もっとも大東亜戦争の末期には、自動車で言ったらすでに11年落ちです。
この時代は、ものすごい勢いで飛行機が進化した時代です。
上の写真を御覧頂いてもわかるように、この飛行機は先の大戦中には完全に型落ちの旧型機でした。
ただ、良いところもあって、燃料のガソリンには、アルコールを混入した「八〇丙」という劣悪な燃料でも飛ぶことができました。
だからこそ練習機であったわけですけれど、大東亜戦争末期の昭和20年は、日本の石油輸入量はゼロです。
それだけに、ある意味、貴重な飛行機でもあったわけです。
昭和20年7月27日のことです。
台湾の竜虎海軍基地で、この九三式中間操縦練習機で、夜間爆撃訓練をしていた三村弘上飛曹以下7名、計8名に、特攻命令が下りました。
三村弘上飛曹以下7名は、7月28日の早朝に台湾の新竹基地に到着しました。
そこで彼らに「神風特別攻撃隊第三竜虎隊」の命名式と別盃式が行われました。
式が終わるとすぐに出発です。
台湾の宜蘭基地を経由して、石垣島へ転進します。
その石垣島から先島諸島へ、そこから宮古島へと移動する行程です。
本来なら、台湾からひとっ飛びの距離です。
しかし、それができるだけの性能が、この飛行機にはありません。
燃料も持たなかったし、飛行速度が遅いから、飛ぶのに時間がかかるのです。
さらに、この移動だけでも、九三式中間操縦練習機(赤とんぼ)にとっては、たいへんなことでした。
実は、「第三竜虎隊」に先だって「第一、第二竜虎隊」が台湾を出発しているのです。
しかし、第一も第二も、飛行中に機体に故障が続出、さらに天候不良が重なって、両隊ともほぼ全機が与那国島へ不時着してしまっていたのです。
しかも全機、飛行不能です。
エンジンに無理がかかってしまったのです。
28日夜半、「第三竜虎隊」は、赤トンボに、250キロ爆弾をくくりつけました。
無茶な話です。
当時、特攻に使われた戦闘機の多くは、2000馬力級のエンジンを搭載しています。
対する赤トンボは、わずか300馬力です。
そこに250キロ爆弾をくくりつけるというのは、原動機付き自転車で大型ダンプカーを牽引するようなものです。
機の性能の限界を超えています。
ですから宮古島を離陸した「第三竜虎隊」は、まず8機のうちの1機がエンジントラブルに見舞われました。
限界を超えてエンジンを全回転させているのです。無理もないことです。
やむをえず、その機は宮古島に引き返したのですが、着陸までエンジンが持たずに飛行場で大破しています。
残る7機は、三村隊長機を先頭に、整然と隊列を組んで沖縄に向かいました。
しかしやはりエンジンが不調となり、2機がいったん宮古島に引き返します。
残る5機は、そのまままっすぐに米艦隊の群がる沖縄の海に向かいました。
沖縄までたどり着くだけでも容易でない赤トンボです。
その行き先の沖縄の海には、見渡す限りの米軍の大艦隊がいます。
到着したとしても、速度の遅い赤とんぼで、見事、特攻を成功させれる見込は、かなり薄いと言わざるを得ません。
当時の戦闘機は、時速600km/hくらいのスピードで飛びました。
しかし、250kgh爆弾を搭載した赤トンボは、時速130km/hがようやくです。
三村隊長は、出発前の日記に、
「九三中練で死ぬとは思いもよらず」
「九三中練とはちょっと情けないが、我慢しよう」と書いています。
そもそも不可能としか思えない作戦なのです。
それに誰だって、最期に死ぬ時くらい、カッコよく死にたい。
どうせ死ぬなら、憧れのゼロ戦に乗って、とは誰しもが考えます。
ところがそのゼロ戦は、すでに補充がありません。
もはや赤とんぼしか、まともに飛べる飛行機もなかったのです。
たとえ、機体が練習機にすぎなくても、皇国を護るために命をかける。
その覚悟あっての特攻作戦でした。
ところが、ここに奇跡が起こったのです。
「第三竜虎隊」は、米軍に発見されなかったのです。
米艦隊は、当時、最新式のレーダー探知機を使い、日本軍の飛行部隊を通常150kmで捕捉していました。
ところが、赤トンボは、極めて操縦性能の良い練習機です。
ですから、夜の海を海上すれすれに飛びました。
そのためにレーダーに捕捉されにくい。
しかも、機体は木と布です。
ですから米軍自慢のレーダーにもほとんど反応しない。
たまに反応しても、光点は、点いたり消えたりです。
しかも、異常に飛行速度が遅い。戦闘機なら落下してしまいそうです。
米艦隊の中でも、議論になりました。
レーダーが感知したこの光点は、鳥か飛行機か、それとも誤反応か。
このため、本来なら、特攻攻撃に備えて準備万端整えるのに、その迷いが、米軍の戦闘準備を遅らせました。
米軍が、ようやく「敵機だ」と気が付いたときは、すでに赤トンボは、艦隊のわずか20km先、到着までわずか10分弱の距離まで近づいていたのです。
「敵機来襲!」
米艦隊は大慌てて、特攻攻撃に備えました。
艦上は大混乱に陥ります。
敵は、どこだ!?
