『武士道』新渡戸稲造を読む



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Bushido - The Soul of Japan


新渡戸稲造著の『BUSHIDO(武士道)』は、日本の武士道を書いた世界的名著とされている本です。
そして武士道は、日本的精神の根幹を成すものとされています。

この本が最初に出版されたのは明治33(1900)年のことで、米国で『Bushido: The Soul of Japan』として刊行されました。
出版のきっかけとなったのは、これは本にも書いてありますが、新渡戸稲造がある日、米国の法学者と話していたときに、宗教の話題となり、そのとき相手の法学者から、
「あなたがたの学校には宗教教育というものがないのですか?」と尋ねられたのだそうです。

このとき新渡戸博士は「ない」と答えました。
すると相手の法学者は、
「宗教なしで、いったいどのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか?」と問うてきたというのです。

この質問に対して新渡戸博士は即答できない。
で、質問に愕然としたのだそうです。

「自分たち日本人の道徳規範というのは、いったい何に基いているのだろうか」
新渡戸博士は、そこで一生懸命考るわけです。
そして、はたと思いついたことが、
「近代日本の道徳観念は、封建制と武士道が根幹を成しているのではないか!」ということで、そこで武士の道を体系化し、本にして出したのが、世界的名著と言われる『Bushido: The Soul of Japan』です。

実はここがたいへんに面白いところなのですが、当時の日本は、宿泊先の旅館の床の間に現金を置きっぱなしで出かけても、誰も盗むなんてしなかったし、数万人が出るお祭りに際して、警備の警察官はほんの数名でまかなえるほど、治安の良い国であったわけです。

この頃東京市の市長であった尾崎行雄は、ある外国人から「どうして東京市はこんなに治安が良いのか」と問われ、答えに窮して「それは東京市の住民の民度が高いからだ」と答えています。
いまでも東日本大震災にみられたように、日本人の民度の高さは、世界的にみても群を抜いているということができます。

ところが、ではどうして日本人は民度が高いのか、日本人の道徳観念はいったいどこから来ているのか。
そのことに、新渡戸博士ですら即答できなかったということは、日本人にとっては、治安の良さも民度の高さも、それは、ごく日常的な、空気のような、あたりまえのもの、もっというなら日本人の血肉となっているものであったということを示しています。
なぜなら、後天的なものとか、あるいは他者から強制されたものなら、「これが原因だ」と誰もが即答できるからです。

お隣の朝鮮半島の人達などは、いまでも「日本に強制された」と声高に主張しています。
日本が強制したのは、両班の専横を排除したこと、学校に行って教育を受けること、誰もが読み書きができるようにすること、道徳心を身につけること、不当な暴力を禁じること、言論の自由を認めること、過酷な刑罰を廃止すること、刑務所の待遇を改善して囚人であっても人として遇すること、女性にもちゃんと氏名を付けることなどなどです。

他にも、路上脱糞を禁止し男女とも屋内で用をたすことというものもありました。
もっとも彼らにとっては、それがいまだに不服で、日本が半島から完全撤退してすでに70年が経過しても、いまだに彼らは、自分たちが受けた不当は「千年経っても忘れない」のだそうですが。
原因が「日本のせいだ」と、簡単に特定できてしまうのです。

いずれにしても、他者から強制されたものならば、それは(どう受け止めるかは別として)理由も原因も明らかなものです。
ところが、新渡戸博士にしても、あるいは尾崎行雄にしても、明快な即答ができなかったということは、それだけ当時の日本人にとっては、道徳的であること自体が空気のようにあたりまえのものであったということです。

もっというならば、宗教的戒律として、毎週の日曜学校で教えこまなくても、まともで道徳的であることが、ごくあたりまえの日常になっている。
世界の常識からしたら、それはまるで天国社会そのものです。

新渡戸博士は、そんな日本人の道徳規範を、いったいどこからきたのだろうかと真剣に考え、その答えを武士道に求めました。
当時、武士道というものは、世間で広く認知はされていましたけれど、これを体系化してまとめたものはありませんでした。

