日本では古来、「明察功過」を大事にしてきました。
人が動けば、必ず問題は起きます。
これはあたりまえのことで、「問題がない」ということは、何もしていないということです。
ですから問題が起こるのは、それは物事が動いているということですから、良いことです。
けれど、その問題が対立を生み、話し合ってもまとまらず、最後は喧嘩沙汰になって力の強弱で雌雄が決っせられるというのは、下の下です。
そこで対立が起きる前に「察しよ」と説かれたのです。
しかも「明らかに」です。
「功過」=功績(良いこと)も、過ち(良くないこと)も、先に明確に察して対処しなさい、ということです。
火災が起きても、ボヤのうちなら消し止められます。
それ以上に、火災そのものが起きないよう、日頃から備えておくことです。
仁徳天皇は、民のかまどの煙で、民衆の生活の窮乏を察せられています。
これは現代社会のような「結果主義」とは明らかに異なります。
現代社会は法治国家の名のもとに、「犯罪が起きてから犯人を探し」ます。
しかしそれでは遅いのです。
「犯人になりそうな段階で、逮捕し矯正する、それによって犯罪そのものを未然に抑止する」
このことこそ、民が求めていることです。
景気が悪化し、町を走る車の数がめっぽう減り、駅前や寺社前に古くからある商店街が、軒並みシャッター通りになる。
そこまで放置しておいて、あとから景気対策をするというのでは、遅いのです。
倒産や破産や自殺が相次いでからでは手遅れです。
けれど、いまの日本の政治は、そんなことばかりしてはいないでしょうか。
そうならなように、国家として転ばぬ先の杖として、私達の祖先が行ってきたことが「明察功過」です。
そしてその「察する」能力を最大限鍛えあげるために、お公家さんから庶民にいたるまで、国中みんなが楽しんだのが和歌です。
和歌は、そこに書かれていることが言いたいことではなくて、書かれていないところに真意があります。
詠み手はその真意を伏せて歌を詠み、読み手は歌の文字を通じてその真意を見抜く。
そのよい訓練になるから、和歌は国をあげて楽しまれたのです。
最近の本などで、飛鳥奈良平安貴族たちは、仕事もしないで朝から晩まで和歌ばかり詠んでいたような記述をしているものを多く見かけますが(ほとんどそのような描写です)、申し訳ないけれど、年中無休で朝から晩までそんなことをしていたら、人間、誰だって「飽きます」。
そうではないのです。
仕事をするうえで、「察する」ということが大事にされたからこそ、和歌を学んだし、自らも歌を詠んだのです。
和歌とは、そういうソフトウエアの技術であり文化であり芸術です。
こうして「察する」文化に基づいた飛鳥、奈良、平安の600年は、きわめて長い平和と安定と繁栄をもたらしました。
天皇を国の中心に置き、すべての民を天皇の「おおみたから」とし、政治権力者は天皇によって親任されるものとしました。
これにより、民衆は権力者によって勝手に私有化され私物化され、無用な使役を受ける奴婢にされることがなくなりました。
つまりわたしたちの国ではすべての民衆が、天皇という存在によって権力者からの自由を与えられていたのです。
もちろん人の世ですから、政争はありました。
権力争いもありました。
これについて能因法師(のういんほうし)は、
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
竜田の川の錦なりけり
と詠みました。
「三室の山」というのは、神々が降臨する山です。
その「三室の山」に「嵐吹く」とは、神々の戦い、つまり中央政権内部の政争を意味します。
けれどそれさえもまるで「竜田の川の錦」だと詠んでいるのです。
Chinaでは、政争=殺し合いです。
しかも王たちが直接刃を交えるのではなくて、民衆をまるで持ち駒のように兵として動員して戦わせました。
そして多くの血が流れました。
けれどわが国では、十七条憲法第三条にある「承詔必謹」(詔(みことのり)を受けては必ず謹しめ)の精神をもって、それが醜い争いにまで発展することを防いできました。
