仁徳天皇陵に関する大切なお話



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仁徳天皇陵1023_th


「仁徳天皇御陵」は、仁徳天皇の陵墓であり、日本の誇る前方後円墳です。
ところがこの御陵をめぐって、二つの動きがあります。
ひとつはその呼び方の問題、もうひとつは文化遺産登録に関する問題です。
いずれも、日本という国が持つ、古くて長い歴史を否定しようとする動きに端を発するものです。

1 仁徳天皇陵

「仁徳天皇陵」は、正式名称を「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」といいます。
この陵墓には、記紀に記載があります。

まず『古事記』では、大雀命(おほささぎのみこと=仁徳天皇)が83歳で崩御され、毛受之耳原(もずのみみはら)に陵墓があると記述されています。
『日本書紀』ですと、仁徳天皇は仁徳天皇87年(399)正月に崩御され、同年10月に百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬られたとの記述があります。

「百舌鳥耳原中陵」という言葉は、平安時代の法令集である『延喜式』に登場する言葉で、そこには仁徳天皇の御陵としてその名前と、場所と大きさが記述されています。

「百舌鳥耳原中」という名前は、この場所で、「ある日、突然鹿が飛び出してきて急に倒れて死んでしまったので、見に行くと、鹿の耳から百舌鳥(もず)が飛び出した、その耳を調べてみると頭の中身が百舌鳥に食い荒らされていた」という伝承からきています。
実際にモズには、そのような習慣はありませんので、この故事の持つ意味は「御陵を不可侵にせよ」という意味であろうと思います。

2 呼称の問題

すくなくとも、昭和40年代くらいまでは、この御陵は通称「仁徳天皇陵」、正式名称「百舌鳥耳原中陵」で、誰も何も疑問にさえ思っていませんでした。
ところが、最近の若い人が「仁徳天皇陵」を知らない。
聞かれても何のことだかわからない。
要するに学校の教科書では、いまではこの古墳について「大仙古墳(だいせんこふん)」とか「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)と書いてあり、子供たちはそのようにしか教わっていないのです。

なぜ「大仙陵」なのかというと、ここが仁徳天皇陵であるという「証拠がない」からなのだそうで、だから地名をとって「大仙陵」としているのだそうです。

馬鹿をいっちゃぁいけない。『記紀』にも『延喜式』にもちゃんとそのように書いてあります。
だいたいいまだに歴史教科書に「世界四大文明」などという「まやかし」を平然と書いているような教科書が、古来、日本の伝承としてちゃんと伝わっている仁徳天皇陵について、その名を勝手に変えるなど、許されることではありません。
【参考】「世界四大革命のウソ」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-791.html

そもそも、仁徳天皇といえば、我が国の施政の根本を教えてくださった偉大な天皇です。
「民のかまどは賑いにけり」の物語です。
仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられました。そして、
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と、向こう三年の租税を免じたというのです。

このお話には、さらに後日談があって、三年がたって、天皇が三国峠の高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申された。
「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」
「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」
「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」
天皇は、ニッコリされて、こう申されましたといいます。

ここまでは、よく知られた話です。
ですが、実はこの話には、さらに後日談があります。

このお話を聞いた諸侯が、
「皇宮が破れているのに、民は富み、いまでは、道にモノを置き忘れても、拾っていく者すらないくらいです。それでもなお税を納め、宮殿を修理させていただかないならば、かえって、わたしたちが天罰をうけてしまいます!」と、申し出たというのです。

それでも仁徳天皇は、引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けにならなかった。そして六年の歳月がすぎたとき、やっと天皇は税を課し、宮殿の修理をお許しになったというのです。

その時の民の有様を「日本書紀」は、次のように生き生きと伝えています。
「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、
 日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。
 いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。
 故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。
 みかど崩御ののちは、
 和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る。」

民は、仁徳天皇に深く感謝し、誰に強制されるわけでもなく、誰に促されるわけでもなく、自ら進んで、材料を運び、荷物を背負って荒れた皇宮を修理したというのです。
それも、昼夜をいとわず、力を尽くし、競い合って皇宮の修理にあたったのです。
ですから、いくばくも経たずに、皇宮は、きれいに治ったというのです。

