トイレが個室であることの幸せ

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ローテンブルグの城壁に設置されたトイレ
20150623 ローテンブルグの城壁に設置されたトイレ


先日テレビをつけたら、たまたま埼玉県川越にある喜多院の徳川家光公誕生の間を紹介していました。
番組ではタモリが見学に行き、寺の住職がそれを案内するというものだったのですが、驚いたのが「厠(かわや)」の案内でした。

それが下の写真の厠ですが、住職の説明では、この厠で家光公が用をたすときは、警護の武士が4名、この小部屋の四隅に立ったというのです。
聞いて驚きました。
常識で考えたらわかることです。
説明のとおりなら、150cm四方くらいの小さな部屋に大人5人が入ったことになります。
いわば満員電車みたいなすし詰め状態になるわけで、そのような状態でどうやって刀を抜いて防戦するのでしょうか。
刀を抜いた瞬間に肝心の家光公が怪我をしてしまいます。

やまと新聞 小名木善行の「百人一首」10番歌 蝉丸
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関


家光公の部屋の脇に設置された厠
20150623 家光公の厠


おそらくは高名な学者の先生がそのように言ったり書いたりしたから、住職もそのような説明をしているのでしょうが、ちょっと考えたら、誰だっておかしいと気がつくはずです。
警護の者が立つなら、それは個室の前です。

なぜなら敵が個室にまで侵入してからこれを撃退するのは、その個室内に家光公もおいでになるわけですから、最早至難の業です。
5〜6人で入り口から槍で突かれたらひとたまりもありません。
警護するなら、そもそもその個室の付近に襲撃者を近づけないこと、早期にやってきたことを発見して、逃げ場のない個室からいち早く安全な場所に避難していだくことが大事です。
警備の侍が、家光公と一緒に個室にいた、それも4人もはいっていたなどということが「ありえないこと」だということは、ちょっと考えたらわかることです。

もっというなら、写真を見たらわかりますが、個室の壁は杉板です。
薄い板一枚の個室なのです。
修行を積んだ武者が、外から槍で突いたら、中の人は簡単に殺せます。
それほどまでに、ある意味不用心とさえもいえる環境下の「個室」であることのほうが、実はもっと大きな意味があるのです。

海外旅行をして驚かされることのひとつに、トイレがあります。

Chinaに行きますと、まずトイレそのものを見つけるのが困難なころに加え、あってもそのトイレに間仕切りがあることがほとんどありません。
一流のホテルなら個室があります。
ところが多くのChineseは、扉を閉めないで大用をします。
要するにChinaのトイレには扉がないのが標準だし、扉があっても閉めないで用をたすのが彼らの習慣です。

西洋でも、つい近代まで、宮殿に個室トイレはありません。
個室がなくて、ダンスなどを行う大きな部屋の隅に、「おまる」や「壺」が置いてありました。
一般の家屋でも、単に路上に向けて落とすだけのものがトイレだったりしています。

これに対し、日本のトイレは大昔から個室が標準です。
しかも、中にはいって鍵を閉めたら、完全個室です。
江戸時代の長屋の共同トイレも個室です。
奈良時代にはすでに水洗トイレがあって、奈良県の藤原京や秋田でその遺構が見つかっていますが、やはり個室です。
武田信玄が愛用したトイレも、もちろん個室です。しかも水洗式でした。

奈良平安の昔から水洗トイレが使われていたということも驚きですが、それ以上に、トイレが個室になっていたということ、トイレが中から鍵をかけることができる仕様になっていて、そこが完全個室になっていたことが、日本人を考える上で、実はとても重要なことなのです。

理由があるのです。
実に簡単なことです。
日本では、薄い板一枚で仕切られた個室トイレに入っていても、そこをいきなり襲われて、扉の外から槍で突かれて死んでしまうなどということが、「ありえないことだった」ということです。

