早い話が、ほんのちょっと前までは、待ち合わせの時間も違いました。
台湾で人と待ち合わせをするとき、「People of Taiwan」時間なら、正確にその時間に待ち合わせをします。
その待ち合わせが中国時間、つまり「People on Taiwan」時間なら、前後2時間の幅のある待ち合わせ時間になります。
そしていま、台湾の政治とメディアを牛耳っているのは、「People on Taiwan」の人たちです。
経済は、「People of Taiwan」です。
もとからの台湾人である「People of Taiwan」は、まじめによく働くし、約束は守る。
作業も正確であり誠実です。
けれど彼らが稼ぐ富は、政治的に元大陸人である「People on Taiwan」に巧妙に吸い上げられるようにされています。
台湾における親日の人達は、「People of Taiwan」です。
東日本大震災に際して多額の義捐金を送って下さったのも、この方達です。
終戦のときまで、台湾は日本でした。
ですから台湾にいたのは日本人です。
これがどういうことなのか、振り返ってみます。
では日本が台湾を統治する前の台湾は、どこの国の領土であったかというと、答えは、どこの国の領土でもなかった、です。
これを「無主地」といいます。
戦前まで、つまり国際連盟が機能していた時代の世界の常識は、「無主地は列強が面倒をみなければならない」というものでした。
欧米諸国の植民地統治に、ある意味「都合の良い」理屈ですけれど、それが世界の常識であったことは事実です。
こういう点について、現代の価値観で歴史を見ると、大きな履き違いをしてしまいます。
その台湾で、明治4年に、沖縄の宮古島の漁民が殺害されるという事件が起こりました。
それが「宮古島島民遭難事件」です。
宮古島の漁民が、台湾近海で操業中に海難事故にあって遭難し、乗組員54名が台湾に漂着したのです。
山中をさまよったこの漁民たちは、たいへん残念なことに、台湾の原住民によって殺害されてしまいます。
このことを、直接的に責めることはできません。
世界中どこの国でも、他所の国の人がその辺をウロウロしていたら殺すというのが、世界の標準だった時代のことです。
さらにいえば、China本土に近い台湾においては、大陸人が漂着してくれば、必ず盗みはするし殺人はするし、人を食べてしまうのです。
これが何千年も繰り返されてきたのです。
ですから彼らは自衛のためには、よそ者は殺すしかなかったのです。
ところが、このとき宮古の漁民たちは日本人です。
明治新政府は、国家として事態の収拾を図らなければなりません。
そこで明治新政府は、手順として、清王朝に、この事件について厳重抗議を行ないました。
清王朝は、
「台湾は化外の民(国家統治の及ばない者)につき、関与しない」と回答しました。
清王朝は、このとき台湾を「化外の民」つまり、清国とは関係のない地であり民であると明確に回答したのです。
そこで日本は、明治7(1874)年、台湾に出兵し、加害者たちを攻めました。
これが「牡丹社(ぼたんしゃ)事件」です。
この台湾について、清朝が関心を払うようになったのは、明治17(1884)年のことです。
この年「清仏戦争」が勃発し、フランスの艦隊が台湾北部に侵入したのです。
ご存知の通り、台湾とChina本土は、まさに目と鼻の先です。
そんなところにフランスの軍事基地ができたら、これはたいへんなことになると認識した清王朝は、まったく新たに「台湾省」を新設して、台湾に清朝の役人を置きました。
これが明治18(1885)年です。
そして明治27(1894)年にはご存知「日清戦争」が起こり、明治28(1895)年の日清間の下関条約において、清朝は正式に台湾を日本に割譲しています。
そして日本は、このあと昭和20(1945)年の終戦まで、ずっと台湾を日本の領土として統治してきました。
ここ、重要なポイントです。
台湾を領土とみなしていなかった清朝が、台湾を清朝の領土、すなわちChinaの領土としたのが明治18(1885)年です。
そして清朝が日本に台湾を割譲したのが明治28(1895)年です。
つまり、台湾がChinaの国土の一部であったのは、歴史上、「たったの10年間」しかなかったのです。
