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終戦の詔勅

今日は、8月15日です。
毎年恒例で、英霊への感謝の黙祷を捧げるとともに、あらためて昭和天皇の終戦の詔勅を読み返してみたいと思います。
終戦の詔勅といえば「耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」ばかりが強調されますが、大切なことはそれだけではありません。
陛下のお声を「玉音」といいますが、ときの陛下が「全国民」に向けて、直接お言葉を発せられたのは、日本開闢以来今年で2675年になる我が国の歴史上、たった二回しかありません。
それほどまでに貴重な陛下の玉音放送を、あたらめてこの8月15日という日に読むことは、私たち日本人にとって、たいへん大きな意味があるものと思います。
たいへん僭越ではございますが、ねずブロはわかりやすさを重視している関係で、まず、玉音放送の動画を配置し、次にねず式の全文の現代語訳を掲載し、最後に玉音放送の原文を掲載したいと思います。
ご専門に研究されている方から見たら、私の現代語訳は、いささか問題ありかもと思いますが、あくまでわかりやすさを求めて、以下のように訳しています。
安倍総理の談話が昨日出ましたが、日本人である私達が「本当に大切にしなければならないことは何か」が、この玉音放送にすべてあきらかにされています。
是非、ご一読いただきたいと思います。
終戦の詔勅 (玉音放送)
=========
【口語訳終戦の詔勅】朕は、深く世界の大勢と、
帝国の現状をかえりみて、
非常措置をもって
事態を収拾しようと考え、
ここに忠実にして善良なる
汝ら臣民に告げます。
朕は、帝国政府に、
米英中ソの四国に対し、
そのポツダム宣言を受諾する旨、
通告させました。
そもそも、
帝国臣民の安寧をはかり、
万国が共存共栄して
楽しみをともにすることは、
天照大御神からはじまる
歴代天皇・皇室が
遺訓として代々伝えてきたもので、
朕もそれをつねづね心がけてきました。
先に米英の二国に
宣戦した理由も、
実に帝国の独立自存と
東アジア全域の安定とを
希求したものであって、
海外に出て他国の主権を奪い、
領土を侵略するがごときは、
もとより朕の志すところではありません。
しかるに交戦状態は
すでに4年を過ぎ、
朕の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、
朕のすべての官僚役人の精勤と励行、
朕の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、
それぞれが
最善をつくしたのにもかかわらず、
戦局はかならずしも好転せず、
世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえません。
そればかりか、
敵は新たに残虐なる新型爆弾を使用し、
いくども罪なき民を殺傷し、
その惨害の及ぶ範囲は、
まことにはかりしれません。
この上、なお交戦を続けるのでしょうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、
さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいありません。そのようになったならば、
朕は何をもって
億兆の国民と子孫を保てばよいのでしょう。
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいのでしょうか。
以上が、朕が帝国政府に命じ、
ポツダム宣言を受諾させるに至った理由です。
朕は、帝国とともに
終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた諸々の同盟国に対し、
遺憾の意を表明せざるをえません。
帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、
職場で殉職した者、
悲惨な死に倒れた者、
およびその遺族に思いを致すとき、
朕の五臓六腑は、
それがために引き裂かれんばかりです。
かつ、戦傷を負い、
戦争の災禍をこうむり、
家も土地も職場も失った者たちの
健康と生活の保証にいたっては、
朕の心より深く憂うるところです。
思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、
もとより尋常なものではありません。
汝ら臣民の真情も、
朕はよく知っています。
しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、
耐えがたきを耐え、
忍びがたきを忍び、
それをもって万国の未来、子々孫々のために、