仁徳天皇は「聖のミカド」と呼ばれるようになり、お亡くなりになると、人々は、和泉国の百舌鳥野の陵に、仁徳天皇の御陵を作ったと日本書紀に書かれています。

仁徳天皇の御徳は、かまどの煙だけではありません。
1 難波の堀江の開削
2 茨田堤(まんだのつつみ:大阪府寝屋川市付近)の築造(日本最初の大規模土木事業)
3 山背の栗隈県(くるくまのあがた、京都府城陽市西北~久世郡久御山町)に灌漑用水。
4 茨田屯倉(まむたのみやけ)設立。
5 和珥池(わにのいけ、奈良市)、横野堤(よこののつつみ、大阪市生野区)を築造。
6 灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、大阪府南河内郡河南町辺り)を掘削し広大な田地を開拓。
7 紀角宿禰を百済へ遣わし、初めて国郡の境を分け、郷土の産物を記録。
などなど、たいへんな土木工事の貢献をされています。

みんなが飢えないように、みんなが腹一杯飯が食えて、元気に生きれるようにするためには、それだけの食べ物を作らなければなりません。
そしてそのためには、土地を開墾し、農地を造らなければなりません。
そしてその農地の中心になるのは、いうまでもなく「田んぼ」です。

その「田んぼ」は、いうまでもなく水田ですから水をひきます。
つまり、すべての田んぼが水平でなければなりません。
地面というのは、平野部であっても、詳しく見ればデコボコです。木も生えていれば雑草もある。岩もある。
それらをどかしたり、均したりして田んぼをつくります。
さらに、田んぼには、水路が必要です。
ところが水を引くだけですと、洪水の危険がありますから、当然、堤防工事も必要になります。

常識で考えたらわかることですが、大規模な開墾工事というのは、ひらたくいえば、壮大で大規模な土木工事です。
そして大規模土木工事を行えば、かならず大量の土砂が出ます。
出てきた土砂は、今ならダンプカーに乗せて港湾の埋め立て工事に使ったりしますが、大昔にはダンプカーなどありませんから、計画的にどこかに盛り土することになります。

こうしてできたのが古墳です。
だからこそ古墳は平野部にしかありません。
土木工事の結果できる盛り土だからです。
昔の人にとっては、そんなことは常識でした。

特に仁徳天皇陵がある堺市を、上空からみた写真をみたらわかります。
堺のあたりは、広大な平地です。
いまでは、家だらけになっていますが、ほんの数十年前までは、そこは広大な田んぼだったところです。
そしてその真ん中に、仁徳天皇の御陵があります。

以前、大林組が仁徳天皇陵を造るのに、どれだけの労力がかかったかを計算しているのですが、このときの計算では、完成までに15年8ヶ月、必要人員が延べ796万人かかるという計算になりました。
仁徳天皇のご治世の頃の日本列島の人口は全国でも4〜500万人程度です。
そんな時代にどうやって800万人も動員したのか。しかも工期が16年です。
その間、民衆は老若男女全員が、アホな無駄な土盛り作業だけに狩り出されていたとでもいうのでしょうか。
そんなことをしたら、民だけでなく、施政者たちまで飢えて全員死んでしまいます。

要するに、仁徳天皇は、人々とともに大規模な土木工事を行って水田を開かれたのです。
誰のためでもない。みんなのため、人々のため、民衆のためにです。
そしてその結果、つまり土木工事の規模がものすごく大きかった結果、堺に巨大な盛り土地が生まれたのです。
そして民は、そうした仁徳天皇に感謝したからこそ、仁徳天皇をその盛り土(御陵)に埋葬し、「和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」と書き残したのです。

ちなみに、「陵」と書いて「みささぎ」と読みますが、「み」は敬称です。
「ささぎ」というのは、古語でサヤインゲンや大豆などが成るときに袋にはいっていますが(大豆の莢、下の写真参照)、その袋のことを言います。

大豆のさや_th


御陵は横から見たら、大豆の莢(さや)そっくりです。
その莢(さや)の中には、人々のたいせつな食物である大豆の実がはいっています。
ですから、お亡くなりになった貴人を、その袋に埋葬する。
大規模な土木工事をして、大規模な開墾がなされ、みんなが腹一杯飯を食えるようになったのです。
そのことへの感謝を思えば、これはごく自然な発想だと思います。

