日本の統一



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20151122 富士山


終戦は、昭和20年8月15日ですが、これは昭和天皇の玉音放送によって、日本が「自発的に戦いを終わらせた日」です。
ですからこの日を「終戦記念日」と呼びます。

9月2日を終戦日と呼ぶ人もいますが間違いです。
9月2日の戦艦ミズーリでの調印は、休戦であって戦争の終期ではありません。
時系列で流れを追ってみると、次のようになっています。

8月14日 帝国政府、ポツダム宣言受諾を連合国側に通告
     (終戦の詔書の日付も8月14日です)
8月15日 玉音放送
8月16日 大本営、停戦命令を発令
8月30日 マッカーサー厚着飛行場に上陸
9月2日  戦艦ミズーリ上で休戦条約に調印

つまり、自発的な戦闘行為終了が決定したのが8月14日。
それを天皇の名によって内外に告知したのが8月15日。
休戦したのが9月2日です。

戦争には始期と終期がありますが、大東亜戦争の条約上の終期は、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日になります。
そのサンフランシスコ講和条約には、次のように書かれています。

 *

第一章 平和
第一条【戦争状態の終了、日本の主権承認】
(a) 日本と各連合国間との戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b) 連合国は、日本及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

 *

明確に「この条約が効力を発生する日に(戦争状態が)終了する」と書かれています。
つまり日本は、昭和20年8月14日のポツタム宣言受託通告から、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日までの6年8ヶ月間も、連合国とは「戦争状態」にあったということです。

戦争が継続していたから、「GHQの占領統治」があったのです。
ここはとても大切なポイントで、そもそも「占領」というのは、他国の領土、拠点、政経中枢などを「軍」が占有・占拠することを意味します。

軍は占領地において、軍による占領行政を敷き、軍の支配下においた現地政権を通じて、当該国を間接統治します。
これを「占領統治」と呼びます。
くどいようですが、「戦争状態にあったから占領統治があった」のです。

占領統治下にあった日本は、国名は「大日本帝国」でも「日本国」でもありません。
─────────
「連合国統治領日本」
─────────
というのが、占領統治期間における日本の名前です。

日本から輸出される製品も、「Made in Japan」ではありません。
──────────
Made in Occupied Japan
(占領された日本製)
──────────
というのが、当時の日本の輸出製品に書かれた表記です。

さらにいうと、では当時の日本の国旗はどうなっていたかというと、これまた日の丸ではありません。
連合国が定めた三色旗が日本の国旗でした。
見たくもない絵柄ですが、下の旗がその国旗です。
2020年の東京オリンピックの制服に、どうしても青を入れたい勢力が国内にあるようですが、そういう人たちは日本を占領したい人たち、もしくは日本が占領統治にあることによって莫大な利得を得た人たちなのではないかと思ってしまいます。
いずれにしても、けしからぬことだと思います。

連合国統治領日本の国旗
連合国統治領日本の国旗


「国」というのは、「当該国の政府が支配する一定の領域や住民・共同体・制度・文化などの総体」を意味します。
ということは占領統治下の日本は、

(1) 大東亜戦争を日本と戦った「連合国」が
(2) 日本を占領し
(3) 日本を連合国軍の軍政下におき、
(4) 日本にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)を設置して
(5) 日本政府をその支配下におき
(6) 日本政府を支配することで日本を統治した
時代ということができます。

つまり、占領統治下の日本には、政府にも日本人にも、主権などありません。
ところが、まさにその占領統治下にあった日本で、日本国憲法が施行(昭和22年)されています。
その日本国憲法には、その前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」とあります。
当時の日本には、政府にも国民にも主権などないのに、「国民主権が存する」と書いているわけです。

これが何を意味するかは、イラク戦争でフセイン政権が倒されて以降のイラクを見たらわかります。
イラクは、政権が倒され、連合国によって占領統治が行われました。
イラクは「国」です。
ですから「当該国の政府が支配する一定の領域や住民・共同体・制度・文化などの総体」です。
けれど、フセイン大統領もイラク政府もなくなり、連合国軍によって占領されたイラクには、「一定の領域や住民・共同体・制度・文化などの総体」はあっても、これを支配する「政府」はありません。
つまり、主権者がいません。

