藤堂仁右衛門の武士の道



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20150702 蓮


関ヶ原の合戦のときのことです。
伊勢・伊賀32万石の大名であった藤堂高虎の家臣に、藤堂仁右衛門(とうどうにえもん)という人がいました。
藤堂仁右衛門は、激しい戦いの中、水を飲もうと谷川に降りたところ、そこで敵の大将、大谷吉継の重臣である湯浅五助(ゆあさごすけ)に出会いました。
さても勇名で鳴らした湯浅五助です。
「いざや、尋常に勝負!」と藤堂仁右衛門は、手にした槍を持ちかえました。

すると湯浅五助は、「いや、待たれよ」という。
「実はいま、主(あるじ)の大谷吉継の首を埋めているところでござる。勝負はするが、貴殿を見込んでお願いがござる。主人の容貌は、腐りの病で見るに耐えぬほどになっている。首を晒されたなら天下に醜貌(しゅうぼう)を晒すことになろう。ついては首を埋めたこの場所を、どうか他言しないでもらいたい。我が願いを聞き届けとあらば、よろこんで槍を合わせよう。」というのです。


主君を思うその気持ちに打たれた藤堂仁右衛門は、「委細承知」と答え、五助が首を埋め終わるのを待ちました。
そして尋常に勝負し、見事、五助の首をあげました。

関ヶ原の戦が終わり、大谷吉継の首探しが始まりました。
ところが、どこをどう探しても、首が見つかりません。
そこで家康は五助を討った藤堂仁右衛門を呼び出しました。
「何か手がかりを知っているのではないか。」

問われた藤堂仁右衛門は、家康に向かって言いました。
「吉継殿の首の在処は存じております」
「ではすぐにこれへ持ってまいれ」

ところが藤堂仁右衛門は、首を横に振りました。
「それはできかねることにござる。
 湯浅五助殿に頼まれたのでござる。
 それゆえ、たとえご上意であっても、
 その場所をお答えすることはできませぬ」

家康の近習たちは、色をなして怒りました。
「殿の御前であるぞ。どうしても教えられぬと申すか」
「たとえご成敗されても、申し上げられませぬ」
「ならば成敗するぞ」
「ご随意に」と、藤堂仁右衛門は、首を前に伸ばしました。

その様子を黙ってじっと見ていた家康は近習に、
「そこにある槍を持て」と命じました。
一同に緊張が走りました。

家康は、槍を手にすると言いました。
「仁右衛門、その心がけ、いつまでも忘れるなよ」
そう言って、その槍を藤堂仁右衛門に与えました。

大谷吉継は、敵の大将です。
その首を差し出せば、藤堂仁右衛門は大きな恩賞に預かれたことでしょう。
勇猛で知られた湯浅五助の首さえもあげているのです。
経済的な損得でいえば、藤堂仁右衛門は死んだ五助に自分が言った言葉を守るよりも、家康に首を差し出した方がはるかに「得」です。

けれど、損得ではない、それよりももっと大切なもののために命を賭けた、それが武士でした。
そしてそうした心得は、藤堂仁右衛門のような大名に限らず、下級武士たちにとっても、あたりまえに具わっていた観念でした。

なぜ日本の武士に、このような高度な感覚が備わったのでしょうか。
世界の兵士達、ChinaやKoreaにせよ、西欧にせよ中世、あるいは近代においてさえも、武器を持った兵たちというのは、軍もヤクザも暴徒も、まったくおなじものです。
ChinaやKoreaは現代でもそうですし、西洋では、以前三十年戦争の記事でこれをご紹介しています。

そういうことを考えると、藤堂仁右衛門のような武士の姿が「あたりまえであった」ということ時代が、人類社会のまさに奇跡のようなできごとに感じます。
どうして日本ではそのようなことになったのでしょうか。
理由を、三つあげたいと思います。

ひとつは、日本がシラス国であるからです。
シラス国では、すべての民衆が天子様(天皇)の「おおみたから」と規程されました。
そして人の上に立つ者の仕事や、あるいは政治などの一切が、その「おおみたから」が豊かに安全に安心して暮らせる社会を築くことのために機能するという社会常識が熟成されたのです。

国をあげて、誰もが豊かにお腹いっぱいご飯が食べれる社会です。
当然心にも余裕が生まれます。
どこぞの国のように、奪ったり逃げたり人を騙したりしなければ生きていけない過酷な環境にならないことを目指したのです。
だからこそ、守ったり勇敢に立ち向かったり約束を守ることが当然の常識となったのです。

ふたつ目は、「魂」です。
日本では太古の昔から、肉体に宿る命には、その命と糸で結ばれた魂が宿ると考えられてきました。
これは仏教伝来以前からある、日本の古くからの考え方です。