ということは、仁徳天皇陵は、単に仁徳天皇の遺徳を讃えたというだけでなく、君民一体の心が、そこに込められている、ということなのです。
だからこそ、最初は単なる工事のための盛り土であったにせよ、最後はお世話になった仁徳天皇への感謝をささげ、そして遺徳を讃えた大切な聖地として、「余人立ち入るべからず」の意味を込めて、鹿と百舌鳥(もず)の挿話が生まれ、そこへの人々の立ち入りを禁じたのです。
そんなことは、すこし前までは、地元の人たちにとって、あたりまえの常識でした。

ところが偉い学者の先生は、何やら調査とか言ってやってきて、「古墳は天皇や豪族がその権威権力を誇示するために民衆を強制的に使役して作らせた墳墓である」と決めつける。
まだ、戦前の教育を受け、道路つくりや木の伐採、農地の開墾などを、村のみんなで協力してやっていた頃の経験を持っていた昔のお年寄りたちは、当時、よく言ったものです。
「学者の先生というのは、勉強ばかりしているから、きっと頭がおかしくなるんじゃのお。あがいな盛り土は土地の開墾すりゃあ、あたりまえにできるもんじゃ・・・。」

地方に行きますと「◯◯広域農道」と名前のついた道路がよくあります。
それらは、昔、農作業と農産物の運搬のためにと、近隣の農家のみなさんが、村の会議で全会一致でみんなで協力して築いた道路です。
最近は、なんでもかんでも行政マターで、行政の予算で土木業者が道路を作っていますけれど、ひとむかし前までは、日本中にあるすべての道路も、その道路脇にある側溝も、全部、近隣の農家のおやじさんや、あんちゃんたちが、鍬(くわ)や鋤(すき)や”たこ”を使って、手作業で道路を作っていたのです。

昔の土木道具_th


そして道路にせよ、田んぼにせよ、土地を整地すれば必ず行われるのが、切土と盛土です。
デコボコした土地を削ったり盛ったりするから、田んぼや道路ができるのです。あたりまえのことです。

同時に、開墾した水田地帯に、必ず必要なのが「水屋」です。
水田地帯は、水を張りますけれど、水を張るということは、大水や鉄砲水による被害も発生するということなのです。
大水が出れば、人々は小高い丘に避難しなければなりません。
そのために、あらかじめ避難場所として、小高い丘を作り、その上に丈夫な仮小屋を作っておく。
普段は見晴らしの良い観光スポットですが、それが万一の場合の避難所になるのです。

中小規模の古墳は、学者の先生方は墳墓のはずだ、お墓のはずだというけれど、なるほど古墳のてっぺんに何かの建造物があったらしい痕跡はあるのだけれど、肝心のお墓が出てこない。
これはおかしい。きっと埋葬した骨が長い年月の間に溶けてしまったに違いないとか、いろいろなご高説を述べておいでのようだけれど、盛り土のてっぺんは、土地を開いてくれた人のお墓にしたケースもあるし、避難所にしていたケースもあるというだけのことです。

これが仁徳天皇陵のような大型の古墳になりますと、大型の盛り土だけに、今度は、大雨の時に盛った土砂が流れ出してしまう危険があります。
ですから、そうした事態を防ぐために、超大型の盛り土では、周囲にお堀を巡らせました。
これまたあたりまえのことです。
土砂が流れたら、周囲の田んぼが土に埋まってしまうのです。

その代わり、仁徳天皇の御陵の周囲には、小型の古墳がたくさんあります。
天皇陵となっているものもあれば、いまだに墳墓であることが証明されていない古墳もあります。
これまた、あたりまです。そこは避難所です。
昔の人にとっては、そんなものは常識だったのですけれど、最近は、偉い学者の先生の見解から、なぜか豪族の権力の証という。意味が違うのです。

そしてさらには、記紀を否定し、仁徳天皇の実在まで否定し、ついでに仁徳天皇陵の呼び方まで「大仙陵」などと、おかしな呼び名をつけたりする。
頭がおかしいのではないかと言いたくなります。

そこが仁徳天皇陵でないというのなら、逆に、なぜ堺のあたり一帯は、高低差のほとんどない平野になっているのですか?、どうしてその平野に洪水があまり起こらないのですか?と質問したくなります。


3 世界遺産登録に反対する

平成20年に、文化庁が仁徳天皇陵を世界遺産に推薦する構想を発表しました。
これは実は仁徳天皇陵だけではなくて、履中天皇陵・反正天皇陵・仲哀天皇陵・応神天皇陵・允恭天皇陵などのある「百舌鳥古墳群」なども含まれます。
文化庁のこの発表は、もともとはその前年に大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市が、世界遺産の国内暫定リストへの追加を求める提案書を提出したことを受けたものです。

