戦後の日本は、極端な食料不足に悩まされました。
だから米国から大量の食料品を補充してもらいました。
そのとき、米国から穀物に混じってやってきたのが「セイタカアワダチソウ」でした。
「セイタカアワダチソウ」は、北米大陸の痩せた大地でさえ繁殖し、群生してしまう強靭さをもった植物です。
それが日本列島にやってきたのです。
日本の土地は高温多湿で、地味は肥えています。
だから「セイタカアワダチソウ」は、またたくまに全国を席巻していきました。
それまで秋の風物詩といえば、ススキに秋桜(コスモス)、フジバカマにオグルマ草などが定番でした。
だいたい日本の秋の草花は、中間色系の花を咲かせるものが多く、原色系というのは、あまりありません。
それが「セイタカアワダチソウ」の繁殖によって、日本全国、あの毒々しい山吹色に染まったのです。
ある年、「セイタカアワダチソウ」の種が俟(ま)ってきて、空き地にポツンと黄色い花を咲かせたと思ったら、翌年には群生をはじめ、数年経つとその空き地が密生した「セイタカアワダチソウ」によって独占されてしまう。
高さは1~2.5メートルほどで、よく肥えた土地だと4メートル近い背丈になって、あたり一面を覆ったのです。
「セイタカアワダチソウ」は、他の在来種の植物を排除するだけでなく、密生して群生し、さらに地中に毒素をまき散らします。
その毒素によって、他のススキやコスモス、ナデシコなど、秋の他の植物を駆逐してしまうのです。
それどころか、モグラやミミズのような生物さえも住めなくしてしまいます。
要するに「排他的」なのです。
とにかく自分たちだけが繁殖できれば良い。
ですから「セイタカアワダチソウ」にとって、他の植物や地中の動物や昆虫は、すべて敵です。
彼らにしてみれば、痩せて乾いた北米大陸の大地で繁殖するためには、それはそれでやむを得なかったのかもしれません。
痩せて乾燥した土地でも生育できる植物なのです。
それが肥えて湿度の高い日本にやってきたらどうなるか。
猛烈に繁殖するのは、あたりまえのことです。
その結果、日本古来の植物は排斥されてしまう。
育つ土地を奪われてしまうのです。
まさに「セイタカアワダチソウ」は、我が世の春を迎えたようなもので、よく成育し、まさに猛威をふるって日本の古来からある植物たちを駆逐したのです。
いまから50年ほど前のことです。
この「セイタカアワダチソウ」の強烈な繁殖力に脅威を感じた一部の植物学者さんたちが、この「セイタカアワダチソウ」によって、日本古来の植物体系がまるごと崩れてしまうことを危惧し、さかんに警鐘を発しました。
国にも訴えました。
ところが政府はまるで動こうとしませんでした。
困った植物学者さんたちは、苦肉の策として、未来の子供たちにその意を託そうと、なんと当時少年たちに絶大な人気のあった少年マガジンや少年サンデーの巻頭のカラーページで「セイタカアワダチソウ」の脅威を紹介しました。
子供たちに未来を託したのです。
昭和40年代のことです。
けれど、少年たちに何ができるわけでもありません。
国のお偉いさんになる「できの良い子」は、そもそもマンガ本なんて読まなかったし、学校では日本は良くない国だ。日本なんてオクレタ国だ。日本なんかなくなったほうがいい、などと教わったりしたわけです。
ですから未来を託された少年たちも、大人になって何もしませんでした。
結果として国も地方公共団体もまったく動かず、「セイタカアワダチソウ」は、まさに日本列島全域を我が物顔に占領していったのです。
バブルの頃、日本列島は好景気に湧きました。
大学の卒業コンペがあるというと、企業からポンと200万円くらいの現金が学生たちに与えられ、若い日本人のOLさんたちが、ガラパゴスやアフリカ、エジプトにまで海外旅行のバカンスを楽しみました。
その一方で、日本列島の秋の景色は、昔の景色から一変したものとなりました。
野山や河川敷には「セイタカアワダチソウ」があふれ、秋を彩ったススキやコスモスやナデシコたちは、ほんの片隅に追いやられてしまっていたのです。
「セイタカアワダチソウ」は、密生して大繁殖しました。
それだけでなく、地下50センチくらいまで深々と丈夫な根を張りました。
その根から大量の毒素を吐き散らしました。
毒素は他の植物を枯らしました。
土中のモグラやミミズなど、土地を豊かにしてくれる動物や虫たちまでも殺しました。
おかげでセイタカアワダチソウが繁殖したところでは、日本古来の草花だけでなく、モグラやミミズまでいなくなりました。
