なりあき少年物語

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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』
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なりあき少年物語 2012-11-22


是非ご一読いただきたく、全文を公開します。
おそらく多くの方が、昔を思い出して、とってもなつかしい感じを抱かれると思います。

宮崎の「中山成彬女性の会広報部」さんが編集されたものです。とても感動的です。

======
「・・・・・」
産声を上げずに産まれてきた赤ちゃんがいました。
お産婆さんが逆さにつるし、背中を叩いて始めてオギャーと泣き声をあげたのです。
前日まで田植えをしていた今年八十九歳になるお母さんは、雨続きでオムツが乾かなくて困ったと語っています。
昭和十八年六月七日、中山家の長男は「なりあき」と名付けられました。

生家は田畑合わせて一町三反歩の農家で、米、麦、さつまいも、菜種、養蚕等を経営し、両親は朝早くから夕方まで働き詰めでした。
当時の農家は、現金収入も少なく、機械化もされていませんでした。
子供たちは貴重な労働力として、田植えや田車押し、畑の草取りなど農業の手伝いをしていました。

学校に行く前に田んぼの水の見回りをしながら牛馬の餌にする草を切って、自転車いっぱい積んで帰るのです。
デコボコの、急な坂道を必死にペダルを踏みました。
「この坂道を踏みあがれないようなら、自分の将来も大したことはないぞ」と、子供心を奮い立たせる「なりあき少年」でした。


学校から帰ると、カバンを置くなり、母が残したメモを見て、田んぼや畑に走って行きます。
夕方は牛、馬、羊、山羊、鶏の世話です。
ワラ切り、家畜小屋の掃除、乳搾り、お風呂沸かし、庭掃除など大忙しです。

母が遅くなるときはカマドでご飯を炊き味噌汁を作りました。
友達とソフトボールやチャンバラゴッコをして夢中で遊んでいても、夕方四時までには帰らないと、その日の作業が間に合いません。
一人だけ遊びの輪から抜けて帰ることは子供心にとても辛いものがありました。

しかし、小学校一年の時、初めて植えたサツマイモが一俵500円の高値で売れたり、中学生の時、朝晩運動させて育てた子牛が市郡の優等になり30万円の高値で売れて喜ぶ父の顔を見て、嬉しくなる子供でした。

「中山さんはは、私たちがいじめられているといつも助けてくれた。」
同級の女性の話です。
「弱い者いじめをするな、喧嘩は強い者としろ。」
それが父親の口癖だったそうです。


中学校に入ってすぐ大好きな野球部に入ろうと思いました。
しかし家畜の世話を誰がするのか、グローブを買うお金などないと母から言われ、あきらめて野球部の練習を遠くから眺めていたそうです。

しかし、二年生の秋も深まった頃、野球部監督の竹下先生から、ユニフォーム、グローブ、スパイクを貸すから野球部に入らないか」と誘われ、家の手伝いはちゃんとするからと両親に必死に頼み込んで、入部することができました。

入部の日に主将で四番に指名され、監督の期待に応えようと部員をまとめて冬の間猛練習し、翌シーズン一試合しか負けなかった程の強いチームになりました。

今、幼児教育の重要性を説く中山成彬ですが、本人は小学校入学時に、自分の名前をひらがなで書けず、中学の最初の英語の時間には、ABCまでしか言えずに廊下に立たされたような教育環境でした。

親から勉強しろと言われたことは一度もありませんでしたが、文学全集や伝記、歴史書を図書館から借りてきて、夜遅くまで読みふけっていました。
読書の大切さを教えてくれたのは、小学校の担任だった山口敏明先生でした。


中学三年の冬、田中校長先生から、この子を鹿児島のラサール高から東大に行かせて、同郷の森永貞一郎氏のように大蔵省を目指せと強く勧められた父は、息子をラサール高校に進学させました。

子だくさんの苦しい家計の中から、当時、毎月7~8千円の仕送りをすることは、大変な決心だったに違いありません。

そのお父親が高校二年の夏、破傷風に似たワイルス氏病という風土病にかかり、一週間で急死します(43歳)。
「期末テストのはずだから知らせるな」という父の指示で、死に目に遭えませんでした。


母親は38歳、四人の弟妹たちの一番下は7歳とまだ幼く、長男として帰って農業を継ぐことを決心するのですが、担任の早坂先生から、授業料、寮費を免除し、奨学金も支給するという申し出を受けます。
親父があんなに将来を楽しみにしていたのだから、家のことはみんなで加勢するからという親戚中励ましもあり、学業を続けることになりました。