「我が国の誇る御陵が世界遺産になるというのなら、結構な話じゃないか」と思うのは、浅はかというものです。
実は、この提案の背景には、とんでもない「ウラ」があるのです。

というのは、世界文化遺産に登録するためには、学者達による審査が必要になるのです。
その審査とは何かというと、「仁徳天皇陵であり、仁徳天皇のお墓というのなら、その墓をあばいて本当にお墓であるかどうかを調査せろ」という、とんでもない「条件付き」になっているのです。

要するに文化財としての実態があるのかどうかを、左巻きで「古墳=豪族たちが民衆を強制的に使役して奴隷のようにこきつかって自分の墓を築かせた」としか考えようとしない、もうしわけないけれど私に言わせていただければ「頭のおかしな自称学者」たちが、学生たちを引き連れて古墳を掘り返し、「墓あばきをさせろ」というのが、その背景にあるのです。
そしてこのことは、我が国における天皇の権威とその存在を否定したい人たちにとっての標的になっているのです。

これに対し宮内庁は、
「陵墓は単なる文化財ではなく皇室の祖先祭祀の場である。よって静安と尊厳を維持すべきものである」として、断固反対をしています。
当然のことです。

そもそも日本は、天皇を頂点とする君主国なのです。
たかだかできて70年にも満たない日本国憲法にどう書いてあるかがが問題なのではなくて、日本にはどんなに遅くに見積もっても1300年以上の天皇のシラス国としての歴史の重さがあるのです。
そして天皇が神聖にして不可侵の存在であり、その天皇によって、すべての民衆とすべての日本国領土が天皇の「おおみたから」とされることによって、私たちは権力者、民衆を私的に支配し収奪する権力者からの自由を得ているのです。それが日本です。

このことは逆に見たら、よりわかりやすいかと思います。
天皇という権威の存在がなければ、私たちは権力者に私的に支配される私物と化すのです。
その権力者が、たとえ選挙など民主的な方法によって選ばれたとしても、ひとたび権力を得てしまえば、その権力者からみれば、民衆は被支配者であり、権力者の私物です。
権力者は民衆から、財産どころが命を奪っても構わない。なぜなら、私物だからです。

いまの日本には、この日本古来の社会的仕組みを否定する人たちがいます。
なぜでしょうか。
天皇は政治権力を持ちません。単に権威として領土領民を「たから」としています。
政治権力者にとって、民衆も領土も天皇の「たから」だからこそ、自由に私的に支配できない。
民衆のための政治をせざるをえない。民衆のために働かざるを得ない。

それを否定するということは、端的に言えば、否定している人が、ただ自分が権力を握り、多くの民衆を使役し支配し、自由にわがままを通したい(これをウシハクといいます)だけのことだということがわかります。
グローバリズムでも民主主義でもなんでもない。
ただ、支配欲、権力欲に取り憑かれた痴れ者だということです。

天皇陵は、そのシラス存在である天皇と、民衆の君民一体の証(あかし)です。
証だからこそ、聖地なのです。
陵墓公開要求をはじめ、仁徳天皇陵を仁徳天皇陵と呼ばず「大仙古墳」などと呼ぶ運動は、煎じ詰めれば、日本を解体し、日本人の自由を奪いたいという私的な欲望に他なりません。
じつに、傲慢かつ不遜かつ、子供じみた執着というべきものです。

御陵を護るということは、単に御陵を物理的に維持するということではありません。
仁徳天皇の遺徳を通じて、私たちが君民一体という日本の国のカタチを護るということなのです。
だからこそ仁徳天皇陵は「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」として、立入禁止の「聖地」とされてきたのです。
仁徳天皇陵は、単なる古墳ではないし、文化財や観光遺跡とは違うのです。
私たちのアイデンティティの源泉なのです。

「世界遺産になれば沢山の見物客が訪れるから、皇室の宣伝になっていいじゃない」という人もいます。
それこそ自分勝手な自己の利得だけを考えている証左です。
自分がウシハク者になりたいと宣言しているようなものです。

仁徳天皇陵をはじめとしたご皇室の墳墓は、観光地ではありません。
「世界遺産」という名の観光地ではなく、私たち日本人の「聖地」です。
仁徳天皇陵をはじめとする陵墓には、私たちは断固反対しなければなりません。