泰平の世への一歩を踏み出したいと思います。
朕はここに、国家国体を護り維持しえて、
忠実にして善良なる汝ら臣民の
真実とまごころを信頼し、
常に汝ら臣民とともにあります。
もし、事態にさからって
激情のおもむくまま事件を頻発させ、
あるいは同胞同志で排斥しあい、
互いに情勢を悪化させ、
そのために天下の大道を踏みあやまり、
世界の信義を失うがごとき事態は、
朕のもっとも戒めるところです。
そのことを、
国をあげて、
各家庭でも子孫に語り伝え、
神国日本の不滅を信じ、
任務は重く道は遠いということを思い、
持てる力のすべてを未来への建設に傾け、
道義を重んじて、
志操を堅固に保ち、
誓って国体の精髄と美質を発揮し、
世界の進む道におくれを取らぬよう心がけなさい。汝ら臣民、以上のことを朕が意志として体しなさい。
御名御璽
昭和20年8月14日
~~~~~~~~~~
終戦の詔勅は14日に承認され、15日に玉音放送となって全国に流されました。
そして日本は国としての戦闘行為を、終結させています。
この詔勅の前段で、陛下は、「(この戦争は)帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときものではない」とはっきりと述べられています。
日本は、侵略戦争をしたのではないのです。
さんざん挑発を受けながら、ずっと帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求し続けて、耐えに耐えてきたのです。
そしてその耐えることの中には、通州事件等において、邦人が無残に殺害されても、それでも文句を言わないといった、あらゆる譲歩さえも含まれていました。
「挑発」を受けて「攻撃(アタック)」することは、侵略ではなく、国家として当然の権利である、ということは、世界の常識です。
米英仏蘭は、日本と戦争すべきではありませんでした。
その証拠に、米英仏蘭は日本を相手に戦うことによって、彼らの富の源泉である世界の植民地を失い、さらには企図していたChina大陸の権益さえも、すべて失ったではありませんか。
戦争の勝敗は、ドンパチの勝敗ではありません。
戦争目的を達成することができたかどうかこそが、戦争の勝敗です。
なぜなら戦争は、その国の政治目的を達成するための最終最後の手段だからです。
その意味では、米英仏蘭は、戦争に負けたとさえいうことができるのです。
ですが、ここからが大事なことですが、逆に「もし日本が勝っていたら」と考えるのです。
戦争は始まりました。
その戦争において、日本が戦況有利となった時点で、早期講和を図り、米英仏蘭が、それに呼応して戦争を終わらせていたら、その後の世界はどのようになっていたのだろうかと、考えてみるのです。
米英仏蘭の講和の条件は、東アジアからの日本軍の撤退です。
台湾、満州、朝鮮半島は、そのまま日本に維持されたかもわかりません。
ですが、ベトナム、ミャンマー、マレーシア、ラオス、カンボジア、タイ、シンガポール、インドネシア、インド、フィリピン等における米英仏蘭の植民地支配は、戦前の状態に原状復帰する、100%間違いなく、これが講和のための最低条件となったであろうことは、想像に難くありません。
つまり、21世紀となった現代においても、香港は英国領であったであろうし、ベトナム、ラオス、カンボジアは、いまでも「フランス領インドシナ」であったであろうし、ミャンマー、タイ、インド、マレーシア、シンガポール等は英国領、インドネシアは「オランダ領インド」等のままであったことでしょう。
さらに、アフリカの諸国も、いまだに植民地であり、世界は、英米仏蘭ソなどの、ほんの一部の国家が、世界を牛耳り、民族の独立や自立、有色人種への差別と虐待は、おそらく今なお続いていたのではないでしょうか。
先に開催されたロンドン・オリンピックの参加国は204カ国でした。
けれど、戦争の直前に行われた1938年のベルリン五輪の参加国は、49カ国です。
世界の民族が49しかなかったのではありません。
それ以外の諸民族は、欧米の一部の国による被支配国となっていたのです。
このことは、言い換えれば、日本がギリギリまで戦い続けたことが、結果として世界から植民地を一掃することになった、ということを表しています。
もういちど整理しますと、
1 早期講和の成立=世界の植民地はそのまま保持
2 日本が戦い続けた=世界から植民地が消えた
ということになります。
もちろん、日本が勝っていたら、というケースもあろうかと思いますが、これはおそらく、なかったと思います。
良くて、早期講和であったと思います。
そして、繰り返しになりますけれど、もし早期講和を実現していれば、間違いなく、日本は、日本の独立自存は果たすことができたけれど、その逆に、東亜諸国自存独立は「なかった」ということです。
冷静かつ客観的に考えて、これはそのようになると思います。
