早川徳次と人生のスイッチ



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私などが学校に通っていた頃は、みんな鉛筆を使っていたものですが、いまでは子供でもシャープペンを使うようになりました。
シャープペンを考案したのは、シャープの創業者の早川徳次さんですが、シャープペンは世界的な大ヒット商品となったものの、そのときのシャープは倒産しています。
それで創業者の早川徳次(はやかわとくじ)さんは夜逃げして大阪に行き、そこで再起を期して起こしたのが、いまの家電メーカー、世界のシャープです。

大阪で起業した頃の早川徳次さんは、当時は債権者に追いまくられる日常で、ほんとうに辛い毎日を送られていたようです。
いまでこそ貸金業規制法などができて、債権者の取立て行為にも一定の制限が加えられるようになりましたが、ほんの何十年か前までは、取り立て行為に規制はなく、借金取りに夜討ち朝駆けはあたりまえでした。
ハンドマイクを手にして、債務者(お金を借りている側の人)の家の前で、「ドロボー!」などと大声を張り上げる。玄関先にペンキで「金返せ」と落書きをする。
そんな非常識なことさえも、あたりまえのように行われていた時代があったのです。
ですから早川徳次さんの、当時の状況は、まさに察して余りある、心落ち着かない日々であったことと思います。
そんな早川さんが、そのような日常から、なんとかして立ち上がろうとのたうち回って始めたのが、実はラジオだったのです。

いま、シャープの本社は大阪にありますが、もともとはこの会社、東京で創業されました。
そもそも創業社長の早川徳次さんは、東京日本橋の生まれです。

生家はなにかのご商売をされていた家だったのですが、家業が衰退し、母親も病気になってしまいました。
このため徳次さんは、二歳半のときに、出野家に養子に出されました。
出野家の養母は、徳次少年を非常に可愛がってくれたそうです。
ところが、徳次さんが5歳のとき、実の母のようにかわいがってくれたこの養母が、亡くなってしまうのです。

出野家は、後妻をもらいました。
ところがこの後妻、とんでもない「伝説の女性」だったのです。
まだ子供だった徳次さんを殴る蹴るはあたりまえ、真冬に公衆便所の糞つぼの中に突き落として、放置したりもしたそうです。

このときは泣き声を聞きつけた近所の人々が助け出したのですが、糞尿まみれでおぼれかけて半死半生、もちろん全身糞まみれです。
その臭いニオイのする徳地少年を、この後妻は、せっかく近所の人に助けてもらったのに、眼を吊上げて井戸端(いどばた)に引きずり、厳寒の中で罵声とともに冷たい井戸水を浴びせ続けたそうです。
近所の人たちも、あきれはててものもいえなかった。

そんな日々ですから、徳次少年は、食事もしばしば与えられません。
それどころか、「お前に勉強なんか贅沢だ、働け!」とばかりに、小学校も二年で中退させられています。

あまりのヒドイ仕打ちをみかねた近所の井上さんという盲目の女行者さんが、徳次少年の手を引いて、飾り職人の家に丁稚奉公に連れて行ってくれました。
井上さんは修験道の信仰をされていた女性ですが、徳次は晩年になっても、「あの時の井上さんの手のぬくもりを、私は生涯忘れる事が出来ない」と述懐しておられたそうです。

この一言は重いです。
よそのおばさんの手のぬくもりが、それほどまでにあたたかく感じたというのです。それほどまでに徳次少年は、つらい毎日を送っていたのです。

徳次さんが連れて行かれたかざり職人さんの家は、男っ気のある親方の下に、何名かの職人さんがいる店でした。
そこで徳次さんは18歳まで飾り金物の丁稚(でっち)職人として奉公しました。

けれど、徳次が一生懸命働いた稼いだ給金は、給料日のあとにその後妻がやってきて、毎月全額持って行ってしまっていました。
ですから徳次少年には、遊んだり、自分のモノを買ったりするお金は一円もありません。
そんな状態でしたから、徳次さんは、遊びにも行かず、ただひたすら黙々と金属の加工をし、飾り物作りに打ち込んでいました。
仕事に打ち込んでいる時間、そんな時間だけが、彼にとっての「幸せな時間」だったのです。

ちなみに偉大な事績を残す人というのは、不思議なほど、それ以前にめちゃめちゃ不幸な生活を送っています。
人並みはずれてたいへんな苦労をし、その苦労に打ち勝ち、耐えぬいたとき、はじめて天はその人に大きな仕事を委ねるのだそうです。

