天皇と鎌倉幕府

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20151001 源頼朝


「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」
子供の頃、年号の暗記で、このように記憶した方は多いかと思います。
鎌倉幕府の成立といえば、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年がそのはじまり、と私たちは学校で教わりました。

ところが最近の歴史教科書では、鎌倉幕府の成立は1185年、つまり源平合戦で壇ノ浦の戦いが行われた年が鎌倉幕府の成立だと教えているのだそうです。
どこぞの在日系の学者が、彼ら特有のファンタジー史観で「歴史を書き換えた」ものの一環ですが、まったく日本の歴史をわかっていない馬鹿者の行いです。

そもそも源頼朝は、平氏のように朝廷に拠らず、鎌倉幕府という新しい武家政権を樹立しました。
このとき頼朝は、朝廷を打倒せず、天皇から征夷大将軍に任命していただくことで、天皇によって政権の正統性を承認してもらっています。
つまり頼朝は、天皇を国の中心とした聖徳太子の国作りの大方針を継承しています。
そしてこの後、700年ほど続く武士の政治が、すべてこの方針を継承したことによって、日本は世界に類例のない国家の姿を今日まで伝えてています。

武力革命で新しい王朝や国家を樹立した支那や西洋のやり方を否定した日本の歴史は、まさに武家政権であった鎌倉幕府の在り方によって、動かざるものとなったのです。
つまり、この鎌倉幕府の誕生こそが、実は、日本の国のカタチを学ぶ上で、とても重要な意味を持つものであるのです。

武士というのは、もともとは平安時代の新田の開墾百姓が始まりです。
しかし新田を一生懸命に開墾しても、その土地を誰かに取られてしまうのでは、困ります。
そこで武士たちは、公家出身者を棟梁にあおぎ、自分たちの耕した土地を守ろうとしたのです。

斎藤武夫先生の「授業つくりJAPAN」の「日本が好きになる授業」では、まず次の二択からはじまります。

(質問)みなさんが頼朝だったら、次のどちらを選びますか?
A 朝廷(天皇)を滅ぼし、新しい武士の政府をつくる。
B 朝廷(天皇)から認めてもらって、新しい武士の政府をつくる。

Aは、実力で国を新しくつくりかえてしまうやり方です。
古い政権が武力によって打倒され、新しい政権が始まるのは、支那の方式(易姓革命)であり、世界のあらゆる国の歴史にみられるやり方です。

Bは、天皇に「政治を行って良い」と認めれもらったうえで、朝廷とは別に武士の新しい政府を作るという考え方です。天皇中心という国の形は変えないやり方です。

齋藤先生の授業では、ここでは単に生徒にAかBかで手を挙げさせるのではなくて、子どもたちに5分ほど時間を与えてノートに理由も書かせ、生徒同士で話し合わせるのだそうです。
なぜそのようなことをするのかといえば、大化の改新と同様、鎌倉幕府誕生のこの授業こそが、日本のアイデンティティである「天皇中心の国」を学ぶ授業だからです。

そのあと、プリントが配布されます。
それは「政治の天才源頼朝のアイデア」というプリントです。
引用します。

******
【政治の天才源頼朝のアイデア】
源頼朝は「B 朝廷(天皇)から認めてもらって、新しい武士の政府をつくる」を選びました。
頼朝は、当時の朝廷のリーダーだった後白河法皇にこんな手紙を書いています。

「私たちは朝廷をお守りするために平氏を滅ぼしました。
 法皇のご命令に背くようなことはいたしません」

そして頼朝は1192年に朝廷から征夷大将軍という位に任命されました。
それは「武士のかしらとして政治を行なうことを許すぞ」という意味でした。
頼朝は、朝廷を武力で滅ぼして自分が日本の王になる実力を持っていましたが、聖徳太子がつくった「天皇中心の国のかたち」を壊さないようにしたのです。
日本国のまとまりの中心は、あくまで天皇です。
「武士はそのご命令で、これから日本の政治を進めていくのだ」というのが頼朝の考えでした。