肉体が滅びれば、命はなくなります。
けれどそのとき、魂は肉体を離れて神々のおいでになる天上界に行くか、あるいは死者の国に行くか、あるいはまた、別な人間となって転生します。
その糸が「絆」であり、糸と糸を結ぶことが「結い」です。
ですから絆や結は、肉体と肉体の結びつきではなくて、魂の結びつきです。

お天道さまが見ていないところで悪さをすれば、その魂が穢れます。
穢れれば、せっかく良いことをしてきても、来世で悲惨な人生を歩まねばなりません。
人は神になるために生まれてきたのであり、その神になりそこねたのみか、来世でいまよりもっと悲惨な人生が待っているのです。
だから「乞食したって、この魂だけは穢さない。」
それが日本人の生き方であり、生き様だったのです。

みっつ目は、「教養」です。
「おおみたから」「穢れ」などの日本人としての常識や思想を、たとえ農家の貧しい家の出であったとしても、そういうことを幼い頃からしっかりと教えこまれていました。
西洋人の友人は、「日本人は日曜学校に行かないのに、どうして常識が備わっているのか不思議」に思うといいます。
大人になって毎週日曜学校に通わなくても、子供の頃からしっかりと躾(しつけ)がされてきたのです。
それが日本の教育でした。

三日後に、クーデンホーフ光子のことをご紹介した記事を書きますが、明治時代に西洋に移り住んだ日本人女性の青山ミツは、子供達にたいへん厳格な躾(しつけ)を施したそうです。
友人たちの家ではもっと自由なのに、どうして自分の家ではこんなにまで躾が厳格なのか。
子供達はたいへん不思議に思ったそうです。

躾(しつけ)というのは、単に礼儀作法のカタチだけのことを言うのではありません。
生き方や、生きる上での心構え、生きるための基本となる心の姿勢を教えこむのが躾です。
そしてその躾の中に、常識としての教養があります。
テストで良い点数をとることと、人間としての躾は全然別なものです。
人は人間の形をしていれば人ではありません。
人としての躾があってはじめて人です。
そうでないものは人の皮をかぶった獣です。

現代日本の教育に欠如している最大のもの、それが躾です。
躾がないから、民度が下がり、日本人が朝鮮人化しています。
そうなることを歓迎しているのは、いったいどういう連中なのでしょうか。

20150702 大谷吉継


私の母方の五代前の祖母は、実弟を飢饉で亡くしました。
江戸が飢饉に襲われたとき、我が身よりも小者たちの食を優先し、結果、飢死にしました。
姉はさぞかしおつらかったことと思います。
けれど、それが武士の道でした。

「二度と飢えない世の中を作りたい」
飢饉を経験した昔の人は、飢饉の都度、そのように思ったことでしょう。
だからこそ、みんなで協力しあって、土地を開墾し、田畑を増やし、できあがった作物を備蓄しました。
神社への新米の奉納も、もともとは神様へのお供えというだけでなく、食料備蓄のためのものでした。
なにせ神様にお供えしたのです。
「返せ」とは言えない。

我が身ひとつの利益ではなく、どこまでも「みんなとともに」と考える。
それが日本人の生きる道でした。
そのための「まこと」であり、「ことわり」であり、「いつくしみ」でした。

昨今の契約書には、必ず違約条項があります。
違約条項があるということは、はじめから「契約は破られるものである(不履行となる)」ということを前提としています。
だから西洋の会社などと契約すると、さまざまな事態を想定して、その違約事項についての対策が書かれている、まるで紙爆弾のような分厚い契約書にサインさせられます。

しかし大切なことは、契約書になんと書いてあるかではなくて、みんなの力で、そうした違約が起こらないようにしていくことです。
わたしたちの祖先は、それを実現してきました。
それが「明察功過(めいさつこうか)」です。
聖徳太子の十七条憲法の第11条にある言葉です。

あらかじめ察して対策をとっていく。
そうすることによって、大事に至らないようにする。
だから、良いことも、良くないことも、前もって察して対処していく。
それを契約書の中だけで行うのではなく、社会全体の風土としていく。

そんな、まるで天国の社会であるかのような国柄を築き上げてきたのが日本です。
その日本を取り戻す。

文明は常に進歩するものであり、人々の思考も行動も、時代とともに進んでいるのだという考え方があります。
だから昔の人は、「オクレていたのだ」と嗤う人もいます。
けれど、上にある藤堂仁右衛門の意識と行動は、果たして現代人よりもオクレていた人格によるものといえるのでしょうか。
関ヶ原の戦いがあったのは、西暦1600年のことです。
いまは2015年です。
415年経っています。
後世のわたしたちは、はたして「進んだ」人間なのでしょうか。

今日ご紹介した藤堂仁右衛門と同じ藤堂高虎の家臣に、福井文右衛門という人がいます。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2578.html</u>">http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2578.html
でご紹介しています。
合わせてお読みいただけると、まさに「この大名にしてこの家臣あり」とわかります。

