■オーディオブック■『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』
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はじめにひとつの物語をご紹介します。
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【勇敢で、高潔で、誰からも好かれた日本人】大東亜戦争の頃、Mさんというインド人の若者がいました。
Mさんはインド国民軍に参加し、日本軍の新藤(仮名)という軍人の下で訓練を受けたそうです。
新藤さんは、日本人にしては色が黒く目鼻立ちが濃かったせいで、日本兵の間で「インド人に似ているから、お前のあだ名はインドさんだ!」とおもしろがって呼ばれていました。
またMさんたちも、あだ名と、名前の発音がインドの古称である「シンド」と似ているため、「シンドさん、シンドさん」と親しみを込めて呼ばれていました。
新藤さんの訓練は、とっても厳しいものでした。
Mさんたちインドの兵士を怒鳴りつけたり鉄拳制裁を加えたりするのも日常茶飯事でした。
でも訓練が終わると新藤さんは、日本の歌やインドの歌を一緒に歌ったり、言葉を教えあったり、時には特別配給されたお菓子を分けてくれたりと、日本人、インド人を問わず、兵士たちの誰からも尊敬され、愛される上官でした。
いよいよ訓練が終わり、インパールの戦いに赴くことになりました。
その時Mさんたちは新藤さんの部下として、作戦に参加することになりました。
激戦の中、新藤さんの部隊は、強力な英国軍の陣地を攻めるため、本隊から大きく迂回してジャングルの中を進んで英国軍の背後を突くように、という命令を与えられました。
しかし、攻撃前に発見され、ほぼ全滅するほどの被害を受けてしまいました。
気づけば、Mさんの周囲で生き残ったのは、同世代の若いインド兵がわずか5名だけでした。
みんな恐怖で逃げ散って、かろうじて生き残った者ばかりです。
英国軍に見つかれば殺されると怯えるMさんたちの元に、片腕を失った新藤さんが合流しました。
そして「作戦は失敗した、本隊と合流しよう」と告げました。
ですが、武器も食糧も水もろくにありません。
合流しようとする本隊さえ、どこにいるかわかりません。
あたりには、敵兵がうようよいます。
なので、移動は夜中しかできません。
そんな中でも、重傷の新藤さんは、怯えるMさんたちを 励ましてくれました。
そしてみんな、杖代わりの小銃にすがって山中をさまよいました。
数日後、食糧も水も尽き、新藤さんの病状も悪化し、いよいよもうダメだとMさんたちが覚悟した時、最悪なことに10人ほどの英国軍の小部隊が近づいてきました。
新藤さんは、Mさんたちに告げました。
「私は、この怪我ではまもなく死ぬ。だが諸君はなんとしても生き延びて、インドの独立のために戦いなさい」
新藤さんは、うなずくMさんたちを地面に伏せさせ、その上に土や落ち葉をかぶせました。
そして「ガンバレ!」と叫ぶと、弾の尽きた小銃だけを手に、英国軍に向かって駆け出しました。
何歩も行かないうちに、英国軍の機関銃に頭を撃たれました。
鉄兜をはね飛ばされ、その場に倒れました。
それでも、新藤さんは跳ね起きると、小銃を構えて英国兵に襲いかかり、銃剣で3人を刺し殺しました。
そしてなおも片手で血まみれの銃を振り回す新藤さんに恐れをなした英国兵は、武器や荷物を放り出し、悲鳴を上げて逃げ去っていきました。
英国兵が逃げ去って始めて、新藤さんはその場にばったりと倒れました。
敵兵が去った後、新藤さんに駆け寄ったMさんたちが見たのは、最初の機関銃の弾で頭を撃ち抜かれたために、頭が半分無くなってしまった新藤さんの変わり果てた姿でした。
Mさんたちは、新藤さんの遺体を囲んで泣きました。
日本人がこんなに勇敢に戦ったのに、私たちは怯えて見ているだけだった。情けない。
これからは勇敢に戦い、新藤さんが願ったように、生き延びて、インドのために命がけで働こう、と誓いあいました。
そして新藤さんの遺品である銃やお守りを手に、英国軍の残していった武器や食料をみんなで分け合い、その場を離れました。
新藤さんの死から、10日以上も山中をさまよいました。
一行は小さな集落にたどり着き、その住民に助けてもらって、ようやく日本軍(当初属していた本隊ではない部隊)と合流できました。
形見のお守りは合流した日本軍の士官に渡したそうですから、おそらく遺族の元に戻ったことでしょう。
そうそう、士官が確認のために開けた時、中には小さな木の板と、折りたたんだ写真。。。新藤氏が奥さんの隣で、小さな女の子を抱いて微笑んでいる写真。。。が入っていたそうです。
