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昨日、赤穂浪士外伝から「矢頭右衛門七」をご紹介しましたので、今日は同じく外伝から天野屋利兵衛をご紹介してみようと思います。
上にある絵は、面白いので貼ってみたのですが(クリックすると掲載ページに飛びます)、同じ役柄でも、演じるのが丹波哲郎と、藤田まことでは、ずいぶんと雰囲気が違うものだと、あらためて納得してしまいます。
実は天野屋利兵衛のお話は、ねずブロでの登場はこれが初になりますが、倭塾では昨年、講談でこれをやっています。
そのときも、上の絵を用いて、ご来場いただいたみなさまに、講談からすこし補足をさせていただきました。
天野屋というのは、大阪で、代々続いた回船問屋の大店(おおだな)です。
熊本の細川家や、岡山の池田家などにも出入りしていたそうです。
また、大阪商人の寄り合いでは、北組惣年寄にもなっていたくらいですから、かなり商売も順調だったのでしょう。
ところが五代目利兵衛のときに大きな海難事故があって、店が傾いてしまいます。
そのときに助けてくれたのが、「赤穂塩」で藩の財政を立て直した播州赤穂藩でした。
このときから天野屋は「赤穂塩」の販売をいってに手掛けるようになり、家業を再興しています。
ところが元禄13年に、赤穂のお殿様が江戸城の殿中で刃傷沙汰を起こし、赤穂藩はお取り潰しになってしまったわけです。
これはある意味、天野屋からしてみれば、たいへん困る事件だったわけです。
ところがそんな天野屋のもとに、ある日、元赤穂藩の家老だった大石内蔵助がやってきます。
そして、
「内密で刀身が短く身幅の広い刀を50本ばかり用意してもらえぬか」と言うのです。
「もしかすると」と察しはついていましたが、これはたいへんな事態です。
「刀身が短く身幅の広い刀」というのは、屋内用の戦いのための刀です。しかも乱戦で相手の人数が多いことを想定したときに用いる刀です。
屋内では、屋根が低いので、普通の長さの大刀では、上段からの打ち込みができません。だから刀身を短くする必要があります。
「身幅が広い」というのは、乱戦で刀と刀が打ち合ったときに、折れない、曲がらないようにするための刀です。
つまり内蔵助は、明らかに吉良邸討ち入りを前提とした刀を求めにやってきたのです。
時は元禄、5代将軍綱吉の治世です。
この時代、有名なものに「生類憐れみの令」があります。
天下の悪法といわれ、綱吉は「犬公方」とアダ名されたりもしていますが、実はこの「生類憐れみの令」は、犬だけを殺すなといっているのではありません。
犬さえも殺してはならないのですから、なおのこと、人が人を殺すことは御法度、というのがこの令の趣旨です。
武士は刀を持ちます。
町人でも、ヤクザ者などは長脇差を腰に付けます。
刃物を持っていて喧嘩になれば、それが抜かれるし使われます。
けれど刀は武士の魂です。
民百姓から侮られないためにも、刀は必要です。
けれど、刃傷沙汰は、仇討も含めて御禁制としたい。
それが「生類憐れみの令」となっています。
もちろん綱吉の孝行などがきっかけのひとつになったこともあったでしょうけれど、この生類憐れみの令は、その後も幕末までに百回以上に渡って御触れが出されています。
学校でも綱吉がアホの犬公方と教える教科書があるそうですが、もしそうなら、以後の将軍全員もアホということになってしまいます。
ありえない解釈だと思います。
そういうわけで綱吉の時代というのは仇討などもってのほかです。
堀部安兵衛の高田馬場の決闘なども有名なものではありますが、仇討が御禁制となって、他にする人がいなくなったから、あの事件が際立ったのです。
まして、集団で主君の仇討など、絶対に認められないというのが幕府の立場です。
そして「明察功過」が治世の要とされた時代です。
もし赤穂の浪士たちの討入が実際に行われれば、該当する奉行は自身が腹を切らなければならなくなります。
だからこそ幕府の奉行たちは、赤穂の浪士たちの決起を、なんとしてでも防ごうとしていたのです。
こうした時代背景のなかにあって、天野屋利兵衛が赤穂の浪士たちの武器の調達を手伝ったとなれば、共犯者として処罰は免れないのです。
代々続いた天野屋も、自分の代が最後になってしまうかもしれない。
しかしそんな立場にある利兵衛の目の前で、赤穂藩の元家老が頭を下げているのです。
しかも、この天野屋利兵衛を男と見込んで秘事を打ち明けてくれている。
考えた末、天野屋利兵衛は、内蔵助の依頼を承諾しました。
利兵衛は、取扱商品の中から、まず最高の鉄を探しました。
調べてみると、岡山県の最北端にある西粟倉の若杉村のハガネが上質です。
刀鍛冶職人も探しました。
秘密が守れて、若杉村に長逗留できる職人となると限られます。
