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私の地元の埼玉県の春日部市もともと宿場町で、毎年夏になりますと駅前にあるお酉様で市が立ち、盛大なお祭りが行われていました。
いわゆる「酉の市(とりのいち)」です。
「市」のときには、商売繁盛の大熊手の屋台が立ちならび、熊手の購入者にはあたりにいるみなさんが、盛大に三三七拍子を打ってお祝いし、夜になると八幡様の神輿が出るという、たいそう賑やかなお祭りが行われていました。
ところが、もう30年以上前になろうかと思いますが、市の駅前開発によって、駅近くにあるお酉様(おとりさま)のお社(やしろ)が、取り壊され、付近の建物裏の小さなスペースに、隠れるようにして小さな祠(ほこら)だけが置かれるようになりました。
いまでも夏祭りはあり、それは「春日部市民祭り」と名前を変えて、お酉様とは何の関係もない、夜店の屋台が建ち並ぶお祭りとして残っています。
ただ不思議なのは、かつて大繁盛していた駅の東口のお酉様を中心に発展していた商店街は、いまではシャッター通りどころか、そこにかつて商店街があったということさえわからないほど、さびれて廃れてしまっていることです。
駅前なのに、です。
3つあった銀行も、いまでは1つです。
さびれた理由は、大店法の影響と言われました。
大型店に客足を取られたというのです。
ところがかつてあった駅前の「屋上に遊園地のある地元大型スーパー」は倒産してなくなり、そのあと商店街のいちばん奥に外資系の大型百貨店ができたのですが、これまた撤退してしまいました。
いま、その大型百貨店には、西武さんが入っていますが、これまた閑古鳥で、いつ撤退するかわからない状態といわれています。
人口が横ばいの地方都市に、大型流通店舗が出来れば、地元商店街は市場を奪われ、衰退します。
各世帯が月に消費する金額はそうそう変わらないのですから、たとえば市の市場規模が年間50億円だったとき、そこに年商30億円の大型店ができれば、商店街が持っていた売上げは、五分の二に減少してします。
全国的にも、こうした事情から駅前商店街がシャッター通りになってしまっているケースは多数存在し、それが社会問題と言われても久しいです。
ところが春日部で不思議なのは、その「大型店も倒産してしまった」ということなのです。
市の人口は横ばいです。ですから市の市場規模は変わりません。
にもかかわらず駅前商店街は、もとからそこに商店街などなかったのではないかと思えるほど消失し、駅前に3つあった大手銀行の支店も2つが潰れ、そして「市場を奪ったはずの大型店」も、倒産してしまったのです。
そして失われた商業市場がどこに消えたのかというと、駅前とは全然関係のない、もともと農村部だった郊外へとシフトしました。これはいったいどういうことなのでしょうか。
その理由を考えるとき、もちろん車社会になったからとか、駅の反対口(西口)側が発展したからとか、いろいろな説明がなされるのですが、どれもいまいち、説明がつきません。
ところが、ある日、あるお年寄りが、
「お酉様のお社(やしろ)を祖末にしたからだよ」とおっしゃられ、その場にいた全員が凍り付きました。
お酉様は、商売繁盛の神様です。
それを粗末にしたら、商売は衰退する。
絵に描いたような話です。
そういう眼に見えないものは、ただの因習だといって軽蔑される方もおいでになります。
因習かもしれません。
けれど、縄文、弥生の昔から、わたしたちの国では、神社やお社が、地域の人々の気持ちをつなぎとめ、心の共有をもたらす存在であったことは、
古代や中世の記録に書かれた事実です。
春日部の東口界隈では、かつてはお酉様を中心にして、地元の人たちの「結(むす)び」が形成されていました。
地域の「結び」があるから、商店の人たちは顔見知りの奥さんやお子様たちが元気に育つように、ちょっとでも良い野菜や魚を仕入れてきて、みんなに喜んでもらいたいと思って活き活きと働いていたし、地域の人たちも、そうやって朝早くから頑張ってくれている商店街のおやじさんや奥さんのために、「今日の夕餉には、あそこで魚でも買おうかしら」と、ごく自然な地域の連帯が生まれていたのです。
ですからもともと地域商店街の活力のもとというのは、そういう地域の「結び」にあり、商業主義とはまったく異なる、地域の人と人との絆やつながり、あるいは互いの思いやりの心の共有が、地域の活力の源泉になっていたし、それが、年に一度のビックイベントとなっていたのが、夏の酉の市のお祭りであったのではないかと思うのです。
