百人一首(第16回)46〜49番歌



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元禄の頃の絵師、菱川師宣が描いた百人一首の源重之(国立国会図書館蔵)
なぜこのような表情の絵柄になっているかは、本文を。。。
源重之


今回は4首の歌をご紹介します。
実は、今回のこの4首は、順番にその意味を探って行くと、とても深い、日本の心に行き着きます。
とりわけ私は、最後の49番歌
  御垣守衛士のたく火の夜は燃え
  昼は消えつつものをこそ思へ
が好きな歌で、ここにこそ日本男児の姿があるように思えます。

==========
第46番歌 曾禰好忠(そねのよしただ)

由良の門を渡る舟人かぢを絶え
ゆくへも知らぬ恋のみちかな


ゆらのとを
わたるふなひと
かちをたえ
ゆくへもしらぬ
こひのみちかな
==========

この歌は、冒頭からものすごく飛ばしていて、出だしにあるのがいきなり「由良の門」です。
これは京都から若狭湾に流れ出る由良川(一級河川)の河口のことです。河口だから「門」です。
川の河口は、川の水の淡水と、海の塩水が出会う所です。
しかもそこは流れが早く、渡るには船頭さんにもそれなりの腕が要る。それくらい難しい場所です。
つまりいきなり出だしから、男女の出会い、そしてその航海のむつかしさが描かれているわけです。

そして「渡る舟人かぢを絶え」と続きます。
河口を渡るのは、ただでさえ船頭さんにとってさえむつかしい場所なのに、そこで「かぢを絶え」というのです。「かぢ」は、舵(かじ)や櫂(かい)などの操船道具です。これがなければ船をあやつれない。
ところがその舵を絶やす、つまりそんな操船のむつかしいところにいながら、舵がない。
どれだけ行く末がむつかしいか、というわけです。

そしてまさに下の句では、「ゆくへも知らぬ恋のみちかな 」です。


通釈すれば、「由良川の河口では、塩水と淡水が出会いますけれど、そこは流れが早くて操船もむつかしい。同様に男女の出会いも、まるで由良川の河口で、舵をなくした小舟みたいなものです。恋の道の行方というのはわからないものですね」といった意味になります。

この歌を詠んだ曾禰好忠は、たいへん優秀な歌人で、とくに万葉数の古語を引いた歌を数多く残し、高い評価を得ていた人です。
今風にいえば、古典や歴史に通じていて、たいへんに格調高い歌を詠む人であった、といったイメージであろうかと思います。

それだけに曾禰好忠はたいへんにプライドの高い人でもあったようで、逸話として、円融上皇の紫野での御遊の際、彼は招待客でもないのに、招待客側の歌人の席に強引に割り込んで着席してしまったのだそうです。
御遊会そのものは、上皇のご主催でありながら、身分の上下なく自由に参加できるという、ありがたい催しだったのだそうですが、だからといって、招待もされていないのに、席の決まっている招待客の席に強引に座るというのは、いきすぎです。
結局彼は、藤原実資や藤原朝光らによって、会場から追い出されてしまっています。

問題は、なぜ百人一首の46番歌のところに、この曾禰好忠の歌があるか、ということです。
歌そのものは、もちろん「恋の歌」です。
内容も、歌のイメージする情景も、とても秀逸で素敵です。

けれど、思い返していただければ、その直前の45番歌は、大栄達を遂げた謙徳公が「誰にも知られずにたったひとりで死んで行くのだなあ」という歌でした。
その前の44番は一世を風靡した才人であっても、やがては老い、この世から消えて行き、そしてまた新しい愛がはじまる、という内容の歌でした。

その流れでいくと、この曾禰好忠の「ゆくへも知らぬ恋のみち」という歌は、歌そのものはもちろん恋をテーマにしていますが、この歌を曾禰好忠の奇行と重ねてみたときに、恋だけではなく、また違った角度での鑑賞が生まれるように思えるのです。

どういうことかというと、曾禰好忠というのは才人です。
頭もいいし、古今の和歌にも通じていて、人からは一目も二目も置かれる存在であったろうと思います。
けれど、「我を張る」という弊のある人でもありました。
「我を張る」こと自体は、ひとつの道を追及しようとする人には、ありがちなことですし、またそれがなければ、新しい取り組みなどできないというものでもあろうと思うのですが、だからといって、天狗になってしまえば、結局は身を滅ぼすもとになります。

