飛虎将軍



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台湾・飛虎将軍廟
20151016 飛虎将軍廟


ご存知の方も多いかと思いますが、台湾に「飛虎将軍」と呼ばれ慕われている日本人の神様がいます。
大東亜戦争末期のことです。
昭和19(1944)年10月12日から、米軍による台南への大規模な空襲がはじまりました。
おびただしい数の米軍機が台南に襲来し、それを迎え撃つために日本のゼロ戦が飛び立ちました。

空戦のさなか、台南の上空で勇敢に戦い、米軍の戦闘機を数機撃墜した日本の戦闘機が、尾翼に被弾しました。
墜落が免れない状況になるのですが、パイロットは落下傘で脱出すれば命が助かるにもかかわらず、それをしませんでした。
彼は、炎上している機体が眼下の村落に落ち、大火災になることを避けるために、機体を村外れ、東側の魚塩(いけす)区域まで操縦していきました。

結局、ゼロ戦は空中で爆発しました。
負傷しながら、ようやく落下傘を開いたパイロットは、そのまま地面に落ちました。
しばらくは生きていたようですが、村民が近くにやってきたときには、絶命していました。

遺品から、上官の森山敏雄分隊長の協力で、帝国海軍201飛行隊所属、杉浦茂峰曹長(死後特進で少尉)と確認されました。
享年21歳でした。
情況から、杉浦少尉は、飛行機の墜落によって村民たちに被害がもたらされないようにと、自分の命を犠牲にして、自ら郊外まで飛行機を飛ばせたということがわかりました。

戦争が終わりました。
村に不思議なことが起こりました。


やまと新聞 小名木善行の「百人一首」 第30番歌 壬生忠岑
有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし


なぜか、村に白い服を着た幽霊が現れるようになったのです。
地元の神様の保生大帝(ほせいたいてい)のお告げをいただくと、その霊が杉浦少尉の英霊だとわかりました。
村人たちは相談し、村民全員一致の総意で、墜落地に5坪ほどの祠を建てることにしました。
村民たちを守ってくれた杉浦少尉に、台湾人の最高の謝恩の表し方として、そこに祠をたて、永久に恩徳を懸賞したいと考えたのです。

杉浦少尉が、村人たちを守ってくれたおかげで、自分たちは生き残り、子孫繁栄ができる。
祠は、霊験あらたかなため、信徒がどんどん増えたのだそうです。

その後、平成5(1993)年には、多くの信者の協力で、この祠は、あらためて敷地50坪のきらびやかな廟に建て替えられました。
廟の正面には「鎮安堂 飛虎将軍」と書かれた額が掲げられました。

「鎮安」は、邪気を鎮め、民を安心させるという意味です。
「飛虎」は、戦闘機を意味します。
「将軍」は、台湾では神として祀られる勇士への尊称です。

廟には、神像の他に分身が二体あり、請われれば信者の家に運ばれることもあるそうです。
そして神像の横には、杉浦少尉ご本人の遺影が飾られています。
これは、少尉の実姉の杉浦咲さんが寄贈されたものなのだそうです。

そして廟の左右には、日本の国旗である日の丸と、台湾の旗が掲げられ、鎮台には旭日旗がかけられています。
また周囲の壁には、様々な詩が掲げられ、そこには「正義、護国、英雄、忠義、大義」などの語が並んでいます。

そして廟では、朝夕の二回、火の着いたタバコが7本ずつ捧げられ、また朝は「君が代」、午後には「海ゆかば」が流れるようになっています。

杉浦茂峰少尉
杉浦茂峰少尉


平成26(2014)年4月上旬、杉浦少尉の没後70年を経由したとき、台湾のツアーで奇跡が起きました。
杉浦少尉の出身小学校が判明したのです。
尋常小学校が、いまの水戸市立「五軒小学校」、
高等小学校が、いまの水戸市立「三の丸小学校」です。

これまで、飛虎将軍廟の地元の安慶国民小学校では、長年、学校の伝統行事として、飛虎将軍の物語を人形劇にして子供が上演していました。
その人形劇を、是非、日本の五軒小学校、三の丸小学校の児童たちにも見せたい!
安慶国民小学校では、いまそのための運動をしているのだそうです。

******

このお話は、先日ご紹介した台湾の李久惟著『日本人の隠された真実の台湾史』をもとに書かせていただきました。

台湾は、日本でした。
ですから台湾の人々は、ほんの70年前までは日本人でした。
残念なことに、戦後、台湾は蒋介石の中華民国政権に軍事占領されたうえ、当該政権がそのまま台湾の地に亡命して居座りました。

