■ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。■ねず本第二巻の
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百人一首シリーズは年末に出版予定なので、原則24時間だけの公開とさせていただいているのですが、前回の54番から56番の三首は、そのまま公開とさせていただくことにしました。
1番歌〜3番歌と、
54〜56番歌が、当面、公開となります。
理由は、この54〜56番が、ある意味百人一首を代表する歌であると思ったからです。
1〜3番歌は、まさに和歌とは、百人一首の滑り出しであり、和歌とは何かをあらわす歌といえます。
百人一首の選者である藤原定家は、天智天皇、持統天皇という、我が国律令体制を築いた天皇、我が国を最初に「日本」と名乗った天皇の御製をそれぞれ1と2番に配置することで、わたしたちの国が、「天皇を中心とし、民衆をそのおおみたからとする国である」ということを明確に示しているわけです。
そして和歌は、その字面だけでなく、もっと深い思いをその中に仕込むため、古来の歌人たちが、真剣に和歌に取り組んだことが、3番歌によって示されます。
そして、百人一首の歌の順番にも意味があるということが、この3番歌でも明らかになります。
なぜなら、日本が上位下達の身分だけを大事にする社会なら、1番2番に我が国最高位の天皇の歌を並べれば、当然に3番歌には、親王殿下か、すくなくとも太政大臣クラスの人の歌を配置することになります。
けれど百人一首の3番歌は、身分は低いけれど天才歌人とされた柿本人麻呂なのです。
その人麻呂の歌は、夜中過ぎまで考えに考え抜いて、それでもたどり着けない歌の高みを、必死になって見つけ出そうと苦しみ悩む天才歌人の告白です。
真剣な努力のないところに高みはありません。そして成果を得るためには、たとえ天才と呼ばれる人であっても、悩み苦しみ抜いてひたすらに努力をし続けているし、それだけの努力をしている歌であるのだから、読む側もそれなりに真剣になって、歌の心を読み解いてもらいたいというメッセージが、ここに込められています。
そういう意味で、1番から3番歌は、日本の国柄と和歌の世界を読み解くプロローグとして、たいへんに適切なものとなっているといえます。
残念ながら、昨今の百人一首の解説本などでは、大学の先生方から一般の研究者まで、その歌の順番には意味がないとするものが多く、また、歌はその字面だけを解釈すれば足りるといった読み方しかされていません。
しかし、和歌は日本のあらゆる伝統文化の基礎となっているものです。そんな、言い方は悪いですが軽い解釈だけで、和歌を知ったようになること自体が、なにやら悲しいものに思えます。そういうわけで、1番から3番歌は、旧来の百人一首の解釈へのいわばアンチテーゼとして、あるいは本来の歌の読み方を取り戻すという意味において、このブログでも、そのまま公開設定にさせていただいています。
そしてもうひとつ公開設定とした54番から56番の歌は、和歌のもつドラマ性という意味で、これまた和歌の面白さを示唆する歌となっています。歴史というのは、「史(ふみ)の歴(つづり」という意味の漢字です。つまり、書かれたものが歴史となります。
しかし、年号や史実となる事件や人名をいくらまる暗記したところで、そこには何の感動もありません。
その背後にある人物や事件の物語のなかに、人は感動を抱くし、その感動が、ひとつの衝動となって、人が動き、人を動かす動機となっていきます。
「天文22(1553)年 川中島の戦い」とこれだけ見せられても何のことだかわからないし、そこには何の感動もないけれど、一方の総大将である上杉謙信が単身、馬に乗って敵の総大将の武田信玄に斬り掛かっている絵を見せられる。なぜ一騎打ち?と疑問に思い、そこから上杉謙信や武田信玄の人物像や生涯に迫る。するとそこに感動が生まれる。
「人は知れば知るほど、その対象を好きになる」といいますが、年号と事件名だけでは、無味乾燥にしかならない歴史が、たった一枚の「謙信が信玄に斬り掛かっている絵」を見るだけで、そこからいろいろなことがほとばしり出てくるわけです。
