江戸城天守の再建に反対します



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江戸城天守閣(復元図)
20150515 江戸城天守閣


次世代の党の松沢成文先生が、このたび次世代の党首都圏政策研究会において、「江戸城天守を再建する会」の
会長で、江戸城を築城した太田道灌の18代子孫でもある太田資暁氏を講師にお迎えして、
『太田道灌18代子孫が語る 甦れ!江戸城天守閣』と銘打ったオープンフォーラムを、5月27日に参議院議員会館で開催されるそうです。
私のところにも案内のメールがきました。

はじめに申し上げておきますが、私は次世代の党を応援しています。
また松沢先生も応援させていただいています。
けれど江戸城天守閣の再建については、私は賛成しかねます。

なぜなら江戸城は、
「天守閣がないことが誇り」だからです。

ですので以下のメールを松沢先生にお返しさせていただきました。
こちらに転載します。

===========

松沢先生、こんばんは。
次世代の党を応援し、先日の次世代の党を応援する会におきましても壇上で応援メッセージを申し上げさせていただきました小名木善行です。

江戸城天守閣の再建についてですが、
私ども徳川直参旗本の家に生まれた者としては、江戸城は、
「天守閣がないことが誇り」です。

なぜ「天守閣がないことが誇り」なのか。
江戸城天守閣は、四代将軍家綱の時代に起きた「明暦の大火」で消失して以降、再建されずに今日に至っています。

なぜ徳川幕府は江戸城天守閣を再建しなかったのか。
武門の頂点として天下に権威権勢を誇るなら、そびえ立つ天守閣は不可欠です。
けれど徳川幕府は、天守閣の再建をしませんでした。

お金がなかったからではありません。
当時の徳川将軍というのは、日本一の大金持ちです。
そして当時の世界にあって、日本一ということは、世界一の大金持ちでさえもありました。
しかも通貨の発行権さえも持っていました。
大判小判から一分銀まで、通貨の発行権は徳川幕府が一元管理しています。
つまり、お金はあったのです。
けれど、天守閣の再建はしませんでした。

なぜか。
答えは「必要がなかったから」です。
それどころか、「天守閣の再建をしないこと」こそが、必要だったのです。

徳川幕府は、もともとは戦国大名の徳川氏です。
そして家康、秀忠、家光の三代で、国内の統一はほぼ完了しました。
この段階で必要なことは、武力にものを言わせる時代から、人々が平和に安心して暮らせる時代の構築です。

そういう武威を否定し平和を求めるという「志」を明確に持ったからこそ、幕府は武力の象徴としての天守閣をあえて再建せず、その経費をむしろ民生にまわしたのです。

それが4代将軍家綱の時代のできごとで、5代将軍綱吉の時代になると、生類憐れみの令が出ています。
生類憐れみの令のことを、お犬様と呼んだアホな将軍だとか犬公方だとか、悪口は多々あります。
江戸政権に言論の自由があったからです。
けれど、生類憐れみの令の本質は、お犬様ではありません。
殺すこと自体が悪だとして、猛烈な取り締まりを行ったのです。
犬より前に、人が人を殺す、人が武力を用いて人を殺したり傷つけたりすることの一切を禁じたのです。

武士は、人と戦い、人を殺す職業です。
けれどその武士たちに、腰の刀を用いてはいけないというおフレは出せません。
だからこそ、生類憐れみの令だったのです。
犬でさえ殺さないなら、人はもっと殺せないからです。

徳川幕府は、武家でありながら、武威の象徴である天守閣さえも再建しませんでした。
生類憐れみの令まで出して、武をあの時代にあって極限まで否定しました。
そしてそのことが、結果として、平和な江戸時代を築き、また武よりも学問を優先する時代を築き、また、何のための武なのかを武士が先頭をきってしっかりと踏まえる、平和な江戸武士の時代を築いたのです。

だからこそ、江戸城に天守閣が「ないこと」が、私達幕府旗本にとっては誇りでした。
そしてそのことは、同時に日本人にとっての誇りと誰もが考えました。

松沢先生は、そうではなくて、武力を用いて他人に無理やり言うことを聞かせる、そういう時代を望んでおいでなのでしょうか。
そうでないなら、江戸城の天守閣の再建は、不要だし、すべきでないと私は思います。
再建の前に、なぜ徳川幕府は天守閣を再建しなかったのかを、しっかりと啓蒙していくことの方が、余程大事なことだと私は思います。