ですから、これまたたいへん逆説的なのですが、新渡戸博士が英文で『武士道』を上辞したことから、あらためて日本人が『武士道』の存在を知ることになったのです。
明治時代のことですから、この時代、すでに武士はいません。
いなくなって30年も経ってから、武士道が体系化されて上辞されたわけです。
これもまたおもしろいことです。

そういう次第ですから、もともとは『武士道』は、英文のものしかなかったのです。
英語で、日本文化を知らない海外の人向けに書かれた本が世界的なベストセラーとなり、世界で評判だからと日本でも邦訳されたものが売りだされ、そこではじめて日本人が武士道をあらためて認知したのです。

私は、日本的道徳心の根源は、武士道にあるというよりも、天皇の存在を中心にした「おおみたから」と「シラス(知らす、Shirasu)」に由来し、さらに縄文文化によって形成された和の精神が、日本人のDNAとなって定着していると考えています。
武士道は、その延長線上にある統治官僚としての道として形成されたものという見方です。
ただ、新渡戸博士の『武士道』は、もともとが外国人向けに書かれたものだけに、逆にこの本は、武士道を知らない現代日本人にもわかりやすく、あらためて今これを学ぶことには、大きな意義があると思います。

ちなみに、新渡戸博士は、昭和59(1984)年から平成19(2007)年まで、5千円札に登場していました。
このときにお札に描かれた新渡戸博士は、養女の結婚式に出た時の礼服姿に正装したお写真がもとになっています。
養女であっても、まさに我が子同然に可愛がり、その娘が嫁ぐ姿に、幸せをいっぱいに感じている博士の、とてもあたたかな表情のものでした。

新渡戸稲造5千円


さて、では新渡戸博士が描いた『武士道』の要約版を以下にご紹介してみたいと思います。

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1 武士道とは何か
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武士道とは、「騎士道の規律」であり、高貴な身分に付随する義務として武士が守るべきものとされた。
成文法はなく、長い時を経て、武士達が口伝で作り出し、長い年月の間に自然と規律として熟成されてできあがったものである。

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2 武士道の源
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武士道の源は、神道と仏教にある。
神道は主君に対する忠誠、先祖への崇敬、孝心などをもたらし、
仏教は、運命に対する信頼、不可避なものへの静かな服従、禁欲的な平静さ、生への侮蔑と死に対する親近感を与えた。
孟子の人民主権的な理論や王陽明の知行合一も思いやりのある武士たちに好まれた。

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3 義
────────────
「義」は武士道において最も厳しい規律である。
裏取引や不正行為は、武士道が最も忌み嫌う。
幕末に蛤御門の変に敗れて自刃した尊攘派の武士真木和泉守は次のように説いている。
 士の重んずることは節義なり
 節義はたとへていはば人の体に骨ある如し
 されば人は才能ありても学問ありても
 節義なければ世に立つことを得ず
 節義あれば不骨不調法にても
 士たるだけのことには事かかぬなり

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4 勇
────────────
孔子は「義を見てせざるは勇なきなり」と言った。
「勇」は「義」によって発動される。
水戸光圀は、次のように述べた。
 一命を軽んずるは士の職分。
 なれば、
 その場所を退いて忠節に成る事もあり
 その場所で討死して忠節に成る事もあり
 これを死すべき時に死し、生くべき時に生くといふなり

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5 仁
────────────
「仁」とは、思いやりの心、憐憫の心。愛、寛容、同情である。
伊達政宗は、
 義に過ぐれば固くなる
 仁に過ぐれば弱くなる
と言い、慈愛の感情に流されすぎることを戒めている。

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6 礼
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長い苦難に耐え、親切で、人をむやみに羨まず、自慢せず、思い上がらない。
自己自身の利益を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事をたくらまない。
これが「礼」であり、「礼」は、相手を敬う気持ちを目に見える形で表現する。
それは社会的地位を尊重することを含む。
ただし、伊達政宗は、「度を越えた礼は、もはやまやかしである。」と言い、仰々しいだけで心のこもっていない「礼」を軽視した。
「礼」には、必要な条件というものがあって、泣いている人と共に泣き、喜びにある人とともに喜ぶ。
「礼」は慈愛と謙遜から生じ、他人に対する優しい気持ちにから発する。
単なる「形式」は、もはや「礼」ではない。

