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ペリリューの戦いのときのことです。
米軍が島に上陸し始めた頃の様子です。
ある本から、すこし引用します。
*******
前面の敵はどうやら退けたが、そのころ洞窟の裏陣地側にも敵の一部は迫っていた。
すでに洞窟陣地には、大谷部隊主力として海軍部隊のほかに十数人の陸軍もまじっていた。
有名な水戸二聯隊の陸軍の兵士たちはさすがに意気盛んだった。
「おい海軍さんよ、ここで撃っていてもだめだ。外に出て敵に一泡ふかせよう」
そういうとすでに手榴弾、迫撃砲をたずさえていた。
外は艦砲の打ち上げる照明弾で昼のように明るい。
洞窟陣地から約50メートル下ったところで海陸混成軍はうずくまった。
「いいか、むこうは戦車がある。地雷もいいが、近づくまでにやられてしまう。それより敵の陣地を確認して一斉攻撃をかけるんだ」
陸軍側の提案に異論はなかった。
地面を匍匐前進しながら数十メートル進んだ。
砲声にまじって敵の叫び声も手に取るように聞こえる。
「よし、いまだ、撃て」
号令と同時に土田兵曹らは手榴弾を投げては小銃を撃ちまくった。
手榴弾でふっとぶ米兵、小銃の斉射をくらってかがみ込む敵の姿も見える。
不意打ちは成功した。
だが次の瞬間、敵は戦車を前面に押し出し、反撃に転じた。
戦車砲をくらってはひとたまりもない。
土田兵曹は他の兵隊を促し、洞窟陣地に引き揚げざるを得なかった。
この日、陸上戦に不慣れの海軍に、身をもって斬込戦法を教えた陸軍の高野少尉は、まだ若い幹部候補生出身の小隊長である。
いま飛行場の南部に戦車隊と、その後方にイナゴのように押し寄せる米軍を見た高野少尉は、その時、飛行場の中央の壕に待ち構えていた。
少尉は、左手は鞘元を堅く握って右手を柄(つか)に、腰を左にわずかに引いて右片手大上段に構え、振り返って部下に命令した。
「小隊は、飛行場南端の戦車に肉薄攻撃を敢行する。各自、地雷と火炎瓶を携行」
というや、部下を見守りながら、
「突撃、進め・・・」
と壕から飛び出した。
続いて村上曹長が抜刀した長刀を頭上に二、三回振りながら、壕外に駈け出した。
隊長に続く80名の小隊員は、われさきにと先陣を競って突撃した。
これを発見した敵は驚きのあまり、戦車と上陸用船艇に連絡して歩兵は停止してしまった。
戦車の重機が火を吹き、小隊員をなぎ倒した。
別の戦車のロケット砲が小隊をねらった。
戦車の上の海兵隊員が自動小銃を連射した。
小隊員の数は見る間に減っていった。
しかし、倒れてもなお呼吸(いき)のある者は棒地雷をかかえて、ジリジリと肉薄していった。
たおれて動けない者は、死者を装って戦車の来るのを待った。
戦車の下敷きになるための最後の一呼吸を残そうとして、歯を食いしばって死期をわずかでも引き延ばそうと試みた。
たおれた戦友の棒地雷を奪うようにして抱きかかえる者は、戦友の分まで戦車を吹っ飛ばそうとするためであった。
先祖伝来の一文字行広を振りかざした高野少尉も、あと、二、三歩で敵の戦車に飛びかかろうとした寸前、重機にねらわれた。
全身十数発の重機の弾丸は、少尉の腹部を引き裂き、内臓は半分はみ出していた。
しかし少尉は軍刀を杖によろめきながら、かたわらにたおれた兵が持っていた棒地雷をシッカと握ったまま、わずかに頭をもたげて敵戦車をにらんだ。
そのとき先頭の戦車が味方の火炎ビンで黒煙をあげて燃え出した。
敵の乗員が砲塔を開けて火だるまになってころげ落ちてくる。
この状景を見ていた高野少尉は、渾身の力をふり絞って、この火だるまの敵兵に右手の軍刀を投げた。
軍刀はみごとに敵兵の胸部を貫いており、敵兵は動かなくなった。
これを見届けた少尉はついに絶命した。
米軍はこのとき初めて、守備隊は水際線もてごわいが、これから本格的な日本陸軍の強さに立ち向かわなねばならぬことを知って、容易に進もうとしなかったのである。
(舩坂弘著『ペリリュー島玉砕戦』光人社NF文庫
p.81〜p.83より)
*********
これが日本の軍人の戦いです。
凄絶そのものですが、では何のためにここまでして戦ったのかといえば、「上からの命令だから」ではありません。
もちろん命令も要素のうちですが、命令があったら人はここまでして戦うかといえば、そんなことはありません。
西洋の戦いでは、ここまで凄絶な戦いになる前に、白旗を掲げて降参するのが伝統です。
