和歌の基本は、上の句の17文字、下の句の14文字で、本当に言いたいこと、伝えたい思いを読み手に察してもらうというもので、だからこそ、和歌を学ぶということは自然と、相手の心を察する習慣を身につけさせます。
そして相手の心を察する習慣は、思いやりとかおもてなしの心といった、日本の文化の原点となる心を育みます。
ところが戦前までは、そういう読み方があたりまえだった和歌について、戦後教育は、「そこに文字で書いてあることしか読まない」という、きわめて(私からみたら)おかしな解法が、和歌の鑑賞の基本にすり替えられてしまいました。
その結果、たとえば我が国の歴史の残る歌人の柿本人麻呂の百人一首三番歌「ながながし夜をひとりかも寝む」が、人麻呂爺さんが、夜、一人で寝るのが寂しくて若い女性の同衾を求めている歌、つまりこの歌は助平なヒヒ爺の欲望を詠んだ歌だなどという、ありえない解釈が生まれたりするわけです。
この人麻呂の歌は、過去記事でどういう意味か詳しく解説しましたが、天才と呼ばれた人麻呂のような歌人でさえ、歌を詠むために深夜遅くまで悩んで悩んで悩み抜いている姿と、和歌はそれだけの値打ちのあるものだという明確なメッセージが込められた歌です。
それがヒヒ爺の助平心の歌だとは、怒りを通り越してあきれ果てます。
また戦後教育を受けた多くの日本人が、古典や国語の授業を通じて、あるいは書籍を通じて百人一首の世界を、まるで高貴な貴族たちの入り乱れた男女関係の痴戯の歌集だという印象を持っていることにも、驚かされます。
百人一首は、千年前の三流週刊誌ではないのです。
古今の名歌から、ひとり一首だけを選び、それを解釈しやすいように丁寧に並べた歌集です。
その歌を、順番に鑑賞することで、誰もが素直な心で歌を学ぶことができ、歌を通じて古今の日本人の心をしっかりと学ぶことができる。
だからこそ百人一首は、千年の長きにわたり、多くの人に愛され続け、また子供から大人まで、多くの人々に学びの場を与えてきたのです。
考えてみれば、これはすごいことです。
さて、今回は、37番歌からです。
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37番歌 文屋朝康(ふんやのあさやす)
白露に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける しらつゆに
かせのふきしく
あきののは
つらぬきとめぬ
たまそちりける
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文屋朝康というのは、あの小野小町の彼氏で、地方転勤を命じられたときに小町に「俺に付いてきてくれぬか」と申し向け、小町が「はい」と答えてくれたという、あのモテ男の文屋康秀の子です。
父である文屋康秀は、たいへんな才能に恵まれた男性でした。
なんたって、本邦最高の美女である小野小町を彼女にしたくらいの男性です。
見た目もよく、教養もあり、まさに優れた男子の典型であったことでしょう。
けれど、その文屋康秀は、愛する小町を「都会育ちの小町には田舎暮らしは難儀であろう」と、焦がれる想いを胸に抱いたまま、単身、地方へと赴任していったという、男としての思いやりとやさしい心を持った男でもありました。
文屋康秀は、当時の下級官僚でしたが、この37番歌の文屋朝康も、父と同じ下級官僚です。
その文屋朝康の百人一首に収録されたこの37番歌は、一般的な通釈ですと、
「白露に風が吹きつける秋の野は、紐で貫いて留めていない玉が散っているようだ」という意味だとされています。
つまり、秋の野の美しい様子を歌にしたものだ、というのです。
しかし、紐で貫いて留めていない玉が散ることの、どこがいったい「美しい光景」なのでしょうか。
そもそも飛び散っている「白露」というのは、草の葉の上に乗って光っている水滴です。
たいへん美しいものとされ、飲料にもなるくらいきれいなものとして比喩されるものであり、そこから「清らかなもの」という意味がもたらされているけれど、だからといって、白露が飛び散るほどの風といえば、相当の強風です。というより最早、暴風です。
しかも歌は「秋の」といっていますから、台風かもしれません。
下の句は、「貫いて留めていない玉が散ってしまう」とされていますから、そうなるとこの歌は、台風が美しいと言っているのでしょうか。
すこし考えたらわかるのですが、清らかなものは、守るべき価値のあるもの、たいせつなものです。