ようやく3人の刀鍛冶職人の手配をつけました。
さらにできあがった刀を研ぐのに用いる磨草に、播州徳久の庄から、大量の磨草を求めました。
ヤスリも植物性のものが最良だからです。
そして利兵衛は、湯治と称して刀鍛冶を連れて、若杉村に入りました。
自ら刀つくりの監督をしたのです。
こうして刀作りに励む利兵衛ですが、あまり若杉村にばかりもいられません。
彼は、大阪の店に戻っては、また湯治と称してでかけていきました。
利兵衛があまり頻繁に湯治に出かけるため、ある日、妻のおかよが「何処の湯治場へ行かれるのですか」と尋ねました。
これが上杉家の密偵に洩れます。
密偵は但馬の若杉村まで行って、その事実を確認しました。
けれど「武器製造の噂は嘘であった」と上杉のお殿様に報告しています。
このため利兵衛が無事武器を造りおおせたという話も残されています。
元禄15年7月、ようやく刀ができあがりました。
問題は、その刀をどうやって運ぶかです。
彼は、刀をこの地の産物である山芋に見立て、ススキ(茅)で編んだ包にこれを入れて浪速まで運搬しました。
おかげで、いまも西粟倉村のあたりは、別名で「大茅」と呼ばれます。
利兵衛は、山道の間道を選びながら海へ出て、海路で江戸まで刀を運びました。
それは西粟倉村から224里、約900kmの旅でした。
ところが無事に内蔵助に刀を届けた利兵衛は、浪速に戻ると大阪西町奉行に逮捕されてしまうのです。
容疑は、大量の武器の受注です。
奉行所では、注文主の名を白状せよと、天野屋利兵衛に再三の拷問を加えました。
肉が破け、骨が折れ、血だらけになってげっそりやつれ姿になっても、天野屋利兵衛は吐きません。
ついに奉行所は、利兵衛の子の芳松を捕らえてきて、利兵衛の目の前で芳松を火責めの拷問にかけると言い渡しました。
真っ赤に焼けた鉄板の上を、年端もいかない芳松に裸足で渡らせるというのです。
我が子が火攻めにかけられる!
目の前で可愛い我が子が恐怖に怯えています。
利兵衛は息子に言いました。
「芳松!、笑ってその鉄板(てついた)を渡っておくれ。私も死んで一緒に死出の旅では、おまえの手をひいてあげるから!」
「ええい、まだ言うか!」と声を荒げる役人に、天野屋利兵衛は言いました。
これがこの物語の「決め」のセリフです。
「町人なれども天野屋利兵衛、
思い見込んで頼むぞと、
頼まれましたお方様には
義理の二字がございます。
たとえ妻子がどのような
火責め水責めに合うとても、
これで白状したのでは
頼まれました甲斐がない。
天野屋利兵衛は、男でござる!」
これ、次回(26日)の倭塾でやりますね^^
そこに利兵衛の離縁した女房のおかよがひったてられてきました。
利兵衛は、自分の変わり果てた姿を見たり拷問にかけられそうになっている息子を見たら、きっと女房が余計なことを喋るにちがいないと踏み、
「この女は発狂しておりまする。だから離縁したのでございます」とうろたえました。
予想どおり、状況を見かねたおかよが、これまでの浅野家と夫の関係をペラペラと喋ります。
ところがこれを聞いていた大阪西町奉行は、次第におかよが語る利兵衛の姿に心を打たれるのです。
そして核心に触れそうになったところで、奉行自身が、
「おかよと申すその方、利兵衛の申す通り、お前はすでに気が違ごうておる。何を言っているのかまるでわからぬ。取り調べはこれにて終わりに致す」と折れてくれたのです。
そして討ち入りの後、奉行は「取り調べれば忠義の邪魔」と、利兵衛を釈放します。
利兵衛は、家督を芳松に譲り、76歳でこの世を去りました。
ちなみに大石内蔵助は、利兵衛から武器を受け取った際、涙を流しながら一片の色紙を贈ったそうです。
そこには、次のようにかいてありました。
「町人ながらも義に強く、
意地を通じて侠気(おとこぎ)の
武士も及ばぬ魂は
亀鑑(きかん)と代々に照返す」
亀鑑(きかん)というのは、人のおこないの手本や模範を意味する言葉です。
「天野屋利兵衛は男でござる!」
日本人が取戻べき精神性の雄々しさが、ここにあります。
と、話はここで終わりなのですが、ほんのちょっとだけ、余計なことを書いておきます。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、幕閣内でもそれが義挙なのか、仇討禁止の御法度を破った天下の大罪人なのか、たいへんな議論になりました。
これを大規模な殺人事件とすれば、事件の発生を未然に防ぐことができなかった関連部門の責任者は、全員切腹です。
武家の社会というのはそういうものです。
このことは、何度もこのブログでご紹介していることですが、川崎の中1児童殺害事件のようなものが起きれば、川崎の町奉行は切腹なのです。
なぜなら明察功過によって「事件を未然に防ぐ」のが奉行の役割です。
