B-29は、大東亜戦争のさなかの昭和17(1942)年9月に就航し、昭和19年後半からは、本格的に実戦配備されました。
そして日本本土に飛来し、日本中の大都市を焼土にしました。
昭和19(1944)年11月以降に行われた東京大空襲で、B-29が東京上空にやってきた回数は、なんと106回に及び、一回の空襲でやってくるB-29は、100機から500機という大編隊でした。
日本側は、特別に開発した高射砲や、果敢な特攻作戦でこれに挑みました。
けれど、多勢に無勢であることに加え、飛行の高度差は4000メートル近くあります。
常識で性能を考えれば、当時の日本の戦力で、B-29は「落せるはずがない」のです。
ところがそんなB-29を、日本は714機も撃墜し、1588機に損傷を与えました。
いったいどうやって落としたのか。
飛行高度は届かない。
けれど、猛然と戦闘機を上昇させながら、機銃を撃つ。
弾丸の発射速度に機体の上昇速度を乗せることで、4千メートルの高度さをカバーするわけです。
けれど、日本の戦闘機が上昇してくるB-29の下方向には、B-29の機銃があって、日本の戦闘機よりもはるかに多いB-29から、猛然と機銃が浴びせられるのです。
それでも敢然と向かって行ってB-29を落とし、かつ帰還までしているわけですから、当時の日本軍の敢闘精神というのは、もう、見事としか言いようがありません。
ちなみに、米軍は、日本本土に出撃するB-29の乗組員達に対して、
「万一日本国内に不時着した場合、日本の捕虜に対する取り扱いは至極人道的なものであるから、抵抗しないように」と訓示していたそうです。
これは結構知られた有名な話です。
米国は「日本人は猿だ、獣だ、野蛮人だ」と米兵の戦意を煽っていましたが、一方では日本の一般市民を空からナパーム弾等で焼け野原にして大量殺戮していながら、現場においては日本人が戦いの場においても、また民間人ベースにおいてさえ常に「人道的行動をする民族」であると認識し、米兵への指導をしていたわけです。
政治と現場の矛盾です。
陸上においても、たとえば黒人兵は、人種差別をする米国政府よりも、人種差別撤廃のために戦う日本軍をマインドの面においては味方と思っているという傾向がありました。
ところが陸戦では、常に黒人兵が先頭に立たされるわけです。
日本側は、先頭をやってくる黒人兵を撃たざるを得ない。戦争なのです。仕方ない。
すると撃つことで日本兵の居場所がわかるから、その場所に洋上から艦砲射撃が加えられる。
白人の命は大事だったけれど、有色人種の命は、ただの道具でしかなかった、そういう時代だったのです。
こうした政治と現場の矛盾は、実はいまでもあります。
最近まで、米国政府(国務省)は、対日戦略の拠点として韓国を優遇しました。
なんと為替まで操作して、韓国製品の競争力までつけてあげるという徹底ぶりでした。
ところが米軍の現場の将兵たちは、差別好きな韓国人をたいへんに嫌いました。
ベトナム戦争でも、韓国軍が行った非道の数々を米軍上層部は承知しています。
北ベトナムがあそこまで徹底して交戦し続け、決して和平工作に応じなかったのも、振り返ってみれば、戦う米軍の脇で北ベトナム人女性の強姦と、無抵抗な村民の虐殺ばかりをしていた韓国軍の蛮行によって、戦線が泥沼化したことを知っています。
韓国に置かれた米軍基地も、多くの結婚している米軍将校は、妻子は日本の基地に置いたまま単身赴任で韓国基地に向かいました。
子供の教育上、韓国は好ましくなかったし、女性にとっても居心地の良い場所、安全な場所とは言えなかったからです。
話が脱線しました。
B-29の話です。
みなさんよくご存知のボーイング727は、就航したのが昭和38(1963)年ですが、半世紀経った今でも、しっかりと現役飛行機として空を飛んでいます。
意外と、飛行機の現役就航期間というのは長いもなのです。
ところがB-29は、20世紀最強の暴君と呼ばれていた飛行機でありながら、ある日を境に、こつ然とこの世から姿を消しています。
なぜでしょうか。
答えは朝鮮戦争にあります。
朝鮮戦争は、大東亜戦争の終戦から5年目の昭和25(1950)年6月25日から、昭和28(1953)年7月27日の休戦までの約3年間朝鮮半島で繰り広げられました。
