新渡戸記念館を守れ!



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20150605 新渡戸記念館


先日、新渡戸稲造博士の『武士道』の要約を掲載させていただきましたが、その新渡戸稲造博士の遺徳を讃え、博士所蔵の文庫や新渡戸家に代々伝わる武具などを展示した記念館が青森県十和田市にあります。
それが「十和田市立新渡戸記念館」です。

この記念館には、かつて高松宮殿下、三笠宮殿下をはじめとして、佐藤春夫氏、稲造博士の教え子である南原繁氏、田中耕太郎氏などが閲覧におとずれてもいます。
そしていま、この記念館は新渡戸家8代目の新渡戸常憲さんが、館長をしておいでになります。

ところが、この「十和田市立・新渡戸記念館」、十和田市長の小山田久が突然、
「新渡戸記念館の耐震性に問題がある」といいがかりをつけ、今月末までの廃館と、今年度中の解体撤去を要求してきたのだそうです。

新渡戸家では、突然のことに驚き、著名な専門家の方々に市から提出された報告書を見てもらったところ、おかしな点がいくつもあり、この報告書は信頼性に乏しいということでした。
記念館側では、市の耐震調査について疑義を抱き、市に話し合いを求めましたが、市長はまったく話し合いの機会すら持とうとしません。
ようやく28日に会えたものの、まるでヤクザのような恫喝があっただけです。これまたありえないことです。
そのテクチは、まるで昨日の当ブログの記事そのものです。


この記念館は、建物は市の所有ですが、土地と資料のほとんどは新渡戸家の所有財産です。
ところがこれについても市は、「建物の所有権は市にあり、記念館内の資料(約8千点)は市民共有の財産である」と主張しています。
そして「資料の保存については話し合いに応じる」「市の所有のものは保存するが、新渡戸家のものは市の文化財に指定となっているにもかかわらず、市に寄贈すれば大切に扱い、寄贈しなければ勝手にしろ」というのだそうです。

これまた行政の主張としては、きわめて不思議な話です。
建物の所有権は、建物内の動産に及ぶものではありません。
加えて、この建物が「記念館」である以上、本来、値打ちのあるのは所蔵資料の方であって、建物ではありません。しかし、その建物も稲造の後輩でもある生田勉の意匠設計、日本建築学会会長を務めた佐藤武夫のコンビによる国内に現存する唯一の建物です。

ところが、なるほど法的財産としては、建物に不動産としての売却価値があり、動産にはほとんど価値がない。
さらに「記念館を取り壊し」てしまえば、その建物不動産もこの世から消えるわけで、そうなると歴史的記念物である記念館所蔵品は、果たしてどうなるのか。
所蔵品に関する動産の所有権は、新渡戸家が保有しているはずなのですが、これさえも建物取り壊しに際して市が摂取するというのか、それをどのように保管するというのは、そのあたりも極めて曖昧です。

要するに、「記念館」の建物が市の所有であることを理由に、ただ「取り壊し」だけを市長は一方的に記念館側に通告しているわけで、我々からしますと不思議なのは、
「では、記念館保有の資料はどうなるの?」ということです。

そのあたりについて、まったく具体案が示されないということは、市長は、ただ新渡戸稲造博士の記念館を取り壊してこの世から抹殺することだけを目的にしているとしか言いようがありません。

記念館は、現状、今年4月に強制的に休館とさせられていますが、市は、7月以降、記念館の電気を止めると言っているのだそうです。
理由は、市の観光商工部の横道彰部長いわく、
「市では、記念館を廃館にすると決まっている。廃館になれば電気代を払う財源はない。市の所有でない物に税金を使うことはできない」
と主張しているのだそうです。

どういうことかというと、市は、「市長命令で廃館を決めた」というのです。
だから「廃館なら電気代は払えない」というわけです。

けれど、少し考えたらわかりますが、これは矛盾です。
市は、もともとは市の所有物である建物について、あくまで「耐震性に問題がある」から「建物を取り壊したい」と主張していただけです。
廃館と言っていたわけではありません。

しかも建物を取り壊しても、そこには新渡戸稲造博士の愛用品や、新渡戸家伝来の甲冑(かっちゅう)が並び、室町時代の物などの遺産があるのです。
それら約8000点の資料をどうするのか。

そもそも耐震性に問題があるというならば、建物の補強工事をするなり、建替をすれば良いだけの話です。
それがいつの間にか「今月末廃館」が前提となり、来月からは電気も停められるという。
しかも、廃館後、館内の資料をどのようにするかについて、まるで考えがありません。「これから考える」のだそうです。