小さなお子さんのためにも、なんとしても日本に帰りたかっただろうに、命がけで自分たちを守ってくれた新藤さんの勇気に、Mさんたちは再び声を上げて泣いたそうです。
そして、終戦。
最後までMさんたちの面倒を見てくれた日本軍の士官は「私たちと一緒にいると、君たちは英国軍に捕まってしまうから、身分を隠して故郷に帰りなさい」といって、わずかながらお金や食料、衣服などを分け与えてくれました。
そして「インド独立の約束を果たせなくてすまない」と涙を流して頭を下げたそうです。
戦争の後、故郷に帰ったMさんたちは協力し合って、新藤さんの最後の言葉「ガンバレ!」を合い言葉に、インドの独立と発展のために必死で働きました。
Mさんは軍人として大成し、仲間たちもお互いに力を合わせて、政治家や実業家、学者として同様に成功を修めていきました。
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法に基づく統治というもの自体は古くから存在するものですけれど、それが「法治主義、法治国家」として定着した概念になったのは、19世紀のドイツです。
つまり人類史において、法治主義なるものは、まだできて200年弱の歴史しかないものです。
そして、いかなる法を作ったとしても、それが文字である以上、必ず法の網の目をくぐる者が出てきます。
まして処罰規定ともなれば、法治主義=捕まりさえしなければ何をやっても良いという発想を招きます。底が浅いのです。
世界の歴史の中で、法で犯罪が撲滅できた国はありません。
ところが日本では、たとえば江戸の享保年間の20年の間に、江戸の小伝馬町の牢屋に収監された犯罪者が、20年でゼロだったことにも代表されるように、昭和になっても「家に鍵をかける習慣がない」ほど、治安の良い、約束の守られる国家が実現されています。
なぜでしょう。
その答えが道徳、人の道です。
よく、「道徳が先か法が先か」などということを議論したものを見かけますが、あわれな論争です。
両者は対立するものではなく、道徳があって法があり、法があって道徳がある、つまり並立するものだからです。
戦後の日本は、経済を中心とし、道徳教育が放棄されましたが、それでも1億の民は、それぞれに親や祖父母を持っているわけです。
民間の間には、ちゃんと道徳心が生きている。
だからこそ、東日本大震災や、先般の長野地震においても、人々は自分のことよりも互いに助けあうことを重視して行動しました。
他所の国なら、略奪や暴動が起こっていたところです。
戦前は、これを教育においても徹底していたから、日本人の人格は、世界中どこに行っても高潔とされました。
そして上に述べた新藤さんのような心得を、名もない一兵卒であっても、誰もが等しく日本人として共有していました。それが「あたりまえ」でした。
ですからスポーツの世界においても、たとえば大相撲は「プロの行う興行」ですけれども、それには審判である行司がいて、さらに四方から親方衆が試合を観戦して、行司の采配に「ものいい」をつけれる仕組みになっています。
そしてそもそも、その行司にしても、まさにプロそのものでした。
江戸の寛政時代、相撲界を代表する名力士の雷電と、名横綱小野川の取組で、雷電の寄りを土俵際こらえた小野川が、起死回生に雷電を土俵の外にうっちゃり、両者ともに土俵下に転落という一番がありました。
軍配は寄った雷電です。
ところがこのとき、小野川を抱える久留米藩の藩士が、刀に手をかけて土俵に駆け上ると、
「いまの一番は行司の差し違いで小野川の勝ちである。軍配を差し戻さなければ斬る」と行司を脅しました。
さからえば行司はその場で斬り殺されます。
会場に緊張が走りました。
しんと静まり、みんなが固唾をのんで、行司の采配を待ちました。
行司は軍配を手にすると、その抜刀した久留米藩士の前で高らかに、雷電の勝ち名乗りをあげました。
それを聞いた観客は、大喝采。
久留米藩士は、帰って行きました。
たとえ小兵であろうとも、たとえ抜身の刀を見せられようとも、正しいと思うことには一歩も引かぬ。そういう気概と気迫を常識としていたのが、かつての日本人でした。
ところが昨今では、国をあげて、不正をまさに国是としている国があります。
そしてその影響は、悲しいことに日本にもずいぶんとあらわれています。
このままでは2020年の東京五輪さえ、史上最悪の不正審判五輪になりかねません。
「スポーツに公正なジャッジを」、そんなことはあたりまえのことですけれど、それが崩されそうになっているなら、わたしたちはそうならないよう、しっかりと選手たちを守っていかなければなりません。
そしてそのことは、スポーツそのものを守ることにもつながります。
