県産品振興課によると、冒頭の「つ」で始まる句に対する1件の苦情は12月14日にあった。
「よいイメージを持たない人もいるのではないか」という趣旨で、具体的に何が問題なのか指摘はなかった。
県としては「さまざまな意見がある」と受け止め、12月15日からの販売をいったん中止。
文言の修正を行うかを含めて、選考委らと再検討する。
販売再開については「できるだけ早く結論を出す」(担当者)という。
しかし、この県の決定には、疑問の声が多く出た。ツイッターなどネットには
「え、どこがアウトなの?」
「何でもかんでも悪いイメージに結びつけすぎだろ」
「一応、褒め言葉じゃないの?」
という投稿があふれた。県に対しても電話で「何が問題なのか」という問い合わせが複数あったという。
10月にはイメージガールめぐりトラブル
香川県では、県産米「おいでまい」のイメージガール募集をめぐるトラブルが2015年10月にあったばかりだ。
「フレッシュで透明感があり、色白でスタイルの良い方」などとする文言が不適切だとして、ポスターやチラシが修正に追い込まれた。
「これ、おいでまいに苦情入れた人と同一人物(団体?)じゃないの?」という書き込みもネットにある。
さらに、「うどんかるた」騒動が、全く違うところに飛び火するのではないかという懸念も広がった。
毒気たっぷりのユーモアで人気がある漫談家の綾小路きみまろさんやサラリーマン川柳について、
「これダメだったら綾小路きみまろ失職じゃないですか」
「これがダメなら、サラリーマン川柳も自粛しそうだなー」
と心配する声が上がっている。*******
綾小路きみまろさんは私はファンなので、きみまろ失職というのは困ります(笑)
文中にある「おいでまい」のトラブルというのは、概略次のようなものです。
「おいでまい」というのは、讃岐の方言で「いらっしゃいませ」のことです。
その「まい=米」にひっかけて、香川県の産のおいしいお米に「おいでまい」という名前を付け、これを県として大々的に売りだそうとした際に、イメージガールの募集をしました。
この募集の際に、ポスターに、県が
「フレッシュで透明感があり
色白でスタイルの良い方を募集!」
と書いたことが、苦情になったというものです。
「色白でスタイルの良い方」というのが、女性蔑視、女性差別にあたる、というのです。
結局県は、このポスターを回収し、あらためて「フレッシュで透明感のある男女」として募集をしました。
この問題が起きたのが今年の10月のことで、その熱の冷めやらぬ間に、こんどは「うどんかるた」で、再び、
「色白太目 まるで妻」とやったことが問題となり、県が「かるた」を回収したというわけです。
さて、こうしたニュースでいつも問題になるのが、いわゆる「言葉狩り」ですが、上にあげた
(1) お米のポスター「色白でスタイルの良い方」
(2) うどんかるた 「色白太目 まるで妻」
の2つの事例で、私も(1)は、よろしくないと思います。
けれど(2)は、問題にすべきことではないと思います。
理由は、
「言葉をどのように受け止めるかは、それぞれの判断」
「言葉狩りは左翼の常套手段」
とった意味で申し上げているのではありません。
まず、(1)については、どの程度が色白で、どういうものをスタイルが良いというのかという定義がそもそもできないわけですから、本来お米と同じイメージで「フレッシュで透明感がある方」にとどめておけばよかった話で、県として定義のつけようのない「色白でスタイルの良い方」と書いたことは、これは行き過ぎです。
そういうことは、応募する側が不問律で「察すれば」良いことであって、いちいち説明するようなことではないと思うからです。
けれど(2)は、問題ないと思います。
個人的には、「色白太目」ということは、長年連れ添った妻が、屋内で生活できていて、しかも豊かに暮らしているから色白太目なのであって、これは亭主の甲斐性というものであると思いますが、これはあくまでも個人的感想です。
問題ないと思う理由は、まったく別なところにあります。
そもそもこうしたいわゆる「言葉狩り」は、日本的な「察する文化」の否定にはじまっています。
そもそも物事は、立体的な構造をしているし、時間の推移もあるし、それを「言葉」という一次元の文字のつらなりで表現しようとすれば、そこにはおのずと無理が生じるのです。
早い話が、たとえば自宅から通勤のために会社まで行く、それだけのことでも、途中でコンビニに寄ったろう、とか、払込用紙を忘れてしまったとか、電車で隣り合わせたおじさんが二日酔いらしくて朝から酒臭かったとか、そこにはいろいろなドラマが展開されているわけです。
当然、そこには、「自宅を出ました、会社に着きました」のひとことでは、伝えきれないものがたくさんあるわけです。
毒蝮三太夫さんが、ラジオの番組の公開収録で、スーパーの前にいるおばちゃんをつかまえて、
「横断歩道みたいな顔しやがってこのババア!」