ではそれ以前の台湾はどうであったのかというと、日本でいう戦国時代頃にオランダが約30年統治したことがありました。
あるいは、琉球が台湾を支配しようとした時代もありました。
けれどオランダも琉球も、きわめて短期間のうちに、台湾から撤退しています。
なぜかというと、台湾にはコレラなどの風土病があり、また8つある部族は、それぞれまったく違う言語を話し、しかも部族間の対立も激しい。
しかもこの台湾の各部族というのが、とんでもなく強いのです。
ですから銃を持ってインカを消滅させたほどの欧米列強が、台湾に関してだけは、まったく歯がたたない。
ひとつの王朝が台湾全土を支配しているのなら、その王朝を倒せば事実上の支配権が手に入るのです。
けれど台湾には、その王朝がなく、村落共同体があるだけです。
その村落共同体を攻めようとすれば、村人たちは山中に避難します。
そして夜陰に紛れて、襲ってきた欧米人や、その昔なら大陸人たちを音もなく皆殺しにしてしまうのです。
警備の厳重な仮設要塞を築いても、今度はそこが伝染病にやられてしまう。
そして台湾には、8つの部族があり、それぞれごとに言語が違う。
共通言語がないのです。
ですから、世界中どこの国も、台湾を支配したり統治したりすることが、まったくできなかったのです。
こうして明治28(1895)年の下関条約から昭和20(1945)年まで、日本が台湾を統治しました。
引き算をしたらわかりますが、まる50年間、台湾は日本だったのです。
この50年間に、台湾は劇的な近代化を遂げ、言語も統一され、台湾の人々は日本人、すなわち天皇のおおみたからとなり、皇民教育を受け、法治国家となり、かつての日本と同じ、治安の良い平和で人々が和と絆と結(ゆ)いの心を大切にする日本国民となりました。
繰り返しますが、台湾がChinaの領土だったのは、歴史上、たったの10年間です。
その後の日本統治の50年の方が、よっぽど長い歴史を刻んできたのです。
けれど、このように書くと、そうはいっても、戦後70年じゃないかという声が聞こえてきそうです。
そうなのです。そこが問題なのです。
終戦のとき、日本には米軍が占領軍として入り込みました。
台湾には、中華民国を名乗るChina国民党が、占領軍として入り込みました。
いよいよ国民党軍が上陸してくるとわかった日、当時の台湾の人々の中には、日本統治を良しとせず、占領軍である国民党軍がやってくることを歓迎しようとする人々もあったのです。
ここも大事な点です。
こういうところに、日本に古来からある言論の自由が保証されていたことが明確に見て取れるからです。
どういうことかというと、言論の自由のない国ならば、日本国であるときに、親中派となることは売国奴として粛清の対象となる、つまり片端から逮捕して殺害するのが、当時の時代にあって、あたりまえのことであるからです。
反体制派の人達が、それなりに自由に活動できるということも、それが日本ならではのことである、ということなのです。
けれど、国民党軍が上陸する日、港に歓迎にでかけた反日親中派の人達は、そこであまりの現実に慄然とします。
彼らは、軍隊といえば、日本の軍隊しか知りません。
礼儀正しく、規律的で、民衆を守るイージス(盾)となる人々であり、服装も態度も立派な人々、そういう認識です。
けれど上陸してきた国民党軍には、まるで規律などなく、兵達は体中に略奪品の鍋や釜をぶら下げ、それはまるで銃を手にしたホームレスの集団だったのです。
そしてそのホームレスたちは、上陸するやいなや、台湾中の町中に入って、略奪を始めました。
ある家では、水道の蛇口から水が出るのを狂喜した国民党兵が、これは便利だからと、その蛇口を取り外して兵舎に持ってこいという。
わけもわからず、その家の主人が蛇口を外して兵舎に持って行くと、そこに取り付けろ、という。
言われるままに兵舎の壁に蛇口をつけると、彼らは大喜びだったのだけれど、壁に蛇口を取り付けただけですから、肝心の水が出ない。
すると彼らは、蛇口から水が出ないのは、その主人のせいだとして、その場でその主人を射殺してしまったのです。
こういうことは、いまの日本人もしっかりと認識すべきことです。
日本では、いまも昔も軍人(自衛官)といえば、辛く苦しい中にあっても、災害救助に来てくれたり、とっても信頼できる民衆のイージス(盾)ですけれど、大陸においては、いまも昔も大昔も、軍人と暴徒とヤクザは、まったく同一のものなのです。