仮に犯罪者か何かで、追っ手に追われていたとしても、追われる側の人がたまたまトイレにはいっている最中なら、追手は、用が済むまで、ちゃんと表で待っていました。それがあたりまえでした。
もちろん、敵討ちなどで追われる人を殺さなければならない場合もです。

義経記をはじめ、奈良平安の昔から、いわゆる戦記物の物語や歴史書はたくさん遺されていますが、その中で、ただのひとりも、武将がトイレで用をたしている最中に扉の外から槍で突かれて殺されたなどという話はありません。

相手を殺害する意図を持っているのなら、その相手が用便中に襲撃するのが、いちばん手軽で簡単です。
用を足している最中というのは、人間がもっとも無防備な状態だからです。
にも関わらず日本では古来トイレが完全個室であったということは、実は、日本がそれだけ安心、安全な国だったこという、これはひとつの証拠なのです。

また、襲撃する側も、相手が大用をたしている最中なら、襲撃は簡単です。
けれど、そんな襲撃をしたら、襲撃をした側が「末代までの恥になる」と考えたのが日本人なのです。
目的のために手段を選ばないのではなく、目的よりも名誉を重んじ、手段を選んだのが日本人なのです。

そしてそのことは、卑劣といわれる暗殺者であっても、トイレで用足中の相手を襲おうなどと考えられないことであったということです。
どれだけ日本人の民度が高かったのかがわかります。

このことは、海外のトイレが、なぜオープン・スペースなのかを考えたらわかります。
用足の最中に襲われそうになったとしても、扉がなくてオープンなら逃げることができます。
襲われる前に、襲ってくる連中がやってくるのを見ることができる。
だから逃げることができる。
いちはやく敵の襲撃を察知して逃げるためには、トイレに扉があったり、囲いがあったりしたらかえって困るのです。
狭い個室では、応戦さえできない。

扉があるほうが安心という日本の文化と、扉がないほうが、外敵がきたときにすぐにわかって安心という文化、人が人を殺すことがあたりまえの文化と、そうでない文化の違いがここにあります。

ちなみに、日本では、人を殺すということは、記紀の昔から悪しきこととして忌み嫌いました。
それらは古来「穢れ」として忌み嫌われました。
それどころか、死そのものまでが、「穢れ」とされました。

ですから戦国時代でさえ、日本の武将たちはできる限り人を殺さないように勤めています。
信長、秀吉、家康の三代の時代をみると、信長だけがやけに残虐性の高い人物として描かれていますが、これは秀吉の時代に、秀吉の善政を強調するために、信長を意図的に魔王のような残虐性を持った人物として意図的に描かれたものにすぎません。

実際にはどうだったかというと、最近になって発見された蜂須賀小六の部下の日記などによると、信長は実はお酒に弱くて甘党で、団子や干し柿が大好物、宣教師が持ち込んだコンペイトウなど大好物で、宣教師におねだりまでしていたといいます。

そして体を壊して参上できなかった家臣には、大丈夫かと気遣う手紙を送ったり、家臣から諌められたときなども、素直に非を認めていた。
最近になって第六天の魔王などと呼ばれる信長ですが、実像は、やさしくて気配り上手で、みんなから愛され、尊敬されるタイプの人物だったようです。
スケートの織田信成さんは、信長の17代目の末裔とのことですが、血統というのは争えないもので、もしかしたら信長も、信成さんのようなキャラクターだったのかもしれません。

またこの時代の戦記によく見られることですが、戦に敗れた側の大将は、クビを跳ねるという習慣があったというのですが、実際には、いくさの最中に死んだ雑兵のクビで間に合わせ、大将そのものは、出家(しゅっけ・お坊さんになること)させて命を長らえさせたというのが、一般的なならわしでした。
公式記録には、死んだことにする。
けれど、その実、出家させてお坊さんとなって、戦いで亡くなった敵味方の兵の弔いを生涯し続ける。
むしろ、本当に命を奪うことのほうが、稀であったといえるかもしれません。