審判が買収されていたり、政治的なイデオロギーであからさまな不正判定をしたり、あるいはあるいは卓球台を斜めに設置する、バトミントンで相手選手側に向かい風を吹かせる、翌日の対戦相手のチームの食事に下剤を忍ばせる、あるいは一晩中表で大騒ぎをして眠らせない、選手村で相手チームの宿泊所を高層ビルの最上階にしておき、わざとエレベーターを故障させて階段を登らせて疲弊させる。優勝しそうな選手を泥棒の犯人に仕立てあげる、レスリングや柔道などであきらかな一本勝ちをおさめているのに、それを無効としたりなど、ありえないことが現実に起きているのが、昨今のアジアです。
サッカーなら、サッカーのルールにしたがってゲームを行うのものなのです。
サッカーはキックボクシングでもなければ、乱闘大会でもない。
にもかかわらず、相手選手の首筋に延髄斬りの蹴りを入れたり、あるいは女子選手の顔面にスパイクシューズを蹴りこむなどありえないことです。
サッカーといえば、韓国人選手が「独島はわが領土」とハングルで書いたものを手にしてアピールした事件がありました。かつては、黒人の陸上選手が優勝した表彰台で「黒手袋で拳をつきあげた」だけで、メダル剥奪、スポーツ界から永久追放処分となりました。スポーツに政治を持ち込まない。これは、それほどまでに厳しいルールだったのです。
世界中、どこの国においても、スポーツ選手というのは、才能を努力して伸ばし、大会ではまさに真剣勝負をします。
それだけ一生懸命努力したものが、政治的、金銭的なものでことごとく覆されるのでは、スポーツなんてバカバカしくてやってられません。
けれど、そんなことが現実に起きているのが、昨今のアジアでの大会です。
本来、スポーツに政治は介入すべきではありません。
けれど、あまりにも露骨な不正が横行している以上、それに対してはっきりと「NO」を突きつけるのは政治の役割です。それこそまさに政治の使命です。
ところが数年前から、スポーツにおいてあからさまな不正が横行しているという現実がありながら、日本の政治はまったく動きませんでした。
それで良いのでしょうか。
この問題は日本だけの問題ではありません。
まさに国際問題でもあります。
日本人に限らず、世界中の(一部の国を除く)あらゆる国の民衆がもとめていることです。
スポーツだけではありません。
先般行われた沖縄の知事選では、開票作業に大量のChineseが雇われていたことが発覚しています。
そして親中派の沖縄県知事が誕生しています。
果たして開票は正確公正に行われていたのでしょうか。
首都圏でも、先般の都知事選の際、「私は田母神氏に間違いなく投票した」と言っている人がいる投票所で、開票結果は、田母神氏「ゼロ票」でした。
開票は正確公平に行われていたのでしょうか。
わたしたち日本人は、公正であることを大切にする国民です。
だからこそ、勇敢だったし、高潔だったし、世界中、誰からも好かれた日本人なのです。
そういうかつての日本人の、つまりわたしたちの祖父母たちが若き日に築いてくれた信用という遺産でわたしたちは暮らしています。
けれど、その父祖の努力の恩恵を受け続けてきたわたしたちの世代、いまを生きる日本人は、わたしたちの子や孫の時代に、その信用をつなげることが、いまのままでできるのでしょうか。

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コメント
Musashi Ranmaru
私の1票はどうなったんでしょうか?今の選挙は信用ができません。
日本は危ない。
検察・裁判まで、気付かないところで、日本つぶしが浸透してきているような気がします。今回の選挙も誰が信用できるのでしょうか。日本人の仮面をつけた異国人を見破る目が必要です。真の日本を取り戻すために。
2014/12/02 URL 編集
愛知の憂国者
現代日本人が、経済を追い求めた結果失ったものが何か、を見て取れます。
競技の審判に公正と公平を、真剣に思えば誰もが望むことですね。
ですが個人的に、これは一国で出来ることではないと思います。
理念と信念に基づき、賛同する国と一緒になって、何らかの組織を作り、
それらを良しとする国と国民とだけで開催する、くらいの規模でないと、
どこかから数と力によって簡単に潰されてしまいそうです。
形を変えた集団的自衛権のようだと思うのは気のせいでしょうか(笑)。
2014/11/30 URL 編集
nagano
2014/11/30 URL 編集
junn
http://senkyomae.com/aikoku.htm
2014/11/29 URL 編集
韓国に対するビザ免除廃止 賛同者が40000人に
靖国神社や対馬を守り、竹島を取り戻すためには韓国に対する出入国体制を見直す必要があるのではないでしょうか?