その中華民国は、大正元(1912)年の成立を自称していますが、これは嘘です。
その年にあったのは、孫文の中華民国臨時政府であり、国際社会に認知され承認された正規の政府ではありません。
簡単にいえば、いまこの瞬間に私が「葦原のシラス国臨時政府」を名乗り、初代太政大臣を自称した・・・ようなものです。
要するにはっきり言って、誰も相手にしていない。
そういう政府です。

その中華民国が、国際社会に認知され承認されたのは、先の大戦中の昭和18(1943)年11月のことです。
このとき、カイロにおいて、英米が「南京国民政府」として承認しました。
そしてその承認された中華民国政権は、そのわずか6年後の昭和24(1949)年には、米英の支援を受けたにもかかわらず中共軍に敗れ、支那大陸を追われて台湾に亡命しました。
それがいま台湾にある政権です。
そして国際社会は、いま台湾にある中華民国政権を、一国を代表する政権として承認していません。
つまり、台湾の人々は、いま「無国籍人」となっています。

台湾にいる、台湾にもとから住む台湾人というのは、もと日本人です。
つまり、九州人とか関西人、関東人というのと同じ、住んでる地域で総称された日本人です。
その日本の一部であった台湾の元日本人は、戦時中は米軍に空爆を受け、戦後は蒋介石の国民党に軍事占領され、その後は無国籍人となることで、たいへんなご苦労をされてきました。

けれど、それでもなお台湾の人々は、こうして自分の命を犠牲にしてまで勇気ある行動をした日本人を、「飛虎将軍」として顕彰し、御霊を祀っていてくださっています。

それに対し、日本ではどうでしょう。
平成11(1999)年11月22日、狭山市の柏原地区に自衛隊の訓練用ジェット機が墜落しました。
乗っていた二人のパイロットは、飛行時間がいずれも数千時間を超えた、年齢47歳と48歳の二佐と三佐でした。
いかなる事態にも対応可能なベテランパイロットでした。

訓練飛行のさなかに、飛行機が故障しました。
すぐに飛行機から脱出すれば、二人の命は助かりました。
けれどそれでは飛行機は、住宅街に墜落してしまいます。

ですから二人は、最後の最後まで飛行機を操縦し、飛ばし、入間川河川敷まで飛行機を飛ばして、お亡くなりになっています。

つまり、上にご紹介した飛虎将軍と同じことが、56年後の日本本土で起きたのです。
メディアは、このことを何も触れませんでした。
ただ、自衛隊機が墜落したとだけ大騒ぎしました。
そしてこの二人の命をかけた勇気を称える碑もありません。

ところが台湾では、亡命政権である中華民国の戒厳令下にあり、お上からの強い圧力があってさえ、亡くなった杉浦少尉を顕彰し続けてくれています。
この違いは、いったい何でしょうか。

日本人が欧米化したのだと喜ぶ人もいるのかもしれません。
しかし私には、明らかに「日本人の民度が下がった」としか思えません。

先日、飛虎将軍廟について、
「あれは商売だよ」と言った人がいました。
情けなくなりました。
廟は、民間で維持運営されているのです。
そのためにはお金がかかる。
だから参拝は無料だけれど、おみくじがあったり、御札が売られていたりします。
そのどこが「金儲け主義の商売」なのか。

批判することが正義だと勘違いする人があまりにも増えた日本です。
批判や闘争は、サヨクのお家芸ですが、保守や愛国者を自称する人の中にも、批判好き、闘争好きな人がいます。
日本は、もっと温かさのある国ではなかったのでしょうか。

これはいまに始まったことではありません。
戦争が終わり、外地から復員してきた兵隊さんたちや、民間人の誰もが感じたことです。
人情がなくなり、ギスギスした身勝手や自己都合ばかりが目立ちはじめました。
あれから70年。
いま日本は、ほんとうに良い国になっているのでしょうか。