この戦いは、北朝鮮の金日成のソウル攻略戦に始まり、韓国軍の一方的敗退によって、米軍が参戦。
多国籍軍(連合軍)を編成して、中共軍、ソ連軍、北朝鮮軍と対峙し、最後は米軍が韓国の頭越しに休戦協定を締結することで終わった戦闘です。
開戦の当初の北朝鮮軍は、まさに破竹の勢いでした。
米軍が緊急で派遣した一個師団もまたたく間に粉砕し、ついには朝鮮半島南端の釜山まで、韓国および連合国軍を追いつめました。
北朝鮮軍の強さの秘訣は、ソ連製の最強戦車であるT型戦車でした。
この戦車は装甲が厚く、鉄砲や機関銃、果てはバズーカ砲にいたるまで、まるで歯がたちません。
まさに鉄鋼戦隊そのもので、戦いは一方的に北朝鮮有利にすすめられました。
これを逆転させたのが、釜山の戦いでT型戦車をことごとく打ち破った金錫源将軍です。
彼は日本の陸軍士官学校を卒業した軍人です。
韓国軍が釜山まで追い詰められたとき、はじめて旧日本兵だった朝鮮人だけでの部隊の編成が認められました。
それまではさしもの金錫源将軍も、旧日本軍所属だったからということで、李承晩大統領から一切の権限を与えられていなかったのです。
権限を委ねられた金錫源将軍は、北朝鮮の戦車隊を海岸線におびき出し、そこを米艦隊によって砲撃させるという戦法で、北の戦車隊をまたたく間に壊滅させました。
バズーカ砲などでは歯がたたない地上の暴君T型戦車も、戦艦の巨大な砲門の前には、まるで紙同然でした。
この釜山の戦いで勝機をつかんだ韓国および連合軍は、いっきに戦線を取り返し、ついには朝鮮半島の北端まで攻め上がりました。
このとき大活躍したのが、B-29です。
海岸線におびき出せば、さしものソ連製戦車も、艦砲射撃の前では塵にしかなりません。
しかし、内陸部に深く入り込まれたら、艦砲射撃はそこまで届かない。
つまり相変わらずソ連製戦車の独り舞台だったわけです。
これに対抗する方法として投下されたのがB-29で、B-29は地上爆撃用の爆弾だけでなく、ナパーム弾を搭載し、空からT型戦車のいる一帯を、丸焼けにしたのです。
いくら戦車が強いといっても、鉄のかたまりです。
紅蓮の炎で、戦車のなかにいる人間を焼き鳥にしたのです。
米国が投入したB-29は、ナパーム弾を含む60万トンもの爆弾を北朝鮮に投下しました。
大東亜戦争で米軍が日本に投下した爆弾が、全部で16万トンです。
どれだけすさまじい爆撃であったかということです。
この米軍の空からの攻撃で、北朝鮮ではおよそ230万人の民間人が死傷しています。
爆撃の凄さがわかろうというものです。
こうした米軍の爆撃に、なすすべもなかった北朝鮮の金日成は、なんとかしてくれ、とソ連のスターリンに泣きつきました。
このときスターリンが、B-29対策に導入したのが、ソ連製のジェット戦闘機である「ミグ15」でした。
ミグ15

「ミグ15」は、最大速度が時速1,076km/hと、B-29のおよそ二倍の速力があります。
そして実用上昇高度は1万5千メートルです。
B-29よりも5千メートルも高いところまで飛びあがることができます。
しかも武装は、強力な37mm機関砲です。
要するに「ミグ15」は、B-29よりも、1.5倍も高高度を飛ぶことができ、B-29の倍の速度で飛行し、さらに強力な砲門を備えていたわけです。
ソ連から持ち込まれたミグ戦闘機の前に、世界最強の空の暴君とされたB-29は、一瞬にして空に浮かぶ巨大な的(まと)になりました。
図体がでかくてのろいから、ミグ15にとっては、B-29はネタでしかなかったのです。
空の暴君だったB-29は、ミグによって次々と、いともたやすく撃墜されました。
超上空から攻撃してくるミグの砲火から逃れようと、B-29が飛行高度を落とせば、地上からは高射砲の餌食でした。
この様子を見た金日成は狂喜したといいます。
あの「空から降って来る恐怖の大魔王」が、まるで紙くずのように撃ち落とされるのです。
わかる気がします。
あまりにミグがつよいことから、金日成は、ソ連に頼み込んで、ミグ戦闘機を大量に北朝鮮に仕入れました。
こんどは自分たちの手で、米空軍をやっつけようとしたのです。