見れば、もう肉眼で見える海上を、超低空で日本機がやってきています。
この当時、米軍が日本の特攻機対策のために採用していた高射砲は、飛来する飛行機のすぐそばで破裂すると、弾薬の中の鉄片が四散するというものでした。
弾が直接当たらなくても、敵機を撃墜できるのです。
ところが練習機赤トンボは、あまりの低空飛行であるがために、高性能高射砲を撃てない。
その角度で撃ったら、友軍の艦船に弾が当たってしまうからです。
米艦隊は、至近距離に近づく赤とんぼを、近距離砲を使って迎撃します。
滅茶苦茶に弾が飛んできました。
赤トンボは、低速です。
何発もの弾が、赤トンボに命中しました。
ところが、弾が命中しているのに、赤トンボは、墜ちません。
赤トンボは、機体が布張りですから、弾が貫通してしまったのです。
三村隊長以下7機の「第三竜虎隊」は、全機、敵弾を受けて機体を穴だらけにしながら、さらに敵艦隊に肉迫しました。
敵の輸送船には目もくれません。
狙いはあくまで敵の軍艦です。
そして最初の一機が、米軍の誇る最新鋭駆逐艦「キャラハン」の右舷に体当たりを成功させました。
赤トンボは、時速130kmの低速です。
機体は艦上で爆発炎上し、木端微塵になりました。
通常、これだけでは、固い装甲を施した駆逐艦は沈没しません。
ところが、赤トンボが、重たい荷物として運んだ250キロ爆弾は、装甲弾です。
爆弾は機関室まで突入し、そこで大爆発を起こしたのです。
機関室のすぐ脇には、対空弾薬庫がありました。
炎はこれに誘爆して、艦は大爆発炎上しました。
そして「キャラハン」は、まさにあっという間に沈没しました。
米軍は、大東亜戦争を通じて、いまにいたるまで、その場であっという間に完全に沈没した艦以外は、「沈没」と発表していません。
たとえば、大破炎上して、数時間の後に沈んだ船は、それが日本側の船なら「撃沈」に加えますが、自軍の船なら「大破」とします。
戦いのその場では沈んでいない、というわけです。
けれどこのときの「キャラハン」は、どうにも誤魔化しようのない、まさに「沈没」とされました。
続く2番機は、「キャラハン」のすぐ近くにいた駆逐艦「プリチット」にめがけて突入しました。
「プリチット」の対空砲火開始は、なんと赤トンボとの距離が1500メートルに迫ったときでした。
それでも、ギリギリ、艦の1.8メートル手前で、赤トンボを撃墜しています。
ところが、この日のために訓練を積んだ「第三竜虎隊」の執念の一撃です。
赤トンボが海上に激突した衝撃で、搭載した爆弾が「プリチット」に命中したのです。
「プリチット」は、大破炎上しました。
「プリチット」の近くにいた、米駆逐艦駆逐艦「カシンヤング」は、赤トンボ2機を撃墜しました。
ようやくホッとして、武装を解いたとき、そこに、いったん宮古の基地に引き返した赤トンボ2機が、機体の整備を終えて、すぐに後方から発進してきていたのです。
この2機も米軍のレーダーに発見されませんでした。
気がついたとき、その2機は、最初の特攻攻撃が終わってホッとひといきついていた「カシンヤング」の目の前にいました。
迎撃の間もなく、超低空を飛行してきた2機の赤トンボは、「カシンヤング」の右舷に激突しました。
「カシンヤング」は、艦の中央部が大爆発し、炎上しました。
この特攻攻撃で、「カシンヤング」は、22人が戦死、45人が重傷を負っています。
さらにこのときに、米駆逐艦の「ホラスAバス」にも特攻機が命中、炎上しています。
タイミングからすると、これも「赤トンボ」の「第三竜虎隊」による戦果である可能性が高い、というより、そうとしか言いようがないし、米軍機が自軍の船に体当たりした以外には、考えられないことです。
こうして米駆逐艦「キャラハン」「プリチット」「カシンヤング」「ホラスAバス」7機中4機が命中しました。
「キャラハン」は沈没、他は大破です。
成功率57%、そしてこの駆逐艦「キャラハン」が、米軍の発表する最後の「特攻機に沈められた艦」です。
「第三竜虎隊」隊は以下の7名です。
水偵出身で洋上航法に習熟した海軍上等飛行兵曹三村弘(岡山県)。