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コメント

古川 建三

心優しい台湾の人達
10年前に兄の転勤先の台湾に旅行した時のことです。故郷金沢市の偉人八田與一氏が歳月をかけて完成した烏山頭ダムを見るのが目的で、ねず先生の書いてくれた士林市場や飛虎将軍廟は当時知らず行きました。ダムを見学した翌日、一人で阿里山を目指し、バスに乗ったところ運転手から話しかけられ戸惑っていると後部座席の白髪の老人が「日本人ですか、運転手が道路の通行料を求めています。払ってあげてくれませんか。」と親切に教えてくれました。通行料を払ってしばらく進むと、白髪の紳士がバスを降り際、阿里山に行くようなので、同中困ったことがあれば後部座席の若い3人組の男女に貴方の事を頼んでおきましたから道に迷いそうになった時など、道中困ったことがあれば相談してください。」と言って降りられました。阿里山を登る時も下山時も後ろを振り返る都度、3人組は気にかけてくれているようで微笑み返してくれました。台湾の人達の優しい人柄に触れた旅でした。これも台湾統治時代の日本人の厳しく優しい指導教育の御蔭と深く感謝しています。東日本大震災の義援金のお礼を込めて再度機会を見つけて台湾に行きたいと思っています。

ゴルゴ14

No title
私のフェースブックに、以下のコメントが入りました。                           ⇓                    「入間川の墜落現場には行きました、花が多数供えられていました。
二人がギリギリまで頑張った事は皆知っています。」                                                確かにメディアをはじめ、多くの日本人の劣化(民度の低下)が激しいのは事実ですね。                                                                     しかし、ねず先生やねずブロ読者を始め、「日本人の心」を失うことなく、むしろ守ろうとされていらっしゃる日本人がたくさんいることもまた事実です。                                       そんな中、安倍政権も最近では言わなくなってしまった「日本を取り戻す!」の真の意味を、今日の記事に出てくる台湾の方々の「誠の心」も含めて考えさせられてしまいました。                              

ポッポ

No title
飛行機の操縦士で不幸にして墜落の危機に際した場合に、飛行機で住宅をつぶしてでも助かりたいと思う操縦士はいないと思います。
日本人は、子供の頃から他人に迷惑をかけてはいけないと躾けられていますから、安全が確認されるまで努力を続けると信じています。

台湾の方々が命をかけて村を守ってくれた杉浦少尉に感謝して、お祭りされてくださることをとても嬉しく思いました。
台湾人は日本人と民族が異なりますけれど、日本人と同じ精神をお持ちだと思います。



公明党の山口那津男代表が消費税の低減税率の対象に、新聞と書籍を提案しているそうです。

山口氏は公明新聞と聖教新聞の発行関係者だと思います。
これはどう考えても、自己の所属する団体の利益を計った行動にしか見えません。
政党の代表者なら、自己のことではなく、日本のことを考えた発言をしていただきたいと思います。

ついでに言えば、せっかく中国に行って習近平主席に面談したのなら、世界記憶遺産にされた南京事件と日本人の拉致事件について、抗議することも政党代表者としてしていただきたかったと思います。

にっぽんじん

韓国軍慰安婦
朴大統領のアメリカ訪問が終わりました。訪問中にベトナム人の団体から「ライダイハン」犯罪に対する謝罪要求の記者会見がありました。彼女や韓国マスコミは黙殺しています。

韓国軍のベトナムでの犯罪行為は「ライダイハン」だけではありません。それらの悪行はアメリカの公文書によって明らかになっています。TBSワシントン支局長(当時)の山口敬之氏が書いて、週刊文春4月2日号に掲載されたスクープ記事を元に、アメリカの弁護士「ケント・ギルバート」氏が日米2ヶ国語で書いたものが下記のものです。

海外に住んでいる方々にも拡散をお願いします。
韓国政府は歴史を直視し、ベトナムの被害者に謝罪して、アメリカの教科書にも記述を求めるべきです。

その1
http://ameblo.jp/workingkent/entry-12032249108.html
その2
http://ameblo.jp/workingkent/entry-12032249233.html

名無しさん@ニュース2ch

No title
いいお話をありがとうございます。
お話の神社、台湾に行くことがあったら是非参拝したいです。

ただ、杉浦少尉にしろ住宅地を守って殉職された自衛官にしろ、その志は本当に尊いと思うのですが、多額の国費を投入して軍人となった方々に簡単に自己犠牲精神を発揮されるのも困るわけでちょっと複雑な気持ちになってしまいます。
「俺はプロなんだから」と傲慢になられるのもまた困るわけで、そのあたりのバランスを上手くとってもらうためにも、一般人の我々も国を守るための覚悟が必要だと思いました。