それが台風で飛ばされて散ってしまうというなら、それは「美しい姿」というよりも、迷惑でおそろしい姿です。
そのどこがどう「美しい」のでしょうか。
このように、納得できかねるストレスを歌に詠み込まれている場合、そのストレスにあたる部分が、まさにその歌の真意を読み解くヒントになります。
これが和歌の特徴でもあります。
さらにこの歌で特徴をなしているのが「玉ぞ散りける」です。
「玉」というのは、よく「掌中の玉(しょうちゅうのぎょく)」に例えられます。
つまり「玉」は、その人にとっていちばんたいせつなものです。
もしかしたら、自分の命よりもたいせつなもの、自分の命を投げ打ってでも守りたいもの、それが「玉」です。
その「玉」が、「貫いて留めていなかった」ために、「風で散っていって」しまっているのです。
自分がしっかりと守り留めていなかったがために、玉のようにたいせつで絶対に手放したくたくなかった何かを、彼は失ってしまったのです。
それはまるで、嵐に吹かれ、飛ばされてしまったかのような衝撃であると詠んでいるわけです。
彼が失ったものは、白露にたとえられるくらいですから、何か特別な清浄なものです。
好きな女性でしょうか。
もし女性ならば、その女性は、彼にとってまるで白菊のように美しく、そして白露のように清潔感のある姫君であり、掌中の玉として生涯、あるいは未来永劫たいせつにしていきたかった、そういう女性といえるかもしれません。
文屋朝康も、父の子です。
父の遺伝子をひいていますから、彼もまた、モテ系の好男子であったろうことと思います。
ちなみにこの時代、モテ系男子の条件のひとつとして、「背が高い」ということがありました。
これは証拠があって、遣唐使を派遣するとき、使者として選ばれるのは、貴族などの高貴な身分の若者であって、背が高く、学問ができ、文武に優れていることとされていたのです。
おかげで、唐の都では、日本からの留学生や使者たちは、たいへんよくモテたと、Chinaの史書に書かれています。
ところが、この歌を詠んだ文屋朝康は、実はこの歌だけでなく、古今集にもうひとつ似たような、というよりそっくりな歌を遺しています。
それは、
秋の野に おく白露は 玉なれや
つらぬきかくる 蜘蛛の糸すぢ
という歌です。
ここでも「白露」と「玉」が題材にされていますが、こちらの歌ではその玉を「まるで蜘蛛が、獲物を巣の中でがんじがらめにして蜘蛛の巣でしばりつけてしまうように、大切にし、かつ隠しておきたかったと、詠んでいます。
誰から、何から隠しておきたかったのでしょうか。
そして百人一首に掲載されたこちらの歌の方では、こちらは後撰和歌集の308番に収録された歌なのですけれども、その玉が「散ってしまった」と詠んでいるわけです。
両方を合わせてみると、文屋朝康が、がんじがらめにしてでも隠しておきたかった掌中の玉のようにたいせつな何かが、散ってしまったのだということがわかります。
「散った」は、「失った」とは意味が違います。
恋なら、「失った」と書きます。
「散った」とは書きません。
なぜなら「散った」は、死を意味するからです。
この歌を鑑賞するに際して、ひとつ押さえておかなければならないポイントがあります。
それは、昔は子供がよく死んだ、という点です。
子供をたくさん作っても、二人にひとりが成人してくれたら、良い方とさえいわれました。
それだけ子を産み育てるということは、たいへんなことでした。
そのことは、かなり医療の発達した昭和初期頃でも同じです。
うちの祖母は、子を4人産みましたが、次男、三男は小学生のうちに病気で亡くなっています。
ほんとうに、子供はよく死んだのです。
むしろそれが普通でした。
子供は七五三のお祝いをしますが、これはやっと三歳まで生きてくれた、やっと五歳まで生きてくれた、ようやく七歳まで生きて育ってくれた、よくぞここまで育ってくれた、これなら立派に大人にまで育ってくれるであろうという喜びがカタチになった祝い事です。
ほんとうにそれくらい、子を大きくするということは、たいへんなことだったのです。
恋が「失う」と書いても、普通、「散る」とは書かないなら、文屋朝康にとって、散ってしまった掌中の玉ともいえるものは、いったい何だったのでしょうか。
もちろん、恋人が突然死してしまったという解釈を否定はしませんが、けれどこの場合、可愛がっていた我が子が他界してしまったと読んだ方が、とても残念なことではありますけれど、歌としてはしっくりくるといえるのではないでしょうか。
だからこそ文屋朝康は、我が子を「蜘蛛の糸に絡めてでも、生かせたかった」、「つらぬきとめておきたかった」と詠んでいるのです。
