いまあらためて十七条憲法を読む



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聖徳太子0204


先日「日本のカタチ」という記事で、聖徳太子の十七条憲法についてすこし触れたのですが、あのあと、何人かの方が、十七条憲法をあらためて読み、感動を新たにされたようです。
この十七条憲法の読み方について、以前にも一度ご紹介したことがあるのですが、もう一度、原文も交えて、整理してお届けしてみたいと思います。

騙されたと思って、黙読で良いので、サラッと目を通してみてください。
いままで思っていた十七条憲法と、ぜんぜん違った日本人の心のルーツが見えて来ようかと思います。

十七条憲法が制定されたのは、推古天皇12年(西暦604年)4月です。
そのことは、日本書紀に「夏四月の丙寅の朔戊辰に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條作りたまふ」として、その全文が掲載されています。ここでいう「皇太子」は、「廄豐聰爾皇子」すなわち聖徳太子のことを指します。

最近は、一部の左巻きの学者さんの中に、聖徳太子の存在そのものを否定する者もいるようですが、バカな話です。日本の優れた歴史の存在を否定すること、批判すること、奇抜な説を唱えて目立つこと、そんなことばかりしているから、頭がおかしくなる。
聖徳太子の存在は、法隆寺の釈迦三尊像の裏に「この像は聖徳太子に似せて作った」とちゃんと書いてあります。この点について、私は高森明勅先生の説を全面的に支持します。

憲法というのは、守るべき規範を示したものです。その規範は、昔も今もその国の歴史、伝統、文化に必ず依拠します。そうではないのは、お仕着せ占領憲法であるいまの日本国憲法くらいなものです。世界中どこでも、自国の歴史に則って憲法をつくります。

その意味では、モーゼの十戒や、ハムラビ法典なども、憲法のうちといえます。
世界中どこでも、なんじ盗むなかれ、殺すなかれ、姦淫するなかれなどが守るべき憲法ですが、日本では、そのような規範はありません。そのような規範をわざわざ成文化しなくても良いだけの民度が、すでに確立されていたからです。

もっと言いますと、この十七条憲法のおよそ百年後に大宝律令、150年後に養老律令ができました。「律」は刑事法、「令」は民事法です。そして「令」は以後、具体的な詳細までさかんに発布されましたが、「律」はいっこうに公布も周知もされませんでした。必要なかったのです。その時代に犯罪そのものがなかったからです。

どうして日本にはそんな統治ができたのかといえば、日本がシラス国だからです。
みんなで食い物を作ろうと努力してきた国だからです。
できた食い物を奪い、盗み、そうやってたくさんの食い物を独り占めにした者が、権力と女性をほしいままにする、ウシハク国ではなかったからです。

十七条憲法は、作られ公布されてから1600年以上経ちますが、ここには現代にもまったくそのまま通用する思想、生き方、社会の在り方、組織の在り方、日本人の常識の根幹が、完璧に記されています。


==========
【十七条憲法】

第一条
 一曰
 以和為貴 無忤為宗
 人皆有黨 亦少達者
 是以
 或不順君父 乍違于隣里
 然上和下睦 諧於論事
 則事理自通 何事不成


一にいわく。
和を以(も)って貴(たっと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは
すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。


※ポイント
「忤う」は<さからう>と読みます。語源は「呪道具の杵(きね)」で、これをつかって悪霊から身を護る。転じて邪悪なものに拮抗し抵抗することを意味します。これを「無忤為宗」です。敵対し呪詛する者に対して、相手と同じように敵対し呪詛する愚をおかすなと言うことです。

第二条
 二曰
 篤敬三寳
 三寳者仏法僧也
 則四生之終帰 萬国之極宗
 何世何人非貴是法
 人鮮尤悪 能教従之
 其不帰三寳 何以直枉


二にいわく。
篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え
三宝とは仏と法と僧となり。
則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。
何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。
人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし。能(よ)く教うれば従う。
それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。


※ポイント
ここでは「枉れる」者という言葉が出てきます。「枉る(まがる)」という字は孟子の「尺を枉げて尋を直ぶ(しゃくをまげてじんをのばす)」に由来します。小利を捨てて大利をとることのたとえです。意見や事実認識に食い違いがあるとき、大木につかまって王様にでもなったような相手をまっすぐにするには、まずは、自分が襟を正すこと(三宝に帰す)からはじめよというのです。

