百人一首(第22回)69〜71番歌



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紅葉0804


和歌は、詠む人も、読む人も、どちらも「よむ」と発音します。
他の言い方はありません。
どちらも「よむ」です。
はじめから詠み手も読み手も一体なのです。だから漢字で書いたら字が違うけれど、訓読みしたらどちらも「よむ」なのです。

一体ということは、楽しいことです。
というのは、詠み手が詠み込んだ歌意を知るには、読み手はその域に追いつかなければならないからです。
対等になるには、どちらかが劣っていたとき、対等になるために上にある者は下に降り、下にある者は上に上らなければなりません。

和歌では、詠み手はその歌意の説明をしてくれませんから、読む側が努力してその歌意に追いつかなければならないのです。そして追いついたとき、そこにものすごい感動がある。それはいってみればジグソーパズルが完成したときの感動や興奮に似ているのかもしれません。

和歌を詠む側は、自分のいちばん言いたいことをあえて付せて、上の句と下の句を使って、その言いたいことを読み手にわかってもらえるように趣向を凝らします。
読み手は、歌に置かれた手がかりをもとに、詠み手が真に伝えたかった思いを察しようと、あれこれ考えをめぐらせます。

そこに洞察力がはたらき、相手の心を気遣ったり、相手の心を読んだり、あるいは相手に対する思いやりの心を養ったり、あるいは東京オリンピック誘致のときに話題になった日本人ならではの「おもてなし」の心が養われます。
だからこそ和歌は「あらゆる日本文化の原点」と言われているのです。

この百人一首のご紹介では、ときにあまりにも甚だしいものについては、従来の解釈について、「間違っている」といった解説の表現をさせていただいていますが、これは、いささか誤解を生む表現です。

和歌をどのように読んだとしても、それは間違いではないからです。
ですから上の句、下の句に書かれていることを、まさに「額面通り」に読んで、それでわかったつもりになるという読み方も、もちろん、ありです。
ただ、それでは「踏み込みが浅い」というだけのことです。

上っ面だけを見てわかったような気になることを、古来、私たちの先人たちは「踏み込みが浅い」、あるいはもっと短縮して「浅い」と言いました。
たとえば剣道では、踏み込みが浅ければ、相手に竹刀を撃ち込んでも、その竹刀は相手に当たりません。
あるいは当たったとしても、撃ち込みが浅ければ、一本はとれません。

たとえば、上段から相手を面打ちしたとしても、踏み込みが浅ければ相手に当たらない(あたりまえです)し、撃ち込む力が弱ければ、たとえ面に当たったとしても、審判は一本はくれません。
和歌もこれと同じで、それぞれの歌を鑑賞しようとするとき、読み込みが浅ければ、文字面を追うだけで、その詠み手の真意はまるでわからないし、詠み手の真意を理解しようとしなければ、和歌はこれほど退屈でつまらないものはなくなってしまうのです。

これがさらに百人一首になると、単にひとつひとつの歌が、どのような真意に基づくかをだけではなくて、どうしてその歌人の数ある歌のなかから、百人一首の選者である藤原定家がその歌を選んだのか、という視点が加わります。
百人一首は、歌を詠んだ歌人の思いだけでなく、そこに、選者の藤原定家の思いが重なるわけです。
ですから、百人一首の解釈は、三重の意味で面白くなります。

たとえば、以前ご紹介した57番の紫式部です。
彼女の歌に書かれていることは、「幼い頃からの友達が尋ねてきたけど、すぐに帰ってしまいましたわ」というだけです。

ところが、この歌をよく見ると、実はその友達は昼間に尋ねてきて夜半に帰った、つまり物理的時間としては半日もしくはそれ以上の長い時間、紫式部の家にいたことがわかります。それを紫式部は心理的時間としては「一瞬のこと」にしか感じられなかったと詠んだわけです。
しかも「めぐる」と「月」を歌に挿入することで、地方に転勤する友に、「元気でまた都に帰っておいでよ」とエールを送っていることがわかります。

