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あの猛暑の日々が過ぎ、気がつけばもうすっかり風は秋色になりました。
秋といえば思い出すのが、「いずこも同じ、秋の夕暮れ」というフレーズです。
これは、良暹法師の和歌で、百人一首にも収蔵されている歌から来た言葉です。
さびしさに宿をたち出でて眺むれば
いづくも同じ秋の夕暮
百人一首に採用されたこの歌は、一般的には、
「あんまりにも寂しいので、住まいを出て、あたりを眺めてみたら、どこもかしこも寂しい秋の夕暮でした」と解釈されています。ものすごく単純に、「秋=寂しい」と解釈しています。
ところがの歌を詠んだ良暹法師というのは、比叡山延暦寺のお坊さんだった人です。
この時代、比叡山には、たくさんの無骨な僧兵さんたちが大勢いました。
また全国から仏教を学びたいとする僧侶が集まって研鑽に励んでいました。
常に大勢の人のいる、ある意味たいへんに賑やかなところだったのです。
小坂達也さんが、8月15日の動画を作ってくださいました。
ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!靖国参拝平成26年8月15日終戦記念日
そんな延暦寺で晩年までずっと修行を積まれた良暹法師(りょうせんほうし)は、いってみれば人の大勢いる大企業のオフィスか、大忙しで大繁盛している大手流通の幹部社員みたいなもので、毎日、朝早くから夜遅くまで、毎日が気張りっぱなしの、慌ただしい毎日を送ってきた人でもあったわけです。
ちなみにお寺だから、整然としていただろうというのは、間違いです。
人が大勢集まれば、まさに「いづくも同じ秋の夕暮れ」です。
そういう慌ただしい環境のもとでは、人が望むのは、晴耕雨読の平穏な毎日です。
いつかは、人里離れた田舎に草庵をいとなみ、自給自足で構わないから、そこで静かに暮らしたい。
そんな希望を誰もが抱きます。
いま風にちょっとかっこ良く言えば、忙しく働いて富を得たら、南の島のビーチリゾートで、毎日釣りでもしながら、のんびりと優雅に暮らしたいという夢見るようなものです。
幸いなことに良暹法師(りょうせんほうし)は、歳をとって延暦寺を引退したあと、まさにこれを実現するわけです。
良暹法師が草庵をいとなんだ京都の北にある大原は、「京都大原三千院」で有名なところですが、人の往来の少ない、山に囲まれた静かな山里です。
いまでもそうなのですから、千年前には、もっと静かなところであったろうと思います。
この歌は、出典となった詞花集に詞書(ことばがき)があって、そこには「大原にすみはじめけるころ」とあります。
つまり、まさに良暹法師が延暦寺を出て、大原の草庵にひとり棲み始めた頃(夢を実現した頃)の歌であるわけです。
大勢の人が常にいて、騒がしく、また忙しい日々から、自然の中にひとり暮らす、のんびりとした夢のような日々がようやくやってきました。
ところが実際にこうして一人暮らしをしてみると、どうにも寂しくてたまらない。
そこで住まいとなっている草庵を出て、付近一帯を眺めてみると、あたりはもうすっかり秋の景色です。
そこで、
「ああ、どこもかしこも、秋景色なんだなあ」と詠んだのがこの歌と、一般にはされています。
ところが、よくみると良暹法師は、この歌で「いずくも同じ」と詠んでいます。
どこと「同じ」なのでしょうか。
冒頭で「寂しさに」と詠い、下の句は「いずくも同じ」です。
冒頭の「寂しさに」は、わかります。人里離れた山中で、ひとりで棲んでいるのです。それまで喧噪の中で暮らしていた身からすれば、人里離れて「寂しい」のは、当然の心象であろうと思います。
しかし、「いずくも(カルタではいずこもと書いてあるものが多い)」というのは、「どこも同じ」だと言っています。つまり場所を指しています。文法的にみても、寂しいという「心情」を指しているというよりも、あきらかに「場所」を指しています。
何が同じかといえば「秋の夕暮れ」が「同じ」です。
つまり、「秋の夕暮れ」が、どこかの「場所」と同じ情況にあると言っています。