こうして平安中期には、清少納言、紫式部、和泉式部など、女流歌人達が光り輝く時代を迎えています。
教養あふれる女性達が輝く社会というのは、平和な社会でなければありえません。
11世紀という、中世において、女性達がこれほどまでに深遠な文学を残した民族ないし国家というのは、世界中、どこを探したって見当たりません。
そういう国を、私達の祖先は、築き上げたのです。
ところがそうした600年続いた平和と繁栄の時代が、12世紀の中頃になると、突然、終わりを迎えます。
天皇経験者である崇徳院が、なんと武力によって都を追われ讃岐に流されるという事件が出来(しゅったい)したのです。保元の乱(1156)です。
そしてこの事件をきっかけに、急速に武家の力が勢いを増していきます。
1167年には、平治の乱を勝ち抜いた平清盛が太政大臣に就任する。
ところがその平氏も壇ノ浦で滅ぼされ(1185)、滅ぼした源義経も頼朝によって倒され(1189)、ついに1192年には、京都から遠く離れた鎌倉に武門政治の中心地が生まれています。
ところがその鎌倉幕府も、頼朝の後を継いだ二代将軍源頼家が、先代の頼朝普代の家臣たちを片端から殺し始め、ようやく三代将軍源実朝の時代になって、都との政治の融合化が図られるのだけれど、その実朝が鎌倉の鶴が岡八幡宮で源公暁によって刺殺されてしまう。
600年続いた平和と繁栄なのです。
その平和と繁栄がものの見事に破られ、世の中が騒然としてしまう。
この激動の時代を生きた藤原定家たちは、なんとかして時代を取り戻そう、もとの平和な社会を取り戻そうとして、まさに血を吐くような努力の日々を送ります。
けれども、まるで手ですくった砂が、手のひらの隙間からこぼれていくように、時代がどんどんと壊れていく。
そのあまりの悲しみを式子内親王が詠んだ歌が
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする
です。「玉の緒」は、自分の命の綱です。
「自分の命がどうなっても構いません」と詠んでいます。
式子内親王は、それほどまでに、平和を望まれていたのです。
式子内親王は1201年に薨去され、藤原定家も1241年には亡くなりました。
そして世の中は、武家の時代へとシフトします。
「察する」ことで争いを未然に防いでいた社会から、直接武士同士が干戈を交える時代へと変化したのです。
「察する」ことの天才、藤原定家さえも、その時代の変化を押しとどめることはできませんでした。
ところがです。
定家が亡くなった、わずか33年後に、日本史上を揺るがす大事件が起きています。
「元寇」です。
ふりかえってみますと、もし元寇のときに、武器を持たない貴族政治が継続していたら、日本は元の大軍によって踏みにじられていたかもしれません。
おそろしいのは、このときに日本にやってきたのは「モンゴルと高麗の軍団」ということになっていますが、実はこのとき日本に攻め込んできたのは、「モンゴル族となった高麗人と、モンゴルの支配下に入った高麗人」たちなのです。
「モンゴル族となった高麗人」というのは、モンゴルが高麗を攻略した際に、肝心の国を守るべき高麗王朝は、国民を放ったらかして、さっさと江華島に逃げてしまったのです。
いってみれば国の政府がなくなってしまったのです。
これを良いことに、朝鮮半島内では三別抄という強盗団が暴れ回りました。
ちなみに、大陸や半島では「国軍とヤクザと暴徒」は同じもの(宮脇淳子先生講義)です。
その結果、実に不思議なことが起こるのです。
なんと三別抄にイジメられ、収奪される民衆を、元の軍隊が守ってくれたのです。
おかげで、こんな半島にいるくらいなら、モンゴルに付いていこうとばかり、当時の高麗人の10人にひとりが、モンゴル軍の後ろについて、いまの通化市のあたりに移住してしまいました。
そしてそこで農業や牧畜をしながら、モンゴル人となるのです。
