■オーディオブック■『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』■【CGS ねずさん】第4話 紫式部が言いたかったこと
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和歌をひとつご紹介します。
黒髪のみだれもしらずうちふせば
まづかきやりし人ぞ恋しき「黒髪の乱れもしらず」は、黒髪が乱れたこともわからないほどに。
「まづかきやりし」は「まず、掻きやりし」、つまり思わず相手の男性の背中に爪をたてて掻きむしったってことです。
ふとしたはずみに、うつむくと自分の黒髪がハラリと垂れて、その瞬間、髪を乱し、相手の男性を背中を掻きむしった、あの情事が頭に浮かび、心が震えるほど、貴方のことが恋しくてたまらないのです、と詠んでいます。
誰が詠んだ歌だと思いますか?
なんだか与謝野晶子みたいな感じもします。
晶子といえば有名な次の歌があります。
柔肌の熱き血潮にふれもみで
さみしからずや道を説く君この歌は、女性の性の激情を詠んだ歌として、当時大評判になったし、いまも多くの人に愛され続けている歌です。
けれど冒頭の歌と読み比べると、冒頭の「黒髪の」の歌の方が、はるかに激しくありませんか?
実はこの歌、千年前の女性が詠んだ歌なんです。
詠み手は和泉式部です。
和泉式部

千年前に、こんなすごい歌を和泉式部は詠んでいるんですね。
わたしなどは、もう中高年の部類なので、いまさらそんな機会もないし、背中を掻いていただいたら、
「あ、もうちょっと上、そそ、そこ。もうちょい右」と、まるで別な意味になってしまいそうですが、もちろんこの歌を詠んだ和泉式部は、若い女性だったし、相手の男性もまた若い男性です。
こんなすごい歌を、もし思春期だった当時の私(わたしだって少年の頃はあったのです!)が聞いたら、興奮して夜、眠れなくなってしまいそうです。
この「黒髪の」の歌は、それほどまでに官能的ともいえる歌ですが、ただ一点、この歌に重要なことは、和泉式部がこの歌を詠んだとき、「相手の男性は、もうこの世にいなかった」のです。
生きた相手のことならば、エロい歌ともなるかもしれません。
けれど、そこまで愛した男性が、突然、病気で亡くなってしまっているのです。
その亡くなった男性を、いまだに心から愛し続けている女性が、生前に愛しあった夜のことを歌にしているのです。そういう歌を、ただのエロ歌と考えるのは、下劣です。
和泉式部には、他にもこんな歌があります。
逢ふことを息の緒にする身にしあれば
絶ゆるもいかが悲しと思はぬ前にも書いたことがありますが、「逢う」は、ただ「会う」のと違って、男女が肌を合わせる意味があります。
貴方にお逢いすることだけを、「息の緒」・・・これがまたすごい表現です。
息は、文字通り息で、人は息をして生きているわけです。
そして当時は、人間は肉体と魂が緒で繋がっていると考えられていました。
つまり、「逢ふことを息の緒にする」というのは、「貴方にお逢いすることを、私の肉体と魂をつなぐ糸にしているのです(貴方が私の命なのです)」と詠んでいるわけです。
下の句の「絶ゆる」は「別れる」ってことです。
貴方にお逢いすることを私の命と思っているから、もし、このしこの恋が絶えてしまったとしても、それを私は悲しいことと「思いませぬ」って言い切っちゃってるんです。
繰り返しますが、これが千年前の日本の女流歌人の歌なのです。
まだあります。
君恋ふる心は千々にくだくれど
ひとつも失せぬものにぞありけるあなたが恋しくて、心が千路に乱れるけれど、その千路に乱れた心のひとつひとつが、決して失うことのできないあなたへの愛なのです。そしてそのひとつひとつは、わたしにとっての大切なたからものなのですって、詠んでいます。
この感性の繊細さ、激しさ、情熱の濃さ、知的な輝き。
本当に、和泉式部はすごいです。
和泉式部のことを私の友人が、「彼女は落下する水滴を空中でピタリと静止させてような、まさに天才の名にふさわしい女流歌人」と形容していました。
その通りと思います。
なにせ和泉式部に匹敵する歌を詠む歌人は、千年後の与謝野晶子の出現を待たなければならなかったのです。
