鳴門の第九



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20160206 第九交響曲


ベートーベンの交響曲第九番「合唱付き」で有名なのが、四国は徳島県の鳴門市です。
なぜ鳴門市が第九なのかというと、実はこの地にかつてドイツ兵の捕虜収容所があったのです。
「捕虜収容所」と「歓びの歌」とは、なんだか奇抜な取り合わせですが、実はここに、ひとりの素晴らしい帝国軍人の個性があり、そこにこの「合唱付き」が重なるのです。

大正3(1914)年のことです。
この年に勃発した第一次世界大戦に、日本は同盟国であるイギリスの要請を受けてドイツに宣戦布告しました。
日本はわずか2ヶ月で、ミクロネシア各所でドイツ軍を打ち破り、ドイツ領だった南洋諸島をことごとく占領し、さらに77日に及ぶ激闘の末、支那の山東省でドイツ領青島(ちんたお)を陥落させています。

このドイツとの戦いで、日本に捕虜として収容されたのが、合わせて4,627人のドイツ兵とオーストリア兵で、彼らは日本国内の戦時俘虜収容所にそれぞれ分散して収容されました。
このとき完成したばかりの鳴門市の「板東俘虜収容所」に収容されたのが、953名のドイツ兵です。

収容所所長は、会津藩出身の松江豊寿(まつえとよひさ)陸軍大佐です。
松江大佐は、明治22(1889)年、16歳の時に仙台陸軍地方幼年学校入学し、陸軍士官学校(5期)を卒業、以後、ずっと陸軍畑を歩み続けた人です。

この頃の陸軍は長州閥が強く、会津藩出身者は旧幕臣ですから、いろいろな局面で差別待遇を受けたそうです。
ですから若い頃の松江大佐は、あまりのことに耐えきれず、上官を殴って軍法会議にかけられたこともあったといいます。
けれどそういうことがあると、余計に警戒され疎外されるものです。
要するに今風にいえば、松江大佐は軍隊内部で、ずいぶんとイジメられたわけです。
けれどここが大事なところなのですが、そういうイジメにあったことが、かえって松江大佐の心を鍛え、強くしています。


前にご紹介しましたが、孟子の言葉にある「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、おこなうこと、そのなさんとする所に払乱せしむ」を地で行ったわけです。

イジメというのは、イジメを受ける当事者にとってはとても辛いことです。
けれどそれに負けず、くじけず、がんばりぬくことが大事で、そうして後になって振り返ると、イジメを受けた側が、人としてものすごく成長します。
一方、イジメる側には、まったく成長がありません。
それどころか、イジメの快感が成功体験となり、人は成功体験に埋没して結果、身を持ち崩します。
世の中はそういうものです。

さて松江大佐は日清日露を戦い、42歳のときに、鳴門の捕虜収容所所長に任じられます。
その松江大佐が、収容所のドイツ人たちにどのように言われたかというと、
「世界のどこに松江のような(素晴しい)俘虜収容所長がいただろうか」です。
実はこの言葉は、板東捕虜収容所ばかりでなく、第二次世界大戦時にシベリアでも捕虜生活を送った経験を持つドイツ軍人パウル・クライの言葉です。

松江豊寿(まつえとよひさ)大佐
松江豊寿1226


松江大佐の収容所所長時代の生活は、収容所近くの官舎に住み、毎日1kmほどの道のりを、ゆっくりと馬で通勤する毎日だったそうです。
その通勤途中、地元の人々があいさつすると、馬上からひとりひとりにていねいに返礼したといいます。

当時陸軍大佐といえば、ものすごく偉い人です。
その人品の整った偉い人が、ひとりひとりに丁寧にお辞儀をして、挨拶する。
人間関係も信頼も、まずは挨拶からです。
自然と町の人たちの信頼が、松江大佐に集まったそうです。

松江大佐の日頃の口ぐせが「武士の情け」です。
間違えてはいけないのは「ただの情け」ではなく、「武士としての情け」です。
つまり、強さがあって、同時にやさしさがある。
そういう人格を併せもつ士官だったわけです。

そういう松江所長の姿勢は、自然と地元の方達からの信頼となって跳ね返ってきました。
松江大佐も、捕虜に対して、出来る限り自由を認める扱いをします。
結果、地元の人たちと捕虜のドイツ人たちのと間に、自然の交流が生まれる。
地元の人たちは、収容所のドイツ兵俘虜兵士たちを「ドイツさん、ドイツさん」と呼んで、家族のように親しく接するという風潮となっていったのです。

ドイツ兵たちは、ドイツ式の牧場経営の方法や、パン、バター、チーズなどの製法、印刷の技法、園芸栽培の技法、土木建設工事の手法など、ドイツ生まれのすぐれた技術や数多くの新しい西欧文化などを地元の人たちに紹介するようになりました。