ところが、戦時中の日本は、東亜諸国に対して、独立自存のためのあらゆる教育を行い、人材を育成していました。
もし、日本が早期講和を実現していれば、それは彼ら東亜の若者たちを裏切ったことになります。
いったん口にしたことは、守る。
それが武士道です。
だから日本は、彼らが真に独立できる力を身につけるまで、死力をふりしぼってでも戦い続けるしかなかったのです。
そして、矢弾尽き、戦闘行為を終結させたのが8月15日です。
ですから8月15日は、日本がポツタム宣言を受け入れ、戦闘行為を停止した日であって、戦争が終わった日ではありません。
日本はその後占領統治下となりましたが、被占領国になるということは、それは戦争が係属していることを意味します。
日本が、独立を回復したのは、東亜の諸国が独立を果たしたよりも、さらにあとの、昭和27年のことでした。
昭和天皇は、終戦の詔勅で、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出」す決意を表明されました。
ここで大切なことは、陛下のご意思が、「万国の未来のため」であったということです。
日本だけでない。世界の人々の子々孫々の諸国友好のためです。
天皇姿勢は、常に一貫しています。
そして、陛下は、
=======
道義を重んじて、
志操を堅固に保ち、
誓って国体の精髄と美質を発揮し、
世界の進む道におくれを取らぬよう心がけなさい。
=======
と結ばれました。
「道義」とは、条理に沿った道のことです。
「志操」とは、志を変えず、身をかたく保持することです。
ですから昭和天皇の「道義を重んじて、志操を堅固に保ち」というお言葉は、
「ものごとの条理を大切にして、志を変えてはならない。身も心も堅固に保ちなさい」とおっしゃっておいでになるわけです。
その言葉のもつ意味を、私達は、いまいちど、しっかりと心に刻んでいく必要があると思います。
戦後の日本は、持てる力のすべてを、まずは国土の復興にあててきました。
国力も経済も回復しました。
その勢いを、本来ならバブルの頃に、日本は、
「道義を重んじ、志操を堅固に保ち、国体の精華と美質を発揮」方向に昇華させていかなければいけなかった」のであろうと思います。
けれど、残念なことに、バブルが崩壊後も、日本は経済だけを追い求め、結果としてその経済さえも復活できないまま、すでに27年も、あえいでいます。
国土強靭化や国民経済の活性化と、道義と志操と国体の精華と美質の発揮は、本来、常に車の両輪です。
これからの時代、道義と志操と国体の精華と美質の発揮のための教育が、社会のあらゆる場において求められるようになっていかなければならないと思います。
最後にひとつ。
終戦の詔勅の中で、陛下は、私たち国民のことを「臣民(しんみん)」と呼びかけられておいでになります。
この「臣民」という言葉について、ずいぶん以前になりますが、以前誰かがこのブログのコメント欄に、
「臣民とは、天皇に直接支配される人民のこと」とアホなことを書いてきました。
なぜ「アホなコメント」なのか。
自分の不勉強を棚にあげて、狭量な自分の世界だけでものごとをとらえようとしているからアホなのです。
「臣民」は、「皇臣民」からきています。
「皇」である天皇が、すべての民衆を「おおみたから」とする。
その「おおみたから」のために、天皇から権力の親任をうけて政治や行政を行うのが「臣」です。
靖国に祀られる英霊、246万6,532柱英霊。
今日は130名の仲間たちとともに、靖国神社に昇殿参拝をし、英霊への感謝を捧げてきます。
~~~~~~~~~~~
【終戦の詔勅原文】朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻リニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝国ノ受クヘキ困難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克く朕カ意ヲ体セヨ
御名御璽
昭和20年8月14日

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http://www.mag2.com/m/0001335031.html第20番歌 元良親王
コメント
ふくのすけ
日本は忍耐だけの国になってやしないか、と。
菅義偉官房長官の(反対派は)一部野党やマスコミから洗脳されている。といったネットニュースを思い出したからです。
陛下の「耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」というお言葉のみをマスコミは放送しています。
日本は悪くて謝らなければいけない。
そういった雰囲気を、人の良い素直な日本人は受け入れてしまう。それを洗脳と言うのではないでしょうか?