明治44(1911)年のことです。
18際の徳次さんは、この頃、ズボンのベルトに穴を開けずに使えるバックル「徳尾錠」を発明しました。

徳尾錠
徳尾錠


徳次さんは、この発明で新案特許を取り、19歳で独立しています。
そしてその届け出をしているときに、彼ははじめて、自分が出野家の養子であったこと、そして自分の両親は、とうに死んでいたことを知りました。
そして実の兄である早川政治と対面しています。
彼はその兄と、「早川兄弟社」を設立しました。
そして「徳尾錠」の製造販売を開始したのです。

独立資金は50円でした。
このうち10円は兄弟でお金を出し合いました。40円は借金です。
徳次さんが考案した商品を作り、兄が販売を担当しました。
苦しい財務状態からのたち上げでしたが、二人は寝る間も惜しんで働き、「徳尾錠」は、大ヒット商品となって、事業は拡大していきました。

次に徳次さんが発明したのが、22歳のときのことです。
これが、独創的な芯の繰出し装置付きシャープペンシルです。

棒を金属ではさむと、摩擦の力で軽い力でも強固に固定できます。
この現象を応用しました。
これはいま使われているシャープペンと同じ仕様です。

大正4(1915)年、徳次さんは、このシャープペンシルに「早川式繰出鉛筆」という名前を付けて特許を出願しました。
最初は、軸をひねって芯を出す機構の特徴から、「プロペリングペンシル」という名前を付けて売り出しました。
のちにこの商品に、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と命名しました。
この名前が詰まって、このペンシルは「シャープペンシル」と呼ばれるようになり、さらに詰まって、ついには会社の名前にまでなりました。
それが、いまの世界の大手家電メーカー「シャープ」の社名の由来です。

しかし、この「早川式繰出鉛筆」は、売出し当初は、「和服に向かない」、「金属製なので冷たく感じる」など、まったくもって評判が悪いものでした。
おかげで全く売れなかったのです。

それでも銀座の文房具屋に試作品を置いてもらうなどの努力を続けていました。
「徳尾錠」の成功があったから、その利益でなんとかやりくりできたのです。
もし「徳尾錠」がなければ、「早川式繰出鉛筆」はそのまま挫折してしまっていたかもしれません。

ところがこの時代、以外に思うかもしれませんが、日本の東京・銀座は、まるでニューヨークのマンハッタン並みの国際都市だったのです。
そして徳次さんの「シャープペン」は、なんと欧米で大人気商品となりました。

日本人は、今も昔も洋物が好きです。
おかげで、シャープペンは、日本でも売れ始めました。

徳次さんの会社は、このシャープペンシルの大量生産で、会社の規模を拡大しました。
さらにこのとき徳次は、当時としては先駆的な試みである「流れ作業方式」を導入することで、製品の生産効率を格段に高めています。

「早川兄弟社」は、大正12(1923年)には、従業員数200名の会社に成長しました。
「早川式繰出鉛筆」も、米国特許を取得し、事業は完全に軌道に乗りました。

ところが・・・です。
徳次さんは、激務がたたって、過労で倒れてしまうのです。
29歳のときでした。
このときは、当時としては珍しい「血清注射」による治療で命拾いをするのですが、徳次さんは、ようやく病から抜け出せたその翌年、30歳のときに、今度は関東大震災(大正12(1923))が来てしまうのです。

徳次さんは、震災で、九死に一生を得ました。
けれど、愛する奥さんと、2人の子供が亡くなってしまわれました。
工場も焼けてなくなりました。
借金だけが残りました。

さすがの徳次も「何もかも、元に戻ってしまった」と、泣きに泣きに泣いたそうです。
死のうとすら思ったといいます。
しかしこのとき生き残った社員たちが、彼を励ましましてくれました。

「何もかも失ってしまったけれど、自分はまだ生きている。
生きている限り、何かをなさなければならない。」

このとき、徳次さんは、借金の返済のために、シャープペンシルの特許を日本文房具に売却しました。
そこまでしても莫大な借金が残りました。
愛する妻子を失い、工場も失い、借金だけが残っていました。
徳治さんは、このとき、励ましてくれた社員も捨てて、大阪に逃げました。要するに、夜逃げでした。

