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(それぞれの画像はクリックすると当該画像の元ページに飛ぶようにしています)出陣学徒壮行式(昭和18年)

昭和18(1943)年の今日(10月21日)、明治神宮外苑競技場で、出陣学徒壮行式が盛大に催されました。
同じ日に、台湾の台北でも、学徒出陣の壮行会が行われ、このあと11月の末までに京城やハルピン、奉天、大連、大阪、仙台、神戸、名古屋、京都、上海、札幌などでも、学徒出陣の壮行会が催されています。
もともと大学、専門生は、26歳まで徴兵を猶予されていたのです。
けれど戦況の深刻化から徴兵対象年令が引き下げられ、この年から学生であっても徴兵の対象になったのです。
また、もともとは徴兵は、徴兵検査の際の甲種合格者だけが対象でしたが、この年から丙種合格でも兵となることができるようになりました。
徴兵検査における甲種合格というのは、まさに身体頑健な若者で、視力が悪くてもダメ、背が低くてもダメ、虫歯があってもダメ、痔が悪くてもダメでした。
ですからもともとは、甲種合格者として兵隊さんになれるということは、まさに健康優良児として太鼓判を押してもらうようなもので、このうえもなく名誉なことであったのです。
これが丙種合格となると、メガネをかけていても、少々痔が悪くても、虫歯があっても合格になります。
いまどきの学校で言うと、1クラス40人の学級において、2つのクラスにひとり選ばれるかどうかというのが甲種合格者、クラスの男子生徒の2割くらいが乙種、4割位が丙種合格者です。
ちなみに私の場合、当時の基準を若いころの自分に当てはめてみると、丙種の下になるので、ちょっと情けないかもです。
やまと新聞 小名木善行の「百人一首」 36番歌 清原深養父
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ
学徒たちの徴兵基準は、実は、この丙種まで拡張されました。
けれど、その代わり「学問がある」ということで、軍への入隊後は陸海軍の幹部候補生として扱われました。
こうして学徒出陣した中に、後に内閣総理大臣となった竹下登氏、その竹下氏の後に内閣総理大臣になった宇野宗佑氏、宇野内閣で内閣官房長官となった塩川正十郎氏などがいました。
また、後に中華民国総統になった李登輝氏も、日本名、岩里政男として、学徒出陣しています。
不思議なことに、明治大学専門部政治経済学科から村山富市氏も、昭和19年に学徒出陣しています。
こうして出陣した学徒たちは、総計で20万人。
けれど、戦後は下士官であったという理由から外地においてBC級戦犯扱いとなり、その多くがお亡くなりになっています。
また、帰国した者の中にも、抑留生活の中で共産党に媚を売り売国の走狗となった者もいたわけです。
けれど、学徒出陣のときは、20万人の学徒全員が、興国の情熱を捧げる固い決意を共有し、徴兵をたいへん名誉なことと喜び勇んだのです。
そんな学徒達の20万の英霊を顕彰しようと、昭和42年に淡路島の大見山山頂に「若人の広場」が建設されました。
山頂には、ペン先をモチーフにした巨大な慰霊塔が設置され、その前には永遠の灯火、そしてその隣には戦没学徒記念館が建設されました。
かつてはその記念館に、学徒たちの遺品等が展示されていたのです。
ところが阪神淡路大震災のあと、この建物は閉館に追い込まれ、いまでは10年以上も放置されたままになっています。
かろうじてモニュメントの前までは、年に一度の有志による慰霊祭のために、草が刈り取られていますが、記念館は閉鎖、そして最近では廃墟ブームでごく僅かな廃墟ファンが訪れる場所になりました。
けれど希望はあります。
今年になって、この学士の党は、再び整備され、綺麗な公園として蘇ったのです。
ようやく日本人が、かつての戦争と冷静に向きあえるときがやってきました。
いよいよこれからが復活のときです。