第三条
 三曰
 承詔必謹
 君則天之 臣則地之
 天覆地載 四時順行 万氣得通
 地欲覆天 則致壊耳
 是以
 君言臣承 上行下靡
 故承詔必慎 不謹自敗


三にいわく
詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。
君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地とせよ。
天覆(おお)い地載せて四時(しじ)順行し、万気(ばんき)通うことを得(う)。
地、天を覆わんと欲するときは、則ち壊(やぶ)るることを致さむのみ。
ここをもって、君言(のたま)えば臣承(うけたまわ)り、上行なえば下靡(なび)く。
ゆえに詔(みことのり)を承けては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。


※ポイント
ここでは「みことのりをうけては、かならずつつしめ」と、同じ言葉が最初と最後に二回出てきます。つまり、ものすごく強調しています。「承詔必謹、承詔必慎」です。紛争があったとしても、中央なら天皇、民間その他なら親方や殿様やリーダーが出てきたときには、必ず謹(つつ)しみ慎(つつ)んで、それに従うことを求めています。どこかの国の人や、どこかの新聞社のように、いつまでもダダをこねたり、我を張ったりすることを厳に慎むように求めています。

第四条
 四曰
 群卿百寮 以禮為本
 其治民之本 要在乎禮
 上不禮而下非齊 下無禮以必有罪
 是以
 群臣有禮 位次不乱
 百姓有禮 国家自治


四にいわく。
群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、禮(礼=うや)をもって本(もと)とせよ。
それ民(たみ)を治むるの本は、かならず禮にあり。
上、禮なきときは、下(しも)斉(ととの)わず、下、禮なきときはもって必ず罪あり。
ここをもって群臣禮あるときは位次(いじ)乱れず。
百姓(ひゃくせい)禮あるときは国家自(おのずか)ら治(おさ)まる。


※ポイント
短い文の中に「禮」という字が6回も出てきます。いまでは礼儀の礼は「礼」と書きますが、もともとは「禮」です。相手にわかるようにはっきりと「豊かに示す」から「禮」です。その「禮」は、大和言葉で「ゐや」と読みます。これは今風に書いたら「うや」です。「うやまう」の「うや」です。また「禮」と書いて「ことわり」とも訓読します。「ことわり」は秩序のことです。要するに「人をうやまい、秩序を重んぜよ」と言っているわけです。
また「百姓」という字が見えますが、これはお百姓さんだけのことではありません。最近では「百姓」は差別用語だとバカな学者さんが主張しているそうですが、文武百官という言葉があるように「百」は「たくさんの」という意味を持ちます。ですから「百姓」は、「たくさんの姓(かばね)」です。そして日本では、天皇以外のすべての人に「姓」が与えられていますが、これが天皇の民であること、「おおみたから」であることの証です。わたしたち日本人に鈴木とか高橋とか姓があるのは、そのためです。

第五条
 五曰
 絶餮棄欲 明辯訴訟
 其百姓之訴 一日千事
 一日尚尓 况乎累歳
 須治訟者 得利為常 見賄聴獻
 便有財之訟 如石投水
 乏者之訴 似水投石
 是以貧民則不知所由 臣道亦於焉闕


五にいわく。
餮(あじわいのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を棄(す)てて、
明らかに訴訟(うったえ)を弁(わきま)えよ。
それ百姓の訟(うったえ)、一日に千事あり。
一日すらなお爾(しか)り。況(いわ)んや歳(とし)を累(かさ)ぬるをや。
頃(このごろ)、訟を治むる者、利を得るを常となし、賄(まいない)を見て獻(ことわり)を聴く。
財あるものの訟は、石を水に投ぐるがごとく、乏しき者の訴は、水を石に投ぐるに似たり。
これをもって、貧しき民は則ち由(よ)る所を知らず。臣の道またここに闕(か)く。


※ポイント
金持ちの訴えはすぐに聴いてもらえるのに、貧しい者の訴えは容易に聞き入れられない。もしそのようになるならば、それは真の道を欠(闕)くことになると述べています。
奈良平安の世は、平安末期まで、およそ四百年に亘って死罪、遠島がなく、律令制度といいながら、ついぞ「律(=刑事法)」は、発令そのものがあいまいなまま終わってしまいました。どれだけ安定した犯罪のない世の中だったのか、ということです。

