籍が発売されたら真っ先に購入しますが。

次回も楽しみにしています。

-

No title
高校時代に百人一首を覚える試験があったのですが、
当時はただ暗記させられただけで全く面白く無かったです。
ねずさんのような解説があれば、きっと和歌に興味を持ったと思います。
このような解説を親や兄弟にも紹介したいので、百人一首シリーズを書籍化頂けたら嬉しいです。
また、ねずさんが推薦出来る解説本がありましたら、紹介頂けたら幸いです。

junn

No title
STAP細胞の存在がほぼ確定に!理研がSTAP細胞の国際特許出願していた!しかも、2年前に「ミューズ細胞」という類似する技術が認可される!

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2278.html

愛信

舛添都知事、北京市の招待で24日から訪中
舛添都知事、北京市の招待で24日から訪中
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140415-OYT1T50169.html

【関連情報】
舛添都知事、北京市の招待で24日から訪中
東京都知事選挙の有権者数が不一致
( http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi#2月12日_21時17分21秒 )
【創価学会の掲示板】舛添の街頭演説を聴いた! 要約すると 韓国と中国と親密な関係を作る。
( http://www.aixin.jp/axbbs/snt/snt0.cgi#1月25日_16時46分07秒 ) 

東京都知事選挙では投票者数と有権者数が不一致の問題が発生している。
投票した票数と棄権した票数の総計が東京都の全ての選挙区でほぼ一定の
割合で少なくなっている。 前日の大雪の影響で多数の有権者が投票を棄
権した為に過度の低投票率で舛添の得票の偽装操作を隠蔽する為に有権者
数を捏造したためである。 即ち現在の都知事には東京都を代表する資格は無い。

詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

ポッポ

No title
4月15日に京都市で開催中の国際会議で、STAP細胞論文の共著者であるチャールズ・バカンティ米ハーバード大教授は小保方氏の論文に「悪意や騙す意図のある間違いではない」と話されました。
また、「STAP細胞はある。小保方氏の研究は優れている」と強調されています。
バカンティ教授は、猿や犬をSTAP細胞で治療しているそうです。
また、「発見全体が間違いでない以上、論文を撤回する必要はない」とも言っています。

理研は笹井芳樹副センター長は4月16日に会見をしました。STAP現象はあったが、スタップ細胞の効果はなかったとのことです。また、本人は研究には関わっていず、論文だけに関わったとのことです。
その程度の関係で、1月の発表の際に前面に出るものかと思いました。
あの時の笹井副センター長の喜びとはしゃぎ方は、尋常ではなかったと思います。そのため、引き合いの研究に出された山中教授は、不快感を示されたような気がしました。
それが、具合が悪くなるとこの態度です。
それから、どんな仕事であれ自分が関わる場合には、それなりの興味を持たないと、一緒に仕事をする方に対して失礼だと思います。
また、例え優秀な研究者でも、どんなことにも興味を示し研究者を応援できる方でないと、理研のような独創的な研究の付きまとう独立法人の管理職に、適正があるのかと不安になりました。

小保方さんの席は、理研にはもうないのかも知れません。
その場合には、ハーバードで研究を続けられるのかも知れませんが、できうれば、日本の研究所で頑張っていただきたいと思います。
優秀な研究者ですから、どこかの企業が必ずスカウトに来ると思います。


詳しいことは知らないのですが、日本の特許は先願主義で、アメリカのそれは先発明主義だそうです。

だから、アメリカの場合には早く発明したものが勝ちで、極端な場合にはアイデアを提出したものが、優先されるのではないでしょうか。
日本の場合には早く特許の出願をすることが優先されるけれど、日本人はなにごとにも几帳面ですから、正確さを要求するでしょう。また、特許の内容を審査する配置人員が少ないことから、結果的に審査期間は長くなると思います。さらに、アメリカは先発明に極端な場合があり、出願当時は技術的に作れなかったものが、その後に製品化が可能となった際にアメリカの特許にあると、いきなり主張することもありました。

結果的に、日本は事実上の発明や製品化をしても特許侵害にされたこともあるでしょう。
発明や新案特許は日本の財産ですから、アメリカに負けない制度を作って、公平な条件の下に世界と競争していただきたいと思います。