まして、いまの江戸城は、明治以降、皇居です。
天守閣は、その皇居を一般の観光客が「間近に見下ろす」ことになります。
そのような施設を、どうして作らなければならないのでしょうか。

単に観光になるからとか、儲かるからという前に、なぜ天守閣を作らなかったのか。
是非、そのことをいまいちど先生にお考えいただけたらと思います。

小名木善行 拝

=========


関連してひとつ申し上げておきたいと思います。
私は、松沢先生の江戸城天守閣再建には反対ですが、だからといって松沢先生を否定するとか、次世代の党を応援しないとか、そういうことはまったくありません。

よく保守系の方の中に、政治家の先生のご意見が、自分の意見とひとつでも違えば、まるで火が着いたようにその先生の攻撃を始める方がおいでになります。
ひとつのことに反対だからと、それまで応援していた先生を、まるで手のひらを返したように敵対し腐す。
それは日本人らしい態度とはいえないと思います。

そもそも、100%意見が一致する人など、この世にいません。
6割意見が合えば、それは平均点以上に意見が合うということです。
意見が違えば、なぜ違うのか、彼我の意見の違いを冷静に考え、意見は意見として申し上げる。
その際に感情的にならない。
一方的に言い張らない。
これは、あたりまえの常識であろうと思います。

そうでなければ、議論などできません。
ちょっとでも意見が食い違ったら、全人格的に否定するというのでは、まともな議論などできるはずもないです。
十七条憲法にもあります。
「以禮為本」です。
「うやまうことをもっと本となせ」と読みます。
相手に対する尊敬と互譲の精神を失うことは、議論そのものを否定することになります。

まして、議員の先生というものは、多くの人の支持を得て一定数以上の得票を得て政治家になっておいでの方です。
方は自分自身は、一介の市井のオヤジにすぎないわけです。
意見は意見として述べる。これは当然のことと思いますが、それはどこまでも尊敬と謙譲の心を持って行うべきことと思います。
上から目線などもってのほかです。
なぜなら私達は日本人だからです。

対立と闘争は、共産主義的価値観です。
少なくとも、日本を取り戻したいと願うなら、私達にとって最大の敵は、敵対し対立し、悪口を重ねることなのだと私は思います。

人を責める前に、自分が大人になっていく。
そういう真面目さが大切なのだと私は思っています。

そして松沢先生を尊敬申し上げているがゆえに、あえて「江戸城天守閣の再建」には「反対」を表明させていただきました。
皆様には、趣旨お汲み取りいただければ、ありがたく思います。


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コメント

江戸城大好き

天守閣再建は反対
子供の頃から歴史が好きでお城の構造などにも興味がありました。
特に江戸は大好きで今でこそ古地図散歩は有名ですが昔は多くはなかった気がします。
若い頃は東御苑に良くいきましたが、何故江戸城の再建なのか、個人的には反対です。
江戸城は徳川将軍家のお城、幕府の政庁でもあるにも拘らず何故再建しなかったのか。
それはもはやそういう時代ではない、資金を他の事業に使うべきという考えから実行されなかったのです。
明治以降江戸城は皇城と名を変えましたが天下普請の江戸城は太田氏の時代のものとはまるで違う徳川の城。
徳川関係者が再建に意欲を示すならまだわかりますが、宮内庁管理の史跡としての天守台上にというのは如何なものでしょうか。
観光にという目的で再建などすべきでないと思います。
ましてこの天守台上に天守が存在したことはないのです、江戸城の史跡は見附の撤去・外堀の埋め立てなど残っていれば美しい景観だったでしょうに破壊してきた現実があります。
武士の時代が終わり戦争を経たとはいえ史跡の維持ができなかったというより都市を造るうえでお濠は不要だったのでしょうか。
お城は好きです日本一の天守閣は凄いと思いますが、徳川将軍家が何故再建をしなかったのか良く考えていただきたい。
再建をするということは天守台という史跡を破壊することに何もなるわけで反対ですね。
東御苑は観光地化させてはいけないと思います。

takechiyo1949

江戸城に天守閣?
「江戸城天守を再建する」との動きには反対します。
・総工費=400~500億円?
・経済効果=1000億円?
・内外来訪客=1000万人?
・完成目標=2020年?
私もお城は大好きです。
しかし、建設には反対します。
天守閣の無い時代の方が長く、江戸の人々は、そういう城を当たり前とし、何の違和感も無く眺めて暮らしてきました。
『天守閣が無い江戸城が誇り』
大火とそのドラマ…大切に語り伝えたい…そう思うからです。