西洋では、もともと戦いは傭兵たちが行うもので、傭兵は給料のために戦いますから、命を失くしたら給料がもらえなくなります。
ですから負けそうになったら、さっさと逃げるか降参します。
戦いとはそういうものだという「常識」が根底にあります。
これはChinaでも同じで、相手が抵抗できない弱者と見るや、徹底的になぶり殺しますが、負けそうな強い相手を前にしたら、弾の飛んでこないところからなら銃を撃っても、弾が飛んできたら逃げ出します。
例外もありますが、戦いとは基本そういうものだという認識があります。
ところが日本軍の場合は、どの戦いにおいても、上にある凄絶な戦いを、日本の軍人の誰もが行っています。
そこには、日本にしかない、何かがあったはずです。
では、その何かとはなんでしょうか。
そしてその答えが、実は「日本の心」そのものであると思います。
私は、この答えを「シラス国だからである」と解きます。
日本の心とは、天皇のシラス国のことをいいます。
天皇という国家最高権威によって、日本人の誰もが「おおみたから」です。
つまり人であり、たからであり、人として、たからとして対等な存在です。
だからこそ、武士も軍人も、そこには民を守るためという気概が自然と生まれます。
ウシハク国なら、そうはなりません。
「我欲のための上に対する見せかけの忠誠」はあっても、それはどこまでも我欲・私心が根本になります。
私心が根本なら、死んだら損ですから、負けそうな戦いなら放棄します。
抵抗するのは、自分が殺されないため以外にはありません。
ところがシラス国では、すべてが我欲や私心ではなく、「おおやけのため」です。
上に対して忠義を尽くすのではなくて、上が預かっているおおみたからを守ることが忠義です。
だからそのために命をかけます。
それどころかたとえ肉体が滅んでも、七度生まれ変わって国に尽くそうという信念が生まれます。
そしてこの伝統は、いまなお、日本人の心幹にしっかりと根付いています。
*
もうひとつ書いて置かなければならないことがあります。
それは、上にある激しい戦いは、戦場において、指揮系統が明確で、軍服を着用し、武器を携帯した者同士での戦いであるという点です。
あたりまえのことと思われるかもしれませんが、これはとても重要なことです。
なぜなら戦時国際法が規定する戦闘は、指揮系統が明確で、軍服を着用し、ひと目で軍人と分かる軍帽もしくは鉄兜を着用し、手に武器を携帯した軍人同士でのみ認められていることであるからです。
それ以外のもの、たとえば民間人の服装をした者は、便衣兵などといかにも兵であるかのような言葉を用いたとしても、それは国際法上にいう軍人とは認められず、戦闘の資格もないのです。
そして戦闘の資格のない者が行う戦闘行為は、戦争ではなく、ただのテロとみなされます。
そして、実は戦闘要員であるのに、故意に民間人の扮装をして戦いを挑む場合、戦う相手は、民間人と軍人の見分けがつきませんから、この場合は、民間人を含めて、全員虐殺しても構わないとするのが、戦時国際法であり、戦争のルールだということです。
日華事変において、China国民党も、China共産党も、便衣兵を多用しています。
ということは彼らは、民間人を守るために戦っているのではなく、自分たちのために戦い、そのために自国の民間人がどれだけ犠牲になったとしても、意に介さないということを、彼ら自身が宣言しているのと同じことになります。
つまり、便衣兵を用いた以上、自国の民間人にたとえ数百万単位の犠牲者が出たとしても、そのことについて相手国に一切の責任を問うことはできないのです。
これが国際法に基づく戦争のルールです。
日本は、戦時国際法を、最後までしっかりと守って戦ったのです。
このことは、私たちが大いに誇ることです。


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コメント
w
2016/04/18 URL 編集
りんご
民主党が政権→3・11
田母神さん逮捕→熊本地震
2016/04/15 URL 編集
菊
さて何年も前、まだ私が朝○新聞を愛読していた頃に載った投書です。
「鎧や兜は戦において戦った人殺しのものだ。可愛い我が子にどうしてそんなものを贈れようか」
朝○新聞が喜んで載せそうな記事だったなと最近は思います。
鎌倉武士の出現、勿論悲惨な戦に国内の歴史もあったでしょうが、武力を備えることによって何度も外部からの侵略を守ってきた先人たちの、魂のこもったものではないかと言ったら言い過ぎでしょうか?