震災から丸3年を経過し、安倍政権が成立してから1年3ヶ月が経過しました。
この夏、関西電力は中部電力からも電気を融通していただくことで、電力不足を回避できるそうです。

全ての原子力発電所は検査のため発電を停止しているのですが、猛暑に扇風機で我慢せず、クーラーを遠慮なく使えます。
ありがたいことです。

これで、各種の工場や企業に勤務する従業員の方達も、暑い夏に我慢することなくエアコンで涼しく作業をされることでしょう。
後は、電気料金の問題です。
エアコンで涼しく過ごした後に、熱を出しそうな電気料金の請求書が待っています。
できうれば、少しでも電気料金が安価になる原子力発電所の稼働が、早くなるようにと思います。



4月15日に大阪府警は、生活保護費を不正受給したとして、詐欺の疑いで韓国人の男性(52歳)を逮捕しました。
この男性はヘイトスピーチへの反対行動を行っていた市民団体「友だち守る団」(昨年5月解散)の元代表ですが、その一方で元・広告代理店のクリエイター。コピーライター、イラストレーター、プランナーなどからスタートし、​クリエイティブ・ディレクターとして活躍。広告賞を数度受賞したのち、フリーランスに転進。以後、広告クリエイターとしてのみに限らず、企業コンサルタントや業務代理業などさまざまな業界に進出し、果てには京都・祇園でBARを経営経営したり、本を出版したりと多彩な生活を送っていたそうですが、逮捕容疑は生活保護費の112万円の不正受給です。

生活保護費の不正受給ですから逮捕されるのは当然ですが、問題はそれ以前に、大阪市はこれだけの経歴があるのに、何故、生活保護費を支給することになったのかです。
生活保護費は基本的人権として支給されるものですが、収入のある外国人に何故支給したのでしょう。彼の市民団体での活動を見る限り極めて健康で体力は十分ですから、仕事を出来る生活環境にあったと考えます。

日本国民として、税金をこんなことで無駄遣いされることに憤りを感じます。
大阪市は橋下市長になってから区役所の福祉課には元警察職員を配置して、生活保護などで市民が無法なことをする場合には、対応すると思っていたのですが・・・・・・私の勘違いだったのか?

-

ねずさん、百人一首のご解説ありがとうございます。 雅びな歌の情景とは裏腹に
ロシア、ウクライナは内戦に発展する様相を呈してきました。間違いなく、けしかけているのは、プーチン率いるロシアです。
ウクライナ国内で公共施設を武装した者達がいたら国権をもって制圧し排除するのは国の秩序と平和を維持する為にも当然の国権の発動です。ウクライナはそれを行っているわけです。それも究めて自制心をもって特殊部隊は鎮圧に当たっています。勿論ロシアの軍事介入の口実を与えない配慮もありますが、
ウクライナ軍の指揮官はじめウクライナ兵が優秀で統率が取れている明かしだと想います。 ウクライナ側の制圧行動をプーチンは国連に批難声明を出すよう申し出ているらしいですが、盗人猛々しいとはこの事です。今のご時世、道理に反する事を行っても永く続かない事は明白です。 ウクライナの方達を心から応援します。

生粋の日本人

日本の伝統と文化を伝えよう
日本の文化、伝統を後世に伝えなければならないと思っています。
他国にない日本独自の文化、伝統を敗戦によって否定、抹消されて私達団塊世代でさえ戦前、戦中、戦後の日本の歴史を知らず、今の混沌とした世の中に疑問を感じる有様。
日本には、ずっとずっと昔からすばらしい教えがあった。
百人一首は最たるものですよね。
先日、京都に住む姉から手土産に長岡京小倉山荘のせんべいをもらいました。
包装紙の袋に百人一首が書かれています。34番~36番も、もちろん見ました。
日本の教育でこの百人一首を教えているのかな?
と思いました。私は、学んでいないから多分、今の子供達も学んでいないでしょうね。
グローバル社会と言うのは結局侵略されるって事でしょうね。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
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