そしてこの歌を、百人一首の歌の順番からひも解いていくと、なぜ藤原定家が紫式部が生涯に詠んだたくさんの歌の中からこの歌を選んだかというと、前の歌との並びから、「この歌から紫式部の生きた人間のドラマを把握してくださいね」と定家がひも解いてくれていることがわかります。
そしてそのことから、天才女流作家である紫式部が、実はどちらかというと友達の少ない孤独な女性であり、少ない交友関係の中で、その数少ない友達をとても大切にしながら生きた紫式部の孤独感や性格などまでが見えてくるわけです。

つまり、歌の表面的な意味、隠された意味、そして定家の意図、この三つを読むことで、歌が三段仕込みの深みを私たちにもたらしてくれるわけです。
そして、その歌心の深みに触れたとき、まさに百人一首は、私たちをおもわず夢中にさせてしまう凄みと感動を、私たちに与えてくれるわけです。


===========
政争さえも錦のような
69番 能因法師(のういんほうし)

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
竜田の川の錦なりけり


あらしふく
みむろのやまの
もみちはは
たつたのかはの
にしきなりけり
===========

(現代語訳)
山の嵐に吹かれる三室山の紅葉は、風に吹かれて、山のふもとにある竜田川の川面をまるで錦のように飾っていますね。

(ことば)
【三室の山】奈良県生駒郡斑鳩町の神奈備山(かむなびやま)のことです。「三諸山(みもろのやま)」と書かれることもあります。紅葉の名所です。
【竜田の川】三室山ふもとにある川で、大和川の支流です。

(作者)
能因法師(のういんほうし)は、近江守だった橘忠望の子で、平安時代の大学である大学寮で、和漢の学問と算術を習い、その大学寮で、特に優秀な生徒だけが選ばれる文章博士となった大秀才です。
ところが何を思ったか、大学寮を卒業して間もない26歳で出家して僧侶になってしまう。
それも僧としての栄達を望まず、全国を行脚する漂泊の歌人となって人生を終えた人です。

(歌意)
書かれていることは、紅葉の名所として知られる三室山のもみじが、風に吹き寄せられてふもとの竜田川の川面に浮かび、その様子がまるで川面が錦に飾られているようだ、というものです。

似た歌に、17番の在原業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」という名調子の歌があります。
百人一首の中に似たような歌意の歌が他にあり、能因法師は歌人として他にたくさんの歌を詠んでいるのに、ではなぜ、この歌が69番歌に選ばれているのか、ちょっと不思議です。

そんなに紅葉がキニナルのでしょうか。
違うと思います。

むしろこの歌が、68番歌の三条院の歌の次にきているところに、この歌を読み解くヒントがあると思います。
三条院は、政界のドロドロの中にあって、眼が見えなくなってまでもシラス統治を目指して戦い抜かれた天皇です。
ところが政治権力に押されて、退位を余儀なくされてしまう。
そこで詠んだ歌が、「心なくも退位するけれど、いにしえから続く我が国の道は、月がめぐるように、再び世を照らすであろう」という歌でした。
そしてその次に来ているのが、この能因法師なわけです。

ここでキーワードとなっているのが、「三室山」です。
「三室山」は、生駒の龍田大社の背後にある山で、「みもろ」には、神が降臨する山という意があります。
龍田大社に祀られているのは風の神であり、悪風を防ぐとともに、荒雨を防ぎ、国家を鎮める神様です。

つまり、歌にある「嵐吹く」の嵐は、ここでは国家の政乱を意味しているとわかります。
そしてその嵐は、「嵐吹く三室の山」で、三室の山が神様の降臨される山なら、神々の政乱、つまり天子様に関する政乱を意味していると読み解くことができます。
この歌単独でも、嵐と三室山で、そこまでたどり着ける方もおいでかもしれませんが、百人一首は、歌の順番などを利用することで、読む人がそこにたどり着きやすくなるように、手がかりを与えてくれているわけです。