ですからこの場合、すなわち占領統治下にあるイラクでは、政府ができるまでの間、主権は「一定の領域や住民・共同体・制度・文化などの総体」に存する住民たちが、主権者とみなされます。
仮にこれを、国を代表する本来あるべき特定の主権者に対する意味で、「みなし主権者」と呼ぶことにしますと、占領下にあったイラクでは、イラクの国土内にあるイラクの住民が「みなし主権者」になっていたということがわかります。
つまり、軍事占領下にある「一定の領域や住民・共同体・制度・文化などの総体」では、国民が「みなし主権者」となるのです。

日本国憲法が施行された昭和22年の段階では、日本は占領統治下にありましたから、この「みなし主権者」が適用されます。
そしてGHQによって与えられた日本国憲法は、前文で「ここに主権が国民に存することを宣言し」としています。

イラクの場合は、政権そのものがなくなり、政治機構そのものが崩壊していましたから、軍が「みなし主権者」であるイラク国民を直接統治し、軍が現地を支配するために必要な現地政権を新規に打ち立てる必要がありました。
その新政権をめぐってイラクでは、再び内乱やテロが横行したりもしたわけです。

これは、国内の民意を反映させようとするときに、必ず起きるものです。
フランス革命がそうでしたし、日本でも自由民権運動が起きています。
要するに、国内に政府があってもなくても、あるいはこれから政府を作ろうとするときも、政府そのものに国内を統一する権威が確立していないときには、必ず内乱が起きるのです。

その内乱を、無理やり武力で抑えこんだのが旧ソ連であり、いまの中共や韓国、北朝鮮です。
内乱状態が続いているのが、カンボジアであり、ミャンマーであり、コンゴです。
日本国政府の権威を認めていない一部の不逞在日コリアンが、国内で暴力事件を多発させたり、メディアを乗っ取っていかさま情報を垂れ流すのも、これも内乱の内です。

終戦から占領統治の間の日本では、占領後も政府機構は保持されましたけれど、与えられた憲法は、前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」と書かれました。
これが何を意味するかというと、既存の帝国政府の否定です。
日本政府の権利権限を一切否定し、占領軍が日本国民を直接支配する、という宣言にほかならないからです。

我々は学校で、日本国憲法は世界で唯一「国民主権という素晴らしい制度を持った憲法である」と教わりましたが、実は、「国民主権」は、素晴らしい制度でもなんでもないのです。
占領統治下において、
占領軍が、日本国政府の主権を奪い、
占領軍が、日本国民を直接支配する
ということを「ここに主権が国民に存することを宣言」という言葉に置き換えただけのことです。
ですから憲法に国民主権とあるのは、実は、たいへんに国辱的なことです。

占領軍は、占領軍の権威の確立のため、占領統治下の日本で護国救国の志を持った様々な識者や政治家、教育者、行政官僚などを公職追放しました。
これは一種の粛清で、この際に命を奪っていれば、中共と同じことになります。
GHQの上手だったのは、国民の抵抗を防ぐために、単に追放を行い、同時に「あの戦争とは何だったのか」という米国史観を日本国民に植えつけたことです。

またGHQは、日本軍だけでなく、財閥も解体し、農地開放をして大地主を消滅させ、大家族制を否定し、修身や国史の教科書に墨を入れ、日本の国会でのマスコミ取材が記者クラブのみを経由した情報しか提供できないように制限しました。
その一方で日本解体を遂行するためのさまざまな利権団体をつくりました。

そのひとつが日教組です。
日教組が設立されたのは、昭和22(1947)年6月8日です。
まさに占領統治下でのできごとです。
日教組は、日の丸国旗に反対の姿勢をとり続けていますが、彼らにとっては、彼らにとっての黄金時代である日本の占領統治時代が、なによりも「素晴らしい時代」なのかもしれません。

