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先日、「倭(やまと)の神と呼ばれた男」という記事(
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この物語で重要な事は、なぜ神武天皇が「倭(やまと)の神」とまで称される存在になったのか、ということです。
そもそも神武天皇は、「天下の政を看よう」といって、兄の五瀬命と日向(いまの宮崎県)を出発したわけです。
そして何をやったのかということは、その兄の名前で明らかにされています。
五瀬命のお名前の「五」は、五穀豊穣の「五」です。
五穀とは、五種類の主要な穀類のことです。
米、麦、あわ、きび、豆です。
ここから転じて、穀物全般のことを、五穀といいます。
「瀬」は、浅瀬です。
作物を稔らせる浅瀬といえば、誰がどうみても田んぼです。
要するに「五瀬命」は、そのまま田畑で作物を稔らせる農業指導者であったということがわかります。
農業の指導をするということは、単に作付けや育て方、合理的な収穫の方法を指導するだけでなく、その料理の仕方も教えます。
つまり、今風にいえば、料理の達人であり、農業のプロであったわけです。
その五瀬命とともに日向を出た神武天皇のご兄弟は、各地でたいへんな歓迎をされます。
当然です。
みんなが食えるようにしていくのです。
しかもおいしい作物を稔らせ、その料理の仕方まで親切に教えてくれる。
作付けや育てるのはたいへんですが、収穫できた新鮮な作物をおいしく料理して、それをみんなで食べるときは、きっとたくさんの笑顔に囲まれたであろうと、誰でも簡単に想像ができることです。
つまり兄弟が日向を出発して、やろうとした「天下の政」とは、みんながお腹いっぱい食べることができるようにすること、安心して食べれるようにすること、より豊かにみんなが暮らしていけるようにすることであったわけです。
ここに「政治とは何か」の基本が描かれています。
「政」という漢字は、「正」に「攴」が組み合わさってできています。
「攴」は、動詞を表す符号です。
ですから「政」という字は、「正しきを行なう」という意味です。
そして「正しきを行なう」とは、つまり政治の基本とは、みんなが安心して食べて行かれるようにすることということが、まずはじめに説かれています。
*
いま、TPP交渉中ですが、たとえばバターをニュージーランドから関税をかけずに輸入する。
そうすれば日本国内のバターの値段は4分の1に下がります。
消費者にとっては、得する話です。
お米は、国産品よりカリフォルニア米の方が安いです。
輸入すれば、値は下がります。
けれど、もし、ニュージーランドで何か大きな天変地異があったり、あるいは政情不安定があった場合、ニュージーランドからバターはまったく日本に輸出されなくなる可能性があります。
お米も、平時ならカリフォルニア米は日本に普通に入ってくるでしょうけれど、もし米国内で大規模な気象変動などで、小麦の生産高が激減した場合、カリフォルニア米は米国内の需要が優先されることになります。
つまり、隣の家とひとつ冷蔵庫を共有するという生活は、それはそれで便利なものですが、もし万一、自分の家と隣の家のとちらか一方しか生き残れない程度にしか食べ物がなくなったとき、隣人は隣人の家族を優先(自国を優先)しますから、日本はたちまち飢えてしまうことになります。
平時ばかりではない。
世の中には天変地異や戦争などの非常時が存在する、ということを、私たちは先の大戦の際の石油輸入や、東日本大震災、洪水、地すべりなど、近年繰り返し起きている災害によって経験しています。
つまり「政」というものは、平時ばかりではなくて、非常にも備えなければならないものであるということを、私たちは学んでいるはずです。
平時における目先の欲にとらわれて食料自給率を下げれば、万一の際にみんなが飢えることになる。
「政」は「正しきを行なう」ことです。
目先の利益(欲)を優先し、非常時にみんなが飢え死にする道を選ぶのが「政」か、平時から備えをしておき、万一に備えるのが「政」か。
人は、食べなければ生きていけません。
ならば答えは簡単です。
だからこそ、世界中どこの国においても、主食となる穀物は、完全時給が可能なレベルを保つ努力をしています。
日本だけが、目先の欲にとらわれて、そのことを忘れています。
*
「正しきを行なう」という「政」において、その基本はまず「食の安定」が第一であるということが、古事記の神武天皇期に説かれます。
