【赤穂浪士外伝】紅扇に乗せた梅の花

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紅扇1214


12月14日といえば、赤穂浪士討ち入りの日でしたが、14日は急遽差し替えで「羽生結弦選手優勝と祓い」の記事を入れましたので、それから2日経過してしまいました。
毎年この時期には、赤穂浪士外伝「紅扇に乗せた梅の花」をお届けしています。
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第二巻にも収録したお話です。
耳で聞く本のオーディオブックにもなっています。

ところで赤穂浪士の討ち入りといえば、元禄15(1702)年12月14日の夜、ということになっていますが、2つの点で注意が必要です。

ひとつは、当時は太陽が昇るときから一日が始まると考えられていましたという点です。
ですから今風にいえば、15日の午前4時頃に、吉良邸に討ち入りをしているのですが、当時の書き方ですと、14日の深夜の討ち入り、という表現になります。

もうひとつは、12月14日というのは旧暦だ、という点です。
ですからいまの新暦ですと、たとえば今日12月16日は、旧暦ならまだ11月6日です。
元禄15年12月14日というのは、その旧暦で、いまの太陽暦に直すと1703年1月30日で、討ち入りが行われた日は、1月31日の午前4時頃ということになります。

なぜこういうことにこだわるかというと、今日ご紹介する矢頭右衛門七を含む赤穂の四十七士が切腹したのが、旧暦でいう、翌年の2月4日なのですが、これはいまの太陽暦なら、3月20日です。
梅の花が散り、桜が咲く、その梅と桜の、ちょうど中間の時期にあたります。

古来、日本では、「花」といえば桜花、「花の香」といえば梅の花を指しました。
春を呼ぶ梅の花の香りの季節に、矢頭右衛門七はお千ちゃんと出会い、そして翌年の梅の花の香りの季節に、最後の目と目だけの会話を交わして、常世国へ旅立って行きました。

つまり梅と咲いて気高く香り、桜が開花するより前に散っていく・・・。
桜もはかないけれど、その桜よりももっとはかない命だったんだよという、これが物語のモチーフになっているわけです。
四季を花に乗せて情感を描くという手法は、江戸文学の特徴です。

すでに以前に読まれている方も、是非そんな梅の香りや紅葉を心に描きながら、再読してみていただければと思います。

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【紅扇に乗せた梅の花】
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』第二巻p.124より
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矢頭右衛門七の恋
(やとうえもしちのこい)
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十二月十四日といえば、赤穂浪士討ち入りの日です。
赤穂浪士の物語というのは、本編(浅野内匠頭と吉良上野介の確執、切腹から討ち入りまで)のお話だけではなくて、四十七士その他の登場人物のひとりひとりに、それぞれの細かなエピソードがたくさん残されています。
ここまでくると、もうどれが実話で、どれが脚色なのか、さっぱり分かりません。
それらのエピソードの中でも、私が特に好きなのが、「矢頭右衛門七(やとうえもしち)」のお話です。

矢頭右衛門七は、討ち入りのときわずか十七歳でした。大石主税(内蔵助の息子)につぐ若さです。
当時は「数え年」ですから、いまでいったら十六歳。
それも栄養事情がいまよりはるかに悪かった時代ですから、見た目はいまの十三、四歳くらいだったかもしれません。

それでもやはり武士は武士です。
はじめ大石内蔵助は、右衛門七(えもしち)を同志に加えることを、あまりに若いからと許さなかったそうです。
しかし同志に加えなければ切腹もしかねないという右衛門七の真剣な姿に、内蔵助もついに折れ、父、矢頭長助の代わりとして同志に加えています。
この右衛門七ですが、討ち入り後に「赤穂浪士には女が交じっている」と噂されたほどの美男子であったといわれています。

さて、時は元禄十五(一七〇二)年の秋のことです。上京した右衛門七は、大石瀬左衛門とともに浅草の花川戸の裏店に住んでいました。
近くには浅草山の聖天宮があります。
ここは紅葉の名所です。
まだまだ隅田川の水も、透明できれいだった頃のことです。
透き通った青空に、ぽっかり浮かんだ白雲のもと、隅田の川面に浅草山の真っ赤に燃えた紅葉が、見事に映えていました。

そんなある日のこと。
右衛門七が、ひとり紅葉見物に歩いていると、浅草山の崖の上から、紅色の扇子が落ちてきました。
「はて?紅葉のように美しい扇子だが、誰が落としたものか・・・」

右衛門七は落ちてきた扇子を拾い、持ち主に届けようと坂道を登りました。
すると、そこに同じくらいの年頃の、美しい少女がいました。時は元禄の世、まさに日本中が好景気にわいた頃です。その少女は実に美しい着物を着ていました。