世界中、どこのどんな国でも、国を護るために命を捧げた人々を誇らしく顕彰しています。
自由の国を標榜する米国でも、アラモの砦を守った人たちのことを歌に映画にして伝えています。
硫黄島で戦った兵士たちも、銅像にして讃えています。
その硫黄島は米国領ではありません。
直接に自国を守るのではなくても、外国との戦いに勇んだ軍人は誇りなのです。
永世中立国スイスでは、フランスのルイ王朝を守って戦い死んだスイス傭兵たちの武勲と節操をライオン像に託して残しています。
戦って生きても、戦いで死んでも、その栄誉を語り継ぐのが世界の国々の常識です。
日本だけがそれを止めています。
その結果、子供たちは自分の国を誇ることを知らず、その子供たちが長じて、国軍の長であることを知らず世界に恥をさらす政治家に育っています。
日本の戦後は、果たしてこのままで良いのでしょうか。
※今日の記事は、はじめ学士の塔が廃墟となっているという内容の文章だったのですが、今年にはいってこれが整備されたとのコメントをいただき、文章を一部修正しました。
本当によかった。
コメントを下さった方、ありがとうございました。

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http://www.mag2.com/m/0001335031.html学徒出陣 昭和18年 文部省映画
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コメント
一有権者
日本だけがそれを止めています。
その結果、子供たちは自分の国を誇ることを知らず、その子供たちが長じて、国軍の長であることを知らず世界に恥をさらす政治家に育っています。
日本の戦後は、果たしてこのままで良いのでしょうか。
決して良いことではありません。我が国の戦後教育の中では近現代史はほとんど時間がないとか訳わからん理由により授業では教えられませんでした。
教えられても反日国家の主張をほとんど鵜呑みにした教科書通りの授業でした。
地域社会の中での躾や学校教育での日教組教諭による偏向教育と自由平等を叫びながらそれには義務と責任が伴う事を教えない年月が長くなった為、今日本社会は混沌としてきているのだと思います。
しかしあの村山富市が学徒出陣をしていたとは・・・どこでどう考えが変わり現在の村山富市を出現させたのでしょうか。
彼がしたことはかつての仲間に唾を吐きかけるような事ではないのでしょうか。?
ただ当時の帝国陸海軍にも作戦や戦略のミスがあったことも事実でしょう。
南方へ向かう輸送船に乗船中潜水艦の攻撃を受け一発の弾丸も敵に向けて撃つことなく沈んでいった人たちも多くそれはそれで無念だったろうと思います。
戦後の私達日本人は教訓をしっかり胸に刻みそれを生かし我が国日本の独立、領土領海の防衛日本国民の暮らしの安全を守り子孫達に引き継がなくてはなりません。
2015/10/21 URL 編集
しま
昨日投稿、本日10月21日の予告がありました。
「終戦70年全国戦没学徒追悼式典の開催」(兵庫県)
620人の集まりを予定して挙行されたようです。
ご報告させていただきます。ありがとうございました。(合掌)
https://www.facebook.com/RuoRennoGuangChangGongYuanjiaCheng?fref=nf
2015/10/21 URL 編集
しま
フェイスブックにもシェアさせていただいていますが、今日はびっくり。
地元民として「若人の広場」について誤解を解かねば、と投稿させていただきます。
たしかに今年の春まではねずさんのご認識の通りでした。おくればせながら
今年、3月15日、南あわじ市のものして整備され、新若人の広場として再開されました。
8月15日には議員団など参列して慰霊の献花式が厳かに執り行われています。
常設の戦時遺品は京都の立命館大学に移譲された時のニュースにはがっかりしたものですが、げんざい、7月から10月まで新たに呼び掛けて展示コーナーが設けられているそうです。
という私も今年になっては行っておりませんので近々慰霊させていただきます。
よろしくお願いいたします。
以下サンケイニュースです。
http://www.sankei.com/west/news/150315/wst1503150040-n1.html
2015/10/21 URL 編集
えっちゃん
「不思議なことに、明治大学専門部政治経済学科から村山富市氏も、昭和19年に学徒出陣しています。」
「子供たちは自分の国を誇ることを知らず、その子供たちが長じて、国軍の長であることを知らず世界に恥をさらす政治家に育っています。」
悲しくなります。
気をとりなおし、
日本を取り戻そう !!
今できることをしよう。
2015/10/21 URL 編集