手元に残ったいくばくかのお金で、大正13(1924)年、大阪で「早川金属工業研究所」の屋号で、日本文房具の下請けの仕事をはじめました。
徳治さんにとって、このことはたいへん重くて辛いことでした。
自分が開発した商品を、下請けとして生産するだけならまだいい。
愛する社員、自分を信頼し愛してくれた社員を捨てているのです。

人は、こういう心底辛い思いをしたときに、DNAに刻まれたスイッチが入ります。
本気になって世の中のため、人のために生きようとする。

すこし脱線しますが、この「DNAのスイッチ」というのは、最初からちゃんと入っている人もいます。
けれど、何もかも失うという強烈な試練に襲われて、そこではじめてスイッチが入る人もいます。
残念ながら、スイッチが入らないまま一生を終える人もいます。
そういう人は、ショックを受けても、ただひがむだけで、他人をうらやみ、愚痴や文句を言いながら世間に当たり散らすだけの人になります。

もう一度人生のやり直しをはじめた徳次さんのもとには、たびたび債権者が押し掛けました。
いまのように、貸金業規制法によって取立行為が法律で規制される前の時代です。
借金取りは、徳治さんにありとあらゆる屈辱を与えました。
新たに雇った従業員の前で、脅され、殴られ、罵られ、辱められる。
債権者たちは、ありとあらゆる恥辱を徳治さんに与えました。
死にたくなりました。

けれど徳治さんは、「なにくそ!」とこらえました。
そして闘志を燃やしました。
自分で作った人生のツケなのです。
すぐにお金はなんとかなるものではないけれど、自分で作ったツケは、カタチを変えてでもなんとかして世間にお返ししなければならない。
そう思い返しては、仕事に打ち込む徳治さんの前に、借金取りは、また容赦なく屈辱を与え続けました。

ある日、失意のどん底に陥った徳次さんは、ふらふらと、まるで夢遊病者のように大阪の街を徘徊(はいかい)しました。
そのとき、心斎橋で、アメリカから輸入されたばかりの「鉱石ラジオ」の展示を見かけました。

当時、日本でもラジオ放送が始まろうとしていました。
徳次は、瞬間、「作りたい」と思ったそうです。

徳次さんは、一心不乱に鉱石ラジオを研究しました。
そして翌年には、国産第1号機の鉱石ラジオを発売したのです。

国産初の鉱石ラジオ
国産初の鉱石ラジオ


鉱石ラジオというのは、方鉛鉱や黄鉄鉱などの鉱石の表面に、細い金属線を接触させ、その整流作用を利用して電波を受信するラジオです。
真空管ラジオが生まれるよりも、もっとずっと以前のラジオの仕様です。
昔よく、学習雑誌の付録についてきた「ゲルマニウム・ラジオ」よりも古くて、性能が劣ります。
アンプ(増幅器)が登場するよりも、ずっと前の時代のことです。
音声信号も微弱です。
ですから音は、ヘッドホンで聞きました。

それでも当時としてみれば、NHKがラジオ放送を開始し、これからラジオが普及しようという時代です。
これは、実に楽しみな出来事でした。
大正13年6月1日、会社で、社員みんなが集まり、そこで大阪NHKのラジオ放送を受信しました。
レシーバーから細々とアナウンサーの声が聞こえました。
それを聞いたとき、社員みんなが抱き合って喜んでくれました。
けれど、徳治さんの表情に笑顔はありませんでした。
徳治さんの心には、責任の二字だけしかなかったのです。

NHKのラジオ放送の開始に伴い、このラジオは爆発的に売れました。
そして徳地さんは、昭和4(1929)年には、鉱石ラジオに替わる新技術の「交流式真空管ラジオ」を発売しました。
以後、相次ぐ新製品の開発で、「ラジオはシャープ」の名を不動のもにしていったのです。

この昭和4(1929)年というのは、ブラックマンデーに始まる世界大恐慌が起きた年です。
関東大震災で壊滅した首都東京と、有名な「震災手形」で、日本国内は、明治以来最大のデフレ経済へと向かっていきました。
世間には失業者があふれた時代です。
そんな時代にあって、徳次さんは、貧しい人、不幸な人、身障者を積極的に雇用しました。
また、借金苦にあえぐ社員への援助などもしました。

