台湾で二千人の警察官の命を救った日本人



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昨日の倭塾は、ご来場者総数109名で、80名の部屋でしたので立ち見どころか部屋からはみ出してしまう満員御礼となりました。
これもみなさまのご贔屓の賜物です。心から感謝申し上げます。


廣枝音右衛門
20160115 廣枝音右衛門


昨日の台湾の総統選挙では、民進党の蔡英文氏が大差をつけて圧勝しました。
今回は中共の政治的干渉が少なかったことで、本来のあるべき台湾の民意が反映した結果です。
ただ台湾が、相変わらず支那本土を国土とする中華民国で行くのか、それとも支那本土とは異なる台湾という国家となっていくのか、これからの舵取りに注目です。
まずは、お祝いです。
そこで今日は、台湾にちなんだお話をしたいと思います。

戦前、台湾で警察官といえば、エリート中のエリートでした。
当時は、警察官になることは、東京帝大に合格するよりむずかしいことと言われたほどです。
台湾において、警察官はそれだけ名誉ある職業であり、人々から尊敬される職業でした。

その台湾で、いまも神として祀られている警察官がいます。
廣枝音右衛門(ひろえだおとえもん)といいます。

廣枝音右衛門は、明治38(1905)年に、神奈川県小田原市で生まれた人です。
逗子の開成中、日大予科と進み、昭和3(1928)年、佐倉歩兵第57連隊に入隊して軍曹となりました。
任期満了で除隊したあと、湯河原の小学校教員などをしていたのですが、昭和5(1930)年に台湾に渡り、競争率100倍という超難関の試験に合格して、台湾、新竹州で警察官を拝命しています。

この時代の台湾の警察官の役割は、日本本土の警察官と違って、日本の江戸時代の与力、同心などの系譜を引く、明治時代の駐在さんに近い存在でした。
ですから治安活動は、犯罪の予防に重点が置かれ、さらに治安維持を兼ねて台湾の人々の教育や文化水準を内地の日本人と同等にまで引き上げる任務を負いました。

すこし詳しく説明すると、いまの日本の警察は「起きた事件を捜査したり、犯行現場に駆けつけて犯人を逮捕する」役割ですが、もともとの日本の奉行制度というのは、そうではなくて、犯罪が起こることを予防することが最も大切な役割とされました。
逆にもし管内で重大犯罪が起きれば、奉行は切腹だったわけです。
ですから奉行の配下である与力や同心は、犯罪を未然に防止するために、長屋毎に番所を設けたり、質の悪い極道者は、親分さんのところで厳しく面倒をみてもらったり、とにかく犯罪が起きないように万全の対策を施していたわけです。


20151208 倭塾・動画配信サービス2


ですから牢屋も、悪いことをした人が入れられるところではありません。
悪いことをしそうな人が泊められるところでした。
また、事前に、してはならない「悪いことは何か」を、明確にしておくために、民間の指導をしっかりと行いました。
こうすることで、江戸時代は、きわめて少数の与力、同心で、世界最高水準の町の治安が保たれたわけです。

明治時代の駐在さんの多くは、元、武士たちであったため、こうした江戸時代の与力や同心の伝統が濃厚に残り、ですから特に田舎に行きますと、駐在さんの信用は極めて高いものであったりしたわけです。

ところが中央における警察行政は、国内で酷い事件が起きても責任を問われないお役所仕事となったため、徐々にこうした伝統が薄れていって、ついには戦後には、警察官は、起きた犯罪しか対応できない存在となり、昨今では、点数のために原付きバイクを取り締まるには熱心だけれど、重大犯罪はお座なりという体制、体質が出来上がってしまいました。
もちろん、現場の警察官には、まだまだ命がけで真剣に職務を遂行する警察官がたくさんいますけれど、中央の警察行政は、責任を問われないお役所行政になってしまっていると言われています。

一方、台湾では、官僚化した国内の警察組織を嫌い、本来のあるべき昔の奉行所スタイルが貫かれました。
これには、三代目台湾総督の乃木希典、四代目の台湾総統として約8年を過ごした児玉源太郎の影響が濃厚にあったと言われています。

ですから廣枝音右衛門が着任した頃の台湾の警察官は、まさに犯罪を未然に抑止するための駐在さんであり、人々の生活の中に入って、治安の良化に務める人であったわけですし、そんな適正を厳しく審査したからこそ、倍率100倍の超難関でもあったわけです。

戦時中の昭和17年5月のことです。
音右衛門は、警部に昇進して、新竹州竹南の郡政主任になりました。
そこで台湾で結成された総勢二千名の海軍巡査隊の総指揮官を拝命します。
そして昭和18年12月8日、廣枝音右衛門は、巡査隊二千名を率いて、台湾の高雄港から特務艦「武昌丸」に乗り込んで、フィリピンのマニラへと向かいました。