ところが戦後は、そうした地域の絆やつながりが分断され、商業はただ売ればいい、儲かればいいという商業主義に傾斜しました。
そして地域や地元の「結び」を無視したそういう商業主義が、気がつけば商業そのものを衰退させてきたといえるのかもしれません。
全国いろいろなところで、地元商店街が壊滅して、シャッター通りになってしまっているというケースは多々あります。
けれど、ではそれが大型店が近所にできたからとばかり、果たして言えるのか。
そこをすこし深く考えてみなければならないのではないかと思うのです。
夏祭りのシーズンがやってまいりました。
全国いろいろなところで、
大型店ができました。
地元商店街がさびれました。
その後大型店が撤退しました。
けれど地元商店街はまったく復活も蘇生もしていない。
そんな事例が多々あるのではないかと思います。
そしてその発展しない場所の多くは、もしかすると地元の神社やお社や、もとからあった酉の市のような商業の神様を粗末にし、人々が感謝の心を忘れている。そんな傾向はないでしょうか。
逆に、そういう古くからいる神様を大切にしている商店街は、おばあちゃんの原宿と呼ばれる巣鴨の地蔵通り商店街、赤城神社をきれいに再建した神楽坂、明治神宮の表参道など、大繁盛を続けています。
神様のご利益云々は別としても、その神様の存在が、地域の人々の気持や心を繋ぎ止め、人々の地元への思いを共有してきたし、そこに古くからある互いの感謝の気持ちが、結果として地元に大規模店舗がたとえできたとしても、商店街がいまだに存続している大きな理由のひとつを構成しているとは考えられないでしょうか。
現に、壊滅してしまった古い商店街では、地元の神様が粗末にされているということはないでしょうか。
もうひとつ事例をあげます。
こんどは、悲しい事例ですが、上に述べました春日部の事例よりもショッキングです。
先日佐世保で痛ましい事件が起きましたが、その佐世保では、この10年の間に4件の痛ましい事件が起きました。そしてその4件の事件は、すべて直径1km以内の狭い範囲で起きています。
2004年6月1日:ネバダ事件、市立大久保小学6年女児が同級生をカッターで首を切り殺害。
2007年12月14日:スポーツクラブ:ルネサンス佐世保事件。銃を乱射し2人が死亡、6人が重軽傷。
2011年6月5日:佐世保同仁会病院理事長が養母を殺害
2014年7月26日:高1女子児童同級生殺害事件
の4つです。
そしてこの4件の事件のあった現場を線で結ぶと、その中心に亀山八幡神社があります。
佐世保には「おくんち」と言う祭りがありました。
その氏神様が亀山八幡神社です。
ところが近年、「地元を盛り上げる」ことを理由に市が中心となって「佐世保よさこい祭り」なるものを始めて、宗教色があるからと、亀山八幡様はないがしろにされているのです。
つまり、もともとは神社のお祭りであったものが、市民祭りと称して、別なものにすり替えられているのです。
「だからその祟りでは?」
最近、地元では、そういう話がささやかれるようになってきているそうです。
非科学的だと一笑に付してしまわれる方もおいでになるかもしれませんが、ではどうしてこのような狭い地域で、悲惨な事件が集中して起きたのかは、不思議なことです。
地域活性化とか、地元の元気を取り戻そうとか、標語は全国にあふれています。
けれど、肝心の、もともとの「人々の気持ちや心を繋ぎとめ、地域への思いや感謝をもたらす存在は、ないがしろにされたままです。
そして、地域によっては、悲惨な事件まで起こっているわけです。
地域の活性化のために、その地域のつながりや絆の源泉となっていた古くからの伝統的価値を、もういちど見直してみること。
もしかすると、それこそが本当の意味での地域活性化をもたらす、最大の鍵といえるのかもしれないと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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コメント
takechiyo1949
それを題材にした「龍臥亭事件」は小説ながら実情に詳しく、学生時代に読みました。
また、同じネタで「岡山もの」と呼ばれる「横溝 正史/八つ墓村」は本も読み映画も観ました。
岡山は元々「心霊スポット」と呼ばれる場所が沢山あります。
しかし、寄る近代化で失われつつあるそうです。
不気味な「八つ墓明神」と金田一耕助…果たして「祟り」は有るのか?