-

No title
遅書き込み失礼します。   
ネットで江戸城再建の情報を探り辿りここにきました。
ねずさんのHPたまに拝見させていただいてましたのでこの話題に触れていたのがうれしく思います。
江戸城再建について反対意見も多いみたいですが再建派からみればそれに一考に値する意見というのも少なく貴殿のHPこそが愛国側から考える江戸城再建反対意見のトップではないかなと思います結論から申しまして私は

「江戸城は必ずや再建すべき」

という意見です。以下に述べる私の理由や根拠を江戸城再建賛成派の一つの意見としてお聞きください。
まず松沢先生に対してですが先生に対して反対政策もありますが概ね保守愛国の思想でどちらかといえば支持しています。
東京にはスカイツリーや東京タワーはあっても歴史的意匠を継いだ大型歴史的建造物というのがありません。これはさみしい限りです。そして現代も皇居の象徴と言えば多くの媒体で二重橋と櫓が扱われております。これもなんとも寂しいかぎりです。日本各地には多くのお城がありますが多くが復元です。そしてそのお城を地域住民はランドマークとし心の支えとしています。熊本城を例にすれば「今の嫁さんとの初デートは熊本城だった」「子供が産まれて初めて家族で行った所はやっぱり熊本城だった」と正に地域住民と共にあるのです
なのに東京にないというのは悲しくなってきます
これまで再建しなかった理由を大切にしようというのもわかります。
当時の保科正之の城の復元より民の復興を優先させようという考えも素晴らしいです。
しかしその後日本は世界に開かれた都市となり国も経済大国となりました。
余裕が出来たからこその江戸城復元であり「世界的にも経済大国技術大国となれたので復元させていただきます」という先人への感謝とメッセージなのです。そしてまた100年後1000年後までのお城や文化財の維持継続が後世への日本精神と歴史の継承であり襷なのです。
また再建された後もなぜ300年も再建されなかったのかそれは
このような理由があったからだよとう素晴らしい意味も同時に残るのです。
なんなら再建後もその意味を立て看板などでちゃんと伝えるようにすれば素晴らしい日本魂も後世まで継承されるでしょう。
「立派な物が再建された」そして「300年間再建しなかった事もまた立派だった」と。
江戸城再建計画の素晴らしい所は「最新技術によって当時の工法を再現した木造建築」という所です。大阪城も名古屋城も素晴らしいですがやはりコンクリート造という事で姫路城などよりその魅力は一段落ちます。
また皇居を見下ろしては不敬ではないかとの意見ですが既に見下ろせないように
片一方の窓は塞ぎ立ち入りもできなくなるように計画されてるみたいです。
そもそも皇居周辺は高層ビルが立ち並び既に見下ろせる状態です(これは法改正によって皇居周辺に今後高層ビルは建てられないようにすべきと思いますが今の話題ではないので割愛)
そのような現存してしまっている高層ビルから皇居を守るカーテンになるという意味でも江戸城再建の存在意義があると思います。
私が一つ気がかりなのは竣工を2020年オリンピックの年とするという事です。なぜ西洋のスポーツイベントに合わせる必要があるのでしょうか?国際社会へのアピールの為か?その意味がおかしなところにいってしまっていると思います。ここは
第126代天皇陛下即位記念に竣工又は計画スタートとしたらどうかと思います?
発案当時はまだ今上陛下が御譲位の発表はしていませんでしたし。天皇と幕府の歴史がより一体となり都民と日本人の心のモニュメントとなってもらいたい。

>武力を用いて他人に無理やり言うことを聞かせる象徴
はたしてお城を見てそのように感じる人などいるのでしょうか?例えば大阪城や名古屋城をみてそのように感じる者がいるのでしょうか?上記熊本城の例でもその地域にとってランドマークとなり心の支えであり誇りなのです。
これは江戸城が再建されても同じでしょう