そしていよいよモンゴルが日本を攻めようとなったとき、この「モンゴル族となった高麗人」たちが、「ウリ達が先にモンゴルの家来になったのだから、あとからモンゴルに帰順した高麗軍よりも偉いのだ」とばかり、高麗人たちを露骨に見下しながら、壱岐、対馬を襲撃し、島民を皆殺しにして食料にしたうえで、博多の港にやってきたのです。
彼らは人間の肉を食料にする連中です。
その大軍が日本にやってきたとき、もし日本が武力を否定した貴族政権のままだったら、どうなっていたことでしょう。
彼らに「察する」文化は通じません。
彼らは、獣と同じ、力だけがすべて、上下関係と支配と隷属、文字通り弱肉強食の人食い族です。
そういう連中が、壱岐・対馬を襲ったのと同様に日本全土を襲ったら、いったい私達の国はどうなっていたことでしょう。
ところがその頃の日本は、保元の乱以降、すでに100年に及ぶ内乱の世を経験し、さらには国を二分するほどの源平合戦を通じて、用兵から兵站、褒賞に至るまで、すでに完全に完璧に戦うことができる体制を確立し、経験を積んでいたのです。
そして日本は見事、二度にわたる元寇を退けることに成功しています。
どんなに強兵でも、経験がなければ指揮系統や兵站が混乱し、また激しい戦いのさなかの統制がとれません。
その意味では、日本は保元の乱、いやそれ以前の前九年の役、後三年の役から、十二分に当時の世界に通用するだけの軍事経験を積んできていたのです。
しかも、国内の「民のために治世がある」というわが国の大原則を崩さずにです。
後世に生きる私達は、千年前の出来事については、まさに「神々の目線」で歴史を俯瞰(ふかん)することができます。
そういう眼で時代の大きな流れを見ると、私にはなんだか八百万の神々の大いなるご意思が働いたとしか思えないのです。
そしてこのことは、続く時代においても確信できます。
元寇を撃退したのは鎌倉幕府ですが、その鎌倉幕府は結局滅んでしまいます。
そして室町幕府ができる。
ところが室町幕府は、正長の土一揆、山城の国一揆などの民衆の反乱が絶えず、ついには1467年には応仁の乱が起きてしまいます。
そしてこのあと日本は、群雄割拠の戦国時代となります。
鉄砲(種子島)が日本に伝えられたのが1543年です。
スペインが、たった150丁の鉄砲でインカ帝国を滅ぼしたのが1533年、つまり種子島が渡来した、わずか10年前の出来事です。
後に奴隷の暗黒大陸と呼ばれるアフリカにポルトガルがやってきたのが1482年、種子島のわずか60年前のことです。
場所はいまのコンゴです。
そのコンゴは王国でしたが、王国が滅びて完全にポルトガル支配の奴隷国、奴隷民となったがの1568年です。
ほとんど同じ時代に、インカ帝国が滅ぼされ、アフリカに奴隷国が誕生し、そして奴隷国はついにはアフリカ全土を覆い、植民地化の波は東洋にも及んできているのです。
種子島が日本にやってきたとき、日本は群雄割拠の戦国時代でした。
ひとつ間違いを訂正しておかなければならないのですが、当時の大名も、江戸時代の大名も、領主として君臨していましたが、持っているのは領地だけです。
民衆は、あくまでも「天子様の民」、つまり天皇のおおみたからであり続けたし、そのように認識されたのが日本です。
西洋やChinaの皇帝や王や貴族は、領土だけでなく領民も私物化しています。
私物ですから、領民はモノと同じです。
いまの日本では、犬や猫はどんなにかわいがっていても、法的には動産、つまりモノという扱いです。
隣の家の犬や猫を殺しても、それは器物損壊であり、命を奪ったとは法的に認識されません。
その犬や猫の地位にあったのが、当時の王族や貴族以外の民衆というのが、Chinaや西洋の統治です。
その点、日本は領土は領主(大名)が私有しましたが、領民は「くにのたから」です。
さて、そうして世界の有色人種が次々と欧米の植民地支配(奴隷支配)に飲み込まれて行く中で、日本は、信長や秀吉の時代には、世界最大の鉄砲大国、つまり世界最強の軍事大国になっていました。
そしてその軍事大国のまま、日本は江戸時代のはじめに鎖国しています。