第六条
 六曰
 懲悪勧善 古之良典
 是以无匿人善 見悪必匡
 其諂詐者 則為覆国家之利器 為絶人民之鋒釼
 亦侫媚者 対上則好説下過 逢下則誹謗上失
 其如此人 皆无忠於君 无仁於民
 是大乱之本也


六にいわく。
悪を懲(こら)し善を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良典なり。
これをもって人の善を匿(かく)さず、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。
それ諂(へつら)い詐(あざむ)く者は、則ち国家を覆(くつがえ)すの利器(りき)なり。
人民を絶つ鋒剣(ほうけん)たり。
また佞(かたま)しく媚(こ)ぶる者は、上(かみ)に対しては則ち好み、
下(しも)の過(あやまち)を説き、
下に逢(あ)いては則ち上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。
それかくの如(ごと)きの人は、みな君に忠(まこと)なく、民(たみ)に仁(めぐみ)なし。
これ大乱の本(もと)なり。


※ポイント
悪は懲らしめ、必ず匡(ただ)せというのですが、この「匡せ」という字は、字源が飯などのカタチのないものを容れる器のことをいいます。ですから言い方を変えると「型にはめて矯正せよ」という意味がそこにあります。また、ではその悪とは何かというと、
1 へつらいあざむく者
2 こびへつらう者
と明確に断じています。これも大切なポイントで、殺人犯などの悪行を為した犯人を悪というのではなく、そういう災いを招く前に「カタにはめよ」と言っています。
ちなみに、ここで「忠」と「仁」という漢字が出てきますが、それぞれ訓読みで「まこと」、「めぐみ」と読みます。チュウやジンとは、異なる大和言葉の意味を優先しています。

第七条
 七曰
 人各有任 掌宜不濫
 其賢哲任官 頌音則起
 奸者有官 禍乱則繁
 世少生知 尅念作聖
 事無大少 得人必治
 時無急緩 遇賢自寛
 因此
 国家永久 社稷勿危
 故古聖王 為官以求人
 為人不求官


七にいわく。
人各(おのおの)任(にんしょう)有り。掌(つかさど)ること宜(よろ)しく濫(みだ)れざるべし。
それ賢哲(けんてつ)官に任ずるときは、頌音(ほむるこえ)すなわち起こり、奸者(かんじゃ)官を有(たも)つときは、禍乱(からん)すなわち繁(しげ)し。
世に生れながら知るもの少なし。剋(よ)く念(おも)いて聖(ひじり)と作(な)る。
事(こと)大少となく、人を得て必ず治まり、時(とき)に急緩なく、賢に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。
これに因(よ)って、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危(あや)うきことなし。
故(ゆえ)に古(いにしえ)の聖王(せいおう)は、官のために以て人を求め、人のために官を求めず。


※ポイント
「為官以求人、為人不求官(官のために以て人を求め、人のために官を求めず)」官という特権的身分は、あくまで「おおみたから」である民のためにあり、その特権的身分の人たちのために官職があるのではないということです。古来より民間に有能な人士を求めたわたしたちの国の、これが伝統です。

第八条
 八曰
 群卿百寮 早朝晏退
 公事靡鹽 終日難盡
 是以遅朝 不逮于急
 早退必事不盡


八にいわく。
群卿百寮、早く朝(まい)りて晏(おそ)く退でよ。
公事鹽(もろ)きことなし、終日尽しがたし。
ここをもって、遅く朝れば急なるに逮(およ)ばず。
早く退けば必ず事(こと)を尽さず。


※ポイント
最近は、出社時間を遅くしている会社も多くなりましたが、もともと「朝廷」というくらいで、早朝、夜明けには仕事が始まっていたのが、わが国の姿です。朝が勝負です。

第九条
 九曰
 信是義本 毎事有信
 其善悪成敗要在于信
 群臣共信 何事不成
 群臣无信 万事悉敗


九にいわく。
信(まこと)はこれ義(ことわり)の本(もと)なり。事毎(ことごと)に信(まこと)あれ。
それ善悪成敗はかならず信(まこと)にあり。
群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとく敗れん。


※ポイント
ここで「信」を「まこと」と読みます。ちなみに「誠」も、訓読みは「まこと」です。漢字は異なる字ですが、大和言葉では、同じ意味です。
そして人と人とのつながりを「結い」といいますが、その「結い」の根幹が「まこと」にあると示されています。