ちょうどその頃のことです。
私は海岸の岩場の近くの砂利道で、迷子になっているモグラを見たことがあります。
「セイタカアワダチソウ」に野原を奪われ、岩場に出てきたのでしょう。
そんなところにモグラの餌などありません。
そのモグラは、おなかを空かせてガリガリになって、それでも一生懸命砂利の中を掘っていました。
近くには「セイタカアワダチソウ」が群生していました。
「セイタカアワダチソウ」は、先端の密集した黄色い花から、大量の種子を四方八方に飛ばしました。
季節がかわって、ようやくセイタカアワダチソウの地上部分が枯れたと思っても、奴らは、地下の根茎から新らしい芽を湯水のように出しながら越冬しました。
そして翌年になると、その地下茎の芽から続々と発芽し、空き地を我が物顔に占拠しました。
そこから飛んで行った種子で、さらに近隣に領土を広げました。
「セイタカアワダチソウ」には、郷に入って郷に従おうとか、他の草花との共生を図ろうなどという意思が、カケラもありません。
自分たちだけが生き残れれば、それで良いのです。
そのために、他の植物がどうなろうと、知ったことではない。
「セイタカアワダチソウ」は、かつて北米に800万人いたインデアンを駆逐してしまった白人に似ています。
あるいは戦後日本を席巻した反日プロパガンタにも似ています。
あるいは一部の支那人や韓国人にみられる傲慢さにも似ている。
そういえば、ロサンジェルスやサンフランシスコ、バンクーバーなどにあったジャパンタウンは、いつの間にかジャパンタウンとは名ばかりで、そこはいかわがしい売春やアダルト販売店ばかりの実質コリアタウンになってしまいました。
これもまた「セイタカアワダチソウ」ととても似ています。
それでも国は何もしない。
地方行政も動かない。
野山が「セイタカアワダチソウ」一色に染まって行く。
ずっとそんな状態が続きました。
そして少年マガジンに掲載されてから、まる50年が経ちました。
ところが、実は、私たちの知らないところで、この外来種の「セイタカアワダチソウ」に、一生懸命、戦いを挑んでいた日本古来の植物がいました。
「ススキ」です。
ススキ

ススキは日本の古来種です。
日本人は、このススキの穂を家畜用の飼料にしていたし、丈夫な茎は屋根に用いられました。
昔の民家は、屋根が草で葺(ふ)かれました。
その草葺き屋根に使われる植物は藁(わら)かススキです。
ススキのことを「茅(かや、萱)」と呼びますが、そのススキで葺かれた屋根が「茅葺(かやぶき)屋根」です。
弥生時代の遺跡、たとえば登呂遺跡などにある竪穴式住居で用いられていた屋根などは、まさにその茅葺き屋根です。
登呂遺跡の茅葺き屋根の住居(復元)

茅葺(かやぶき)屋根は、ススキの茎を冬場に収穫し、春まで十分乾燥させ、屋根材として用いました。
なぜ冬に収穫するかというと、茎に水分が多い状態で屋根に使うとすぐに腐ってしまうからです。
ですから冬になってススキが枯れてから収穫し、春まで乾かして用いていました。
この屋根の葺き替え作業には、ものすごくたくさんのススキを使いました。
しかも作業はとてもたいへんです。
ですから屋根葺き作業は、村の大人達が共同で作業しました。
この茅葺き屋根というのは、実におもしろいと思うのですが、家の中でカマドや囲炉裏(いろり)を焚くと、その煙で燻(いぶ)されことで耐久性が高まるだけでなく、虫がつきにくくなるのです。
ですから、茅葺屋根は、まさに生活の知恵でした。
そんなことが、いまから少なくとも8000年くらい前から、日本では一般的に行われ、それがつい最近まで続いていたわけです。
ススキは、漢字で書くと「芒(すすき)」、「薄(すすき)」です。
「茅(かや)」とか、「尾花(おばな)」ともいいます。
名前が多いということは、それだけススキが日本人の生活に密着していたことをあらわします。
ススキはもともとイネ科の植物です。
日本は天壌無窮の神勅による稲穂の国です。
日本のもとの国名も「豊葦原の瑞穂の国」です。
この瑞穂(みずほ)というのが、稲のことです。
いまでも東京の雑司ヶ谷の鬼子母神では、ススキの穂で編んだミミズク細工が民芸品として売られていたりします。
ススキは、株が大きくなるのに時間がかかります。
けっこう育ちが遅いです。
けれどその分、しっかりとした根(株)を作ります。
そしてススキは、実は、日本の植物生育の中で、最後に繁殖するという性質を持っています。