たくさんの恩師や故郷や社会の温かい思いやりに育てられた「なりあき少年」は、教育の大切さや教育者の影響の大きさを身をもって体験したのです。

しかし、急に夫に死なれ、幼い五人の子供を残された母親です。
それまで夫の後をついて行けばよかっただけに、その苦労は察しても、余りあるものがあります。

「寝たきりでもいい、生きていて欲しかった」という母の嘆きを聞く「なりあき少年」でした。
当時は、まだ福祉という言葉も保険もなく、リヤカーを引いて肥料や穀物を運ぶ、汗にまみれた母親や、初めて馬を使って農耕する小さかった二つ下の弟の姿を思い浮かべながら、ひとり家を離れて学業に勤しむ長男の心はいかばかりだったでしょうか。
「なりあき少年」は政治家としての原点を心に刻み込んだに違いありません。


浪人する余裕はありませんでしたが、幸い、東京大学法学部に一発勝負で合格することができ、奨学金とアルバイトの大学生活が始まりました。
入学試験もまた友人たちの語り草になっています。

試験前に40度近い高熱を出し、試験を受けて宿舎に帰って氷で頭を冷やし、次の日も布団の中から試験を受けに行き、帰ってまた布団に入るという三日間で、最後の日は、数学の答案用紙が鼻血で染まったという壮絶な入学試験でした。
中山成彬氏の強い信念と体力、不動の精神力は、この時代から備わっていたに違いありません。


小さいころから西郷隆盛を崇拝していた祖父の膝に抱かれながら、
「自分のためだけに生きる人生はつまらん。西郷さんのように人のため、世のためには命を投げ出せる人間になれ」と子守唄のように聞かされながら育った「なりあき少年」は、意味はよくわからないまま、祖父の言葉は幼い心の奥深く染みとおって行きました。

また、厳しい家計の中から校長先生の強い勧めに応じて、ラサールに行くことを許してくれた父が、入学式の前夜「お前は世の中に捧げた子だ、これからは家のことは心配しなくてもよい。その代わり世のため、人のために役に立つ人間になれ」と諭した父の遺言ともいえる言葉は、その後の「なりあき少年」の人生に大きな影響を与えました。


二度の落選を含め、さまざまな辛苦を味わい、時には誹謗中傷を受けながらも、なぜ宮崎からの政治家にこだわるのか。
四〇歳になったら政治家にという目標をもって大蔵省に勤務すること十六年、媒酌人でもあった福田赳夫総理から話のあった恭子夫人の地元、群馬一区からの後継者指名を断り、裸一貫、故郷に帰ってきた成彬でした。

そこにはふるさとの自然や、たくさんの人の愛情に育てられ生きてきた「なりあき少年」が、自分の生涯をかけてその恩返しをしたいという思いと、亡くなった父親との大切な約束を果たすこと、そして帰郷以来今日まで、政治家として温かく支援してくれた宮崎の人達への感謝の気持ちがあるのでしょう。