佐世保で起きた悲惨な事件は3年位の間隔で起きていますが、捜査も審判も科学的に行われますから「祟り」の出番はありませんでしたね。
親から『神仏は拝め』と厳しく言われました。
理由を教えられても子供でしたからよく分かりません。
今思えば、怨念や祟りを恐れてでは無く、先祖先人や氏神様への尊崇と感謝を忘れるな!だったのだろうと思っています。
間もなく「立秋」を迎えますが、まだまだ茹だる暑さが続いています。
背筋が寒くなるようなお話。
有り難うございます。
2019/08/05 URL 編集
アドレス
2014/08/05 URL 編集
ポッポ
子供の頃には、これは一大イベントで、町内の地蔵様をお飾りして、周囲に敷物を敷かれました。そして、子供の名を書いた提灯を飾り、子供におやつを出したり、夜には盆踊りを踊ったりと、町内会にとって大変な催しでした。
これが、あるときから、行事として縮小されていきました。
ある宗教の、興隆時期に重なります。この宗教は、他の宗教を拝むことを、一切認めなかったのです。
頻繁に座談会を催し(その会場となるお宅の前に、提灯を出していました。)、現世利益を説いていたようです。
他の宗教(神社さんも、お地蔵さんも含めてです。)を認めないから、町内会で行う地蔵盆の開催にまで影響しました。
これと相前後した頃から、行政の関係するお祭りも○○フェスティバルという名称に、変化していったのではないでしょうか。
この名称ならば、この宗教の会員も参加できたのです。
そして、行政は、宗教色が少しでもあると考えられる名称や内容の行事を、実施することは出来なくなっていったと思います。
国が特定の宗教を支持することは出来ませんが、神社関係の文化と言えるものまで否定することには、違和感を覚えます。
ところで、日本における宗教関係の騒動のことです。
仏教関係(宗教として、キリスト教も含みます。)の暴動や内乱を考える場合、歴史に残っていることは数多くあります。しかし、神社関係の騒動は、物部氏と蘇我氏の争い以降は、思いつきません。
神社さんは、争いごとを納める平和な社(空間)だと思います。
2014/08/05 URL 編集
イシコウ
ここ数年思っていたのですが、静岡東部で言いますと、富士宮と三島市はしっかりしています、淺間大社と三島大社を大事にしています、変って富士と沼津は、大企業の撤退などで衰退の一途です、この記事を読んで「やはりなぁ」と思いました。
2014/08/05 URL 編集
ありがとう
良いお話をありがとうございました。
2014/08/04 URL 編集
軍人の娘
春日部のお話を聞き、懐かしくコメント投稿してしまいました。
10年前頃までは、春日部駅前も商店街が賑わっていたと思います。
私も高校帰りに某外資系百貨店の映画館や本屋さんやCD屋さんに行き、地下でアイスクリームを食べ、バレンタインデーには部活顧問の先生にハート型の特大せんべい(春日部はおせんべい屋さん多いですね)をあげたこと、とてもいい思い出です。
それから数年後、近隣地域に超大型ショッピングモール(民主党の元党首系列)ができたため、春日部ではショッピングも映画もなくなったようですね。
残念です。
少し話はそれますが、母校の校歌は古臭い感じもありながら、ゆったりしたメロディーが風情があって大変気に入っていました。(http://www.kasujo-h.spec.ed.jp/?page_id=453)
2番まであって、両親への感謝や師の教えを歌うものなのですが、本来は3番まであったそうです。
もともと、2番に「女子の務めの歌」があり、歌詞に『天照光尊き』という部分があったため戦後削除されたそうです。
在籍中は全く知りませんでした。
こういった歴史を教えてくれる人もいなくなってしまうなんて悲しいです。
2014/08/04 URL 編集
山田
特に「にゃんママ」さんの書き込みを仕事の休憩時間に読んで、涙が出てきてしまいました。守られていたことの有難さを痛感しました。
2014/08/04 URL 編集
草莽の民
2014/08/04 URL 編集
桔梗
立ち寄ると神社の由来などが書かれていて、読むと何百年もの歴史があったり、最近立ち寄った神社は御神体が古くから伝わる剣だという珍しさでした。
自分の住んでいる県は、何もない地方の田舎県だと思っていたのに、貴重な歴史ある神社が思いがけず身近にあることに、身が引き締まりました。
神社を大切にすることは、日本の歴史を大切にすることだと思います。
2014/08/04 URL 編集
葉桜
本当にそのような事があるものですね。
いつの時代でも、どこの国でも、神に感謝し敬う心と行為(祭祀)は大切なのだと改めて思います。ましてや日本は八百万の神々様が御座すのですから尚の事。
2014/08/03 URL 編集
みやび
読みながらゾワ〜っと、してしまいました。
あ!