こうなった時点で、松江大佐は収容所の前に2,300㎡もの土地を借りています。
そこで何をしたのかというと、ドイツ式農園と、スポーツ施設を作ったのです。

ドイツ兵たちは、そこで農作業をし、また敷地内にテニスコートやサッカー場まで作りました。
ホッケーやシュラークバル(ドイツ式野球)、ファウストバル(こぶしだけで行うドイツ式バレー)のコートなども作られます。
そしてなんと収容施設内に、ボーリング場やビリアード場まで作ります。

これらはもちろん、ドイツ人捕虜たちのための施設ですが、この施設に、地元の日本人たちも自由に出入りしました。
また施設の利用料による収益金は、当時日本国内に流行ったスペイン風邪の際も義捐金などに活用されています。

ドイツ人たちは、こうして捕虜でありながら自由を約束してくれている松江大佐に、なんとかして恩をかえそうと、町のインフラのための工事にも、参加してくれるようになりまし。
当時の姿をいまだに止めているものに、「船本牧舎」と「ドイツ橋」があります。

「船本牧舎」というのは、牛と豚を飼育して乳製品やハム、ソーセージなどの製造技術を伝えるために作られたドイツ様式のレンガ立ての畜舎で、現在も鳴門市ドイツ村公園の南側に残っています。

さらにドイツ兵たちは、地元民のためにと、地域に10もの橋を架けています。
この橋がいまも鳴門の「メガネ橋」と「ドイツ橋」として残されているのです。

ドイツ橋
ドイツ橋


ドイツ橋は、2003年に県の文化財に指定されました。
195トンもの石を積み上げて作られてていて、一切セメントが使われてない橋です。
そして100年近く経った今でも、まったく健在です。
それは石組みの巧みさばかりでなく、河床の処理が丁寧になされているからだそうです。

ちなみに、こうした橋の建造について、当初は応分の報酬が払われるはずだったのですが、俘虜に金を払うことの是非について論議が起きて、結局は無償となりました。
このとき、ドイツ兵のひとりが言った言葉がいまに伝えられています。
「松江大佐が、我々俘虜に創造の喜びと働く意欲を駆り立ててくれた。このことこそが最大の報酬です」

実は、今日書きたかったことの第一がこれです。
これは第一に、心志を苦しめられ、鍛え上げられた人というのは、周囲までも立派な人にしていく、ということです。
第二に、良心は世界の人々に通じるということです。

このように申し上げると、斜め横の国のように、良心の通じない国もあるではないかという反論をいただきそうです。
多くの場合、そのような良心の通じない国柄をもたらしているのは、一部のウシハク利権者が、個人の利得のために大衆を利用主義的に利用する歪みによって起きるものなのではないかと思います。

同時に、民族性という側面もあります。
なぜなら犬が犬種毎に性格がまったく異なるのと同様、人間も民族種によって性格がまるで異なるからです。
こういう点は人もまた哺乳類のうちだということです。
だからこそ世界には国境があるのです。
近くに粗暴な民族があれば、そうでない民族は国境を作って身を守るしかないのです。
ボーダレス化というのは、私に言わせれば寝言です。

ヨーロッパの場合ですと、古代ローマ帝国を滅ぼした暴力団がヨーロッパ各地で巣を築き、そうした巣に対抗するために民衆がそれぞれの地域の王に庇護をたのんだり、その王が暴君となったりという複雑な歴史を経由していまの諸国が誕生しています。だから国境があるのです。

ただし、いかなる民族であれ、親善交流は可能だということも、この物語は示しています。
だからこそ収容所と周囲の住民との間のこうした交流の中から、自然発生的に生まれたのが、捕虜のドイツ人たちによる「ドイツ沿岸砲兵隊オーケストラ」の誕生です。
そしてこのオーケストラは、帰国まで計34回、月平均1回の割合で公開演奏を行い、地元の人たちに親しまれ、また大きな影響を与えています。

大正7年6月1日には、80人の地元民による合唱団が出演し、収容所施設内で、壮大なベートーヴェンの第九が、なんと第一から第四楽章まで、全曲演奏されました。

ちなみに、世界中の捕虜収容所で、人を人として扱わない非人道的な扱いが公然と行われている中で、日本では極めて人道的な、というより、それ以上に家族的な扱いが行われていた。
このことは実に注目に値することです。

そういえば、イスラエルの建国の英雄、ヨセフ・トランペルトールも、日本で、ロシア兵捕虜として収容所生活を送った経験を持っています。
時点は少し違っていて、トランペルトールは日露戦争時の戦時捕虜として、大阪・堺の浜寺収容所に入れられています。

浜寺収容所では、当時の日本はまだまだとても貧しかったにもかかわらず、捕虜たちに常に新鮮な肉や野菜やパンをふんだんに支給しただけでなく、将校には当時のお金で月額で三円、兵には五〇銭の給料も支給しています。