少し考えたらわかるのですが、大原のように自然に囲まれた場所というのは、秋の夕暮れ時は、ちっとも寂しくありません。
天高く空に雲が舞い、複雑なカタチにたなびく雲が夕陽を浴びて茜色(あかねいろ)輝きます。
山々に目を転じれば、そこには紅葉があり、あるいは黄色く色づいた樹々があり、鳥が啼き、特に夕暮れには秋の虫たちが、冬越えの準備のための求愛に声をかぎりに鳴いています。
目を街道に転じれば、そこには曼珠沙華(彼岸花)や、キンモクセイ、萩の花やキキョウの花が咲いています。
それらすべてが一体となって、みんなが生きています。
なんと、良暹法師が、人気がなくて寂しいと思って一歩外に出てみたら、そこは大自然の生命の息吹にあふれかえっているところだったのです。
藤原定家は、この歌を三条院の「憂き世の夜半の月」、能因法師の「竜田の川の錦」の歌の次に配しました。
三条院の歌は朝廷の政争を、能因法師の歌はその政争さえも我が国では錦だと詠んでいます。
ということは、次に配された良暹法師のこの歌も、ただ寂しいとか孤独だとか言っているのではないのです。
人に揉まれた比叡山も、人里離れた大原も「いずくも同じ」だよ、どこもかしこも、みんな生命の息吹にあふれているよ、と詠んでいるのです。
そしてそれらが渾然一体となってひとつの「美しい夕暮れ」を奏(かな)出ている。
そんな秋の夕暮れを、「いずくも同じ」と詠んでいるのです。
秋は生命の息吹にあふれた季節です。
みんな生きています。
自分もそのなかのひとつとして生きている。
それは大自然とともに、神々から自分も「生かされている」ということです。
そこに仏教徒として、大和人として、感謝の思いがある。
良暹法師は、そこを和歌に詠み込んでいるからこそ、この歌が名歌とされているのです。
と、こんなことを書いていたら、なんだかお饅頭が食べたくなってきました。
そんな食欲の秋も、生命の讃歌のひとつなのかもしれませんね☆

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コメント
mari
秋の夕暮れは観察してみると表情がとても豊かですよね。五感すべてで秋を感じられます。枕草子冒頭の「秋は夕暮れ・・・」がとてもしっくりくるように思います。
百人一首のもう一つの「秋の夕暮れ」も大好きな和歌です。百人一首本の出版を楽しみに待ってますね。
2014/09/10 URL 編集
ラベンダー
いずくも同じ 美しい秋の 夕暮れ
ですね。
昨夜は、十六夜スーパームーンも綺麗でした♪
ねずさんは、お饅頭召し上がって食欲の秋を満喫されて下さいませ(^.^)
さて、本日も小坪議員のブログのご紹介です。
http://samurai20.jp/2014/09/comfortgirl-5/
背乗りという、怖いお話です。
応援クリックも、よろしくお願い致しますm(_ _)m
2014/09/10 URL 編集
one
”ますます寂しくなったよ”とも”強い気持ちになったよ”とも、どちらにも解釈できるところに、和歌の面白さを感じます。
私”三夕の歌”とりわけ西行のそれににつきましては、無常観、もののあわれを読んだものだと思います。もし、この歌が”生命の息吹にあふれているよ”の意であるとしたら、良暹法師という方は、時代の異端児というか、一匹狼であり、変わり者であったとも思うのです。
ちなみに私は、秋に”強さ”を感じたことがありません。カエルの鳴き声が、いつの間にか虫の音に変わっていた…。そこに、美しさ、はかなさ、ちょっとしたさみしさを感じます。
私が大原を訪ねた時は、わざと刈らずに残したのでしょうか。曼珠沙華が一輪、畑の畔にぽつねんと咲いておりました。
2014/09/10 URL 編集
コマリマックス
長野県の方言に、ずくをだすと言う言葉が残ってますし。
2014/09/10 URL 編集
ポッポ
ずいぶん前のことですが、大原はデュークエイセスの「にほんのうた」シリーズにある「女ひとり」が出てから、人気が急に上がりました。
今は観光客も減ったと思いますが、当時は三千院から寂光院までの道が行列で、静寂などとは縁の遠い風景でした。