この記念館の電気を停めるというのは、行政にあるまじき、極めて無責任な行為です。
というのは、漆製品の変形や文書にカビが生じる恐れがあるからです。
いったい市は、歴史的記念品について、どう考えているのでしょうか。

新渡戸家といえば、十和田の地を開拓した大功労者です。
また、新渡戸稲造博士は、名著『武士道』を世界にしらしめた、日本が誇る偉人です。

そして、今回の記念館の取り壊しは、これまでの経緯を見れば、耐震性云々が問題なのではなく、どうみても「記念館取潰しありき」です。
つまり、十和田の歴史と、名家、そして『武士道』をこの世から抹殺しようとする何らかの意図が裏で働いているとしか思えません。

そういえば、武士も武士道も、「ウリ達の国で生まれたものニダ」と主張している国や団体があるそうです。
日本に武士がいて、日本に武士道があったことの証明が気に入らない勢力が、暗躍しているのかもしれません。

私は、一刻も早く、十和田市政が、本来の日本人としての自覚と誇りを取り戻し、記念館の保全に動いてくれることを望んでやみません。

実はこの問題については、今年3月19日に十和田市議会が「新渡戸記念館の展示資料等の継続的展示に関する決議」を全会一致で可決しています。
それが下の決議書です。
にも関わらず、市は、取り壊しを既成事実として押し切ろうとしているわけです。これまた、ありえないことです。議会軽視も甚だしい。

十和田市議会における「新渡戸記念館の展示資料等の継続的展示に関する決議」案 (3 月 19 日全会一致で可決)
新渡戸記念館の展示資料等の継続的展示に関する決議


十和田市民のみなさん、十和田市議のみなさん、十和田の教育委員会のみなさん。そして青森県議のみなさん、青森選出の国会議員のみなさん、どうか、みなさんのお力で、なんとかして新渡戸稲造記念館の保全を進めていただきたいと思います。

新渡戸記念館を護りましょう!!


■新渡戸記念館HP
http://www.towada.or.jp/nitobe/index.html</u>">http://www.towada.or.jp/nitobe/index.html

■関連報道
1 十和田新渡戸記念館 存廃協議は平行線(2015年05月29日)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150529_43046.html</u>">http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150529_43046.html
2 新渡戸記念館 収蔵資料8000点ピンチ(2015年06月03日)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150603_25008.html</u>">http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150603_25008.html

■記念館を守ろうとする有志たちのFacebookページ
https://www.facebook.com/pages/Save-The-Towada/354981788022090?sk=timeline</u>">https://www.facebook.com/pages/Save-The-Towada/354981788022090?sk=timeline

■関連記事
『武士道』新渡戸稲造を読む
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2658.html</u>">http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2658.html


【休館の経緯の詳細説明】
以下の文は、調査に基いて記した新渡戸記念館の休館までの経緯です。
時点は6月3日までの時点です。
===========

2015年2月26日、十和田市は、十和田市議会全員協議会の耐震診断の一環として行った「コンクリート強度診断」で新渡戸記念館の建物のコンクリートが極低強度と判明したと発表した。
診断数値は7.6N/mm²と、1964年の開館以前、1950年当時の最低強度9.0N/mm²もクリアしていないというものであった。
報告書には「技術的に補修は不可能である」と記載された。

この結果を受けて、市は市民や観光客の安全確保のためにと、記念館の4月1日からの休館、および建物取壊しを決定した。
ところがこの時点で、休館後の資料展示保存のための代替施設については、「耐震強度不足の市内全施設の建設計画を今後2年間で一体的に策定するので、その中で市民と共に検討していく」とした。
つまり、建物を取り壊しても、向こう年間は施設内の資料の保全はされず、また、その2年間はあくまで「検討する」ための期間であって、資料を保全するための措置について、何の決定もなされていない。

これに対して十和田市議会は危機感を強め、3月19日当館資料を4月1日以降も展示閲覧できるように善処するよう市に求める決議案を提出し、全会一致で可決した。(本文の決議文)

ところがこの決定に対して3月26日、記念館の指定管理者である太素顕彰会は、その役員会において、「施設が休館となり観覧料の徴収業務が無くなる」ことを理由として、「指定管理の契約を5年契約の2年目途中で中途解約する」と記念館に一方的に通告した。
これにより、館長はじめ館の職員全員が6月末で解雇されることとなった。

太素顕彰会は、新渡戸氏の十和田市開拓の偉業を顕彰する団体で、当初は歴代市長が会長を務めてきた。
これが昭和39年に記念館が建てられてからは、市の外郭団体として館の運営を行うこととなり、さらに2006年に、指定管理制度が導入されてからは、市の商工会議所に事務局が移り、以降、十和田商工会議所会頭が会長を務めている。

