君が代のお話



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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』

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君が代1110


昨日、ねずブロについたコメントです。
左巻が黙ってしまったようです。

 朝日・日教組系の知識人さんと話すと、いつも同じで、
「君が代」の「君」は天皇崇拝だからケシカラン!と。
 こちらとしては、以前、ねずさんのブログで教えて頂いた
「き」と「み」のお話をしてみたり。しかし、いまひとつ伝わらず・・・。
 で、ある日、ふと思い立ちまして、
 与謝野晶子さんの「君死にたまふことなかれ」の「君」は、
 素直に「家族」と捉えるし、反戦歌として賛美しているのに、
 なにゆえ、君が代はの「君」だけは陛下限定か?と問いました。
 相手は黙ってしまい、答えは聞けませんでした。
 彼らはいつもそうですね。



たいせつなことは、右だ左だと対立することではなくて、右も左も日本人としてのたいせつな心を取り戻すということではないかと思っています。
日本のもつ懐の深さは、たかだか生まれて200年やそこらの欧米型個人主義などとは歴史の重さがまるで違うのです。
ですからわたしたちは、堂々とその事実と凄みを思い出すだけで良いのです。
それだけでまっとうな日本人なら、またたくまに戦後の洗脳から解き放たれ、目を覚まします。
そして日本が目を覚ますことを、まさに世界が望んでいるのです。

さて「君が代」については、以前にもねずブロで記事にしましたけれど、今回は以前とはすこし切り口を変えて、ご案内してみたいと思います。
2年前の記事をお読みの方も、今回新らしく読まれる方も、きっとご納得いただけると思います。

また文の途中に、漢字のことをすこし書いています。
それを読むと、なぜ在日の人たちが、わたしたちと異なる感覚を持っているのもがよくわかります。



左巻きの人は「君が代は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言います。じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」は、戦前からのわずか7〜80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です。
よくもまあ、軍国主義の歌だとか、デタラメなことを言えたものです。

「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
いまから1100年も昔の歌集に登場しているのです。
この年に編纂された『古今和歌集』の巻7に「賀歌」の筆頭歌として納められています。

その『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら政府の公式歌集です。
万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めています。
つまり、最大みつもれば、1250年前に、すでに詠まれたいた歌なのです。昨日今日の話ではない。

『古今和歌集』には有名なカナ序文がありますが、これは紀貫之(きのつらゆき)が書いたものです。
そして『古今和歌集』巻7「賀歌」の筆頭に、「題しらず、読人しらず」として、

 わが君は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて苔のむすまで

と歌が掲載されています。
この冒頭が「君が代は」ではなく、「わが君は」となっているところは注目です。
「君が代」の初出は、『古今和歌集』ですが、次の『古今和歌六帖』にも、歌い出しは「わが君は」となっています。
ところがその後に編纂された『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』では、歌い出しが「君が代は」となり、以降、ずっと君が代のままです。

実はこのことは、日本文化を考えるうえで、とても大切なことなのです。
というのは、時代は異なりますが、戦時歌謡(軍歌)の「同期の桜」は、知らない人がいないくらい有名な歌ですが、この歌も、作詞が誰なのかわかっていません。
昭和13年に西条八十が「少女倶楽部」に発表した詩が元にはなっているようなのですが、ところがその後、歌詞がさまざまに変化し、また3番、4番なども追加されていって、いまのカタチになっています。
つまり、多くの人が歌っているうちに、歌詞がどんどん補強され、追加され、歌いやすいカタチとなって変化していったのです。

「君が代」の場合も同じで、賀歌、つまりお祝いの席での、めでたい歌として、広く貴族から庶民の間にまで普及していた歌であったからこそ、さまざまなバリエーションが生まれ、その歌いだしも「わが君は」であったり、「君が代は」であったりしていったわけです。

このことは「君が代」が「読人しらず」の歌であることに加えて、和歌がひろく一般庶民の間にも普及していたということを示すと同時に、どれだけ千年前の日本人が一般庶民に至るまで高い教養を持っていたかの証拠でもあります。そんな国、世界中、どこを探したってないです。
和歌が庶民の間にまで普及していたということは、『万葉集』にも、また『古今和歌集』にも、一般庶民の歌とされる数多くの歌が掲載されていることからもあきらかです。

