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斎庭の稲穂(今野可啓画・部分)

宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく)について書いてみたいと思います。
天照大御神が、スサノオの暴行に怒って天の岩戸にお隠れになってしまったという神話は、みなさまご存知と思います。
天照大御神がお隠れになられたことで、この世は闇に閉ざされ、ありとあらゆる魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)したことが古事記に記載されています。
このあたりの古事記の記述がすごくて、
「於是萬神之聲者、狹蠅那須滿、萬妖悉發」と書かれています。
「ここによろずの神の悪声は、さ蝿なす満ち、万妖ことごとく発(おこ)りき」と読みます。
これが実におもしろい。
天照大御神が岩屋で戸を閉めて隠れてしまわれたことで、よろずの魑魅魍魎がおおはしゃぎして言いたい放題を言い出し、その様子はさながら狭いところに蝿が満ちているかのような喧騒であり、あらゆる災(わざわい)が至るところで発生した、というのです。
まるで昨今の日本を見ているかのようです。
これに困った八百万の神々は、天の安河に集まって会議を開きました。
なんとこれが、我が国の国会のはじまりです!(笑)
ちなみにこうした神話は、西暦何年の出来事だったのかわかりません。
ですから、この天の安河での会議も、西暦何年の出来事かわかりません。
この「わからない」ということが、実はたいへんに貴重なのです。
なぜならそれは、日本の歴史が、有史以前から国と民族の歴史がずっと続いていることを示しているからです。
文献資料によって歴史事象を検証することが可能な時代のことを歴史時代または有史時代といいます。
だいたいこれは2000年〜3000年前くらいまで遡ることが可能です。
人類の歴史が残されるより前の時代のことは、有史以前とか、先史時代とか神代、あるいは神話の時代と呼びます。
つまり私達の国は、それほどまでに古い時代から、ずっと続いている国なのです。
さて、こ有史以前の初の国会本会議の場の決議に従い、それぞれ役割分担して対策にあたることになりました。
そのなかのひとつの審議会では、天照大御神がどうしたら岩戸から出てこられるかが真剣に討議され、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)に、鏡を作ってもらうことになりました。
この「イシコリドメ神」は、後の天孫降臨のときに、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に随行して地上に降りてこられた五伴緒の神様のなかのお一柱の神様で、なんと女性神であって、鋳物(いもの)の神様、金属加工の神様です。
このあたりも、古事記のすごいところで、普通、世界中どこでも男は乱暴ですから、硬いものの加工は男の仕事なのです。
女性はもっぱら、やわらかいものを扱う。
ところが日本神話では、この「天照大御神をお迎えするための大切な鏡」の制作を、女性神の「イシコリドメ」が担当しているわけです。
このことはつまり、金属や鋳物のような硬いものを扱うに際しても、その完成段階では、羽毛で撫でるようにモノを丁寧に作り込まなけばならないということの、ひとつの象徴なのです。
いまでも、たとえば百均で売られている鏡は、どこぞの国で作られたものが多いですけれど、1メートルも離れて見たら、鏡像が歪みます。
ところが国産の鏡は、等身大の大型の鏡であっても、鏡像に歪みがありません。
日本製品は、値段は高いですけれど、それだけ精巧に丁寧に作り込まれています。
こうしたモノ作りへの丁寧さというのは、日本人の持つひとつの美徳ともいえるものですが、そうした精神は、なんと、いつの時代のことなのか、西暦何年のことなのかさえもわからないほど古い昔からの日本の伝統だということなのです。
で、いよいよ岩戸を開ける日がやって来ました。
アメノウズメが激しくそしてエロチックでユーモラスなダンスを踊り、それを観ていた神々がドッと湧く。
アマテラス様は、「私が隠れているのに、どうして表が騒がしいのか」と問われるわけです。
すると、「アマテラス様が隠れておいでなのに、アマテラス様より立派な神様がおいでになったので、みんなあのようにはしゃいでおります」という。
そこで不思議に思われたアマテラス様が、様子を見ようと岩戸を少し開けたとき・・・。
ここがすごいのです。
イシコリドメの作った鏡が、パッとアマテラス様に向けられると、鏡の中には、天照大御神さえ知らない、神々しくて、みるからに偉大な神様のお姿が映っていたのです。
「あれは・・・誰?、何という神様?」
となるのですが、実は、そこに映っていたのは、アマテラス様ご自身のお姿であるわけです。
弟であるスサノオの自分勝手な乱行に耐えかねて、岩戸に隠れてしまわれたアマテラス様ですが、再びそのお姿をあらわしたとき、そこには、まるで別な神様にさえみえるほどに完全に完璧に成長された、アマテラス様の完成された輝くお姿があったわけです。