そして下の句では、そうした政争や政乱でさえも、我が国(竜田の川)は、「錦(にしき)にしてしまう」と詠んでいます。
「錦」というのは、金糸銀糸など様々な色の糸を用いて、華麗豪華に仕立てた絹織物です。
その豪華さから、紅葉が錦にたとえられますが、同時に錦は朝廷をあらわす言葉でもあるわけです。

つまり、神々が降臨する三室山は、そのまま朝廷であり、その朝廷に風が吹いて嵐が起きている。つまり政乱が起きている。けれども、そうした政乱でさえも、我が国ではまさに絢爛豪華な錦と同じように、我が国の歴史伝統を飾るものである、とこの歌は詠んでいるわけです。

能因法師は、とびきりの秀才でありながら出家して全国行脚の托鉢僧になって諸国を巡っていたわけですが、それでも、もともと家柄も正しいし、素晴らしい歌人でもあったことから、宮中の歌会に呼ばれ、招かれています。

この歌は、能因法師が62歳のとき(永承4(1049)年11月9日の、後冷泉院ご主催の後京極殿での歌会のときに出品された歌です。
歌会については、なんどかご案内しましたので、覚えておいでの方も多いかと思いますが、いまで言ったら、ひとむかし前の歳末の紅白歌合戦みたいなもので、宮中で開かれ、あらかじめ定められたテーマに基づいて、歌人たちが1対1でそれぞれ和歌で対決する催しです。

能因法師のこの歌は、そのときの四番「紅葉」のお題で、藤原祐家の歌と対決したときのもので、このとき藤原祐家は、
 散りまがふ嵐の山のもみぢ葉は
 ふもとの里の秋にざりける
と歌を詠みました。
「山の紅葉が風に吹かれて、ふもとの里にまで降ってくる。ああ秋だなあ」という歌で、これはこれで風情のある良い歌といえます。

これに対し能因法師は、
 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
 竜田の川の錦なりけり
と、一見すると川面に浮かぶ秋の紅葉の美しさを詠っているようでいて、その実、「神々の降臨する三室山に嵐が吹く」と朝廷内の政争を連想させ、それでいて下の句で「そういう政争さえも本朝では、まるで錦のようですね」と詠んだわけです。
歌の深み、踏み込みの深さが、こうなると藤原祐家の、ただ紅葉の美しさを詠んだ歌とは、歌の重みと深さが段違いです。
ですから、当然のように、この歌会では能因法師が勝利しています。

「政争が錦のようだ」というのは、ある意味、不思議に感じられるかもしれません。
けれど、三条院と藤原道長の争いにみられるように、それは当事者となっている方々にとっては、まさに戦いそのものといえるものではあるのですけれど、一歩、眼を海外に向けてみれば、中世におけす王室内の争いというのは、ヨーロッパにせよ、Chinaにせよ、まさに血で血を洗う凄まじいものであったわけです。
政争に敗れれば、一族郎党は皆殺しに遭うし、後宮内の女性同士の争いにしても、たとえば清朝末期の西太后は、皇帝の寵愛を得るために、皇帝が寵愛したライバルの女性の両手両足を切断し、肥桶に首だけ出して生かしておくなど、およそ人間業とは思えないほどの残酷な仕打ちをしています。

そしてそうした政争は、なんと現代社会においても、世界ではあたりまえのように起こっています。
たとえばウクライナは、独立後のウクライナが親ロシア路線でいくのか、完全独立を望むのかで国が二つに割れ、当事者同士の武力衝突が起こっているのみならず、まったく関係のない余所の国の旅客機までミサイルで撃墜されるという悲惨が起きています。

そうした諸外国の争いと比べると、我が国の政争が、いかに穏やかなものか。
まさにここまでくると、もはや政争でさえも優美とさえいえるものです。
実際、68番の三条院は、そんな政争について
 心にもあらで憂き夜に長らへば
 恋しかるべき夜半の月かな
と詠みましたが、政争を「憂き」と詠んでいながら、同時に「恋しかるべき夜半の月」と、実に優雅に心情を吐露しておいでです。