第十条
 十曰
 絶忿棄瞋 不怒人違
 人皆有心 心各有執
 彼是則我非 我是則彼非
 我必非聖 彼必非愚
 共是凡夫耳 是非之理能可定
 相共賢愚。如鐶无端
 是以
 彼人雖瞋 還恐我失
 我獨雖得 従衆同擧


十にいわく
忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うを怒らざれ。
人みな心あり、心おのおのに執あり。
彼是(ぜ)し我を非し、我を是し彼を非す。
我、必ずしも聖ならず。彼必ずしも愚ならず。
共にこれ凡夫(ぼんぷ)の耳、是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。
相共に賢愚なり。鐶(みみがね)の如くして端(はし)なし。
ここをもって彼人、瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。
われ独(ひと)り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。


※ポイント
我説に執着せず、人に学べということです。

第十一条
 十一曰
 明察功過 罰賞必當
 日者
 賞不在功 罰不在罪
 執事群卿 宜明賞罰


十一にいわく。
功過(こうか)を明らかに察して、賞罰を必ず当てよ。
このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず。
事(こと)を執(と)る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。


※ポイント
ここでのポイントは、論功行賞について、その結果に対して賞罰せよと言っているのではなく、「察して賞罰せよ」と述べていることです。
とかく昨今では、結果のみにスポットライトが当てられがちですが、結果が出る前に、褒めるべきものは褒め、罰するものは先に罰せよと言っています。昨今の日本社会は、この点反省すべきところがあるのではないでしょうか。

第十二条
 十二曰
 国司国造 勿斂百姓
 国非二君 民無兩主
 率土兆民 以王為主
 所任官司 皆是王臣
 何敢與公 賦斂百姓


十二にいわく。
国司(こくし)国造(こくぞう)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとることなかれ。
国に二君なく、民(たみ)に両主なし。
率土(そつど)の兆民(ちょうみん)は、王をもって主(あるじ)となす。
任ずる所の官司(かんじ)はみなこれ王の臣なり。
何ぞ公(おおやけ)とともに百姓に賦斂(ふれん)せんや。


※ポイント
「率土兆民 以王為主」というのは、国内のすべての人民にとって、天皇だけが主人であるという意味です。聖徳太子がこれを世に出したのが604年、公地公民制が成文化されたのが646年です。日本のカタチは七世紀には完全にできあがっていたのです。

第十三条
 十三曰
 諸任官者 同知職掌
 或病或使 有闕於事
 然得知之日 和如曾識
 其非以與聞 勿防公務


十三にいわく。
もろもろの官に任ずる者は、同じく職掌(しょくしょう)を知れ。
あるいは病(やまい)し、あるいは使(つかい)して、事を闕(か)くことあらん。
しかれども、知ること得(う)るの日には、和すること曽(かつ)てより識(し)れるが如くせよ。
それあずかり聞くことなしというをもって、公務を防ぐることなかれ。


※ポイント
「非以與聞 勿防公務」は、要するに「聞いてない」からといって、公務を放置してはならないということです。ですから「知りません。聞いてません」は、不謹慎な発言だという意識が、日本人には普通にありますよね?

第十四条
 十四曰
 群臣百寮 無有嫉妬
 我既嫉人 人亦嫉我
 嫉妬之患 不知其極
 所以智勝 於己則不悦 才優於己則嫉妬
 是以
 五百之後 乃今遇賢
 千載以難待一聖
 其不得賢聖 何以治国


十四にいわく。
群臣百寮、嫉妬(しっと)あることなかれ。
われすでに人を嫉(ねた)めば、人またわれを嫉む。
嫉妬の患(わずらい)その極(きわまり)を知らず。
ゆえに、智(ち)おのれに勝(まさ)るときは則ち悦(よろこ)ばず、
才おのれに優(まさ)るときは則ち嫉妬(ねた)む。
ここをもって、五百(いおとせ)にしていまし賢に遇うとも、
千載(せんざい)にしてもってひとりの聖(ひじり)を待つこと難(かた)し。
それ賢聖を得ざれば、何をもってか国を治めん。


※ポイント
嫉妬の気持ちをもってはならないし、嫉妬の心があれば、千年に一度の逸材を見逃すことになると戒めています。

第十五条
 十五曰
 背私向公 是臣之道矣
 凡人 有私必有恨
 有憾 必非同 非同則以私妨公
 憾起 則違制害法
 故初章云 上下和諧 其亦是情歟


十五にいわく。
私に背(そむ)き公(おおやけ)に向かうは、これ臣の道なり。
およそ人、私あれば必ず恨(うらみ)あり、憾(うらみ)あれば必ず同(ととな)わず。
同(ととなわ)ざれば則ち私をもって公を妨(さまた)ぐ。
憾(うらみ)起こるときは則ち制に違(たが)い法を害(そこな)う。
故に、初めの章に云(い)わく、上下和諧(わかい)せよ。
それまたこの情(こころ)なり。


