話を聞いた戸田忠昌は、しばらく考えた後、御徒目付(おかちめつけ)を呼びました。
「いま、大手前で車力が石を落とし、制札を倒したとの報告を聞いた。制札を倒す行為は許しがたい行為である」
「・・・・・」
「だがしかし、その制札の根元が腐っていたとなれば、どうであろうか。腐っていたならば、大石どころか、わずかな風でも倒れるであろう。
「・・・・・」
「いますぐに行って、制札の根元が腐っておるか、よく調べてまいれ。よいか。よく調べてくるのだぞ」
御徒目付は、重ねて「よく調べて来るのだぞ」と言った忠昌の言葉に、すべてを悟りました。
そして調査の結果を忠昌に報告しました。
「お察しの通りでございます。制札の根元はたしかに腐っておりました」
車力は涙を浮かべて、獄舎を出て行ったそうです。
(出典:後藤寿一)
*****
この話の戸田忠昌という人は、当時を記したいくつかの書物で「善人の良将」と評された人で、このような数々の善政の逸話を残している人です。
ところがこの戸田忠昌、若い頃は、とんでもない暴れん坊で豪放磊落、剣術の腕も立ち、酒は飲むは妾は囲うはで、あまりの乱行ぶりに、老臣の彦坂与次右衛門が心配して、まる二日間も諌言のための座り込みをしたこともあったそうです。
この諌言が功を奏し、以降は万事を正しく行い、ついに幕府老中として重きをなす名臣となりました。
老中にあったとき、場内で若年寄だった稲葉正休(まさやす)という人物が、大老の堀田正俊を刺殺するという事件がありました。
このときは戸田忠昌は、「稲葉殿ご乱心」の声に現場に駆けつけ、稲葉岩見守を一刀のもとに斬り捨てています。
戸田忠昌は、ただの能吏とはわけが違う。まさに武士そのものでもあったのです。
この事件のとき、忠昌は58歳でした。
ちなみに殿中での刃傷沙汰は御法度ですが、その刃傷を犯した者を現行犯でその場で斬り捨てることは、これは当然とされました。
まして、このとき稲葉正休は、実は大坂淀川の治水工事の工事予算の半分を着服した疑いがあり、大老から処分を下される直前であったのです。
戸田忠昌の行為は、ですから当然の行為でもありました。
さて、話が脱線しましたが、冒頭でご紹介した制札事件のようなことが現代社会で起こったら、どのようになるのでしょうか。
上の事件は、たとえてみれば、市役所の門の脇にある市の掲示板(公告板)に重機があたって壊してしまったといった事件に相当します。
これは刑法上の理想でいえば、「器物損壊事件」または「建造物損壊事件」です。
ただし、反日サヨクが日本国内の文化財を毀損しても、いまの日本では、おそらく逮捕もされないし、告訴告発しても警察は受理もしないことでしょう。
一方で、仮に日本国内のどこかに慰安婦像が建てられて、これを不服とした右翼や保守の活動家が、これを壊せば、相当の罪に問われたり、メディアを使って大騒ぎされることになることでしょう。
10年ほど前までは、まだ日本もまともなところがあって、公園内の公衆トイレにペンキで「反戦」などと壁全面に大書した行為が、、「建物の外観ないし美観を著しく汚損し、原状回復に相当な困難を生じたものであり、建造物損壊罪の損壊に該当する」という判決が出たりしていました。
けれど、この判決が出たのは、なんと最高裁であり、平成18年のことです。
事件が起きたのは平成15年4月です。
この程度のことが、なんと最高裁まで行って争われたのです。
弁護側の主張は、「落書きがあったからトイレを使用できないと思う人はおらず、建物の機能を損なっていないから、建造物損壊罪は成立しないから無罪」です。
私などはそんな弁護側の主張に「はぁ?」と思ってしまうし、しかも裁判というのは弁護士費用だけでもたいへんな金額が必要です。
そんな費用はいったいどこから出されたのでしょうか。
それにこの事件、結果は、懲役1年2カ月ですけれど、執行猶予がついたので、犯人は普通に世間での生活が保たれています。
問題は、果たしてそれで民の平穏な生活の保持という国家の最大の使命が満たされているか、という問題です。
1 公共物に落書きをしても、法に照らして建物の機能を損ねていないから無罪
2 公共物に落書きをすることを容認するような社会になってはいけない。
もし江戸社会なら、
1を主張した弁護士は打首。
そのような弁護士を容認した弁護士会会長はお家お取り潰しのうえ私財没収。
そのような弁護士の介入を容認した裁判官は更迭。