右衛門七が、「もしやこの扇子は、あなたのものでは?」と声をかけると、その少女は顔を真っ赤にして、
「よけいなことをしないで!」と、走り去ってしまいます。
近くにいた町方のおじさんが、右衛門七に声をかけます。
「そこなお武家さん、野暮なことをしちゃぁ、いけませんよ。これは紅葉供養っていってね、年頃の娘さんが、良い人(夫)が見つかりますようにって、願いをこめて、ここから下の紅葉の中に紅扇を捨てるんでさあ。それを拾うってなぁ、雰囲気ぶちこわし、ってことですよ」

知らなかったとはいえ、ささやかな乙女の願いを邪魔してしまったことを深く恥じた右衛門七は、こんど少女を見かけたら、ひとこと謝ろうと、何日か浅草山に出向きました。

二、三日たったある日、右衛門七は、ようやく少女を見つけました。
少女は、紅葉の枝を取ろうと、背伸びをして手を伸ばしていました。
「おどきなさい。私がとってあげよう」
抜く手も見せぬ早業で剣を抜き、一瞬で枝を切り落として剣をパチリと鞘におさめた右衛門七に、少女は目をまるくして言いました。
「まぁ、なんということをっ!私は願い事を書いた短冊を、枝に結び付けようとしていたのです!それを切り落とすなんて!」

田舎から出てきたばかりの武骨者の右衛門七には、花のお江戸の若い女性の習慣など、知るすべもありません。親切にと思ったことが、またまた裏目に出てしまいました。
よかれと思って女性にしたことが、ひんしゅくをかい、「デリカシーがない」と叱られてしまう。
こういうの、なんだかすごくよく分かる気がします。

─────────
捨てた命と恋心
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それから何日かたったある日、右衛門七が川べりを歩いていると、そこにたたずんでいる少女がいました。
あの少女です。
見ると川面には、なにやら荷物のようなものがプカリプカリと浮いています。
『こんどは間違っちゃイケナイ』と思った右衛門七。行動を起こす前に、ちょっと慎重になって、先に声をかけました。
「何を流しておいでなのですか?これも何かの風習でしょうか?」
すると少女は、
「ちがうのよ。大事なお届けもののお荷物を川に落としてしまったの。お願い、拾って!」
「ええっ!」

びっくりした右衛門七は、おもわず初冬の隅田川に飛び込んでしまったそうです。
荷物は無事に拾い上げたけれど、全身、水浸し。
「さ、寒い!」
こうなったら、もはや走るしか体を温める方法はないとばかり、右衛門七は近くにあったゴザで身を覆うと、後ろで何か叫んでいる少女を差し置いて、いちもくさんに家に向かって駆けだしました。

この少女は、浅草駒形の茶問屋、喜千屋嘉兵衛の娘で、お千という名でした。
茶問屋さんというのは、江戸時代、どこも大店(大金持ち)です。
いくら若い男女のこととはいえ、娘がお武家さまを、冬の川に飛び込ませたとあっては一大事です。

親御さんは、とにかくお礼をしなくてはと、家にあった反物を使って、お千にお侍さんの着物を縫わせました。
何日もかけて、ようやく右衛門七の住まいを見つけた家の者は、右衛門七をお千の家に招待しました。
そしてお千が縫った着物を右衛門七に渡そうとしたのです。

けれど右衛門七は、
「そのようなお気づかいは、ご無用に」と、受け取りません。
「せっかく心をこめて縫ったのに、受け取らないなんて!」
お千は泣いて、奥に引っ込んでしまいます。

そこに、ばあやが出てきます。聞けばお千は不治の病で、もういくばくの命もないそうです。
そしてお千の家の茶問屋では、宇治茶を「吉良家」にしばしば届けているといいます。

「これは!」
吉良家の動静を知るうえで、重要な手掛かりになるかもしれません。
右衛門七は、お千の縫った着物を受け取り、またの来訪を約束しました。

若い二人です。
美しい大店の娘と、女と見まごうほどの色男の右衛門七です。
二人には恋心が芽生えます。
しかし右衛門七は、討ち入りしたら死ぬ身です。

「いくらお千さんのことが好きでも、私は彼女を幸せにすることはできない。そうと分かっていながら、お千さんの家が吉良家に出入りしていると知って、私はお千さんに近づいている。お千さんを利用しようとしている。こんなことをしていいのだろうか......」
しかし、お千の命は、聞けばあと半年という。

「お千さんも私も、長くはない命。せめてその短い間だけでも......」
「いや、しかし......」
右衛門七の心は、千々に乱れます。
「それでも、会いたい。無性に......」