※ポイント
どこかの国が「恨の国」と自称して子供のうちから「恨」を教育に取り入れていますが、そういうことは結果として必ず不和を招き、「恨」こそが、法をやぶるもとになると喝破しています。

第十六条
 十六曰
 使民以時 古之良典
 故 冬月有間 以可使民
 従春至秋 農桑之節 不可使民
 其不農何食 不桑何服


十六にいわく
民を使うに時をもってするは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。
故に、冬の月には間(いとま)あり、もって民を使うべし。
春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節(とき)ゆえに民を使うべからず。
それ農(たつく)らざれば何をか食(くら)わん。桑(くわ)とらざれば何をか服(き)ん。


※ポイント
人々がが農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。グローバリズムだの輸入すれば良いだのという空論に染まる現代社会への警告とも受け取れます。

第十七条
 十七曰
 夫事不可独断 必與衆宜論
 少事是輕 不可必衆
 唯 逮論大事 若疑有失
 故 與衆相辨 辞則得理


十七にいわく
それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。
少事はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆とすべからず。
ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。
故(ゆえ)に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。


※ポイント
ものごとは、かならずみんなにはかりなさいということです。
些細なことなら、独断も許容されるけれど、重大事は、かならずみんなで議論しなさいと述べています。
ここにも、強制(ウシハク)ではなく、どこまでもみんなで、という「シラス」の精神が明確にあらわれています。



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コメント

kn5

二曰の現代的意訳
三つの大事な事あります。
それは、自然科学、科学的検証、科学者です。
人生における四つの場面も自然の流れです。
色々な人々の思いも自然の流れです。
いつの世もいづずこの人もこの自然の流れに逆らう事は出来ません。
鮮の人は理解してません。
この三つの大事なものが分からないのです。そのことをよく言い聞かせ、曲がった思いを正して下さい。

ネコ太郎

初めて読みました
初めて十七条憲法を読ませていただきました。
全体的には公務員の服務規律のようなものだったんですね。
漢語で書かれているので庶民向けではないとは思っていましたが。
全体的に和の精神を繰り返し強調していて、現代でも公務員の方、特に法律関係の方には徹底して欲しい事柄ばかりです。

二条目にやや異質な仏教を大切にすることが書かれているのが当時の時代背景を感じさせます。

防人

聖徳太子は仏法を篤く信仰されておられたのはよく知られていますが、決して仏教信者ではありません。笏を持たれて公務をとられているのは、神道を敬い神道を根幹にしているからです。 天照大御神さま直系の天皇陛下と皇室を中心に、その神聖な権威の元、私達国民は、一致団結して助け合い日本国と国民の繁栄の為に力を尽くす事が古来からの日本のかたち、心です。 畏れながら、皇太子殿下のお立場になられるのは天意です。 国民の私達が後継について意見を申し上げるのは、慎み控えねばならないものと想います。
和をもって貴しとなし、いさかうなきを宗とせよ。 この聖徳太子のお言葉をよく噛み締めねばと想います。

ケイシ

いつもありがとうございます。
皇太子殿下は、聖徳太子に風貌が似ておられます。 聖徳太子さまは皇租(天皇の先祖)のお一人なので当然かも知れません。 皇太子殿下には常に聖徳太子さまが守っておられる様な印象を受けます。 私は、それこそ新しい憲法は、一七条の憲法を基本理念にして考案するのが日本と日本国民にとって最良の憲法になると想います。この憲法の理念なら、保守は勿論、左寄りの人達も異論は有りますまい。 もし異論があるのら、それは日本の国体とを破壊し、国民の土地と命を奪おうとする邪悪な者と断じて宜しいと想います。

亜美

日本国の憲法は、次の4つを復活させて4元憲法にすべきだと思います。
日本国は、憲法改正して1元憲法にするのではなくて、
日本国の憲法は、次の4つを復活させて4元憲法にすべきだと思います。
・604年十七条憲法
・1868年五箇条の御誓文
・1889年(旧)皇室典範
・1889年大日本帝国憲法
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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