歴史を振り返れば、世界中が国と国の争いや戦いに明け暮れたのがこの二千年ですけれど、そんな暴徒たちから国を守ろうとすれば、戦いになるのが、むしろあたりまえなのです。
さて、こうして台湾に占領軍としてやってきた国民党(中華民国)ですが、その国民党はシナ大陸の政権です。
ところが彼らは、その大陸を、China共産党に追われて、敗戦につぐ敗戦を繰り返し、ついに国そのものが台湾に亡命してきてしまったのです。
これがどういうことかというと、いまでも日本では、かつてGHQにぶら下がって特権を得た、日本人とは価値観の異なる在日コリアンが、敗戦利得者となって国を混乱させていますけれど、元日本であった台湾では、コリアンならぬ大陸人が、GHQとなっていまだに台湾に居座っている状態ということができます。
それがどれほど恐ろしいことなのか。
仮に日本の人口の4分の1がコリアンとなり、政治経済を彼らが牛耳ったらなどとは考えたくもないことですが、その恐ろしい出来事が、いまだに現実となっているのが、実は、台湾の現状です。
いま台灣にある政権は、国名として「中華民国」を名乗っています。
ところがこの「中華民国」は、国連からも世界中の諸国からも、また日本からもアメリカからも「国」として承認されていません。
なぜかというと、「中華民国」は、台灣の政権ではないからです。
「中華民国」は、あくまでChina大陸の「元・政権」、「元・国家」であって、台灣の政権ではありません。
そして「中華民国」は、台灣を、第二次世界大戦の戦後処理の一環として、台灣を軍事占領しているだけです。
そして軍事占領というのは、あくまで一時的にその国の法執行を停止し、行政機構その他の政府機構のすべてを占領軍の下におく、というだけのものであって、その国の主権を獲得するものではありません。
ですから中華民国政権が台灣にあっても、それが台灣の政権として認められるものではないのです。
つまり、台灣にある中華民国政権は、あくまでも占領軍であり、台灣に亡命してきた亡命政権でしかないわけです。
ここがまた問題です。
亡命政権である、ということは、亡命してきた先があるわけです。
たとえばインドには、チベットのダライ・ラマが亡命しているガンデンボタンがありますけれど、それはチベットの正当な政権保有者が、いまは「主権国家であるインド」に亡命している、ということです。
つまり、主権の確立された他国に亡命しているから亡命政権なのです。
では中華民国(国民党)の場合はどうなるのでしょうか。
中華民国は、China大陸の政権を自認する政権です。
けれどその大陸を追い出されて、いま台灣に亡命しています。
その台灣の本来の国際法上の地位は、どのような地位になるのでしょうか。
もともとは台湾は日本の領土です。
そしてその台湾について、昭和27年のサンフランシスコ講和条約には、次の記載があります。
第二章 領域
第二条
(b)日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(英文)
(b) Japan renounces all right, title and claim to Formosa and the Pescadores.
ここに、権利、権原及び請求権を放棄とあります。
このことは、このブログで何度も触れていることですが、「権利、権原及び請求権を放棄」というのは、いわば「処分権を放棄した」ということに等しいことです。
たとえば、自分の持っている携帯電話を、誰か、たとえばA君に、転売、廃棄などなんでも構わないから処分を委託したとします。
処分を委託されたA君は、しっかりとその委託事務を果たさなければならないのですが、ところが「あれから63年」、いまだに、A君は、頼まれた携帯電話の処分をしていません。
ということは、この場合、その携帯電話の今現在の所有権は誰にあるのでしょうか。
つまり日本が締結したサンフランシスコ講和条約の当事者国である連合国は、台湾の主権の帰属先をしっかりと定めなければならなかったのです。
その連合国というのは「United Nations」です。
いまの国連がこれに相当します。
国連は、中華民国を国連加盟国としていまや認めていません。