────────────
7 誠
────────────
「誠」とは「言」と「成」という表意文字の組み合わせによる。
武士にとって、嘘をつくことやごまかしは「臆病」である。
商人や農民よりも社会的身分が高い武士には、より高い水準の「誠」が求められていた。
だから武士に二言はなく、武士同士の約束にも証文はとらない。
言葉に嘘がない以上、改めて証文をとる必要もない。
むしろ、証文を書かされることは武士の体面に関わることであるとされた。

武士にとって嘘をつくことは、罪悪というよりも「弱さ」の表れであると考えられていた。
そして「弱い」ということは、それ自体が武士にとっての不名誉であった。
つまり、「誠」がない武士は不名誉な武士であり、もはや武士ですらなく、「誠」がある武士こそが名誉ある武士、と考えられた。

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8 名誉
────────────
武士の子供は、
 人に笑われるぞ
 体面を汚すな
 恥ずかしくないのか
という言葉で、その振る舞いを矯正された。
新井白石は、
 不名誉は樹の切り傷の如く、
 時はこれを消さず
 かえってそれを大ならしむるのみ
と説いた。
西郷隆盛は、
 道は天地自然の物にして、
 人はこれを行なふものなれば、
 天を敬するを目的とす。
 天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、
 我を愛する心を以て人を愛する也
と、教訓を残した。

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9 忠義
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武士は、個人より公を優先する。
だから武士は、主君のために生き、そして死ぬ。
しかし、無節操に主君に媚を売ってへつらい、主君の機嫌をとろうとする者は「佞臣」とされた。
奴隷のように追従するばかりで、主君に従うだけの者は「寵臣」と評された。

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10 武士とお金
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現代では、頭脳訓練は主に数学の勉強で行っているが、当時は文学の解釈や道義的な議論がその役割を担っていた。
教育の目的はあくまで品性を高めることにある。
教師には、できた人格を求められ、聖職者であった。
武士の本性は、算術では計算できない名誉を重んじることに特質がある。
品性を育むという精神的な価値に関わる仕事の報酬は、金銭で酬いられるべきことではない。
それは無価値だからではなく、尊すぎて価値がはかれないからである。

武士は、無償・無報酬の仕事を実践した。
ただし弟子たちが師匠にある程度の金銭や品物を持参するという慣習は認められていた。
清貧な教師たちは貧乏であったので、この贈り物を喜んで受け取った。
彼らは自ら働くには威厳があり過ぎ、物乞いをするには自尊心が高すぎた。
貧しい生活にも高貴な精神で耐え抜く彼らの姿は、鍛錬を重ねる自制心を持った生きた手本であり、その自制心は侍に必要とされたものであった。

────────────
11 武士の感情
────────────
武士にとって、自分の感情を顔に表すことは、男らしくないことだと考えられた。
武士が、自分の苦しみや辛さを表情に出せば、他人の平穏をかき乱すからである。

────────────
12 切腹
────────────
切腹は、自分の罪を償って過去を謝罪するためであったり、友や一族を救うためであったり、武士が忌み嫌う不名誉の烙印を押されることから免れるためであったり、自分の誠実さを証明するためであったりと、様々な目的で実施された。
なぜ「腹」を切るのかといえば、魂が腹に宿るからである。

切腹は武士にとって栄光ある死であった。
同時にいたずらに死に急ぐことは卑怯とされた。
戦国時代の中国地方に山中鹿之助幸盛という武将がいた。
彼の主家は戦に敗れて滅んだが、彼は主家の再興を志してたいへんな苦境を戦い抜いてきた。
その彼は、下記の歌を詠んだ。

 憂き事の なほこの上に 積れかし
 限りある身の 力ためさん

ありとあらゆる困難と苦境に、忍耐と高潔な心を以って立ち向かうのが武士道である。
真の名誉は、天から自分に与えられた使命をまっとうすることである。
そのために死すことは不名誉なことではないが、天が与えようとするものから逃げようとすることは卑怯なことである。
17世紀、ある高名な僧侶は以下のように言っている。