そもそも「和歌を詠む」ということは、相当の言語感覚と、文字を扱う能力がなければできることではありません。
そうではないというのなら、いまこの場で、もみじを題材に、歌を一首詠んでくれ、と言ってやったら良いです。
即興ですぐに詠める人など、おそらくごくわずかです。
ちなみに、大学で国文の和歌を教えている多くの教授さんたちは、和歌を詠むのが実に下手くそです。まるで歌になっていない。
つまり歌の心、言いたいことを隠して、上の句と下の句でその真意を相手に察してもらうという、その文化性を失い、また国文の教授でありながら、日本人としての言語感覚に乏しいからです。日本語は、China語や英語とは段違いの深みをもっている言葉なのです。

そして、もっと大事なことがあります。
それは、「君が代の歌詞が変化している」ということです。
そしてその変化をもたらしたのは、「間違いなく」日本人の一般庶民であるということです。

なぜ「間違いなく」といえるかといえば、この歌が施政者である貴族の歌とするならば、「わが君は」で良いからです。ご皇室の弥栄を願って貴族たちが国の体制を寿ぐ歌というののなら、歌い出しは「わが君は」であるべきです。
ところがそれが「君が代は」となっているということは、単に君が「わが君」をあらわすだけでなく、賀歌として、「別な意味」にも歌われていたということを示すのです。

では、その「別な意味」とはいったい何でしょうか。
その意味が実は「きみ」にあります。
それが「男と女」です。

漢字で書けば「きみ」は「君」です。
これを音読みの「クン」ではなくて、訓読みで「きみ」と読んでいることがポイントです。

もともと漢字というのは、Chinaで生まれたものを日本は輸入しているのですけれど、その漢字に、わたしたちの祖先は「訓読み」を充てていたと、私達は教えられています。
けれど、これが実はパラドックスなのです。
そうではなくて、もともと「大和言葉」があり、その「大和言葉」を書きあらわすのに、あとから私達の祖先は漢字を取り入れたのです。順番が逆なのです。訓読みのために漢字を取り入れているのです。

たとえば「民(みん)」という漢字があります。
もともとChina漢字というのは、その字源をたどれば、ろくな意味のないものがほとんどです。
この「民」なども、その筆頭です。

どういう意味かというと、「民」の文字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないかの理由が、下にある「十」の部分で、これは古代のChinaにあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
針で刺されて目を見えなくされているから□の中に目玉がないのです。

そして「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀を表します。
つまり、城塞の塀の内側で、民衆の目を針で突いてつぶして、民衆に無理やり言うことをきかせる。
目の見えない人々は上の人の言うことを聞かなければなりませんから、無理やり服従させられる。つまり隷属させられる。その隷属民のことを「民」という漢字であらわしたのです。
つまりChina漢字でいう「民」とは、隷民、つまり奴隷のことを指します。
奴隷というのは、古今東西、人であって人ではありません。豪族や権力者の私有民、つまり持ち物です。モノであり、所有物です。
そして所有者は、生殺与奪の権を持ちます。モノはいくら殺しても怪我をさせても目を潰しても罪になりません。なぜなら「人」ではないからです。

そしてこのことから派生して、「民」は、民衆から教育を奪うこと、つまり「ものごとを見えなくする」ことの意味にも使われます。
民衆を無教養なバカにしておくことで、有能な者が民から収奪する。
収奪されても収奪されたことがわからないようなアホに民衆を据え置くことが、施政者の徳(利得)だとされたという思想的背景が、この「民」という漢字のもともとの意味になっています。

その「民(みん)」から収奪する人が「君(くん)」です。
「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字ですが、「尹(イン)」というのは、は、「手」と「|」(棒)が組み合わさってできています。
ものの本には、体裁よく、また子供達への教育的配慮から、手に杖を持って口を開けている姿が「君」だから、これは「聖職者」をあらわします、などと説かれています。つまり、モーゼのような立派な姿をイメージさせようと躍起になっていますが、実は、そうではなくて、手にムチを持って「オラオラ、お前たち、働け働け」と、「民」をしばきあげている役人を示します。

奴隷たちが強制労働させられている横で、ムチをもって奴隷たちをしばきあげている人、なんとなくイメージできようかと思いますが、あれが「君」です。もともとの漢字の意味は、そういう意味です。
Chinaの漢字というのは、ほんとうに、ろくな意味がありません。

その「民」や「君」を私達の祖先は漢字文化として古代にこれを取り入れました。
その前は、神代文字と呼ばれるシュメール文字のような文字が使われていたようですが、渡来仏教の影響で、寺子屋が普及し、いつの間にか漢字が文字の主流になりました。