連合国(United Nations)からみたら、中華民国というのは、「存在しない国」なのです。
では、台湾の主権は、いった誰が、どこの国の誰が持っているのでしょうか。
サンフランシスコ講和条約は、日本と連合国との間で締結されました。
このとき、日本からは全権として吉田茂が調印の場に臨んでいます。
では、吉田茂はこのとき、誰から全権を委ねられていたのでしょうか。
実は日本国政府からではありません。
まずサンフランシスコ講和条約は、大東亜戦争を終結させるための講和です。
日本国政府は、戦後に誕生した日本国憲法下の政権ですから、日本国政府には、戦争当事者国として講和条約を締結する権限はありません。
つまり大日本帝国憲法下の日本と、連合国が戦争したものを集結させ講和条約を締結したのですから、戦争当事者国は大日本帝国です。
吉田茂は、その大日本帝国の全権として、この調印に臨んでいます。
日本国憲法下の政府の代表ではないのです。
だから「全権」なのです。
ちなみに、日本国憲法ができあがったときに、GHQが大日本帝国憲法の廃止ができなかった理由もここにあります。
GHQは日本を占領しましたが、いつまでもその占領統治を続けることはできません。
いずれどこかのタイミングで、占領軍を撤収しなければならない。
そのためには、講和条約を締結しなければならない。
そして講和は、戦争当事者国同士の講和条約でなければ、なんの意味も持ちません。
ですから大日本帝国憲法の執行停止は、さしものGHQにもできなかったし、すれば米国は戦争を終わらせることが
できないというジレンマにおちいってしまったのです。
そして大日本帝国憲法における日本の主権者は、日本国天皇です。
つまり日本の領土領民は、すべて天皇の大御宝です。
ということは、つまり、台湾の主権者は、いまなお、実は、日本国天皇が保持しているのです。
そしてその日本国領土を、中華民国という亡命政権がいまだに占領したままにしている、というのが、実は台湾の法的地位です。
けれど日本は、サンフランシスコ講和条約において、台湾に関する主権者としての「権利、権原及び請求権」を放棄しています。
つまり、その主権の処分は、連合国、そしてその連合国の代表者である米国が、きちんと結論を出さなければならないというのが、実際のところです。
ところがその台湾は、東シナ海と南シナ海の中間点に位置しています。
そしてその東シナ海と南シナ海の海中には、世界第二位の産油国であるイラクに匹敵する埋蔵量の莫大な石油が眠ていることが明らかになっています。
そして中共政府は、その東シナ海と南シナ海を領有し、石油の独占をすべく、琉球諸島、台湾、そして南シナ海にある西沙諸島、南沙諸島までをも、自国の領土領海にしようと、軍事活動を展開しています。
けれどもその中共政府は、サンフランシスコ講和条約の当事者国ではありません。
つまり、中共の行動は、国際社会における横領行為ということになります。
横領を放置すれば、国際秩序は乱れます。
ですからこれは放置できない問題です。
そうなると、米国としても、いつまでも台湾の法的地位を曖昧にしておくことができなくなります。
そして台湾の地位を明確にするためには、日本における主権者も、国民主権などという占領統治下の曖昧なものではなく、明確にしなければなりません。
なぜなら、日本国の主権者が明確になることで、台湾の地位保全や、南沙諸島、西沙諸島、そして東と南のシナ海の領有権が明確になるからです。
南沙諸島に、中共政府が軍事基地を作っています。
これを放置することはできません。
けれど、米国が、その中共に「待った」をかけるには、米国側に、「待った」をかけれるに足る法的発言権が必要になります。
そしてその法的発言権は、実は、サンフランシスコ講和条約に基づく以外にない。
そして米国がサンフランシスコ講和条約を持ち出すならば、それは台湾の地位正常化にも、直結した法的地位の安定化になり、それを言うためには、日本国憲法という戦後の占領法規についても、修正を要請しなければならないことになっていくわけです。
実はいま、東亜情勢の根幹にあるのが、この流れなのです。

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コメント
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統治の期間や性質以上に重要なのが植民地と固有領土の違いです。