署名サイトchange.orgに「韓国に対するビザ免除廃止」の要望が領事部 在大韓民国日本国大使館等に対して立ち上がりました。
2014/11/29 URL 編集
junn
中国の倭人伝が示す倭国 > 縄文時代 >活動期
http://www.max.hi-ho.ne.jp/sundaymorning10/102index.html
2014/11/29 URL 編集
桔梗
実際、シナ人ならやりかねませんね。
どこかのサイトでも沖縄県民という人の書き込みがあり、基地反対で大騒ぎしている人たちは県外から来ていると言ってました。
それから、沖縄は左翼新聞が我が物顔だとか。自分の地元もそうですが、朝日のみならず地元の地方新聞がおもいっきり左翼です。
家では取ってませんが職場で見ると、左視点で書いていて腹が立ちます。
しかも地元紙だから独占的に売れるので、朝日のように不買も難しい。
公共に左思考を垂れ流して洗脳されている人たちもいるかもと考えると腹立たしいです。
ネットを見ない、テレビ新聞が情報源の人たちに目を醒まさせる効果的な方法があれば良いのにと思います。
2014/11/29 URL 編集
にっぽんじん
私は選挙区が異なるため直接支援は出来ませんが、東京と大阪の市民には是非二人の支援をお願いしたいと思います。
産経以外のマスコミは田母神元航空幕僚長の立候補情報を隠蔽すると思います。田母神元航空幕僚長の立候補情報と同時に比例代表は「次世代の党」に投票するようにインターネットで拡散願います。
2014/11/29 URL 編集
今日は匿名
選挙の投票~開票の事務にあたったことは何度かあります。外国籍の職員はいませんし、田舎の小さい役所で、職員同士はお互い素性を知っている者ばかりです。
選挙の方法は、どこの自治体も基本的に変わらないと思います。投票においては、用紙の枚数確認と発行(使用)枚数、投票者数を名簿をもとに確認します。1枚の誤差も、まずあり得ません。選挙立会人も日本人です。警察官が各投票所に必ず待機します。
投票時間が終わると投票箱に施錠をして、警察のパトカーが先導して開票所へ運びます。開票事務は職員が行いますが、全て衆人監視(見学できます)の中で行われます。箱を運び込み鍵を開けるところから、箱の底に投票用紙が残っていないかなど全て見てもらい、票を数えます。手作業で分けた後、機械で数えます。これを二重三重に行います。合計使用枚数と有効数、無効票は数を突合せます。合わないと問題です。
この様子では、少なくとも私の自治体では不正は有り得ないと思います。仮に一人や二人、買収された職員が紛れ込んでいても、目的は成しえないと思われます。あの状況では、手品師でもない限り票の誤魔化しは無理と思います。
うちは小さな自治体なので、職員も立会人も議員も住民同士も、友人知人や町内会や親戚などで顔見知りが多く、お互いの信頼度は高いです。なので不正は有り得ないか、とても難しいと思いますが、今日の記事を読むと、他では実際にあるものなんですね。人と人との信頼関係が成り立たないと、選挙制度の意味が薄れますね。
この町の、田舎にありがちな他所者排除は今でこそ薄れましたが、何十年か前までは色濃く残っていました。でも近所づきあいや隣近所の干渉が煩わしいと言っても、お互いに顔も名前も知らない、外国籍かも知れない人の中で、何の関わりも被害も受けることもなく、安全に暮らせる保証はありませんね。
どこの自治体でも、高齢者や障害者の代理人投票や、誰に入れたらいいか分からないでいる人を唆して、推したい人の名を書く(書かせる)ことは出来ても、これだけでは大した票数は操作できません。大がかりな不正は、関係者を買収するにも票の操作をするにも、組織的ネットワークでもないと不可能と思います。買収資金も必要ですね。
沖縄知事選では開票に外国人があったとは、無防備で杜撰過ぎで呆れます。絶句です。無防備で杜撰の意識がなく、外国人差別が無く公平なつもりなのでしょう。
2014/11/29 URL 編集
菊
どこぞの国は例え中身がなくても「メンツ」「メダル」とやらが至上なのでしょうが。
また、選挙開票場の汚染だけは有権者ではどうにとなりません。もう、前から言われていたことなのになんら対策がなされえいないとすれば、いまはお隣国するな!とも言えますが、内外に知られわたったら「JAPANする」なんて言われかねません。真面目な顔して不正する、のように。
おもてなしだけではありません。
選手が勝っても負けても報われて初めて「さすがJAPAN!」と言われることを
全ての日本人は望んでいるはずです。審判が当日までわからないなど、不正防止を徹底して、歴史に名を残すことだってできます。
私たちはそうしてくれる代表を選ぶこと、声をあげること、そして、既に代表になっている人が少しでも多く、気付いてくれ、動くことを願います。
2014/11/29 URL 編集