こうして頼朝は1192年に鎌倉幕府という新しい政府をつくり、武士による武士のための政治を始めたのです。
武士の政府のことを幕府といいます。
そしてそのトップが征夷大将軍です。

幕府のあった場所は鎌倉、いまの神奈川県鎌倉市です。
この鎌倉に幕府があった時代を「鎌倉時代」と言います。

この頼朝のアイデアによって、天皇は國民のために祈り、武士が実際の政治を進めるというカタチが生まれました。
天皇は、日本という国のまとまりの中心であり、実際の政治は武士の幕府がすすめるようになります。
世界の歴史では、武力で勝る者が、古い支配者を滅ぼして新しい国をつくるのが普通です。
我が国の武士たちは、「国の中心は天皇である」という考え方を変えなかったのです。

政治の天才頼朝のアイデアのおかげで、その後の室町幕府や江戸幕府においても、大昔から続いてきた「天皇を中心とする日本」が守られたのでした。
このカタチは、いまも変っていません。
國民は選挙で内閣総理大臣の政党を選びますが、彼は天皇に親任されなければ、内閣総理大臣にはなれません。

*******

冒頭に、壇ノ浦の戦いによって鎌倉政権が誕生したと記している教科書を、「歴史をわかっていない馬鹿者」と呼ばせていただきました。
馬鹿者だから馬鹿者なのです。
そもそも鎌倉政権なる歴史用語はありません。
「鎌倉幕府」です。

そして「幕府」というのは、そもそも「出征中の将軍の府署」のことをいいます。
将軍は、王ではないし、まして皇帝でもありません。
将軍は、王や皇帝の部下です。
つまり、王や皇帝の御在所があるから、出先が幕府となるのです。

なるほど壇ノ浦の戦いで源氏は平氏に勝ちましたが、これはただ勝ったというだけです。
いまで言ったら、選挙で源氏党が勝って、政権与党の座を奪い取ったようなものです。
その与党第一党の党首は、天皇に親任されて、はじめて内閣総理大臣となります。

同様に、天皇によって頼朝は征夷大将軍に任じられたから、その頼朝の居所が「出征中の征夷大将軍の府署」という意味で「幕府」と呼ばれるようになり、その場所がたまたま鎌倉だったから「鎌倉幕府」と呼ばれるようになったのです。
ただ勝っただけで、将軍職でもないのに、幕府を名乗ったら、それこそ頼朝は世間の物笑いです。キチガイ扱いされます。

ちなみにもう少し詳しくいうと、この時代、田畑の所有者は、もともと古い時代に開梱されて、天皇や貴族たちの領地であるいわば「貴族荘園」、神社やお寺が領有している「寺社荘園」、新田の開墾百姓(武士)が領有した「新田」がありました。

貴族の荘園は、当然の事ながら、歴史も古いし貴族たちによって守られています。
貴族は特に武装していたわけではありませんが、これらの田畑は歴史が古く、土地登記もされているもので、誰も文句を言えないし、紛争の種にもなることはありません。

お寺も、田畑を持っていました。
これは主に信者からの寄進によるものですが、かなりの規模の田畑があり、大きなお寺の場合、土地争いから土地を護るために、武装した兵(僧兵)を多数抱えていました。

神社も、大きなところは、領有地を持っていたところがあります。
いまでも、たとえば伊勢神宮などは、宮司さんたちが食べるお米から野菜に至るまで、すべて境内内で自給自足です。ここは古くからの神聖な土地であり、武装などしなくても、国中の人々から守られた土地です。

そして、もうひとつ。
貴族にも、寺社にもくみしない、まったく新たに開梱した新田がありました。
これが武士たちの土地(領地)です。

この新田は、自衛する以外、そもそもは誰も守ってくれなかったわけで、だからこそ開墾百姓たちは武装し、それが後年、武士となっていきました。

つまり、鎌倉時代のはじめ、国内は、
1 公家たちの領地領民
2 寺社の領地領民
3 公家にも寺社にも所属しない令外の民としての武士たち
という3層構造になっていたのです。

