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昨日の倭塾第20回公開講座は、部屋を二部屋借りて倍の広さにしたのですが、これまでの4割増しの合計70名の方にご参加いただくことができました。
みなさまのご贔屓の賜物です。ありがとうございます。
また夜遅い開催出会ったにもかかわらず、半数以上の方が懇親会にご参加されました。
あらためてみなさまに感謝申し上げますとともに、これからも精進して少しでも心に残る勉強会を開催していきたいと思います。
ありがとうございました。
さて本日9月6日は、昭和16(1941)年の御前会議で「帝国国策遂行要領」が採択された日です。
この御前会議のときに、永野修身海軍軍令部総長が昭和天皇の求めに応じて発言されたのが次の言葉です。
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すなわち戦わざれば亡国必至、
戦うもまた亡国を免れぬとすれば、
戦わずして亡国にゆだねるは
身も心も民族永遠の亡国であるが、
戦って護国の精神に徹するならば、
たとい戦い勝たずとも
祖国護持の精神がのこり、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
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当時の血涙、まさに涙をのんで死地に赴く心境であったことが、手に取られるように感じる言葉です。
このあと日本は、まさに死力を尽くして戦いました。
そして戦後の我が国は、日本国憲法という名の欺瞞、占領憲法を押し付けられ、いまに至っています。
けれど、永野修身元帥の言葉を、もう一度読み返していただきたいのです。
護国の精神のもとに戦地に散った英霊230万柱です。
その思いは、いまも祖国日本の「再起三起」にあると思うのです。
そして「再起三起」することを求められているのは、他でもない、戦後のいまを生きている私たちです。
この御前会議が行われた前日、近衛文麿総理が、翌日決定されることとなった国策要綱について昭和天皇に内奏しました。
そのとき昭和天皇は、近衛総理の説明のなかの「戦争準備を第一とし、外交交渉を第二としている点」をご指摘されました。
そしてこう申されました。
「なんだか戦争が主で外交が従であるかのごとき感じを受ける」
近衛首相は、
「そのような意図はなく、あくまで外交交渉を行い、交渉がどうしてもまとまらない場合に戦争準備に取りかかるという意味です」とお答えになりました。
けれど昭和天皇は、その言葉に納得されず、翌日の御前会議に陸海軍の総長を招致することを命じられました。
真意を明らかにするためにです。
そして御前会議の当日、昭和天皇は会議に先立って、
「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。
及川海相は、「重点は外交にある」と答えました。
すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自ら明治天皇の御製をお読みになられました。
よもの海
みなはらからと思ふ世に
など波風の
たちさわぐらむ
四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟なのに、どうして争いが起こるのだろうか、という御製です。
近衛文麿総理は、この昭和天皇のお言葉に、
「全員恐僭して、しばらくは言も発するものなし」と日記に書きました。
なぜ言葉がなかったのでしょう。
あくまでも平和を望まれる天皇のお気持ちに、結果としてお応えすることができず、戦争へと日本を突入させてしまう。
たとえそれが米英の陰謀によるものであったとしても、むざむざと戦争に突入させるのではなく、どうしてもっと早くに、有効な手だてを講ずることができなかったのか。
四方の海を「はらから(兄弟)」とおっしゃられる陛下のお気持ちに、なぜ応えることができなかったのか。
列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がありませんでした。
誰もがうつむくしかなかったのです。
なぜなら、陛下のご期待に添うことができなかった。
その責任の重さが、その場にいた全員の胸を押しつぶしていたのです。
その情況で、誰が「それでも戦争しましょう」などと言えましょうか。
言おうとしたら、涙がとめどなくあふれてしまうのです。
まともに言葉さえ出て来ない。
日本を代表する英才で、知りうる限りのすべての情報を知り尽くした日本の最高責任者たちが、陛下の御前で、声もなくうなだれ、涙をこらえるしかなかったのです。
当時の閣僚は、ついこの間までの内閣のように、昨日までただの市民運動家だった者が、なにかの弾みで大臣や総理になったような人々とは、まるで異なります。
なかでも軍の出身者は、日露戦争、第一次大戦、日華事変等での実戦経験者たちです。
まさに歴戦の勇士です。
そして歴戦の勇士であるということは、可愛い部下、愛する部下たちを目の前で失った悲しみの経験を積み重ねてきた人たちであるということです。
当時の新聞は無責任に、
「最早日米開戦止む無し!」
「鬼畜米英」
「進め!一億火の玉だ」
などと、毎日特大の見出し文字を新聞の一面トップに踊らせていました。