ちなみに、S学会も、色と柄は異なりますが、何故か「三色旗」という語にこだわりをみせています。
学会旗と呼ばずに、あえて三色旗と呼ぶところに、なにやら連合国統治領日本の時代の三色旗への思慕が垣間みれるような気がするのは私だけでしょうか。

サンフランシスコ講和条約によって、日本が戦争を終結させたのは、昭和27年のことです。
本来であれば、この時点で日本は占領統治を脱したのですから、占領統治のための最高法規である「THE CONSTITUTION OF JAPAN(邦名:日本国憲法)」も、廃案とすべきものです。
なぜなら、そもそもこの「THE CONSTITUTION OF JAPAN」は、あくまで「占領統治のための基本となる最高法規」として公布されたものだからです。

そもそも先の大戦は、大日本帝国と連合国との間で行われた戦争です。
つまり、戦争が終わったとするならば、それは連合国と大日本帝国の戦争が終わったことを意味します。
間違っても「連合国」と、占領統治下にある「連合国統治領日本」が戦争をしていたわけではありません。

本来の筋道から言えば、サンフランシスコ講和条約で戦争の終結が宣言された以上、その終結宣言の当事者は大日本帝国だったわけですから、日本はサンフランシスコ講和条約の公布とともに、大日本帝国に戻らなければおかしいのです。

別な言い方をするならば、日本が「連合国統治領日本」でなくなったのなら、「連合国統治領日本」の規程である「THE CONSTITUTION OF JAPAN」も、その効力を失うのです。
すなわち、「THE CONSTITUTION OF JAPAN」の日本語訳である「日本国憲法」は、本来、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日をもって、その効力を失っているのです。

戦争当事者国は、大日本帝国という法人です。
戦争を終わらせ、講和条約を結んだのが連合国統治領日本であるというこは、起こりえません。
なぜなら、連合国統治領日本が連合国と戦争をしたわけではないし、そもそも連合国統治領日本には、戦争主権はありません。

日本は、戦闘行為を停止した後、連合国の占領統治を受けることになりました。
6年8ヶ月後、ようやく講和が実り、日本は占領統治を脱しました。
脱するための条約を締結し、調印したのは、大日本帝国の全権大使である吉田茂です。
占領統治下日本の内閣総理大臣吉田茂ではありません。

そもそも占領統治下日本は、被占領地であって主権国ではありません。
主権国でないということは、国際条約の締結権さえありません。
だから吉田茂氏は、内閣総理大臣という肩書ではなく、全権という肩書を用いているのです。
全権というのは、「日本の君主である天皇の名代として全権を付与された者」という意味です。

占領統治下の日本国憲法なら、天皇は単に象徴であって立憲君主ではありませんから全権付与の権限さえありません。
天皇が、大日本帝国に基づく統治者(第一条)であるからこそ、全権の委嘱が可能なのです。

にも関わらず日本がサンフランシスコ講和条約発行後も「日本国憲法」を遵守するという選択をしたことには理由があります。
それが「吉田マジック」です。

昭和26年のサンフランシスコ講和条約の立案、調印から、昭和27年の条約発効にかけての期間は、朝鮮戦争のまっただ中の期間でした。
朝鮮戦争というのは、史上稀なる悲惨な戦争で、韓国民が韓国軍によって蹂躙され、目につく限り皆殺しにされ、ようやく生き残った韓国民は、今度は次にやってきた北朝鮮軍によって女は強姦され、赤ん坊は銃剣で突き刺されて殺されたという戦争です。

朝鮮戦争は、日本では「朝鮮戦争」、北朝鮮では「祖国解放戦争」、英語では「Korean War」ですが、韓国ではこれを「韓国戦争」と呼びます。
実態は、力のある者によって、何もかもが蹂躙される「姦国戦争」であったわけです。

この朝鮮戦争は、同じ民族でありながら、自国の民衆を政府軍が大量殺戮したという意味において、おそらく人類史上最悪の戦争といえます。
韓国の発表によれば、戦争中の韓国民の犠牲者数は150万から500万とされています。
ここがそもそも問題です。
自国民が何人死んだかさえも、時の韓国政府が把握していないということだからです。