つまり、十和田市はこれまで資料の所有者である新渡戸家から寄託を受け、記念館で保存展示活用してきた。
ところが太素顕彰会役員会での説明では、
市の指定有形文化財となっている新渡戸家所有の資料を市に寄贈すれば、何等かの保存措置を講ずるが、寄贈しなければ保存することはできない」との方針を示している。
要するに、新渡戸家の所有財産を「市に寄贈しなければ保護はしない」というのである。
太素顕彰会もその席で、「新渡戸家が寄贈すれば速やかに新しい建物を建てることを要望するが、寄贈しなければ要望しない」との見解を示した。
さらに市議会決議については「これは“資料の展示について”の決議であって、建物を建ててほしいという決議ではない。寄贈されればそれに対しては責任をもって展示保全をし、建物についても検討していく」述べている。

ところが、その後市は一度も新渡戸家に対し、正式に資料の寄贈について申し入れもなければ、協議の要請もない。
記念館には若干の太素顕彰会で購入した資料や、十和田市立新渡戸記念館長が寄贈を受けた資料があるが、これについてのみ、「速やかに市で保存の措置を講じなければならないから」と、市に引き渡すように言ってだけである。

そして市は、4月15日に、収蔵資料を次の3つに分類してリストを提出するように記念館に指示してきた。
(1)新渡戸家所有
(2)十和田市所有
(3)太素顕彰会所有
またここで、寄贈物については『「十和田市立新渡戸記念館」又は「十和田市立新渡戸記念館館長宛」に寄贈されたものは市の所有である』と主張している。

市は当初、新渡戸記念館を建てる時「資料を永久に保存する」と新渡戸家に約束し、大正14年から現在地にあった新渡戸家の「私設新渡戸文庫」を昭和39年に取り壊し、同家の協力を得て記念館を建てた経緯がる。(文末添付写真、昭和41年市設置看板参照)

そのため敷地である十和田市開拓の祖・新渡戸傳(明治4年没)の墓所境内は新渡戸家所有ですが、土地を新渡戸家は無償で市に貸与し、市の都市公園としてきたのである。
つまり所蔵資料のほとんどが個人(新渡戸家)からの寄託資料であり、寄託を受けて保存活用の措置を講ずることは博物館ではごく一般的なものであるがゆえ、これまで50年間、新渡戸家ではそのような形で資料展示を行ってきたのである。

ところがこれについて十和田市は、3月26日の役員会で「市の文化財保護条例では第一義的に所有者が保存の措置を講ずるとなっているため、寄贈を受けないまま公費で保存することはできない」との見解を示した。
更に、市では「寄託」は展示等のために一時的に資料を受け入れる時にのみ適応されるもので、長期の寄託はないという見解を示している。
一般に保存、研究などの目的で所有権を変えずに資料を博物館で長期に預って扱うことを「寄託」と言うのである。
しかしその質問に対し十和田市は「定義が違う」と主張した。

十和田市が、個人所有のものに対して公費を使って保存しないとする根拠に、以下の十和田市文化財保護条例の「補助金」に関する条文、第11条を上げている。
http://www.city.towada.lg.jp/reiki_int/reiki_honbun/r082RG00000270.html
しかし、今回のケースがここで言う「特別の事由」にあたり「保存のための補助金」の交付の対象となるかどうかの検討については、市からは全く提案されず、こちらからそのことを話しても、「個人が保存するものである」という主張のみをしている。

十和田市は旧十和田市と旧十和田湖町の合併時の2005年に文化財保護条例を改訂し、翌年には当館の運営に指定管理制度が導入たが、条例改正当時も、個人所有のものの寄託保存について問題になった。
しかし、今回コンクリート強度診断の結果が出たところ、市は休館、建物の取り壊し、指定管理解除を決め、急に条文に基づいて新渡戸家へ資料を返却するか、市に寄贈するかの二者択一を迫っている。事態の重さがまるで違うのである。

コンクリート強度の問題に端を発したのですが、市の財政的問題や政治的方向性などと絡み合い、閉館に追い込まれ、更に市側は法令を逆手に新渡戸家へ強引な形で寄贈を迫るという図式になっいる。
また、これまでの十和田市の対応に、市のルーツである資料を保存活用し後世に伝えようという姿勢や文化財への敬意はまったく感じられない。

5月28日に行われた新渡戸家と市長との会談においても、市指定の文化財を地域に活かすため双方がどう協力していくのかということが全く協議できていない。
市はこれまで通り記念館は廃館、建物は取り壊し、資料は寄贈を迫り、寄贈しないなら市指定の貴重な資料がどうなろうとも関わりが無いという姿勢である。
また記念館側が建物の耐震診断に疑義を訴えても、全く聞く耳を持とうとしない。