いまでも学校で悪いことをすると、自宅謹慎処分にあったりすることがありますが、これはこの天の岩戸の故事にちなんで、謹慎し、再び登校するときには「男子三日会わざれば刮目して見よ」のように、大きく成長してきなさい、という趣旨の処分です。ものすごく愛情深い処分なのですね。
なので謹慎中は、ファミコンでゲームやっている場合ではないのです(笑)が、さらに大事なことがあります。
日本という国の歴史を振り返る時、国の歴史自体が、岩戸が閉められ、世が混沌として魑魅魍魎が跋扈したあとは、以後の時代からみると、驚くほど立派な時代が築き上げられているのです。
たとえば保元の乱から元寇にかけて、なるほど国が荒れました。
けれど元寇を撃退したあとの鎌倉武士たちは、後の世、たとえば江戸時代の武士たちにとって、まさに憧れの凛々しい武士の鏡、武士のお手本として示される時代を築いています。
また応仁の乱から戦国時代にかけて、国が荒れましたが、その後にできた徳川幕府の時代には、享保年間の20年間に代表されるように、牢屋に収監される罪人がひとりもいない時代ができあがっているのです。
試練を乗り越えて新しい時代を築き、またやってくる試練に打ち勝って、さらにもっと良い時代を築く。
わたしたちの国の歴史は、有史以前から、まさにその繰り返しの「成長の歴史」であるということができます。
というわけで、ここまでの物語が天の岩戸のお話なのですが、ここで登場した「イシコリドメ」が作った鏡、それが三種の神器のひとつである「八咫鏡(やたのかがみ)」です。
この鏡は、その後、天孫降臨の際に、天照大神から瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に授けられました。
このとき、天照大御神が、ニニギに言った言葉が、三代神勅のひとつである宝鏡奉斎の神勅(同床共殿の神勅)です。
神勅というのは、三つあって(侍殿防護の神勅、神籬磐境の神勅を加えて五神勅という場合もあります) 、そのいずれも、ひとえにニニギノミコトのみならず、歴代の天皇、ひいては日本の民衆のすべてに与えられた天照大御神の神勅です。
それが、
◯ 天壌無窮の神勅
◯ 宝鏡奉斎の神勅(同床共殿の神勅)
◯ 斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅
です。
「天壌無窮の神勅」については、以前に解説をしましたので、そちらをご参照ください。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1048.html</u>">
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1048.html八咫鏡にまつわる神勅は、この三つのなかの「宝鏡奉斎の神勅」です。
古事記には、「此之鏡者、專爲我御魂而、如拜吾前、伊都岐奉。次思金神者、取持前事爲政」
日本書紀には、「吾兒、視此宝鏡、當猶視吾。可與同床共殿、以為斎鏡」と書かれています。
神勅ですからとても大切なものです。
古事記では、
「これの鏡は専(もは)ら我が御魂(みたま)として、吾が御前(みまえ)を拝(いつ)くがごとく斎(いつ)きまつれ」
日本書紀では、
「吾(あ))が児(みこ)、此の宝鏡(たからのかがみ)を視まさむこと、当に吾(あれ)を視るがごとくすべし。与(とも)に床(みゆか)を同くし殿(みあらか)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)となすべし」とあります。
どちらも「この鏡を私の魂だと思って、私に仕える気持ちで、大切にお祭りしなさい」という意味ですが、日本書紀の方は、その言葉に続いて「鏡はいつも同じ床、同じ屋根の下に置いてしっかり祀りなさい」という意味の言葉が続き、このため「宝鏡奉斎の神勅」は、「同床共殿の神勅」と呼ばれることもあります。
八咫鏡が、なぜ八咫鏡なのかというと、「咫(た)」というのは、古代の寸法の単位で、鏡の円周を指していると言われています。
「咫(あた)」は、大人の女性が親指と中指を広げたときの長さで、だいたい18cmくらいの長さの単位です。
これが八咫(やた)ですから、144cmくらいで、これが鏡の円周。
ですから直径でいうと、だいたい50cm弱の大きな鏡ということがわかります。
天の岩戸神話で、天照大御神の完全に完璧に成長した姿を写した大きな鏡を、後世まで大切に祀り、つたえなさいというのが、宝鏡奉斎の神勅です。
つまり鏡は、完全に完璧に成長された天照大御神の御真影そのものの象徴であり、天照大御神様そのもののお姿であるということができます。
つまり日本は、天照大御神様を最高神として御祀り続けなさい、ということです。
三大神勅の中の三つ目の斎庭稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく)は、簡単にいえば「天上界の田で育った稲を地上に植えて、 この国を天上界のような稔り豊かで安定した国にしなさい」 という意味の神勅です。