施政者が、何百人、あるいは何百万人もの民が犠牲になっても何とも思わず、ただ己の欲望のために政争を仕掛け、人々を殺し、奪う。そういう政治は、施政者も民も、ともに民度が低いところに生じます。
けれど、当事者双方がどちらも教養が高く、同じ理想を共有し、ともにより豊かで安全で安心な国つくりを希求して争うものであるならば、政治的な意見の対立も、決して感情的な暴走とならず、無駄な殺し合いも防げます。
日本は太古の昔からそういう国を目指してきたし、またそういう国柄こそを「国風文化」として確立してきたわけです。
その素晴らしさを、能因法師は、紅葉を愛でる歌に込めたわけです。

実に含蓄に富んだ、素晴らしい歌だと思います。


============
ボクらはみんな生きている
70番歌 良暹法師(りょうせんほうし)

寂しさに宿を立ち出でてながむれば
いづくも同じ秋の夕暮れ


さひしさに
やとをたちいてて
なかむれは
いつくもおなし
あきのゆふくれ
============

この歌はとっても有名な歌で、「いづくも同じ秋の夕暮れ」は、みなさまも何かの折りに、口ずさんだことがあるのではないでしょうか。

(現代語訳)
あまりにさみしいので、家から出てあたりを眺めてみたら、どこも同じさみしい秋の夕暮れだったよ。

(ことば)
【宿】この時代、宿は旅館のことではなくて、自分の住む粗末な庵のことを、そう呼びました。

(作者)
詳しい経歴は不明で、比叡山延暦寺の僧侶で、晩年は比叡山を出て京都・大原の雲林院に住み、65歳で没したと言われています。
歌会にも何度も呼ばれた僧侶ですので、そうとうの教養人でした。

(歌意)
比叡山延暦寺というのは、この時代にはたくさんの無骨な僧兵を抱え、また全国から仏教を学びたいとする僧侶が集まって研鑽に励んでいたところで、常に大勢の人のいる、ある意味たいへんに賑やかなところでした。

そんな延暦寺で晩年までずっと修行を積まれた良暹法師(りょうせんほうし)は、いってみれば人の大勢いる大企業のオフィスか、大忙しで大繁盛している大手流通の幹部社員みたいなもので、毎日、朝早くから夜遅くまで、毎日が気張りっぱなしの、慌ただしい毎日を送ってきた人であったわけです。

そういう環境のもとでは、人が望むのは、晴耕雨読の平穏な毎日です。
いつかは、人里離れた田舎に草庵をいとなみ、自給自足で構わないから、そこで静かに暮らしたい。
そんな希望を誰もが抱いたりするものです。
今風にちょっとかっこ良く言えば、忙しく働き、富を得て、南の島のビーチリゾートで、毎日釣りでもしながら、優雅に暮らしたいという理想というか、夢みたいなものかもしれません。

幸いなことに良暹法師(りょうせんほうし)は、歳をとって延暦寺を引退したあと、まさにこれを実現するわけです。
良暹法師が草庵をいとなんだ京都の北にある大原は、「京都大原三千院」で有名なところですが、人の往来の少ない、山に囲まれた静かな山里です。
いまでもそうなのですから、千年前には、もっと静かなところであったろうと思います。

この歌は、出典となった詞花集には詞書があって、そこには「大原にすみはじめけるころ」とあります。
つまり、まさに良暹法師が、延暦寺を出て、大原の草庵にひとり棲み始めた頃の歌であるわけです。

大勢の人が常にいて、騒がしく、また忙しい日々から、自然の中にひとり暮らす、のんびりとした夢のような日々がようやくやってきた。
ところが、実際にこうして一人暮らしをしてみると、どうにも寂しくてたまらない。
そこで、住まいとなっている草庵を出て、付近一帯を眺めてみると、あたりはもうすっかり秋の景色です。
そこで、「ああ、どこもかしこも、秋景色なんだなあ」と詠んだのがこの歌です。

