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チベット・ラサポタラ宮以前にも書いたことがありますが、世界の国家(南太平洋の島国を除く)は、210カ国ありました。
そしてこの200年間の間に、そのうちの60あまりの国家が消滅しています。
10数カ国は自発的に他国と合併しました。
残る51カ国は近隣諸国からの軍事侵略によって消滅しました。
それらすべてが平和裏のうちに新たな国家となり、また民衆のための平和国家が建設されたというばかりであれば、それは歓迎すべきことです。
けれど現実に起きたことは、そこに戦闘があり、また武器を持たないばかりに、武力で蹂躙され、強姦され殺害されてきたという事実です。
たとえばチベットは、かつてChinaの西奥の広大な地域を国土に持つ人口600万人の仏教国でした。
Chinaに清王朝があった時代、清國皇帝はチベットを仏教国として敬いました。
チベットは清朝の柵封国ではあったけれど、清國の領土ではなく、かつ、清國皇帝から尊敬を得た独立国家だったのです。
そのチベットは、国民の1割が僧侶という、平和で争いのない国でした。
そこに、大東亜戦争が終結した4年後の昭和24(1949)年、建国したてのChina共産党の人民解放軍が押し寄せました。
このときの中共政府の言い分は、「我が国領土を確定する」という、実に身勝手なものでした。
けれど、もうひとつ大切なファクターがあります。
それが「富」です。
建国早々にチベットを襲ったChina共産党は、蒋介石率いるChina国民党を武力によって倒してChinaでの政権を樹立した政権です。
なぜ国民党を倒すことができたかといえば、ソ連から武力装備の援助を受けたからです。
ソ連が援助した中身は、旧日本軍から取り上げた装備です。
他人のものだから、無償で提供してもソ連は、自分の国のフトコロが痛むわけではなかったのです。
おかげで崩壊寸前にあったChina共産党は、勢力を盛り返し、China国民党を打ち破ることができました。
ところがこれには、大きな「お釣り」がありました。
というのは、China共産党が、「ソ連の援助を受けて建国」すれば、建国後にはソ連の属国にならなければならないのです。
つまりChina共産党は、「Chinaを領土として確定」した瞬間に、その領土をソ連に捧げなければならなくなります。
なぜなら、ソ連はただ善意でChina共産党を助けたわけではないからです。
ソ連から武器の供給を受けて戦ったChina共産党は、ソ連から提供された武器その他の代金を払わなければ、そのままソ連に飲み込まれ、独立国ではなくなるのです。
そのためには、ソ連に支払いをしなければなりません。
ここでChinaという国の国情を、もう一度振り返ってみます。
Chinaは、清王朝にせよ、China国民党にせよ、China共産党にせよ、単一の政権が国土を牛耳っている国民国家ではありません。
Chinaには大きく分けて7つの軍閥があり、それらの軍閥の下には、さらに無数の軍閥が複雑な階層を担っている、Chinaは古来、そういう国です。
これはたとえていえば、日本という国の中に、山口組や稲川会、住吉会、会津小鉄会、共政会など、いま21の全国指定広域暴力団がありますが、その暴力団には、さらにその下部に無数の中小規模の暴力団があり、そして日本国政府なるものが「暴力団の上に乗っかっている」そんな状況にたとえることができます。
China国民党の総裁である蒋介石は、そのChinaの軍閥のひとつです。
ですから蒋介石軍閥が、他の軍閥に協力を要請する(あるいは支配する)ためには、常にそれぞれの軍閥へのそれなりの見返りが必要になります。
これは、China共産党にしても同じことです。
蒋介石本人は、ただの貧乏書生だった人ですが、宋美齢と結婚した人です。
妻の宋美齢の実家の宗家は、Chinaを代表する大金持ちです。