浦和の調

力の象徴
> 自分は江戸城天守は、戦乱の時代が終わり、平和の象徴として造られたのではないかと思われます。

最初の江戸城天守は大坂城のそれに対抗するためのものでした。名古屋城や姫路城も同様です。平和なんてとんでもない、天下二分の危機の最中に作られた“力の象徴”でした。

家光の天守は上野・寛永寺に向いて作り直されたとされるので、“宗教施設”だったのかもしれません。この家光天守が焼失した後、現在も残る天守台が築かれましたが、これは縮小されているとのこと。ここに天守を作っても再建になりません。“第4代”天守になるだけです。

あと、信長は天皇をつぶそうとしていないと思います(利用しようとした形跡はある)。

キョウリュウジャー

知り合いがある鉄筋コンクリート製エレベーター付きのお城に観光に行きましたが、トイレが臭かったとしか言いませんでした。
そんなお城ができても嬉しくないです。

-

江戸城天守が明暦の大火で焼失してしまった後、江戸城天守を再建するさいに「天守よりも町の復興を優先するべきだ。」と言う保科正之のおかげで町の復興は果たせ、そして江戸、東京は世界一の都市になりました。
しかし、そんな東京には歴史的建造物と言える建物が浅草寺を除いてほとんどありません。
江戸城天守を再建することによって文化の継承になり、東京のシンボルとなります。さらに宮大工を次の世代に受け継ぐことが出来ますし、そして観光客や経済効果も期待できます。
再建費用は莫大ですが、寄付金で建てられるので寄付金したい人はすれば良いですし、したくないのであればしなければ良いです。
かつての大阪城天守も再建の際には寄付金で建てられました。
それは、大阪には大阪城天守と言うシンボルが必要だと大阪の皆さんが感じたからでしょう。
そして国民の皆さんの寄付金によって建てられた大阪城天守は、いまや大阪のシンボルとなっており、現在からすると再建して良かったと思います。
ですので東京にも江戸城天守のような歴史的建造物を建て、いまは何のために建てるのかがわからないかも知れませんが、今後数十年もすれば建てて良かったと思う日が来るでしょう。
そして、もし日本に観光に来た外国人観光客に、この天守台に江戸城天守が建てられていたんですよ、江戸城天守を再建しない理由はちゃんとあるんですよ、なんて色々説明したところで、外国人からすれば「ふーん。」としか思わないでしょう。
なぜなら外国人は実物を見たいからです。
理由をあれこれ説明したからって興味を持つわけがありません。
結局実物がないんですから。
よく江戸城天守の再建に反対する人は、保科正之の偉業を台無しにするな。と、言っていますが、保科正之は火事で壊滅した江戸の町を復興することを優先するために江戸城天守の再建を中止したわけですが、その当時の江戸の状況と現在の東京の状況は一緒なんですか?全然違います。
保科正之が350年前に江戸城天守の再建を中止したからって、現在とは状況が違うわけですから、現在も江戸城天守を建ててはいけないとはならないと思います。
次に天守がなかった時代のほうが長かったのに、今更作るなと言う意見がありますが、これは単純に言うと、なぜ天守が存在していた期間が短ければ建ててはいけないのか?となります。
江戸城天守が存在していた期間は短くても、建てられていたのは事実なんですから、建てられていた期間が短いから建ててはいけないと言う理由にはならないと思います。
そして皇居を見下ろすなと言っている人がいますが、それなら周りのビル軍はなんだ?と言うことになりますよね?
確かに城は戦のためにある場合もあるかもしれません。
しかし江戸城天守は、威容はけた外れだったんですが、軍事的な色彩は薄かったそうです。
NPO法人「江戸城再建を目指す会」が専門家に依頼して制作した天守閣復元図によると、鉄砲を撃つための壁の小穴「鉄砲狭間」や、石垣をよじ登る敵に石をぶつける「石落とし」などの攻撃設備がまったく見られないそうです。

それはなぜか。

江戸城天守は、他の城と違って戦のために造られた城ではないからです。

江戸城を築城した人で知られる太田道灌が、室町時代中期に江戸城を築き、天守がないのころの江戸城は、長尾景春の乱が起きたりと、戦だらけでした。
そして戦国時代を経て、大名がこぞって幕府に忠誠を誓った江戸時代初期になり、徳川家康が江戸城天守を改築して城郭も大きく変わりました。