 平生何程口巧者に言うとも、
 死にたることのなき侍は、
 まさかの時に逃げ隠れするものなり
 一たび心の中にて死したる者には
 真田の槍も為朝の矢も透らず

────────────
13 武士の魂「刀」
────────────
刀は武士の魂である。
刀は、武士道の力と武勇の象徴である。
刀を作る刀匠は、仕事を始める前に必ず神に祈りを捧げ、身を清めた。
その作業場は神聖な領域とされた。
そのようにして作られた刀は、持ち主に深く愛され、さらには尊崇された。
それゆえ、刀をまたぐことは、武士に対する侮辱とさえいわれた。
不当な使用は非難され、やたらと刀を振り回すのは、虚勢をはる卑怯者として蔑まれた。

心が洗練されている武士は、自分の刀を使うべき時をしっかりと心得ていたし、そういう機会はめったに訪れない稀な場合であることも知っていた。

勝海舟は、多くの暗殺者に命を狙われたが。
彼は後年、回顧録にこう記している。

 俺は一人も斬ったことがねえよ。
 腕の立つ河上彦斎は何人も斬ってきたが、
 最後は人に斬られて殺された。
 俺が殺されなかったのは、
 一人の刺客も殺さなかったからだよ。

────────────
14.武士道が求めた女性の理想像
────────────
武士道は男性のために作られた。
その武士が求めた女性の理想像は、家庭的であると同時に、男性よりも勇敢で決して負けないという、英雄的なものであった。
武家の若い娘は、感情を抑制し、神経を鍛え、薙刀を操って自分を守るために武芸の鍛錬を積んでいた。
武家の少女達は成年に達すると「懐剣」を与えられた。
その短刀は、彼女達を襲う者に突き刺さるか、あるいは彼女達自身の胸に突き刺さるものであった。
そして多くの場合、懐剣は後者のために用いられた。
女性といえども、自害の方法を知らないことは恥とされていた。
死の苦しみがどんなに耐え難く苦しいものであっても、亡骸に乱れを見せないために両膝を帯紐でしっかりと結ぶことを知らなければならなかった。

男性が忠義を心に、主君と国のために身を捨てることと同様に、女性は夫、家、家族のために自らを犠牲にすることが名誉とされた。
武士階級の女性の地位が低かったわけではない。
女性が男性の奴隷でなかったことは、男性が封建君主の奴隷ではなかったことと同様である。
戦場など、社会的、政治的な存在としては、女性はまったく重んじられることはなかった。
しかし妻として、母としての家庭での存在は完全であったし、多くの場合、家庭内で夫は妻に頭があがらなかった。
父や夫が出陣して家を留守にしがちな時は、家の中のことはすべて女性がやりくりしていたし、時には、家の防備を取り仕切ることもあった。

────────────
15.大和魂
────────────
武士は一般庶民を超えた高い階級に置かれていた。かつてどの国でもそうであったように、日本にも厳然とした身分社会が存在していた。
その中で、武士は最上位に位置づけられていた。

江戸時代、日本人の総人口における武士階級の割合は決して多くはなかったけれど、武士道が生み出した道徳は、その他の階級に属する人間にも大きな影響を与えた。

農村であれ都会であれ、子供たちは源義経とその忠実な部下である武蔵坊弁慶の物語に傾聴し、勇敢な曾我兄弟の物語に感動し、戦国時代を駆け抜けた織田信長や豊臣秀吉の話に熱中した。
幼い女の子であっても、桃太郎の鬼が島征伐のおとぎ話などは夢中で聞いた。
このように、大衆向けの娯楽や教育に登場した題材の多くは武士の物語だった。

武士は自ら道徳の規範を定め、自らそれを守って模範を示すことで民衆を導いた。
花は桜木、人は武士
武士は日本民族全体の「美しい理想」であった。

「大和魂」は、武士道がもたらした。
武士道は大和魂そのものである。

日本民族固有の美的感覚に訴えるものの代表が「桜」である。
桜は、古来から日本人が好んだ花だった。
西洋人はバラを愛でるけれど、バラは美しさと甘美さの裏にトゲを隠している
バラは散ることなく茎についたまま枯れ果てる。
それはあたかも生に執着し、死を恐れるかのようである。