─────────
無言の再会と永遠の別れ
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十二月十四日、朝からしんしんと雪が降る日、屋敷にいた右衛門七のもとに、お千がやって来きました。ひどい高熱でした。お千は右衛門七に告げます。
「今夜、吉良家で茶会が開かれます。吉良様もご在宅です」

右衛門七は高熱に冒されているお千を、籠屋を呼んで家に帰すと、すぐさま討ち入りの仲間に、「今夜」と報告をしました。
もともと体の弱かったお千は、雪の中を無理をして走ったことがたたって、床に伏せてしまいます。

そして、討ち入り。
翌朝、お千のばあやが血相を変えて、お千の部屋に飛び込んできます。
「今朝早くに、深川へお茶を届けに行くと、たいへんな騒ぎで、なんでも赤穂の浪士が吉良邸に討ち入ったとか!」そこへ引き揚げの赤穂の浪士がやって来たというのです。

「右衛門七さまも、いましたか?」
「いましたよ、いましたとも!」
ばあやを見つけた右衛門七は、隊列を抜け、ひとこと告げました。
「ばあや、昨夜はお千さんのもとにお見舞いに行けませんでした。お千さんに、すまぬと、お詫びしてください。すまぬとひとこと」

討ち入りのあと、赤穂の浪士たちは、細川、松平、毛利、水野の四家に、別々に預けられました。
矢頭右衛門七は、水野家にお預けです。

年が明け、梅の花が咲く季節となりました。ようやく床から起き上がれるようになったお千は、水野家を訪ねました。
けれど右衛門七は罪人ですから、面会謝絶です。

水野家では追い返そうとしたけれど、見ればお千は、病いで苦しそうな様子です。
たまたまその様子を目にした水野のお殿様は、お千に、
「梅が見たいのなら、小庭をまわって、見られたらよかろう」と話しました。
「えっ」
「ただし、けっしてお声をお出しなさるな。梅を見るだけじゃ」

(きっとそうだわ!右衛門七さまに会わせてくださるんだわ!)お千は、涙を流します。
一緒にいたばあやは、あの勝気だったお千が、こんなにもいじらしくと、これもまた涙を流します。

水野のお殿様は、その足で浪士たちがいる部屋に向かいました。
そして右衛門七を見つけて言います。
「矢頭殿、庭に梅が咲いております。庭へ下りてご覧になったら、いかがかと」
「はて?ここからでも、梅は見えますが......」
「そういわずと、さぁさぁ、庭にお出なされ。ただし、どんなに美しくても、決して声は出してはなりませぬぞ」
おかしなことを言う老人だと思いながらも、右衛門七は、水野の勧めにしたがって、庭に出ました。
すると、庭の境の垣根の向こうに、お千の姿が!

二人は互いの目と目を、じっと見つめ合いました。
しかし声を出すことは禁じられています。

(右衛門七さま、たったひとことでいい。いつわりの恋ではなかったと、お聞きしたかった)
(お千さん、あなたへの気持ちは真実だと、伝えたかった)
二人は声に出さずに目だけで、そう会話します。

右衛門七は、懐から紅扇を取り出しました。
そうです。それは最初に二人が出会ったときに、お千が投げたあの扇子です。
右衛門七は梅の小枝を一枝手折ると、その小枝を紅扇に乗せて庭の小川に流します。
扇子はゆっくりと、お千のもとへと流れつきます。

ひとことも語ることは許されませんでした。
けれど、何も語る必要はありませんでした。
二人の心と心が、百万の言葉を費やすより雄弁に、強く互いの心を知りあてていたのです。
そして紅扇に乗せた梅の花が、すべてを伝えてくれました。

間もなく右衛門七は水野の家人から、お千の死を知らされました。
「お千殿は、おそらく右衛門七殿の心を知りたくて、弱り切った体で無理をしてやって来られたのであろう」ということでした。

元禄十六(一七〇三)年二月四日、赤穂四十七士に、切腹のお沙汰が下りました。
水野邸においては、右衛門七が、先んじて短い命を絶ちました。
矢頭右衛門七切腹。介錯人杉源助。享年十八。


─────────
物語から学ぶ日本人の美徳
─────────

矢頭右衛門七というのは、母と三人の妹の世話で苦労したことでも有名です。
父は赤穂藩家臣の勘定方、矢頭長助。母は姫路松平家の家臣の娘です。

元禄十四(一七〇一)年三月の浅野内匠頭の殿中松の廊下での刃傷のあと、四月十九日には、早々と赤穂城が開城され、引き渡しになっていますが、このとき、大石内蔵助のもとで、藩の財務の残務処理を最後まで行ったのが、右衛門七の父の長助です。
心労がたたった長助は、その後寝たきりとなり、元禄十五年八月十五日に病死してしまいました。