※この記事は2010年3月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント

yu asada

4つの質問
>馬鹿をいっちゃぁいけない。『記紀』にも『延喜式』にもちゃんとそのように書いてあります。

①『記紀』『延喜式』などの記述によれば、百舌鳥の地には仁徳天皇、反正天皇、履中天皇の3陵が築造されたことになっている。しかし、それぞれの3陵として現在宮内庁が治定している古墳は、考古学的には履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)→仁徳天皇陵(大仙陵古墳)→反正天皇陵(田出井山古墳)の順で築造されたと想定されており、大きく矛盾が生じている。このことから、百舌鳥の巨大古墳の中で最も古く位置づけられる伝履中天皇陵を伝仁徳天皇陵にあてる見解もある。しかし、この場合は後述する『延喜式』の記述と大きく食い違うことになる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3
ねずさんは、上記ウィキペディアの解説をどうお考えになりますか。

>だからこそ古墳は平野部にしかありません。

②いいえ、山頂や山の尾根を利用して作った古墳もあります。若草山の山頂にも古墳がありますね。

>ところが偉い学者の先生は、何やら調査とか言ってやってきて、「古墳は天皇や豪族がその権威権力を誇示するために民衆を強制的に使役して作らせた墳墓である」と決めつける。

③えらい先生とはだれのことでしょうか。具体的に書いて下さらないと確認がとれません。

>避難所にしていたケースもあるというだけのことです。

④古墳を避難所にしたという記録があるんでしょうか?

もーちゃん

仁徳天皇陵と呼んでいました。
ねずさんのブログを時々拝見しています。いつも、教科書には載っていないような真の和のこころについて、勉強させて頂き、ありがたく感じています。実は私は小学校は途中まで仁徳天皇陵の近くの学校に通っていました。(榎小学校と言います。)私は昭和31年生まれなので、ちょうどこのブログにある昭和40代ぐらいまでに当たるかと思います。当時は確かに、幼いながらもそこが仁徳天皇の陵墓だという認識がありました。中は誰も立ち入ることができない、狸など野生生物が生息しているような深い森になっていると聞いていました。ただ、その時、誰からも、仁徳天皇がどれほどありがたいお方なのか、というお話を聞かされなかったのが残念でなりません。(または、聞いていたのに、私があまりにも世間一般の支配者と言われる人々の概念に、すでに侵されていたのかもしれませんが‥。)当時の為政者の方々がどれほどの深い愛で、民を守ろうとしていたのか‥その深い想い、愛に初めて気づかせていただきました。ありがとうございました。

-

No title
となると、韓国で発見された古墳は、やり方を伝えた可能性が。
けど協力したかは疑問が残る。

名無し

日本とは
私は大学の課題で「仁徳天皇陵を世界遺産にするにはどうすべきか」というものがあったので詳しく知るためにこちらの記事を読ませて頂きました。
正直なところ、世界遺産とすることに対する賛成意見と反対意見。どちらも正しいしどちらも間違ってるとしか言いようがありませんでした。
墓を荒らすなと言うのはその通りだと思います。しかし日本人の聖地だとか日本人の心というのは少しおかしくはないでしょうか?正確には日本人ではなく、あなた方の意見なのですから。
やはり一番大切となるのは多くの人にこの問題を知ってもらうことだと思います。日本人の心と言われても日本人の大半はこの論争を知らないのですから。
多くの人々の意見を取り入れた上でみんながある程度納得できるような妥協案が出ることを祈ります。

トミー・ハート

古墳を観光地にすべきではないが…
考古学者の間では、天皇陵として確定しているのは、天武持統陵の一基のみで、天智天皇陵とされているものも、築造年代に疑問あり、とされているそうです。
エジプトでは、ツタンカーメンの家族関係をDNA鑑定によって解明するなど、ずいぶんと思い切ったことをしています。これを我が国の古墳、さらには天皇陵とされるものに適用するのは無理というものです。ただのお墓ではないからです。
『天皇陵を発掘せよ』という本を読みましたが、著者たちはほとんど左側の人たち。話になりません。

応神天皇や仁徳天皇が、架空の人物だったとしても、八世紀に我が国の史書である記紀が編纂された時、国民を「大御宝」としたことはまぎれもない事実です。そして国民は皇室を「神の子孫」とたたえ、現在に続いています。この太い紐帯は、未来永劫切れることはありません。