同様に、和歌は、たった31文字という短い文章でありながら、その31文字がきっかけとなって、さまざまな歴史や人の心や営みが、そこからまるで雪崩をうってほとばしるように、気持ちや心が胸を打つ。そしていま自分が感じているその気持ちは、実は千年前の先輩たちが、まったく同様に悩み、感じてきたものであることに気付くことによって、歴史と自分が、そこで一体化するわけです。
さて、前回の和泉式部の歌のあとに、続くのは、紫式部に大弐三位(だいにのさんみ)です。
紫式部は、いわずと知れた源氏物語の作者で、いまや世界的に有名な世界最古の女流文学者です。
続く大弐三位(だいにのさんみ)は、その紫式部のひとり娘です。
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57番歌 紫式部(むらさきしきぶ)
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月影 めくりあひて
みしやそれとも
わかぬまに
くもかくれにし
よはのつきかけ
===========
恋の歌が続いてきたので、紫式部のこの歌も恋の歌かな、と思ってしまいがちですが、実は幼な友達のことを詠んだのがこの歌です。
はじめの「めぐりあい」は、末尾にある「月」に上手にかかっています。月は夜になると出てきますが、その月は満ち欠けをくり返します。まさに「めぐる」わけです。同様に「めぐりあい」は、一度離れて再び会います。
なので「めぐる」と「月」は一体です。これを「縁語」といいます。
続く「見しやそれとも」は、実におもしい掛詞で、「めぐりあって、ふたたび相見えた(会った)けれども」という意味と、「それ、私の友は」という意味と、二つがかぶっています。
「わかぬ間に」は、「それとわからない間に」です。
「雲に隠れし」は、月が雲に隠れてしまうように、友人(女友達)が去っていってしまったことを意味します。
「夜半の月影」は、夜半が真夜中の月の様子をさします
以上のことから現代語に通釈しますと、
「やっとめぐりあうことができた私の友達は、会ったと思ったら、会えたことすらわからないほどの短時間で、真夜中に月が雲に隠れるように去ってしまいましたわ」といった意味になります。
さて、この歌に詠まれている「めぐりあった友」は、男性でしょうか、それとも女性でしょうか。
『新古今和歌集』の歌詞には、「はやくより、わらはともだちに侍りける人の、としごろへてゆきあひたる、ほのかにて、七月十日の比、月にきほひてかへり侍りければ」とあります。
現代語にすると、
「何年かぶりにようやく幼ななじみの友に会ったのですが、ほんの少しの時間で7月10日の夜に帰ってしまったので」といった意味になります。
この歌詞からはっきりとわかることは、相手は紫式部が童女であった頃からの友達である、ということだけです。
つまり、あくまで友達であって、恋人ではない、ということです。
一般の解釈本によりますと、「だから相手は女性である」とされています。
これは無理があります。
ただ、幼友達といっているだけで、男か女かは明示されていないのです。
ということは、この歌を解釈する際に、男か女かは問題にならないということです。
男性か女性かはわからないけれど、紫式部がまだ童女であった頃からの懐かしい友達が尋ねてきた。
聞けば、遠方に転勤になって都を去るという。
それは、本人が転勤なのかもしれないし、夫が転勤となって妻となっている女友達が、夫に付いて都を去るという話かもしれません。
幼なじみが都を遠く離れて去って行く。
紫式部は、その友達と、いっぱいお話をしたかったことでしょう。
けれど時間がない。
友は、短い時間、式部を訪問し、去って行ってしまうわけです。
その「短い時間」です。
これは「あっという間に感じた」という主観的な時間であって、必ずしも物理的な時間を指しません。
すくなくとも友は、「月夜の夜半まで」いたわけです。普通常識で考えて、恋人でもない人が(それが男であれ女であれ)、余程緊急の用件でもない限り、夜中に尋ねてくることはありません。
ということは、その友達が紫式部のもとにやってきたのは、実は、日中であったということです。
それが夜中過ぎまでいた。
その滞在時間は、もしからしたら半日以上にも及ぶ長い時間だったかもしれないけれど、それが「見しやそれとも分かぬ間に」というくらい、短い時間に感じた、ということなのです。