ただ、わたしたちの祖先の偉いのは、その漢字をただ輸入しただけではなくて、わたしたちの国が持つ文化に、漢字を染めなおしたことです。
それが「訓読み」です。

ですからたとえば「民(みん)」は、目の見えない隷民という意味ですが、わたしたちの祖先はこれに「たみ」という和語(大和言葉)を充てました。
というより「たみ」という大和言葉に、あとから「民」という漢字を充てています。
そして「たみ」というのは何を意味するかといえば、「田んぼではたらくみんな」です。だから「たみ」です。
そこに上下関係や支配と隷属の関係はありません。
みんなが共同する仲間たちです。
そして私達は、いまでも、「民」といえば「田んぼではたらく仲間たち」を語彙としてイメージしています。

ですけれど同じ漢字でも、渡来系の方は、そこに見る文字の意味は被支配層としての「隷民」です。
帰化系といわれる議員のセンセイと、国会でのやりとりをみても、どうにも会話になっていないという印象を強く受けることが多々ありますが、それもそのはずです。彼らは、もとからの日本人と言語感覚が異なるのです。

ちなみに、民主という言葉がありますが、China文化、あるいはそのChina文化だけに染まっていて訓読みをもたない朝鮮文化では、「民」の意味は上にお示しした通りで、「主」は、下の「王」の部分がろうそくの燭台です。そして上にある「丶」が、ろうそくの炎です。
燭台やロウソクは、明るいところでは役に立ちません。
部屋の奥まった暗いところにあって、じっと動かずに、人に「ああせい、こうせい」と命令する。それが「主」です。

つまりChinaやKorea文化では、「民主」とは、「自分は部屋の奥にいて何も動かず、他人に命令ばかりする人が、民衆から教育や視力を奪い、民衆にものを見えないようにしたうえで、民衆から収奪すること」、それが「民主」の意味になります。

一方、日本人は「民主」と聞けば、「田んぼではたらく仲間たち(たみ)が主(あるじ)となる社会の仕組み」、
「田んぼではたらくみんなが、その田んぼの主(あるじ)となる社会体制」をイメージします。
これは日本語に「訓読み」がある、つまり漢字を輸入する以前から、固有の日本文化が根っこにあることに由来します。

同じ「民主」という言葉を口にしていても、その語彙は、China文化圏の人たちと、古来からの日本人では、まるで受け取る感じが違います。
ですから、少年時代に、China文化で育ち、後に帰化した人や、在日となった人達からすれば、「君が代」と聞けば、「民衆をムチでしばきあげて言うことを聞かせる時代」に見えるし、そういうことと戦争を結びつければ、彼らの言語感覚としては、「君が代」の意味は、「民衆が奴隷としてムチでしばかれながら戦場に送られた時代」にしか見えないわけです。

同じ日本語を話し、同じ漢字を使っていても、元になる文化が異なれば、そこから受けるイメージも、まるで違うのです。
これでは会話になるはずがありません。
現実の問題として、
「民主主義」と聞けば「田んぼの仲間たちが主(あるじ)となって主役となる思想や体制」という語感にとらえる日本人と、
「隷民たちの目を潰し、自分はロウソクの燭台のように屋敷の中の奥まったところににて、自分ではなにもしないで、人に指図しながら、人々から収奪する主義」と捉える人々が、同じ国会の中で「民主主義」をめぐって議論しているわけです。議論が噛み合うはずがないのです。

さて、では日本人にとっての「君が代」とは、どういう意味なのでしょうか。
発音は「きみがよ」です。「君」という文字は使っていますが、読みはあくまで和語(大和言葉)の「きみ」です。

この「きみ」の「き」と「み」は、実は、男女を表します。
「き」が男、「み」が女です。
ですから、「おきな(翁)」、「おみな(嫗=女)」と言います。
その男女のいちばん最初の神様が、イザナキ、イザナミの二神です。

ちなみに、イザナキ、イザナミのお二柱の神様の前の神様には、性別がありません。
ですから、最初の男女が、このお二柱の神様となります。
そして「イザナキ」とは、「いざなう男」、「イザナミ」は「いざなう女」という意味の大和言葉です。

そしてこの二柱の神様が結ばれて、日本の国土を産み、そしてさらに風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々が産まれ、最後にお生まれになられたのが、天照大神、月読命神、須佐之男神の三貴神です。
天照大神は太陽の恵みの神様、月読命神は農業に必要な暦の神様、須佐之男神は眠りと育ちの夜の神様です。