そしてその与謝野晶子でさえ、和泉式部の感性(かんせい)には、はるかに及ばないとされています。
和泉式部が生きた時代というのは、まさに平安中期です。
紫式部や清少納言と同じ時代に生きた女性です。
大切なことは、女性たちがこうして性について堂々と語れる世の中というのは、すこし考えたらわかることだけれど、平和で安定していて安心で安全な社会であったということです。
そうでなければ、つまり戦乱が続き世が乱れ、安心などどこにもなく、女性達が蹂躙される社会では、上にあるような歌は女性たちはおそろしくて情報発信などできないし、またそういう歌を女性達が楽しんだり話題にしたりすることなどできないからです。
もっというなら、それは「安心して生活ができ、そして誰もがちゃんと食える」時代であったとをも示します。
世界広しといえども、千年前に、これだけ安定し安心できる社会を築いた国が、他にあったでしょうか。
そして日本が、どうしてそのよう国になり得たのかといえば、日本には天皇の存在があって、民衆は天皇のおおみたからとされ、その民衆を支えるのが政治家(貴族)たちの役割とされてきた、つまり、公(おおやけ)が、公(おおやけ)としての自覚を持って、民を守る存在とされてきたことによります。
それが日本の統治の大原則であったからです。
そしてそのカタチは、神武天皇よりもはるか以前の神話の時代において、すでに出雲神話に「シラス」として登場しているのです。
もし、貴族たちだけが贅沢三昧な暮らしをし、民に対しては収奪するだけの体制に日本があったのなら、和泉式部のような透明性のある、極めて繊細な感性を持つ女流歌人は育ちません。
なぜなら、2000年もの間、民が貧困のどん底に置かれ続けたなら、それは民の暴発として必ず歴史に記録されるからです。
実際、マリー・アントワネットは、断頭台に立たされています。
いまの日本では、日本人の庶民なら誰でも(成人で75歳未満という常識的な条件は付きますが)皇居の勤労奉仕に参加することができます。
同様に、奈良平安の時代には、全国の庶民は、御垣守として、自主的に都にのぼり、皇居の不寝番の警備や清掃を行い、そのことをとっても名誉なことと考えていました。
御存知の通り、京都に残る都の皇居には、武家の城や大陸の城塞都市のような頑健な兵も軍装もありません。
そんなことをする必要すらないほど、日本は治安がよかったし、まさに君民一体という概念が、全国津々浦々まで浸透していたのです。
和泉式部が冒頭にご紹介したような、官能的とさえいえる歌を残しながら、なお、庶民からさえも愛され続けたのは、庶民の民度がそれだけ高かったというも表しています。
庶民に高い教養と知性があった。
それは庶民が食える世の中であったからでもあります。
戦後の教育は、江戸時代のお百姓さんたちのことを、まるで賤民でもあったかのように言い、無教養で暴動(一揆)ばかりしていた極貧者の集団階層かなにかのように言います。
馬鹿にするな、といいたくなります。
農家を含めて、こういう歌が普通の庶民の間で普通に愛され続けてきたのです。
上にご紹介した和泉式部の歌は、百人一首には入っていません。
つまり、カルタを早く取るために暗記したわけではなく、ちゃんと意味をわかって多くの人達が、女性達をも含めて、歌を愛し続けてきたのです。
しかもそれを書いたものは、筆字です。
農家を馬鹿にするいまどきの教育者モドキの人たちは、筆字で書かれたこうした歌を、意味をわかって楽しむだけの心のゆとりはあるのでしょうか。
もしそれができないのならば、いまどきの教育者モドキの人たちのほうが、私に言わせればよっぽど無教養で野蛮な人たちです。
女性が輝く社会。
それは世界中の人々が夢見る本当の意味での平和な社会であり国家です。
日本は、もともとそういう国なのです。
そういう日本を取り戻す。
次世代にちゃんと引き継ぐ。
それはいまを生きるわたしたち大人の使命です。

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コメント
おばさん
2016/08/24 URL 編集
名無し
2014/12/25 URL 編集
レイシス・ト
ー
女性が輝く社会ってなんなのだろうな?