予科練出身の、海軍一等飛行兵曹 庵民男(鹿児島県)
同、佐原正二郎(静岡県)
同、川平誠(静岡県)、
同、原優(長野県)、
同、近藤清忠(長野県)、
同、松田昇三(東京都)、
わずかでも可能性があるならば、その可能性を信じて戦いぬく。
なんのためでしょうか。
沖縄を護るため、日本を護るためです。
実際に沖縄戦を生きのびた民間人の方の証言があります。
「特攻隊が来て村の上を回って米軍に突っこむ。どこの子かわからないが胸がつぶれる思いだった。自分たちのために来て死んでいっただんだなと。。。。」
今を生きている私達の命は、こうして何もかもなくしながら、勇敢に最後まで戦ってくれた英霊たちのおかげでもたらされた命です。
犬だって、飼い主への感謝を忘れないといいます。
ましてや私達は人間です。
そして同じ日本人です。
感謝の心を持とうではないですか。
なるほど戦後70年、日本は平和でした。
戦争も一度もしないで済んでいます。
けれどそれは、憲法9条があるからではありません。
このことは、ちょっと考えたらわかることです。
戦争は、一方当事者がいくら戦争を放棄しても、もう一方の当事者国が攻めて来たら、平和は破られるのです。
ではなぜ日本は、戦争をしないでこの70年を過ごすことができたのか。
その理由は、寝た子を起こしたらヤバイというのが、世界の共通認識だったからです。
日本人は、平和を愛します。
これほど平和を愛する民族はいません。
けれど、ひとたび怒らせたら、これほど戦いに強い民族は他にないのです。
いま、宮古島の市営陸上競技場の東の嶺に、彼ら「神風特攻隊第三次竜虎隊」の碑が建っています。
そこには、次のように記載されています。
【建碑の由来】
もう何も思うまい何も思うまいと、思うほどこみ上げる父母への思慕、故郷の山河。
今生の別れの瞼にうかぶ月影淡く孤独を伴に無量の思いを抱き、唯ひたすら沖縄へこの胸中いかにとやせん。
ああ途絶の死真に痛恨の極みなり
一九四五年七月二十九日夜半
神風特別攻撃隊第三次竜虎隊上飛曹 三村弘
一飛曹 庵 民男
同 近藤清忠
同 原 優
同 佐原正二郎
同 松田昇三
同 川平 誠
義烈七勇士は、日本最後の特攻隊として、世界恒久の平和を念じつつ、ここ宮古島特攻前線基地を離陸。
沖縄嘉手納沖に壮烈特攻散華す。
その武勇萬世に燦たり。
願はくば御霊安らかに眠られよ。
父母のみむねに
神風特別攻撃隊竜虎隊一同
一九九五年七月二十九日
神風特攻第四次竜虎隊員
滋賀県水口笹井敬三
【鎮魂の詩】
紺碧の海 風亦清し
島人素朴にして
人情濃いなり
誰か思わん 此の地激戦跡なるを
瘡偉飢餓将兵僵る
相図る戦友建碑の事
鎮魂痍悼安眠を祈る
幾たびか島を尋ねて遺族感泣す
更に願う
島を守りて 平和の全きを
昭和六三年 十月吉日
この文を書く前、たまたまウィキペディアで「特別攻撃隊」の記事を読んでみたら、そこには、次のように書いてありました。
「元々鈍足な上に重量のある爆弾を無理やり搭載していた為、極端に速度が遅く、航続距離も短い複葉機や固定脚を突き出した旧式機で編成したこれらの特攻隊は、敵機の好餌であり、ほとんど戦果をあげられなかった。
だがまったく使えなかった訳でもなく、僅かながらも戦果を挙げている(九三式中間練習機による特攻は、1945年7月29日出撃の「第3龍虎隊」が駆逐艦1隻を撃沈している)。」
冗談じゃあないです。
「わずかばかり」とは何事か。
しかも、戦果は駆逐艦1隻の撃沈だけではありません。
戦後、私たち日本人は、こうして命をかけて戦った帝国軍人を、微妙な言い回しで辱められ、貶められてきました。
でも、もう目覚めるときです。
ちなみに「トンボ」の絵柄は、戦中までは、特に軍人さんに好まれた絵柄でした。
トンボは、空中を飛行する時、停止と前進しかできません。
後退できないのです。
だからトンボの絵柄は、不退転を意味しました。
私の扇子の絵柄も、トンボです。
※この記事は平成22(2010)年の記事をリニューアルしたものです。

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http://www.mag2.com/m/0001335031.html空廠 九三式水上中間練習機