そしてこの天照大御神様からの直系のご子孫が、代々の天皇のお血筋です。これを万世一系といいます。
万世一系の神様のお血筋にある方が、代々天皇となり、そしてその天皇から分かれて派生した血縁者が、日本人、つまり日本の民衆です。

ちなみに、現代人ひとりが誕生するためには、父と母の二人が必要ですが、その父と母が誕生するためには、さらに4人の祖父母が必要です。さらにその祖父母の誕生のためには、8人の曾祖父母が必要になります。
こうして数えますと、700年前(それは鎌倉時代頃ですけれど)には、現代人一人が生まれるために、1億2600万人のご先祖が必要になります。これはいまの日本の人口と同じです。

現代人ひとりが産まれるのに、鎌倉時代に1億2600万人が必要なのです。
ということは、現代人二人のためには、鎌倉時代に2億5200万人の人口が必要になります。
現代人100人のためには、鎌倉時代に100億の人口が必要になります。現代の世界の人口さえも超えてしまいます。
それにそもそも、鎌倉時代の人口は700万人しかいません。
これが何を意味しているかというと、日本人は、誰もが「ご先祖がかぶっている」ということです。どっかで血がつながっているのです。
しかも日本の歴史は、有史以来でも2700年、縄文時代から起算すれば2万年の歴史があります。
日本人は誰もが、ちょっとご先祖をたどれば、必ず親戚同士なのです。

そしてその血筋は、かならず歴代の天皇とつながります。
そしてその天皇は、天照大御神からの直系の血筋として、日本の最高権威にあります。
そしてその最高権威が、日本の民衆を、天皇の宝物、としてくれたのが、日本の国のカタチです。
これを昔は「国体」と言いました。

よく戦時中の書物などに、「国体を守れ」という言葉が出てきますが、その意味は、「天皇が最高権威であり、その最高権威によって民衆が宝物とされる体制を守れ」という意味なのです。
そしてそのために、多くの先輩達が、戦地で尊い命を犠牲にしてくれたし、そのおかげで、いまの私達の命があります。

わが国最高権威の天皇が、わたしたちを「おおみたから」としてくださっている。
そのおかげで、わたしたちは豪族や権力者たちの隷民にならずに済んでいます。
それがわたしたちの国のカタチです。
だからこそ、わたしたちは、わたしたち自身の自由のためにも、わたしたち自身が目を潰されてムチでしばかれる隷民とならずにいるためにも、そういう国のカタチの中心核におわす天皇の存在をありがたく思い感謝する。
天皇がわたしたちを「おおみたから」とし、わたしたちが天皇に感謝する。
それが昔の言い方をしますと「君民一体」の意味です。

そしてその「君民一体」の世を、「千代に八千代」に、つまり千年も万年も未来永劫、さざれ石の巌となって苔のむすまで、みんなで守りぬいていこうじゃないか、それが君が代の歌の意味です。

そして君(きみ)は、男と女でもあります。
その男女が結ばれて、子が産まれ、孫が産まれ、曾孫が産まれ、子孫が繁栄する。
だから「君が代」は、おめでたい賀歌なのです。

「君が代」が戦争の象徴だとか、そんな意味にしか受け取れないというのは、日本に住みながら、日本語の意味を解することができない、哀れな痴れ者でしかありません。
そういう人には、もういちど小学校から勉強をしなおしてきなさいと言いたい。
まして、そのような人に日本の国政を云々するような資格は、まったくありません。

「君が代」は、そういうおめでたい歌であるからこそ、明治時代に国歌として採用になる前までは、一般的な結婚式でのお祝いの定番曲でした。
結婚式の歌としては、「♬高砂やぁ〜、この浦、船に帆をあげてぇ〜」という「高砂」が有名ですが、昔は「君が代」もそれと同じくらい歌われたのです。

そういう歌が、千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれている。
そこに、日本の計り知れない文化の深さがあります。
そしてそういう歌を国歌としているということ自体、すごいことですし、もっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。



さて、君が代の歌詞のことを書きましたので、せっかくですから曲(旋律)のことも書いておこうと思います。
いま歌われている君が代の旋律ができたのは、明治の初めの頃のことです。
その頃横浜の英国大使館に、ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton)という、音楽隊長がいました。