この人数を把握していないという事実は、政府が民衆を「人間」とみていなかったことを意味します。
人であれば名前があり、名前があれば、死亡の確認ができるのです。
それができないということは、国民を人としてさえ思っていなかったということです。

仮に一般市民の犠牲者数が推計の半分の250万であったとしても、これは歴史に残る秦の始皇帝による10万人の殺戮が、まるで児戯に思えるほどの大量虐殺です。
しかも韓国民の犠牲者のほとんどは、韓国軍によって殺戮されています。
これが人類史上最悪の戦争でなくして、いったいどの戦争を最悪の戦争というのでしょうか。

韓国は、日本の終戦の日である昭和20年8月15日を、国民に光が回復した日として「光復節」の名を付けて祝日にしていますが、むしろ韓国は、この日を境に光が消え、さらに昭和25年に始まる朝鮮戦争によって、光が消えたどころか、この世の地獄を現出しているわけです。
このように都合の悪い事実を隠蔽するだけでなく、言葉だけを飾り立てて正当化してしまうということは、詐欺的政権によくあることです。

ちなみに、この朝鮮戦争の際、日本にある在日韓国人の民団(日本大韓民国民団)は、朝鮮戦争に加担しようと日本国内で当時、朝鮮半島に行って戦う従軍希望者を募っています。
募集枠は6万人で、これは当時の在日韓国人の10人に1人にあたる数だったのだそうです。
ところが、実際に集まったのは、在日韓国人が647名、日本人が150名です。
民団はこのとき、在日韓国人のうち641名を在日学徒義勇軍として韓国に送り込みましたが、うち、135名が戦死または行方不明となっています。
また、242名は、そのまま韓国に残留したとされていますが、民団が、その死者・行方不明者について、賠償を行ったという話は聞きません。

さて朝鮮戦争の時代、せっかく北朝鮮を平城のあたりまで追い詰めた連合軍が、中共の参戦で再び敗退を余儀なくされるという、きわめて厳しい戦況下にありました。
一方、朝鮮戦争に参加している米国内では、第2次世界大戦は既に6年も前に終わっているのに、どうしていまさら米国民が、たとえ兵士であったとしても多数死ななければならないのか。
朝鮮の隣には、かつて米国と戦い、いま米国の占領統治下にある日本があるではないか。
日本は強いのだから、日本を朝鮮戦争に参戦させれば良いではないかという議論が、盛んになっていたのです。
これは、米国民の民意としては、当然すぎるほど当然の考えであったろうと思います。

連合軍を主催する米国としては、朝鮮戦争に勝利するために、どうしても日本を朝鮮戦争に参戦させたい。
そのためには日本に再軍備をさせる必要がある。
そのためには、日本に主権を回復させる必要がある。

これがサンフランシスコ講和条約が早期に締結になった動機です。
つまり、サンフランシスコ講和条約の締結は、当時の日本においては、そのまま日本が朝鮮戦争に参戦するという意味でもあったわけです。

吉田茂首相の政治家としての凄みは、こうした米国の思惑を逆手に取り、日本の主権と独立を回復することを条約によって実現する一方で、占領軍に与えられた日本国憲法を盾にとって、日本は戦争を放棄しているのだから朝鮮戦争に参戦できないとしたところにあります。
占領統治用の「CONSTITUTION」に書かれた9条の戦争放棄を逆手にとって、朝鮮戦争への参戦を拒んだのです。

一方、米国内にも、日本の参戦が、再び日本という世界で唯一軍事面で米国に対等に挑んできおそろしい国が、軍事的に復活することを危惧する声がありました。
日本に原爆までおとしているのですから、恨まれて当然です。
非道に対する報復は、欧米圏では常識です。
それができない者は「チキン」と嘲り笑われます。

さらに兵器の問題が有ります。
対日戦争で米国の優位を形成した超空の要塞のB-29は、朝鮮戦争の後期には、すでに空中で簡単に撃ち落とされる巨大な的(マト)になっていました。
空の戦いは、すでにジェットの時代になっていたのです。