右衛門七は義挙に加わるため、母の実家、松平家が転封されていた奥州白河藩に、母と妹たちを預けようとしました。
しかし旅慣れていないせいか静岡の新居関所で女手形がないため通ることができず、やむなく大阪へ引き返しています。

そして同年九月には、討ち入りのために上京し、翌元禄十六年に切腹しています。
母と妹三人は、浪士らの義挙の後、その苦労が世間の知るところとなり、奥州白河藩へ行くことを許されています。
そして妹三人は、それぞれ松平家の家臣の家に嫁ぎ、母もその地で暮らしました。

お千という女性は創作で、水野家にやって来て対面したのは右衛門七の妹であり、母の縫った襦袢を持ってきたときのエピソードだという話もあります。
どれが本当の話かは分かりません。
けれど、恋に不器用な男子が、忠義か恋かの板挟みで悩み、そして見事、討ち入りを果たし、恋の一念も貫く。水野のお殿様の配慮で、再会したときも、ちゃんと約束事を守って言葉を交わさない。
そのルールを遵守しようとする日本人の気質。
そうしたいろいろな要素が、この右衛門七とお千の物語には入っているように思います。

ちなみに、右衛門七は、『東海道四谷怪談』にも登場します。
お岩さんにひどいことをした民谷伊右衛門(たみやいえもん)を、ラストシーンでバッサリ切って一件落着させるお岩さんの妹の旦那、佐藤与茂七が、矢頭右衛門七をモデルにしたキャラクターです。

この物語は、いわゆる「歴史」からは外れているかもしれません。
しかし、とても大切なこを教えてくれています。
吉野山で義経が女人禁制を守って静御前と別れたり、右衛門七が約束を守ってお千と言葉を交わさなかったりするのは、「お天道様が見ている」からです。
誰もいないところでも、ちゃんと約束を守る......そういう社会が、あるいはそういう気質が、日本人の原点にあります。

騙す人と騙される人がいたとき、「騙すほうが悪い」と考えるのが私たち日本人です。
けれど世界には、「騙されるほうが悪い、騙されるのは馬鹿だからだ」と考える国や民族もいます。
ただ思うに、「騙すほうが悪い」とする文化こそ、世界の多くの民衆が切望する世の中といえるのではないでしょうか。

私たち日本人は、古い昔から、約束事や決まりを大切にし、それをキチンと守る文化を育んできました。
それはとても大切で、守っていくべき日本の美徳ではないかと思います。

■□■━━━━━━━━━━━━━■□■

『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』は、こうした歴史上にある様々なエピソードから、日本人の心を取り戻すたすけになればと書かれた本です。
とくに「第二巻」は、今日ご紹介した物語の他に、日本アニメと対等意識、 縄文クッキーと和菓子、小野小町、額田王、静御前、清少納言、松崎慊堂、中山成彬ご夫妻、シラスとウシハクなど、さまざまな物語をご紹介しています。
できれば、中学生、高校生くらいの若者たちに、男女を問わず読んでいただきたいと思う本です。

明日は、同じく赤穂浪士外伝から、「天野屋利兵衛」をお届けします。

いやあ、日本て本当に良いですね。
(↑水野晴郎風に・・・フルイカw)


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右衛門七討入り(舟木一夫) 歌:青春太郎




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コメント

junn

No title

えっちゃん

No title
今日もありがとうございます。

「いやあ、日本って本当に良いですね」に同感です。

前に読んだ記憶がありますが、やはり涙しました。情景が浮かび、人情が感じられ。。講談師がお話されるのも素敵でしょうねえ。。。

junn

No title
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20091201/1259623696革命ロシアもスウェーデンも失敗した!夫婦別姓

 


http://ameblo.jp/konichiwa/entry-10732952305.html夫婦別姓で日本は一夫多妻制の不倫大国に?

てっさん

No title
蔵之助が切腹のときに吉良家は断絶となったと聞いて泣いたというお話も好きです
お天道様がみているという観点は神道によるものなのですかねえ?
先祖信仰→魂の概念→誇り なのかしら。

今朝暦において面白い記事をみました
グレゴリオ暦と一致か 下呂市の金山巨石群
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20151212/201512120929_26303.shtml

お時間があれば是非みてみてください
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
電話:080-4358-3739
出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
『ねずさんと語る古事記 壱〜序文、創生の神々、伊耶那岐と伊耶那美』
『ねずさんと語る古事記・弐〜天照大御神と須佐之男命、八俣遠呂智、大国主神』
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