地理的には、福井県と京都を結ぶ街道(この街道は、別名で鯖街道と言います。)にあり、福井からの魚類を運ぶときには、もう少しで京都に着ける位置にあります。大原は夜なら今でも真っ暗だろうと思います。
延暦寺は、ドライブコースの駐車場から歩いて行けますから、軽いハイキングもかねて参拝すれば、良いところです。
円相場は、5年11ヶ月ぶりの水準で円安です。
これ以上の円安が進む場合には、燃料費の輸入費が経済全体に悪影響を与えるとのことですが、原子力発電所の停止による火力発電のための天然ガスの燃料費等は、毎日100億円も掛かるそうです。
電力会社は燃料費のために、また電気代の値上げを考えているようですが、庶民にとってこれから訪れる冬の電気代は頭の痛い問題です。
企業にとっても、安定した企業活動の行えない中国から日本に戻ろうとしたとき、電力量に余裕がない上に電力費の高い日本は選択しにくいため、他の国を求めざるを得ず、これが日本の国力の発展を阻害していると思います。
原子力規制委員会が誠実に業務を推進し、原子力発電の稼働を認めることを希望しています。
2014/09/10 URL 編集
通りすがりの武人
2014/09/10 URL 編集
鬼っ子
私が愛読するガイアの法則(千賀氏著)の中でも述べてますが、たとえば「古池やカエル飛び込む水の音」と読むと日本人は広大な宇宙を感じることが出来ますが、外国人は「カエルが飛び込めば音がするのは当たり前ではないか」で終わってしまうそうです。虫の音一つとっても日本人は虫の声と捉えますが、外国人のほとんどは雑音と捉えるそうです。どうも世界から見て日本人が特別のようであり、高い感受性と世界一の民度持つようです。
2014/09/10 URL 編集
kenkan
日本人は、虫の声をこよなく愛しますが、聞いた話では、外人は虫の声は単なる騒音にしか聞こえないと云うことですが本当でしょうか。
気になるのは、最近外来種の虫の声が大きすぎて、在来の松虫の求愛の音が雌に届かなくて、繁殖行動に齟齬を来しているとか。
外来種の渡来は動植物および人について厳重に管理しないと、繊細な日本の文化は壊されてしまします。
NHKは、毎時のニュースでデング熱を煽っていますが、不思議なのは、これを媒介するのが「蚊」としか云っていません。私の乏しい知識では難しい名前の外国種の蚊でしか媒介されないように聞いているのですが、NHKの報道だと「蚊」一般が媒介種の様な印象を持ってしまいます。意図的に不安を煽っているという様に思うのは考えすぎでしょうか。
あの地区は、NHKにも近いし、各種イベントも多い地区であり、オリンピックのメインになる地区ですよね。
秋の夜長、思いは巡ります。
2014/09/10 URL 編集
防人
2014/09/08 URL 編集
情強!良まとめ速報
優れたコンテンツを提供するタイトル(ブログ/サイト/動画)をテーマ別にまとめた速報アンテナサイトを運営しておりまして、その中の「特亜嫌い」をテーマとしたページに御ブログ「ねずさんのひとりごと」を勝手ながら登録させて頂いております。
特亜嫌いが選んだ/情強!良まとめ速報
http://ryomato.me/tokua
ご報告が遅れましたことをお詫び申し上げます。
勉強になる記事、いつもありがとうございます。
一つ、お願いがございます。
昨今のブログには珍しく、昨日一昨日と記事の日付がなぜか9月9日と9月10日と未来になってしまっています。(本来なら未来の日付にしても自動で予約処理になりそうなものですが)
当サイトでは名前順の他に日付更新順でも表示するので他のサイトの更新の確認に不具合が発生しております。
ですので日付を改めて頂けると幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
2014/09/08 URL 編集
NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥
2014/09/08 URL 編集
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2014/09/08 URL 編集
志士
2014/09/08 URL 編集