ですから蒋介石は、資金面の不自由なく、またソ連からカネをもらう必要もなく、独自の軍閥を組織できました。
ただ、自分のいるエリアだけを支配するのではなく、Chinaを統一して日本と戦う(日華事変)には、他の軍閥の協力が不可欠です。
そしてそのためには、巨額の富が必要となります。
そこで蒋介石は、「Chinaの伝統的な方法」で、この富を手に入れました。
それが、清王朝の居城である紫禁城への攻撃です。
紫禁城には、清王朝が世界から集めた値段の付けられないほどの高価な財宝の数々がありました。
蒋介石はこれを奪いました。
紫禁城での収奪は徹底していました。
清國最後の皇帝である愛新覚羅溥儀には、英国人家庭教師から送られた自転車1台と、いま着ている一枚の服と、カビ臭い古びた玉座以外、何も残さなかったのです。
紫禁城内にあるあらゆるモノ・・・緞帳に使われていた布から、台所の調理器具に至るまで、それらは全部奪い取られたのです。
そして蒋介石は、その奪いとった財宝や家具や調度品や衣類の数々を、まるごと他の軍閥への報酬(買収資金)として遣いました。
それだけではなく、対日戦線のための欧米での宣伝工作資金にもしました。
所詮は、奪いとっただけの他人の財産です。
自分のフトコロが減るわけではない。
財宝は、(蒋介石にとって)効果的に活用されたわけです。
他人のフンドシでスモウをとるとは、よく言ったものです。
「酷いことをする」と思われるかもしれません。
けれどこれは、Chinaの歴代の王朝が王朝の交代劇の都度繰り返してきた、Chinaでは伝統的なやり方です。
それどころか、ひとつの軍閥が、皇帝の財産を奪ったとなれば、むしろ積極的に他の軍閥はその分け前に与ろうとしてきた。そのために殺戮さえも厭わないという、欲望と殺戮の歴史が、Chinaの歴史です。
これは、庶民生活でも同じです。
むかし、西洋の船がChinaの港につくと、その船の周囲にChinaの船上生活者たちが集まってきました。
彼らが何をしに集まったかというと、理由は2つあります。
ひとつは、竹竿を使って外国船の窓に竿の先をひっかけ、子供にその竿を伝わらせて船内のものを盗むためです。
もうひとつは、船の排水口から流れてくる残飯を、網ですくって食べるためです。
ひとつの船が、うまく残飯をすくうと、子供達がその残飯に群がります。
それだけでなく、近くのChineseの船が近づいてきて、盛大な食べ物の奪い合いと殺し合いが起こります。
ですから、当時の外国船は、放水してそれらChina船を追い払いました。
貧しいがゆえ、と思われるかもしれませんが、それらChinaの船上生活者というのは、船を所有することができているだけ、Chinaでは裕福な層だったのです。
そこに富があれば、食い物があれば、とにかく奪って、自分のものにする。
そして富や食い物をわけることができる人は、大人(だいじん)とされてきたのです。
さて、大東亜戦争の終結後、蒋介石は毛沢東率いるChina共産党に追われました。
追われた蒋介石は、この時点で、すでに紫禁城から奪い取った財宝の多くを費消してしまっていました。
つまり、共産党は、ソ連から借りたカネを払うにも、国内の他の軍閥を調略するためにも、必要なカネや財物を、すでに蒋介石から奪うことができない(蒋介石に富がない)状況になっていたのです。
そこでChina共産党が目を付けたのが、Chinaと陸続きにある古い国であるチベットでした。
チベットは、もともとは「吐蕃(とばん)」と呼ばれていましたが、成立したのは7世紀にさかのぼります。
そしてダライ・ラマが国を統括するようなってからも、この時点ですでに300年が経過しています。
そのチベットには数々の寺院があり、値段の付けられないほど高価な仏像があり、古い経典があります。
すでに国内の清王朝の居城である紫禁城は財宝が奪われて空(から)、それ以外の各地の城塞都市も、すでに国民党に荒らされて、場内の財宝は空(から)です。