ところが、ここで面白いのが、良暹法師が「いずくも同じ」と詠んだことです。
冒頭で「寂しさに」と詠いながら、下の句では「いずくも同じ」です。
何が同じかといえば「秋の夕暮れ」が「同じ」というのです。

一般には、ですから秋の夕暮れは「寂しさ」の代名詞とされています。
けれど、少し考えたらわかるのですが、大原のような大自然に囲まれた場所における秋の夕暮れはちっとも寂しくありません。
秋ですから天は高く、夕暮れ時には、空の雲が美しく紅く染まります。
山々に目を転じれば、そこには紅葉があり、あるいは黄色く色づいた樹々があり、鳥が啼き、夕暮れ時なら秋の虫たちが、冬越えの準備のための求愛に、声をかぎりに鳴いています。
街道に目を転じれば、そこには曼珠沙華(彼岸花)や、キンモクセイ、萩の花やキキョウの花が咲いています。
それらすべてが一体となって、みんなが生きている。

人がいない寂しさに、一歩外に出てみたら、そこは大自然の生命の息吹にあふれているわけです。
人間社会だけを見るのではなく、人も自然界のまたひとつと捉えれば、そこはまさに生命の大地です。

藤原定家は、この歌を三条院の「憂き世の夜半の月」、能因法師の「竜田の川の錦」の歌の次に配しました。
三条院の歌は朝廷の政争を、能因法師の歌はその政争さえも我が国では錦になると詠んでいます。

ということは、次に配された良暹法師のこの歌も、ただ寂しいとか孤独だとか言っているのではなくて、人に揉まれた比叡山も、人里離れた大原も「いずくも同じ」、つまり、どこもみんな、実は生命の息吹に満ちあふれた、それぞれの生命の活動の場であり、それらが渾然一体となってひとつの「美しい夕暮れ」を奏(かな)出ている。
つまり、みんなが生きている。
自分もそのなかのひとつとして、生かさせていただいている。
そういう感謝の思いが、この歌に詠み込まれていることに気付かせてくれます。

実に、奥行きの深い、まさに名歌の名にふさわしい歌であろうと思います。
そして、だからこそ、この歌にある「いづくも同じ秋の夕暮れ」というフレーズは、千年の長きにわたって人々に愛され続けてきたのだと思います。


============
本朝を護る
71番歌 大納言経信(だいなごんつねのぶ)

夕されば門田の稲葉訪れて
蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く


ゆうされは
かとたのいなは
おとつれて
あしのまろやに
あきかせそふく
============

(現代語訳)
夕方になると門前の田んぼの稲穂に風が当たってサラサラと音がし、訪れた芦葺きのまるい屋根の仮小屋にも秋風が吹きますな。

(ことば)
【夕されば】時刻が移り変わって夕方になれば。
【門田】門の前に広がる田んぼ。
【訪れて】訪問するという意味と、音を立てるという意味があります。
【蘆のまろ屋】蘆は植物の葦(芦)のこと。「まろ屋」は、芦のまろ屋ですから、屋根が芦葺きでできた草屋根の建物であるとわかります。それが「まろ」ですから、カタチが丸みを帯びている、つまり丸みを帯びた草屋根の小屋を意味します。

(作者)
大納言経信は、宇多源氏に連なる人で、武人でありながら最後には正二位大納言で参議にまで名を連ね、82歳まで生きた人です。
名前は源経信(みなもとのつねのぶ)といいます。

源経信は、武芸に秀でているだけでなく、たいへんな学問のあった人で、歌会にも度々出場しているのですが、面白い逸話があります。
ある日、源経信が和歌をつくって詠んでいたところ、風流を好んだ朱雀門院の鬼がやってきて源経信の前で漢詩を吟じたというのです。