皇室の先祖の陵墓とされる古墳を観光地にしたり、左翼の学者の学問的対象に貶めることは、絶対にあってはならないと思います。

ただ、仁徳天皇陵などの大古墳は、夏になると大量に蚊が発生するそうです。今年の夏は、東京で蚊の媒介によるデング熱の発症が大きな問題になりました。蚊の駆除はしっかりとやってほしいです。でも、大きなお堀のおかげで、夏は自然のクーラーになるそうです。これも大きな恵みと言えるのではないでしょうか。

私の地元では市内にいくつか古墳があります。駅前にある古墳は発掘調査の後、公園になり、古墳の上は人が歩いたり、滑り降りたり出来るようになっています。あまりにひどいんじゃないですか。古代の豪族の墓ですよ。いくら今、埋葬されていた人が移されたとはいえ、故人の霊は浮かばれますまい。

祖先崇拝や先祖供養は、日本人の根源です。人の墓をあばくものではない!

あらみたま

またパズルのピースがはまりました
ねずさん、いつも素敵なお話をありがとうございます。

以前、古事記と日本書紀に御陵を造った話しはないかと探して見つけられなかったのですが、土木工事の話しは仁徳天皇の項には一番載っていますから、見つけられないのではなく、ちゃんと読めてなかったわけです。


こういう目の前にあっても、教えられないとわからないことが今は多いのだと思います。


しかし、教えられなくとも分かるのが、御先祖様のお墓を観光地にしたくないということ。普通の日本人なら天皇の御陵を観光地化させるなんてもっての他と考えるはずです。もちろん採掘なんて論外です。世界遺産と聞いたときから私は反対しています。そんなものは天皇陵は必要としていません。


私は今年の春に、百舌鳥古墳群をお参りしたのですが、どこもひっそりたたずんでいました。しかも地域に守られている感じもしましたので、それを静かに維持していただきたいです。


古墳群のお参りの際に百舌鳥八幡宮や、方違神社にもお参りをしたのですが、そういう神社の由来をみても仁徳天皇と土地の繋がりが感じられます。


また、仁徳天皇の元々のお名前オホサザキには、大きな墓を意味するという意味があるそうです。土木工事で出た土を御陵にするのが当たり前だったのであれば、土木工事を多くこなした天皇のお墓が大きくなるのは当たり前のことですから、その名前も自然だったのではないでしょうか。忌み名とかを気にするようになるのはもっと後の時代からだと思いますので、ピタリ符号する話だと思います。

はおこ

No title
こんにちは、ねずさん、皆さま。
仁徳天皇陵が、そのような扱いになっているとは。
息子達にそれぞれ(大学生と高校生)確認しましたら、彼らは、一応、きちんと教えてもらっていたようで、知っていました。
でも、そうやって、 微に入り細に入り、歴史を歪めようとしていることに恐怖を感じます。許せません。

葉桜

No title
中学生の子供に、仁徳天皇陵と言っても通じませんでした。今の学校では、違う呼び名で教えている。歴史教科書は帝国書院です。他の教科書も同様でしょうか?

中谷直樹

No title
私の尊敬致します先生から聞いた話に依りますと、GHQは日本に上陸したとき仁徳天皇陵に入り、保存されていた貴重な文書を焚書したそうです。
ある意味アメリカは日本のことを凄く研究していたのだと思います。
日本人のidentityは此処にあるという事を分かっていたのでしょう。
これ以上日本人の心を踏みにじるようなことは止めていただきたいです。

mari

No title
民のかまど伝説の大御心は代々天皇に引き継がれているそうです。
先日「勤王文庫」の御製集を見ていたら、

「高き屋にのぼりてみれば煙立つ民のかまどは賑いにけり」

この御製の本歌取り(?)のような御製がいくつかあったのでメモしました。

後宇多天皇
「今もなほ民のかまどの煙まで守りやすらむ我が国の為」(新千載集)

長慶天皇
「高き屋に煙をのぞむいにしへにたちもおよばぬ身をなげきつゝ」

後花園天皇
「にぎはへる民の竈のかずかずにをさまれる世の程も見えつつ」

後小松天皇
「すみがまの煙にぎはふ里みえて民のかまどのひまぞしらるゝ」

孝明天皇
「朝な夕な民のかまどのにぎはひをなびく煙におもひこそやれ」(嘉永六年)

明治天皇
「朝けぶり立ちそふ末にしられけり民のなりはひ進みゆく世も」(明治四十二年)