けれど桜は、裏にトゲを隠し持っているようなことはない。そして自然のおもむくままに、散る。
淡い色合は華美とは言えないけれど、そのほのかな香りには飽きることがない。

このように美しく、はかなげで、風で散ってしまう桜が育った土地で、武士道が育まれたのもごく自然なことである。

────────────
16.武士道は甦るか
────────────
上記のように、武士道は「武士」と呼ばれた階級に属した人々により形成され、その心は日本人全体に受け継がれてきた。
しかし、明治維新によって「武士」階級は姿を消し、武士道が育まれた土壌は消え去った。

では、武士道はこのまま消えてしまうのか?
答えは「否」である。
維新を進め、新たな近代国家「日本」を作り上げた原動力となった人々は、紛れもない「武士」たちであった。
武士道は、一個の独立した道徳として復活することはない。
しかし、武士道が残してきた徳目の数々は、決して消え去ることはない。

時代が流れ、武士道は城郭・武具と共に崩壊した。
既に、その役目を終えたかのようでもある。
しかし、不死鳥は自らの灰からのみ甦ることができる。
武士道の栄誉は再び息を吹き返し、散った桜の花のように風に運ばれ、その香りは人々を祝福し続けるであろう。

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コメント

陽ちゃん

武士道、新渡戸稲造を読む シェアさせて頂きました!
いつもありがとうございます。
たくさんの方に小名木先生のブログを読んで頂きたいです。
特に若者に日本を知ってほしいです。

これからも楽しみにしております。
寒くなって参りましたのでくれごれもご自愛くださいませ。

渡辺

日本人の道徳心の支柱は、先祖を敬う心だと思います。先天的ないわば民族性も、平和志向の優れたものとは思いますが。
今、墓をなくす事が「現代のスタイル」であるかの様な報道を時々見かけます。家族を破壊し、次は先祖との絆です。いい加減にしろと言いたいですね。家族離散の個人主義が、物心ともに日本社会にどれだけの被害を与えてきたか。
家族を守り、公に尽くす。これが、異人異文化の汚染を洗い流せば表れる、本来の日本の姿だと思います。

waka

素晴らしい。
いつも、有難う御座います。

-

No title
一旦帰化したら基本的には何があっても剥奪されないのが国籍というものです。剥奪できるものであれば、帰化という処理自体に意味がなくなります。日本の国籍法では日本に帰化した場合外国籍からの離脱を必須としていますし、無国籍者を作り出さない国際条約にも加盟していますので、日本に帰化した人の国籍を剥奪するのではなく、帰化する前に止めるというやり方しかないでしょう。
どこの国でも、帰化する前に普通の生活を営んでいることを確認するために、帰化には長い時間がかかります。日本の場合は定住してから通常5年以上、結婚による定常の場合は3年以上かかります。これは、アメリカでも同じで、永住権を取得してから通常5年で帰化ができます。結婚の場合の3年も日本と同じで、これは日本がアメリカの基準をコピーしたのでしょうね。

一方、日本の刑法では外国のスパイを処罰できません。しかし帰化した日本人が外国の諜報活動をすれば、外患罪の対象です。こちらのほうが望ましいのではないでしょうか。

たんぽぽ

No title
シバサマ1966さんの意見にほぼ同感です。

血統、縦の繋がりはとても大切なものと考えますが、
残念なことに血が繋がっていても日本の心を忘れた人達もいる。
逆に血は繋がっていなくても「大和心」を理解されている人達もいる。
それと、帰化制度の問題点を見直して、改善する必要があると思います。
安易な(反日感情を持った人)の帰化には反対です。あと、日本を著しく毀損する人の国籍は剥奪すべきだと思います。

ご皇室におかれましては、はばかれる言い方かも知れませんが、
血筋を守って頂きたいと存じています。
(ねずさん、この手の発言も不敬にあたりますか?尊敬語あわせて
不適切だったら申し訳ありません)

シバサマ1966

No title
鬼子さんともうおひとかたのご意見は、どちらも理解できる所とそうでない所がありますが、何れにしても大変勉強になります。

私が「血」について思うのは、武士道にもありましたように、伊達政宗公の「義に過ぐれば固くなる」ではないでしょうか。
私も血の繋がり、血統、縦の生命感は大切に考えています。がしかし、自分の娘がもし外国人と結婚するとなると当然反対はするものの、最終的には娘の判断に任せるだろうと思います。