そしてその子は、白露のように清浄な子というなら、きっとかわいらしい女の子であったのでしょう。
かわいくてたまらない、幼い我が娘です。
その娘が、ふとした病気で、秋に他界してしまう。
それは、台風の暴風雨になにもかもが吹き飛ばされてしまったような衝撃だったし、悲しみだったし、だからこそ「つらぬきとめておきたかった」かけがえのない命だった。
文屋朝康は、そういう若い父親として、子を失う悲しみを、「白露」、「風の吹きしく秋の野」、「つらぬきとめぬ」、「玉」、「散りける」という言葉で、表現したのです。
そしてこの文屋朝康の歌が、人の命と関係のある歌であるということは、次の38番の右近(うこん)の歌に、「人の命の」とあることからも知ることができます。
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38番歌 右近(うこん)
忘らるる身をば思はず誓ひてし
人の命の惜しくもあるかなわすらるる
みをはおもはす
ちかひてし
ひとのいのちの
をしくもあるかな
==========
右近(うこん)というのは、女官の官職名です。
本当の名前はわかりません。
おそらく藤原季縄(ふじわらのすえなわ)の娘であったろうといわれています。
醍醐天皇の中宮である穏子(おんし)に仕えた、たいへんな優秀な、そして歌才のある女性です。
この歌の、「忘らるる身をば思はず」は、現代語訳すれば、「忘れられてしまった我が身のことはなんとも思いません」といった意味です。
「誓いてし」は、永遠の愛を誓ったことです。
ここまでが上の句です。
下の句は「人の命の惜しくもあるかな」です。
相手の人の命が、とても惜しく感じられますと詠んでいます。
通して現代語訳したら、「永遠の愛を誓った人に、私はもう忘れられてしまった。忘れられた我が身のことは、いまさら何もいいません。ただ、あなたの命が惜しいのです」といった意味になります。
そのように訳すと、失恋ものの歌のようにイメージが限定されてしまうのですが、そういう意味に固定してこの歌を読むのは、いささか寸足らずのように思います。
と申しますのは、「誓ひし人」ではなく、「誓ひてし、人の命」と、「誓ひてし」で一度言葉を切っているからです。
もちろん、愛を誓い合った仲の男性(人)に忘れられてしまったと読んでも、OKですが、それなら「誓ひし人の」と詠んでもよさそうなものです。
つまり「誓ひし人の、その命惜しくもあるかな」ならば、かつて愛した男性の命が惜しいとなります。
けれど右近は、そうではなくて「誓ひてし、人の命の」と詠んでいるわけです。
「忘らるる身をば思はず」というのは、「身」は自分のことですから「自分のことを忘れられることはなんとも思わない」です。
すると、
「忘らるる身をば思はず誓ひてし」は、「過去において互いを永遠の存在と誓ったのに、わすれられた自分」です。
生涯添い遂げようと誓い合った仲だったのに、右近は、その彼から捨てられてしまった(別れてしまった)。
けれどその相手の男性は、何らかの事情で他界してしまったか、あるいはものすごく危険な戦地へと旅立ってしまった。別れた人ではあるけれど、その人の身の安全を、あるいはその人の命を惜しいと感じています、という歌のようにみえます。
それはそれで正しい解釈と思います。
けれど、そこまでですと、ちょっと浅い。
というのは、この歌の奥底にあるのは、端的にいえば、自分のことよりも人のために尽くすということです。
これは、言葉を変えれば、「不自惜身命」の心です。
人は、良い関係ときは誰もが良い人です。
男女関係でも、友人関係でも、職場の上下関係でも、その関係が良好なときは、誰もが笑顔だし、楽しいし、信頼できる仲間に見えるし、それが「誓ひてし恋人」なら、まさにもうラブラブです。
その恋人と過ごす時間は、まるで天国にでもいるかのような思いです。
それがたとえば、将来を嘱望されるようなプロジェクトであれば、メンバーはみんな希望にあふれ、未来の成功を夢見る仲間たちであり、良い人たちです。
けれども、ひとたびそのプロジェクトが暗礁に乗り上げると、とたんに人々の心は様変わりします。
笑顔だった人々の顔は、どれも怒りに燃えたような顔になり、それはまさに鬼神が迫るもののようにさえ感じられるものにさえなります。
中には、まるで魔女狩り裁判のようなことが行われたりすることさえもある。
それでも右近は、そうした人々の「命を惜しむ」と心配しているのです。