フェントンは、薩摩藩の依頼を受けて、薩摩の青年たちに吹奏楽を教えていました。
薩摩軍楽隊です。
実はこの吹奏楽団が、日本初の西洋式吹奏楽団です。

なにせ楽器といえば、お琴や三味線、和太鼓、和笛くらいしかなかった時代のことです。
言葉も通じない、五線譜も初めて目にするという日本人に、西洋式楽器の指導をされたフェントンは、さぞかしたいへんなご苦労だったことと思います。

ちなみにフェントンが教えた「薩摩軍楽隊」は、明治元年(1871年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展し、これがいまに続く海上自衛隊吹奏楽団に至っています。


そのフェントンが大山巌に、「明治新政府になにか儀礼音楽が必要です」と進言したのが、明治2年(1872年)10月のことです。
「なるほど」とうなづいた大山巌は、数人と相談して、平素、彼自身が愛唱している「薩摩琵琶歌の蓬莱山」に引用されている「君が代」を歌詞として選び、作曲をフェントンに頼みました。

薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」は、薩摩藩でおめでたい席で歌われた定番曲で、歌詞は次のようになっています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めでたやな 
君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に
不老門を立出で 四方の景色を詠むれば
峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ
君が代は千代に八千代に
さざれ石の、巌となりて苔のむすまで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まさに「おめでたい」歌です。

ちなみに「蓬莱山」というのは、道教の神仙思想にあるChinaの山東半島のはるか東方の海にあるとされている、不老不死の仙人が住む架空の島です。(一説によると日本)
かぐや姫の物語(竹取物語)にも「蓬莱山」は、「東の海に蓬莱という山あり」とされ、そこは不老不死で金銀財宝ざっくざくのたいへんおめでたい島として登場しています。

つまり「鳳来山」の歌は、そんなおめでたい島に住んでいるかのように、美しい景色とおいしい食べ物恵まれ、病気になることもなく、人々が不老不死で、互いの幸せが永久に続きますように、という願いを込めた、たいへんにおめでたい歌というわけです。

そしてこの「おめでたい歌」に引用されているのが、まさに平安時代に誕生した「君が代」であるわけです。

フェントンは早速、この歌に旋律をつけたのですが、出来上がりはイマイチ評判が悪い。
コラール風で、アイルランド民謡ぽかったのだそうです。

で、明治9(1876)年に、海軍楽長だった中村祐庸(すけつね)が「君が代」楽譜を改訂したいという上申書を海軍軍務局長宛に提出しました。

ジョン W.フェントンと中村祐庸
ジョン W.フェントンと中村裕庸


中村祐庸は、その上申書にこう書いたそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(西洋諸国において)聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに(国歌の)楽譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するに、西洋では大典などの際に、国歌を演奏しているから、日本も国歌を持つべきである、というわけです。

ところがこの上申は、普通に考えるととんでもないことです。
なぜなら、中村祐庸はフェントンの弟子です。
その弟子が、師匠であるフェントンが作曲した君が代はイマイチだから改善したい、と上申したということだからです。

ところが、そこが師匠のフェントンです。
フェントンは、むしろ自分が作曲した君が代よりも、日本が日本文化に適した国歌を、自分たちの手で作曲するということに、逆に深い意義を感じてくれた。
そして、むしろ中村の上申をフォローさえもしてくれたといわれています。
なぜならフェントンは、日本人と親しく接し、日本文化に深く触れるにつれ、日本が好きで好きでどうしようもなく日本を愛するようになっていたのです。

こうして明治政府は、明治13(1880)年、宮内省雅樂課に、君が代の新たな作曲を命じました。
宮内庁雅楽課の奥好義は、フェントンの作曲した作品にさらに改良を加えていきました。

その旋律を、当時最高の雅楽演奏家とされていた一等伶人の林広守が、さらに荘厳しました。

するとこんどは、音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが、「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました。

つまり「君が代」の旋律は、日、英、独の、いわば合作によって生まれた旋律なのです。


その「君が代」について、次のようなエピソードがあります。
日本の代表的作曲家山田耕作氏が、若い頃ドイツに留学していたときのことです。

ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
結果、第一位に選ばれたのが日本の「君が代」だったのです。

理由は、まず曲の素晴らしさがあったことでしょう。
そして君が代の歌詞に込められた古代の日本人の心を知ったとき、まさに「君が代」は賞賛の嵐となったのです。


「君が代」は、平成11(1999)年に、国歌として法制度化されました。
実は、それまで「君が代」は、明治大正昭和にかけても、国歌とする法はなかったのです。

それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。
法があろうがなかろうが、関係ないのです。
幾百年にわたって、多くの人々によって、祝い歌として歌い継がれてきた謡曲が、稀世のメロディを得て、素晴らしい曲となったからです。
法なんてなくても、意味を知れば誰しも自然とこの歌が国歌と思う。それだけのことです。
そして、法があるかないかの問題ではなく、「自然にみんながそう思う」ということが、世の中においてとっても大切なことなのではないかと思います。