だからこそ、化外の民である新田の開墾百姓たちは、土地や身を護るために、新たな統治機構を必要としたのです。
そこに、源氏や平家の誕生の理由があるし、頼朝の幕府解説の意味もあったわけです。
そして頼朝が偉かったのは、武士たちが全体として(つまり国内の武士全部が)、頼朝が進んで朝廷の下にはいることによって、国を割らずに、むしろ国内を一体化するという選択をしたことです。

そうすることによって、無益な戦によって世を荒らすことなく、新たな武士のための政権を無理なく樹立したわけです。

ですから、鎌倉幕府ができたからといって、貴族たちの荘園や寺社の荘園は、何ら影響を受けていません。
そこは、あくまで貴族や寺社のものであって、鎌倉幕府の関知外のものであったのです。

この状態は江戸時代までずっと続き、国内の土地や民が、ひとつの政府のもとに一元化したのは、実は明治政府ができてからのことです。
藩籍奉還によって、大名たちが天皇にすべての土地も領民もお返しする。
この選択があって、はじめて、日本国内の土地と民が一元化されているわけです。

そして、国内が公家所有、寺社所有、武家所有と三つに分かれていながら、鎌倉時代から江戸時代までの600年間、特段の不都合がなかったのは、ひとえに、それらすべては天皇の土地であり民であり、天皇のおおみたからである、という認識が広く定着していたことによります。

そういうことを、ただしく理解させるのが、本来の学校の歴史授業だと思います。

斎藤武夫先生の「授業つくりJAPAN」の歴史授業の講座は、本になっています。
教職の方に、是非、お読みいただきたい本です。

『授業つくりJAPAN 日本が好きになる歴史全授業』
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コメント

大阪市民

源頼朝公を祭る神社があったのですね。
匿名さん教えて頂き、ありがとうございます。白旗神社を調べて機会があれば参拝させて頂きたいです。

one

No title
なるほど。将軍職に任命された92年が鎌倉時代の始まりで、私も異存ございません。
ただ、寛大な清盛に背き、範頼も義経も殺してしまう。この上、法皇に背いたら、御家人を掌握ができただろうか。そんな駆け引きもあったと思います。やり手の法皇が御在世中は認可が下りなかったのも、むべなるかなと思います。
私は、頼朝から公暁まで、みな不慮の死を遂げているに見て、それぞれが常に戦々恐々たる日々を送っていたように思います。
一門に見守られながら熱病に斃れた清盛と、かなり異なります。

清盛は腹の太い人であった。しかし、情にもろく、甘かった。私は、1160年に思いを馳せてしまいます。日本史上最大もミステリー。それこそ”頼朝助命”そこにあるように思えるのです。

私、大東亜戦史観には傾倒するところが多いのですが、明治政府の歴史観には納得できない部分も多いです。
三大悪人の一人に数えられた田沼意次。クマソや蝦夷。弾圧された、アイヌの人々。
平家にあらずば人にあらず。”物語”史観そのままのサンケイの教科書。

是は是。非は非とする。されど、混在するプラスもマイナスも、ありのままの姿を見つめることが大切だと思います。

女子の時代

No title
総仕上げは政子でしょう。なくして鎌倉はあり得ません。
寡黙な義時が意を受け確定しました。

その事が後の元寇という国家存亡の危機を救うのですから本当に不思議です。

匿名

源頼朝公を祭る神社
源頼朝公を御祭神とする神社はあります。
白旗神社です。
また、名前も白幡神社、白籏神社と複数ありますが、
どれも源氏や源氏に関わりの深い人を祭った神社です。
あまり知られていないようですが。