m.e

小学三年生事件(2)
帰りのHRが終わり、先生が職員室に戻って行ったあと
脚の痛さに顔をしかめていると、クラスの女子のグループが私の所に集まってきました。
正直、クラスの女子と仲が悪かった私は、女子グループによる口撃に備え、防衛体制を取り、備えました。
『なんだよ!』
すると、普段悪口の応酬しかしていなかった女子グループのリーダー各がいきなり
『ごめんなさい…』
と言い、泣きだしました。憎ったらしい女子グループ頭目が、です。
何が起こったかわからず、目の前で泣かれて驚いた私は、どうしていいかわかりませんでした。
まぁ、でもそこは何も言わなくて正解だったのでしょうか。
リーダーの取り巻きが、泣き出した頭目を連れて教室から帰っていきました。
ともあれ、自分も急いで帰らねばならない理由を思い出し、ランドセルに教科書を詰め込み、教室を出ました。
担任の先生に会わないように願いながら、職員室を通り過ぎ、下駄箱に手をかけると、案の定、先生に呼び止められてしまいました。
職員室から下駄箱が丸見えなのです。また怒られるのかな…とびびった私は、恐る恐る振り返ると、先生は車の鍵を指にかけて、クルクル回しながら笑っていました。
『先生の車で送ってあげる』
なぜかさっきと違って笑顔の先生にびびりながら、私はおそるおそる車に乗りました。
先生が車を運転しながら言いました。
『さっき職員室に来たよ、A子達が』と先生が言いました。げっと思い、嘘をついたのがバレたと知り、お腹が痛くなりました。
しかし先生は怒るそぶりも見せず続けました。
『なんでA子(女子頭目)を庇ったか、先生わからないけど、B(私)はBの理由でA子を庇ったんだよね?』
と嬉しそうな顔をしていました。
『先生に、本当の理由、話してくれるかな?』
先生最後の最終尋問に、私は答えました。
『脚が痛かったからです…』
震える私を、先生はふふっと笑い、私の頭を撫でたのを覚えています。
いや、あの本当に脚が痛かっただけだったのですが、もしかしたら先生は、ずっと勘違いしたままなのかと思うと申し訳ない気持ちになります。
ねずさんの記事と全く関係のない話と思いますが、日曜日の朝、一時の笑い話として、一読頂ければ幸いです。

m.e

小学三年生事件(1)
私が小学生の時の話です。
教室の掃除が終わり、帰りのHRだけを残していた時の事、職員室から戻った先生が、自分の机の上を見て、激怒しました。
40人程のクラス全員が怒鳴り声を上げた先生を、何事かと注視し、先生は顔をひきつらせて言いました。
『全員、机の上に正座!』
何が起こったのかわからないまま、言われる通り、机の上に正座した私達に、先生が怒鳴りました。
『先生のスタンプマーカーを机から勝手に出して、ティッシュに押したのは誰なの!』
『名乗り出るまで、机の上で正座させ続けます!』
『やったのは誰!』
甲高い先生の声に私達は恐怖いっぱいだった事を覚えています。
その先生は、女性でしたが、平手打ちが得意な人でしたし、教科書で頬を叩かれるのも良くありました。
教室は静まりかえり、時計の秒針が動く音さえ聞こえるほどでした。
それから20分ほど立ち、健康優良児にしては肥えすぎの私の脚は痺れ、限界を超えた時の事です。
私は一刻も早く、正座から逃れたかったので、名乗り出る事にしました。
単に脚が痛かったからです、小学三年生とはいえ、体重がその時には50キロはあったかと思います。
でも怖い、叩かれるだろうな、なんて嘘をつこう…。それでも、まぁいいやと思い、机に正座したまま、口を開きました。
『先生、僕がやりました。』
と言い、脚の痛みから逃げるためにそそくさと机から、一人だけ降りてしまいました。
するとクラス全員が私を注目し、変な目で見始めました。
また、鬼の形相をしていた先生も、え?といった顔で私を見つめました。
先生が使っていたスタンプマーカーは女性が好むキャラクター商品で、男である私には縁遠いものだったからです。
それに小学生三年生にしては巨体であった私が、昼休みと言えど、先生の机の前で何かしていれば、目立ちます。まずチクられます。
先生に前に呼ばれ、何度も何度も質問され、お前がやったの?どうやったの?本当にやったの?嘘ついてないの?と質問攻めに合いました。
しどろもどろになりながら何とか嘘を突き通そうとして、はい、いいえを連発し、結局、先生も質問責めに疲れ果てたのか、最後の念押しに、本当にやったのね?と聞かれ、何度目かわらかない、はいを答え、先生も呆れたのか『みんな席に座って良し。』と宣言し、その場は収まり、みんなも正座から解放され、帰りの会が始まったのを覚えています。
続く

junn

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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

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