半日にもおよぶおしゃべりが、一瞬のわずかな時間にしか感じられないほど話し込んでしまったし、別れが惜しかった。だからこそ、「見しやそれともわかぬ間に」なのです。
この歌を詠んだ紫式部は、和泉式部のように、男性への愛に生きた女性ではありません。
とても頭の良い女性ですが、同じく優秀な女性であった清少納言のような、いわゆるキャピキャピで底抜けに明るい、いつも友達に囲まれてはしゃいでいるような明るいタイプの女性でもありません。
どちらかというと素朴でおとなしくて、もの静かな女性です。
こういうタイプの人は、男でも女でも、決して友達の数は多くない。
けれど、少ない友達と、深い心のおつきあいをします。
そんな紫式部にとって、なつかしい昔の古い友達が、転勤前に尋ねてきてくれたことは、ものすごく嬉しいことであったことでしょうし、同時に遠くに去ってしまうという寂しさもあったことでしょう。
そう考えれば、「夜半の月影」というのは、ただ月が雲に消えるように、あっという間に帰ってしまったということではなくて、おもわず夜半まで長時間話し込んでしまったけれど、それが一瞬にしか感じられなかった、という心理を詠んだ歌であるということが見えてきます。
紫式部は、父が蔵人式部丞(くらんどのしきぶのじょう)であったことから、父親の職名で式部と呼ばれました。紫というのは、一条天皇の御生誕の祝いの席で、当時の文壇の指導者的立場にいた55番歌で「名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠んだ大納言公任(だいなごんきんとう=藤原公任)が、式部に「わか紫やさぶらふ」と話しかけたことが由来とされています。
さらに源氏物語の主役のヒロインが紫の上ですので、作者の名としても紫式部がふさわしく、後年になってから、一般に紫式部と呼ばれるようになりました。彼女が生きていた頃は、彼女が藤原氏であったために、藤式部と呼ばれていたようです。
その紫式部は『源氏物語』というたいへん有名で、かつ素晴らしい文学作品を世に遺しました。
ちょっとみには、周囲からもちやほやされて、いつもたくさんの取り巻きの人たちに囲まれていたスターのような存在であったかのように感じてしまいがちです。
実際、彼女はスターだったし、もしかしたら本当にいつもたくさんの人に囲まれていたのかもしれないけれど、そういう彼女自身は、心を許す友達は、数こそ少ないけれど、そういう友達をとても大切にした女性であることが、この歌を通じてわかるわけです。
逆にいえば、決して友達の多くなかった紫式部が、ほんとうに心を許した昔からの親友が、ただでさえお互い成長し、仕事や家庭があってなかなか会えなくなっているのに、今度は遠くに転勤してしまう。
そうなったら、これはもう男女に限らず、ちょっとの時間さえ惜しんで、あれやこれやと夢中になって話し込んでしまったことでしょう。気がついたら夜中過ぎになっていたけれど、そんな長時間話し込んでも、それが一瞬のことにしか思えない。そしてそのことが、後になってみればとてもせつないものに感じる。
人もうらやむような大物といわれる人物であっても、その人自身は、決して幸せで充実した日々を送っているとばかりはいえません。
誰しもが、心に寂しさや、悲しさや孤独感を抱いている。
紫式部は、『源氏物語』という、世界的名作を遺した女性ですけれど、そんな彼女が、実は、友達の数は少なく、その少ない友達をとても大事に思っていた女性であったということは、逆に、紫式部を、とても身近に感じられます。
注)末尾の「月影」について
紫式部のこの歌、「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月影」について、最近の高校の教科書などでは、末尾を「月かな」としているものが多いです。けれど「新古今集」や百人一首の古い写本などでは「月影」とされていますので、解説も「月影」で行わせていただきました。
「月かな」の「かな」は詠嘆の終助詞です。けれどこの歌は「それとも分かぬ間に」という心理的時間を通じて友との別れを惜しんでいるのであって、月に感動して詠んでいるわけではありません。むしろどうしてこの歌を「月かな」に変えてしまうのか、そのことの方が疑問です。そもそも普通に常識で考えて、親しい友が地方転勤で遠くに行ってしまうのに、月がでてるなー、月がきれいだなーなどと、月の話題にあえて話をすり替える理由もありません。