石田三成は、最後、処刑されたのではなくて、地位を放棄して坊さんになったという話があります。
江戸時代の吉良上野介も、ある説によれば、赤穂の浪士によってクビを跳ねられてなどいなくて、内蔵助によって命を助けられ、その後長生きして天寿をまっとうしたという。
明智光秀も、光秀としては死んだことにされますが、実は僧となって生き延び、息子を立派に育て、家康の幕府開設の際には、新しい国家作りに寄与した、実は光秀の息子が天海僧正だという説もあります。

どれも公式記録には、そのように書かれていません。
ただし、日本における公式記録というのは、むしろ建前であり、真実は、行間から「察する」ことができるようにしておく。
それが日本の書かれたものの特徴です。
奉行所の記録には、厳しい処分を下したと表向き「書いて」あるけれど、実は、裏からそっと逃してあげている。
そういうことも、実は、よくあったのが、日本です。
それだけ互いに信頼できる国家であり、民族であったわけです。

ヤクザの喧嘩でも、古来日本では、相手の命を奪うことは、滅多にしませんし、武を用いるときも、相手を「こらしめ」られれば足り、敵が「マイッタ」といえば、そこまでです。
ですから刃物を使う場合でも、Chineseのように、いきなり首を狙うことは伝統的にしません。
首を狙えば命を奪うことができますが、日本の喧嘩では、大腿を狙って刺し、「痛い目」にあわせて、相手に改心を誘うというのが一般的でした。

要するに、いいたいことは、日本人は古来、命を大切にしてきた民族である、ということです。
そういう国だったからこそ、トイレも安心して個室でゆっくりとくつろげたのです。

考えていただきたいのです。
古来大陸では、敵となった城塞都市は、徹底的に殺戮と破壊の限りをつくしています。
幼児は塀から投げ捨てて殺し、奴隷として使えない老人は皆殺し、若い女性は強姦したうえで殺害し、若い男は、奴隷として次の戦の先陣を勤めさせられる。
ですから、戦いは常に、女房子供や親兄弟に至るまで、全員皆殺しになるか、生き残るために戦い抜くかという、究極の選択だったわけです。

これに対し日本では、戦国時代でさえ、城を攻滅ぼしたあと、その城にいる全員、それだけでなくその国(藩)に住む農民、町民、老人、子供、婦女にいたるまで皆殺しにしたなどという記録はありません。

負けた方は、大将クビを差し出せば、それでオシマイです。
その大将クビさえも、多くの場合は代役だった、というのが実際のところです。

そして戦いの最中に、失われた命に対しては、戦のあとには、敵味方を問わず、ねんごろに弔いを行なっています。
どこまでも命を大切にする。
それが日本です。

歴史小説では面白さを出すために、何万の兵力が結集し、なんとかヶ原で丁々発止の大決戦が行なわれ、残虐が行なわれたようなことが、よく書かれています。
けれど、みなさん、ご自分が、勝った方の大将だったとして、そういう振る舞いをみなさんならされるでしょうか。
あるいは、そういう残虐な振る舞いを平気でするような大将なら、みなさんはついていくでしょうか。
答えは、NOです。

日本で、中世のイクサの際、全部が全部、命を大切にし、敵を殺さなかったと言っているのではありません。
ときに殺しあいの大イクサがあったことも、事実であろうと思います。

ただ、基本的なマインドとして、人をそうやすやすとは殺さない、そういう国であったからこそ、日本のトイレは大昔から、扉のついた個室になっているのです。

なんだか歴史教科書をみると、百姓一揆なども、打ちこわしや商家を襲って皆殺しにしたかのような記述が多く見られますが、実際にあった百姓一揆は、いまでいったら、日の丸の旗をたてて保守のみなさんがデモを行なう、あれと同じで、日の丸の旗の代わりに、ムシロ旗を立てて行進したにすぎません。