日本は米ソがジェット戦闘機を開発する5年も前に、すでにジェット戦闘機を完成させています。
日本の軍事力が復活すれば、今度は米国が敗れるかもしれない。
米国としては、日本は封じ込めておくべきだという議論もありました。

一方では、日本の占領統治の過程において、GHQは、公職追放と同時に、日本国内のあらゆる要職に、共産党員を配置しています。
これは日本解体工作の一環として行われたことですが、これによって日本がGHQの押さえつけに我慢ができなくなり、いっきに共産主義化すれば、今度は日本はソ連のバックアップを得て、西側と対立する強大な軍事国に変わってしまうのではないかという危惧もあります。

そうした様々な思惑のなかにあって、結果として日本はサンフランシスコ講和条約によって、すくなくとも形式的には主権を回復しながら、同時に朝鮮戦争には参戦しないという実に見事なスタンドプレイをしてみせたわけです。

朝鮮戦争に参戦した国は、韓国、アメリカ、イギリス、コロンビア、フランス、カナダ、オランダ、ベルギー、トルコ、タイ、フィリピン、ルクセンブルク、ギリシャ、オーストラリア、ニュージーランド、エチオピア、南アフリカ連邦、デンマーク、インド、イタリア、イスラエル、ノルウェー、スウェーデン、エルサルバドル、キューバ、スペイン、中華民国(台湾)の、合計27カ国に登ります。
その27カ国の軍人さんの死傷者数は、韓国を除いて36万人です。
第二次世界大戦は、すでに終わったのに、世界の若者たちが、それだけの数、朝鮮で国連軍として犠牲になったわけです。

ところがその朝鮮戦争の間、日本では、若者たちがせっせと子作りに励んでいました。
おかげで、朝鮮戦争の起きた時代に生まれた子どもたちが、いま団塊の世代となっているわけです。
それはそれで結構なことだと思います。

ただし、世界の一部として一緒に戦わなかったツケは、いまでも残っています。
それが日本国憲法であり、大東亜戦争における、いわゆる敗戦利得者の利権です。

なかでも日本国憲法のもたらした弊害は、きわめて甚大なものといえます。
日本国憲法は、そもそもが占領統治用の憲法であるがゆえに、そもそも国家の非常大権と、国家元首の主権を認めていません。
非常大権というのは、日本が大規模な災害や、侵略を受けた際の超法規的処置がとれる大権のことをいいますが、残念なことに、日本国憲法にその定めはありません。
非常大権を行使できる者もいません。

たとえば非常時においては、国家は大勢の生命や財産を守るために、一部の人の私権を制限しなければなりません。
早い話、日本がどこかの国と交戦状態になった場合、日本は軍隊を至急移動させる必要が発生しますが、現行憲法の枠組みの中では、非常事態としての宣言がなされるまでは、自衛隊の戦車などの機動部隊であっても、ちゃんと赤信号で信号待ちしなければならないし、海上自衛艦も、民間の漁船の操業を妨げてはなりません。

向こうから一発目のミサイルが飛んで来ているときに、日本の自衛隊は、交差点で信号待ちしていなければならないし、歩兵は、歩道の信号が青になるまで、交差点で待機していなければならないわけです。

ちなみにパトカーは、非常灯を付けてサイレンを鳴らせば、制限速度の範囲内で信号無視ができますが、自衛隊の車両は戦時下であっても、渋滞に巻き込まれたら、その他の一般車両と一緒に、渋滞にはまっていなければなりません。
そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、これが現実です。

なぜそのようなことになるかというと、占領統治下における最高法規(日本国憲法)は、そもそも国家緊急権の行使権は、占領軍が握っているわけです。
ですから占領軍は、通達さえなしに、民間の財産の差し押さえもできますし、道路交通法も無視できます。
ところが占領統治下にある日本国政府には、これができません。
日本国政府には、法に基づく平時の行政権が認められているだけで、法に基づく非常大権が備わっていないからです。

つまり、もっと簡単にいうと、日本国憲法は、GHQがいて「はじめて機能する憲法だ」ということです。
ところが、日本には、すでにGHQはいません。
こうなると、非常時における国家運営が日本国政府にはできないわけです。