たとえば、空き地があるとします。
最初の年は、ただの空き地です。
翌年になると、そこに背の低い草花が繁殖を始めます。
そして何年が経つと、空き地が草でぼうぼうになります。
そうして、その空き地が背丈の高い草で、草ぼうぼう状態になった頃、ようやくススキが繁殖を始めます。
そして数年経つと、その空き地は、ススキでいっぱいになります。
ススキは根が深くて群生するので、何年か経つと、地面が湿気を多く持つようになります。
ススキは地味を肥やすのです。
そして深い根で地中深くまで地味を肥やし、土地を肥沃にします。
土地が肥沃になると、今度はそこに樹木が育ちはじめます。
ススキは、木の成育の前に欠かせない植物でもあるわけです。
ススキが群生を始めて何年が経つと、アカマツなどの樹木が生えます。
ススキは植物生育の最終段階で群生し、地味を肥やして、次の世代の樹木を育ててくれるという性質を持っているのです。
こうして、原野は草原となり、ススキが茂り、そこがやがて林となり、森になって行きます。
森ができると、そこには動物達も住めるようになります。
そんなススキを収穫するために、全国どこの村でも、村の脇に、ススキを繁殖させるススキ畑を持っていました。
これが「茅場(かやば=萱場)」です。
東京証券取引所は、東京都中央区茅場町にあります。
なぜもとの茅場だったところに、日本経済の中心となる東京証券取引所があるのかというと、そこが昔はススキ畑=茅場(かやば)だったことに由来します。
ススキは、荒れ地を開墾し、そこに樹木を育てます。
育った樹木は、何百年もかけて大木に育ちます。
明治のはじめ超がつく貧乏国だった日本は、100年後には世界経済の牽引役となる日本に育つようにと願いをこめて、東京の茅場に証券取引所をつくったのです。
そしてほんとうに東京証券取引所は、世界に冠たる証券取引所に成長しています。
そのススキが、戦後、絶滅の危機に晒されました。
原因は、「セイタカワダチソウ」です。
ススキの群生地は、いつのまにか「セイタカワダチソウ」にとって変わられました。
ススキは、ほんのわずか、「セイタカワダチソウ」が繁殖している片隅に、ようやくちょっとだけ生き残っているというところまで追いつめられていました。
ところが近年になって、不思議なことがおこりはじめました。
なるほど「セイタカワダチソウ」は、我が物顔に繁殖したのです。
ところが彼らが根から出す毒素が地中に溜まり、こんどは彼ら自身を滅ぼしはじめたのです。
「セイタカワダチソウ」は、日本国内で盛大に繁殖し密生し野山を席巻しましたが、あまりにも盛大に繁殖したために、今度は自分たちが出した毒素で、自滅をはじめたのです。
一方、これがすごいことなのですが、地中深くにあったススキの根は、セイタカワダチソウの出す毒素を体内に取り込み、分解しました。
そして自滅した「セイタカワダチソウ」に替わって、再び野山に勢力を取り戻しはじめたのです。
ただ、「セイタカワダチソウ」が排他的に撒き散らした地中の毒素を分解するために、ススキも、たいへんな苦労をしました。
かつて「セイタカワダチソウ」が繁殖していたところに、最近ではススキが繁殖していますけれど、そのススキの穂をよく見ていただきたいのです。
穂が、真っ白になっています。
もともとのススキの穂は、もうすこし茶色かかった、ワラのような色をしていました。
それがいまでは、穂が真っ白です。
ススキは、「セイタカワダチソウ」が撒き散らした毒素を分解するために、さんざん苦労を重ね、頭(穂)が、白髪頭になってしまったのです。
けれどススキのそんな苦労のおかげで、ミミズも、モグラも再び帰ってきました。
鈴虫も帰ってきました。
そしてコスモスやなでしこたちも、帰ってきました。

こうしていま、自己中で排他的な「セイタカワダチソウ」に覆われていた野山が、ふたたびススキやなでしこなどが共生する、もとの野山に戻りつつあります。
ここまで来るのに、まる70年もかかりました。
いま、かつてセイタカワダチソウが大群生していた河川敷や空き地、野山などに、たくさんのススキやコスモスが群生しています。
いまもまだ「セイタカワダチソウ」はいます。
けれどその数は少数になりました。
そればかりか、いつのまにか「セイタカワダチソウ」は、ススキやコスモスなど、日本に古くからある種と共生する植物へと変化しつつあります。
日本型の植物に変化しているのです。
実に不思議なことです。