冷静に彼我の国力の違いを述べて、戦争回避を主張する新聞も二紙ほどありましたが、発行部数を極端に落しています。
どんなときでも、センセーショナルな記事を書くほうが売れる。
新聞は、あくまで売るのが商売であり、国家の帰趨に責任を持っているものではないのです。
このことは、今も昔も変わらない。
けれど、兵学校から鍛え抜かれた軍人には、彼我の戦力の違いも、国力の違いも痛いほどわかります。
挑発されて迎合すれば日本はなくなる。
残された道は、もはや戦うしかない。
そこまで追いつめられながら、それでも陛下は、外交交渉を和平を望まれていたのです。
誰も何も言えない。
しばしの静寂あと、昭和天皇は海軍軍令部の永野修身(ながのおさみ)総長に発言を求められました。
永野総長だって、答えられない。
けれど、陛下のお求めです。
彼は、しばしの沈黙のあと、ようやく重い口を開きました。
それが冒頭の言葉です。
永野修身元帥は、終戦の日に自決を図りました。
その現場を、海軍中将の左近司政三(さこんじせいぞう)に取り押さえられ、涙を流して「生きることこそあなたの責任だ」と諭され、自決を思いとどまられました。
そして東京裁判の被告となり、巣鴨刑務所内で寒さのために急性肺炎にかかり、病院に移送され、そこでお亡くなりになっています。
永野修身元帥は裁判中において、常に堂々と帝国海軍軍人として振舞い、その様子は米海軍のジェームズ・リチャードソン大将が「まさにNagano Osami こそ真の武人である」と賞しています。
享年66歳でした。
先日も書きましたが、戦後68年、日本は平和でした。
先進諸国の中で、この68年、戦争をしないで済んだ国は日本だけです。
それを「憲法九条があるからだ」という人がいます。
違います。
戦争には、常に相手があります。
相手があるから戦争が起こるのです。
こちらがいくら「戦争しません」と言ったところで、相手が攻めてくれば戦争です。
すこし考えれば誰にでもわかることです。
そうであれば「憲法九条で日本は戦争をしませんと宣言したから戦争になっていない」などという言葉が、いかに浅薄(あさはか)で、中味のない妄言なのかがわかります。
「平和のために憲法九条を護れ」という人がいますが、それは我が国国民を危険に晒せといっているのと、実は、同じことでしかないのです。
むしろ「平和のために憲法九条を護れ」という言葉は、「周辺国が平和の名を借りた侵略行為を働くことに対し、それをしやすくするように日本人の生命や財産を危険に晒そう」と言っているに等しいことです。
憲法九条で護れるのは、私たち日本国民の生命財産ではなく、他国の暴力であるということを、あらためて私たちは認識し直す必要があります。
ではなぜ、そのような、我が国の国民の生命や財産を危険に晒すような憲法を持ちながら、日本が戦後68年も戦争をしたり、攻められずに済んできたのでしょうか。
ひとつは、米軍の核の傘に守られてきたということがあります。
憲法9条云々という能書きではなく、現実の軍事力が、日本の平和を維持してきたのです。
そしてもうひとつは、先の大戦において、わたしたちの若き日の父祖が、世界の戦史上「あり得ない」ほどの勇敢さを世界に示してくださっていたおかげです。
「日本という寝た子を起こすな!
これが周辺国を含む、世界の常識であり本音だったのです。
戦後68年、我が国が平和と繁栄を維持し得たのは、まさに先の大戦で、あまりにも日本の兵隊さんたちが強かったからです。
日本に下手に手を出せば、とんでもない泥沼戦に至る。
あまりにも勇敢な戦士たちを相手にすることになる。
だからこそ日本は、戦後68年、どこからも攻められず平和を保つことができたのです。
戦後日本の平和は、憲法九条のおかげではありません。
先の大戦で勇敢に戦い、散って御柱となられた英霊たちのおかげです。
英霊たちへの感謝、そして英霊たちの名誉を、いま、私たちは取り戻すべきときにきています。
人の世は、だいたい20年から25年で、世代交替が起こります。
ということは、日本も終戦からすでに3世代目が社会の牽引役となる時代となり、もうすぐ4世代目の時代へと入ります。
そうして先の大戦の記憶が薄れゆくなかで、周辺国も日本の怖さを忘れ、いつしか武力をもって竹島を奪い、我が国領土として確定している尖閣を奪おうとし、また文化侵略として日本起源の武術や茶道、華道などの道さえも、当該国が起源だなどというデタラメを吹聴しています。
これらは、領土主権に対する明確な侵略行為であり、他国による文化侵略です。
以前にも書きましたが、侵略を受けて対抗のために相手国を征圧するのは侵略ではありません。
国家としての正当な自衛権の発動です。
日本は、堂々とそれをする国家として、あらために生まれ変わらなければなりません。
なぜなら、領土も文化も、それは我が国の財産であり、私たち日本人の生命でもあるからです。
私は、武力行使には、基本、反対の立場をとっています。
戦争も反対です。したいとも思わないし、してほしいとも思いません。
日本は、「武」をもって世界と付き合う国ではなく、むしろ愛とコンセンサスによって世界と協調する国家として自負を固めるべきであると思っています。
けれども、そうであるならなおのこと日本は、武力においても、文化においても、世界最強の自衛力、戦闘力を持った、世界最強の国家でなければならないと思っています。