上に立つ人によって、大名家は、家柄、家風が変わります。
同様に、上に立つ人によって、支店でも、会社でも、国家でも、その柄が変わります。
戦後の日本、とりわけ平成以降の日本では、反日の不逞在日が国の上に立つ傾向が顕著になりました。
そんな歪んだ日本も、7月9日以降、大きく是正されています。

すでに世界の潮流は、日本を敵国とする反日を是とする流れから、大きく舵が切られ、日本を新時代のリーダー国家としてこうとする動きになっています。
中共も韓国も、すでに世界の信頼を失い、これから大きなペナルティを払うことになります。

おそらく韓国は国家が崩壊し、北朝鮮によって朝鮮半島は統一されることでしょう。
以外なことに思われるかもしれませんが、その北朝鮮は親日です。
中共政府は、Chinaにある7つの軍閥の上に巧妙に乗っかった政権ですが、そのなかで旧満州エリアにある瀋陽軍閥は、大の親日です。
ASEAN諸国も親日、インドも中東の多くの国々も親日、トルコも東欧諸国も親日です。

いまや反日諸国に対する、巨大な親日包囲網が完成しつつあるのです。
しかも米軍と日本の自衛隊が共同作戦をとったとき、これに敵う国家は、いま、世界中どこを探してもありません。
ミサイル戦になった現代戦においては、兵の数など問題にならないからです。
百万の歩兵がいても、一発のミサイルで全滅してしまうし、その司令部にミサイルが撃ち込まれれば、瞬間で壊滅します。
現代戦のドンパチは、5分で終わるのです。

そしてここからが大事なことですが、単に戦いに勝てる、強いというだけでは、世界の信頼は生まれません。
なぜそこまで親日国があふれているかといえば、それは実は「かつての日本人が信義に厚く、人道を貫き、信頼に値する国家であり民族であったから」です。

逆にいえば、欲ボケしたような身勝手な個人主義の日本人では、せっかく親日包囲網が確立されていながら、その包囲網を日本人自身が取り壊すことになってしまいます。
日本人自身が、これからますますもっと心身を引き締め、立派な日本人、立派な国家となっていかなければならないのです。

そういう時代が、いま、目の前にやってきています。

冒頭に、蓮の花の写真を掲示させてたいだきました。
季節の花ですけれど、蓮は、水上に美しい花を咲かせます。
けれど茎は、水の中を通り、根は、泥の中にあります。
この世で生きるということは、泥の中であえぐようなものです。
けれど、その泥があるから、蓮は茎を水中に伸ばすことができ、水面に美しい花を咲かせることができます。

水上の花が天上界、根が蓮根(レンコン)で、レンコンは穴があいていて、そこに空気を通すからかろうじて呼吸ができますが、これが根の堅州国、スサノオさんの国です。そして泥が黄泉の国。
人間界は、そんな蓮根と蓮の花をつなぐ橋渡し役の茎といわれます。
あるいは泥の中を這いずりまわる男が根、美しく咲く女性が花かもしれません。

おもしろいのは、花も根も茎も、実はそれらは全体として一体になっていることです。
根が腐れば蓮は立ち枯れます。
花が咲かなければ、交合ができず、蓮は滅んでしまいます。
実に不思議なことです。
すべてを尊重することで、はじめて一体となるのですから。

花には花の、根には根の役割があります。
それを守って生きるのが、分限(ぶんげん)とか分(ぶ)というものでした。
日本て、奥が深いと思います^^


※この記事は2014年10月の記事をリニューアルしたものです。

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コメント

takechiyo1949

何度読んでも良い話です。
学生時代にサイクリングで関ヶ原に立ち寄り、藤川台の大谷吉継と湯浅五助の墓所に登りました。
入間基地の航空祭の時もそうでしたが、人が集まると大概「知ったかぶり」が居て、聞こえよがしに喋ってます。
『鎧の上から切腹?あり得ないね。じゃ~鎧を脱いで腹切り?それも無いね。敵にに近すぎてそんな暇は無いからね。おそらく頸動脈を切ったと思うよ』
聴いていた若造が言いました。
『腹切ったぐらいじゃ、すぐは死ねないでしょ?それにしても気色悪い死に方だよな~』
山中と言えども、一応武人の「墓所」です。
『静かにして下さい!』
思わず怒鳴ってしまいました。

junn

No title

8.5人間のクズ大集合大会と呼んで差しあげます
http://hikaritokage.ti-da.net/e3930234.html



-

いつもありがとうございます。
藤堂高虎は城普請や土木建築でも有能で
徳川家の城普請に何回も立ち会っていたと
聞いています。戦にでれば勇猛果敢、平和時には土木を指揮する有能な監督官。
それだけでなく常日頃から武士道とは如何なるものかを高虎自身をもって示していたので、仁右衛門のような家臣が育ったのだと思います。 愛蔵の槍を仁右衛門に与えた家康も勝者の奢りがなく立派ですね。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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