「舵を失くして行く末のわからない」のは歌に詠まれた「恋のみち」のことではなくて、その人自身が、河口の塩水と淡水の交わる複雑な世間に揉まれて、行方がわからなくなる。言い換えれば世間を開くことのできない人になってしまう。

この歌は、恋の歌ではありますけれど、そこに描かれているのは、単に恋のことだけではなくて、何かを研究する者、あるいは何かをしようとする人が、自分の研究や思索に夢中になるあまり、世間の常識を失えば、結局は、研究だけでなく、身をも滅ぼしてしまうという戒(いまし)めなのです。

恋の行方など誰にもわかりはしない。同様に研究の行く末も、誰にもわからない。
研究や仕事に夢中になるのは良いけれど、だからといって自尊心が強くなりすぎて奇行に走れば、結局は身を滅ぼすだけでなく、せっかくの研究や仕事まで失うことになる。
そういうことを、この歌は象徴しています。

「恋」は「戀」です。糸が絡み合ってごちゃごちゃになっているさまです。
「行方も知らぬ、戀の道」は、もちろん恋路の話と受け取ってもらっても構いません。
けれどそれ以上に、何かに夢中になるあまり、道を誤ってはならない。
だからこそ「戀路」なのではないでしょうか。


==========
第47番歌 恵慶法師(えぎょうほうし)

八重むぐら茂れる宿の寂しきに
人こそ見えね秋は来にけり

やへむくら
しけれるやとの
さひしきに
ひとこそみえね
あきはきにけり
===========

百人一首には、普通のカルタ取りの他に「坊主めくり」と呼ばれるげーむがあって、こちらは歌に関係なく、裏返した絵札を順番にめくっていって、坊主の札が出て来たら、手持ち札を全部場に戻します。
めくった絵札が、坊主以外の男性なら手元にもらえ、女性ならもう一枚絵札をひける。
それで場の札がなくなったとき、いちばん札をたくさん集めた人が勝ち、という非常にシンプルなもので、子供の頃、歌はわからないけど坊主めくりはやったことがある、という方も多いかもしれません。

さてこの47番歌は、まさにその坊主の歌なのですが、恵慶法師という人は、国分寺の講師を勤めたほどの高僧です。

その高僧が何を詠んだのかというと、「八重むぐら」の「むぐら」というのは葎(むぐら)のことで、これはつる性の雑草のことをいいます。ツタとか、葛(くず)などのような植物です。
それが「茂れる宿」ですから、ツタが絡まるように茂っている宿、つまり、古びていてツタや葛などに建物や庭石などが覆われてしまった、寂れた宿(建物)のことを言っています。
それが「寂しきに」ですから、うっそうとしたつる性の植物に覆われた寂れた建物に、寂しさを感じているわけです。

下の句に行きますと、「人こそ見えね秋は来にけり」で、誰も来ない、人の姿さえ見えない。
そんな古びた建物にも、秋は来るのだなあ、と続いているわけです。

さて、この歌、ひとつ前の曾禰好忠の歌が、「ゆくへも知らぬ恋のみちかな」と、たいへん意味のとりやすい歌だったのに対し、この恵慶法師の歌は、建物にツタが生えていて、人気もないし、寂しいねえです。いったいこのお坊さん、何を言いたかったのでしょうか。

実はこの歌は『拾遺集』に納められているのですが、その詞書には「河原院にて、荒れたる宿に秋来るといふ心を、人々詠み侍りけるに」とあります。
これが、この歌を読み解くヒントになります。

河原院(かわらいん)というのは、百人一首の14番歌にある河原左大臣こと、源融(みなもとのとおる)が全盛期に作った、実は豪邸です。
ところがこの豪邸の河原院、それから百年を経て恵慶法師の時代になると、もう寂れ果てて人も来なくなって、荒れ放題。
建物や庭の置物などにはツタが幾重にも絡まって、もうどこからどう見ても廃屋、廃園といった状態になっていました。

その河原院に、源融の曾孫にあたる安法法師が住んでいたのですが、かつての栄華が、いまのあまりの寂れように、この頃になると、逆に、そうした寂れた姿を好む歌人たちが、そこに集って歌会などを催していたわけです。人間、何が幸いするかわからない。