いつの時代も変わらず民を思ってくださっていたのだと、感謝の気持ちが溢れてきます。

あと倉山先生の番組でも、民のかまど伝説に関連して昭和天皇のエピソードが紹介されていました。こころに染みます。
http://youtu.be/yCE232Ss-Jo?list=PLRaNqHpjzx_cLgboYmDdLVH0AE7DcT9-F

朝日新聞は読まない人

六年も免税された仁徳天皇は慈悲仁愛の偉大な天皇ですが、その天皇の御意志に従った天皇の側近、官僚も偉いと想いました。彼等も民からの税で養われているわけですから、無税の間は、私費で公務に就かれた事と想います。 さあ、もしですよ、今の日本で六年と言わず、二年でも、消費税などの国税だけでも免税にされたらどうでしょうか? 意外に出来ると想うし、景気は今以上に回復すると想いますよ。 大臣以下、官僚、公務員が日本国と国民の為に無駄遣いしないと心一つに成れば、それは可能ですよ。

-

No title
仁徳天皇御陵、我々日本人の魂の拠り所です。
世界遺産に登録、また呼び名も大仙古墳などと、もっての外です。

日本という国を理解していたなら、この様な馬鹿な事はまず持って言わないでしょう。
戦後70年余の日教組教育で育ち、何事においてもこの様な物の考え方しか出来ない、頭でっかちの学者馬鹿が、今後とも増え続けることでしょう。
教育改革が急がれます。

ミミ

仁徳天皇の御治世を教科書に復活してほしいと思いました。
日本人として誇りに思います。
梅干し一つ入れた美味しいお握りがありますが、梅干しが皇室で一粒一粒のご飯が民衆ですね。
お握りは美味しく梅干しと一粒一粒のご飯が全てくっついています。
お握りの如く君民一体の我が国を誇りに思います。
仁徳天皇は民衆の暮らしを考えられて免税され、生活の余裕の出た民衆は自ら働き豊かになり田地の為に土地の開墾を進めて大量の盛り土で天皇の御陵を作ったのですね。
民の為、国の為、君の為、天皇が民衆が一体となって歴史を紡いできた国に生まれて本当によかったです。
永遠に守り抜いていきたいです。

長谷川豊

■元フジテレビアナの長谷川豊が衝撃暴露!フジデモを賞賛!

>僕は、あのデモ行進を…反韓流騒動をネットの声が大メディアに勝利した、歴史的な事態だと捉えています。
>その最初の事例として、語り継がれるものだろうと。
http://news.livedoor.com/article/detail/9384986/

【話題】■2011年のフジテレビ抗議デモにフジテレビ社員がこっそり参加していた 社内に戻り「キチガイばっかだったよ(大笑)」★2
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1414057611/

ケイシ

いつもありがとうございます。
会社の近くの難波神社に参拝に伺い祭神の、仁徳天皇さまにご皇室の弥栄と国民の繁栄を祈念して感謝申し上げました。 近くの喫茶店に入り、ねず先生のプログを開いたら、ちょうど仁徳天皇さまのお話しだったので、少し驚きました。 世界の何処に六年も民の難儀を想い免税された君主がおられるでしょうか。 仁徳天皇さまは、まさしく君民一体の政(まつりごと)を示された聖君です。
皇祖皇宗のご先祖の御一人であり、聖君であられる仁徳天皇さまの遺体を納めている仁徳天皇陵を、歴史を知識としてしか観ていない無礼な馬鹿学者達に踏み入れさせる事は、強く反対します。

てっさん

No title
言い方は悪いのを承知して言うと現行王朝の墓あばきってどこの国が許すんだと疑問に思います

人としての神経を疑う

日本は王朝じゃないけど。

柴犬大好き

質問です。
仁徳天皇陵のお話、知りませんでした。
同時に、古墳がどういう目的で作られたのかも、知りませんでした。
多分、ねずブログを読まなかったら、テレビか新聞で報道されない限り知らずに過ごしたことでしょう。
世界遺産にならないことがなぜ良いのか、理解できなかったでしょう。

ある記事をみて湧いた疑問があります。
陵は、上空から見ると、鍵穴のような形をしています。
作られた時代、横から見て凹凸があるようにされたと文中にありましたが、ではなぜ、上から見てあのような綺麗な形になったのでしょうか?
横から見ただけであのような形を作り上げたのでしょうか?
単なる盛り土ならば、いびつな形であっても問題ないと思うのですが、見事な円形と方形になったのには、何か理由があるのですか?