熊手いただきに酉の市いかなきゃ(⌒-⌒; )
佐世保の友人には、八幡様にお詣りすることを朝から連絡しました。
コメント欄を拝見しても、みなさんかなり興味持たれていらっしゃるようです。
ちょっと、非科学的かもしれませんが
日本人にとっては、とても大切なことです。
また、是非ブログで取り上げて下さい。
神社と町の景気、安全が、こんなに密接な関係があることを、たくさんの方に知っていただきたいです。
2014/08/03 URL 編集
カナダドライ
http://todo-ran.com/t/kiji/14357
ただ、神社数は全国で8万ほどですが、神職は2万人余と人の方がずっと少なく、小さな神社は宮司さんが掛け持ちなんだそうです。もっと各地の神社で「来たれ、皇学館」みたいなことをやってもいいと思うんですけどね。
2014/08/03 URL 編集
にゃんママ
今回、初めてコメントいたします。
神社のお話だったので、趣旨は違いますが、書かせて頂きます。
私が小学生の頃、近所の友達と遊ぶ場所は、神社と決まっていました。
親から勧められたわけでもなく、遊具が有るわけでもない。
でも、何故だか自然に、そこに集まっていたのです。
丸を棒切れで描いて、ケンケンパーをしたり、
小石をおはじきに見立てて遊んだり。
上級生がいれば、宿題を教えてもらったり。
地区のお年寄りから、昔の事を教えてもらったり。
そういうのが、日常でした。
木登りして落ちたり、悪ふざけして階段から落ちた友達がいたのですが、
彼らは、かすり傷程度ですんでいました。
本人達は「運が良かった」と言っていましたが、私は、
神様が、友達を守ってくれた!と、ずっと思っていました。
進学・就職・結婚で、今では違う場所に住んでいます。
昨年から、子供が最寄りの保育園に通っているのですが、
園の近くの神社にも、夕方、子供たちが遊んでいる姿を見掛けます。
その様子を見ていると、神様が子供たちを呼んで、
ちゃんと見守ってくれてるんだな、と、感じるのです。
この神社は、ちゃんと管理がされているので、
いつも居心地の良い雰囲気があります。
また、この地区では、大きな災害や事件は無く
子供達も、非行に走る事はあまり無いそうです。
何も無くても、子供たちが安心して遊べる場所。
そして、自然に皆が集まる場所。
それが、昔からある神社の姿なのではないかな、と思うのです。
2014/08/03 URL 編集
-
神社を中心に氏子やご先祖が繋がり、そこをみんなで大切にすることでまた繋がりを確認し、後世や今の住人に目が行き届くといった働きがあるんではないかと思います。
その地域がどんなところかはその地域の神社をみればわかるというのは、以前からなんとなく感じていたところです。
たぶんお年よりは経験的にそういう事を知ってるんじゃないかと想像します。
2014/08/03 URL 編集
tbsasahinhk
いま世界はその二つの闘いの渦中にあると私は思っています。
今はまだグローバル、唯物論を是とする西洋文化が幅を利かしていて、特にアメリカを中心とする資本原理主義が衰退を防ぐべくシャカリキに活動しておりますが、次第にロシアや日本の様なナショナル、唯心論へと世の中の動きが推移していくと思われます。
しかしわが日本の一般大衆、否、リーダーたる議員すらもその自覚に欠ける輩が多く、御用学者、官僚、法曹界、マスコミ、財界、教育界の中枢が軒並み敗戦利得者集団と化しているから、先行きは少し暗いけれど、世の流れには逆らえず、否応なく唯心論が優勢になっていくものと確信しています。
2014/08/03 URL 編集
にっぽんじん
先年、地名に関する地元の郷土史家の話を聞く機会がありました。昔からある地名は、その地名にまつわる歴史があるから安易に地名を現代風に変えることに反対されていました。
私も同感した一人です。
2014/08/03 URL 編集
ひろし