そしてこの時点で、もっとも豊かな財宝を所持していたのが、チベットでした。
つまり、冒頭に申し上げた、China共産党が「我が国領土を確定するため」というのは、文字通りそのままの意味なのです。
少し言葉を足すならば、「China共産党が、自分たちがしたソ連からの借金を返して、ソ連の国土への侵略と政治介入の脅威から自分たちを護り、またChina全土の軍閥を味方につけるのに必要な支払いの原資となる財宝を、チベットから奪うこと」。
これが、China共産党の「我が国領土として確定する」という言葉の意味です。
China共産党は、その後、昭和54(1979)年にも中越戦争を起して一方的にベトナムに攻め込んでいますが、これまた1977年まで続いたChina国内の文化大革命によって、停滞した国内経済を立て直し、軍閥の共産党離れを防ぐために、ベトナムの財を奪いに行ったという側面を否定できません。
わかりやすく言うと、Chinaという国は、軍閥という名前の全国指定広域「暴力団」が地域を牛耳り、その暴力団の上に「政府」が乗っていて、その政府は、常に軍閥たちにカネや財をバラまいて彼らを豊かにしなければならない国なのです。
これは、秦の始皇帝の昔から、唐、宋、明、清、国民党、中共と名前が変わっても、その実情はかわりません。
そして、政治の支配力が弱まるというのは、政府が国内にある軍閥にカネを渡せなくなること。
つまり、政府が存続するためには、周辺にある豊かな国に軍事攻撃を仕掛けて、その国の財を奪わなければならなくなるし、そうしなければ政府が生き残れない、というのが、Chinaという国です。
中共の「人民解放軍」がやってきたとき、仏教国であるチベットは、国防兵力を持っていませんでした。
仏教の聖地であるチベットに、軍は何百年もの間、必要がなかったのです。
そこに押し込みを働いた中共の人民解放軍は、チベットで11万人の僧侶を拷問して殺害し、150万人の国民を虐殺しました。
なんと、信じられないことに、全人口の4分の1を虐殺してしまったのです。
人口の4分の1というのは、日本で言ったらちょうど就労者の人口がこれにあたります。
日本では、総人口1億2千万人のうち、ちょうど4分の1にあたる4千万人が就労者です。
ということはつまり、毎朝通勤電車に揺られたり、早朝の通勤渋滞を招いている車に乗った人達全員が殺されたようなものです。
中共政府に抵抗するものは、こうして全部が殺害され、古い歴史を持つ仏教寺院は破壊され、焼尽され、若い女は集団で強姦され、そしてChina共産党はチベットの財宝を手に入れ、China国内の軍閥を抑えることに成功しました。
そして人口450万に減ったチベットに、中共政府はなんと700万人ものChineseを移住させ、昭和40年には、「民主的な方法」を持って、チベットを西蔵自治区という中共の版図に加えてしまったのです。
パンダといえば、おそらく多くの日本人が、「中国生まれの可愛い動物」と思っていようかと思う。
けれど、パンダは、もともとはチベット固有の生き物です。
国を奪い取られたチベットにいたパンダを、中共政府は「元々中国のもので~す」とばかり、China外交の切り札として使っています。
それだけではありません。
中共政府は、チベット人たちに、チベット語を話すことを禁じ、公文書や公用語、テレビやラジオの放送まで、全部、北京語にすることを強制しています。
チベット語しかわからないもともとのチベット人達にとって、これではいきなり外国での生活を余儀なくされたも同様です。
こうしたチベットへの圧政は、いまも続いています。
だから、チベットの伝統や文化を護ろうとする若い人達が、フリーチベット運動を行い、自らの命を犠牲にしてまでも中共政府に抗議し、その抗議の声を世界に向けて発信しようとして、自殺を禁じられた仏教徒であるチベット人の若い女性が焼身自殺までしているのです。
そしてその後の中共は、路線を経済政策に転換しました。