通りすがりの武人

No title
やれやれ自称“文化人”という売国奴どもには困ったものですね。確か“学校法”には“学校は人材を育てるためにある組織なので金儲けに走ってはいけない云々”が唱えられ、よって国公立はもとより私学も国から助成金で援助されるというのを聞いたことがあります。売国文化人どもも国民の税金で教育され、ご立派な学者になったはず・・こんな輩を“税金泥棒!!”というのですね。

kumago

天皇制という社会制度を世界遺産に
いつも有意義な情報を提供いただき、ありがとうございます。それら一つ一つは、血肉となって、少しずつ私を替えていってくれているようです。
今回の仁徳天皇陵の世界遺産登録の動きに関する隠された意図ですが、審査があるという仕組みを利用して、天皇制の
素晴らしさ、大切さを世界にアピールしてはどうでしょう。
つまり、天皇制の世界遺産登録です。
こう考えるには理由があります。
昨今の嫌韓の流れへの変化のスピードには驚きます。
「朝鮮」という単語さえ言えない雰囲気だったのは、そんなに前の事ではなかったですよね。それが今では。
ただ、知らなかった物(我々とは相容れない価値観)に曝された時、何らかの影響を受けてしまうものです。
さんざんバカにしながら、その影響を受けて、似て来てしまう人が中にはいるでしょう。ガラの悪い警官がいるように。
腐敗臭は時に何とも芳しいのも一面の真理です。
世界の中にあって、日本という国体が存続していることが稀有です。
学習し、向上する国々が目指す姿が日本なのです。外資系に長く勤めた経験では、(利益のため、売上増のためという動機ではありますが)受ける実務を除く社員教育のほとんどは「それ、日本では既に基盤」と言えるものです。
アメリカの30代の若者は妥協を知り、価値観の違う他者と協力できる素晴らしい世代だ、とアメリカのある方が指摘しているそうです。
アメリカの向上の一方で、日本が堕ちてはいないか?
天皇制の世界遺産登録は一つの選択肢ではないでしょうか?


しょうちゃんのつぶやき

古事記に学ぶ。。。
 広島まほろば学習会という教育事業団があります。古典の素読を通じて子供たちの育成をしています。神社総代の総会でそこの先生が講演されました。1時間半の講演の中で私がもっとも感銘を受けたのは学問には本学と末学とがある。本学とは人間としてのあり方、人生論であり末学とはいわゆる読み書きそろばんで人生ですぐに役立つ学問である。
 明治維新~日清・日露戦争で近代日本の基礎を作った方々は江戸時代に松下村塾をはじめとした全国の寺子屋で教育を受けた人たちで毎日古典の素読をして人生学をしっかりと学んだ後に末学も究めた人たちです。
 しかるに明治以降は本学をおろそかにして末学ばかりに偏った学問をした人たちが昇格し且つ日本を率いたのです。(cf湯川秀樹博士は古典の素読ばかりしていた)
 大東亜戦争では当時世界最強の軍事力を持っていたにも拘らず負けてしまいました。戦争の中でもし・・・もし・・・という負けるべくして負けたなという失敗が数々でてきます。
 日清・日露戦争は世界の誰から見ても圧倒的な戦力差により日本が勝つ見込みは薄かったと言います。でも兵士たちの思いが全員統一されていて自分の役割がしっかりと認識されていました。
 一方、大東亜戦争になると知識優先で本学など学んだことのないリーダー達が多くの指揮をし且つ誤ったのです。彼らは日本のため、という明治の人たちがベースにしたことが自分たちのためという意識に先行されたのです。
 まさにこれが本末転倒です。負けるべくして負けたと言うべきです。
 私は政治の変革から日本を取り戻したいと思い多くの議員を支援しています。でもまほろば学習会の先生は自分たちの力で日本の子供たちを教育しようと立ち上がられています。
 125代の天皇も学びます。日清戦争の開始の御詔勅も、先の大戦における終戦の御詔勅も素読します。一度教室に参加しただけで日本ってこんなに素晴らしい国なんだと気付かされます。
 今、先生ご推薦の古事記を勉強し始めました。仁徳天皇こそ日本の統治の仕方を教える最高のバイブルでしょう。政治家たるもの古事記に学ぶことは多いのです。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
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