神武天皇と五瀬命が奈良までやってきたとき、そこで武装した「ナカスネヒコ」のいち団に襲われるわけです。
どんなに平和を説き、農業を振興し、みんなが食べれるようにしたいという理想を描き、またそれを実現していったとしても、そういう「政」が通用しない相手もあるのだということが、ここで描かれます。
ナカスネヒコの一団というのは、いわゆる「山の民」で、狩猟生活を送っていた森の民であったという説があります。
これは支那で言ったら、農耕民族の漢人と、遊牧民との争いのようなもので、広大な草原で家畜を飼う遊牧民からすれば、その草原を勝手に農地に変えてしまう農耕族は、たいへんに迷惑な存在なのです。
同様に、狩猟生活を営むナカスネヒコの一族からしてみれば、定地を開墾する神武天皇の兄弟は、極めて不都合な人々であったわけです。
「だから話しあえば」
とは、誰しもが思うことです。
けれど、ナカスネヒコは、問答無用で矢を射掛けてくるわけです。
ここで古事記は、世の中には、そういう「こちらがいくら正しいことを唱え、それを立証していっても、それに対して問答無用で拒否し、襲ってくるような人々が、現にこの世に存在するのだ」ということを教えてくれています。
ナカスネヒコのいち団の襲撃によって、兄の五瀬命には矢が刺さり、兄は絶命してしまいます。
その兄は、死ぬ間際に「俺達は正しいことをしてきたのに、どうして・・・」と言い残します。
兄は、平和を求める人だったのです。
だからナカスネヒコの一団が襲ってきたときも、「剣」を用いず、矢を防ぐ「楯」だけしか使おうとしませんでした。
「この通り、武器は手にしていない。話しあおう。みんなが美味しいものを、もっといっぱい食べれるようになろう!戦いをやめて、話しあおう!」
兄は必死でそう呼びかけたのかもしれません。
この呼びかけは、まるまるかつての支那事変当時の帝国政府や支那や満州にいた日本人の呼びかけと同じです。
けれど、通用しないのです。
結果、兄は命を落とす。
残された「かむやまといわれひこのみこと」に、高天原の天照大御神は、どうしたでしょうか。
*
「武器を与えた」のです。
それも、なんと葦原の中つ国を統一した建御雷神の、最強の神剣を「かむやまといわれひこ」に与えました。
「楯」は、身を護るためのものです。
「剣」は、敵を攻撃するためのものです。
天照大御神は、「正しきを行なうには、ときに武装し、剣をとって戦わなければならない」と、明確なメッセージを送ってくれたのです。
ただし「自分が強力な武器を手にした」だけでは敵を倒すことはできません。
ではどうするかといえば、仲間を集めるのです。
「かむやまといわれひこのみこと」は各地を巡り、一緒に戦う仲間を集めます。
集団的自衛権です。
一方に暴政があったら仲間が集まるというものではありません。
暴政に対抗するために、暴力を用いるなら、それは単なる「破壊主義」です。
破壊だけを求めるのは共産主義の思想です。
「かむやまといわれひこのみこと」は、各地を巡り、どこまでも話し合いと人徳で仲間を集めます。
もちろん、仲間が集まるのに際して、「かむやまといわれひこのみこと」が日の御子であるという特殊な要素があること、天から与えられた特殊な神剣を持っていること(つまり世界最強のミサイル装備を持っていること)が、仲間たちが集まるに際しての重要なファクターになっていたことは、もちろんのことです。
そして大軍となった「かむやまといわれひこのみこと」は、ここで有名な言葉、
「撃ちてし止まん!」と号令をかけ、いっきにナカスネヒコの一団を滅ぼし、大和に安定した政権を築きます。
この時に述べたことばが、
「八紘をおおいて一宇となさん」です。
有名な「八紘一宇(はっこういちう)」です。
「八紘」は、四方八方、「宇」は屋根のことをいいます。
四方八方が、ひとつ屋根の下に暮らす家族のように暮らしていける、そういう国を築こうではないかと、これが我が国日本の建国の詔です。
つまり、国の出発点です。
*
日本は、朝鮮半島にある二つの国や、支那にある暴虐共産党国家のように、先の大戦後に新しくできた国ではありません。
いまから2675年前に、日本人みんなが家族となって暮らし、そして世界中がひとつ屋根の下に暮らす家族となれる国を作ろうと宣言されてできた、歴史ある国なのです。
そして五穀豊穣の神様である五瀬命ではなく、弟の神武天皇がなぜ「かむやまといわれひこのみこと」、つまり「倭の国の神といわれたヒコ(男)」なのかといえば、神武天皇が不条理に対して「断固戦った」からだということを、古事記はこの神武天皇記で、明確に説いています。
神武天皇は、戦ってナカスネヒコを倒しました。