徳次さんは、東京で自分を最後まで励ましてくれた社員たちを捨ててきてしまったという、心の負い目があったのです。
だからこそ、彼は、自分にできる最大の貢献を、大阪にいる社員たちのためにし続けています。

ラジオの普及と共に業績は拡大しました。
「早川金属工業研究所」は、戦時中の昭和17(1942)年には、「早川電機工業」に社名を変更しました。
これが、いま、世界に広がる大手家電メーカー、シャープの創業の物語です。

早川徳次さんは、晩年、色紙を求められると必ず、
「なにくそ」
と書きました。
どんなに苦しくても、いじめられても、馬鹿にされても、傷つけられても、どんなに心を折られるような出来事があっても、絶対に負けない、くじけない。
「なにくそ」と踏ん張る。頑張る。

世の中には、幸せに、とんとん拍子に、何の苦労もなく我儘を通しながら生涯をまっとうする人もいます。
ずっとエリートで、安定して良い人生を送る人もいます。

けれど、中には、とんでもない苦労を背負う人もいます。
人はそれを「不幸」と言います。
けれど、早坂徳治さんの生涯をたどるとき、それが本当に「不幸」であったのだろうか、と考えてしまいます。
「不幸」というのは、むしろ「試練」と呼び替えるべきなのではないかと思うのです。

耐え難い苦痛を受けるから、それを「試練」として、乗り越える。
「なにくそ」と踏ん張る。頑張りぬく。
そして、その「試練」を乗り越えた先に、人生のスイッチが入る。

人の成功というのは、神々の目線で見たら、何も経済的な成功ばかりをいうのではないように思います。
むしろ、どこまで魂を高めることができるか。そこが肝要なのではないかと思います。
人は、「生きている」のではなく、「生かされている」のだとするならば、徳治さんのように、妻子を失い、築いた財産を失い、会社まで失い、さらには力づけてくれた仲間たちにまで迷惑をかけ、それでもまだ生かされている。
それは、なにか意味があってのことだったのであろうし、その意味を、徳治さんは「なにくそ」と頑張ることで、立派に体現してみせてくれたように思います。

小悪には小善を。大悪には大善を。
大難に遭ったときにこそ、今生の真価が問われているのかもしれません。


※この記事は2010年1月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント

名無し座

No title
シャープも20年前ぐらいまでは良かったと記憶しています。
最近のネットには経営・上層部に特亜系の人間が入り込んでいるとの書き込みが見受けられます。
やはり蚕食されてしまうと駄目になるという典型ですね。
シャープに夢を託し、真面目に働いてきた人の人生設計が狂いましたね。
狂う前に持ち株会に入って大きな声を上げるべきでした。

話を変えますが、昔はNHK放送終了時は国旗と国歌が流れていたものです。
NHKも蚕食されていますが、籾井会長には奮起してまた国旗・国歌を流すように戻していただきたいものです。
もう一つTV番組で気になることはハーフのタレント、ゲイのタレントの出演の多さに閉口させられます。
正しい倫理観を保つ上で由々しきことです。
民主党がこの時期に姓に関する法律を提案しようとしていますが、
これも反日勢力上層部の戦略なのでしょう。
人口減少が危惧される中、許されないと思います。
倫理・道徳破壊がかなり進んでいます、早く建て直さないといけないと思います。
正しい心を持った正直者が馬鹿を見てやる気と子作りを躊躇し、
博打・マスコミ・芸能人が高額な所得を得て子供を増やしている現状は間違っていると思います。
これからは自分の子供の世代のために声を上げ、ネットで拡散して一人でも多くの人を目覚めさせないと行けないと感じています。

愛信

【総統閣下が都構想の失敗でお怒りのようです】
【総統閣下が都構想の失敗でお怒りのようです】
https://youtu.be/BaWRlz5J8Oc
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【大阪都構想】橋下市長生出演して激論
https://youtu.be/0CBmCNPsAwc
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junn

No title
橋下徹はコリア系アナーキスト大前研一の忠実なる弟子
http://tanakataisyou.seesaa.net/article/140952880.html

在日は韓国人だけではありません。在日外国人ということです。在日外国人にきちんとカード切り替えと、住民登録をさせて、本名の口座に振り込みをするだけで、ほぼ企業責任ははたせると思いますよ。
http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/2015-05-04-1

ホットカーペットが川端康成自殺の原因?!
http://deeksha777.blog88.fc2.com/blog-entry-209.html
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
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