そこで日本国政府が、昭和27年以降も一貫して行ってきたのが、米国政府を仮想上の占領軍とみなす、という方法です。
つまり日本国政府が、進んで米国政府の支配下に入ることで、さまざまな国家の大きな取り決め事を決めてきたということです。

占領法規を、憲法という国の中心規程に据え置くことによって、日本は、
(1) 重要なことは何も意思決定できない国になった
 (占領統治下であれば、占領軍が意思決定をし、政府はそれをただひたすら履行するだけです)
(2) 過去の日本を「他国」もしくは「侵略国」と定義する国になった。
(3) 日本の歴史、伝統、文化を否定することが、正義とされる国になった。
ということができます。

このことは、もっと簡単にいうと、日本は主権のない国になったということです。
「主権」という言葉は、もともとはイタリア語の「Sovranità」やフランス語の 「souveraineté」を指す言葉で、日本語に訳せば「最高の存在」を意味する言葉です。
ですから「国家主権」となれば、「国家の最高の存在」を意味します。

ということは現行憲法は、「国民が国家における最高の存在」としているのだから結構なことではないかと考えるのは早計です。
「国家の最高の存在」ということは、至上にして最高の存在であるということです。
ですから国家の主権者は、国家の対外的最高権、国家の対内的最高権、国家の最高意思決定権を持ちます。
つまり国家の法にも拘束されないのです。
制限速度40km/hの一般道を、自動車で60km/hで走行したら交通警察に捕まり罰金を要求されますが、国民が国家主権者なら、国民としての最高意思決定権をもって、その取り締まりの警察官をこそ処罰することが可能のとなるはずです。
冗談のようですが、それだけの強権を持つのが主権という言葉の意味です。

もし「国民主権」を重視するならば、日本人は日本国の法を一切守る必要がありません。
なぜなら日本国民は、ひとりひとりが超法規的存在となるからです。
けれど現実には、我々国民は、法の下にあります。
つまり国民主権など、ない、ということです。
日本国憲法は、その前文において「国民主権」をうたっていますが、つまり前文からしてインチキだということです。
そのインチキを憲法としてありがたがっている国民こそ、いい面の皮です。

国家主権が「国家の最高の存在」を意味するなら、日本における最高の存在は天皇をおいて他にはありません。
日本は日本国憲法などができるよりも、はるか太古の昔から、天皇のシラス国です。
法ではなく、天皇を国家最高の存在としてきたのが日本です。

法が国家最高の存在であることと、天皇が国家最高の存在であることと、何が違うのか。
答えは簡単です。
法は人事権を持ちませんが、人は人事権を持つのです。
つまり天皇が国家最高の存在であり、超法規的存在として国家統治のための人事権を持つということが、日本の国のカタチです。

その意味において、日本国憲法最大のガンは、日本国憲法の第一条です。

第一条
天皇は、
日本国の象徴であり
日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、
主権の存する日本国民の総意に基く。

これがすべての間違いの根幹です。
なぜなら理解不能な文章だからです。
国民が超法規的最高権を持ち、その最高権を持った国民の総意によって天皇が憲法という名の法のもとにおかれ、象徴の地位にあるというのです。
つまり、日本国民は、超法規的最高意思決定可能な存在であって、日本国における一切の法を守る必要がなく、天皇だけは日本国の法を守らなければならないと、この第一条は書いています。
ここからして、論理が破綻しています。

そのような論理の破綻した日本国憲法を、ではどうして吉田茂は、主権回復時に破棄しなかったのでしょうか。
理由のひとつは、先ほど書きました朝鮮戦争への参戦を拒むというものです。
これは当時の民意でもありました。
もちろん日本共産党のように、朝鮮戦争参戦のために義勇軍を組織して兵を送った団体もあります。
けれど大多数の日本国民は、もう二度と戦争などやりたくもないし、戦場になど行きたくもないという思いです。

ですから当然、首相としても朝鮮戦争参戦拒否の方向で日米交渉を進めるしかない。
もしこのとき、吉田首相が「主権回復と同時に朝鮮戦争に参戦する」と国会やメディアで発表すれば、その瞬間に日本の治安は崩壊しています。