マニラでの訓練は、とても厳しいものであったそうです。
音右衛門は、隊長として常に部下の先頭に立厳しい訓練を率先して受け、部下たちひとりひとりを励まし続けたといいます。
そして部下たちも、そんな廣枝隊長をとても慕ったそうです。

海軍巡査隊の任務は、物資の運搬、補給などの後方支援です。
戦況は刻々と悪化し、ついに昭和20年2月、マニラ近郊に米軍が上陸します。
米軍と戦闘すること3週間、ついに弾薬も尽き、玉砕やむなしの情況となったとき、海軍巡査隊には、フィリピン派遣軍司令部から棒地雷が支給されたそうです。
それは、「これで敵戦車に体当たりし、全員玉砕せよ」という命令でした。

しかし音右衛門の部下たちの多くは妻帯者です。
もちろん音右衛門にも家族がいます。妻と3人の子供です。

音右衛門は苦慮し、巡査隊の小隊長を務めていた劉維添(りゅういてん)を伴って、米軍にひそかに交渉を行いました。
そして部下たち二千人を集め、次のように訓示しました。
「諸君。
 諸君らは、よく国のために戦ってきてくれた。
 しかし、今ここで軍の命令通り犬死することはない。
 祖国台湾には、諸君らの帰りを心から願っている
 家族が待っているのだ。
 私は日本人だ。
 だから責任はすべて私がとる。
 全員、米軍の捕虜になろうとも生きて帰ってくれ」

二千人の部下たちは、一同、言葉もなくすすり泣きます。
音右衛門の気持ちが痛いほどわかったのです。

音右衛門は、部下たちへの訓示のあと、ひとりで壕に入りました。
そして拳銃をみずからの頭に向けると、引き金を引きました。
一発目は銃の発射の衝撃で、弾は頭部の一部を吹き飛ばしただけでした。
音右衛門は、もう一度引き金を引き、絶命しています。
昭和20年2月23日午後3時頃のことです。
享年40才でした。

音右衛門の決断によって、海軍巡査隊の台湾青年ら二千名は、生きて故郷の台湾に帰還することができました。
このときの恩を忘れない台湾巡査隊の面々は、戦後、台湾新竹州警友会をつくり、台湾仏教の聖地である獅子頭山にある権化堂に、廣枝音右衛門隊長をお祀りしました。

そしてさらに廣枝隊長から受けた恩義を、末永く語り継ごうと、茨城県取手市取手市白山二丁目にある「弘経寺」に、廣枝隊長の「顕彰碑」を健立しました。
当時の台湾では、国民党の迫害がひどくて、感謝の碑の建造どころではなかったからです。

弘経寺 廣枝隊長 顕彰碑
20160115 廣枝隊長 顕彰碑


その「顕彰碑」には、次のように書かれています。
*******
泰然自若として所持の拳銃を放ちて自決す
時に二月二十四日なり
その最後たる克く凡人の為し得さる所
宣なるかな戦後台湾は外国となりたるも
この義挙に因り生還するを得
吾等の今日あるは彼の時隊長の
殺身成仁の義挙にありたればこそと斉しく称讃し
此の大恩は孫々に至るも忘却する事無く
報恩感謝の誠を捧げて慰霊せんと
昭和五十一年九月二十六日隊長縁りの地
霊峰獅子頭山権化堂にてその御霊を祀り
盛大なる英魂安置式を行う
この事を知り得て吾等日本在住の警友痛く感動し
相謀りて故人の偉大なる義挙を永遠に語り伝え
その遺徳を顕彰せんとしてこの碑を健立す
<元台湾新竹州警友会>

*******

廣枝音右衛門の義挙は、江戸時代の武士の態度そのものです。
米軍に進んで捕虜となる道を選んだことは、台湾人の警察官の命は救いましたが、軍の上官の命令には背いた行動です。
もし、音右衛門が軍に所属する軍人であったなら、彼は命令通り、よろこんで部下とともに地雷を抱えて敵陣に乗り込んだことと思います。

けれど彼と彼の指揮下にあるのは、軍人ではなく、あくまでも警察官です。
警察官の職務は、戦って死ぬことではなく、どこまでも民間人を護ることにあります。
戦況が厳しくなった昭和二十年初頭において、彼はどこまでも台湾の警察指揮官です。
従って、軍からの地雷の支給は、命令ではなく、警察への依頼です。
だからこそ、彼はいかにしたらフィリピンにあって部下の命を救えるか。
そして台湾の治安のために部下たちを、いかにして台湾に戻すかが、彼にとっての最大の任務であったわけです。
だからこそ彼は、あえて米軍との交渉という道を選んでいます。