コメント
白ウサギ
今朝、出勤の東京、山手線の電車の中でふと、赤とんぼ、が思い浮かび、そう言えば、あの赤とんぼで出撃した人たちの隊は龍虎隊とかだったかしら?と気になりスマホで検索しました。12人の隊員が並ぶ写真が現れ、読んでいると76年前のちょうど今日に出撃し、明日の7月29日が命日のことに気づきました。宮古島の慰霊碑に花を届けようと宮古島の花屋さんに電話して頼みましたが、受け取ってくれる管理人が居ないと無理と断られてしまいました。代わりに自宅で花を買い、線香をあげました。
かつて戦場だった世界の陸と海に眠る日本のために戦って下さった全ての英霊の方々に。
ありがとうございました。
どうか安らかに。
2021/07/29 URL 編集
ゆうこ
先日、宮古島の赤とんぼの碑を訪れることが叶いました。
古川先生の本を読ませていただいてから
若き七英霊に会いに行かせて頂きました。
心ばかりではありますが千羽鶴を置かせていただき
手を合わせる事が出来ました。
全ての戦没者の方々が安らかに眠って下さっている事を
心より願っています。
2015/12/16 URL 編集
-
英霊の皆様ありがとうございます。次は私たちですよね。
2015/06/15 URL 編集
-
2015/06/13 URL 編集
-
好んで使っていたと聞いてます。
2015/06/13 URL 編集
えりただ
赤トンボの話を読むと、涙が止まりませんでした。それと同時に、命をかけて散って逝かれた英霊の方が、今の沖縄の現状を知ったら嘆かれると思いました。沖縄県の知事にも読んで欲しい。これを読んで何も感じないのだとしたら、日本人ではない、と言いたい。
2015/06/12 URL 編集
-
国防の危機、沖縄を守ろうと身を呈してここまで戦ってくれていたご英霊がたくさんいた事を忘れないでいようと思います。
私達は次の世代にも語り繋いでいかなくてはならないと思います
私達の先人ご英霊は立派に戦い国を守ってくれた英雄であり恩人でもあります
日本だけ自虐史観がまかり通り異常な左翼思想に洗脳支配されています
愛国心誇りを取り戻そう
ねずさんいつも有り難うございます
2015/06/12 URL 編集
シバサマ1966
これが今失われつつある日本人らしさだ。
私心をグッと抑えて、公の為に誠意を尽くす。
人が見ていようと見てまいと関係無い。恥ずかしい事かどうかの基準を各自が持ち、自分が恥ずかしいと思う事は人目が無くても一切しない。
自分が人から恥ずかしいと言われる事でもあれば、家族に申し訳が立たない。等
少し前までこんな日本人が多かったんだと思います。
2015/06/11 URL 編集
ポッポ
それから、神風特別攻撃隊第三竜虎隊の隊長である三村弘上飛曹以下一飛曹以下7名で編成されていたとのことですが、士官すらいない下士官のみの編成です。士官であるべき指揮官すら、払底していたのでしょうか。また、特別攻撃隊の出撃時には、攻撃結果を見守るための同行機がいるのが通常ですけれど、飛行速度と性能の差のために、これも出来なかったのかも知れません。
これだけ厳しい状況の中で作戦を実行し、見事に結果を出された方々に最大限の敬意を払いたいと思います。
日本の産業革命遺産の世界文化遺産登録に、韓国は反対するため外交団を委員国へ派遣し、議員外交を展開するそうです。
これを見るとき、大阪オリンピック構想を思い出しました。このときオリンピックは北京に決定したのですが、塩川清十郎財務大臣がODAを貰っている国々に対して「ODAを止めたら良い」と、言ったことも思い出しました。
日本のDAは、相手国のことを考えて実施されていますが、だからと言って貰い得のイメージを与えるだけではないと思います。
今回は、これの実行をする良い機会だと思います。
2015/06/11 URL 編集
嘉道
このブログを心の拠り所として、毎回楽しく拝読させて頂いています。
わたしはスピリチュアル系のブログも重視しており、とても興味深いコメントが、ありましたのでご紹介させて頂きます!