先ほど、「暴政に対抗するため暴力を用いるのは破壊主義」と書きました。
神武天皇は、ナカスネヒコの暴力に、暴力で戦ったのです。
にもかかわらず、ナカスネヒコは破壊者であり、神武天皇は破壊者ではないのはなぜでしょうか。
しかも天の意思も、戦えというものでした。
なぜでしょうか。
実は、ここが古事記を学ぶ上で、最っとも大切なポイントです。
神武天皇の意思も、高天原の天照大御神の御意思も、どこまでも「みんなが豊かに食べれるようにしていく」というところを出発点にしています。
これが「シラス」統治です。
一方のナカスネヒコは、ナカスネヒコというウシハク存在に率いられた問答無用の暴力集団です。
ナカスネヒコの贅沢と安定のためにナカスネヒコの集団は存在します。
支那の共産党という一党独裁政権が、自国内にいるわずか8千万の共産党員のための存在でしかなく、それ以外の14億の民の生活も命も食も、全部どうでもよいと考えられているのと同じです。
これに対し、日本の統治の根幹は、あくまでも、どこまでも民衆が、誰もが食えるようになっていくこと(それがシラス統治です)が、根本にあります。
そしてそれを実現するために、ただ平和を願い、農業を振興するというだけでなく、いざというときのために、世界最強の装備を備え、集団的自衛権を行使して、断固戦う。
それが日本の「政」であるということを、実は、古事記の神武天皇記は明確に私たちに示してくれているのです。
そして「かむやまといわれひこのみこと」は「神武天皇」となられました。
*
「神武」とは、まさしく「武の神」そのものです。
どこまでも民の暮らしの安寧を願い、それを「政」とし、これに歯向かうものに対しては「撃ちてし止まん」と断固戦い、そして全ての民がひとつ屋根の下に暮らす家族になって、末代まで繁栄させる。
これこそが、ただの「武」ではない、「神の武」なのです。
世界の歴史をみると、300年以上統治が続く国家はまれです。
九百年以上となると、英国、デンマーク、そして日本しかありません。
そして日本は、世界で二番目に古い国であるデンマークの千年の2倍以上の長い年月、日本は日本のままでいます。
なぜなのか。
その理由のすべてが、「神武」というお名前に刻まれてる。
そのことを今日はみなさまに申し上げたいと思います。

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コメント
渡辺
2015/10/15 URL 編集
たまにはコメントしてみます。
欧米は一神教ですし、日本は多神教で神様とはだいぶ違う仏教まで浸透しています。それでも「家族を守るため、家を守るため、国を守るために戦う」のは全く同じです。人間の根本なんですね。
読み書きが広まる前は日本に限らず神話とか言い伝えで伝えられてきました。現代であれば教育という事でしょう。あれ!?日本の教育は大丈夫でしょうか?道徳とか人権とかいう前に立派な行いを教えるべきですよね?赤いチームの人達は本当に迷惑なので日本に関わらないでほしいです。
TPPと言えば米の輸入で騒いでいます。畜産も大騒ぎでしょう。ねずさんの食を守るという意見にも賛成です。しかし、日本は長い間に組織が腐敗して農業利権が害を及ぼすようにもなっていると思います。
例えば大規模農業をしたくても今の法律では殆ど無理です。土地を増やすのも子孫へ受け継ぐのも搾り取られるようになっています。これでは価格競争など全く歯が立ちません。海外と作付面積を比較すればすぐに分かります。
しかし、TPPに反対を唱えていた人はTPPに加入しなくてもこのままいけば日本の農業は衰退の一歩だという事は一切無視しています。
医療もどうなるか分かりません。アメリカでは盲腸を切ったら2~300万円なんて話を聞いたことが有りますが本当でしょうか?怪我をして病院に運ばれても保険会社が違うから手当が出来ないなんて話も聞いたことが有りますが本当でしょうか?保険の意味が有りませんね。
私が思うに日本の仕組みはこれほど立派だから他の国も同じにしなさいと言えるようになれば良いのです。残念ながらそれは限りなく不可能に近いですが・・・・
でもあきらめてはいけません!立派な人を増やす努力を止めてはいけません!なずさんの記事はそういった思いを気づかせてくれるのでとても良いです。
2015/10/06 URL 編集
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2015/10/06 URL 編集
ひろし
ねず先生、ありがとう御座います
2015/10/06 URL 編集