市は、東北地方で震災以来建物の耐震強度の問題が分かった博物館の中で、個人の資料を保存活用するような館が10館ほどあったが、それらは全て財団法人か、資料が市へ寄贈されている館ばかりで、そのため行政で速やかに保存の措置を講じたという例を、今回市の予算を使って保存しない判断の根拠の一つに挙げている。
その判断は「人類共通の遺産」である文化財の保存上、妥当なものといえるであろうか。

更に、市は館内の展示ケースについて、収蔵展示の当館においては資料の重要な保存設備であるにも関わらず、市の備品であるから使用することは相成らず、7月前に搬出するとしている。
ケースから出した資料は、市の所有であれば保存するが、新渡戸家所有であれば全く関知せず、段ボール箱にでも入れて床に置いておけばよいという。
あきれ果てた市の対応である。
すくなくとも文化財の保存環境に対する配慮が著しく欠落している。

市町村への寄贈について、県内の研究者や博物館関係者は、「十和田市の今回の対応を見ると、寄贈してもきちんと保存活用されるとは到底信じがたく、財政難においては売却やあるいは破棄の恐れもあり、どのように扱われるかわからないのだから寄贈してはいけない」と危惧している。

また、記念館と教育委員会が2010年から共催してきた「寺子屋稲生塾」の平成27年年度事は、6月27日の開講式に限らず、7月以降も新渡戸記念館として当館ボランティアKyosokyodo(共創郷土)と共に出来得る限り協力することを教育委員会と申し合わせているが、市はこれについても5月上旬に印刷配付する稲生塾チラシに「新渡戸記念館」の名称を記載することも、協力団体である「新渡戸記念館ボランティアKyosokyodo(共創郷土)」の固有名称を使うことも不許可とし、削除を要求している。
理由は「7月以降新渡戸記念館は廃館となるため」と言うが、あきらかにこれは「議会決定を待たずに廃館を既成事実にしよう」という行為であり、議会軽視である。

名称の使用を禁ずるという市の要求に対し、館員、ボランティアともに、稲生塾の子どもたちのために支障なく事業を開催することが第一と、削除要求を呑んだが、すると市長は、チラシに新渡戸記念館の名称が無いことの説明として「新渡戸記念館が協力しないためである」と事実と異なる発言をしている。

今回の新渡戸記念館の休館とそれに伴って起きている諸々の問題や、新渡戸記念館に所蔵する貴重な文化財の保存環境が不安定な状態になってしまった事について文化遺産国際協力コンソーシアム副会長の前田耕作先生が、平成27年3月26日「十和田は世界の輝きを曇らせてはならない」、5月4日「ふたたび新渡戸記念館の行方を憂う!」と、十和田市民に対し、二度に亘ってメッセージを発している。

メッセージでは、この問題が十和田市地域全体のみならず日本、そして世界に与える多大な影響についてまで言及されており、十和田市が置かれている厳しい現状をはっきりと認識し、今後を考える上でも市民全体で共有すべき情報として6月1日の市広報とともに折り込まれる予定であった「新渡戸記念館だより」75号に掲載する予定であった。

すると今回の「だより」に限って、印刷前に市が事前チェックをすると言ってきたため、ゲラを市担当者に見せたところ「市を批判する内容、市の方針と異なる内容や事実誤認があり、市の予算で印刷発行することはできない」と、前田先生のメッセージの全文の削除を要求してきた。

このメッセージは、文化財に関わる全ての人々に新渡戸記念館の休館、廃館が与える多大な影響について慎重な熟慮を求めたもので、市を批判するものでも内容に事実誤認のあるものでもない。
そのため記念館としては全文削除に応じられないとしたところ、結果的に6月1日の広報折り込みに間に合わず、発行できない状態となった。

この件については、報道関係者も検閲行為ではないかとして記事で紹介している。
 2015年5月31日付東奥日報「広報紙発行できず」
 2015年6月2日朝日新聞「休館・新渡戸記念館存続を求めた寄稿市が全面削除要請」

市民に対して情報統制まで行い、市民不在のまま十和田市行政が推し進めようとする当館の休館、廃館は、そもそも耐震診断の一環のコンクリート強度診断の結果を受けたものですが、「技術的に全く補修の手立てがない」とする診断書の内容が本当に妥当なものなのか、耐震診断の報告内容について、再度検討すべきものである。

また財政問題や政治的な方針転換から、建物強度に不安がある当館の存続について、政治判断として難しいと考えられるのであれば、そのように明確に発表した上で、判断の妥当性について市民の信を問うのが、政治の本来の在り方である。
それこそが、文庫設立から90年、記念館設立から50年の新渡戸記念館の歴史と所蔵する文化財に対する、行政の誠意である。
十和田市の誠意ある対応を望みたい。