戦国時代の天皇の扱いはひどいものだったと聞きます。
なぜなら織田信長は天皇制を廃止して、天皇よりも上の位につこうとしていたらしいですからね。まあ、あくまでも噂ですが。
そして、1603年に江戸幕府を成立して日本を支配した徳川家ですが、徳川家は天皇をつぶそうとはしませんでした。
それは天皇をつぶす為には、天皇に代わる権威が必要ですから。
徳川家に限らず、結局のところ、力では圧倒しても天皇に代わる権威を見出せず、実行できなかったのだと思います。
そして江戸幕府が成立してから4年後の1607年に徳川家康が慶長度天守を建築しました。
この時代にはもう戦も戦国時代と比べて圧倒的にありません。
信長のように天皇制をつぶそうとする人物も江戸城が建てられ始めたころは存在していません。
自分は江戸城天守は、戦乱の時代が終わり、平和の象徴として造られたのではないかと思われます。
そんな江戸城天守が再建されれば、一番始めにのぼって頂きたいのが、やはり天皇陛下です。
そして、国民の皆さんに伝えてほしいです。江戸城天守は戦のためにあるわけではなく、戦国時代のような戦を起こらせない平和の象徴として建てられたことを。

以上です。
確かに江戸城天守を建てるのは今は無駄だと思うかもしれません。
しかし今後江戸城天守などの歴史的建造物を建てると、八十年ほどしか生きれない人間とは違って何百年以上も残るわけですから、価値はあると思います。

想像してみる

No title
今現在でも、皇居を外から眺められるビルは沢山あります。
そこから皇居を見て「江戸時代の風景」を勝手に想像するのが楽しいです。
いっそのこと、想像の江戸城の写真を窓に貼ってみたくなります。
実際に建てるより、なんぼか安上がりです。

catnet

No title
全くもって同感です!例えば保守派と言われる人達の間でもそれは顕著に現れていて、TPPと移民政策で安倍首相は売国奴と決め付け、100%駄目だと罵る人達もいます。私はTPPと移民は大反対ですが、アンチ安倍でも安倍信者でもありません。反対する政策、言動はあるものの、反日勢力と日々戦いながら価値観外交など日本の為に激務を行われている首相にはいつも頭の下がる思いでいます。誰が首相であっても日本を守る政治家を常に見据えるよう心掛けています。又、水島氏vs田母神問題でもしかり。仰るようにひとつのことに反対だからと、まるで手のひらを返したように敵対してしまう。これは危険でもあり、保守派を叩きたい反日勢力にとっては分裂は願ってもない事です。保守派はゴールは同じだと思います。皆、日本に生まれ、日本人である事に誇りを持ち、この日本を守りたい。当然様々な意見もあるでしょう、食い違いもあるでしょう。でも自分の意見と違うからと言って、同じ保守派を仇みたいに攻撃するのはお門違いというもの。お互いの意見を尊重しながら同じゴールに向かう、これって日本人ならば出来る事だと思うのです。私自身も最近は頭に来るニュースが多過ぎて感情的になりがちですが、冷静に意見が言えるよう心掛けます。

あらみたま

荒城の月
私も江戸城再建には反対です。

最初にそれについての特集雑誌を見たとき、頭がおかしい集団だと思ったのですが。

政治家の方も冷静に考えれば、その不自然さに気がつくのではないでしょうか。

私が初めて皇居の天守跡へ行ったとき、数十年前ですが、思わず口ずさんでしまったのが「荒城の月」です。元のモデルは他の城ですが、こんなにふさわしい場所はないと思いました。

次に行ったのは数年前、また「荒城の月」を口ずさんでしまいました。雰囲気は今も変わらずです。その一方で、以前と違ってショックを受けたのが、皇居がいかに回りのビルに見下ろされているかに気づいたことです。最初に行ったときも高層ビルがありましたが、今はもっと高層化しています。誰が皇居の側にあんな風に高層化させるのを許したんでしょうね。

皇居を見下ろすのは不敬であるのと同時に、不用心です。普通であれば、それを最初から反対すべきでした。今からでも、立地上皇居を見下ろす距離の高層ビルは不許可にすべきです。

天守閣など問題外。

ねずさんの書かれた、江戸幕府の事を知ればさらに不要となります。

そもそも私は最近各地に増えているコンクリートの城が好きではありません。本物の城に行くと、その違いがよくわかります。それでもわざわざ作れば維持費がかかりますが、賄えているのだろうかと危惧しています。