という場合も、それを聞いた、その場に集まっているおばちゃんたち、ラジオを聴いているみなさんが、そんな毒蝮三太夫さんの言葉の中に、
「おばあちゃん、元気でいろよ!長生きしろよ!」といった、毒蝮さんのやさしさと愛情が言葉に乗せられているから、誰もがそれを聞いて微笑むのです。
「お前なんか嫌いだよ!」と口では言いつつも、もう好きで好きでたまらない気持ちがそこに乗る。
そういう言葉では伝えきれない思いや、むしろ逆のことを言うことで、深い想いを伝える。
なるほど言葉にしていることは「お前なんか嫌いだよ」です。
けれどそう言っている人の心は、そのお相手が好きで好きでたまらないのです。
大好きだから、「おまえなんか!」と言っているのです。
言われた側も「察する文化」を持っているから、決して悪い気はしない。
そもそも「好き」という感情は、言葉にできるようなものではない、というのは、おわかりいただけるのではないかと思います。
言葉にしきれない思いがある。
だから、反対のことを言ったりする。
そしてそれがちゃんと相手にも伝わる。
言葉では語り尽くせない心を、日本人はこうして「察する」ことで互いを理解し合おうとしてきたわけです。
そしてそのことは、たいへんに高度な文化性といえようかと思います。
なぜならそれは、何千年も、あるいはもしかしたら何万年も前から築き上げてきた日本の文化だからです。
ところが「日本に住んでいて日本人のような顔つきをしていて日本語を話すけれど、日本人でない人」には、日本語をしゃべっているようにみえて、実は、こうした日本的文化性がわかりません。
わからないから、言葉の上っ面だけを見て、相手を叩くことに利用しようとします。
なぜなら彼らの文化は、どんなときでも「相手の上に立つこと」しかないからです。
彼らには、相手の心中を「察する」なんていう文化が、もともとないのです。
なぜなら「察して」いたら、虐殺も収奪もできないからです。
自分だけの利得のために、奪えるものは何でも奪う。
そこに情なんて言うものは介在しません。
「竹林遥か遠く」とか、「和夫一家殺害事件」などに代表されますが、終戦後、内地に引き上げようとしていた日本人は、満洲や朝鮮半島等において、ものすごく残虐な目に遭わされました。
略奪強姦はあたりまえ。最後には、殺されて食われてしまうわけですから、およそ人間としてさえも扱われなかったわけです。
これは先日行われた宮脇淳子先生のご講義で、私も学ばせていただいたことですが、このような終戦時の朝鮮人等による残虐な行為を見ると、日本人はすぐに、「日本人は精一杯彼らに良くしてあげてきたのに、本当はそんなに嫌われていたのだろうか」と自問してしまいます。
大きな間違いです。
まったくもってそうではないのです。
彼らは、それが民族性なのです。
日本人は、受けた恩義には恩義で報いようとします。
物質的な恩義に物質でご恩返しができないなら、それなりに誠実をもってお返しする。
そうすることで貸し借りなしの対等な関係にしていく。
それが日本人の日本人たる美意識であり価値観です。
これは、たいへん気高い精神性ということができます。
けれど、支那朝鮮には、そうした精神性は、歴史上も、伝統上も、文化性のうえからも、まったくないのです。
彼らにあるのは、「強いか弱いか」だけです。
「日本人に良くしてもらった、
日本人に助けてもらった」
とはまったく考えないのです。
そうではなくて、
「その頃は日本人が強かったから、言うことを聞いた。
いまは日本人が弱くなったから、
足蹴にして身ぐるみ剥いで強姦して殺して食べた」
というだけなのです。
そしてそれが悪いこととも思わない。
弱い者は蹂躙されてあたりまえ、というのが、彼らの思考です。
その一方で、自分たちは常に被害者を装います。
なぜかといえば、被害者を装えば、日本政府がお金をくれるからです。
加害者を装ったらお金が貰えるようになるのなら、彼らは加害者を装います。
それだけのことです。
日本人に世話になったとか、恩義があるとか、そういう論理性、倫理性、道徳性は皆無なのです。
ただ、いま、この瞬間に、人よりも優位に立てるかどうか。
いまこの瞬間に、欲しいものを手に入れられるかどうか。
そこに仁義だとか、感謝だとか、筋目だとか、そういうものはまったくありません。
その意味では、犬でさえも3日飼ったら飼い主のことを忘れないといいますが、彼らは犬以下です。
もちろん個体差はあります。
良い人、日本人的な仁義や筋目や感謝の心を持った人もたくさんいます。
けれどそれは数の大小の問題ではないのです。
そういうケモノ(あえてケモノと呼ばせていただきます)、もしくは人間の持つ獣性を、社会として抑えることができるような社会性が確立されている民族なのかどうかが問題なのです。
ケモノは、日本人にもいます。
アメリカ人にもいる。
ケモノは世界中のどこの国にも、どんな民族の中にもいます。