かといって、今の日本における外国人の受け入れ方には大きな誤りがあると感じます。「仁に過ぐれば弱くなる」

中庸が大切なのではないでしょうか。

鬼子

No title
何度もすいません、上の返信してる方、ちょっと話が全くかみ合ってなくて理解出来ず、コメントの捉えられ方に違和感を感じてます。

上記のななしさんのコメントが的を得ています。国籍を与えても、チョウセン人はどの時代も全く変わらずチョウセン人。シナ人も全く変わってない。だから国籍は書類の問題じゃなく、血の問題だとコメントしました。このあたりが理解されてないと感じます。

”血”というのは民族性そのものです。先祖の努力の結果です。それをハッキリ認識して正しく国を守れというメッセージです。それを”狭い考え”というのは、非常に浅はかではないでしょうか。

例えるなら、日本と言う田んぼの中にいつのまにかヒエが混ざった。よく見ると固くて不味い外来種の米まで混じっている。カモを守ってやるとチョウセン子キツネが嘘を吐いて田んぼに住み着いて、カモを食い荒らしてる。こいつはニワトリの血まで吸う。さらに寄生虫の持ち主だ。
 どうするべきか?ヒエや外来米を抜いて住み着いたキツネを追い出して柵をつくって守らないといけない。田んぼだから稗でも外来米でもツくれりゃいいと言うのは間違いです。
 ここはご先祖様が大切に守ってきた豊葦原の瑞穂の国です。米以外のものが生えていたら抜くのが正しい姿です。

ですから、別に他国に失礼でもないですし、一方的な暴論でもありません。日本と他国の違いを認識して、何万年も保ってきたすばらしい血筋の誇りを取り戻して守って行こうという話です。
 ですから、天皇陛下の御心に沿わないと言う批判は、あなたが勝手にご自分の考えを天皇陛下の考えのように合わせて批判主張してるわけでありまして、むしろ天皇陛下に失礼なコメントになっているように、私には見えます。

そま

No title
前のブログなのですが市丸中将の手紙は見事なものですね。
ねずさんがあげてくれた原文を読むと意気が伝わってきます。
文語体の姿はやはり凛々しく大切なものです。
それなしに様々な小学唱歌の情動の機微や感嘆は表現しきれません。

ガダルカナル、サイパン、硫黄島、ぺリリュー、
私も戦記物のいくつかは読んだ事があっても
南洋の島々がやがては兵站も阻止され各所点々となったように読書の記憶も残念ながら点でしかなかった。そう言えば初音ミクの
「TELL YOUR WORLD」に
「いくつもの点は線となって・・・・
たくさんの線は円になって・・・」、そんな歌詞があります。
多くの才能ある創作者の点は線になり円になる。光の結晶体であるHatsune Mikuに送られる世界中からのメッセージも一つの点。このあくまでも品良く可愛らしい、日本だからこそ生まれた大和撫子、光の結晶体はかくして文化となりえる。
その点を個人の内面になぞらえて見る時、私の中の点は断片化して長期間そのままで色褪せ朽ちた。むしろ利的に特化し点を線と組織化したのは密航者達だった。その矢面にヘイトスピーチ工作などもある。
生活の場は違えどそれぞれの職場や地域でなされるべきは、そして
個々人が内面でなすべきは、この点を線とし円とし面として活かすことなのだと思う。大変だがやりがいのあるないがしろにされた作業。

すさまじい艦砲と空爆に耐え剣を手に地下に陣取り硫黄島の暑熱に身を投じた
Sir市丸中将が聞けばなんと言うでしょうか?
「悪くない、だが、まだまだ足らん!」そう言い放つ中将の笑顔を見たいものです。
ルーズベルト君(!)に送られた手紙、それは私たち日本人への、
市丸中将の「Send My World」遺書でもある。それぞれの民族にささえられたそれぞれの国、文化。
 