しかも、「忘らるる身をば思はず」、忘れられた自分の身のことは何ひとつ考えずに、ただ、その人のことを気遣い、心配していると詠んでいます。
これが、「愛」なのだと思うのです。
「恋」と「愛」は違います。
昔、「恋は贅沢な高級レストランのワイン付きの食事の味。愛は6畳一間のアパートですするインスタント麺の味」と言った人がいました。
恋愛関係なら、たがいに良いところだけを見せ、お互いにちょっとカッコつけてみたりもします。互いにドキドキもする。
二人で高級レストランに行き、ムードある店内で贅沢な食器を楽しみ、互いにときめき合う。
けれど実際に結婚してしまえば、二人の生活は、ずっと現実的になります。
変に高級レストランなどに行って贅沢をするのではなく、家で貧しいながらもいつもの食器で小さな食卓を囲み、贅沢をせずに、将来のために、子供たちのために少しずつでも貯金をして、いざというときに備える。
恋の間は、贅沢なデートをしたとしても、結婚したらずっとずっと質素で地味な暮らしがそこにあります。
これが愛の生活だ、というのです。
「恋」はトキメキだけど、「愛」は現実です。そして恋よりもっとずっと深いものです。
右近は、愛する人に忘れられてしまったのかもしれません。
もう、相手の心はいまさら自分には帰ってこない。
けれど、それでも相手のことを気遣い、心配し、命だけでも長らえてほしいと願っています。
別れた相手のことを、どんなに想ったとしても、いまさら愛し合った時が帰ってくるわけではありません。
それでも、わが身よりも、相手の身を案ずる。
「恋」は、良いときは良いけれど、ちょっと状況が変化すれば、それで終わってしまう。
そういう、いわば軽さのようなものがあるのに対し、「愛」はどこまでも一途に相手を思いやる。
右近は終わった「恋」でも、相手に対する「愛」があるということを、格調高く歌っているわけです。
37番歌の文屋朝康は、「つらぬきとめぬ玉ぞ散りける」と詠みました。
けれど散ってなお、愛する心は、ずっとずっと残っている。
そういうことを、この38番の右近の歌は詠んでいるわけです。
夫婦の間でも、恋人との間でも、あるいは親子の間でも友人との間でも、なにかのきっかけで破談に至るような事態が起こることは、世の中にはあるものです。
それは「裏切られた」と感じるものかもしれません。
失意の底につき落とされるようなショックだったりすることかもしれません。
「それでも相手を想う」
それは、そこに「恋」より深い、「愛」があるからです。
そういう人をこそ、大切にしたい。
そんな意味も、この歌にはこめられています。
==========
39番歌 参議 等(さんぎひとし)
浅茅生の小野の篠原忍ぶれど
あまりてなどか人の恋しき あさちふの
をののしのはら
しのふれと
あまりてなとか
ひとのこひしき
==========
参議(さんぎ)というのは官職名で、等(ひとし)が名前です。
本名は、源等(みなもとのひとし)といって、嵯峨天皇の曾孫です。
以前にも述べましたが、名が役名で書かれている場合、その歌は「職務に関連する歌」です。
ところがこの歌、不思議なことに、「あまりてなどか人の恋しき」と、なぜか「恋」という字を使い、いっけんすると私的な歌であるかのようです。
官職名で名前を書いておきながら、私的な恋の歌を詠む。
果たしてこの歌には、どのような意味があるのでしょうか。
まず、歌にある「浅茅生(あさちふ)」というのは、「茅(かや=ススキのこと)」が浅く、つまりまばらに生えている情景をあらわします。
「小野」は、その字の通り、小さな野っ原です。
ですから、「浅茅生の小野」は、「ススキが点在して生えている小さな野原」となります。
続く「篠原」は、「篠(しの)」が細くてまだ背の低い若竹のことで、「原」は原っぱです。
「忍ぶれど」は、耐え忍ぶの「忍ぶ」ですが、「偲ぶ」意味にもかかります。「偲ぶ」には追憶の気持ちがはいます。
この上の句は、非常におもしろい構造をしていて、それぞれの言葉が、「小野」と「忍ぶれど」の両方にかかっています。
すなわち、
浅茅生の小野(ススキが点在している小さな野原)と、小野の篠原 (小さな野原の若竹の野原)。
浅茅生を忍ぶ(点在するススキを偲ぶ)と、篠原を忍ぶ(若竹が何かをじっと堪えている)です。
下の句は、「あまりてなどか人の恋しき」で、これはその耐え忍ぶ心がありあまって人が恋しいといった意味になります。
この歌の一般的な解釈としては、「ススキや若竹が点在している野原のように耐え忍んできたけれど、あの人を思う恋心がおさえられないんですよ」といった、おさえきれない恋心の切なさを告白した歌だとされています。