というわけで、この歌を46番歌の曾禰好忠の「ゆくへも知らぬ恋のみち」からの流れで鑑賞しますと、表面上とはまた別な感傷が見えてきます。
つまり曾禰好忠は、古典を愛し、古典に通じ、歌人としても超一流だったけれど、人柄に天狗になるところがあり、結局は身を滅ぼしてしまいます。
そしてこの47番歌の恵慶法師は、河原左大臣源融の時代に栄華をきわめた豪邸さえも、時の流れとともに、うち寂れ、ツタの絡まる廃屋、廃園のような状態になってしまっている。
けれども、そんなところにも、変わらぬ季節がやってくる、というわけです。

人の営みは年々歳々、まさに悲喜こもごもです。
恋もあれば栄達もある、失恋もあれば失脚もある。笑顔もあれば悲しみもある。栄華を極めても、死は平等にやってくるし(45番謙徳公)、そしてまた次の世代の新しい恋がはじまったりもします。
けれど、そんな人々の栄枯盛衰を越えて、四季は毎年やってくる。
どんなに辛くても苦しくても、必ず春はやってくるし、栄華を誇っても、そこには必ず秋が来て、厳しい冬がやってくる。

恵慶法師は、だからこそ「人こそ見えね」、つまり誰が見ていなくても、「秋は来にけり」必ず秋はやってくるのだから、と詠んでいます。

この「秋は来にけり」と、上の句にある「寂しさに」から、この歌は「秋にもの悲しい寂寥感を感じているのだ」と解説している本が多数ありますが(というかそれが昨今の解釈の主流となっている)、それは読み方が浅いと思います。
そもそも秋は、稔りの秋でもあるのです。
桃や梨などの果物や、栗などのおいしい実が成る季節でもあるし、そもそも秋は稲の収穫のときです。
それを「秋が寂しい」と読むのは、かなり横暴な解釈といえると思います。

もし、寂しさを強調したいのなら、「秋は来にけり」ではなく、「秋の終わりに」とか、「夏の終わりに」でもいいし、あるいは「人こそ見えね木枯らしの夕べ」でも良いわけです。
それをここであえて「秋は来にけり」と詠んでいるのは、秋が寂しいといっているのではなくて、人の世には様々な出来事があるけれど、それでも季節は巡り、秋も来ると詠んでいるわけです。

ですからこの場合の「秋」は、別に寂しくなくても全然良くて、むしろ稔りの秋が、またやってくる、という意味と捉えたほうが、むしろ歌意に合っています。
つまり「人こそ見えね秋は来にけり」は、人の姿もみえないけれど、それでもまた稔りの秋はやってくる、という意味として捉えた方が、恵慶法師の思いに沿っています。

そもそも、詠いだしが「八重むぐら」なのです。ツタが七重八重に重なるようにして茂っているのです。
河原院が荒れ果てても、人の世に栄枯盛衰があっても、そこに人の姿が見えなくても、それでも季節は巡り稔りの季節はやってくる。また新しい時代が始まる。喜びがある。

だからこそ、この歌の読み人の名は「恵慶」ではなく、「恵慶法師」と、お坊さんの名前にしています。
何があっても人の世は、続くからです。
法師は、死を悼むだけが仕事ではありません。
続くこと、継続すること、この世がいつまでも末永く続くことが、法師の願いです。

そしてこのことは、さらにもっと大きな命題に、実はつながっています。
それは、日本という国のことです。
日本は、世界で唯一、歴史がつながっている国です。
縄文時代から弥生の倭国の時代、そして大和朝廷時代、飛鳥、奈良、平安と、日本の歴史はずっとつながっています。

日本は世界でただ一国、古代から現代まで、ずっと織りなす歴史がつながっている国です。
栄枯盛衰はありましたが、それでもつながっている。
稔りの秋が来る。その稔りの秋は、稲の収穫の秋でもあります。
その稲は、神代の天壌無窮の神勅のときから、ずっとわたしたちの国の柱です。
そういう国の連続性、そして人の世の連続性、そして季節の連続性。それらが一体となって、ずっと現代までも続いているのが、日本です。

栄華を極めた建造物が、時代とともにさびれ、人気のないツタの絡まる宿となっても、稔りの秋はやってくる。
そうして歴史はつむがれていく。
恵慶法師は、決して単に寂寥感を詠んだのではありません。
もしそうならば、名前は「恵慶」でよかったはずです。
あえて「恵慶法師」と記したのは、人の世の栄枯盛衰があったとしても、それでも季節は巡り、春が来て、稔りの秋がやってくる。
そういう歴史の持つ連続性、持続性をこそ、この歌のテーマとしたのです。


==========
48番歌 源重之(みなもとのしげゆき)