鎖国した徳川270年の治世の中で、何がおきたかといえば、勝てば良い戦国武者が、武士道を重んずる統治者へと進化しています。
そして1853年、ペリーが浦賀にやってくる。
日本は開国し、戊辰戦争を経て、国内統一政府である明治政府ができあがります。
全国が三百諸侯によってバラバラに統治されていたものが、ひとつの政府のもとに、すべての国民が結集するというカタチが、作られたのです。
そしてそのときに、明治人の精神として、身分の上下なく徹底されたのが、まさに武士道でした。
武士道とは、卑怯なふるまいをせずに、正々堂々と正しきを行う道です。
そして日本は、世界中が欧米列強の植民地となっていた時代に、ただ一国、植民地の解放のために立ち上がり、3年8ヶ月に及ぶ大戦の末、ついには世界から植民地を無くしてしまいました。
ですからほんとうに、歴史を大きく俯瞰してみると、日本はまさに神国としかいえない、なにか大きな神々の御意思のもとにある国としか見ようがありません。
不思議なことに終戦時、日本中が焼け野原となったのに、復興をはじめると、わずか19年後には、なんとアジア初のオリンピックが開催(昭和39年)しています。
今の時代、会社に社長、部長、課長、平社員の秩序があるように、世界各国にも秩序があります。
世界のKINGが英国で、英国が世界の金融を支配下におさめ、
その下で米国がかつての貴族のように、世界の軍事覇権を担っています。
そのまたすぐ下には、反目する貴族(ロシア、フランス、中共)があり、その他の各国はこれら貴族に支配される民という構造になっています。
世界は21世紀になっていますが、そういう意味では人類社会は中世も現代もあまり大差ありません。
その中に、二カ国だけ、王からも貴族からも、民からも「憎むべき敵」とされている国があります。
それが「ナチス・ドイツ」と「日本」です。
団体や個人のレベルでは、親日家もいるし親ドイツ派もいます。
けれどそのことは、個人レベルでは反日家がいたり、反ナチズムの人たちがいるのと同様でしかありません。
とにかく世界秩序というのは、そういう構造になっています。(だから国連に加盟していても日本は相変わらず敵国です)。
その意味では、戦後の日本というのは、ある意味、両手両足を鎖で繋がれた(つまり一切の武力を封じられた)モンスターのような扱いです。
しかも悪いことに、「民」の名の文字通り、目までつぶされてしまっているかのようです。
というのは、たとえば昨今、集団的自衛権は許さない、認めない云々の議論がさかんですが、日本はとっくに集団的自衛権に参加しています。
なぜなら、日本には米軍基地があり、そこから朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などに兵を送り出しています。
現に基地がある以上、いつでもその基地は敵からの攻撃を受ける、つまり戦場となっているわけで、しかも、その米軍基地の様々な経費は、ほぼ全額を日本が負担しています。
世界の目から見れば、あきらかに日本はすでに現実に集団的自衛権を行使しているし、外国への攻撃もしているわけです。
ただし、日本人は派兵されていません。
それは自衛権云々の問題ではなく、ただ単に両手両足を縛られたままになっているだけのことです。
ところが肝心の日本人は、そんなことさえもわからなくなっている。
憲法9条がどうのといいますが、岸内閣のときには、その9条に基づいて日本は核武装可能であるという公式答弁がなされています。
それは昭和32年(1957)年5月7日の参議院予算委員会でのことで、当時の岸信介首相が、
「核兵器という名前がつくだけでみなが憲法違反であるというが、そうした憲法解釈は正しくない」と明確に述べ、
また昭和43年(1968)2月10日には、同じく参議院予算委員会で、高辻内閣法制局長官が、
「核兵器はもってはならず、通常兵器はもっても良いと憲法に規定されていない。
憲法には戦力を保有しないという規定がある。しかし現在、自衛隊法にもとづいて自衛隊が存在している。