♪ 君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  巌(いわお)となりて
  苔(こけ)のむすまで

私は、胸を張って「君が代」こそが我が国歌であると申し上げたいと思います。
そして、それがわからないような無教養な人を、野蛮人として軽蔑します。


※この記事は2012年8月の当ブログの記事をリニューアルしたものです。

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素晴らしい歌声です。


フェントンが作曲した初代の君が代




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コメント

匿名希望

深い考察に感銘を受けました
いつもためになる記事の配信、ありがとうございます。
コメントは久しぶりですが、日頃からブログ更新を有り難く拝読致しております。

君が代の考察、深い感銘を受けました。
見方が分かれば、気付きが生まれますね。
気づける素養を鍛えてくれた、日本の環境に感謝です。

今回の記事で、日本語とは実に面白いと思いました。

面白い話があるので引用いたします。
http://s.ameblo.jp/haramio/entry-10489195643.html(引用元)

*******************************
イザナミ眠る巨岩と太陽信仰の聖地

花の窟(はなのいわや神社(三重県熊野市有馬)


花の窟神社は、世界遺産にも指定され、日本書紀に由緒が記されている日本最古の神社のひとつです。
神社といっても社殿はなく、巨磐がご神体です。

ご祭神は、伊弉冉尊(イザナミ尊)と軻偶遇突智尊(カグツチ尊)。

友人から教えてもらったんだけど、
古代ポリネシア語で

i sana gi= the first saint man
i sana mi= the first saint woman

i means the first. sana means saint. gi means man. mi means woman

という意味だそうです。

*****************************


…引用は以上です。

このブログの方は日本語、日本人のルーツが古代ポリネシアではないかと考察されておられますが、私個人的な印象では逆ではないかと思っています。

阿蘇、高千穂近くの、幣立神宮で行われる五色人祭など見ますと、そんな気がするのです。

何か根拠がある話のレベルではないですが。

特亜3国は本当に嫌気がさしますが、閑話休題、こんな話も興味はつきません。

terag3

君が代の「君」は、きみのひらがなにすれば如何?
君が代の「君」の解釈についてですが、1100年以上も前の時代に、題しらず、読み人しらずで、歌い出しは「わが君は」だったものが、その後に編纂された新撰和歌集等で「君が代」になったと言う、ねずさんのご解説で、そうだったのかと納得できました。

当初は、皇室の弥栄を願って貴族たちが國の体制を寿ぐ歌で有ったものがその後・・・と言っても今から1100年も前から、別の意味での「君」になったと言うことですが「君」という漢字が、サヨク脳の人たちには、それは天皇のことだと誤解を招いているようです。

路傍の石さんが>国民の誰しもがああなるほどと納得でき、どう解釈しても曲解しようのない平易な言葉に変えるというのも決して意義のないことではないでしょう・・・・と仰っていますが、私も賛成です。

ただし「君」という漢字を「きみ」というひらがなにすれば、ねずさんが仰っている>読みはあくまで和語(大和言葉)の「きみ」・・・・なので日本人として全く違和感は感じないのではないでしょうか、皆さまにも御一考願いたいと思っていますが如何でしょうか?

路傍の石

我らが世
「君が代」は永らく「我らが世」と言い換えるべきだと思ってました。難しいことはよく分かりませんが、如何に「きみ」が男と女の意であるとしても、戦前の解釈はまさに天皇を意味する「君」そのものと捉えられており、それが戦後は「国民」が主権を持つ時代に大転換したのですから、国歌もそのように変えればいいと思ったのです。
とは言うものの元歌の悠久の歴史や歌詞の意味するところを考えると、やはりそう簡単には変えられないなと少々複雑な気分でもあります。
さらにここでねずさんの御説を拝読してなるほどと納得してみれば、ますます難しいと自分に言い聞かせざるを得ません。
しかし国民の誰しもがああなるほどと納得でき、どう解釈しても曲解しようのない平易な言葉に変えるというのも決して意義のないことではないでしょう。
お説にもありました。庶民の感覚によって「わが君」が後に「君が代」に変化したというなら、日本の歴史的な大転換を迎えた今の世ですから、「我らが世」としてもいいような気もします。この方が歌いやすくなりますし。
それが難しければせめて「君」の漢字はやめて単に仮名で「きみ」とし、その意味は大和言葉であって、つまりは「我ら」のことだよと広く国民に普及するよう図りたいものです。
ともあれ日本の国歌も日の丸も共に素晴らしいものです。日本人に生まれてよかったなとつくづく思わされます。

NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥

目出度い歌を歌って何が悪い
世界中には、血生臭い歌詞の国歌がウジャウジャあるというのに、「平和」の永遠ならんことを祈念する「君が代」に反対する連中は、それこそ「おめでたい」と言うべきでしょうか?そういえば、「ヨイトマケの歌」に目くじら立てて「放禁」にしたのも、左に歪み、赤く染まった「知識人」「文化人」でしたっけ。

terag3

君が代の「君」は、天皇だけではありません
私は、何十年も前から君が代、日の丸反対と叫ぶ非日本人の出現に、何と言う無知な輩だと悲憤慷慨していました。ねずさんが仰るように、君と言う意味は勿論、その頂点にいらっしゃるのは天皇ですが、我々日本人はそのルーツをたどれば、ほとんどすべての人々が天皇の血筋に繋がっていると言われています。

従い、君が代の君は、自分以外のすべての男女であり、自分を産んでくれた両親、そしてその両親を育ててくれた祖父母、ご先祖様であり、自分の兄弟、姉妹、そして妻子は勿論、友人を含めて、すべての人のことを指している言葉なのだと解釈しています。

このような素晴らしい国歌は世界中どこを探しても有りません。だからこそ「君が代」は世界に誇れる国歌なのです。このような意味を理解できない人は日本人では無いということになります。日本人ならば、自虐史観に溺れずに日本のことをもっとよく勉強して下さいと言いたいです。

日本みつばち

No title
ねずさん 更新ありがとう御座います。
今回は冒頭に、私如きの拙きコメントが載っていてビックリ。
これからは「この記事にまとまっていますよ。どう感じます?」
と、問うてゆこうと思います。
一緒に感動できる人がますます増える事を期待しております。

Koneko

勉強になります!
ありがとうございます。

高校生の頃英語の先生から世界の国歌の中でも日本とイスラエルのものは独自のものだ。
誇りを持ちなさいと教えていただきました。
ずっとこの言葉が心に残っていたのですが、知れば知るほど奥深いです。
大和ことばは本当に美しいですね。
「き」と「み」の音を聞いたときに「男」「女」と自然に入ってくる感性を持っていた昔の日本人はどんな気持ちでこの和歌を歌いついできたのでしょうか。



にじまま

君が代
君が代の君は天皇陛下との書き込みがありましたが、
君は、天皇であり男女であり民であり繋がってますので同じですね。
個人主義感覚で君が『天皇だ』と思うのと、
『天皇の子孫=民(又は天皇の御心を継ぐ人)
だ』と思うとでは大分違いますね。
戦後は歪んだ知識がまかり通っていますので、誤解無いように
丁寧に発言しなければいけないと思いました。
天皇陛下=良くないとイメージする日本人も居ますからね。

心揺さぶる情報発信いつもありがとうございますm(_ _)m




ポッポ

No title
「君が代」は、日本にとって最適な国歌だと思います。
歌詞は、自国の弥栄を祝うめでたいもので、敵を殺しただの、己の蛮勇をわめくものでもない、極めて品のあるものです。
また曲は、日本、英国、ドイツの共同作業のように表現されていますが、曲調としてどこの国にもない、厳かかつ荘厳な感じに受け取れると思います。
大好きです。



大阪府の学校教員に、在日が多いことを知りました。
大阪府の全国統一学力テストの結果は、橋本市長の督励に関わらず低空飛行です。
考えてみれば、朝鮮学校で日本歴史を習わず、反日教育を受けている教員が日本歴史を教育したり、国語を教育していたら、日教組による歴史教育よりまともになるはずがないと思います。

大阪府と大阪市のトップはいずれも維新の党の主要なメンバーですが、物事出来ない体制でやろうとしても出来ません。出来る条件を作ってから、出来ることをするものです

junn

No title
ミューズVSキレイキレイ、サランラップVSクレラップ…危ないのはどっちだ?
http://lite-ra.com/2014/10/post-583.html