神勅は日本が日本であるための黄金柱です。
そしてその三つの神勅が示す意味をわかりやすくくくると、
1 天壌無窮の神勅 (=皇孫(天皇)による統治)
2 宝鏡奉斎の神勅 (=天照大御神への尊崇する統治)
3 斎庭の稲穂の神勅(=稲作により食を根本に置く統治)
となります。
「統治」は、「スメラヒ、シラス」と読みます。
「スメラフ(統めらふ)」は、原語が「シメラフ」で、これまた「シラス」統治のことをいいます。
「シラス」は、「ウシハク」と対比した概念で、君民一体、民衆こそ「たから」とする概念ですから、この三つをわかりやすく現代語に訳したら、
1 天壌無窮の神勅 (=天皇の統治によって民衆をおおみたからとする神勅)
2 宝鏡奉斎の神勅 (=1は、神の意思に基づくという神勅)
3 斎庭の稲穂の神勅(=その民衆が安心して食べていくことができる国をシラス統治の根本にせよという神勅)
ということになります。
世界中、神は絶対のものとする国や民族はたくさんあります。
けれど、民こそが「たから」なのだから、「絶対に飢えさせるな、みんなが安心して腹いっぱい飯を食べて、幸せに笑顔で暮らせる世の中にしていくことが、統治(スメラヒ、シラス)の根本なのだ」ということを根幹にしている国や民族というのが、世界に他にあるのでしょうか。
私達は、なんと幸せな国に生まれることができたのでしょうか。
だからこそ、その神勅を発してくださった天照大御神に、そして歴代の、そしてまた今上の陛下に感謝して生きるという精神が、日本人の中に自然と育成され、それが自主的な御垣守のような行動となってあらわれていたのが、日本という国です。
その日本を取り戻す。
それは、とっても素敵なことだと私は思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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コメント
奥深い歴史の探訪者
2015/09/28 URL 編集
とおりすがり
http://alisonn.blog106.fc2.com/blog-entry-604.html?sp
2015/02/01 URL 編集
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私は、畏れながら天照大御神様は古事記で示されている通りの女神だと想います。母なる太陽神が日本を統治しているからこそ、国民を愛護し育て上げようとのシラス国の国風が出来たものと想っています。 万生万物の創造神である天之御中主大神様は、宇宙を司る北極星の神であられます。 天皇陛下の祭儀におけるお召し物は、北斗七星が縫われています。北斗七星は北極星に従う星です。
2015/01/31 URL 編集
えっちゃん
また、感動しました。魂が震えるような感動が、本当の学びで、血肉となるのだと思います。
2015/01/31 URL 編集
にっぽんじん
戦勝70周年行事を行うと、中国はロシア、韓国に呼び掛けています。習近平主席は「南京問題」を大きく宣伝するそうです。
南京事件がなかったことを一番知っているのは「朝日新聞」と「毎日新聞」です。1937年12月13日に始まった南京事件当時100名を超える「朝日・毎日新聞記者」が南京で取材していました。新聞記者だけではありません。林芙美子など複数の作家も同行しています。
自分の目で見ていた彼らが「南京事件」を知ったのは戦後の東京裁判でした。東京裁判では「証言証拠」と「伝聞証拠」だけで客観的な証拠はありませんでした。証人として出廷した宣教師は「マギー牧師」のフィルムがあると言ったようですが提出されませんでした。
東京裁判でなかった客観的証拠が半世紀を過ぎて写真になって出てくるなど有り得ない話です。1937年12月17日が松井大将の南京入場日でした。その記録フィルムなど当時の南京城内の記録フィルムが残っています。
「真実」を知っているはずの「朝日」や「毎日」は何故口を閉ざしてるのでしょうか。国民に真実を教えて下さい
2015/01/31 URL 編集
渡辺
私は安倍政権を継ぐのは『次世代の党』しかないと確信しています。これは提案ですが『次世代の党』の(大規模な)選挙演説時、通常のシュプレヒコールではなく、「日本チャチャチャ」がふさわしいのではないでしょうか。これは、
①外国との戦いという側面から日本代表への応援
②有権者に対して、認知の無さを補うメッセージ
③日本人の為の政党として、民主・社民・共産党と明確な一線をひく
④「右翼」という曲解された暗いレッテルへの、否定ではなく「正しいナショナリズム」だとの訂正
ダイレクトに感情に訴えかけ、何より即効的に党の性格が伝わると思うのですが。
2015/01/31 URL 編集
junn
http://ameblo.jp/usausa2000/entry-10713205958.html
2015/01/31 URL 編集