-

いつも貴重な日本の物語を教えて頂きありがとうございます。とても勉強になります。

“慈愛の感情に流されすぎることを戒めている。”
普通、嘘をつくな,泥棒するな,等否定するのだと思いますが、
上の文章は、情に脆い日本人ならではの感じがしますね。

そもそも、因果応報という意味もよく理解いる日本人は、自らが犯した罪で信用を失う事をよく知っています。
だからこそ、世界で一番信頼出来る民族なのでしょう。
日本の神様は自らが犯した罪は、自らを以て贖罪させますから。

鬼子

No title
コメントにご返答があるようなのでちょっと書き込ませていただきます。
 血の問題は遥かに重要な問題です。当たり前ですが、外国人を住まわせたり帰化を許すというのは、国々の主体性や独立性に反することです。
つまり移民問題そのものです。移民で成功した国は一つもありません。

イギリスもドイツも移民で猛烈に苦しんで「助けて、国が壊れそう。あいつら働かずに税金蝕むだけだ」と言っています。日本だってそうですよね。

実際に「俺たちの国から出て行ってくれ!」と各国で大々的にデモがすでに起こっています。現在進行形ですが、ご存じないのでしょうか。
 たとえばメキシコではついにシナ人が裏流しした重火器でシナ人自身が何十人も殺されるようになっています。日本だけが移民でうまくいくなんて、絶対ありえません。旅行者はともかく、移民は絶対ダメと言っているわけです。

むしろ私には「”世界各国を和合し、また、従わない者達は祓い、征討する責務があるのです”」という言葉のほうが暴論に聞こえます。日本がリーダーだと言って従わないからと征討する権利はどこにもないです。というかそれは外国思想や選民思想そのものです。
 日本が世界を変えるときは、もっと間接的で「女性的な形」になると思います。(今でもアンパンマンのように”自分が死なない程度に”頭をあげてますが。)

日本に外国人が住むことが出来なくなると申しているのは、むしろ国祖御自身です。(イザナギイザナミの親神)
*日月神示*
『血を尊べよ。日本の身魂(血)は外国身魂とは違うのだぞ。』
『神国(日本)には神の民しか住めないことになるぞ』*

どのような形で外国人がいなくなるのかわかりませんが、必ずやそうなると思います。長々と失礼しました。

ポッポ

No title
新渡戸稲造氏が書かれた「武士道」は、本当に凄い日本の武士を表していると思います。そして、これが事実として出来ていたことは、日本人の民度がいかに高いと言うことを示しているのでしょう。

おそらくは、旧帝国陸海軍の士官心得も、武士道を元に作成されたと思います。
昔、読んだ本にアメリカの軍人は、「このような心得は厳しすぎて誰も守れない」と言っていましたが、日本の軍人はこれが出来ていたと思います。

しかしながら、近年のテレビドラマにおいては、武士がいかにも薄っぺらく描かれているような気がして、見る気もしませんでした。


日本の国が韓国の併合時に行った強制の諸事項について、日本は海外にも広報しても良いのではないかと思います。
当時の世界において、両班と白丁の身分差別を禁じ、教育を奨励し、不当な暴力を禁じ、言論の自由を認め、過酷な刑罰を廃止すること等を併合地で行った国家はありません。
日本がこれを実施した国家であることを広報することにより、当時の韓国の民度が理解され、韓国が現在行っている日本への貶め行為が、不当であると証明される一助になるのではないかと思います。



昨年、韓国のセオゥル号が沈没事故を起こしましたが、今度は中国の長江で東方之星号が沈没しました。
乗員乗客458人の内、行方不明者が400人以上で、船長や機関長は救出されたことからセオゥル号を彷彿とさせるものがありますが、原因は大荒れで竜巻に遭ったため沈没と証言していますけれど、天候が大雨だったとのことですから三峡ダムの過大な放流により河川が増水し、これを遡航する東方之星号が進路を誤って転覆させたと言うことはないのかと、邪推しています。