たしかに恋と書いてあるし、そういう恋心の歌だと解しても、もちろん何の問題もありません。
けれども、詠み人の名前は、「参議等」なのです。
つまり官職名で、この歌を詠んでいるのです。
それって、政府の高官にある人が、仕事もそっちのけで、ただ彼女が恋しいと詠んでいるだけなのでしょうか。
西欧型個人主義では、なによりも個人が最優先されますし、働くことは、そもそも神に与えられたペナルティであり、個人の思いや気持ちがなによりも優先すると説かれます。
ですから、どんなに責任ある重い役職に就いていたとしても、仕事や責任よりも恋心が芽生えれば、個人としての恋が、仕事よりも優先される。
むしろ、恋のために仕事をほったらかすことが、良いことです。
それが個人主義であり、西欧におけるこれは「思想」です。
ところが日本には、古来、そういった思想がまったくありません。
人は常に協同体の中にあり、その協同体のなかで、互いが分(ぶ)をわきまえて生きる。
それが古くからの日本人の思想です。
そういう環境下にあって、源等は、役職名でこの歌を詠んでいるわけです。
この歌で、最初に目をひくのが、「ススキ」と「篠(=若竹)」です。
もし、この歌にあるのが、華麗な花々であれば、意味は明解です。
「野原にある美しい花を愛でることで、彼女への思慕を抑えてきたけれど、それでもあの人が恋しいんです」というならば、野山に咲く美しい花よりも、もっと美しい彼女を想う気持ちとなるからです。
ところがこの歌に詠まれているのは、ススキと若竹なのです。
ススキは、細くて丈夫な茎を持ち、しっかりとした根を張るイネ科の植物です。
先端に穂があり、風が吹くと、その穂が風にあおらますが、ススキはその風を、丈夫な茎と根で風にそよぐことで、決して倒れない丈夫さのある植物です。
若竹も同じです。茎に節があり、風が吹いても倒れないし、人が手折ろうとしても、しなってなかかな倒れない、これまたたいへんに丈夫な植物です。
ススキも若竹も、けっして派手さはない植物ですが、けっして倒れない丈夫さを持っている点が共通しています。
そして、そのことは、世間のいかなる風にあおられようと、けっしてくじけず、けっして倒れない、そんな人としての強さをも象徴示しています。
ちなみに、強いといえば、いまでは教育漢字で「強」という漢字があてられていますが、昔は同じ「つよい」でも「勁い」という字がよく使われました。
この「勁い」は、「疾風(しっぷう)に勁草(けいそう)を知る」という言葉があるように、風が吹いても倒れず、けっしてめげないつよい心をあらわすときなどに使われる字です。
固いものは、圧力をかければポキリと折れます。
けれど勁草は、強い風などの風圧がかかっても、その力を柳に風と受け流し、決して折れません。
参議等は、そんな柳に風の代名詞のようなススキや若竹のある野原をまず描き、そのうえで「しのぶれど」と続けているわけです。
なんだか、冷たく荒い世間の風に吹かれながら、それにじっと耐えている姿を想起させます。
政治家や高級官僚というものは、何かをやろうとすれば、かならず世間から猛烈な反発をくらうものです。
なぜなら、世の中は、既存の仕組みのなかで、さまざまな利権が確立され、動いているからです。
その仕組みが、たとえどんなに理不尽で多くの人々に迷惑をかけるものであったとしても、その仕組みによって、利益を得ている人々もいるわけです。
そういう迷惑なものが次第に巨大化し、人々のために迷惑なものを、政治を司る者として、変えよう、取り除こうと思えば、そういう人は、常に既得権者たちから、猛烈な批判と非難にさらされます。
これは世の中で、何かあたらしいことをしようとすれば、必ず起こる現象です。
変えようとする人、何かをしようとする人は、必ず変えられたくない人々(多くの場合、それは既得権益を持つ財力、政治力のある人々の集団)から、猛烈な反発をくらうわけです。
それはまさに、世間をまるごと敵にまわしたかのような強烈な風圧です。
変えようとする人は、その風圧に耐えなければならないのです。
これがつまり「しのぶれど」です。
我慢しきれずにキレたら、それで終わりなのです。
ですから我慢する。耐え忍ぶ。
なぜ我慢し、耐え忍ぶことができるかといえば、自分を抑え、我慢し耐えしのぶという苦痛よりも、もっと大きな価値、なによりも民衆をたいせつに、恋しくさえ思う理想があるからです。
世間からパッシングを受け、どんなに叩かれようと、丈夫なススキのように、あるいは若竹のように柔軟に、世間のパッシングの嵐に堪えてしのぶ。