昭和41年4月1日十和田市が新渡戸記念館敷地内に設置した新渡戸記念館の説明看板
新渡戸記念館の説明看板



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コメント

-

No title
とある筋から聞いたのですが、市長は本当は新渡戸関連での花巻との交流も辞めたがっている、新渡戸の痕跡を消したがってる。
跡地に関しても返還ではなく、箱物(not博物館)を建てたいらしい。資料は抹殺。
これは本当かは定かではないけれども、本当ならば恐ろしい。

彩雲

呆れますね
もう市に期待することはできないのでしょうか。行政として資金を投じがたい部分があるにせよ、これまで太素を散々に利用してきた市が後ろ足で砂をかけるような真似をするなんて酷いし、歴史的な笑い者になりますね。
市に期待できないなら、県や国の文化財として大切に守って欲しいです。
いったい誰にお願いすれば良いのでしょうか。

k

No title
捏造された像や記念碑はどんどん建てられて、日本の魂であるものは排他される昨今。
日本人はもっともっと激怒しなければいけない。
青森という田舎での話で終わってしまう恐れがある。
何故、国会で問題提起しないのか?

-

No title
書こうと思いつつ先に書かれてしまった。ポッポさんへ
関東在住ですのでその番組はかの悪名高いフジでした。
そして次の日、また悪名高い日テレで同じ様な池上氏の番組が放映されました。

両者とも、も1つ踏み込んでいませんでした。
例えばパラオの国旗についても「日本の様になりたい」という想いから。
と解説してましたが、日の丸(月)が真ん中より少し左寄り。という事まで解説されませんでした。

しかしまぁ、韓国と日本の関係について無知な人が見れば衝撃を受けるであろう内容でした。
そういう意味では評価しますが、
やはり日本人が本気で怒る様な事はオブラートに包むか隠すか、てな解説&解釈でしたね。


カチンときたのは
「ドイツは謝罪を繰り返し、その結果、周辺国と仲良くなった」という解説でした。

(だから日本も謝罪を繰り返せば中韓と仲良くなれる)

  とでも言いたいのでしょうか。

 日韓基本条約、日本からの戦後賠償金に変わる経済支援金の事まで説明した後に良くも言ったなと。


新渡戸記念館に関し、ねずさんの記事を読ませてもらい・・・
韓国の話か?て思ってしまった。

私の地元にも「忠魂碑」は市の財政、つまり皆の税金で賄っている、即刻撤去すべし等とほざいてる議員がいます。
ヤツらは目先の事や金銭的に楽になると高々と歌い上げるのに、その後の事は言わない。
国家百年の計とまでは言わずも、一年後の事、つまり未来の事は言わない。
まさに異人。

>判断の妥当性について市民の信を問うのが、政治の本来の在り方である。

同意。
先人の経歴・偉業を残したいてのが日本人の民意。

その後
とりあえず市長の自宅・実家・親戚の家全て【耐震診断】。
「技術的に補修は不可能」とされたなら壊してOKて事かな。

-

No title
本件、はじめて知りました。
新渡戸稲造については氏の出身大学である北海道大学も
強い関心を寄せており、現在、新渡戸カレッジや新渡戸スクールを開校しています。
この理不尽な動きについて、北海道大学にも知らせてみてはいかがでしょうか。

beany

異議なし。
賛成します。

-

No title
地元の衆議院議員、大島理森氏に対応を陳情するのも方法の一つです。

-

No title
著名な権威のある学者団に耐震性を調査してもらい
結果を市に提出して指示を無効にしてもらったらどうでしょうか。
支持者が建物を買い取ることができればいいんですがね。
また、状況から裁判で戦えば勝てる可能性が大ではないでしょうか。
市長への抗議、新渡戸家への支持者が増えるといいですね。
新渡戸稲造は日本の宝です。
記念館を守りましょう。

-

No title
市長のリコールを市民は考えるべきです。
市長は市民に説明責任があるにもかかわらず、うやむやにしているのは
行政を預かる者として不適格ではないでしょうか。

他県民ですが

No title
某掲示板でこの記事のことを知って読みにきました。
青森県のことは詳しくないのですが、県選出の国会議員も何人か
いらっしゃるのでは?
そういう先生方に陳情してみては如何でしょう。
大した対抗力にはならないかもしれませんが、できることは何でも
やってみる必要があると思います。