そもそも月は、欠けたり太ったりします。だから「めぐるもの=くりかえすもの」です。「月影」であれば、また満ちます。つまり再び友は都に帰ってくる。そういう期待があるから「月影」になるのです。それが「月かな」という感嘆では意味が通じなくなります。
その「月影」にしても、「それはきらめく月光を意味する」などと解説している本もあります。それも違います。月影というのは「きらめく月光」のことではなくて、三日月や半月などで見えなくなっている影の部分のことをいいます。その影の部分が、満月に向けてまた出てくるわけで、だから月は「めぐる」と縁語になるのです。友に、「帰ってきてもらいたいわ。いや、きっと帰ってくるわ」、そういう紫式部の思いがあるから、末尾が「月影」になるのです。「きらめく月光」では意味が通じません。わるいけれど、最近の学者さんたちは、いったい何を考えているのかと腹立たしくさえ思います。
==========
58番歌 大弐三位(だいにのさんみ)
有馬山猪名の篠原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする ありまやま
ゐなのささはら
かせふけは
いてそよひとを
わすれやはする
===========
この歌は紫式部のひとり娘である大弐三位(だいにのさんみ)の歌です。
大弐三位は、本名が藤原賢子(ふじわらのけんし)といいます。母の後を次いで一条彰子(いちじょうしょうし)に仕え、その後関白である藤原道兼(ふじわらのみちかね)の次男の藤原兼隆(ふじわらのかねたか)との間に一女をもうけました。
さらに大弐三位は、のちに第70代、後冷泉天皇となられる親仁親王がお生まれになられたときに、その乳母に任ぜられています。
第一皇子である親仁親王殿下の乳母なのです。乳母というのは皇子の母親がわりとなって皇子の面倒をみる、母乳の出る女性ですから、子のいる女性で母乳が出る女性であって、しかも皇子の乳母ですから当代でもっとも優秀であり、かつ健康な女性が選ばれます。
そのすべての条件を満たしたのが大弐三位であったわけです。
しかもこの後、藤原賢子は、従三位、 典侍へと位がどんどん上がっていきました。どれだけ優秀な女性であったかということです。
大弐三位が結婚したのは、36歳のときのことです。お相手は太宰府の長官の高階成章(たかなしのなりあき)でした。この高階成章が後年大宰大弐に昇格したことから、賢子は、本人が三位で、夫が大弐ということで、大弐三位(だいにのさんみ)と呼ばれるようになったわけです。
要するに、大弐三位は、今風にいえば、まさに高級官僚のキャリアウーマンとして大成したわけです。
そういう女性が、まだほんの若い頃に詠んだ歌が、この58番歌です。
歌の大意は、現代語訳したら、
「有馬山の近くにある猪名の平原の笹の原っぱでは、風が吹くと、笹の葉がサラサラと音をたててなびきますわ。風が吹けば音が鳴る。それと同じように、どうして私があなたのことを忘れることができるでしょう?」というものです。
「有馬山」というのは、神戸にある山で、「猪名(いな)の笹原(篠原)」というのは、そのふもとにある平地で、当時は笹の原っぱだったところです。
「いでそよ」は、「風が吹くと、ほら、そよそよと笹の葉がなるでしょう?」といった意味と、「まったく、そのとおりよ」という意味と、二つの意味を兼ねています。
そして末尾の「人を忘れやはする」は、「やは」が反語になりますので、どうして人(貴方)のことを忘れたりするでしょうか?」といった意味になります。
この歌の歌詞には、「離れ離れなる男のおぼつかなくなど言ひたりけるに詠める」とあります。
要するに、離ればなれになって、しばらく逢わないでいたカレが「おぼつかなくなる」、つまり「私のことを忘れたのではないですか」などと気弱な手紙に書いてきたので、「忘れてませんよ」と歌に託して書いて送ったときのものだ、というわけです。
ちなみに、有馬山と聞けば、有名なのが有馬温泉です。有馬温泉は日本三大古湯としても有名な温泉で、631年に舒明天皇が3ヶ月湯治に滞在したという記録が日本書紀にあります。平安時代、日本書紀は貴族たちの定番の歴史教科書でしたから、要するに有馬山と聞けば有馬温泉、有馬温泉と聞けば舒明天皇の湯治、つまり癒しを連想させるものとなります。