▪️日本人の霊的進化と精神性の向上が国を救う
『霊的世界においては、かつて高き精神性を持った「侍・さむらい」たちは光の戦士として、光の存在として活躍しています。彼らには、その強い精神力と精神の復活に対する熱い想いがあり、それがかつて大和(やまと)人であった日本人の中に、今一度蘇えってほしいと望んでいます。』
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1275318/1293328/99404526
ご縁がありましたら、よろしくお願いします!
2015/06/11 URL 編集
すー
だって、世界中の人が同じ言語(表示言語は違いますけど)をつかって同じページを共有してみることが出来るんですから。
ねずさんのブログを見ることが出来るのも基本的にはHTMLのおかげなんですが、正しいHTML言語で書けば、正しくブラウザが表示してくれる。
初めに言葉ありきとはまったく本当です。しかし、正しい言葉が在るにもかかわらずそれを無視して記述しているので、表示を間違えているのが現在の世界なのかななんて思ってしまいました。
これをどうやって正しい記述にしてゆくのか、それが難しいところですよね。そんなことを考えていると昔カウンセリングを勉強していた時にとても感動したカールロジャーズのアイルランドでの活動を思い出したんです。自分がいつ殺されるかにも関わらずアイルランドに飛び込んでいったパトリック・ライスとカールロジャーズ。
今の状況にはこういう試みも必要なのかなと感じてしまって、かなり記事とはかけ離れた書き込みなのですが書いてしまいました。
「鋼鉄のシャッター」を読むのもいいのですが、要約としてはここのサイトのがいいなと個人的には思いました。
http://www.f-lifecycle.com/muramoto/2015/
宗教も、人種も、思想も違うけれど、すべてこの世に生まれてきたここにいるすべての人に平等に与えられたことがある「それは死」だ。
この「死」が自分に訪れるときに自分が心底信じているものに会えるか会えないかで平等に訪れる「死」ではあるが、その価値が異なると思います。
2015/06/11 URL 編集
kinokokko 50代パート主婦です
昨晩、友人が見たいというので映画に行ってきました。テレビでもCMされて
いる鈴木京香さん主演の【お母さんの木】です。他にも有名な俳優さんが出演されてはいますが・・・思いっきり変な映画でした。クワの使い方や農作地の映像も物語もセリフも不自然で、これは中国で作製されたように感じましたが・・・どうなのでしょう?【お母さんの木作製委員会】なる団体が作成しているようです。
レディスデイでしたが、お金も時間ももったいないので、なるべく感動できる部分を自分で捜して、少し頑張って泣きました。
エンドロールで、中国人韓国人系の名前を捜しましたが一人も無く日本人のお名前ばかりでした。それが逆にうそっぽく思えました。そしてA新聞A放送M新聞とか北のH新聞とか、なるほどな方々の協賛?・・・会社名が沢山出てきました。
気持ちよく感動して泣きたくて行ったのに大変残念です。
安倍さんの集団的自衛権などに対するプロパガンダ的で日本人に戦争反対・憲法改正反対と洗脳したいという映画だと思いました。普通の考えの人が見ても変な映画だとわかるとは思いますが、間違って行ってしまうとお金も時間ももったいないので皆さん気を付けて下さいね。
10日ほど前に行った 大泉洋さんの【駆け込み女と駆出し男】は脚本も演出も出演者さん達も良かったし演技も良く日本的な 素晴らしい映画で心に残る良い映画でしたよ。
2015/06/11 URL 編集
珊 島
慰霊の辞
第三龍虎隊の皆様、特攻隊員は星空を見たがるという話を聞きます。70年前の出撃のあの日の夜は果たして星は見えたのでしょうか、下弦の月明かりでしたがきっと星降る夜空だったことでしょう。
南中のさそり座をバックに北極星を左45度に見てただひたすらに沖縄本島を目指す。重い250kg爆弾を抱え機位を保つのに必死だったことでしょう。高度15度の下弦の月明かり、水平線はみえたのか。
編隊を組むことなく時間差をおいての単機出撃でした。見送る人もすくなく顔も見えません。僚機の灯りも見えません。まさしく帰ることのない絶対の孤独の出撃であり死出の飛行です。その胸中や如何に。千万無量の想いは絶てたのでしょうか、私たちは唯ただ祈るほかありません。