ちょび

No title
初めてコメントします。
北海道大学も新渡戸稲造のゆかりの地ですよね。
最悪、北海道大学や北海道立近代美術館とかそういうところが協力してくれないかなあとか思ってしまいましたが、難しいのでしょうか…
本来的には十和田にあって欲しいと思いますが、まずは貴重な資料を保護しなければならないので…
全国的にこの話が広まって大きな声になることを祈ります。
新渡戸稲造は日本と世界のために動いた方ですから。
私も可能な限り拡散したいと思います。

紫陽花

ねず先生、本日も貴重な記事を有り難うございました。大変な事態になっているとの事、初めて知りました。「武士道」は日本の大切な伝統であり、心そのものです。
そのような伝統を無下に扱うなどあっては成らない事です。
十和田だけの問題ではなく、日本の国をあげて全体で守り貫かねばならい事です。
何故突然このような向きになったのか十和田市長にはしっかり国民に説明して頂きたいものです。
其れこそ問題がもっと大きくなる前に、市の財産だと宣い、取り上げられて中韓に売り払われかねません。売り払われた後は、例の如く、これは元々我が国のものだったと言い張られては困りますもの…

-

No title
はじめまして。
いつも、このブログを読んで勉強させていただいている者です。
新渡戸記念館については、黙って見過ごすわけにはいきません。
以前十和田市を訪れた時、この記念館があることを見つけ、ちょうど「国家の品格」を読んで武士道に感銘を受けていた時なので、なんというご縁だろうと思いながら訪れてみることにしました。
しかし、その日はあいにくの休館日で仕方なく帰ろうとしたら、館長の新渡戸氏が出ていらして、遠くからわざわざ来てくれたのだからと言って中を見せてくださいました。
そのお心遣いにいたく感銘したものです。
持って生まれた気品というのは、こういうことだと思いました。
この新渡戸記念館を廃館なんて、とんでもない、許せないです。
この件もですが、あちこちで行われている許せない行動に抗議する方法をちょうど思案していたところです。
自分に出来ることを一つでも行動していきたいと思っています。

syo

市が解体、有志寄付で新築
新渡戸記念館
館長様

建物が市の所有物であれば税金で解体する。

解体後、寄付にて新築する。寄付先を開示してください。
振込手数料が不要な銀行にしてください。

ポッポ

No title
新渡戸稲造氏の記念館、このまま埋もれさせるには余りにももったいないので、また一般公開されることを祈ります。



昨日の夜、関西放送で「金曜プレミアム・池上彰緊急スペシャル知ってるようで知らない韓国のナゾ」がありました。

その中で、日韓条約による経済協力金について日本は韓国に無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの供与及び融資等を行ったとしましたが、現地資産21億ドルの放棄と、この供与に北朝鮮に対するものも含まれていることに触れませんでした。


次に、東日本大震災が発生した際に、最初に駆けつけたのは韓国だとしましたがとんでもない間違いで、韓国が到着するまでにアメリカと台湾が来ていました。ただ、当時の菅政権は台湾の到着を、をわざと遅らせたのです。
この台湾への無礼は、1年後の慰霊祭に台湾を招待しないところまで続きました。池上氏には台湾の救助隊の早期到着に加えて、台湾から極めて高額の義援金が、日本に寄贈されたことを記憶されていないのでしょう。


それから、サンフランシスコ条約締結前に、李承晩大統領が一方的に宣言した李承晩ラインのことには、全く触れませんでした。
これについて、池上氏は李承晩ライン宣言後の、韓国が漁船を拿捕したことや、漁民を銃撃し、拉致したことは説明していたのですが、なぜか李承晩ラインの宣言と、李承晩ラインがあったことだけは説明しなかったのです。

これについて考えることですが、韓国が現在使用している教科書に、李承晩ラインのことは記載されていないのです。
李承晩大統領は、李承晩ラインによって、ディーン・ラスク氏が韓国政府は竹島が日本のものだとする回答を潰しました。また、マッカーサー氏も竹島が日本に属するとしていたのですが、これも韓国は無視しました。

池上氏は、韓国の教科書に沿って説明したのであり、日本の教科書に必ず掲載されているはずの、李承晩ラインの説明をわざと忌避したのではないでしょうか。

池上氏はいつも弁舌さわやかに、様々な事柄を説明されているだけに、なおさら疑問を持ちました。

にっぽんじん

日本人か?
市長は本当に日本人でしょうか。日本人とは思われない行為です。まるで中韓の考え方です。彼の国籍を数代に遡って調べて欲しいと思います。もし本物の日本人なら「中韓」に何か弱みを掴まれているのではないでしょうか。