-

更新ありがとうございます。
鬼子さんの言う事も一理あるかも知れませんが、それは、日本の国体を敬う台湾人やパラオ、東欧諸国の方々に失礼だし一方的な考えですよ。日本人は神代に五色人種は和合して世界平和の礎とせよとの世界天皇であられたイザナギ之命、イザナミ之命の神勅により混血してできた民族です。だからこそ、世界のリーダーとして世界各国を和合し、また、従わない者達は祓い、征討する責務があるのです。外国人だから、日本に来るなとの暴論は受け入れる事は出来ないし、そんな狭い血の考えなど、
今上天皇陛下の御心に反する事だと拝察します。

junn

No title
在日韓国人に限定して記述します。
永住許可者の国籍と、今回改正の外国人登録法にかかる日本での
住民登録は表向き何ら関係がありません。

 とくに在日三世、四世になると国籍問題は16歳すぎの国籍選択時期だけの一瞬です。
カード切り替えでも生活上何も変わりません。

 ところが、この状況で韓国へ住民登録すると、遅かれ早かれ、
永住許可取り消し、韓国へお帰りの通知がきます。

 これは語句にもありますように「おかえり」であって

「強制送還の通告」ではありません。

 なぜ?という理由はルーツにあります。

 中長期永住許可者は済州島事件の難民や密入国者がルーツで、旧入管法が不法滞在者にも
外国人登録が義務づけられていたことと、当時の政治上の力関係から
ずるずるときているので正規の確定した国籍がありません。

 今回の改正で日本の役所に住民登録しても国籍が確定するわけではなく、国籍欄に韓国と
あっても、それはあくまでも行政上の暫定措置です。つまり実際は無国籍ということです。

 7月9日以降、日本の在日情報が韓国に提供された場合、

まず韓国は在日に自主的な住民登録を促します。
http://takarin7.seesaa.net/article/416444422.html

 

鬼子

No title
日本人自身が忘れてしまったものを外国人の視点から改めて気づかされるという本は、他にも「逝きし世の面影」などがありますね。

明治維新や大東亜戦争後の西洋文化の導入と共に日本文化が失われてしまったのにも関わらず、日本人の民度が高いのは、「血」のなせるものだと思います。
 最近知った日系アメリカ人の刑務所看守の話では、彼はアメリカ人にもかかわらず、一切ワイロを受け取らないし真面目に勤務してるそうです。それで逆に拘留者から尊敬されてるようです。
 アメリカ最大の功績を遺した軍隊も日系アメリカ人です。このように日本人は初めから日本身魂であり、外国人は初めから外国身魂なのでしょう。

新渡戸稲造のこの本は妻が外国人で日本文化に疑問があったことから書かれたものと聞きます。その妻は外国人でしたが「私は日本人です」と言っていたそうです。
 こういうと批判的になるかもしれませんが、それは違うと思うのです。外国人はたとえ帰化しても日本人ではありません。国籍の問題ではなく、血の問題のはずです。

そもそも他国の国籍になって祖国の国籍を捨てるというのは、その者の祖国と先祖と、帰化する国とその先祖に対する「侮辱」であるとさえ思うのです。なぜなら、血というのは古来より先祖によって受け継がれてきた霊的努力の結果だからです。それを途中から書類一枚で”今日から日本人”というのはあまりに間違っています。移民の国ならそれでいいかもしれません。しかし日本は事情が全く違うのです。

チョウセン人は初め(神話)から強姦畜生民族でしたし、白人はその初めから他国侵略民族でアメリカ先住民やオーストラリア先住民のジェノサイドを行いました。今のシナ人も外来王朝から見下された土民でした。今もその名残が強く確認出来ます。どこに行っても、血は変わらないようです。
 血が変わることは民族の終焉です。日本国土には外国人を住ませてもいけないし、外国身魂とのハーフをつくるのは間違いだと思います。

えっちゃん

No title
 今日もありがとうございます。

 私の住んでいるところの民度の高さは、毎日散歩をする所のあちこちに見受けられます。

 花がボランティアの人によって植えられている。
 挨拶をするとすぐ返ってくる。
 ごみ集積所がいつも整理整頓されている。 
 道を歩く人が見えるように花が植えられている。など。
 その散歩で見たこともブログにアップしています。

 話は変わりますが、昨日の動画をブログにアップしました。
 やっと、できるようになったので(なかなか、技術が伴わなかった。)これからも拡散していきたいと思います。



 
 

皇国臣民

天災の多い国なのもあると思います。そして国史で精神を律する事も出来る稀有な国でもあると思います。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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