宣伝工作によって外国から民間投資を招き入れ、その投資資金で経済を活性化してきました。
年間二桁の経済成長は、軍閥のフトコロを肥やし、彼らの軍備を強固にしました。
ところがそのChinaの経済成長が止まったのです。
そうなると、軍閥にとって、中共政権は、もはや邪魔者でしかなくなります。
中共政権は、生き残るためにどうしたらよいのでしょうか。
この数年間は、粉飾決算でなんとか誤魔化してきました。
東シナ海、南シナ海の海洋資源を手に入れようともしてきました。
アフリカでは世界的に禁止されている象牙の収穫を大々的に行い、ジェット旅客機に高価な象牙を満載して軍閥に配りました。
他国の領海である小笠原にある紅珊瑚を乱獲して、高価な珊瑚の装飾品に仕立てて軍閥に配ってごきげんをとりました。
けれど、そんな中共の国内工作も、もはや先が見えるようになってきました。
そして、こうした状況に至った時、Chinaの歴史で毎度起きたのは「富を持ったところを襲って富を奪う」ことです。
Chinaでは、その歴史が繰り返されてきたのです。
いま、Chinaの近くにあって、もっとも富んだ国や民族は、どこでしょうか。
そして米国とともに、日本が安全保障を強化しようとしたときに、もっとも反対したのは、どこの国だったでしょうか。
安倍内閣の施政について、とかく批判の声も多いようです。
保守系の方でも、安倍批判をされている方もおいでになります。
いろいろな方の、いろいろな考え方があること、それ自体はとても良いことだと思います。
ただ、いま安倍内閣は、いまの日本でできる最大の政治運営を行っていると思います。
できることとできないことがある。
ただ理想を振りかざすのではなく、左派、右派、いろいろある中で、いまできる最良の選択を安倍内閣はしていると思います。
私は争いを好みません。
保守という自覚もあまりありません。
保守と言った瞬間に、保守でない人と敵対する、というのでは、日本の心から外れると思うからです。
日本はいま、左派右派、保守、非保守の枠組みを越えて、みんなが力を合わせるときにきていると思っています。
なぜなら、現実のChinaの脅威が、私達の日本に迫っているからです。
そのために、真実という情報の共有化が必要です。
それが「シラス(知らす、Shirasu)」国の、本来あるべき姿です。

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コメント
レッサー
ジャイアントパンダの主たる生息地は「アバ・チベット族チャン族自治州」域内です。隣接する成都市、雅安市、カンゼ・チベット族自治州にまたがってジャイアントパンダ保護区が広がっています。
これらは現在四川省に属しますが(成都市は省都)、アバ・チベット族チャン族自治州はチベットの伝統的地理区分ではアムド地方の東南部、カンゼ・チベット族自治州はカム地方の東部に相当します。
もともとのチベットは大きく「ウ・ツァン」「カム」「アムド」の3つの地方で構成されていました。現在のカムとアムドは地理的一体感がないかたちに分割されています。分割されたのは必ずしも中国共産の策略とは言い切れませんが。
いずれにしてもジャイアントパンダの生息地は、四川省のチベット人居住地域に被っています。いわゆる「チベット自治区」はチベット人居住域の半分以下の面積で、チベット人総人口の三分の一しかおらず、パンダもいませんから、「パンダはチベット自治区のもの」であれば無理があるでしょうが、「元々チベットのもの」なら特に問題のない表現だと思います。
2019/11/06 URL 編集
takechiyo1949
保守だ?革新だ?
左翼だ?右翼だ?
敵対してる時世では無い!
ねずさんの論考から、國體を護るために何をしなければならないか?が良く分かります。
2019/11/04 URL 編集
takechiyo1949
迫る理不尽
国を亡くしたいか?
亡くしたく無いか?
日本派か?どうか?