それにしても十和田市民は何も声を上げないのでしょうか。世界に有名な新渡戸さんの歴史的資料を葬ろうとしている市長に対して「リコール」の声を上げるべきです。そうすれば、さすがの馬鹿市長でも市民の声を聞くのではないでしょうか。

禁多老

青森県という土地は、意外と在日が集まっている可能性があります(女子レスリングの伊調姉妹もその可能性あり)。核処理関連施設が多くその関連の仕事が山ほどあるためです。在日は「危険で儲かる仕事」に群がる傾向があるのです。十和田市長の小山田某氏も、或いは在日なのかもしれません。

えっちゃん

No title
 今日もありがとうございます。

 「日本に武士道があったことの証明が気に入らない勢力が、暗躍しているのかもしれません。」
 同じように感じます。
、「建物の所有権は市にあり、記念館内の資料(約8千点)は市民共有の財産である」
 ここもおかしいし。法的にみても、記念館内の資料を市に譲与する書類がないかぎり、個人のものであることは明白です。(と思う。)
 

-

今こそ日本人の誇りを取り戻せ!
原則は、青森県内に起きている事柄は、青森県人が、叡智を持って、決めることだと思います。

ただ、私は、一地方自治体での出来事のことでも、重大な日本国民全体の問題でもあると思います。

それには、現状の日本国憲法にある管が方に、大きく関わっているように思います。

今の日本国憲法は、自国民たる日本国民が、その子々孫々に至るまで、敗戦国及び敗戦国民の烙印を一生背負わされていることを忘れないでねということ、そして、そんな敗戦国民たるあなた方が担うべきこと=金銭などなど何でも諸外国の要求に応じることこそが、国際貢献であること、いい意味で、一生こうべをたれ続けることをうまく隠している憲法のように思います。

しかし、こういうことを自覚していない日本人も多いように感じます。

さらりと前文を見ると、

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和(お互いに心を合わせて、仲良くすること)による成果と、わが国全土にわたって自由をもたらす恵沢(恩恵を受け、うるおうこと)を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

更に、

「そもそも国政は、国民の厳粛(ごまかしやふまじめを許さず、きびしく、おごそかなこと)な信託(信頼してまかせること)によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受(自分のものとして受けること)する。」

とある。

そして、

「この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅(天皇陛下が意思を表す公式の文書。大日本帝国憲法では、法律と同等とされていた。)を排除する。」

とあります。

更に、日本国民に求められることとして、

「恒久の平和を念願し、(省略)平和を愛する諸国民の公正(公平でかたよらないこと)と信義(約束を守り義務を果たすこと)に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
とあります。

トドメは、

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的であり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係(双方が同等である関係)に立とうとする各国の責務(責任と義務。責任をもって果たさければならないつとめ)であると信じる。
日本国民は、国家の名誉(人の才能や特定の状態に関する輝かしい評判。ほまれ。体面)にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓うふ。」

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

一見良さげに思えますが、何かおかしいと感じませんか?


私は、

「平和を愛する諸国民の公正(公平でかたよらないこと)と信義(約束を守り義務を果たすこと)に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
という箇所が、特に、?と思いました。

この私の解釈としては、

この日本国とその国民は、いつも恒久の平和を愛している諸外国とその民を模範として、その温情を常に忘れず、もし、その平和を愛している諸外国から、日本国に対して何か有事が起っても、その諸外国を疑ってはならない。

なぜかといえば、憲法上、諸外国を信頼するとある以上、疑問を持ったりしてはならない。

ただただ信頼してください。・・・・・と。

戦後70年。

この日本に生まれて、40数年。ちょっとは、日本国民としての使命や義務は果たしてきたと思う。大事な家族と共に。

しかしだ!

肝心の日本国憲法が、その国民のバイブルであるならば、先ずは、終戦後のわずか1-2週間で草案されたとされるこの日本国憲法を見直す部分もあるはずだ。

読んでいて思うことは、常に、諸外国より日本国は、平和に対する姿勢がなっていないというか、思いっきり、日本人の平和観が否定されているように思う。

しかし、現実は、どうだろうか。

そして、ねずさんによる次々と暴露されている本当の日本人の魂の証である歴史を鑑みれば、自ずと分かることと思う。

明らかに、このままの憲法であれば、この日本国と日本民族は、国際社会からは、最低の国であり、民族でなのだというレッテル張りを覆せないのだと。

みなさん、一緒に、闘いましょう。
この日本を良くする為に。


最後に、戦記物をご紹介いたします。

「そのときは、刻々と近づいていた。最後の総攻撃は、9月5日から開始された。空陸相呼吸し、砲兵、迫撃砲、ロケット砲、バズーカ砲と、全火器を動員、日本軍の最後の拠点である中門正面に集中してきた。