風をいたみ岩打つ波のおのれのみ
くだけてものを思ふころかな

かせをいたみ
いはうつなみの
おのれのみ
くたけてものを
おもふころかな
==========

この歌は、大出世した武人、源重之の歌です。

どんな歌かというと、現代語に通釈すれば、「痛いほど強い風を受けて、岩に打ち付けられて砕け散る波のような私の身、砕け散って思い悩む今日この頃だなあ」といった意味になります。

この歌を、「失恋によって、心がまるで岩に打ち付けられたようだと思えます」という意味だと解説している本を多く見かけるのですが、申し訳ないけれど、この歌のどこにも失恋とは書いてありません。
百人一首に収録された歌を、なんでもかんでも当時の貴族たちの恋物語にしたい気持ちはわからないではないですが、岩にあたって砕ける波は、次々と連続するのです。
それこそ、何十秒かごとに、波はドドンと打ち寄せ、岩に砕けるのです。
ということは、そのような解釈をする人たちは、源重之が何十秒かごとに失恋したとでもいいたいのでしょうか。いくら源重之が恋の達人だったとしても、それは現実的に無理というものです。

詠いだしにある、「風をいたみ」の「いたみ」というのは、「激しい」といった意味です。
ですから「風をいたみ」は、「激しい風で」となり、続いて「岩打つ波」の「おのれの身」と続いています。
つまり、「激しい風で岩に打ち付ける波のような」のが、「わが身」であると言っているわけです。
そして「わが身」は、下の句で「くだけて」しまって、「もの思いにふけっている今日この頃」と続きます。

そもそも源重之というのは、どのような人なのでしょうか。

実は源重之は、清和天皇の曾孫(ひまご)にあたる人です。
位は「従五位下」ですから、殿上人としては、いちばん位の低い貴族です。
天皇の曾孫でありながら、一番低い身分です。

けれども源重之は、後年、三十六歌仙の一人に選ばれています。つまり、相当の教養人だったわけです。
それだけではなく、冷泉天皇が皇太子であった頃には、帯刀先生(たちはきせんじょう)に選ばれてもいます。つまり武術も巧みな武人でもあったわけです。

歌もできる。教養も高い。しかも武道に秀でていて、しかも陛下の曾孫です。
はたから見たら、どれだけ恵まれた環境にある人かということです。

ところが源重之は、最後まで身分は貴族の中で最低、しかも相模権守、日向守など、地方の官吏に赴任し、最後には都から遠く離れた東北の陸奥国に、それも国守ではなく、国守の従者として下向し、そこで没しています。
つまり、優れた才能を持ち、とびきりの家柄に生まれながら、ずっと下位の貴族に終わった人です。

そういう人が、「風をいたみ岩打つ波のおのれの身が砕けた」と詠みました。
これを、「恋に敗れた歌」と読む方が、どうかしているのだと思います。
しかも下の句は、「くだけてものを思ふころかな」なのです。
自分の野心も、出世欲も、栄達も、すべては水泡に帰して砕け散ってしまい、ただもの思いにふけっています、と詠んでいるわけです。

ここまで書いたら、勘の良い方なら、もうお気づきと思います。
源重之は、この歌にあるように、非常にビジュアル性に富んだ歌を詠み、しかもたいへんにストレートで、わかりやすい歌を数多く残しています。要するに才能があるのです。
けれど、自分が卑官の身であることを、この歌のように、人前もはばからずに悲観しています。
だからダメなのです。
だから出世させてもらえないのです。

なぜかといえば、先に「我」が出てしまっているからです。
俺は家柄も良いし、血統も良いし、頭も良いし腕も立つ。なのに全然出世できない。波は砕け散ったよ。なんだかなあと、もの思いにふける今日この頃だよ、って愚痴っています。

日本の国の形は、シラス国です。
天皇が民衆をおおみたからとしている。それが日本のカタチです。
民衆はおおみたからですから、官が民に尽くすことは、そのまま天皇に尽くすことになります。
同時に天皇に尽くすこと、あるいは職務に誠実であることは、これまたそのまま民につくすことにつながります。
臣には、政治権力を与えられます。しかしそれは、その人が偉いからでも、家柄が良いからでも、頭が良いからでも、腕が立つからでもありません。
臣として、どこまでも民のためにつくす、働く。
そのためにこその臣なのです。