その静かな癒しの有馬のお山で笹が騒ぐ。これは胸騒ぎというとか、胸の高鳴りを連想させます。
その胸の高鳴りに「風が吹く」、つまりカレからの手紙がくる。これまた胸の高鳴りです。
そして「あなたのことが、どうしてわすれられましょうか」と続くことで、ちょっと控えめなカレのイメージと、清々しい溌剌とした藤原賢子の姿が歌のなかで重なり、実に健康的で清涼感のある歌になっています。
ちなみに、この歌のお相手の男性が誰かには諸説ありますが、私は源朝任(みなもとのともとう)であろうと思っています。なぜなら源氏の家紋が源氏笹だからです。
つまり歌にある篠原(笹の原っぱ)は、そのまま源氏笹をイメージし、その流れでいくと源朝任となるわけです。実際にはどうだったかわかりません。
母は、素晴らしい文芸を遺した紫式部ですが、その一方で、孤独な女性でもありました。
けれど紫式部の優秀な血筋をひき、しかも親が名士の仲間入りしてくれていたおかげで、幼い頃からくったくなく伸び伸びと育ち、人として女としての自信もあふれて堂々たるキャリアウーマンとして生き抜いた娘。
56番の和泉式部が、あまりに強い愛と、その愛する人の死のために生涯哀しみを背負い、娘も息子も母よりも早くに亡くなってしまった孤独を伝える歌でした。
57番は、それに対して、人並みはずれたすぐれた才能を抱きながら、友のいない寂しさや孤独を抱き続けた紫式部です。
そして58番は、そんな紫式部に愛されて育った大弐三位の、くったくのない明るさのある愛の歌と続くわけです。
百人一首は、こうして千年前の歌人たちの姿を、いまを生きるわたしたちに活き活きと蘇らせてくれます。
そしてその歌人たちは、わたしたちと血のつながった祖先でもあるわけです。
いまを生きているわたしたちが感じる孤独や寂寥感、あるいはくったくのない笑顔など、そんなさまざまに交叉する思いが、実は、千年前のわたしたちの先輩が、やはり生きた人として同じ思いをいだいていた。
そこで生まれるご先祖さんたちとの情緒面での一体感が、まさにいま悩んだり苦しんだりしている人たちにどれだけの励ましになるか。
百人一首は、まさに千年前の歌人たちと、わたしたちを繋ぐ絆の糸にあたる歌集であるように思います。
そしてその歌人たちが、当時も実にたくましく生きていたということが、次の59番歌の赤染衛門(あかぞめえもん)で明らかになります。
===========
59番歌 赤染衛門(あかぞめえもん)
やすらはで寝なましものをさ夜更けて
かたぶくまでの月を見しかな やすらはて
ねなましものを
さよふけて
かたふくまての
つきをみしかな
============
赤染衛門(あかぞめえもん)という名前の字だけを見ますと、なにやら文左衛門といったような男性の名前と勘違いしてしまいそうですが、れっきとした女性です。
父の名が赤染時用(あかぞめのときもち)で、官職が衛門であったことから、赤染衛門と呼ばれています。
代表作に、平安時代の歴史物語で藤原道長の生涯までを書いた『栄華物語』があります。
『栄華物語』は、正編30巻、続編10巻からなりたっていますが、その正編30巻を書いたのが、この赤染衛門です。ということは、ものすごい才女であったことがわかります。
『栄華物語』は、同時代の歴史書として、よく『大鏡』と対比されますが、『大鏡』が漢文で書かれ、どちらかというと男性向けに書かれたものであるのに対し、『栄華物語』は、女性らしい「かな」で書かれた歴史書となっていて、女性たちにやさしい情感のある歴史書となっています。
さて、その赤染衛門の詠んだこの59番歌ですが、大意は、
「さっさとやすらいで寝てしまえばよかったものを、夜が更けて西に傾いた月を見てしまいましたわ」といった意味です。
この歌には後拾遺集に歌詞があり、そこには「中関白少将に侍りける時、はらからなる人に物言ひわたり侍りけり。頼めてまうで来ざりけるつとめて、女に代りてよめる」とあります。つまり、後に中関白となる藤原道隆が、まだ少将だった時代に、自分の「はらから」つまり姉妹のところに来るといって来なかったので、姉妹に変わって詠んであげた歌だというのです。
藤原道隆といえば、後の摂政関白太政大臣です。
父の藤原兼家も関白太政大臣であり、家柄血統に申し分なく、しかも宮中一の実力者です。