しかしながらそのような過酷な条件であったにもかかわらず、あなたたちが一心の思いで上げた戦果は絶大なものでした。二十歳前後の若者たちが祖国を守るため、如何に身命を捧げて重きつとめを果たしてきたか、畏敬と感謝と哀しみを禁じ得ません。
現在の平和の世にあって、国を思うことは少なく、重き務めを考えることもなく安逸に流れてゆく私達ですが、常にあなたたちが居ることを信じ、碧空に舞う赤トンボを仰ぎみる時、その航跡をその意志(遺志)を継いで行くことを誓います。第三龍虎隊は南から来た最後の特攻隊です。さそり座が南天を上り南の風が吹く季節には、あなたたちの声にきっと耳を澄ますことでしょう。第三龍虎隊よ、安らかなれ。
平成27年5月29日
2015/06/11 URL 編集
う
>「特攻隊が来て村の上を回って米軍に突っこむ。どこの子かわからないが胸がつぶれる思いだった。自分たちのために来て死んでいっただんだなと。。。。」
特攻に向かう飛行機が空路から外れて、
沖縄や離村の上でゆっくり1度だけ旋回する事例は
少なからずあったそうですね。
きっと操縦席の彼らは、眼下の景色や山の稜線を自分の故郷と
重ねあわせて、その地で暮らす皆様に向かって万感の思いで
敬礼していたことでしょう
「皆様どうかご無事で。行ってきます」と。
その高い精神性を感じながら
実際にはわずか二十歳そこそこの若者であったことに思い至り、
数分ですが、時が止まりました。
貴重なお話をありがとうございました。
2015/06/11 URL 編集
珊 島
http://www.miyakomainichi.com/2015/05/76284/
慰霊祭の前日には川平誠一飛曹の関係者と思われる方からの献花がありました。留守電を聞くのが遅れてしまいお会いできなかった事、まことに残念でした。ここにお詫びと感謝を申し上げます。後、慰霊祭の翌日に大きなブーケの献花がありました。献花なされた方に併せて感謝申し上げます。
2015/06/11 URL 編集
にっぽんじん
が、攻撃者が攻撃を躊躇うシステムは可能ではないでしょうか。別に難しいことではありません。システムの中に「地雷」を埋めておくのです。コンピューターに忍び込み、データを盗めば、そのデータの中に攻撃型ウイルスを埋めておくのです。
敵のコンピューターがそのウイルスに感染すれば、逆に敵のデータを盗み出すことが出来ます。そうすれば誰が敵であったか簡単に判明します。
誰かそんなシステムを作ってもらえないでしょうか。攻撃すれば反撃されると思えばうかつには攻撃できなくなります。安保法制も同じです。反撃される可能性があればうかつに手を出しにくくなります。
2015/06/11 URL 編集
-
涙が止まらず、良い年をして、泣きじゃくりながら読ませて頂きました。
ありがとうございました。
2015/06/11 URL 編集
水戸藩士の末裔
2015/06/11 URL 編集
-
2015/06/11 URL 編集
タイガー
2015/06/11 URL 編集
えっちゃん
開いたとたん赤トンボが目に入りかわいいと思ってしまいました。
この飛行機が、レーダーに感知しても敵機と認識されず、皇国を護るために命をかけて特攻されたこと。
「どこの子かわからないが胸がつぶれる思いだった。」という住民の方の思いに共感し、涙しました。
自分ができることをし、感謝して生きていこうと思いました。
2015/06/11 URL 編集
花田良春
小生こと、昭和9年生まれ。終戦時は国民学校6年生でした。
戦争の厳しさは勿論肌で感じていましたが、先人の皆様が、ここまでして我々を護ってくださったのか、感涙新たでした。
2015/06/11 URL 編集
たんぽぽ
>これほど平和を愛する民族はいません。
本当にそうですね。争いごとを好まないというより苦手ですね。
それなのに反日の人達は、何かと対立を煽るようなことをしています。
そのおかげかどうかは分かりませんが、多くの方が目覚めつつあります。
チャイナやカンコクは後悔するんじゃあないですかね。
やり過ぎたって・・・でも、ねずさんが仰るように「和」のやまと心を
大切に引き継いで行きたいと思います。
2015/06/11 URL 編集