けれど、どんな社会においても、人間のもつそういう獣性を、いかに抑えるかということで社会を築き上げてきています。
抑える方法は、宗教であったり、道徳であったり、神話であったり、家庭教育であったり、部族長の薫陶であったり、それこそ国や民族によって千差万別です。
けれど、世界中のほとんどの民族は、そうした人間の持つ獣性をいかに抑えこむか。
そのために多くの血を流しながら、自分たちで自分たちの社会を築いてきたという歴史を持っています。
ところが、支那、韓国には、それがないのです。
支那の場合、紀元前の秦の始皇帝以来、前漢の僅かな時代を除いては、ずっと外来の収奪王朝の支配でした。
支配王朝は、民衆が食えるようになるための土地の開拓や、農地の整備、水路の確保、あるいは水害対策のための公共事業など、まったく行ってきていません。
ただ、ずっと民衆から収奪をし続けてきただけです。
朝鮮半島も同じです。
朝鮮半島の南半分が倭国であった時代は、けっしてそんなことはなかったであろうと思うけれど、その後、唐と結んだ新羅が王朝をつくり、外来王朝の高麗の世になり、ふたたび外来王朝である李氏朝鮮がこれにとってかわって、民衆は収奪され続けたし、女性なら強姦され続けたというのが彼らの真実の歴史です。
人の下にいたら、ありとあらゆるものが収奪される。
だからちょっとでも上になったら、逆に何もかも収奪する。
言うことを聞かなければ、拷問する。殺す。
それがあたりまえという社会を、ずっと形成してきています。
だから結果として、21世紀になった今でも、対等という概念がない。
あるのは、ただ「上か下か」だけです。
このことは、「日本に住んでいて日本人のような顔つきをしていて日本語を話すけれど、日本人でない人」たちもまったく同じです。
そういう人たちにとって、何が正しいかは一切関係ありません。
要するに、いまこの瞬間に得か損か、それしかない。
そして得をすると思えば、言葉狩りをして相手を自分よりも下位に置こうとします。
相手が下になれば、なんでも思い通りに収奪することができると考える。
それが「日本に住んでいて日本人のような顔つきをしていて日本語を話すけれど、日本人でない人」の特徴です。
「多文化共生」という言葉があります。
とてもよい言葉ですし、私も大好きな言葉です。
ただ、気をつけていただきたいのは、ここで「共生」をしようと言っているのは、どこまでも数多くの「文化」です。
誰もケモノと共生することは望んでなどいないのです。
もちろん、猛獣であろうが、人喰いハイエナであろうが、動物園のオリの中に閉じ込めて、「見世物」として動物園の専門の職員が面倒をみるなら、それはそれで結構だと思います。
けれど、そういうケモノと、日常生活で同居せよ、同じ町に暮らせというのは、行き過ぎであろうと思います。
なぜなら、彼らは些細なことで泣き叫び、大声を張り上げ、自分の意見が通るまで執着し粘着し、相手の悪口を言いふらし、吹聴し、徹底して追い込みをかけるからです。
そしてそういうことを「抑えこむことができない社会」を築き上げてきたのが彼らなのです。
そういうことでは、「多文化共生」など夢のまた夢にさえなりません。
このことは、逆から言えば、日本人が世界の、特に極東の世界にあって特殊なのだということもできます。
けれど、特殊であろうがなかろうが、良いもの、正しいものは、世界に向けて堂々と拡散すべきだろうと思います。
だって、ケモノの社会より、人間としての道理や筋がきちんと立つ社会の方が、特殊な国を除いてはよほど幸せな社会と思えるからです。
ただ、残念なことに、冒頭の「うどんかるた」にあるように、日本人的「察する文化」が、言葉狩りのようなくだらない手口で、日本人からどんどん失われていくことは、たいへん残念なことに思います。
日本人は、日本人としての文化意識を取り戻す。
それこそが大事なことなのではないかと私は思います。

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コメント
渡辺
2015/12/23 URL 編集
早川裕英
2015/12/20 URL 編集
匿名
書きにくいですが、
強いコシ→セッ○ス好き→淫○
という連想かもしれません。
判決は難しいと思います。
2015/12/20 URL 編集
あばら家 送達
くだらないクレームを県に入れた連中にではありません。
くだらないクレームを簡単に受け入れた人間に憤慨するのです。
「うどんかるた」は香川県自慢のうどんをPRし、一層香川のうどんの知名度、好感度を上昇させ、香川県を活性化させるために多くの県民、職員があれこれと知恵やアイデアを出し合い企画をたて、読み句を日本全国から募集するなどした大変な仕事です。
その大変な仕事をたった一件の「いちゃもん」じみたクレームのために足踏みさせるって、素直に「正気なのか?」と思ってしまいました。
大勢の人間が長時間かけて成した仕事をなぜ?