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日本には本来、建国の昔から貴き伝統があり、有難き国風がある。
ロシアの真似も、英国の真似も、アメリカの真似も、すべてそれらは、この国風を長養(ちょうよう)する意味において摂取する場合においてのみ意義を発揮し得るのであって、単に模倣のための模倣は決して日本のためにならぬのである。
その昔、儒教仏教もこれが国風化したときに、はじめてそれは日本国家のものとなり得た事実に鑑み、欧米舶来の新思想もまた、これを国風化して日本開展の一資料たらしむる覚悟がなければならぬのである。
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この文は、以前ご紹介した
戦前の特高序文にある文章です。
ここに書かれている通り、日本は古来、外国から様々な文化を取り入れ、それを国風化することで、日本という国のカタチを築いてきました。
けれどそれは、日本人だけではなく、もしかするとススキとセイタカアワダチソウのように、日本の植物も、同じように外来生物を取り込み、最後には共生化させてしまってきていたのかもしれません。
そう考えると、なんだか日本て、とてつもなくすごい!って思えます。
いまこれをお読みのあなたが、もし、セイタカアワダチソウの群生する中に、ほんの少々のススキを見かけたら、遠くから、心の中でだけでも良いから、
「がんばれよ」と声をかけてあげていただきたいのです。
そして、真っ白になったススキの穂に、「ありがとう」と声をかけてあげてください。
ススキは、私たち日本人そのものであり日本人の仲間たちなのです。
ちなみにそのススキ、北米では「侵略的外来植物」なのだそうです。
なんだか、「やっぱり!」って感じます。

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コメント
銀色ススキ
2015/10/27 URL 編集
植物楽者
ただ、当然ですが、セイタカアワダチソウもススキも、どちらも良くも無く悪くも無いですよね。
動植物はそれぞれのバランスで存在している、環境にとって必要な生命体であることを忘れないで下さいね。
2015/10/27 URL 編集
-
そういえば、日本産の葛もアメリカ大陸で猛威を奮ってるそうですね。(米政府が自分で持っていったらしいですが……)
また植物ではありませんが、朝鮮半島から火病体質のスズメバチが対馬に入ったという話も聞きます。迷惑な話です。
2015/10/27 URL 編集
伸之助
人間社会て自然界はリンクしてるんですね
今回のお話をよんである話を連想しました。
宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」で腐海の植物が自ら毒を浄化して死んで砂になっていくエピソードそのものだなと思いました。
最近の宮崎駿監督の反日的な言動は残念ですが、こうした洞察力は凄いなと認めないといけないと思います。彼もWGIPの被害者だと思うようにしています。
2015/10/26 URL 編集
たいこ
早速、近所の公園の池の畔のススキを見ましたが、
幸い白髪になっていませんでした。
公園で手入れがよかったのでセイタカ君ははびこらなかったのかも知れません。
他方、あちこちのセイタカ君は確かに衰えてみすぼらしくなってきています。
ちなみに当方、都内です。
2015/10/26 URL 編集
鈴木信彦
2015/10/26 URL 編集
どりあん
しかし、少しづつ内容が変わっているのが読んでいると良くわかります。
これからも、どうかよろしくお願いいたします。
2015/10/25 URL 編集
-
こちらでもセイタカアワダチソウが猛威をふるっていましたが、近年背丈が短くなりみすぼらしい姿に変わってきていますね。
そのうち駆逐されるかもです。
2015/10/25 URL 編集
あばら家 送達
しかし何度聞かされ(読まされ)ても面白いので「皆さんに申し訳ない」などと思わず毎年この時期の恒例記事として書き続けてください。
それでは今から来年のセイタカアワダチソウの記事を楽しみに待つことにします。
2015/10/25 URL 編集
heguri
2015/10/25 URL 編集
junn
2015/10/25 URL 編集
junn
2015/10/25 URL 編集