現実問題として、もし百姓一揆が、年中、打ちこわしや、商家を襲う殺人集団だったのなら、当然のことながら、一揆の集団に対し、藩主は戦支度の武士軍団を差し向けて、これを皆殺しにしていたはずです。
どこぞの国では、実際にそのようにしています。
けれど、そういう武士軍団が一揆の集団を襲ったなどという記録は、日本には、ただの一件もありません。

日本の歴史は、共産主義者や反日左翼が宣伝するような、階級闘争の歴史ではないのです。
だからこそ、その共産主義者や反日左翼主義者でさえ、トイレにはいるときには、安心して個室で用をたしているのです。

私達は、毎日、トイレにはいります。
そしてどのご家庭のトイレも、会社や学校のトイレも、みんな大は個室です。

昔のKorea半島のように、毎朝男も女も、家の外に出て、路上で大用をたすなんて習慣は、日本中どこを探したってありません。
Chinaのように、時間のかかる大は、扉のない丸見えの環境でするもの、という習慣もありません。

なぜ日本のトイレが個室になのかというと、要するに私達の先祖は、平和を愛し、人を殺したり争ったりすることを「穢れ」として忌み嫌い、人と仲良くし、自分も安心してトイレを使える、そういう文化を、古代から作り上げてきてくれたおかげ、なのです。

Chinaがお好きなら、どうぞ、トイレは個室ではなく、オープンスペースで。
Koreaがお好きなら、どうぞ、トイレは、家の前の公共の路上で。
それが嫌なら、日本という国を築いてきた先人達に感謝の心を持つべき、そのように申し上げたいのです。

そうそう、最後にもうひとつ付け加えます。
冒頭にテレビ番組で紹介された埼玉県川越市の喜多院の家光公の部屋のことを書きましたが、ここには他にも江戸城内に遭った春日局の部屋も移築されています。
その部屋も番組で紹介されていました。

部屋は四室あり、このうち三室の天井が少し低くなっています。
なぜかというと、隠し階段のようなものがあり、そこから天井裏の屋根裏の大広間(畳が敷いてあります)に上がることができるようになっています。
この部屋について、やはりタモリが質問し、住職が答えたのが、「ここは女中たちを折檻するときに使われた部屋です」というものでした。

もう、ため息が出ました。
その二階の屋根裏部屋には畳が敷いてあり、ちゃんと窓もあるのです。
窓は、建物の外からもちゃんと確認できます。
しかも大広間になっています。
部屋の主は、春日局です。女性です。
そして1階の部屋には押入れスペースがあまりないのです。

春日局くらいの身分の高い女性になると、たくさんの衣類があります。
園遊会やお茶会、和歌会などの式典も多々あります。
それら衣類は、夏服と冬服も用意しなければなりません。
他にもたくさんの小物があります。
それらの保管は、いったいどのようにしていたのでしょうか。

少し考えたらわかることなのです。
要するに二階の屋根裏部屋の大広間は、そこが今風に言うならクローゼット・ルームだった、ということです。
普段使わない衣類や小物などは、屋根裏部屋にあげておく。
そうすることで、部屋にはモノを置かず、いつも簡素で清潔な状態にしておく。

武家は華美を嫌います。
けれどお局様(おつぼねさま)は、実際にはたくさんの衣装が必要です。
そうであれば、その衣装を、どこかに保管しなければなりません。
そしてそれが衣類なら、風通しがよい場所に保管しなければ、湿気の多いお蔵のようなところに保管したら、虫の餌食になってしまいます。
だから屋根裏部屋に、ちゃんと窓もしつらえてあるのです。

もしそこが「女中たちの折檻部屋」だというのなら、悲鳴が外にもれるような障子の窓をどうして作ったのでしょうか。
むしろそんなエゲツナイ想像をする学者たちに、異常性を感じます。