しかもぜんぜん間違った仕事なんてしてないのに。
大勢の人間の努力や情熱より、たった一件の「いちゃもんクレーム」を「はい、そうですか。検討します。」と尊重するとは・・・発売延期を決めた県の責任者、あなた責任者失格だろ。と言いたくなりました。
「おいでまい」騒動も同じです。
なぜ「いちゃもんクレーム」を簡単に受け入れるばかりで、戦わないのだ。
「おいでまい」は、県自慢の1等米(特級米だったかな?)なんでしょ。
だったら「いちゃもんクレーム」に対して、県自慢の米を人間に置き換えた、(おいでまいを擬人化した)という意味で、「フレッシュで透明感があり色白でスタイルの良い方を募集!」したのだ。と堂々と応戦して、ねじ伏せればいいじゃないか。なぜしない?
恐らく、県の責任者が責任者として不適格なのだと思います。
県の責任者が事なかれ主義、いや、「少数意見も尊重するよ、なんでも納得いくまで話し合って決めましょう。」などという一見民主的なように見えるが実体は無責任で怯懦なだけというパターンなのかと思います。
ですので、「いちゃもんクレーム」に屈するような事態が香川県で連続したのでしょう。
責任者だったら「いちゃもんクレーム」になど屈するな。戦うべき時は戦いなさい。
そうしないと、下の者たちも責任者に倣って、ヘタレになってしまうという負の連鎖が始まってしまいますよ。
2015/12/20 URL 編集
くすのきのこ
香川県のトップの辺りにへんなのが貼りついているという事かもしれません
ね。弱腰が一番いけない。コシのない県のうどんがウマイはずもない。
ウドン県としては、しっか~く!
2015/12/19 URL 編集
-
いつも大切に読んでます。
もうご存知かもしれませんが、今ネット保守層の中で話題の余命三年時事日記、サイトURLを貼らせていただきます。
2015/12/19 URL 編集
菊
小娘だった頃は非常に学ぶことが多かったのですが、最近ではのんびり鬼平ならこうするだろうななどと見ています。
さて、昨日の放送のラスト、賊が捕まり一件落着の締めのシーン、
誰が悪いか、そうなった背景はどんな生い立ちや人がからんでいるか人情や筋に合わせて
話したりするのですが、
「それを事前に取り締まれなかった俺の責任でもあらあな~」
と渋く言いました。
『あら?これまでそんな台詞あったかしら?もしや』と思いました。
鬼平は火付盗賊改方の旗本の殿様です。
もしかして、ねずさんブログの愛読者で、その台詞を入れたのではないかなと。もちろん、台本を書く人が。
いや、原作にも入っているとあったらスミマセン。
この度のうどん県の件、よその、川柳を募集しておいて標語かよと思うような川柳よりよほど秀作です。
香川県の関係者の方々も、是非、ねずさんブログをたまたま目にして、考えをしっかり持って欲しいものです。
2015/12/19 URL 編集
-
きみまろさんの談義が批判されるなら
イギリス人なんて生きて生けないでしょう
(笑)
2015/12/19 URL 編集
猫めでる婆
ほとんど言いがかりに等しい言葉狩りに怯んだ香川県は、コシ抜けです。
私も二十代の頃は色白太目で、ぽっちゃりしていて可愛らしい娘さんねと言われましたが悪い気はしませんでしたよ。
でも、そこは昭和の娘ですからお菓子の食べ過ぎは控えようとか思いましたけれどね。
今色白太目の可愛い女性タレントさんをTVで見ると、何とはなしにホッとする男性女性も多くいらっしゃるのではないかしら。
男女問わずダイエットには生命や生殖にかかわる害があると知られてきた昨今、のほほーんとありのままの姿で登場する彼女はとても素晴らしい存在です。
ところで「強いコシ 色白太目 まるで妻」の正反対は、「弱いコシ 色黒細目 まるで夫」となりますが、こんなことを言われたら世の男性方は男の沽券にかかわると本気で怒るでしょうねw
香川県には「抜けたコシ 色々涙目 まるで香川」をお贈りします。
2015/12/19 URL 編集
junn
2015/12/19 URL 編集