この一点に尽きると思います。
2019/07/09 URL 編集
名無し
中華人種に奴隷にされて幸せになる民族は誰もいない。
2017/12/12 URL 編集
名無し
救え!中華人種の奴隷、日本人・チベット人・ウイグル人・内モンゴル人。チベット人や内モンゴル人やウイグル人がこの世に増えても誰の迷惑にもならないが、中華3国人種がこれ以上増え続ける事は、人類の未来の破壊に繋がる。 日本の現状を見ればこれからの世界の未来が見える。チベット・ウイグル・内モンゴル人に聞け、奴らの本当の正体。
2017/12/12 URL 編集
通りすがり
「元々チベットのもの」というのは無理があると思います。
動物は国境を跨ぐ場合もあるので何処其処の国を
象徴する動物であれ取った・取られたは
言う筋合いは無かろうかと思います。
他記述については同意できる部分も大きいのですが
パンダの部分について引っ掛かりを覚えたので
意見しました。失礼しました。
2017/05/14 URL 編集
名無し
2016/08/16 URL 編集
水木りょう
2016/08/15 URL 編集
某
日本の良さも悪さも含め、日本が日本であることのエッセンスが國體にはある。
この國體を理解していない保守は、すぐに左翼に転びますし、
國體の護持を忘れて都合の良い特質だけを見ると、スパイ尾崎某のような
民族を外国に売り渡して楽園を夢見る天皇制共産主義者も現れる。
知り合いに國體を熱心に保守派に説いて非難されていたネットの論客がいましたが、
彼の言うことが今になって分かる気がします。
2016/01/27 URL 編集
zumi
2015/07/31 URL 編集
一有権者
チベットと東トルキスタン(シナでの名称新疆ウイグル自治区)は第二次大戦終結後の1949~50年代前半にシナ共産党と中華人民共和国による侵略によって無理やり併合され今現在もその圧政と略奪に苦しんでおります。
我が国日本国はこのような国を3か国も周辺にいる事を理解し防衛力強化に舵を切り替えざる負えません。
韓国については「助けない、教えない、関わらない」を冷徹に実行し、シナに対しては彼らが嫌がる政策を実行し彼らの野望をとん挫させる以外アジアと日本国の平和を保つ術はありません。
2015/07/24 URL 編集
ジョンストン
溥儀殿下が北京を脱出するのは、1924年10月の「北京政変」のときです。これは、熱河方面の奉天軍(張作霖)を討つために出撃したはずの直隷派・馮玉祥が軍を率いて北京にとって返し、自分の属する直隷派政府を追い落として奉天派と妥協、段祺瑞を迎え入れたという事件です。つまり、北洋政府(北京政府)の内輪揉めです。
蒋介石による北伐開始は1926年6月。途中、武漢国民政府と南京国民政府の分裂(南方政府の内輪揉め)などによる中断を経て、北伐軍が北京(南京政府は北平と呼ぶ)に入るのは1928年6月です。この最終段階では馮玉祥は蒋介石(国民革命軍)側に寝返っています。
2015/07/23 URL 編集
くすのきのこ
チベットでは金鉱が掘られています。この金でもって世界の経済へと物を言
うわけでしょう。他にも資源があり、鉱山開発による公害や土地収用に対す
る抗議デモでは実弾で圧迫されているそうです。
インドに難民として逃れるルートも今年は厳しく閉じられているようです。
インドに逃れても失業率が高いという状況です。ルンタプロジェクトという
教育事業、自立支援事業をなされている日本のNGOがダラムサラを中心に
活動されているそうです。今年はネパールの地震で被災したチベット難民の
手助けをするそうです。7月よりチベットをテーマとしたドキュメンタリー
映画ルンタも上映されると。(ルンタ・プロジェクトのホームページ参照)
モンゴルで石炭、レアアースを、ウイグルでウランを掘る。つまり周辺地域
の豊富な地下資源をとり、環境破壊し、砂漠には化学廃棄物を放置している。
そんな国です。また、チベット仏教を貶める文章も出回っています。事の真
偽は、チベットの人々の行動が示すと思います。日本人と似たDNAを持つ
人々です。ブータンの人々も宗派の違いで分離したチベットの人々ですね。
今日も有難うございました。
2015/07/23 URL 編集
雪
チベットの事は、ダライラマ14世の自叙伝「チベットわが祖国」を読んで知りました。
この本を読んで、初めは友好的に近づいてきて一挙に侵略する中国のやり方を知りました。