ねずさんの言われている通うり、地域の氏神様を大切にしない地域は衰退し凶悪犯罪も多発しています。そんな非科学的なと言われる方もいますが、これは事実です。 人間は生命の不可思議に関して実は何も分かっていません。非科学的とか迷信とか言うのは心の幼い浅い人間の言う言葉です。氏神神社を大切にして感謝の参拝をする方が多い地域は、お年寄りも安らかで子供も守られ勉学が優秀な子供も多いです。 私は事ある事に、何もなくても近所の氏神神社に参拝していますが、お陰様で守られ、良い方向に導かれているのを実感として感じています。 畏れながら天皇陛下は日々宮中ハ神に日本の平和と国民の安寧を祈念して下さっています。私達も地域の氏神神社に感謝を捧げる事は、地域をり、日本人らしさを取り戻す事に繋がります。 お陰もその人の感謝と努力に比例して氏神様は授けて下さいます。 変な宗教団体は日本人には無用です。
2014/08/03 URL 編集
大和守祥易
その地域のつながりや絆の源泉となっていた古くからの伝統的価値を、もういちど見直してみます。
2014/08/03 URL 編集
あらみたま
ここ数年神社に興味を持ち、色んな神社に行くようになりましたが、特に興味深くお参りしているのは有名神社ではなく、地域の神社です。というのも色々まわっているうちに気づいたのが、町や集落の雰囲気の良いところは神社も雰囲気がいいからです。
以前、世間を震撼させた園児殺害の起きた所に後由緒のある神社があってお参りしたとき、パッと見は立派だったのですが、手水舎は枯れていました。小さい神社ならよく枯れてるところはありますが、立派なのに変だなあと思いつつ横道から入ったので一の鳥居から帰ろうと参道を真っ直ぐ戻ったところ、一の鳥居の横にあったのは資源ごみ置き場となって段ボールでギュウギュウになっている神輿庫。資源ごみとちゃんと書かれていたのが、神輿庫と不釣り合いでビックリした時に不意にその事件のことが思い出されたのです。その街はなんとなく冷たい雰囲気があって、妙に納得して帰りました。
またある田舎に行った時に、地域の神社を大小回ったところ、ごみ置き場が神社に隣接したり、神社の一角になっていることが多いのを知り、本当に驚きました。
一方で、屋敷内様のような小さな神社でも凄くお世話をされているところは沢山あります。そういう場所は町が小さくとも雰囲気が良く、商店街等がある場合小さくとも活気があります。
最初はただ大小関係なく神社を回っていただけだったのですが、そういうことが見えてくるとよけい神社の大切さが分かってきました。
これを人に説明する場合、信仰心があるなしに関わらず、地域の人の世話がその地域に行き届いているかどうかが神社で分かるんだと説明しています。そうじゃないとちゃんと聞いてくれない人も多いですから。
神社でその地域の繁栄が推し測れることをもっと日本人なら気づき考えたほうがいいとずっと考えていましたので、ねずさんに取り上げて頂いて嬉しいです。心当たりのある地域が日本中に沢山あるのではないかと思います。
実際、私の生まれ育った場所の神社について色々知ったとき、某有名家電メーカーの盛衰はここから始まったのかもしれないと考えたのも、神社と地域の結び付きを知るようになったからでした。
有名神社も良いですが、地域の神社をもっと大切にしなければいけないと日々感じています。
2014/08/03 URL 編集
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2014/08/03 編集
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アマゾンのアフィありますね
そういうのも一因の可能性も
お祭りの復活はねがってます
2014/08/03 URL 編集
mimoza
ねずさんのおっしゃる通りだと思います。
信仰心の無いところに発展は無いと思います。目に見えない神仏やご先祖様をないがしろにして、目先の利益にとらわれてきた結果ではないでしょうか?日本人がこれまで大切にしてきたものの根底が粗末に扱われている事に心が痛みます。
2014/08/03 URL 編集