さらには、B-29をたたき落とすだけでなく、今度は奪われた朝鮮半島の制空権を自分たちのものに取り返そうとしたのです。
一方米国は、B-29があまりに簡単に撃墜されることから、ついに昭和26年には、B-29を第一線から完全に退かせました。
そして制空権を取り返すために、同じくジェット戦闘機であるF-86Aセイバーを朝鮮半島に差し向けました。
F-86Aセイバー

こうして世界ではじめて、ジェット戦闘機同士のドッグファイトが行われたのが、朝鮮半島の上空でした。
戦績は、4対1で米軍のジェット戦闘機が圧勝でした。
こう書くと、なんだか米国製セイバーの方が圧倒的に性能が優れているように見えますが、そうではありません。
ジェット戦闘機としての実力は、米ソとも、さほど違いはなかったのです。
違いがあったのは、パイロットの技量でした。
ソ連軍のパイロットがミグを操っているときには、ミグの被害はほぼゼロだったのです。
ところが、米軍がセイバーを投下する昭和27年頃になると、北朝鮮兵が操縦するミグが、朝鮮半島の空を飛ぶようになっていたのです。
きわめて簡単な理屈ですが、ジェット戦闘機は地上からの弾の届かない超高空を飛ぶから、墜とされないのです。
ところが何を血迷ったか、北朝鮮兵の乗るミグは、米軍のセイバーが現れると、低空に逃れようとしました。
低空に来れば、これまたあたりまえのことですが、地上からの高射砲の餌食になります。
こうして戦闘機はジェットの時代を迎えました。
ちなみにジェットエンジンというのは、ものすごく簡単にいうと、プロペラ式エンジンの発達したものです。
プロペラ式エンジンは、羽根(プロペラ)を回して、前方にある空気を後方に送り出すことで推進力を得ます。
この「プロペラの回転によって後方に送り出される空気」を、狭い穴から思い切り吹き出させたら・・・というのが「ジェット気流」です。
狭い穴から気流を吹き出す力で推進力を得ます。
ジェットエンジンは、プロペラ機よりも強力な推進力を得ることができますから、当然、これを搭載した飛行機の機体も、より頑丈になものにしなければなりません。
スピードが早い分、機体や翼の形状も変化させなければなりません。
こうして開発され、実戦配備されたジェット戦闘機が、上にご紹介したミグや、セイバーです。
ミグが初飛行したのが、昭和22(1947)年12月30日。
セイバーが初飛行したのが、同じく昭和22年10月1日のことでした。
ところが日本では、これに先駆けること二年も前の昭和20(1945)年8月7日、ジェット戦闘機が大空を舞っていました。
昭和20年8月7日といえば、その7日後が終戦の日です。
つまり終戦の直前に、ジェット戦闘機が日本の空を舞っているのです。
飛行機の名前は「橘花(きっか)」といいます。
エンジンを開発したのは石川島重工業で、機体を開発したのは中島飛行機(いまの富士重工)です。
橘花(きっか)

この「橘花」は、ドイツのメッサーシュミットMe262を参考に作られたジェット機で、8月7日の試験飛行と同時並行で10機が生産体制にはいっていて、さらに続々と量産される予定となっていました。
搭乗員としては、予科練甲飛14期生100名と16期生の200名がすでに事前訓練にはいっていました。
もっともこう書くと「そんなこと言ったって、すでに当時の日本には、飛行機を飛ばすための燃料がなかったではないか」という声も聞こえてきそうです。
これも実は対策が進められていて、なんと赤松や黒松などの松の木から採取する「松根油」を用いた燃料が当時の日本で開発されていました。
松根油については、戦後に書かれた資料などをみると、なにやら必死で「役に立たないシロモノだった」と否定ばかりしているのですが、これも実は硫化モリブデンを触媒としてオクタン価を高める技術が当時すでに開発されていて、実際に松の木から採れる油で飛行機を飛ばせる状況になっていたのです。
ということは、朝鮮戦争であっという間にB-29が引退した事実を考えると、もしあと半年大東亜戦争が長引いていたら、あの日本の空襲に猛威を振るったB-29も、空に浮かぶただの紙風船になっていたかもしれません。