チベットやウイグルで起こった事は、歴史の授業では教えてくれないのですよね。近代史そのものが曖昧な教え方なのですが……。
先日、週刊文春に連載されている飯島勲氏の「激辛インテリジェンス」で習近平主席の事を「男同士の約束は実行する素晴らしい指導者」とか「安部首相と言いたいことを言い合って、戦略的互恵関係を深めてほしい」等と書いておられ、少しがっかりしてしまいました。
前後には一般人では見えない外交的な駆け引きがあるのでしょうが……。
他国の不幸を見て自国の事を考えるのは、何か申し訳ない気持ちになってしまうのですが、今何が日本の防衛に必要なのかを冷静に考えています。
これからもねずさんのお話を参考にさせていただきます。
2015/07/22 URL 編集
戦争反対の立場
次々と他の民族を侵略し、略奪してきた結果なんですね。そして今も侵略と略奪を進めているんですね。
そんな彼らに日本は侵略国だと70年間も、そしてこれからも言われたくないですね。むしろ彼らこそ真の侵略国なんですから。
2015/07/22 URL 編集
子無零 すこぴお
米国の先見性 - 軍事評論家=佐藤守のブログ日記
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20150720
"…「米軍は台湾に基地をつくるだろう。そうなれば、この海空域は一挙に大東亜戦争終結直後の状態に戻ることになり今国会で空想小説を書き連ねている“物書きもどき議員ら”がいかに現実を見ていなかったかがわかる時が来るだろう」ということにあったのだが、今回届いた貴重な資料がそれを見事に裏付けているので、感心すると同時に納得した。"(資料の続きはそちらのブログで)
中華民国政府が日本国籍である台湾人に中華民国籍を与える法律は、
国際法上無効であると「占領統治権を持つアメリカ」に裁判を起こしています。
関連動画1:https://www.youtube.com/watch?v=g7rKWhQwZ8M
関連動画2:https://www.youtube.com/watch?v=8971RxY_r7U
2015/07/22 URL 編集
たんぽぽ
ただ、教育やマスコミによって、エセサヨクが何と無く平和主義者で、
日本人や日本国を守ろうとする人達を長年、右翼で過激な人達の様に印象づけられてきたので、それをごく普通の日本人に分かって頂く為には、
エセサヨク(反日勢力)の実態を明らかにする必要があると思います。
構図は日本派VS反日(日本が嫌いな人達)だと思うのですが
反日勢力が平和主義の仮面をかぶっているので紛らわしい。
でも、段々と正体が炙り出されて来た様に思います。
2015/07/22 URL 編集
ポッポ
チベットは軍事侵略によって消滅しました。
このことは、中国ではチベット解放としていたと思います。(満州国も同様に侵略されたのですが、中国は解放の内にも入れていません。)
戦後の世界歴史を読むとき、共産軍がひとつの国を占領すると解放で、それ以外なら侵略として表記されているような気がします。
大戦中のパリをドイツが占領していたとき、アメリカ軍がドイツを追い出したときは解放でした。
侵略と解放、同じことをしても表現の差で、正義と悪魔のような感じを受けます。
私は日本語の本しか読めませんから、この程度の知識しかありません。
外国の本では、どのように表現しているのかと思います。
新国立競技場については、ザハ氏のデザインは白紙に戻して改めて検討することになりました。
この原因は、ザハ氏のデザインでの建設が余りにも高額になることで、当初予算1,300億円のところ、計画費1,600億円が2,500億円に膨らんだことから、国民の理解を得られないと判断されたためです。
考えてみれば、このデザインは斬新で伸びやかなスタイルですが、敷地の広さを無視した欠陥を抱えていました。これを、建築家の安藤忠雄氏を審査委員長とする審査委員会が決定したのですが、デザインの優秀性とは別に、建設費と建設面積に問題があったことは、当初から判っていたことです。(建設が技術的に難しいことから、建設費がさらに高額になると考えられたのはその後のことです。)
建設面積の関係でデザインはその後に修正されましたが、修正された結果は2本のキールが特徴となるものの伸びやかさはなくなったと思います。