それがなぜかといえば、なによりも民衆が、天皇の民である人々が、おおみたからこそが大切という、広くて大きな思いがあるからです。
それを参議等は、「人の恋しき」と静かに詠んでいます。
さきほども書きました。
この歌を単なる恋の歌と読むのも、それはそれで良いことと思います。
なぜなら恋は、自分のすべてと思えるせつない熱情だからです。
けれども、参議という高官職にあって「人の恋しき」というならば、それは「なにより民衆を大事に思う、激情にも似た強い気持ち」のことをいいます。
そもそも「恋」は、「亦+心」で、「亦=ひたすら」な「心」をいうからです。
そして、何かを変えよう、何か新しいことをはじめよう、あるいは正しいことを貫こうとしたご経験をお持ちの方なら、正しいと思ってそれをはじめたとたん、世間から、まるで思いもつかないようなありとあらゆる中傷を浴び、非難され、人格まで攻撃されるといった、びっくりするような出来事が次から次へと起こる。
そういうご辛いご経験をされた方も、おいでになろうかと思います。
なにかをしようとする人は、常に、そうした辛さを、柳に風と受け流し、ススキや若竹のように、しなやかで強く(勁く)なければならない。
けれど、顔で笑って心で泣いて、端から見たら、なんのストレスも感じていないかのような笑顔でいたとしても、所詮は誰もが人の子なのです。
内心は、ものすごく悔しいし、辛い。
けれど、そうした辛さや悔しさを、おくびにも出さずに、平然としているのが、責任ある男の姿だと、この歌は詠んでいます。
なぜなら、理想を実現しなきゃならないからです。
正しいことを、正しく実行しなきゃならないからです。
だから、負けず、めげず、くじけず、耐えている。それが参議という職を持つ男の姿なのです。
そして、どうしてそこまでして耐え忍ぶのかといえば、人が恋しいから。日本を愛しているから。会社や職場を愛しているから。
いまも昔も、人の世は変わりません。
正しいことを実現しようとしたら、そのために逆に職を解かれ、地方に飛ばされたり、職を失ったりすることもある。
特に参議ともなれば、政府高官です。
政府高官ならば、そこで戦う相手は、世の中の既得権者たちです。
既得権者が、なぜ既得権者なのかといえば、そこで利益を得ているからです。
そしてその利益は、一部の人たちの独占寡占であればあるほど、その利益は大きく、財力もうまれ、強大な力を持ちます。
なにかを変えようとする人は、そういう財力を持ち、強大な力を持つ集団に、たったひとりで戦いを挑まなければならないのです。
なぜなら、それはより多くの人をまもることになるから、です。

さて、次回は40番〜42番歌です。
次回も「忍ぶれど色に出でにけりわが恋は」と平兼盛、「恋すてふわが名はまだき立ちにけり」と壬生忠見、「契りきなか」と清原元輔の、恋と書いた歌が三首続きます。
繰り返しますが、これらの歌を、いわゆる「恋歌」として鑑賞するのも、もちろん良いことです。
けれど、恋という、自分のすべてをかけて虜にしてしまう激情だからこそ、比喩として恋と書くということも、和歌の世界にはたくさんあるわけです。
さて、次回はどのような解釈になるか。
乞うご期待です。
※百人一首の記事は、1番〜3番歌の記事以外は、ブログにアップ後24時間のみの公開とさせていただいています。出版予定のためです。
「百人一首1番〜3番歌」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2149.html</u>">
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コメント
にじまま
百人一首は、子供の頃はただの“かるた”だと思っていました。
意味も周りの大人が教えてくれなかったですし・・・。
ねずさんの解読で歌の奥深さを知っていたのなら、もっと人生が変わっていたのかなと思います。今からでも遅くないですかねw
今回の記事の歌で、“昔は子供が病気でよく亡くなった”事を今の子を産む世代は知っているのでしょうか…。この話を子供の頃から知り学んでいたのなら虐待も少なかったのではと思います。
そして、もっと命を大切にする人間になっていたと思います。
これから私になにが出来るかわかりませんが、自分の子供には日本の素晴らしさを強制的にもwすり込むくらい教えていこうと思っています。
なので、ねずさんの本に頼らせていただきますので、よろしくお願いします。この度は、第二巻目おめでとうございます!