高度6000メートルが限界だった飛行機で、高度1万メートルのB-29を撃墜していた日本です。
高度1万5千メートルの高高度と、B-29の倍の速度を持つジェット戦闘機を入手していたら、まさに日本はB-29を空飛ぶ紙風船にしていたことでしょう。
実は大東亜戦争は、あと半年開戦を送らせていたら、日米戦争はなかったかもしれないという説があります。
詳細は次の記事に書いていますので、ご欄いただければと思います。
■外務省の間違い
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2532.html</u>">
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2532.htmlそしてまた、終戦をあと半年遅らせていたら、日本は戦争に勝利していたかもしれません。
もっともそのことは、あと1〜3発の原爆を投下されたかもしれないという危険も伴うものでした。
その原爆によって失われる日本人の一般市民の惨状を思えば、やはり昭和天皇の終戦のご聖断は、私達国民にとって、ありがたいことであったと思います。
ただし、それによって戦後の日本は陛下を中心とした本来の日本の姿ではない国の状態を、戦後70年経ったいまでも続けています。
そしてその体制は、いつ終わるともしれない状況にあります。
戦後の私達が本当にしなければならないこと。
それは、天皇を中心とした君主国としての日本を、いまいちど取り戻すことではないかと思います。
それが「感謝の心を持つ」ということなのだろうと思います。
※この記事は2012年9月の記事をリニューアルしてお届けしました。

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コメント
beanv
つまり原油を蒸留してわずかにしかできないガソリンではなく、原油の主成分たる軽油なのです。
現代では着火性を高めるためにJET1規格でもJET2規格でも揮発油も混ぜています。
これは失火に備えてエンジン再始動を担保するためのものです。
(失火は火事を出してしまう意味ではなく、エンジンが燃焼サイクルを失うことをいいます)
失火の怖さは例えば最近まで現役だった米海軍のF-14トムキャット戦闘機に顕著です。
特に高空を低速で飛ぶとき頻繁に失火を起こし、またそれ以外でも出力急変をすれば片肺によく陥りました。
2つのエンジンが割と離れた位置にあったために片肺になると自転を始めるクセがあり、
帝国陸軍の高価で機密性の高い機体をキリモミ墜落で数多く失なっています。
機体がいきなり水平スピンして墜落というと日本機では重戦闘機の鍾馗が有名で、硫黄島からF6Fで直掩ができるようになるまでグアムからB-29だけが来ていた頃は、いちばん効率がいい高度6千からのズーム上昇をしては6連装ロケット弾などの強烈な火力で活躍しました。
さて、ガソリンに困って松根油にまで手を出した帝国陸海軍にとって、ジェットエンジンは燃料を選ばない画期的なエンジンでもありました。
当時、軽油は硫黄分を除く工程が甘く、これが燃焼装置を高温で腐食するので、あまり用途がないために比較的に余裕があったのです。
軍用機の高度についても補足いたします。飛行機の諸元に実用上昇限度というのがあります。実際にどうやっても鼻あげしてる金魚のようにそれ以上上がれない高さから1割を引いたもので、実は零戦もF-35も1万2百メートルとあまり差はないんです。
ただし、その実用上昇限度付近での効率はジェットエンジンがいちばん良く、大きく差をつけてレシプロガソリンエンジンのターボ過給、同エンジンの2段式機械過給、同エンジン機械式過給、同エンジン自然吸気となります。
零戦は自然吸気で3千米まで、初段で6千米まで、2段でそれ以上を飛びました。零戦はニューギニアで英軍スピットファイアと高度合戦を散々やって、高空性能は無駄と悟りました。
飛行機がスローモーションみたいな動きになり高度が有利に働かない限界を知ったのです。このため3段目は実装も検討もされませんでした。
ですから、高度1万米の高さで最高の性能が出る専用機B-29は難敵でした。