※この記事は2012年6月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント

くすのきのこ

No title
もう一回 こんにちは。
あふ坂の関。逢坂の関。・・連想ゲームの続きです。
坂と言えば・・ヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)黄泉の国へくだったイザナミ
に逢いに行ったイザナギが終には分かれる場所の坂。男女のわかれ、生死の
わかれ・・の”坂”。
逢坂の関は、桓武天皇後崩御の際に愛発関にかわって三関となました。”愛
発”から”逢坂”へ。愛からわかれへ。後崩御の際に三関固守の命令が出たそ
うです。何故か?~~考えるに、次代の平城天皇への不安があったのでは?
お体が弱く、薬に詳しかったであろう薬子・・実は妃の母への依存があった
模様。実際に3年後に上皇となった後に薬子の変を起こして騒がせている。
こういうのを都近辺のみで抑えるという、周囲があらかじめ示した意思表示
なのかも。義理の母への愛をわかれへと導きたく、表明したのかも。結局は
わかれるには出家と自害となったわけで、生死のわかれとなりましたが。平
城京を好まれたのは、平安京の政争にはついていけなかったのかもしれませ
んね。追号が平城皇あるいは奈良帝だそうです。しかし・・実弟の嵯峨天皇
が、平城天皇の作った観察使の制度を参議に戻したのが二所朝廷の始まりだ
そうで。最初はいいかもしれないが、使いとは上からのもの。実態はどうで
あれ、参加し議論するものよりもいずれは腐敗しそうですね~。周りの受け
もよくないだろうし。正しい事をうまく続かせるには、み~んなの協力がな
くては続かないもので、じ~~っと我慢して待つのがお役目で、体力気力が
なければ難しい。こう考えると、嵯峨天皇も苦しかったでしょうね。承和の
変へとつながってしまいましたか?・・。
天皇は権威のみで内政は政権に任せるというのが、この後来る武家社会と戦
国時代を経た回答なのでしょう。だから長持ちしてるのだと思います。身内
で政争など、耐えられませんよ。欧州なぞ、英国を始めとして断絶の度に他
の王家から王様を担いできてますし。おかげで親戚王族ばっかりです。現英
国女王はスコットランド王家から。・・ですから、スコットランド独立運動
は、女王がイヤです~と表明した時点からあり得ないわけで。狐狩り復活と
合わせて、国家意識の高まりのための(民族意識ではありません)イベント?
みたいなものではなかったかと。ww

やまとどくだみ

No title
 毎回、目から鱗が落ちるご見識、ありがとうございます。
用便中の襲撃では、襲った方も襲われた方も汚名(便所だけに?)を後世に長く留める不名誉になりますね。名をこそ惜しむのが武士ならば、それはなんとしても忌避すべき事態です。恥と穢れのコンボですもの・・・www

No title
屋根裏を「折檻する部屋」と言い切った学者には恥じて戴きたいものですな
誰か伝えてあげて下さい
「あなたは恥ずかしい妄言をテレビで垂れ流したのだよ」と
次からは正しく「クローゼットです」と伝えることが、その学者の使命です
みずから過ちを認められるかどうかが、日本人とあちらの人の分水嶺

くすのきのこ

No title
こんにちは。蝉丸さんの歌はいいですね~。逢坂の関の庵にてつくったとか。
人が皆人生の旅人であれば、どこかで大事な関門を通るのかも。あちらへ行
く者もあれば、こちらへ来る者もある。知らない者同士が振れ合って通る。
そんな賑わいを感じる歌ですね。
この”あふ坂の関”の連想は・・東国への関ですね。逢坂の関。相坂の関とも。
桓武天皇後崩御の際に三関の一つとなる(806年)。平城天皇次いで嵯峨
天皇へ。平城上皇との二所朝廷となるが、上皇の薬子の変の際にも三関固守
(810年)で守られました。この変の際に動いたのが、嵯峨天皇側につい
た”東方”の征夷大将軍だった坂上田村麻呂と。な~んと・・あふ 坂の 関
・・・上皇は東方へ行くことを諦め、奈良に戻られ出家されたと。
www・・知るも知らぬも・・のお話ではありますけどね。連想ゲームですし。
蝉丸さんは、この変の後の人ではあるようですが、はっきりしないそうです。
880年頃は生存中だったかな~と。
後撰和歌集では・・行くも帰るも分かれつつ・・現在進行形?心残り?主観?
百人一首では・・・行くも帰るも分かれては・・決断?直前の過去形?客観?
定家は何を思ってこう記載したのかな?
人の世に争いの無い時代はない。では如何にその争いを小さく収めるかが思
案のしどころですね。そして難関を突破するには、何らかの決断も必要かも
しれませんね。