ススベ

No title
源氏が皇室から発した氏族であるのとその氏族が幕府を開いた事を理解したのは学校で、ではありませんでした。この点改めて欲しいなと感じております。

イイ箱作ろう義経幕府

鎌倉幕府成立は1192年
事実上の天下人となることと幕府の成立とは意味が異なります。

1185年に源義経が壇ノ浦で平家を討ち滅ぼしますが、
この年に義経が事実上の天下人となり幕府を開いたわけではありません。

奥州では朝廷より鎮守府将軍を任命されていた藤原氏が依然権力を握っていました。
1189年の奥州合戦で義経をかくまったとして藤原氏が滅ぼされ源頼朝が天下人となりますが、
朝廷に認められ征夷大将軍に任命されたのは1189年ではなく、それから3年後の1192年になります。
ですので鎌倉幕府成立が認められたのは1185年でもなく、1189年でもなく、1192年となります。


1333年に後醍醐天皇に討幕を命ぜられ新田義貞が鎌倉幕府を打ち取りますが、
その年に新田義貞が幕府を開いたわけではありません。
1338年に光明天皇より征夷大将軍に任命された足利尊氏が室町幕府を成立させています。
ですので室町幕府が成立した年も前幕府が滅んだ1333年ではなく1338年になります。


1600年に関ヶ原の戦いで西軍と東軍がぶつかりました。
それに勝利し天下人となった徳川家が征夷大将軍に任命され、
江戸幕府が成立したのはその3年後の1603年です。

以前、西日本では豊臣家が大きな権力を持っていましたが、
江戸幕府成立は豊臣家を滅ぼした大阪夏の陣の1615年でもなく、
関ヶ原の戦いで勝利した1600年でもありません。
江戸幕府成立は1603年です。


また、織田信長が上京し室町幕府将軍の足利義昭を京都より追放し、
事実上の天下人となりますが、朝廷の許しも無く
その年の1573年に勝手に安土幕府を開くことはできません。
豊臣秀吉が天下人となっても朝廷に無断で大阪幕府を開くこともできません。


天皇陛下より征夷大将軍に任命されることでのみ幕府を開くことができます。例外はありません。

たまにはコメントしてみます。

No title
こ二~三日の記事に今日の記事どれも素晴らしく何かをコメントしたいのですが、その何かがうまく言葉に出来ずにいました。

私は中年と言われる歳ですが、日本人としてはとても未熟だしそれを恥じてる場合でも無く今からでも出来ることは何でも必死になるべきなのだと考えるようになりました。ねずさんのブログを読むと何故か本文と直接関係ないことが頭に駆け巡ります。

敬具

えっちゃん

No title
以前、知人のお子さんの話から、鎌倉幕府成立は1185年と今の教科書で教えられていることを知りました。
意味が分かりました。
本当に大馬鹿者です。というより、意図的に改竄しているように思われます。
怒らず、拡散。カチンときたらすぐ拡散
(コホンときたら龍角散)「座布団2枚やっとくれ、山田君。」

大阪市民

更新ありがとうございます。
源頼朝公は今でも好きな武将です。判官贔屓で義経ファンが日本人には多いですが、頼朝の偉さには及ばないと想います。また、頼朝は神仏に対する信仰心の篤い武人としても有名ですね。平家や奥州藤原氏への討伐でも平家や藤原家の信仰していた寺社仏閣に対する破壊、乱暴狼藉なとば絶対にしないように厳命しました。頼朝自身が熱田神宮の神宮の娘を母親として持たれている事もあり伊勢神宮に対する崇敬の大変篤かったのは有名です。徳川家康も頼朝公を深く尊敬していて常に武将の手本として慕っていました。ただ、淋しいのはこれだけ偉大な武将なのに鎌倉にあるお墓は小さく、頼朝公を祭る神社が無い事ですね。まあ、鎌倉武士としての生きざまを示した
頼朝公らしいといえば言えますが。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』
最新刊
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』

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