下関条約以前の台湾は植民地にも満たない清国の拓殖地でした。
しかもその範囲は台湾の西岸平野部に限定されていました。
下関条約以降の台湾は全土が日本の植民地となりましたが
昭和20年4月1日の詔書による台湾住民への国政参与権付与と
兵役法改正による昭和20年度からの台湾籍者への兵役義務付与で
台湾は日本の固有領土となり日本は台湾の領有権を確立しました。
拓殖地も植民地も施政権しかない状態ですから
施政権と領有権を併せた完全な主権を確立したのは日本だけです。
固有領土となった以上連合国は占領は出来ても分割は出来ません。
だからこそカイロ宣言やポツダム宣言によって
台湾を中国に返還すべき根拠も返還した事実も皆無なのです。
下関条約で清国が台湾を手放した以上中国は台湾と無関係です。
特にポツダム宣言が履行すべしとしたカイロ宣言の台湾返還条項は
連合国自ら直前に署名した国連憲章の領土保全の原則に反します。
本来はサンフランシスコ平和条約の締結時に一切の占領を終えて
台湾を含めた全ての固有領土の施政権を日本に返すべきところ
当時の米国は中華民国との利権関係等からそれをしませんでした。
日本に台湾の施政権を放棄させたのもそのためです。
サンフランシスコ平和条約は講和条約であると同時に
米国はじめ連合国が日本の分割占領を継続するための条約でもあり
固有領土の永久占領は侵略に等しい国際法違反の行為ですので
台湾を含む固有領土の占領はいずれ解かれなければなりません。
まさに昭和47年に沖縄が日本に返還されたようにです。
戦後の日本国は分割占領された大日本帝国の内地限定で
施政権を持つことを連合国から認められた暫定自治政府に他ならず
日本国憲法も形式こそ大日本帝国憲法の改正手続によりましたが
実質はGHQが新規に作らせた分割占領基本法です。
天皇主権から国民主権への転換も民主化ではなく分割占領のため。
大日本帝国の継続と日本国の正体が日本人の知るところとなれば
宮沢以来戦後の憲法学者が弄んできた八月革命説も吹き飛びます。
それがこれから台湾そして日本で起こる大変革の背景です。
2015/06/10 URL 編集
日本人
2015/06/08 URL 編集
里芋山芋
ねずさんブログを拝見したときに私はねずさんを批判するブログ他も同時に見ています。そのなかでたま~になるほどの内容もありますがそれを含めても更新していないしたまに更新したのをみてみれば『馬鹿ではなかろうか』というものです。ねずさんは正々堂々ですが批判者は本当にどうしようもない馬鹿たれであるということです。
2015/06/08 URL 編集
シバサマ1966
あらためて日本とシナの対比が際立ちます。
それは「王道」と「覇道」。
王道は真理であり、時はかかるが共感を産む。
しかしながら時が過ぎても色あせない。
今、その王道を具体的な行動で世界に発信しているのが安倍首相。
G7では、参加国がシナとロシアの不正義に対して、それぞれの
個別的関係があるため、共同声明に名指しが出来ないであろうとの
報道を見た。
これまで一貫してシナ・ロシアに対し、「力による支配は認められない」と訴え続けている安倍首相を誇りに思い、応援したい。
2015/06/08 URL 編集
-
「戦前の日本が・・・とか、戦前のようだ・・・とか」・・・
日頃から、未熟な自分の魂を磨こうともせず、ただただ我が日本民族の弥栄と自分の家族を護る為に、闘ってくれた日本の将兵のプライドをズタズタにしようとデマカセに精を出しているゴロツキ共よ。
いつまでも、戦前の日本がとか日本軍がひどいことをしただとかのせいにしてんじゃねぇーよ!
以下は、回天特攻にいたある我が日本帝国軍人の話です。
若干18歳で、回天特攻に出撃する際、もう少し待てば、あこがれの南十字星が見れたかもしれない・・・
しかし、命令が下った。
「ただいまより、搭乗します。お世話になりました。貴艦の武運長久を祈ります。」
ご存知の通り、回天に搭乗するということは、二度と外に出られないのです。
搭乗後、操縦席の外側は、ボルトで、しっかりと留めてしまうからです。
・・・
どんな気持ちで搭乗したことでしょうか・・・
わずか18歳の少年です。
・・・
今の私達にも出来ることでしょうか?