これは国立競技場ですから、当時の平野文部科学大臣はこのことを閣議で諮っているはずですが、これが全く不明です。(閣議録は保存することにされていますが、民主党はこれを無視して残していません。脱法・違法行為です。)
そして今、国立競技場を白紙に戻したことで連坊議員は西村博文文部科学大臣に辞職を要求しています。そして、当時副総理であった岡田克也民主党代表も同様です。
また、新国立競技場建設を白紙に戻したことに対する、検証も要求しています。
この検証は、建設計画にかかる当初のことから必要だと思います。
閣議録はありませんが、これにかかる関係者は今も国会議員として活動されていますから、閣議碌にない部分は参考人として出席していただき、具体的に質問して回答を得れば、そんなに難しくはないでしょう。
該当する方々は、閣議碌が必要なことを承知しているにも関わらず、これを無視し、放置したのです。従って、その後始末が必要なことは理解されていますし、それが嫌ならば、国会議員などしていないと思います。
2015/07/22 URL 編集
-
初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる
既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする
これが彼らの常套手段だ。中国の侵略の実態。多くの民衆が多くの民衆が、手足を切断され、焼かれ、死んでゆく中、不気味な力に勇敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。-それはさながらこの世の地獄だった。
1956年は、中共の約束事が耳をかす値打ちもない大嘘だったことがはっきりしたという点で、チベット人にとって忘れられない年だった。 民主的改革? 土地改革? 援助? 進歩? それらはすべて暴力、脅迫、飢餓、死にいい換えてみればずっと分かり易い。それが中共の共産主義への道だった。チベットを乗っ取り、完全にわが物にするのが中共側の目的だったのだ。これが毛沢東のいう「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった。妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小舎にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。(本文より)
2015/07/22 URL 編集
maru
いつも先を見据えた深い記事をありがとうございます。
上海株暴落のニュースを見て、「ざまぁ〜」と思っていましたが、その後についてまったく考えていませんでした。中国がダメになって終わりだとばかり・・・
チベットの事も、そんな身勝手な理由で侵略していたなんて・・・
非人道的なニュースや戦争のお話など、辛く悲しい気持ちになるお話を避けてしまいがちでしたが、現実に向き合うことの必要性をヒシヒシと感じました。
明日は我が身。しかも私たちが考え付きもしないような、残虐さを持った人たちなんですよね。
中国に限らずですが、残虐でなければ生きてこられなかった地域に生まれた人々を気の毒に思います。
日本に生まれた事を感謝したいです。
でも!!!
優しい国に生まれた事を感謝するだけで、略奪されるのはまっぴらです!
チベットの次のターゲットにならないよう、そしてチベットを救えるくらいの国になって欲しいです。
とりあえず、納税と選挙で正しい判断をしつつ、余裕ができたら、もう一歩国のために何かしたいです。
2015/07/22 URL 編集
まほろば
ただ、先の安保反対を見ても、日本を蔓延する空気は「左派」の気概ではなく、ただの反日に過ぎません。彼らに何を言おうと、そもそも国家意識のない無知烏合の動物に説法するようなものだと思います。
メディアが反日一色に侵食されていて、教育でも自由社の素晴らしい歴史教科書はやはり採択に苦戦する状況です。
赤い霧が晴れねばどんなに美しい言葉も届かないのではと言う危惧があります。
2015/07/22 URL 編集
junn
http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-3515.html
2015/07/22 URL 編集
紫陽花
その通りと頷きながら読んでいました。
論争で左右敵対に発展させている場合ではないのです。きちんと本質を知り、見極めて行きたいですね。
2015/07/22 URL 編集