城壁は、積木細工のように吹き飛ばされ、舞いあがった黄塵が、守兵をおしつつんだ。

ひきちぎれた守兵の肉片が、こわれた石壁に、ベッタリとへばりつき、足や手があたりに散乱していた。

大田大尉と70名の将兵は、連隊本部付近に追い込まれた。

「いよいよ、最後のときがきたようだな」
ボロボロにひきちぎれた軍服の袖で、汗をぬぐう大尉の顔には、微笑があった。

9月11日
弾薬、手榴弾のすべてを撃ちつくし、残るは軍刀、銃剣のみとなった。
(省略)

9月12日 午前6時

大田は、最後の無電を打つと、無線機を破壊し、暗号書を焼き、すべての処置をすませた。

電文

「現状ヨリスルニ 一週間以内ノ持久ハ困難ナルヲ以テ 兵団ノ状況ニ依リテハ 13日 連隊長ノ命日ヲ期シ 最後ノ突撃ヲ敢行シ 怒江作戦以来ノ鬱憤ヲ晴ラシ 武人ノ最後ノ突撃ヲ飾ラントス 敵砲火ノ絶対火制下ニアリテ 敵ノ傍若無人ヲ甘受スルニ忍ビズ 将兵ノ心情ヲ 諒トセラレタシ」

かくて大田正人大尉以下70名の将兵は、9月13日、故蔵重大佐の命日を期して、敵陣地に突入し、全員散華した。

大田正人大尉は、この蔵重大佐が散華された8月13日から、玉砕の日の9月13日まで戦いに戦いぬいた若干28歳の青年将校でありました。

彼は、兵隊に告げました。

「ここで挫けるようなことがあっては、亡き連隊長に申訳が立たん。これからはあれが指揮をとるが、「龍」兵団の名誉と、九州男児の面目にかけて、立派に戦おうではないか。」

その言葉に、龍兵団の将兵は、

「そうだ!やろうぜ!どうせ墓場ときめた騰越だったからな!」

こういう立派な大人達の心が今も宿っているからこその我が日本国でしょう。

その何にも変えがたい魂をなぜ継承しようと努力をしないのでしょうか。

少なくとも、この日本を良くしよう、次の世代にしっかりとした日本をバトンタッチしたいと願う全ての日本人が持つ矜持とは、正にこの日本軍将兵1人一人がふるさとを後にして、植民地支配下の戦地で自らの命が消えるまで、持って戦った世界最強の正義感であり、責任感でなくてはなりません。

そういうことが、日本を大事にしていく第一歩だと思います。

長文、失礼にて。

はっちょもん

税制問題だ
背景には固定資産税などの税制の問題もあるのではないでしょうか。

日本は相続税が高く、また個人の不動産を代々引き継いでいこうとしても広大な敷地に対して固定資産税が賦課され、払えなければ没収されます。
名家であって多くの人に幸福をもたらすような偉大な功績を残した人に対して軽々しく扱うような風潮を許してはなりません。
最近も、正田家の皇后生誕屋敷は税制の問題で公園になってしまいました。

これから日本を背負って立つ「志」は先人の偉業を知ることによって「感化」されるのです。
そんな社会勉強にふれる機会を与える資料館は行政の負担になる、との名目で無くしてしまうのは大きな損失になってしまいます。

目先の経済観念で市町の長が判断をするのは資格を問われます。
おそらく、新渡戸家も代々の相続が難しくなって行政機関に差し出したことが想像できます。
片方では日本遺産認定や、世界遺産申請などの活動が推進され、身近な所でお荷物とされる個人遺産を没収し、取り壊して税収問題を解決させるのはあまりにも短絡的です。

十和田市の問題を日本国全体の問題として解決させるべきでしょう。
また、相続税も特例を設けるべきです。

竹千代

ねずさん
お早うございます。
許しがたい企てです。
続報を待ちます。

-

更新ありがとうございます。
日本人の血をひいている者達が、
日本人らしからぬ事をしている者達が
あまりにも日本には多い。

血など関係ない、日本人としての魂があるかどうかの問題です。 この青森の十和田市長は日本人の魂ではありませんね。東北人として恥ずかしくないか!

花田良春

真相は何処に?
本件はねずさんのいわれるとおり、バックに闇の勢力のそんざいをかんじさせます。ご足労ですが、真相の追究、第2報、第3報---を期待します。

日本人

No title
>まるでヤクザのような恫喝があっただけです。

十和田市長、正にウシハク支配ですね。
『悪魔の見分け方』が参考になりました。

junn

No title
ヘイトスピーチ規制法案は日本人弾圧法案!
http://ryotaroneko.ti-da.net/e7610238.html
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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