ここが、実は二番目の理由であり、むしろ影響力としては上の理由よりも大きな理由となるものです。
どういうことかというと、わずか6年半とはいえ、強烈な実行力支配力のもとにGHQが行った政策は、日本国内に、まったく新たな政治勢力を生んでいたのです。
それが反日勢力です。

日本の農村部が、大地主さんが農地解放によって土地を失い、経済基盤を弱化させた一方で、駅前の一等地は、在日外国人のものになっていました。
そしてそこは巨額の地価にもなっていました。
一方、武器をすべて奪われた日本の一般市民に対し、在日コリアンは本部に大量の武器を隠し持つ武闘派勢力にもなっていました。
社会党、共産党などの反日勢力が巨大な勢力として育っていたのです。
これらを力で押さえ込めるだけの権力は、残念ながら当時の吉田首相は持っていません。

結果、国内の統一もできず、政府の権威の確立もできず、大日本帝国憲法の復活も叶わず、占領統治憲法のままに、戦後70年が経過しています。
要するに、日本は、戦後いまだ国内の統一化ができていないのです。

この統一化は、国が唯一の政府を持つ存在である以上、いつかは実現されるものです。
それが、反日勢力による統一化の方向に向かうか、それとも、愛日勢力による統一化に向かうか。
それは、いまを生きる私達の民意にかかっています。

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コメント

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No title
ねずさんの言われる通りです。

ただ、これまでの事を見抜けなかった国民の事はどう思われますか?。
あるは、見抜いていたのやも知れません。
特に、歳のいった方達は。

しかし、もし、仮に見抜いていたとしても、一般的にサヨクと言われる者達が、主に教育を通して散々に世代を分断し経験も継承させない様にして来ましたし、更には、言葉狩りを通して自分達が将来非難されるであろう一番痛い言葉を必死で使えなくしたり、意味を変えたりして来ました。

そんな中で、もはや年老いた者も、若き者も、明瞭で正当な日本語での会話すらおかしな事になってしまいました。
私は中学生の頃に、気も付かず祖母に大変な失敗をしてしまいました。
特別攻撃隊の遺書を見せてしまったんです。

祖母は明治の気丈な人、子供の目から見ても人間の出来が違う人でした。
その祖母を一瞬ですが泣かせてしまいました。
その後すぐに「ありがとうね」と言って笑った祖母ですが、私はやってならぬ事をやってしまったと自覚した瞬間でした。

沖縄で長男が戦死しています。
田舎に残した兄弟たちは12人。
家族は貧乏な百姓です。
叔父は、必ず帰って来るから待ってろよと母に言い聞かせていたようです。
明治生まれの田舎の人は、ほぼ、貧乏です。
当たり前です、ずっと、日本の危機が続いて豊かさなどには恵まれませんでした。
その中で、先の大戦で大切な人を亡くして行ったんです。
それを耐えて、なお、「ありがとうね」と言う。
その辛さ悲しさを、いくら子供と言えど解らぬと言えど、突いてしまった。
だから、多くのお年寄りが間違いを見切ったとして声を挙げる時に声にも出せない方が多いのは理解します。

父も母も、祖母すら、戦時中の事や戦前の事を語りませんでした。
私が聞いた時だけ、ピンポイントで答えるだけでした。
けれど、結構面白い話もあったりしたので、だから何故話さないのか不思議ですらありました。

尋常ではない辛さと、ヒダリにまみれた社会の雰囲気、教育の破断と世代の断絶工作。
ヒダリがどれだけの嘘をついても、「また嘘をついている、けれど、俺達は知ってる」とタカをくくっていた事もありましょうが。

唯一間違えたのが、私は子供に伝えなかった、伝える努力をしなかった事だと思います。
何故、私達もそうですが、それよりもっと、ずっと若い人達が見抜けないのかは、私はそこに、特にあまりに大きな悲しさ辛さがあったために先人は目を背けてしまった事だったのではないかと思います。
それと同時に、そこに持って行きやすかった条件として戦後の繁栄の中に思い出を埋めてしまったのではないかと思っています。
そして、それは責める事では毛頭無いことですが、やってはならぬ事だったと思っています。