2014/04/23 URL 編集
Phyxius
ワイも、ねずさん同様、恋とか愛とかはベタですw
が、物理的にベタであって考える事は普通にできます。
ねずさんも、同様ではないでしょうか。だから素晴らしい解説が出来るのだとワイは思います。
39番歌の解説ですが、ワイは少し違う解釈なので、意見を述べさせて頂きます。
ねずさんの解釈では、恋や愛より仕事を優先させる事が美徳の様に解説されている様にワイは感じたのですが、ワイは少し違うと思います。違わないのですが、違うと思うのです。
ねずさんの解釈は、その当時の世の中や、今の世の中では、それが美徳となっているのではないでしょうか。
ワイはどちらかと言えば、西洋の恋や愛を優先させる考えの方が良いと思います。むしろ、それがまかり通らない世の中の方を変えていくべきだと思います。が、日本のわびさびみたいなのも良いとも思います。両方良いところはありますし、良くない改善した方が良いなぁと思うところが有ります。
もちろん、バランスは在るかと思います。何事もほどほどです。仕事をほったらかして恋や愛にドップリじぁどうかと思いますし、恋や愛をほったらかして仕事にどっぷりも考えものです。どちらもそれを理解してくれる人ならば理解してくれるかと思いますが、どちらも無理に心を押し殺している様に思います。
どうしても大事な仕事の場合は、恋や愛より少しだけ優先させる。
どうしても大事な恋や愛の場合は、仕事より少しだけ優先させる。
これでどうですか?というか、これが理想的じゃないですか。
恋と愛と仕事を両立させるならばです。
公の仕事なんてしない、自給自足の生活を望むならば、また別です。
恋や愛なんて関係ない、仕事中心の生活を望むならば、また別です。
ケースバイケースです。
その人がそうしたい、そして相手もそれを受け入れてくれるのなら、それはそれで良いかと思います。その2人以外に余計な心労をかけないのであれば。
と、これはあくまでも恋とか愛とか仕事のとかの話です。
ワイが普段述べさせて頂いている、人とはどう在るべきかとか、ありとあらゆる全てが良くなるにはどうあるべきか、とかは、また少し違ってくるので一緒にしないで下さい。
今回の記事に関してワイが思った事は以上です。
2014/04/23 URL 編集
ひろし
やっぱり、百人一首シリーズ出版される予定なのですね。こんなに心を打つ素晴らしいご解説は出版社がほっとくわけないですものね。完成されたら私の座右の本の一つになるのは間違いありません。 学校の副読本にも指定される価値は、あるものと想います。今日の一首も幼くして亡くなった愛娘を想う親心を感じて胸が熱くなりました。和歌は本当に素晴らしいですね。 次回のご解説も楽しみです。 ありがとうございます。
2014/04/23 URL 編集
ポッポ
こんなことは、日中条約で処理済みの筈ですが、中国は民間のことは条約以外の民事事件として問題にしたのです。
本音は、中国の景気が悪いことから、なりふり構わず日本から金を取ろうとしているのでしょう。
しかしながら、この事件は1930年代のことです。
1930年代の中国では、欧米各国は上海や南京に租界を持っていました。そこでは、様々な民事上の事件があったと思います。
ですから、今回のこの事件。世界的な問題です。
そして、アヘン戦争に始まって大東亜戦争が終了するまで、日本よりも欧米各国の方が多くの問題を残しているでしょう。
2014/04/23 URL 編集
浅田
2014/04/23 URL 編集
Mari
訂正します。
2014/04/23 URL 編集
Mari
次回の偲ぶ恋対決も楽しみにしています!
2014/04/23 URL 編集