その実力者の、道隆は長男坊であり、いずれは親の地位を引き継ぐであろう貴族のわけです。
そんな藤原道隆と姉か妹かわかりませんが、赤染衛門の姉妹が恋仲となり、道隆が来るというので、一晩中寝ずに待っていたわけです。
ところが来ない。
で、イラッときた赤染衛門が、姉妹の代わりに歌を詠んであげて、道隆につかわしたのが、この歌というわけです。
それだけなら、まあ、ありがちな歌といえなくもないのですが、ここでおもしろいのが、この歌にある「傾くまでの月」というセリフです。
「傾く」というのは、ずっと後年になって「傾向き者(かぶきもの)」という言葉に代表されるように、今風にいえば、「グレちゃうわよ!」といった意味になります。
つまりこの歌にある語感は、「あんたが来るというから、せっかく寝ないで待っててあげたのに、結局、あんた来ないんだ。あっそ。だったらあたしグレちゃうわよ」といった語感になるわけです。
相手は並の男性ではありません。いまをときめく藤原兼家の長男坊です。
今風にいえば、大会社の社長の坊ちゃんで、会社の専務みたいなものです。
それに対して、赤染衛門は、父が大隅守(おおすみのかみ)で、これは現場のいち支店長でしかありません。
その一介の支店長の娘が、社長の倅で専務になっているぼっちゃんをつかまえて、「あんた、ざけんじゃないわよ。だったらこっちにも考えがあるわよ。グレちゃうわよ」と、堂々とタメ口をきいているわけです。
生意気というよりも、平安中期の女性たちの気風というものが、ただみやびで高品位でなよなよとしてたというようなものでは決してなくて、相手がどんな高位高官だろうが、人として堂々と五分にわたりあう。まるで江戸っ子みたいな気っ風の良さが、この歌には、はっきりと明示されています。
赤染衛門と並び称される女性に清少納言がありますが、清少納言についてはねず本の第二巻で『枕草子』の現代語訳をすこしご紹介させていただきました。実は『枕草子』は、現代風にいえば、まさにキャピキャピギャルが気取らずに素のままで、明るく元気一杯に生きた女性たちの姿を描いた名作です。
清少納言の『枕草子』というと、学校の古典の授業では、なにやら「ワビ、サビ」のいたって高尚でカッコつけたような平安女流文学作品みたいな硬いイメージで紹介されますけれど、中を読めばとんでもない話で、「夜、忍んでくるのに、カッコつけて長い烏帽子かなんか冠ってきてさ、その烏帽子を鴨居(かもい)にぶつけて、ガタガタと音を立てる奴。親や家人たちが寝てるんだから、そんなん、はずかしいったらないわよ!、ばっかじゃ〜ん」みたいな、実に軽妙なノリで書かれた「をかし(=おかしい、おもしろい)」世界が綴られた随筆集です。
要するに、この時代の女性たちは、全然、なよなよなんてしていないのです。
実に明るく堂々としていたし、相手が高位高官だろうがそうでなかろうが、力の強い男であろうがなかろうが、人として「対等」という明確な意識をもって生きていたということが、この歌に象徴されているわけです。
そもそもの話、百人一首の大本になっているのは『古今和歌集』がその中心です。
この『古今和歌集』は、我が国初の勅撰和歌集で、天皇の命によって編纂された歌集です。
そしてその編纂が命ぜられたのは、我が国が、遣唐使を廃止し、中華文明との決別を図り、我が国独自の古代から続く日本としての文化を、もういちど見直そうじゃないかという運動の中で編纂されたものです。
そしてその約二百年後に編纂された小倉百人一首は、そうした和心を、百人の歌人から学ぼうよと編纂されたものです。
つまり、百人一首のその心には、和の文化、日本文化がその奥底に流れているわけです。
そしてその日本文化とは何かといえば、君民が一体となり、民は君のたからであり、人の和と人々の結いのもと、すべての人が、社会的分業としての身分のちがいこそあれ、人として対等に生きることを是とする文化です。
そういうことが、この59番歌にはっきりと明確に示されているのです。
さて、次回は、和泉式部の娘、小式部内侍(こしきぶないし)、伊勢大輔(いせのたいふ)、清少納言です。
この三人から、どんな学びがあるのでしょうか。
次回をお楽しみに。

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拡散しよう!日本!