陛下は、日本の国と人の美徳を守って、世界に貢献していきなさいとおっしゃっているように思えます。
戦後70年が過ぎ、耐え忍ぶ時期は終わったと思うのです。
古きよき時代を知る人が残る、今のうちに日本の美徳を取り戻すべき、と切実に感じます。
伝統文化と近代化が融合した類まれな我が国に原点回帰し、更に進化すべく転換期が来た!と思うのは私だけでしょうか…
2015/08/23 URL 編集
愴意
と言いつつ本題に入らせていただきます。今回の記事を機会に天皇という存在は日本にとって最も日本足らしめる存在だという事を私たちはある程度歴史的に知るべきだと思います。
私たちにとっての歴史の中心には天皇がいて、でも、天皇は変に権力を振りかざす国民のために祈り、支える親としての存在となっていた。だから足利家の時代など、一部は例外ですが、基本的に天皇は狙われなかった。なぜか。
ねらう必要のない存在だからです。
いつも私たちを見守る親だから、見守るそんざいである、母親のようなものが神様レベルまで上がったような存在だからです。まあ、古事記にも天皇は神の直系として扱われているのでこれらも少なからず関係はしているでしょう。
この背景は、日本人として知ってもらいたいです。
日本が仏教を受け入れキリストを受け入れそれでもその宗教に飲まれなかったのは、親であり神である天皇とそれを守る武士がいたからです。天皇の文化が、武士の文化を作り上げた。
これらはよくよく調べればわかります。大家族の家族至上主義の宗教的な本質である自己犠牲。これが武士のあり方であると。それが派生して上の者に仕えることが生きる意味となる。武士とは本来自分のため以外のためにしか戦えず動かずの精神です。つまり、守る為に戦う。それの原点が天皇だったのです。と、まあ、長くなりそうなので、つまり中国から来た物教や漢字、ヨーロッパのキリスト教が来てもにほんという独特の文化があり続け、発展し続けたのはこれらの関係あってこそなのです。その効力を感じていた日本人は天皇を立て武士道を背負う大日本帝国を作った。日本人の力をフルに活かすために。これが、戦争で逃げ出さず、臆することなく戦い、敵国を震撼させた要因なのです。
ただ、私はこの天皇を政治に加えたのは間違いだったと思います。
なぜなら、天皇は日本の宗教の本懐にしていける神、そして私たちの大親です。そのような存在を私達の政治に落として行わせるなど本来愚行であると思います。
だから、ある意味でGHQはよくやった。天皇を象徴にしたからです。天皇とは日本の象徴です。これはアメリカにしてはよくやった。鬼畜米英といえどこれは私は認めています。
(他はほとんど忌み嫌って認めてませんが…)
これは日本の本来の姿です。天皇を我々の世界に落とし込むのがどれほどに罪深いか。これは、崇拝しているからとか宗教家だからではありません。歴史的事実なのです。歴史的に天皇を神の直系とし、私達の全ての親である人という歴史に対する最低限の敬意です。もし、この文章に何か感ずることがある人がいるなら歴史を教科書を覚えるように見るのではなく自分の歴史のように考え調べてみてください。おそらくなんとなく理解できるのではないでしょうか。出来なければ、その行為が弱いか、日本人ではないのでしょう。それほどにこれは日本人の本質であるのです。これは事実です。歴史的に、また、宗教的にもです。今や宗教を軽んじている国や人は多少なりともいますが、長い歴史の中で宗教を軽んじて文化を発展させた国はありません。アメリカぐらいです。しかし、実際はアメリカも、ヨーロッパのキリストを借りて強くなったまがい物の宗教家のようなところがあります。
だから、オカルト的ではなく自国の本質である天皇についてよくよく考えてください。おそらく著者の
記事に触れて感化されている皆さんなら何かしらつかめるのではと思います。そして、
天皇はすごいなぁ、とか、天皇は国家権力者であるべきなのだなどではなく私達の崇拝すべき象徴である事、これを知ってもらいたいです。本来の日本人にとって天皇を敬い崇拝するのは形としては当たり前にして、大前提なのです。だから、ある意味で外人も日本人になれます。日本人の資格とは血や一族、その国に住むかどうかというよりも、日本人の魂を持ち、扱える存在かどうかだけです。他は二の次です。だから、日本には中国から来た秦一族などの異国人の血が多少なりともあるが、日本人として存在しています。
長々と長文失礼いたしました。しかし、この文章で何か掴めたり考えるきっかけになれたらありがたいと思い書かせていただきました。
もし読み切っていただけたらありがたい次第です。どうか、日本人である皆さんに誇らしい未来があらんことを!