江戸城の場合、場所柄観光客、特に海外からの観光客を見込んでいるのだと思いますが、なおさら不用心で危険です。

最近の神社仏閣等へのテロ行為をみても、どうみても日本人、普通の日本人の行っていることではありませんから、これ以上観光客増加になるようなことは、しないほうがいいと考えています。

今だって公開しすぎですよね。日本人はもっと訪れるべきだと思いますけども。皇居を散策しているのが、ほとんど外国人というのはもったいない話です。

東京ディズニーランドはいつ行っても修学旅行生がいますが、皇居に修学旅行生来たりしているのでしょうか?TDL なんて働けるようになってから行けばいいから、皇居や靖国神社等へ修学旅行生には行ってほしいものです。




-

No title
皇居周辺のビルの高層階は特亜人に人気らしいです。
皇居を上から見下ろせるかららしい・・。

皇居周辺に既にあれだけビルが立ち並んでいるのに、今更「上から見下ろすなんて・・」という理由で建設を反対するのはどうかと思います。
建設の是非についてはコストに見合えば有りだと思いますが、これ以上東京駅周辺に外国人観光客が来られてもと考えてしまいます。

もにょ

No title
ねずさまは御直参の御子孫なのですね。
どうりで、です。
天守閣再建論、意味がわかりません。
徳川治世265年のうち天守閣があったのはせいぜい50年、1/5未満です。
ましてや、太田道灌が築いた城には天守どころか石垣もなかったはずですが?
見習うべきは、人々を威圧するための天守閣より大火で困窮する江戸の復興を優先した幕閣の心でしょう。
4年前の震災で復興を終えていない東北の地にこそ心をくだいてほしいものです。

猫めでる婆

江戸城天守閣再建に反対です
松沢議員の国会質疑を見ていましたが、何を今更頓珍漢なことを言い出したのだろうと不思議に思いました。
皇居東御苑の散策が大好きで何回か訪れましたが、香淳皇后ゆかりの桃華楽堂の真横に天守閣など立てられては情緒も何もなくなると思いました。
桃華楽堂の外観は、日本女性の優雅でおおらかな理想像をえがき出したものと言われていますし、玄関正面の屋根の上には鬼瓦の代わりに金色の雛人形が飾られているとても素敵な建物です。
再建に賛成だという方は、楽を奏でる見目麗しい女性の隣に武具甲冑に身を固めた無骨者を置くのをイメージしてみてください。
おかしいでしょう? 変でしょう? 釣り合わないでしょう?
松沢議員には桃華楽堂を背に天守閣跡に建つ松の木を眺め、もう一度お考えなおしていただきたいです。

あ、その松の木なんですが、前から不思議に思っていたのです。
今グーグルマップで確認しましたが、天守閣跡の石垣の北東の角に立っているので、何やら風水に関係しているのかもしれません。
ひょっとしたら皇室のどなたかの御手植えの松かもしれませんし、再建のためとはいえ仇やおろそかに伐採するわけにはいかないでしょう。
再建反対派はその松の由来を調べ、辺野古基地反対派のジュゴンを守れをお手本に、松を守れ運動を展開しましょうw

くすのきのこ

No title
直下型地震の可能性があるのに、昔風の建築は耐震上無理とは言いませんが、
かなり難しいでしょう。ニセモノの瓦?中身は現代建築?それこそ歴史への
冒涜では?昔の外側が残っていれば別でしょうけれどね。
江戸城というのは、天守閣の事ではありませんよ。外濠まで含めた広範囲の
場所そのもので、千代田区から神田地域を除いたものの外周と、飯田橋以東
の神田川下流までだそうな。御成門とかの名称で察するべき。かなりの広範
囲にわたるものが城で、実戦を踏まえて構成されており、その構成の方が城
の値打ちです。大阪城は外濠を埋められてより、その末は決まっていた様な
ものですし。天守閣をことさら持ち上げるのにどんな意味があるのかな?
城主が住んでいたわけでもなく、天下が治まっていたからこそ、当時の人々
は余裕で再建しなかったわけでしょうに。どうも、ガイジンの感覚が絡んで
いそうですね。誰が耳元で囁いて動機付けをしたのかな?