・・・
出来もしないくせに、こうした行為だけを責めることは、全くの卑怯者です。
どうか、我が日本民族の魂を持つ方々には、この若干18歳の日本軍将兵の心を汲んであげてください。
・・・
・・・
2015/06/08 URL 編集
シバサマ1966
あらためて日本とシナの対比が際立ちます。
それは「王道」と「覇道」。
王道は真理であり、時はかかるが共感を産む。
そして時が過ぎても色あせない。
今、その王道を具体的な行動で世界に発信しているのが安倍首相。
G7では、参加国がシナとロシアの不正義に対して、それぞれの
個別的関係があるため、共同声明に名指しが出来ないであろうとの
報道を見た。
これまで一貫してシナ・ロシアに対し、「力による支配は認められない」と訴え続けている安倍首相を誇りに思い、応援したい。
2015/06/08 URL 編集
junn
ところが本国に対しては完璧に義務をスルーし、在日天国を謳歌してきた巨大なつけが今、韓国と日本の両サイドから突きつけられている。
無国籍在日の問題は日本は関係がない。ただし、日本における滞在の法的根拠がなくなれば暫定国籍は韓国なのでお帰りとなる。資産、兵役と住民登録、国籍付与と棄民の締め付けは半端ではない。帰化韓国系日本人にまで食指を動かしている。まあ自業自得だな。
http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/2015-06-08-1
2015/06/08 URL 編集
すー
私、知りませんでした。今井雅之さんがこんな講演をしてくださっていたのは。
https://www.youtube.com/watch?v=1pqi0y6UEz0
今回の記事に直接関係ないのですが、こんなに国を思っていた人もいたんだと思って。細かいこと言うと色々議論もあると思うんですが、
「国」を思うと今井さんが真摯に訴えようとしていたことは伝わります。
2015/06/08 URL 編集
東京下町在住
2015/06/08 URL 編集
Katsu Kazan
占領軍として進駐してきた蒋介石軍の風体は、靴も履かないサンダル、草履履き、女、子供の手を引いた、難民のような雑兵の群れを見た時に、精強で、軍律厳しい日本軍を見、自ら志願した台湾人も多かったことを思えば、驚いたことは間違いありません。
以来、泥棒、強姦が多い為、台湾は全ての窓に鉄格子が取り付けられ、現在でも新築建築でも、1階から4or5階の全ての窓ベランダはすべて鉄格子付きです。そして各家のドアは完全に二重ドアです。外から見れば、中に済んでいる自分は猛獣のライオンか虎なのではと、笑ってしまう程です。それくらい、外省人は浅ましい盗人犯罪者集団だったことが想像されます。
さらに、「228」が起こります。Kazanの知り合いに、帝国海軍に入隊、高雄で終戦を迎え、事件がおきて、旧日本軍ということを理由に一年近く投獄された90歳近い台湾人がおります。
獄中では、凄まじい食事内容であったことも伺いました。そのファミリーは、以来政治向きなことからは一歩、二歩と距離置くことを家訓にしているようです。 多くの内省人も多かれ少かれ、同様の傾向があって、日本人なら当然のように注意するようなことも一切見て見ぬふり、つまり「沈黙」状態になっております。
このような風土が、「People on Taiwan」を醸成したのも事実のようです。
国際的に中途半端な立ち場にあることから、自分では台湾海軍を現代の「無敵艦隊」と言っております。中国は、同じ同一国とみなしておりますから攻撃しない限り襲ってきません。ベトナムフィリピンは、敵わないから攻撃してきません。日本は、憲法九条があり、まして親台湾国ですから安全牌。米国は「台湾関係法」あるかぎり完全な味方です。まさに敵のいない無敵艦隊なのです。
ブログ後半の「大東亜戦争終結と講話条約締結者に関する当事者の法的資格」の内容は、大変勉強になりました。大日本帝国憲法と当事者からの全権大使の関係はほとんどの方が明瞭に区別、理解されていない分野と想像します。法学部では無かったので、その点に特に興味がいきました。踏み込んだ勉強をしてみたいと思っております。
最後にいつも心を篤くさせてくれる記事に感謝しいたします。
2015/06/08 URL 編集
junn
この報道を読んで脳裏にふと浮んだ事柄を、以下少しばかり書きとめて置きたい。
人口2600万人のネパールが、毛沢東主義の共産主義者たちの跳梁跋扈によって、王制を廃止したのは2008年5月28日。つまり、今から、ちょうど七年前。このとき、ギャネンドラ国王が退位し、「ネパール王国」が終焉し、「ネパール連邦民主共和国」という新しい共和国の国名に変わった。そして、二週間後の6月11日、国王が宮殿を追われていくことを知った私は、ネパールは、そう遠からず連続した大不幸に見舞われるだろうと確信した。今般の大地震は、王制を廃止したネパール国民に降りかかる、これら連続する「天罰」の第一号にすぎないものだろう。