コメント
そま
百人一首の根幹の思想をわかりやすく丁寧に説明している
紫式部という超有名な文学者の和歌のみならず人柄にも言及している 紫式部の和歌は多くの人の興味を喚起する
宣伝効果と和歌の本質 前回の記事と併せて一つで百人一首の魅力を十全に説明されている
平安朝文学の魅力を支える女性達の生き様が想像できる
それは当時の文学への興味に彩りを添え学生だけでなく沢山の日本人に読みたい読み直したいという意欲をもたらす
和泉式部日記を私は初めて読んだ 恋の駆け引きより一種の心理学
非常に面白い
やはり若者達がより日本の古典に親しむためにも残しておいてほしい記事だと思います 合わせても三つだけです
乱文にて
2014/07/09 URL 編集
mari
57番の紫式部の歌、どういうわけか「夜半の月影」と「夜半の月かな」が世の中に混在しているようです。たった一文字だけど受ける印象はおおきく違いますよね。本当はどちらが正しいのかわからないけど、私は断然「月影」派です((*’∀’)なのでねずさんが「月影」と書いて下さって嬉しいです〜
平凡な女から見ても女性歌人の歌は「あるある」と頷いてしまうことも多いのですが、次回の3首は突き抜けている感じがします。ねずさんの解説を楽しみにしています!
2014/07/08 URL 編集
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2014/07/08 編集
さつき
よろしくお願いします
和泉式部と紫式部は対称的なようで、実はどちらも孤独を抱えていた女性であった事に今日とても気づかされました
死の間際に愛する人を思い求めた和泉式部、源氏物語に来世への幸福と希望を託した紫式部
とても感動します
お2人の愛は思いは今も尚生き続けてます
日本人の思いを綴った百人一首は素晴らしいですね
とてもいいお話でした
ありがとうございます
2014/07/08 URL 編集
-
2014/07/08 編集
お願いします。
ヤフコメで明らかな不正投票発覚
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<日韓観光>「怒られっぱなしでは…」訪韓日本人客が急減
毎日新聞 7月6日(日)19時13分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140706-00000029-mai-bus_all
>日本の旅行者はもっと韓国へ謝罪ツアーを開催すべきです。
>日本の間違った報道で、戦犯国の意識が薄れた日本人が増えたのです。
>国民を啓蒙させる意味でも、修学旅行は韓国のみとし学校教育にも取り入れるべきです。
支持 97174
不支持 65460
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ヤフーの不正大量クリック問題はヤフコメの改悪が原因!
知ってる奴は知ってると思うが、
今まではIPとクッキーのダブルチェックだったのに
今はクッキーだけになったんだよ
あえて不正されやすいようにした事からも
ヤフーが対策する気なんて全くない事が分かる
数千件の違反申告がされてると思われるこのコメが
いまだ削除されてないのがその証拠だ
大事なのは記事の観覧数であって
評価なんておまけ的なものはどうでもいいんだろう
要は不正の疑いがあると違反申告しても
無駄だという事だ
http://person.news.yahoo.co.jp/profile/4Nq1jt6Ra2VNRUiIEPe4vQ--/comments/
2014/07/08 URL 編集
眞次
2014/07/08 URL 編集
さつき
国政選挙の開票結果よりもはるかに、統一地方選挙の開票結果によって、日本人B層が依然どれだけ存在しているのかが端的にわかりますからね。
「然るべき人たちへの徹底抗議(葉書・メール・Twitter・FAX)&日本人B層への公職選挙法範囲内での情報拡散(ポスティング・チラシ配布)」
が最も重要であると思います。
2014/07/08 URL 編集