身分の上下でいうならば、従五位下であろうが、もっと低い身分であろうが、民より上です。
けれど、その身分は、たとえ高かろうが低かろうが、すべては民につくすこと、そのためにこそ役職や権限が与えられています。個人の出世や栄達が身分ではないのです。
こういう点の正邪の判断は、日本では古代でも中世でも、あるいは今日の日本においても、非常に厳しいものがあります。

昨今でも同じです。
仕事ができて、成果を上げれる奴だから出世できる、のではないのです。
その根底に「みんなのために」とか、お客さんたちに奉仕する気持ちとか、会社のためにとか、そういう「協同する」という心得がなければ、すべてはただの我欲になってしまう。
企業であれ、商売であれ、官僚であれ、政治家であれ、我欲に走るなら、その瞬間に「ウシハク者」に堕ちてしまいます。

源重之には、それがわからない。
わからないから、陛下の曾孫でありながら、出世もさせてもらえないし、それどころか地方官めぐりで、最後には、その地方官の従者にしかさせてもらえない。
それでも、まだわからずに、「岩打つ波でおのれの身が砕けましたあ」と詠んでいるわけです。

実は、シラス国の臣下の道というのは、天皇の曾孫であっても、死ぬまで理解できなかったりもする、実はとても難しい道です。
世の中には秩序が必要ですし、そのために身分の上下もありますし、高い身分になれば、人が権益を求めて、頭を下げて来たりもします。それで有頂天になって権力を私的に乱用すれば、それは「ウシハク」臣です。

シラスは、あくまでも民こそ主役とするものです。
そのために、限りなく奉仕することが、公である天皇の臣の道です。
そしてそれがわからないならば、たとえ天皇の曾孫であったとしても、地方に追いやられる。それほどまでに厳しかったのが、わたしたちの国の中世の日本だったのです。

この源重之の歌が、そういう、いわば「ものごとのはき違え」として掲載された歌であるということは、次の49番歌、大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶ)の歌で、より一層明らかなものとなります。
大中臣能宣朝臣も、「ものをこそ思へ」と詠んでいるのです。
けれど、そこにある心は、源重之のこの歌の対局に位置します。


===========
49番歌 大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶ)

御垣守衛士のたく火の夜は燃え
昼は消えつつものをこそ思へ

みかきもり
ゑしのたくひの
よるはもえ
ひるはきえつつ
ものをこそおもへ
============

この歌の「御垣守(みかきもり)」というのは、皇宮警備の衛士のことです。
その衛士たちが焚く火が、夜はあかあかと燃え、昼は消えることが毎日繰り返されています。それが何故なのかを思いなさい!といった意味の歌になります。

この歌も、「ものをこそ思へ」は、恋煩いの熱情のことで、衛士たちのかがり火が、夜は燃え、昼は消えるように、私の恋の炎は、もの思いにふけるのです」などと解説しているものを多く見かけます。

けれど、ちょっと考えたらわかるのですが、この歌が恋の情熱の歌なら、「夜は燃え」はなるほどと納得ですが、「昼は消え」なのです。
夜、コトにおよぶときは燃えるけれど、昼間には恋心はかけらほどものこっていないのでしょうか。
そんな程度の恋を、この歌は詠っているのでしょうか。

しかも詠み手の名前には、「朝臣」と、わざわざ官位まで付されているのです。
「朝臣」というのは、皇族以外の臣下の中では最高位にあたる姓(かばね)です。
その「朝臣」を、指名とともに付しているのです。
夜だけその気になって、朝になったらすっかり恋から醒めてしまうような薄情者の歌に、わざわざ「朝臣」など付けるわけもないし、「朝臣」とついている以上、なにがしか男の仕事に関係したことが、この歌に詠み込まれていると考えるのが普通です。

この歌を読む鍵は、実は「御垣守」にあります。
「御垣守」というのは、諸国から集められてきて、宮中にある各門で不寝番をしている衛士たちのことです。
ひとりひとりの衛士には、それぞれ故郷があります。
その故郷には、親兄弟や友達、もしかしたら愛する人や妻子もいるかもしれません。
それでも彼らは、宮中の警護のために、そしてそれは天皇をお守りするために、毎夜、一晩中かがり火を絶やさず、一日二十四時間、ずっと警護を続けています。

いま、皇居を警護するのは、皇宮警察官の役目です。
この皇宮警察官というのは、皇居の入り口に立って、猛暑のときでも、雪の降る寒い夜でも、まさに「微動だに」しません。
その姿は、訓練を受けた現職の機動隊の人たちでさえ、「あいつら、どんなときでも微動だにしない。すごい奴らだ」と感心するほどです。
そしてその姿は、何も皇宮警察だからではなく、実は、平安時代の衛士の時代から続く、我が国の伝統です。