自衛隊が憲法上容認されるという解釈、まさにそれが兵器にたいする解釈でもある。
すなわち核兵器とその他の兵器は、憲法上では何の区別もない」と述べています。
さらに昭和53(1978)年3月2日には、衆議院外務委員会で園田外相が、
「憲法の規定自体に拘束されて日本が核兵器を保有できないとするものではない」と明確に述べています。
近いところでも平成10年(1998)年6月に、大森政輔内閣法制局長官が、
「核兵器の使用も、わが国を防衛するための必要最小限にとどまるならば、可能ということに論理的になろうかと考える」と答弁しています。
要するに集団的自衛権にしても、核武装にしても、とっくに答えは出ているし、現実論としても日本に米軍基地があり、そこに核兵器がある以上、日本はすでに「集団的自衛権の枠内で核武装している」わけです。
にもかかわらず、国民は、「集団的自衛権を認めるべきか否か、核武装を認めるべきか否か」と、あいも変わらず見当違いな意味のない議論を繰り返しています。
つまり、憲法9条問題、集団的自衛権問題、核武装の是非問題ともに、単に国民を「あきめくら」にするための「めくらまし議論」にすぎないのです。
ただ、そうした手足を縛られ、目も見えなくさせられ、高いレベルの教育を奪われ、嘘八百の出鱈目な歴史認識を信じこまされた日本人は、結果として日本の文化に自信を失い、そのストレスの発散をアニメやマンガに求めるようになりました。
そしてアニメやマンガの世界では、シラスとウシハク、あるいは対等な仲間たちと上下と支配の敵の軍団といった日本に古くからある観念が描かれるようになり、そのマンガは、日本を飛び出して世界中に広がるようになりました。
そして「対等と平等」が同じ「equal(イコール)」という語しかない世界において、「人として対等」という、世界にこれまでまったくなかった新しい世界のあり方を、気がつけば全世界に広めてしまったのです。
北斗の拳やワンピースは、全世界で10億部だそうです。
世界の人口は70億です。
世界の7人にひとりがワンピースの世界観に没入してしまったのです。
日本は戦争に敗れました。
しかし敗れたことで、日本だけに育ったシラス文化、人間は対等という文化意識が、世界に広がりました。
一部の特権者が、自分の特権だけを守るために、武力を用い、他人の命を戦場に晒して自己の保身を図る。
それがあたりまえの常識になっているのが、21世紀初頭の世界です。
おそらく神々は、それをいま打ち破ろうとされている。
そこでも大きなはらたきをするのは、日本です。
それが世界の大きな潮流です。
ところが、空気が読めないというか、世界がそうして大きく変わろうとしているときに、まるでそういうことが見えずに、自己都合の勝手ばかりしている国があります。
それがお隣の韓国であり、中共です。
朝鮮という国は、明治の初めの日韓併合前の時代にも、いまとまったく同じ調子で、内々の権力争いばかりを繰り返しています。
そしてそれを周辺国に飛び火させる。
日清戦争も、日露戦争も、もとをたどせば韓国の身勝手さが引き起こした戦争でした。
日本は、こんどは彼らに感染しないよう、しっかりとした国つくりを、これからしてかなければならないのだと思います。
新しい世界秩序は、すでに動き出しています。

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コメント
危ない韓国産
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1419932269/
宴会シーズンたけなわだが、高級魚のヒラメの刺し身や寿司で食中毒が起きていることはあまり知られていない。
厚生労働省の速報(2014年12月2日)によれば、今年のヒラメによる食中毒は10月1日の事例までで30件、
患者数は316人。すでに昨年の21件、244人を超えている。速報の事例以外に11月には新潟県柏崎市、
山口県下関市など各地で被害があり、東京都内でも10月に2件発生している。