サッカー、ソフトボールは世界一になったことがある
いろんなスポーツでもメダル獲得したよな
女性が考えたマンガや小説も売れてるし、アニメ化もされてる
歌手も億単位の売り上げの女性いるだろ?
昔、放課後の学校の音楽室で楽しげにフルート吹いてたおばさんたちは輝いてたな
地区祭りで吹いてくれていいだろうにと思ったが言わないのだ
女性が輝く社会はあるのだろうか?と聞かれたらあると答えるが見えない人にはないのだろうか
ー
検索したら、すべての女性が輝く社会だったwww
2014/12/21 URL 編集
-
2014/12/21 URL 編集
で
2014/12/20 URL 編集
基準点
「女性が輝く」と言えば最近は安倍総理がこの言葉を用いていますね。
私も決して女性が輝くことに反対しませんし、もっと輝いてほしいと願っています。
そのためには日本社会全体が安定し豊かでなければなりません。
また、輝くの意味が仕事に就いて収入を得ることによって贖えるアクセサリーによって輝くことでは無いと思うのです。アクセサリーの輝きでは所詮はアクセサリーが輝いていることにしかなりません。
その人自身が持つ知性、感性、努力、献身などによって内からにじみ出るものがあってこその本人の輝きでなければならないと思うところです。
そのためには男性諸氏が、協力して安定した社会を女性が活躍できる社会を構築し維持していかねばならないのだと思うのです。
なぜなら、自然災害が多く、日本にとって国防上の問題となる国に取り囲まれている現状では、これらの諸問題に対抗し日本の安定を維持するには、個人・国家共に体力が必要であり、また個人の限界を打破し国家として「体力」を集約するのは男性の結束力に待たねばならないと思うところです。
女性が輝く国には男性の力の結集が欠かせないと思うところです。
2014/12/20 URL 編集
未熟者
2014/12/20 URL 編集
寺島 孝
で、先日、日下先生が、「ストーリーをつくらないといけない」って言ってい
ました。
「イギリスやアメリカは嘘のストーリーの歴史を書いてきた、で、日本もやらないといけない、でも日本人は勿論嘘は書けない」とかそんな話でした。 テーマがそもそもそ「これからは日本人がきちんと世界史を語らないといけない」という話ですが、宮脇先生が「でも資料がないと難しい」と言ったことに対して、「そんなことはない、そういうことではない」と日下先生の話から進んでいった時のことです。
「ヒストリーとはストーリー」と聴きます。
で、その対談を聴きながらすぐねずさんのことが浮かびました。
「こういう人がいて、こんなことをした、で、どういう思いでいたのであろうか?」と。 で、ねずさんの話はそこから更にその社会の状況、そこから日本人の考えのあり方、などに思いを馳せます。
和泉式部の時代、だから、やはりとても秩序の保たれていた平和な時代ではなかったのか、と。 今よりもっと平和だったであろうと想像できる、と。
それが圧倒的な説得力を持った言葉で読者に迫ってきます。
ねずさんの話は、教授とか歴史家とか、彼らが書いてきたものとは全く違う、基本は現場目線です。 その人物なり出来事を上からでなく、同じ視線で見る、想像する、好意を持って。 そして、そこから当時の社会の様子、当時の人の考えなどに思いを致している。
それはねずさんが自身で色々考え、そして事実を丹念に拾い上げたものだと分かります。
日下先生も宮脇先生も言っていることは、「他人が書いたからこうだ、じゃなく、自分自身で考えないといけない」って。
時々感じます、今の歴史学者への挑戦、革命を起こそうとしているのではないだろうかって。 彼等、多分平静を装っているけど、少しずつ焦り始めているんではないだろうか。 自分たちが根底からひっくり返されようとしてるって。
2014/12/20 URL 編集
菊
2014/12/20 URL 編集