江戸時代の末期に歌川国芳(うたがわくによし)がこのシーンを絵にしていて、それが下の絵です。
ごらんいただくとわかりますように、恐ろしい妖怪がやってきたのですけれど、源経信はさすがは武人で、なんの動揺もみせず、実に堂々と鬼の様子を、むしろ楽しんで見ているかのようです。
一方、鬼は真っ赤な口を開け、そこから(おそらく臭いであろう)息を吐き出していますが、その息にはなにやら漢詩のようなものが書かれています。

源経信と鬼(歌川国芳)


この絵やこの逸話が象徴しているのは、源経信が堂々たる武人であり教養人であるということだけでなく、実はChinaで生まれた漢詩が鬼のもの、つまり鬼の詩であるということをも象徴しています。
繰り返しになりますが、この絵が描いているのは、まずは源経信が鬼にも動じない猛者であるということです。

ただ同時に、それだけではなくて、百人一首の歌人たちの時代というのは、江戸時代と同じく日本は事実上の鎖国をしていた時期にあたります。
そしてなにより日本独自の文化を再構築していこうという時代でもあったのです。

ヨーロッパではルネッサンス運動といえば、14世紀から16世紀に起こった「古代ギリシア、古代ローマ時代の文化を復興しようとする文化運動」ですが、これとまったく同様の運動が、7世紀から14世紀にかけての日本で、日本独自の古典的文化を取り戻そうという文化運動が起こり、それが百人一首に代表される和歌を基調とした国風文化運動だったわけです。

つまり、奈良・平安時代の国風文化運動というのは、実は西洋でいうルネッサンス運動と同じ復古運動であり、しかもそのことが日本では西欧よりも700年も古くからはじまり、西欧よりも500年も長く続いたということなのです。(←このこと、結構大事なポイントです。)

ちなみにこの絵は、そういう意味からもとても素晴らしい絵なのですが、なぜか国宝とはなっていません。
そんなところにも戦後の日本の歪みが垣間みれるような気がします。


(歌意)
さて、この歌の解釈です。
歌の一義的な意味、つまり文字面上の意味は、「夕方、門前の田んぼや、わが家にも秋風が吹きますな」というだけのものです。

この歌には『金葉集』歌詞があって、そこには「師賢朝臣の梅津の山里に人々まかりて、田家秋風といへる事をよめる」とあります。
源師賢の仮小屋に、みんなで集まって、そこで「田んぼ、仮小屋、秋風」のお題で歌を詠み合ったときのもので、源経信は、まさにそのお題を全部まとめて一首の歌にきれいに詠み込んだ叙景歌であるというわけです。
そのように読んでも、それはそれで美しい歌です。

しかし、よく見ると、この歌は「夕されば門田の稲葉訪れて」と、「稲穂」ではなく「稲葉」に風が吹いていると
書いています。
稲は、秋に収穫のために稲刈りをしますが、ということは「稲葉に風」ですから、田は、まだ収穫前の田であることがわかります。
さらに、「稲穂」ではなく「稲葉」であることから、まだ穂先が十分に育っていない前の稲、つまり秋風とはいっても、まだ稲穂の小さな、夏の終わりから秋の初めにかけての秋風であることがわかります。

これが何を意味するかというと、稲が育っている途上であり、稲がもう少ししたら収穫できる、稔りの秋を迎えることが出来るという、いちばん大きな、期待に胸膨らむ季節を指しているということです。
実際に田んぼに行ってみたらわかりますが、苗代で苗を育て、田植えをし、その稲がどんどん大きく育って行って、いよいよ穂先に実がつきはじめる。
その実は、はじめのうちは、まだまだ小さいです。ですから軽い。軽いから稲はまっすぐに立っています。
ところがだんだんその実が大きくなってきて、穂先が垂れてくる。
よくいう「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」の状態になります。

この源経信の歌は、そんな稲穂が垂れてくる前の、まだ稲穂が天を向いている、そんな状態のときの歌です。
そしてその時期は、一年のうちで、農家が一番、期待に胸を膨らませる時期です。