浦和通過

紅葉山御殿
川越・喜多院に徳川家光公誕生の間があるのは、江戸城西の丸にあった御殿を移築したからです。川越に家光公や春日局が住んでいたわけではありません。

いかに将軍さまの御身が大切といっても、自城中枢で用便するのにそこまで密着警護が必要だったとすると、それはそれで問題ということになっちゃいます。

折檻部屋も喜多院移築後にそのように使っていたというのでなければ、江戸城内にそんな部屋があったことになります。アホかと思います。

なび

No title
最後の中国トイレの動画、懐かしゅうございました。

もっと田舎になると、外壁は動画と同じで屋根が無かったり
するのです。草がぼうぼうに生えていて間違えると
○○に足を突っ込んでしまいます。
地面は土なので人々はおおらかに指定の場所ではなく
思い思いの所で用を足します。
ヘタに屋根が無い方が、臭いがこもらないので
すがすがしいくらいです。

理解できないのが自分の出したモノを
流さないことです。水が出ないところも多いのですが
たとえ水が出ても流さずに残して出てくる。
私は中国人のう○ちを死ぬほど見てしまいました。

京都など観光地は中国人のせいでトイレがかなり汚くなって
しまっています。
なぜ流さないのか?
コレは今でも疑問だなぁ~。

あと、中国人は個室に入ると
信じられないくらい出てくるのが遅いです(女子)
だから扉は無くて良いのです。
一番良いのは顔と足が見えるタイプの扉ですね。
遅ければ「早くして!」と圧力をかけることができますので。

ポッポ

No title
日本人ならトイレは、個室で一人で入らないと落ち着かないと思うのですが、権力者とは不便なものだと気の毒に思いました。

昔の広いトイレなら、四畳半の個室を見学したことがありますけれど、広すぎて出す物が出ない気がしました。それに、警護の者が同室するような建物ではなかったですが、個室の天井が低ければ大刀を振り回すことは難しいと思います。

それから、日本の伝承の中に、上杉謙信が信長の刺客に厠で校門を刺されたというのがあったように思います。



韓国のMARSは6月25日現在において、感染者数が182人、死亡者数は31人にまで増加しています。
死亡率は、この二つの数値から17.0パーセントとされています。

ところで、これに関連する数値には、退院者数81人があります。
統計を考えるときMARS患者が発生した場合、この死亡率を算定するときには、最終的には感染者数と死亡者を考えることは間違っていないと思うのですが、最終的ではない状況にあるときには、一人の患者の最終的な形は死亡と退院ではないでしょうか? 

そう考える場合、韓国のMARSの死亡率は(死亡者数+退院数)/死亡者数で 27.7パーセントになります。

この死亡率は、韓国へ出国する者と韓国から日本に入国する者に制限を掛けることに、説得力を持つ数字だと思います。

えっちゃん

No title
 今日も、ありがとうございます。
 
 トイレが個室でよかったあ。日本に生まれてよかったあ。
 
 以前、イタリアに行ったとき、お城のトイレが壊れていて困りました。
 便器の座ると事が壊れているのは、当たり前。お金を払うところはまあまあでした。
 日本は、どこに行っても、トイレはきれいです。高速道路のトイレは気持ちいいですね。大阪市民さんがおっしゃっるように、トイレをきれいにしているお店は流行るようです。