しかし、それは同時に、部下の警察官たちに軍への裏切り者の汚名を着せる結果にもなります。
そういう警察官が台湾に帰国しても、町の人は言うことを聞かない。
だからこそ彼は、一切の責任を一身に背負い、迷わず自決する道を選びました。
これこそ、本物の武士の生き様です。

最近でも、テレビドラマで刑事もの、警察ものは人気があるのだそうです。
けれど、廣枝音右衛門の行動や、昔の台湾における警察官のことを考えると、なんといまどきのドラマは、安っぽくて薄っぺらかと、悲しく思います。


※この記事は2010年1月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント

くすのきのこ

No title
こんにちは。
御存知だと思いますが、交番勤務の若い警察官であるとか、自衛隊員の自死
は、そこそこあるそうです。どんな時代であれ、自死を選ぶ方々はいるでしょ
うね。天災とか人災・・戦争など・・の有る無しにかかわりなく。
ただ、自分の苦しみから逃れるための自死と、他人様の為に責任を負っての
自死では、生き様が違うでしょう。その炎の熱を、生き残った者は感じずに
はいられないでしょうから。命を繋ぐという事は、単に自らの子孫を残す事
だけではないのでしょう。他人様に託す命というものもある。その生き様の
影響を受けて生き方の変わる人達もいるでしょうから。・・良し悪しはある
かもしれませんがww処刑された吉田松陰の弟子達も様々でしたし。
目前の困難な現実とどう格闘していくのか・・?そこには、生き様を考える
美学というものも存在していてもいい。単に子供っぽく、自分らしく~・・
アナ雪?・・等というのは、長ら~く続いた国の民には似つかわしくないw
現在の自分が生まれるまでのなっが~いなが~い時の流れの中には、苦しみ
の中で子供を産み育てた御先祖様達が、必ずいらっしゃるだろう・・善人ば
かりでもなかっただろう・・そこら辺を考慮に入れた上で、生き様の美学な
どと洒落こむのが、庶民文化であってもいい。破天荒でもねww
この世をば どりゃおいとまに 線香の 煙とともに はい(灰)左様なら
                           (十返舎一九)
散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛)
生き過ぎて七十五年 喰ひつぶす 限り知られぬ 天地(あまつち)の恩
                           (大田蜀山人)
・・・辞世の句を捻るのは、よき文化かもしれないww



一有権者

No title
安倍総理の「戦後レジームからの脱却」は結局米国からの圧力があったためなのかどうかどうも怪しい展開になってきたと思います。本当に残念な事がらと思います。

真相はなかなか明らかにはならないでしょうが、村山談話、河野談話が真実であったかのような印象を国際社会に決定的に抱かせることになった昨年末の日韓合意です。

もう日本政府及び害務省には日本国の国益と在外邦人を含む日本国民の安全安心と名誉と信用の毀損は続けることはあっても回復は出来ないでしょう。
何故ならば日本政府自らが韓国が主張する嘘を事実であると認めてしまったようなものだからです。

今後の韓国や中国の反日工作や歴史捏造工作に対する戦いは民間人が矢面に立ち戦い続けるしかないのかとも思いますが、何もしない政府ならばそのような政治家には議員バッジを付けさせぬ事、そして役所、役人にはそれなりの代償を払わせるように有権者がしっかりと政治に関心を持ち選挙に反映させなくてはなりません。

最近韓国は経済的問題や米国からの圧力?もあってか今のところ静観し厚かましくも経済援助を要求し始めているようですが、これだけは絶対に我が国政府には認めさせてはいけないと思います。実際合意内容は一つも実際には動いていませんし、また例の慰安婦像撤去については民間の行為には政府として関与は難しいとフザケタことを言っています。

だ、か、ら、「助けない、教えない、関わらない」ように冷徹、冷淡に韓国を突き放すべきなのだと思います。いずれまた我が国政府と害務省は騙されることでしょう。その時我々日本国民はどのような判断を政府と関係省庁に迫るべきか?
もう答えはとうに出ているのです。

愚かな女性

ジッパーは1950年以降
1: 動物園φ ★@\(^o^)/ 2016/01/17(日) 14:41:25.96 _USER.net
崔碩栄@Che_SYoung

ハンギョレ新聞が発行する雑誌の慰安婦記事 (韓国語)

「私の前で日本軍はジッパーを下すだけだった」
http://1boon.kakao.com/h21/contempt

すごい刺激的な記事だが、
私の疑問は→日本軍服にジッパーあったの?

https://twitter.com/Che_SYoung/status/688177424060698629

元スレ:・【韓国】慰安婦が新証言「私の前で日本軍はジッパーを下すだけだった」

junn

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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