そして、そのような状態の田んぼの稲葉を前にして、歌を詠みあっているのは勇敢な「武人の」源経信であり、場所もやはり「武人の」源師賢の仮小屋です。
そしてその武人たちが、粗末なまろ屋に住んででも護ろうとしているもの、それが農家の田畑であり、収穫であり、今年の豊作に期待していちばん胸を膨らませている農家の人たちなのです。

そしてそんな農家の人たちを、収穫を、田畑を護るのが武人の役割です。
ですからこの歌は、ただ「田んぼに秋風が吹きますな」と詠んでいるのではなくて、その真意にあるものは、そういう、「人々の生活を護るのは俺たちなんだ」という強い自覚と誇りが、その日源師賢の仮小屋に集まった男たちに共通する思いであったことにあります。
だからこそ、この歌は「名歌」の仲間入りをしています。

そしてそのことは、藤原定家の歌の順番によって、一層、歌意が強調されます。
69番の能因法師は、我が国の政治はたとえ争い事があっても、それ自体がまるで錦のように美しいと詠みました。
70番の良暹法師は「いづくも同じ秋の夕暮れ」と、一見、寂寥感を詠ったように見せかけながら、実はその秋の夕暮れには、様々な命が息づき、それらが渾然一体となって大自然を構築している。悩みや苦しみがあっても、それらをぜんぶひっくるめて、美しいと詠みました。

そして71番の源経信は、稲葉を、農家のみなさんの期待を、生命を、財産を、護るのは俺たちだ、と詠んでいるわけです。
ここに、「民こそがおおみたから」とする、わたしたちのシラス国の根幹があります。
ちょっとむつかしい言葉になりますが、わたしたちの国は、「天壌無窮の神勅」による「豊葦原の瑞穂の国」だからです。
そしてこの歌には、まさにその「葦(蘆)」が、まさに詠み込まれています。

さらに定家は、この歌を詠んだ歌人の名を、「源経信」ではなくて、「大納言経信」と書きました。
定家が歌人の名前に役名を入れるときというのは、その歌は単に私的な情感を詠っているのではなくて、かならずそこにその歌人の職に関する事柄が詠み込まれていることを示唆しているときです。
その意味からも、この歌は、単に「秋風が涼しいね」と吞気なことを詠んでいるのではなくて、もっと別な何かを、ここから読み取らなければならないということがわかります。

そしてこの歌は、君も臣も民も、みんなが一緒になって、互いの役割をこなしながら、国を守り、稲を育て、みんなが生きて行く。それが日本の国のカタチであることを、見事に謳い揚げているのです。


さて、次回は、大納言経信、祐子内親王家紀伊、前権中納言匡房の三首です。
いったいどのような歌意を私たちに見せてくれるのでしょうか。
乞うご期待です。




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コメント

mari

No title
三室の山にそんな意味があったとは!生まれ故郷の近くですが知りませんでした^^;
今更ながらすべての歌詞に深い意味があるんですね。能因法師の69番は在原業平に比べると地味に感じていましたが、好きになりました。ありがとうございます♪

今は夏真っ盛りですが、一足早く秋の美しい景色、心地良い風を楽しみながら読みました。いついかなる時も雅な言葉で心を詠む、日本の美の根源が和歌には詰まっているとあらためて思います。

次回も楽しみにしております。

たかよし

鬼の詩
単に触発されての衝動的な思い付きですが、朱雀門の鬼というのは中国人だったのではないでしょうか。吟じたという漢詩も中国語でだったと――。さらに想像をたくましくすれば、そうした外来の侵入者から民を守る決意を示したと――。素人が勝手書きました。すみません。

関係ありませんが、現在の中国語(普通話)で唐代の漢詩を読むと韻が踏めないとか(広東語だと踏めるらしい)。彼らにとって古典は失われているのではないか、そんな気がします。

日本語は拍(モーラ=三十一文字というときの文字数です)が合っていれば歌になりますが、イントーネーションや声調が重要な言語で韻がないと詩として楽しめないんじゃないかと思った次第です。

失礼を繰り返しました。脈絡なくてすみません。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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