10月中旬に東京・中央区で起きたヒラメの食中毒では、飲食店関係者が「食の安全が脅かされている」と憤る
産地偽装事件が起きている。
2014/12/31 URL 編集
(>皿<) シロキチ
歴史は逆説の日本史よんどるんじゃが
今度ねずさんの本も買って見ようと思うんじゃ。
2014/12/31 URL 編集
ポッポ
西欧による大航海時代の植民地拡張期には、戦国時代で鉄砲による軍事大国。
アジアが次々に植民地とされたときには、開国後の中央集権体制により独立を維持。
白人が世界を牛耳っているとき、八紘一宇の精神と自存自立のために戦い、戦争には負けたけど世界の植民地を解放。
犠牲は大きかったけれど、得たものも大きいです。
この次、地球が危機のとき、日本はその中でどのような役割を担うのかと考えます。そして、日本はどれだけの損害を被るのでしょうか。
2014/12/30 URL 編集
-
いつも勉強させて頂いています。ありがとうございます。
ひとつ思ったのですが、ドラマでよく描かれている第二次世界大戦中の軍による言論弾圧は、本当は言霊を信じた民衆の自発的なものであり、例えばそんな発言をした人を軍が捕らえたとしても、それはその発言者の身を守るものだったのでは?と言うことです。
今回のお話でもあるように、察するという国民性を培われて来ていたのなら、戦争に出兵している身内がいる方々の心境を勿論察していただろうし、例えば『日本は負ける』などと言う発言は戦地に家族のいる方々を傷つけるだろうと察せられると思うので、『滅多なことを言うもんじゃない』ってその方々の周りの人たちは抑制したと思われるのです。
拙い文章で失礼致しました。
2014/12/30 URL 編集
にっぽんじん
日本全国の歯科病院が対応しているかどうかは分かりません。が、身元不明の遺体の身元調査に大きく貢献することは間違いありません。しかし、入れ歯は高齢者が多く、若い人は少ないことから歯の治療が少ない人には対応できません。
東北の大災害時にも多くの身元不明者が発生しました。このような身元不明者の調査に役立つのが「DNA判定です」。個人の「DNA」を登録しておけば遺骨になっても判定が可能です。
個人情報がどうだこうだとうるさい大人がいる現状では全員の登録は難しいと思います。そこで提案です。新生児の「DNA登録」を義務付ける法律を作り、新たに生まれた赤ちゃんから「DNA登録」していけば100年後には日本人全員のDNAが登録されます。
こうすれば、身元不明の遺体や認知症行方不明者はいなくなり、犯罪の抑止にも繋がります。1億人のDNA鑑定など今のコンピューター技術があれば問題にはなりません。
日本人のDNAに該当しないDNAであれば外国人です。警察庁は真剣に検討して欲しいと願っています。
我が子のためであれば、反対する親はいないはずです。
2014/12/30 URL 編集
草(なすび)
すごい視点ですね、恐れ入ります。
いわゆる西洋風なものの見方に慣らされてしまった私のような者にとって、
「アア、何をしてきたんだろう」と想うばかりです。
極端なもの言いですが、イエスキリスト、そして、、聖徳太子、、、
ジパングの不思議さをおもいます。
2014/12/30 URL 編集
庶民
物事が起こる前に察して善処する「明察功過」こそ政治その物ですね。また、この間の日本武道界を救った國井師範とアメリカ軍人との試合も相手の動きを察して機先を制して戦闘能力を無くす事も武道の明察功過です。
天皇陛下の神聖な権威の元、それぞれの立場の人達が日本国の 平和と繁栄の為に協力して働く和の精神と、物事が起こる前に察して善処する明察功過は、日本人の精神の要だと想います。この高い精神性を発揮する為に日本の文化や歴史を肌で感じ学習して、それぞれの立場で行う事が日本と日本人らしさを取り戻す事に成ります。
2014/12/30 URL 編集
junn
http://www.ncn-t.net/kunistok/18.1.8inadatomomi.htm
2014/12/30 URL 編集