大阪市民

更新ありがとうございます。
家光公の御手洗いは、なんか茶室みたいで
風情がありますね。武田信玄も戦の作戦を練る時は一人御手洗いに籠っていたそうです。

昔から日本では御手洗いには、女神さまがおられると伝えられていますし、日本の禅宗では明王を祀って清浄に使用する事も修業の一つとしてとらえています。繁盛しているお店は御手洗いは清潔ですね。トイレを綺麗にする方は、神さまに好かれます。

鬼子

No title
西洋の二階から糞尿投げ捨てる習慣からマントが生まれたらしいですね。ただのファッションじゃなかったのか。

戦後のヤクザというのはカンコクが日本人漁夫何千人をも人質にとって、竹島強奪のあと不平等条約によって日本国内重犯罪チョウセン人の放流と在日特権と引き換えにしたときの者共のことで、これがチョウセン系ヤクザの原点です。今では半数以上のヤクザがチョウセン人です。

言いたいことは、このヤクザのやり方が実に薄汚くチョウセン人らしいのです。 本当にあった話、豪邸を業者に立てさせるヤクザの組長がチョウセン人がいて、豪邸完成の引き渡しのあとに金を払わずに踏み倒したらしいんです。
 金の催促があったら業者の社長の家に子分を行かせて、庭に脱糞させたり郵便受けにクソを入れたりしたそうです。
 その後、警察に相談しても何にもならず、この無一文で豪邸を建てさせられた社長は自分の血で遺書を書いて自害したそうです。まさにチョウセン人の行いです。

シナ系のヤクザはクソというより暴力と監禁が基本みたいですね。でもやっぱりシナ人は電車の椅子の上で子供にクソをさせます。マンションの階段にでも。

あー、鎖国化したいなー!

junn

No title
1982年(昭和57年)6月26日、大手新聞各紙および各テレビ局は、文部省(現在の文部科学省)が教科書検定で「華北へ侵略」を「華北に進出」に変えさせたとする誤報をなした。これにより日本の外交・内政に混乱が生じ、中共の内政干渉を許した事件。第一次教科書問題ともいわれる。(教科書誤報事件)
(1982年=昭和57年)


報道から約一ヵ月後になって、中共は公式に抗議、8月1日には、小川平二文相の訪中拒否を一方的に通告。


このため、同文相は、衆議院予算委員会で、教科書の「訂正容認」と「日中戦争は侵略」との旨を発言するに至った。また、8月23日には鈴木善幸首相が「記述変更」で決着の意向を示し、8月26日には「日本は過去に於いて韓国・中国を含むアジアの国々に多大な損害を与えた」(「侵略」との言葉は使用されていなかった)とする政府見解(宮澤喜一官房長官談話)を発表。そして、9月26日には首相自ら訪中して、この問題を中国側に迎合する形で処理しようとした。



以上、『フリー百科事典ウィキペディア』「教科書誤報事件」の項参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E8%AA%A4%E5%A0%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6


--------------------------------------------------------------------------------


『ソ連、中国の侵略はひた隠すわれらが日本の教科書』


《恐るべき″幻の侵略・進出″の″教科書騒動″でもう一つ重大な問題がある。日本の教科書では、日本のことは仰々しく書くが、特定国のなした侵略については、これをひた隠しにする改ざんが行なわれていることである。

公正を著しく欠き、客観性を逸脱する以上、日本の教科書には、もはや学問の良識はない。
http://blog.livedoor.jp/acablo-nakagawayatsuhiro/archives/38341866.html

-

No title
ブラタモリ 確かに折檻の部屋は違和感ありました。その発想は海外の地下にある拷問部屋じゃないですか。
NHKは6月19日のNHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像-世界の中で-第1回 信頼回復への道」も酷かったですし、6月24日の歴史秘話ヒストリア「北の大地に夢を追え~“北海道”誕生の秘密~」も偏向してました。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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