-

江戸城を再建は皇居を見下ろす事こそが目的
これはねずさんの言う懸念レベルの問題ではありませんよ。江戸城を再建しようとしている連中は、まさに皇居を見下ろす事を念頭にしていることでしょう。ハッキリ言えばそれこそが彼らの目的であり目標なのだと思います。中の組織の人物が胡散臭すぎです。

「江戸城寛永度天守再建調査検討委員会」の委員長であり元日本都市学会会長の伊藤滋氏(早稲田大学特命教授)はパチンコ関係の団体「社会安全研究財団 」の理事長で、在日の疑惑もあるようです。その他の委員も調べると共産党や社民党繋がりだったり。私は「江戸城天守を再建する会」認定NPO法人理事長の小竹直隆氏もやっぱり草加では?と疑っています。

http://blog.goo.ne.jp/tetorayade7511/e/c24aba73e690fb2e5b5865daea6e7e0b

むーちゃん

観光資源
僕もねずさんのご意見に賛成です。

歴史遺産はその当時作られた物であるから価値があるのだと思います。

観光客を呼び寄せるだけで江戸城天守閣を作ることに意味はないと思います。

天守閣が無いことこそ歴史的意味があるのだと思います。

いくら応援している政党の人でも自分と意見がすべて一致することはあり得ないことです。

堂々と自分の意見を述べるのは武士である証拠です。

ポッポ

No title
江戸城天守の再建についてですけれど、再建する目的はなんなのでしょうか?
太田道灌の子孫がおられるからと、再建しようということだけでは理由にならないと思います。
それから、どこに再建するというのでしょうか?
まさか、昔の江戸城は今の皇居の土地なのですが、そこに再建しようということでしょうか?
そこからは、皇居にお住まいの天皇陛下のお姿が、見えることになるということでしょうか?
それなら、反対です。

江戸城の天守から天皇のお姿が見えないのなら、地域振興の都合もあるかと思いますので、お好きになさってください。

-

はじめまして
ねず先生、はじめまして。
いつもブログを拝見させて頂いております。

>意見が違えば、なぜ違うのか、彼我の意見の違いを冷静に考え、意見は意見として申し上げる。
>その際に感情的にならない。
>一方的に言い張らない。

仰る通りだと思います。
お互いの知恵を出し合ってより良いものを作り上げたり、物事をより良い方向へ持っていくことが議論だと思います。
江戸城天守の件はより良い方向に進むことを願っております。

先生の著書「昔も今もすごいぞ日本人!」を読ませて頂きました。どの章を読んでも胸が熱くなります。何度でも繰り返し読みたくなります。2巻目3巻目も買いたくなりました。
けど、いっぺんに買うと読まなくなってしまう(汗)ので、1巻ずつじっくり読んでいきたいと思います。

かれわら

No title
日本人であることは、謙虚さと畏敬の念を忘れないこと。
ねずさんのお話は、いつも心に染み入ります。

議論という情報戦においては
感情的にならず、知恵を使って成功したいですね!

Katsu Kazan

江戸城天守の再建に反対します
いつも珠玉の記事に感銘を受けております。 今日拝読した「江戸城天守の再建に反対」の
>再建の前に、なぜ徳川幕府は天守閣を再建しなかったのかを、しっかりと啓蒙していくことの方が、余程大事。。
はその思いと、歴史を知らされ勉強になりました。これからも同様の日本人の心、琴線に触れるブログの発信を期待しております。ありがとうございした。

大阪市民

もし、本当に江戸城天守閣なるものが出来るのなら、天皇陛下や皇室の方々を見下ろす訳にはいかないし、警護的にも問題があります。それでも天守閣をと言うなら、当然の如く、皇居は、京都を含む関西へ御移り頂くことになると想います。大阪市民としては、皇居が関西にある事は、有り難いし、喜ばしい事です。さて、江戸城天守閣なるものを勧めておられる方達は、
天皇陛下が東京にいらっしゃらなくなって初めて有り難さが分かるかもしれませんね。