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No title
さざれ石 
 明治神宮 府中大國魂神社にあります。
その、さざれ石を見ると納得できます。
その塊の中のヒトツ、ヒトツが実に個性的です。
  私たち、君たちです。
是非、御覧いただきたく思います。
 
    

にこちゃん

No title
お話も良かったですが、高校生の君が代素晴らしかったです!
素敵な動画ありがとうございます。

とおりがけ

No title
人種差別・女性差別白人達の正体 ジュリアン・ブランク
http://politics.wealthyblogs.com/?p=4932

とおりがけ

No title
ナンパ師入国拒否求め3万署名、日本人&女性差別のセミナーで来日予定。
http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/32232386.html

にっぽんじん

慰安婦問題の難問
慰安婦問題に関するアメリカの認識が少しづつ変わりつつあるということを聞いています。しかし、最大の問題は「日本軍による性奴隷」歴史がアメリカの教科書で教えられていることです。

これが続けばアメリカ人全員が洗脳され、「慰安婦問題」の解決は永久に不可能になります。アメリカの教育に日本が口を挟むことは難しいかもしれないが、かってアメリカで教えられていた「竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記」が韓国人の抗議で教えられなくなった事実があります。

日本政府は本気になって取り組まなければ取り返しがつかなくなります。

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No title
君が代の「君」は天皇です
であるからこそ日本国の国歌たり得るのです

先の大戦の自虐歴史、天皇のために命をなげうったと教えられ、A新聞で裏付けるように読ませられ、子供の入学式で国家を歌うのを拒否した身とすれば、こうやって目が覚めれば、先人たちがいかに国家を守り抜いてくれたか、万世一系の賜物と知れば涙流れ有り難く思うところを、なぜに引き込もっておられるのかと思う。
その素晴らしさを知ることなければ負担のみと同情もできましょうが、今、多くの国民でさえ目覚めているのに気付くことなく、尊敬せれることもないお振る舞いならば、新潮で報じられたようにその出自の不透明さからかとこちらは納得するしかないのではあるまいか。
まだ、遅くはない。お目覚めあれと願うばかり。喜んで民の前におでましあれと。折角のお立場、もったいなく思えてなりません。
でなければ、女児のみは神の思し召しかと、これも神話となることかと。
開国、デモクラシー、大戦、震災と歴代が支え、次に来るのは、邪悪な隣国から国体を守り、世界を覚醒させることかと。流れ的に甥っ子ちゃまの御代に大成するのかと。

思い込みとか、まとまらないのですが、最近こんな思いがしてなりません。

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No title
歌詞もさりながら、メロディーも レで始まりレで終わる楽曲も極めてまれですね。
あのカラヤンがN響の演奏する「君が代」を絶賛したというエピソードもあります。

先代の韓国大統領が天皇侮辱発言をしたとき、純日本人全員が怒り狂った訳は絶対に一生かかっても理解不能でしょう。

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No title
UPされている動画の国家斉唱ですが、何時見ても心に染み入ります。

>するとこんどは、音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが、「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました<。
つまり「君が代」の旋律は、日、英、独の、いわば合作によって生まれた旋律なのです。
その「君が代」について、次のようなエピソードがあります。
日本の代表的作曲家山田耕作氏が、若い頃ドイツに留学していたときのことです。
ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
結果、第一位に選ばれたのが日本の「君が代」だったのです。
理由は、まず曲の素晴らしさがあったことでしょう。
そして君が代の歌詞に込められた古代の日本人の心を知ったとき、まさに「君が代」は賞賛の嵐となったのです<

何時の世にも国は違えど、理解者はいますね。
要は、その人達は「心」で物事を見れる人達なのです。

>「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました<

思ったのですが、同じ日本人でありながらウシハク的思想に染まり、日本を歪める輩に、私達の頑張り次第で和音の素晴らしさが届く、その様な日が必ず来ると信じています。
悲しいかな今は、その和音が聞こえてないのでしょう。

ウシハク思想を根本的に持ったお国の方々にはいくら言っても噛み合わないでしょう。

普段、何気に使っている言葉、また書いている言葉の中に深い意味を持つ事を改めて感じます。
とてつもない日本文化の奥深さを感じさせられます。
今日もありがとうございました。

ボンクラ無双

俺は君のために
人称代名詞の「君」「僕」は、松下村塾で使われた、あるいは高杉晋作が奇兵隊で使われて広まったと言いますね。「僕」は元は「しもべ」ですから、随分と大きく謙った一人称です。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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