そのあまりの親切さに、トランペルトールは一生懸命に日本語を習得し、なぜ小国日本が大国ロシアに打ち勝ったのか、その秘密を探求しようとしました。
答えは、意外と身近なところに転がっていました。
警備をしているひとりの日本兵が言ったのです。
それは、「国の為に死ぬほど名誉なことはない」という言葉でした。

祖国イスラエルに帰ったトランペルトールは、「トフ・ラムット・ビアード・アルゼヌ」という言葉をイスラエル建国の標語としました。
これはユダヤ語で「国の為に死ぬほど名誉なことはない」です。

日本は、建国の理念を「家族国家の建設」に置いている国です。
誰もが家族のように親しみ、信頼し合い、互いに互いの役割に従って、できる最大限を家族のために尽くしていく。

だから日本は、明治維新後の大発展ができたし、世界に良い影響を与え得たし、そうした先人たちのおかげで、いま私達はこうして生きているわけです。


※この記事は2009年8月の記事のリニューアルです。

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武士の情け、捕虜を人道的に扱った松江豊寿(第一次世界大戦)




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コメント

takechiyo1949

正に奇跡ですね!
會津といえば、ドラマ「八重桜」を思い出します。
賊軍に落とされ徹底抗戦!
しかし、會津は敗れます。
人々は青森に移され、飢えと寒さと貧困に耐え忍びます。
そして明治…職も無く…食べる為に軍人になり最前線に出ます。
その皇軍の中でも「賊軍」の汚名は消えません。
松江大佐もそんな境遇だったお方なのですね。

さて、板東俘虜収容所です。
ものの本に依りますと、捕虜の管理は軍の内務規定に準じていたそうです。
上層部は「敵国の捕虜に甘くするな!」位は言うでしょうね。
しかし、松江大佐は違います。
敵国の兵士に対して『人間の尊厳と自由を守る』
ブログにある大佐が貫いた英断は物凄いと思います。
『彼等もまた国のために戦ったのだ!』
重たい言葉です。

ねずさんは結論を仰います。
『書きたかったことはこれだ』
-------------------------
第一に…心志を苦しめられ、鍛え上げられた人は、周囲までも立派な人にしていく。
第二に…良心は世界の人々に通じる。
-------------------------
しみじみと心に響きます。

桐一葉

知れば知るほど日本の誇り
いつもありがとうございます。
そうですね。本来日本人は和をもって貴しの民族です。
何度もねず様の色々な文を拝読させて戴くにつれ、なんとなく日本人としての長いこと押し込められたアイデンティティがゆっくりと目覚めてくるような感じがいたします。
岩戸開き?
未だ魑魅魍魎が跋扈していますが、馬脚を現し始めています。夜明けは近いかな。
立春を過ぎ、そんな気配が致します。
また拝読させていただきます。
ありがとうございました。

たぷたぷ

軍人さんも兵隊さんも同じ日本人です。
かなり前になりますが、中山恭子さんと麻生さんの国会質疑答弁でウズベキスタン?の日本人捕虜の話を思い出しました。
麻生さんの答弁は短いものでしたが、当時ソ連に強制連行され抑留された日本人の事が偲ばれ胸が熱くなりました。
下衆な週刊誌や虚構を元にした書籍をソースにしたり、漢字やカップめんの値段クイズの国会質疑にうんざりさせられてた国会中継で初めて心が揺さぶられた時間でした。
先人たちの努力の礎があるからこそ、今の日本と日本人への信頼と信用があると国会議員が発言出来た稀な件だったんですね(泣)
近現代の先人を讃える事が『軍国主義者』『極右』とレッテルを貼る風潮は早く無くなってほしいです。

-

No title
いつも良い話だなと、思いながら小名木さんの文章を読んでいます。
しかしこれは、過去の事ですよね。
現在の様にウシハク化が進むと、もはや当てはまらない事象も沢山出て来ます。
例えば、イジメの所で「人は成功体験に埋没して結果、身を持ち崩します。世の中はそういうものです」と、言う箇所があります。
これは、ウシハクの中でもアホウに属する人の話です。
一番タチの悪いウシハクは、ほどほどにしながらウシハクを続けるものです。
そういうウシハクは、身を持ち崩しませんね。
そして、更に被害を増大させています。

小名木さんの話は、過去の日本の素晴らしい精神性を思い起こさせてくれますが、すでに、これほどウシハクになってしまった現在では、シラスの民は絶滅寸前ですよ。
特に経済力を削がれてしまったら、行動範囲も極小にならざるを得ません。
明日の生活の確保で悶絶している人が、社会的に行動する事は出来ません。
志があっても、講演会に行く金すら無い人も多いと思います。
自爆テロも、それが行き過ぎた環境から生まれて来たんでしょうね。

junn

No title
新聞の奇妙な議論設定は言論統制?
http://blogs.yahoo.co.jp/gakumonnoiratume/71006522.html
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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