こう考えてこそ、歴史に学ぶ賢い智慧の態度というもの。エチオピアの王制廃止しかり、アフガニスタンの王制廃止しかり、王制廃止は国民が地獄へと転落し苦難に伸吟する始まりとなる。
この政治学的公理は、古くは十八世紀のジャコバン党のフランス革命や二十世紀初頭のレーニンのロシア革命に見るごとく、王制廃止国家の常として血塗られた政治に国民が阿鼻叫喚した歴史において十分に証明されている。この公理に例外が無いとすれば、王制廃止がもたらす国民の大不幸という政治の大鉄則には、ニュートン力学的な真理に近いものがある。
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2015/06/08/105914
2015/06/08 URL 編集
菊
ねずさんが以前書かれた「二つの日本」で台湾のことを知ってから、動向が気になっていましたが、動き出すのですね。いえ、70年して動き出すタイミングを待った神国の力なのかと。
さて、数日前嫌な記事を目にしました。
馬さんが「抗日70年、戦勝なんたら、慰安婦像設置」だとか。
いよいよ、自身の土台が危なくなってきて、反日で地固めするつもりなのでしょうか。馬朝鮮とpeople on taiwanを呼ぶのがいいかと。
2015/06/08 URL 編集
敦子
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平成27年6月6日
安倍晋三 @AbeShinzo 6月6日
日本の首相として初めての #ウクライナ 訪問です。#ポロシェンコ大統領 との会談では、ウクライナの安定化と改革に協力することを表明しました。 pic.twitter.com/vqMZochMVk
平成27年6月7日
安倍晋三 @AbeShinzo 14時間14時間前
ドイツのエルマウでG7サミットが始まりました。美しい渓谷のリゾートです。メルケル首相の先導で首脳が揃って散策。これから世界の様々な課題について議論を深めます。#G7Summit pic.twitter.com/BXnbmwIIiB
2015/06/08 URL 編集
ツンデレ重巡
これは「高砂族(たかさごぞく)」と呼ばれた人たちですね。この呼び名は日本人が付けました。今日的には台湾原住民というのかな? この人たちの言語はオーストロネシア語族(マレー・ポリネシア語族)に属するされ、フィリピンや太平洋の島々、インドネシアの人々とオリジンを同じにするとされます。2004年の統計だと各部族合わせて約45万人、台湾全人口の約2%の少数派です。
> もとからの台湾人である「People of Taiwan」は、まじめによく働くし、約束は守る。
これはおおむね「本省人」のことですね。台湾省の人という意味です。この人々の多くは、明が滅びて鄭成功が抵抗活動をしていたころ以降に台湾に渡ってきた人の子孫です。台湾の対岸である福建省から来た人が多かったようで、家庭で喋るのは台湾語。これは閩南語に近い言葉です。「閩」というのは福建省を意味し、台湾語は福建省南部の言葉と同根です。なお、「閩人(福建人)は越族であって、漢族ではない」「台湾人は越族と原住民との混血民族」という主張もあるようです。
本省人の中には客家をルーツとする人もいるようです。この人々は客家語を母語とします。客家人は広く薄くあちこちにいるので、いつどうして台湾に住んでいるのか判然としませんが、一説には人口の15%(外省人として入ってきた客家人を含む数字と思われる)を占めるとされ、けっこう大きなエスニックグループを形成しています。
> 台湾の政治とメディアを牛耳っているのは、「People on Taiwan」の人たちです。
これはいわゆる「外省人」のことですね。台湾省の人間じゃないという意味で、戦後に国民党員(とその家族)としてやってきた人たちとその子孫です。この人たちの一世は出身地が大陸各地ばらばらで母語もいろいろですが、共通に使う言葉は「国語」。中共では「普通話」と呼び、NHK講座で「中国語」と呼んでいる人工言語です。
学校教育は国語(普通話)で行われますから内省人も台湾原住民も国語(普通話)が喋れますが、家庭ではそれぞれの母語が使われていたりするようです。台湾原住民の方が喋る言葉は同じ語族に属していても部族ごとに通じなかったように、台湾語と国語(普通話)も通じません。
2015/06/08 URL 編集
junn
http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/2015-06-08
2015/06/08 URL 編集
tbsasahinhk
我が国では、戦後WGIPにより洗脳された者や、在日反日外国人の割合が同じように4:1くらいで圧倒しています。
旧日本人のシラス思想の人間を増やしていくのは容易ではないことを考えると、教育の改革しか考えられません。
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