落書きをした犯人は、百叩きの上、市中所払いとなったかと思います。
なぜ現代社会と、判断が違うのか。
それは、政治の目的への考え方がまるで異なるからです。
どこまでも予防に重きを置いた江戸社会と、犯罪が起きてから、言い訳合戦をする社会。
しかも政治的に反日なら何をやっても許されるという社会。
そうした不正に資金を出すことを専門にする外国人団体の介在。
政治が日本の民衆のための政治になっていないからです。
冒頭の物語においても、戸田忠昌は、部下の報告を執務室で聞いて、それだけで、素晴らしい裁定をしています。
そして御徒目付も、忠昌の言葉から、すべてを察しました。
そうやってお互いに、相手の様子や気持ちや事態を「察する」という文化がありました。
そしてこの事件の報に接したときに、瞬時に判断されたことは、お上の高札が壊されたことを処罰することが以後の犯罪防止につながるか、ここで罪に問わなくても、治安が保たれるかの判断がされているのです。
そして後者であったからこそ、こうした物語が生まれています。
そしてそれができない、わからないような者は、高官に取り立てられることもなかったし、諸般の事情で間違って要職に就いたとしても、それで問題があれば、刀にかけて不忠を正しています。
そこに、命をかけた政治があったのです。
民度、という視点でみるならば、江戸社会の方が、いまよりもはるかに高度で進んだ社会であったといえるのはないかと思います。
もし、江戸日本で、虚偽の報道を30年間もくり返したり、嘘を並べて政治を壟断するような者がいれば、その者たちは、たとえそれが豪商瓦版であったとしても、店はお取り潰しで廃業、全財産は没収、その社長などの責任者は、一同、揃って打ち首です。
そしてさらにこれが奈良、平安の中世日本であれば、そのような虚偽報道をしそうになった、その徴候が見えたという段階で、流罪、財産没収となったことであろうかと思います。
「察する」という文化は、たかをくくって悪巧みをする者に対しては、断固武をもって制するという硬軟両方の使い分けが背景にあったのです。
このことは、実は三つの点で、とても重要な社会問題を浮き彫りにしています。
ひとつは権限と責任のことです。
裁定を下す者というのは、裁定を下せる権限を持ちます。
権限には責任が伴う・・・あたりまえのことです。
戸田忠昌の件に関して言えば、彼は車力を逮捕投獄することもできました。
けれど、それを「しない」というのも、彼の権限でした。
権限は悪用すれば、悪を放置容認することにもつながります。
江戸社会で、それがそうはならなかったのは、責任の所在が明確だったからです。
戸田忠昌は大名であり、江戸幕府の老中でもあった人ですが、彼の立場にあったとしても、権限を悪用して世を乱しても、あるいは権限を行使せずに世を乱せば切腹です。
それだけの責任の覚悟があるから、誰もが従うのです。
果たしていまの世の中は、責任と権限が一体となっているといえるでしょうか。
ふたつめは、なぜ戦後の日本社会は責任と権限が曖昧になったかということです。
答えは実に単純かつ明快です。
あきらかな悪人を放置するためです。
もっとわかりやすくいうならば、不逞在日朝鮮人(韓国人)の悪行を、放置容認するためです。
それはいまも続いています。
このことは不逞在日朝鮮人だけが、悪行を働いても罪に問われないという、彼らに政治的、経済的な不当利益をもたらしたというだけでなく、まともな在日朝鮮人(韓国人)にとっては、社会生活にもっとも大切な社会的信用を損ねるという大きなマイナスをもたらしています。
結果、日本政府としては、まともな在日を護るために、不逞在日を保護せざるを得なかったわけですが、このことが行政における責任と権限の曖昧さを促進しました。
みっつめは「いざとなったら武を用いるぞ」という文化は、「察する」という文化とセットになってはじめて功を奏するということです。
悪さをしたものを逮捕し、処罰する。
そういう社会文化の中にあっては、では「悪さ」とは具体的に何を示すのかが問題になります。
ですから、制札を倒した、壊した、だから器物損壊であるから、諸法度の第何条に基づき、処罰する。
そのために、人手を出して逮捕する。
そしてその損壊に至った経緯を明らかにするために、被疑者の身辺を徹底調査し、自宅や職場を強制捜査する。
そのときに抵抗されないように、警備を厳重にする。
そういうことに、エネルギーが費やされます。