イシコウ

No title
江戸城の天守閣を再建するなら、陛下には御所に・・となるのではないのでしょうか?
考えすぎでしょうか。

はっちょもん

新型東京城?
江戸城天守閣築城が観光目的であるならば今の東京に必要なことでは無いでしょう。
ましてや高騰地に。

歴史的文化遺産を残すという理由でもなく、コンクリートの建物を作るくらいならば先進的な建物でなければならない。

地方でも観光誘致目的でお城の再建運動が盛り上がっていますが、今の日本で各地に天守閣が出来ても珍しがる人はいない。

私の地方も観光客誘致が課題であるが東京方面のお客様の声をきいたところ
「ほかの人が行っていない辺地を探して観光したことを自慢するため、これといって何も無い所でもいいの」
だった。
「箱根や伊豆へ行っても近所にお土産を渡すにしても話題がない。だから物珍しい所を選ぶ」というのが本音である。

「新型東京城」なんてなんの意味も見出さない。

はじめまして

自分は、賛成です! 
そんなこといってたら、なにも作れなくなります! 新たな観光名所を

NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥

江戸城天守復元
伝統工法の維持伝承に繋がることなので、個人的には賛成ですが、現在の江戸城が、「皇居」であるということは無視できません。もし、皇居東御苑を、より一層歴史と親しむことのできる空間とするのであれば、「目玉施設」に拘らず、地道なことから気長に取り組むべきでしょう。江戸城天守台は、「穴蔵」が埋められているそうですから、それを旧態に復することから始めてもいいでしょう。「お城」=「天守」という発想から脱却し、皇居の静謐を損ねない、新しい歴史的空間づくりを考えることが、より広範な賛成に繋がり、天皇陛下の大御心に適うことにもなるのではないでしょうか?

みやび

ねずさん
今日もためになるお話をありがとうございました。
江戸っ子として、そういう深い意味のある徳川様のお気持ちを踏みにじるわけにはいきません。

私が疑問におもったのは。。。
なぜ「江戸城天守を再建する会」という団体に、NPO法人の認可がおりたのだろうか?
ということです。
とても不思議に思います!

てっさん

No title
日光江戸村に建立しよう(折衷案)

支店長

天守は城じゃない
> 『太田道灌18代子孫が語る 甦れ!江戸城天守閣』

太田道灌の作った江戸城に天守なんかなかったはずですが…。ひどく、とんちんかんなタイトルに見えます。再建するなら、総構えを含めたものを東武ワールドスクエアに作ればいいんじゃないでしょうか?

竹千代

私も反対です。
ねずさん
お早うございます。
靖国神社参拝の折りには、必ず天主台の横を歩きます。
先日も大手門から入城しようとしましたら、堀端でビラを配っている方々に遭遇しました。
天守閣再現工事の技術的根拠などを説明されましたが、今日の“ねずブロ”に近い内容を話し、受け取りを拒否しました。

にこちゃん

No title
私もこれはねずさんに同意です。
必要なら江戸時代に作られていたでしょうし、今さら偽物のお城の時代でも無いでしょう。
松沢さん、国会でも天守閣の事を安部総理に質疑してましたが、安保法整備の質疑をやる時期なのに何故江戸城の事を言っているのか不思議でした。

hiyo

とても勉強になります。
いつもながらですが、自分はとても無知なのでとても勉強になります。今、少しづつ百人一首を読み始めています。最初のところで和歌は、本当に言いたいことは敢えて隠すとありますが、自分なりに感じたことは、言葉にすると逆に薄っぺらくなってしまう気がしました。最近、西洋かぶれした女性が、愛してるとか綺麗だねのか口に出していってくれた方が嬉しいとか言っていますが、一般的に言われている愛とキリストが言っている愛とは、意味が全然違うような気がします。職人が弟子に敢えてコツを教えないのは、嫌がらせをしている訳ではなく弟子のことを本当に思っているからこそ、そうしているのだと思います。過保護の母親は、子供の為と言いながら実際には子供を駄目にしていることに気付いていないのと同じだと思います。改めて昔の日本人の精神的レベルの高さには感心させられます。

junn

No title
橋下徹・大阪維新の会の政策は「大阪都構想=道州制=大前研一直伝」である
http://ameblo.jp/kororin5556/entry-11243267665.html

皇居を見下ろすのは、非礼です。

ねず先生に全く同感です。皇居には、皇祖皇霊を祭儀する三殿があり、天皇陛下が日々、日本の平和と国民の平安を祈って下さっています。その皇居を天守閣から見下ろす非礼を行うことは、日本人ならば出来ないし、反日国を含む他国の者達に見下ろさられるのは、許されない非礼です。当然に江戸城天守閣などは、反対です!
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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