そのためにあらゆる権限が与えられています。
にも関わらず事件が起きてしまったのなら、その責任をとって切腹するのがあたりまえです。
責任と権限は両立するものだからです。
ところが赤穂浪士の義挙は、町方の殺人事件とは異なり、武士によって起こされた主君の仇討です。
ということは、この問題に関する最高責任者は、武家の治安を預かる者ということになります。
ということは、責任をとって切腹しなければならないのは、誰でしょうか。
だから幕府内で問題になったのです。
御法度破りの殺人事件とすれば、将軍や年寄、目付けの責任問題になるのです。
責任者は全員切腹という事態になります。
けれど、これを主君の仇を討った義挙とすれば、むしろ事前に事件の発生を意図して見逃したことが正義となります。
この場合、浪士たちに、あくまで事件として切腹をさせるのか、義挙として称えるのかが問題になりますが、称えてしまえば、以後、同種の事件が頻発することになりますから、これはできません。
結果、義挙でありながら、討入の実行犯は切腹という政治判断になっています。
そしてその結果討入犯人たちは命を失いますが、義挙をしいさぎよく切腹をした英雄となって名を残し、その家族等の再就職も容易になります。
そして、目付けや奉行、ひいては将軍が事件の責任を取る必要がなくなるのです。
この知恵を出したのは新井白石と言われていますが、実に見事な采配であったと思います。
PS:
今日のねずブロ記事、主題は天野屋利兵衛であり、もちろん「天野屋利兵衛は男にござる」が最大のテーマです。
けれど、サブテーマとして書いた「赤穂浪士や天野屋利兵衛の処罰を明察功過の観点から説いた」のは、おそらく本邦初であろうと思います。
でなければ、将軍や目付けの責任問題になるし、大坂町奉行もやはり責任問題です。武家ですから、責任を果たすには切腹以外ありません。
ところが浪士たちが義挙ということになれば、話は違ってきます。
だから実行犯である浪士たちの切腹は止むを得ないにせよ、それ以外の治安の責任者たちは「お咎めなし」となったのです。
そしてそういう目で見ると、大坂町奉行が利兵衛を釈放した理由もあきらかになろうかと思います。

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http://www.mag2.com/m/0001335031.html三橋美智也 天野屋利兵衛は男でござる
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コメント
通りすがり
お話、物語であっても、そういうものを生み出し、受け入れようとしてきた日本人というものへの愛情をねずさんは書いているのです。
余計なご意見と思いますよ。
2015/12/18 URL 編集
伊勢新九郎
お話しとして私も大好きですが、史実ではありませんので、ブログでは明確に創作であると記載していただきたいと思います。
うそが真実のようになってしまう。これが一番怖いのです。
2015/12/18 URL 編集
Miki
そうそう、私も生類憐みの令のことは薄ら笑いの対象という印象だったように覚えています。
日本史の教科書でも習いましたがその他の読み物でもそんな感じだったような。
ところで上杉家の密偵は何故本当の事を報告しなかったのでしょうか?
やはり利兵衛の男気に惚れたからでしょうか。
日本人の采配というのは、あちらもこちらも慮り無駄に潰さないような賢明さに満ち満ちているようですね。
2015/12/17 URL 編集
菊
さて、読売新聞で考古学の大塚初重先生の連載が載っていて興味深く読んでいます。
戦争で生き残り(蜘蛛の糸のような悲惨な経験では今も心を傷めておいでなのがわかります)、大学に入り考古学を中心に日本の古墳の発掘調査の黎明期を過ごした方みたいです。
今日の記事も楽しみに読んでいたのですが、文末にさらっと「学生運動の赤ヘルたちは熱が覚めるとみんな都道府県教育委に入って行きました」とあり、歴史の証人はすごいなと思いました。ちなみに会場の一階に過激派、二階三階は普通の学生だったとも。
道は誤らないで欲しいものです。
2015/12/17 URL 編集
やまとびと
暴力で相手の意思を捻じ曲げようなどと
金で相手の意思を捻じ曲げようなどと
世の中にはその様な人達が跳梁跋扈しています。
今日は、素晴らしいお話しを伺いました。
深い感慨に浸っております。
真に、天野屋利兵衛は男にござる。 ですね。
2015/12/17 URL 編集
えっちゃん
今風に言うと「カッケー」です。
男の美学しかと受け止めました。
今、いるかしら?
2015/12/17 URL 編集
junn
2015/12/17 URL 編集