2015/08/17 URL 編集
名無しさん@ニュース2ch
政教分離をきちんと行い、
宗派間の争いを戒め、
国境を越え、互いに敬い、
争い事なく平和に共栄できるようにしたいものです。
世間はお盆ですが、皆が六道の天上界の心の持ち様であれば
世の中は全て性善説で動き、争い事は起こらない筈です。
残念ながら特亜の人は餓鬼道以下に落ちている方が結構いらっしゃる。
そうならないように教育に力を入れ、適切でない教員は早く排除しないと。
2015/08/16 URL 編集
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2015/08/15 URL 編集
敦子
安倍談話は、欧米諸国に対し、今後一緒に頑張っていこう!、と言っているのです。加えて、日本国が、東南アジア諸国とモンゴルを立派な国々になるように鍛え上げます!、と言っているのです。
2015/08/15 URL 編集
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いろいろな思惑もありましょうが、今日一日は日本人として、心静かに先の戦いで散華された全ての英霊の皆様の御冥福をお祈りされることを願うばかりです。
靖国神社には行けませんが、靖国神社に向かい、お祈りさせていただきます。
2015/08/15 URL 編集
taigen
「皇」である天皇が、すべての民衆を「おおみたから」とする。
その「おおみたから」のために、天皇から権力の親任をうけて政治や行政を行うのが「臣」です。
>日本においてはそれで間違い有りません。昭和天皇が臣や民に悪い意味を含められるはずが有りません。
しかしながら、臣という字も民という字も古代中国では目を潰した奴隷という恐ろしい意味が有りました。古代中国人の優れた文化、文明は尊重しつつも、日本人には受け入れ難いエグイものは入ってきませんでした。(宦官、纏足などの悪習)
儒教なども日本に入ってくる際にはかなりソフティケートされたものになっています。
例えば本場の儒教では親孝行として病気の親に、息子が自分の腿の肉を切り取って食べさせるなどという事が書いてあるそうです。
2015/08/15 URL 編集
junn
※御前会議の席上、昭和天皇の”御聖断”により宣言受諾が決定、同日付で終戦の詔勅が発布(8月14日)、陸海軍に停戦命令(8月16日)
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『真正の愛国と高貴な徳性の”ご意志”』
”ご聖断”といわれる、昭和天皇のポツダム宣言を受諾する不動のご意志は(一九四五年八月)、日本国の外交をして、四十年ほど歴史を遡らせて、ようやく小村寿太郎の明治後期と「連続」させた。小村が一九〇六年に外務大臣のポストを去って以来、四十年間も迷走・暴走を続けた日本国の外交が、GHQ権力の下にはあったが、やっと正常に回帰した。
民族系論客たちは、GHQの占領政策をことさらに難詰するが、GHQによって、日本が元来あるべき日本に、少なくともその方向への基盤を再生できた、最も根本的な現実を隠蔽する。”日本の再生”や”日本の保守”に関心がない民族系論客たちは、その特性である感情過多の幼児性と視野狭窄と知識欠乏から、日本をもう一度亡国の奈落に突き落そうとしている。彼らの論理は支離滅裂だし、それ以上に、亡国主義のニヒリズム病に侵され精神の錯乱に遊んでいる。
ご聖断が、あれほど国民全体に即座に受容されたのは、ラジオ放送された昭和天皇の玉音に魂を揺さぶられたからでもあるが、それだけではなかろう。アジア共産化/日本共産化/ソ連軍の日本全土占領/昭和天皇監禁・銃殺(一千万~二千万人の)男性日本国民の大規模抹殺などを戦争目的とした、祖国日本を全面的に破壊しつくす”悪魔の思想”に取り憑かれた狂気の大東亜戦争から、日本国が「救済」されたことを、屈辱的な戦争の敗北を受け容れねばならない激痛の中に、意識を超えて安堵したからにほかならない。
ポツダム宣言とそれに続くヒロシマ原爆とが、昭和天皇の降伏決定のご意志が初めて国家の意思となる政治環境を生み出したのは、政治史における通説の通りである。
”国体護持”は、米国主導のポツダム宣言と昭和天皇のその受諾とによって達成された。一方、”国体破壊”に執念を燃やしたのは、「一億玉砕」を叫んだ阿南らの帝国陸軍、つまり日本の方だった。降伏・終戦に直面したとき、敵の米国が「親日」、日本自身が「反日」という、なんとも絶句する倒錯が鮮明に露呈した。大東亜戦争とは、国家に叛逆した「反日」の戦争だった。
また、ポツダム宣言が天皇制度を基本的に存続させようとしているのは、読めば誰にでもすぐわかることで、ことさらに「国体護持」を叫んだのは、ポツダム宣言を拒絶する詭弁であった。バーンズ国務長官の回答など、むろん不必要だった。なお、昭和天皇は、ポツダム宣言について、「朕は確証を有す」と、天皇制度と皇室が護持されることを確信されていた。米英への強いご信頼、それが昭和天皇の、深い真正の愛国と高貴な徳性と結びついていた。
中川八洋『地政学の論理』徳間書店
2015/08/15 URL 編集