いまの皇宮警察官は、皇宮警察官として採用され、そのための訓練を受けた人たちです。
けれど、平安の昔の皇居の衛士たちは、民間から選ばれた人たちです。もっというなら、ただの民間人です。
そんな民間人でも、彼らは宮中の警備のために、微動だにせず、夜はかがり火を絶やさず、昼も夜も、24時間、微動だにせずに、宮中の警備にあたっていたわけです。

なぜでしょう。どうしてただの民間人が、そこまで立派になれたのでしょう。

いまも昔も同じですが、わたしたちが権力者の私有民とならずに済んでいるのは、わたしたちが天皇のおおみたからという地位におかれているからです。
つまり、天皇という存在があるからこそ、わたしたちは権力からの自由を手に入れています。
わたしたちの自由は、天皇があっての自由なのです。

ですからいまでもそうですが、皇居の勤労奉仕は一般人が参加しますけれど、参加者にとっては、生涯忘れられない栄誉なことと認識されています。
勤労奉仕というのは、悪い言い方をすれば、ただの掃除人です。
けれど、陛下のために、皇居のお掃除をさせていただけるということが、わたしたち日本人にとっては、このうえもなく名誉なことに思えるし、幸せなことだし、自分の人生にとっての、陛下への御恩返しとして、とても貴重なものでもあるのです。

まして、我が子が宮中の衛士に選ばれた。あるいは自分が宮中の衛士に選ばれたとあっては、これはもう、先祖代々、わたしたち日本の民が、ご皇室からいただいた大恩、つまり権力者によって一方的に私有化され、使役されるということからの自由をいただいたことへの、一族をあげた御恩返しです。誇りです。

だから、誰もが胸をはって警護についたし、雨が降ろうが、雪が降ろうが、暑かろうが寒かろうか、たとえそれが深夜の眠たい時間であろうが、彼らは微動だにせずに、警護の任に就いたのです。
そういう姿が、毎日、夜も昼も繰り返されている。

大中臣能宣朝臣は、そのことを「ものをこそ思え」と詠んだのです。
たとえどんなに苦しいことがあっても、たとえどんなに辛いことがあっても、御垣守の衛士たちの焚く火が、一晩中燃え、昼も夜も、彼らが真剣に、そしてまじめに宮中の警護に取り組んでいる姿。
その姿は、わたしたちの国が、権力者が私的に民衆を支配し、強制して使役している国の姿とは異なり、民が、まさに御恩返しとして、立派にお勤めを果たしている姿です。
苦しくなったら、辛くなったら、「その姿をこそ思おうじゃないか」と、大中臣能宣朝臣は詠んだのです。

大中臣能宣朝臣は、官位は正四位下の人です。同時に宮中の祭主であり、神祇官の神祇大副の役職にありました。
天皇のお立場、天皇の祭祀を直接輔弼(ほひつ)する役職だった方です。
そういう人が、「我を張る姿」の対極にある、御垣守の衛士たちの姿に、人として、官吏として大切な心得を感じ、それを歌にしたのが、この49番の歌なのです。


48番歌の源重之は、天皇の曾孫という、恵まれた立場にお生まれになられた方でした。
けれど、どこまでも我を張り、自身の出世しか目に入らない人でした。
これに対し、49番の大中臣能宣朝臣は、御垣守の衛士の姿にこそ見習おうじゃないかと詠みました。
その大中臣能宣朝臣は、天皇の祭祀を補助する神祇官の高官として、生涯をまっとうしています。

何が二人の身分を分けたのか。
そこに、日本人として、いちばん肝心な日本の肝にあたる姿があるのです。


さて、今回は、46番の曾禰好忠から、49番の大中臣能宣朝臣まで4首の解説となりました。
いよいよ次回からは、百人一首の後半戦に突入します。
乞うご期待です。


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mari

No title
今日の四首はどれも情景が心情を絶妙に描いていて楽しく鑑賞できました。和歌の魅力に溢れ、歌人の個性や人生がねずさんの解説で対比されとても面白いです。

「風をいたみ」は、何かに挫折したときに心を慰めるにはいいかもしれませんがやはり女々しいですね。ねずさんの解説を多くの人に、特に政治家や官僚に読んでもらいたいです。

今日から6月になり、百人一首もあと半分なんですね。これからもますます楽しみにしています!
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
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