この、終戦後からの当時の国民の感情としての日本の国に対しての想いを、どう、ねずさんが思われているのか、出来ればCGS等の動画で、いつかお聞かせ頂ければ大変嬉しく思います。

猫めでる婆

ついさっき気付いて驚いた、まめなるこころ=忠の名づけ
身バレしてしまいそうで怖いのですが、私の戸籍の元々の名前には「忠」の字が隠されています。
それは、お香の蘭奢待には東大寺が隠されているのとほぼ同じようなものです。
漢字の遊びでしょうが、それがまた楽しく思えます。
私の名前には命名にかかわった明治生まれのお爺で、とにかく今の段階ではあら、まー、そうだったのかしらと興奮しています。
あの当時、昭和三十年代に流行していた女児の名前でありながら、「忠」の字を織り込んでくれたことに感謝しています。
私の名前は平凡な名前ですが、まさかそのような意図があったとは知りませんでした。
もっと以前から気が付いていたらと段差で転びそうになるくらい吃驚しましたが、まめなるこころ「忠」を大切にしていきます。

ポッポ

No title
1945年8月15日は終戦であって、敗戦ではない。このことを理解している人は、今は少ないです。

親は終戦と言っていましたが、休戦であり、戦闘を停止したと言うことはたぶん分かっていたと思うのです。しかし、その子供(私)は、終戦であって敗戦ではないことを、永く理解していませんでした。

それまでの占領期間は、戦闘の停止期間と言うことですが、どちらかというとサンフランシスコ条約の締結日は、再出発の日というニュアンスを強く受け止めていたような気がします。

一般には、終戦で敗戦。それから占領されてなんやかんやがあった後、サンフランシスコ条約で占領から解放され、独立とのイメージが強い気がします。
敗戦は、昭和27年4月28日に確定したと言うことを、改めて確認しました。


しかしながらこの占領期間の日本は、本当に酷い目に遭わされました。
元寇で負けていたら、このようになったのかと考えられる位のものだったと思いますが、占領軍がアメリカでなくソ連で会ったならば、さらに酷い物であったと思います。


ただ、もう一つ理解できないのは
>>一方では、日本の占領統治の過程において、GHQは、公職追放と同時に、日本国内のあらゆる要職に、共産党員を配置しています。

日本は、アメリカから中共までの、世界全体から2度と立ち直れないようにとの占領政策をされましたが、共産党が日本で強くなったのは、戦後のどさくさ紛れに様々なところに紛れ込んだと思っていたのですが(教育関係だけは、日本史を破壊するために配置したと思っていました。)、あらゆる要職とは想像できませんでした。

その理由については、1918年のシベリア出兵(アメリカも参加しています。)と、1950年のアメリカのマッカーシー旋風がありまして、このときに共産党員は一掃されていると思っていたのです。

GHQの占領政策、WGIPと言い、プレスコードと言い、日本の文明を根底から破壊しましたが、アメリカの占領政策はアメリカにとって有益なものだったのかと思います。

heguri

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シェアさせていただきます。

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No title
ただ、9条を良く読むと条件つきで、軍事行動okになってます。当時の人は未来に可能性を残してくれてるんですがね~

No title
あらゆるところに朝鮮民族がいるのは、彼らが武器を持って日本の土地を奪ったりしていたからですね。それが今では3世4世が何事もなかったかのように、日本人はレイシスト、ヘイト、人権侵害はやめろと言ってます。

大阪でもその人権法律?のようなのが橋本氏のもとで着々とできてますよね。
日本はづっと朝鮮民族に占領されているのですね。
舛添氏、橋本氏、要職に朝鮮民族がつかんでいる。

民団も日本の中に韓国を作っている。そこで日本を批判し支配している。
許せませんね。彼らを除くのには今後日本人はどうすべきなのでしょう。

junn

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http://hya94ki.blog34.fc2.com/blog-entry-99.htmlイギリスは通貨の供給で大丈夫?

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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