2015/11/01 URL 編集
世界最悪の大量殺戮兵器
日本軍のように低空まで降りてきて軍事施設にピンポイント爆撃をする必要もなく、
馬力と火力にものを言わせ高高度から人口密集地域へめがけて爆弾をひたすらばら撒きます。
まず町の周囲を火の海にして逃げられないようにしてから、
町の中心めがけて無抵抗に逃げ惑う一般市民(子供たちへも)の頭上に爆弾を浴びせます。
勇敢に戦う日本軍人を相手にするよりも一般市民を狙う方が簡単で楽ですから
アメリカ政府が大量殺戮兵器に力を入れるのもうなずけます。
有色人種が商品や動物のように扱われていた時代の中で
日本軍人は自らの命を犠牲にしても、日本人の命と自由と権利を守ろうとしました。
日本軍の攻撃目標はあくまでも軍事施設および軍用機や軍艦です。
無抵抗な一般市民は攻撃の対象外であり、むしろ保護の対象です。
軍隊は戦争をし、兵器は人命を奪いますが、
軍隊が無ければ国土は守れないし、兵器がなければ人の命も守れないのも残念ながら現実です。
2015/10/29 URL 編集
-
小名木さんが思う以上に、軍事のオタはいるから。(俺じゃないよ)
もう少し違った方面から書いて欲しかった。
せめて、橘花じゃなくて、火竜が小名木さんの言うように完成していれば、うんそうだね惜しかったよねって言えたんだけど。
2015/10/29 URL 編集
ストラトフォートレス
一方、朝鮮戦争におけるB-29の戦闘損失は延べ2万2983機出撃に対して34機なので、延べ出撃数に対する損失率は0.14%程度ということになります。ただし、基地には帰還したものの損傷が大きく廃棄になった機体は太平洋戦争よりも多かったようです。つまり、太平洋戦争だったらマリアナまで帰れず未帰還になるような損傷を受けても、朝鮮戦争では近くに飛行場があるので基地まではたどり着けたというわけで、それを考慮に入れると損失数は10倍程度という話もあります。太平洋戦争時も「帰還後廃棄」を考慮に入れると、損失数は倍ぐらいになるようなので、朝鮮戦争におけるB-29の損害率は太平洋戦争のそれの半分ぐらいと思われます。
ただ、太平洋戦争の数字は、日本側の防空体制が整っていない地方都市への空襲も含めたものであり、主要都市への空襲では4~5%台の損失率でした。他方、朝鮮戦争ではB-29の被害は中朝国境近くに集中しており、そこを離れた北朝鮮域では国連軍の絶対的航空優勢は揺るぎませんでした。ただ、平壌を含む北朝鮮の各都市が焼け野原になると、B-29はやることがなくなります。マッカーサーは鴨緑江を越えての爆撃を具申しましたが、米政府は許可しませんでした。
B-29が消えていくのは後継機が登場したからではないでしょうか? もともとB-29は限られた開発期間で無理やり作ったところがあり、信頼性に欠ける機体でした。エンジンは火災を起こしやすく、オーバーヒートしやすい構造で念入りの整備が欠かせませんでした。排気タービンは破損しやすく、短期での部品交換で対応していました。「壊れたら捨てる」というアメリカンな方法で実用化したのがB-29でした。後の改良で問題はある程度改善しますが、よりよい機体が登場すれば、そちらを採用するのは当然でしょう。
といってもベトナム戦争のころになっても偵察機や空中給油機として使われており、傑作機であることは間違いありません。
2015/10/29 URL 編集
junn
2015/10/29 URL 編集
士魂のかけら
米軍は今でも航空爆雷の開発に熱心で、B-2ステルス爆撃機で投下できるGPS誘導式滑空機雷などというものまで持っているそうです。いざとなれば、シナ海軍は米国の機雷のせいで、基地から一歩も出られなくなったところに、巡航ミサイルの飽和攻撃でドックごと破壊されるでしょう。
2015/10/29 URL 編集
junn
http://thinker-japan.com/vaccine.html知られざる“ワクチン”の罪
http://oncon.seesaa.net/article/424255813.html笑うしかない悲劇-日本の戦時防諜体制に開いた大きな抜け穴と戦史修正のお知らせ
2015/10/29 URL 編集