政治は人なり!
「世のため、人のため」という言葉は今は流行らなくなりましたが、弱い立場の人に身を寄せながら大局から政治を語る、そんな政治家が必要です。

世界情勢は激しく揺れ動いています。
世界の中の日本という広い視野と、経済・財政をはじめ、幅広い分野で実績と経験を積んだ政治家が、今、日本に必要とされています。

政治は
国を衛ること
国民を守ること
ふるさとを護ること
~~~~~~~~

この物語の原本は、インターネットでもご覧いただくことができます。
(原本は、写真も豊富です。お若い頃の恭子先生とのツーショット写真などもあります)
  ↓
http://nakayamanariaki.com/uploads/shounen.pdf

戦争で焼け野原になったところから、みんな苦労してここまでやってきたのです。
ウチも母方の実家は農家で、もとは庄屋さんでした。
戦後の農地改革で小作人さんたちに土地を譲ることになったのですが、耕地がそれだけ分散しますから、同じ面積の耕地であっても生産力が分散するため、みんなが貧しい。(このために多くの元小作人さんたちが土地を売り、それがいま住宅街になっていたりします。)
母方の実家では、それをなんとかしようと、養蚕をやったり畜産をやったり、新しい品種の野菜を育てたり、ありとあらゆる工夫を凝らして農地を守りました。(おかげでそのあたりはいまでも農業地帯です)

親たちがそういう苦労をしながら、国を建てなおすために、未来のために、祖国のために、そして家族のためにと、子供達に高いレベルの教育をほどこそうと、貧しい中から大学に行く学費を出してくれました。
中山先生は、親のそうした苦労をわかって、誠実な学生生活を送り、お国のためにと、大蔵省に入省され、今日にいたっておいでになります。
そしていまでも、みんなの暮らしを守ることが国を国民をふるさとを守ることだと強くおっしゃいます。

けれど、一般の世相はどうだったでしょう。
親が、苦労しながら稼いできてくれたお金で、親の脛かじりで大学生活をさせてもらっていながら、左翼運動に見を投じ、学業をほったらかしてフォークソングや反戦運動にうつつを抜かし、サラリーマンとなってからも、最大の関心事は「自分の」出世だけ。時代の流行のままに、そんな青年時代、壮年時代をすごしてしまったのではないでしょうか。そんな人生の精算のためにも、子供達のためにも、孫達のためにも、わたしたちは目を覚まさなければならないときにきているのではないでしょうか。





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コメント

圭ちゃん

拝読させて頂きました
「なりあき少年」は、現代版"二宮欽治郎"の様に感じました。
 勉強する時間、経済的ゆとり、がない中 中山成彬さんは、頑張ってこられたのですね
(今でも次世代の党でご活躍ですね)
 振り替えって自分を思い返してみますと、私と私の家族の事で精一杯で、近所付き合いも出来ていませんでした。
ねずさん ありがとうございます。

島守

皇室に次ぐ存在
中山成彬先生恭子先生と接すると
我らを大事にしてくださっていると感じます
そして、何かしら国の為になりたいという思いになります
私は、かねてより中山ご夫妻を皇室に次ぐ存在と思い、尊敬しております
昨年3月8日の慰安婦をはじめとする歴史問題の国会質問は、車中で始終感涙のもとに聞かせて頂きました
我が国の再生には、中山ご夫妻が国会に居て頂かねばなりません
特に、九州沖縄の皆さん
比例区は 「次世代の党」へお願い致します

愛知の憂国

戦後の政治が…
中山成彬議員は、父母の正しい認識に加えて、周りの正しい判断によって、誰もが尊敬される人生を歩んだのですね。
戦後、誰もがご苦労なさったのに、日本を良くしようと皆頑張ったはずなのに、一部の政治の誤った判断によって、正しい教育が復活せず、国内に向けるべき富を私利私欲の為に隣国に向けた結果が、成彬議員のような苦労話と現在の混沌とした世の中を生んだ…私にはそのように思えます。
成彬議員は、教育勅語を復活させて人としての正しい姿を取り戻そうとされていると覚えていますが、それが全て良いのか私には疑問です。
12の徳目には、朋友相信じ(友達と仲良く)、博愛衆に及ぼし(広く愛を持って助け合い)、などがありますが、それらが反日思想人に都合良く解釈され利用されないと、誰が断言できるでしょう。
それとも正しい歴史認識を身に付けていれば、起こり得ないのでしょうか。
成彬議員は図書館の本で勉強したとありますが、現在の図書館の本には、正しい日本人観や歴史観を身に付けられる本が置いてあるのでしょうか。
絵本にすら、コリアンの強制連行という嘘があるのですよ。

junn

No title
【STAP細胞報道】中韓多数の多国籍企業と反日マスゴミでは、まともに研究発表も出来ない!⇒日本を貶めるだけ!「一連のSTAP細胞報道と(中韓が多数を占める)多国籍企業の危険性、TPPと移民の危険性」
http://seiseikatsu.jugem.jp/?eid=2286

にこちゃん

奥さんも素敵な人ですよね。
福田の地盤を継いだなら、落選とかなかったんだろうけど自分の考えを曲げない中山さん立派だな。
今回の選挙はなんとしても当選して欲しいです。

ようやくママ

No title
いつも貴重なお話をありがとうございます!

今朝まで宮崎から義母が、つわり中の私の為に応援に来て下さっていました。

家事や上の子どもの世話までしてくださって、本当に有り難い思いをしました。
その母と選挙の話になり、中山先生のお話を振ってみたところ、知っていたようです。
ただ、次世代の党のことは知らなかったみたいで、ねずさんのブログに書いてくださっていることを私なりに軽く、押し付けにならないようにお話しさせて頂きました。
うまく伝わっていることを願うばかりです。
そして、一日も早く、大阪府はもとより、全国から在日の教師が廃止され、教科書や憲法が一新されることを願っています。

とおりがけ

No title
書店で嫌韓本を「ヘイト本」として撤去する運動が広がっています。
怖いです。
まるでナチスの焚書のよう。
こうやって自由が弾圧されていきます。
支配は善良な顔をしてやってくるのです。
社会の危機です!

邪悪な韓国

★対馬でスパイ活動する朝鮮系帰化日本人と在日韓国人夫婦
★対馬でスパイ活動する朝鮮系帰化日本人と在日韓国人夫婦

【政治】日本帰化の韓国人男性、対馬海自施設で不可解行動 ホワイトボードの日程や人員配置などメモ、潜水艦の動向をチェック★3
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1244513348/

この男性は年齢60歳前後で、両親が韓国人。本人は対馬市で日本に帰化したとされ
る。妻は、在日本大韓民国民団対馬島地方本部の事務局長。

>妻は、在日本大韓民国民団対馬島地方本部の事務局長。
>妻は、在日本大韓民国民団対馬島地方本部の事務局長。
>妻は、在日本大韓民国民団対馬島地方本部の事務局長。

やまとどくだみ

No title
 俗に‘宮崎の男は芋がら木刀’と言われることもありますが、中山なりあき議員はこれに当たらない気骨をお持ちの御仁だと思います。
次世代の党の、今後のご活躍と躍進を期待します。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
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『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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