そしてそのために、国家予算として、年間25兆円規模の予算が使われたとしても、すこしもおかしくないと思います。
なぜなら、日本ほど、平和を愛する国も、国民もいないからです。
そして、そういう国家を築くことこそ、御柱となられた英霊に応える唯一の道だと、私は信じています。
永野修身元帥が「必ず再起三起するであろう」とおっしゃった、その「われらの子孫」は、他でもない、いまの日本に生きるわたしたちです。
私たち日本人が、この言葉を実行するのは、いつなのか。
それは「いま」です。
※この記事は2013年の同日の記事をリニューアルしたものです。
3年連続で同日記事としてアップさせていただいています。
いまも昔も、日本は皇国だからです。

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コメント
民主主義者
2015/09/06 URL 編集
おおやまと
そして今がある
ありがたや
2015/09/06 URL 編集
弓取り
そうですね。「平和を愛する」とは、理念や教義としてではなく、日本の長い歴史の生活から伝統的に身につけているもの。日本国民が生活の中で伝統的に身につけて大事なものと認識できるからこそ、それを害する勢力に対して先人は身命を賭してくださったのでしょう。かつて日本に生きた日本人の方々の、生活に根差した記事の数々は有益です。
もし、「平和を愛する」を理念や教義に留まらせると、狭い解釈や空虚な言葉遊びに誘導したがる者の議論は、けっきょく大事な「平和」のために近隣国と「話し合い」「相手の声を聞け」等ああしろこうしろになるんですね。相手によっては、単なる声闘の一部に過ぎなくなる。同時に、日本の武の文化は、平和に反することと決めつけて排除させようと目論むのです。武道なんか理解できないのがアジアです。
残念ながら、アジア近隣国は統制がとれ、かつ多くの住民の深い平和な生活を満喫した歴史を持たないのです。自由とその下の創意工夫も経験していない。だから近代科学の知性の基礎も蓄積できなかったということだと思います。現在でも商品開発の能力が低いのはそのためです。ああいう特定外国の言い分を従順に聞いてやって妥協して勝手なことをやらせていては、アジアに「平和」はやってきません。平和に偽装した、もっと別のものになってしまいますね。
2015/09/06 URL 編集
ポッポ
先進諸国の中で、この68年、戦争をしないで済んだ国は日本だけです。
1953年に韓国の武力行使によって占拠された竹島のことを考えます。戦争をしなかったけれど、その代わりに大切な日本の領土を武力で占領されたのです。
その当時、日本はポツダム条約を受け入れた後、サンフランシスコ条約を締結するまでの期間であったため、国家として非武装でした。
非武装の国は、武力侵略により国土を占領されたとき、戦争はしないけれども何もできないことを証明しています。
国が国であるためには、そのための犠牲を支払う覚悟は必要です。
中韓は会談で、勝手に日中韓の三国会談を開催することにしました。
安倍首相は勝手に決められたからと断らずに、参加されると思います。
三カ国会談になりますと、恐らくは半日の要素が大きくなると思うのですが、安倍首相はそんなことなら気にされないでしょう。
しかし、このときには最近話に出なくなった日中韓FTAのことを復活させようと企まれるような気がします。日本は日中韓FTAよりTPPで海外との貿易を拡大し、国民を豊かにしていただきたいと思います。
中国が抗日戦争勝利70年で発表した演説の内容は、どう見ても反日的内容だと思いますが、外務省は反日的だとの認識をしていないそうです。
外務省は、解体するしかないと思います。
2015/09/06 URL 編集
しめじ
国防を整え自国を守るか、丸腰状態で他国に侵攻の隙を与えるか。
もしかしたら、「守る気がないのであれば、新しい国造りをしよう」
と、日本の神々の怒りをかって災害で滅ぼされるなんてことも…
それはさておいて、
私は安倍首相はとても良い仕事をされていると考えています。
だけど70年談話は少し残念に思いました。
河野・村山談話の踏襲で、英霊の名誉を取り戻せなかったからです。
でもあの談話のおかげで、米に安倍首相が無理矢理歴史を正そうとしていないと理解させることができたのですよね。
現状ではあれが限界ですか。
しかし一方で、日本を貶めたい輩に隙を与えたのも事実です。
先ずは、国内の反日勢力の実体を国民の前に曝さなければならないですね。
まだまだ戦いはこれからです。
2015/09/06 URL 編集
たまにはコメントしてみます。
いつも良い記事をありがとうございます。勉強させていただいております。
この記事から引用
>私たち日本人が、この言葉を実行するのは、いつなのか。
それは「いま」です。
その通りだと感じています。また、それぞれ自分に出来ることを始めている方もいる様です。しかし、まだまだ少数派ではないかと思います。ねずさんの記事が心ある方達の背中を押すことを願っています。
また、冒頭の千代紙に目を引かれました。歳を取ってくるとこういった色使いに気を魅かれるのは私だけ?・・・
記事の内容だけでは伝わらないものが在りますが、この千代紙の色遣いを見ると言葉だけでは伝わらない思慮深さが伝わって来る様な気がします。
どこぞで群れて過激で危険なことしか出来ない人たちには出来ない色使いでしょうね。w
敬具。
2015/09/06 URL 編集