そうなると、冒頭の事件の処理のために、いったい何人の逮捕のための捕り手方、取調べ官、身辺捜査官、差し押さえた書類等の調査官、検察庁への提出書類の作成者、検察官、裁判所等々、いったい何人の官僚や捜査官が必要になるのでしょうか。
膨大なエネルギーです。
けれど、もともとの事件は、たった一本の制札が、事故で折れた、というだけの話です。
しかもこうした事件は、人の世ですから、人が生きて生活していれば、次から次へと起きて行きます。
その都度、上に述べたような膨大な人でと労力が費やされるのだとしたら。
そしてそれだけの労力をかけて、では、犯罪や事故がなくなるのでしょうか。
もっというなら、減るのでしょうか。
つまり「結果主義の刑法」というのは、一見すると合理的で簡素にみえながら、実は、かえって社会負担を増大させてしまうものでしかないのです。
これに対し「明察功過」という社会制度は、察する側に武力があり、察する側に責任負担があります。
情報共有化社会(シラス国)ですから、相互の情報は共有されています。
ですから日頃から忠勤に励み、間違いのない者が、たまたま事故をしでかしてしまったというのならば、制札の根元が腐っていたのであろうということで処罰もないし、そこに相互の感謝もあります。
もちろん、もしこの車夫が日頃から素行が悪い者であるのなら、百叩きくらいの刑はあったかもしれません。
けれど、察するお上に武力があり、こんなことをすれば「下手をすれば打ち首?」というくらいの緊張感があることで、民の側に日頃から「かしこまる」という社会風土が熟成されています。
これが平安時代くらいになると、武そのものをもちいるほどがないほどに、世の中が安定していました。
わたしたちは、明治の開闢以降、諸外国に学べ、西洋の制度に学べという気風がたかまり、特に先の大戦以降は、なんでもかんでも、洋風が正しいように、いわば洗脳されてきています。
けれど、そうした洋風の社会風土であれば、冒頭に記したような、おそらく世界中がうらやむこうした美談は、まったく通用しなくなります。
そしてわがままで、声だけが大きい不埒者が、大手を振ってまかりとおる社会になっていってしまいます。
わたしたちは、失った文化を、もう一度、まじめに見直してみるべきと思います。
※この記事は2014年9月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント
渡辺
最近では、参議院内で起きたセクハラ暴行が不問に付されました。信賞必罰を徹底していくと期待した安倍内閣でもこの有様。政府は良識を殺し、党の利益の為に遥かに大きな社会的利益を失いました。
外務省の度重なる失態も同根です。『河野談合』であれほどの被害を出しながら、『明治の産業革命遺産』登録でも、『南京大虐殺の文書』の捏造資料登録でも、過去と現在の日本人の「信用」と「名誉」を毀損して恥じない。
私は社会的責任の大きさは罪の大きさに比例すると思っています。「先生」と呼ばれる社会的信用の高い方の犯罪は、それだけ悪質で被害の大きな犯罪となります。こうした正しい差別も、取り戻してもらいたい大切な日本の血肉だと思うのですが。
2015/10/14 URL 編集
にっぽんじん
他国に生命を託し、交戦権を許さない「憲法9条」は第3章の国民の権利を守れない違反憲法だそうです。
護憲派の方はこの意見になんと答えるのでしょうか。
2015/10/10 URL 編集
えっちゃん
「もし江戸社会なら、
1を主張した弁護士は打首。
そのような弁護士を容認した弁護士会会長はお家お取り潰しのうえ私財没収。
そのような弁護士の介入を容認した裁判官は更迭。
落書きをした犯人は、百叩きの上、市中所払いとなったかと思います。」
いいですねえ。被害者の名前が公表され、加害者の人権が云々というのもどうかと思うし、マスコミがマイクを突きつけどんなお気持ちと聞く、無神経さも変。悲しいに決まっているのに。
ブログとFacebookで拡散させていただきました。
2015/10/10 URL 編集
読者
まったく、その通りだと思います。
沖縄(辺野古)の歩道をテントで不法占拠している人達も、逮捕すらされていません。「戦争反対」を主張すれば、何をしても許される、そんな状況は許せません。
2015/10/10 URL 編集
junn
NHK大河ドラマが打ち切り?
2015/10/10 URL 編集