鎧兜を贈ったからといって戦闘員になれと言っているのではありません。誰もが強くたくましい日本人(意識しなくても)として育って欲しいと願ってのものではないでしょうか。きっと、いざとなれば力のわく日本人の凄みの基かもしれません。そこには健全な精神が宿りいい子が沢山育つことで、健全な国家運営の基に行く着くと思えます。
血を流して守ってくれた御先祖さまたちが今の日本を喜んで下さるようにしなければ顔向けができないし、子孫にも会わせる顔がありませんし。
さて、伝統工芸の美術品としての美しさを持った鎧兜。近くで見るとそのスゴさにびっくりしますが、現在需要は殆ど無いわけですが、五月人形として技術をいかしているそうですね。修復にも、必要な技術でしょうし、日本刀などの技術と共に、いつまでも残ってほしいと思います。
2016/04/14 URL 編集
ヘッツァー
この館内には、昭和17年4月18日、水元国民学校高等科1年の石出巳之助(いしで・みのすけ)さんが犠牲になった米軍爆撃機による本土初空襲(ドーリットル空襲)の様子を記録した書物と校舎に残された弾痕が展示されていました。
補強や老朽化防止対策に約8700万円かかることが判明。入場料が無料で維持費がかさむことから存続を断念したとのこと。
http://www.sankei.com/region/news/160325/rgn1603250003-n1.html
日本人が被害者である遺物を残してはならないということか。
アメリカへの配慮から?それとも反日都知事のせいなのか。
8700万円が工面できなくて廃止。
これも都知事が贅沢しなければ、簡単に出せる金額でしょうに。
2016/04/14 URL 編集
しょうちゃんのつぶやき
福山といえば偏向教育で文科省から指導をうけた唯一の都市ですが地域の催しで一言しゃべる機会があり”福山には世界に誇れる歴史があるのですよ”と300人位の人達にお話しました。
今回のVTRを拝見して樋口少将が日本を救った英雄であることを知り、上司である東条英機参謀長や根本中将等とあわせて日清・日露時代にも負けない立派な軍人が多くいたことに驚きました。
暗記力の知識だけでのさばって来た日本のリーダー達が彼ら優秀な人材をもっと活かせたなら大東亜戦争も違った結果になったのかもと思いますが、結果的には世界からすべての植民地がなくなったわけで日本が勝利したということです。
全アジア諸国(除近隣3ケ国)からは感謝されていますがGHQの宣伝のせいで日本人の多くは未だに世界の植民地を解放した事実を知りません。
西洋の植民地だった国々から今テロリストが欧州に押し寄せていますが、教育やインフラ整備で現地の人々の自立能力を向上させたアジアの国々は経済力でも世界で伍している状況です。
日本の統治が如何に素晴らしかったのか、西洋の搾取だけの植民地政策と異なっていたのかを若い世代に教えていかねばなりませんね。
2016/04/14 URL 編集
-
武士の商法で回りの人間を信用し過ぎる
のでこのようなじたいになったと想います。残念です。それなら、チャンネル桜の水島氏も逮捕立件するべきですよ。
2016/04/14 URL 編集
-
今日も有り難うございます。
私も憂国のトラッカー様のコメントに同意です。
早い話、植物で例えると、いくら良い種を持っていても良い種が育つ条件というものが必要です。
腐りきった土壌で、与える肥料も水も腐りきって何でまともな実が成ります?
極論、腐った土壌で腐った肥料、水を与えられ育った結果(実)が
世間を騒がしているシールズとかいう集団です。
勿論シールズだけではありません、現教育(日教組)で育った若者、これから育つであろう子供達も同じ事が言えます。
そして詰るところ、枯れてしまうという事です。
決して全ての若者とは言いません、その中で育ってもしっかりとした思考を持ち、国を憂い活動している若者も多くいます。
戦前まではそれが当たり前だったのが、今では突然変異として見られてしまう、つまり、当たり前が当たり前として通らない、戦後70年の集大成がこの結果です。
情けないにもほどがあります、と言っても仕方ありません、それを許してきた私達にも責任があります。
気がついたらそこからが始まりです。
どんな小さな事でもいい、出来る事から始めることが大切かと思います。
2016/04/14 URL 編集
ハンターキラーバスター
アメリカの戦い(相手が非欧州国の場合)は、1:勝てる準備が出来たら兵力を投入→兵士は基本的に不器用なので単純作業が出来る程度の訓練を必要数だけ揃える(厳しく鍛えるの将校と特殊部隊)、2:相手は殲滅(降伏・講和は配慮外)という特徴があります。
2016/04/14 URL 編集
junn
http://ameblo.jp/hironk2005/entry-10785750555.html
http://ameblo.jp/hironk2005/entry-10786373957.html
2016/04/14 URL 編集
ラベンダー
朝一番で読ませていただいた時は、日本人としてDNAに刻まれていることの素晴らしさが書かれてありました。
これは縄文時代から続く、いえもしかしたら建国の頃からの、上方様の時代からの伝統がDNAにまでなっているからだと考えさせられて感動しました。
今は、書き直されて
その部分がなくなったので、少し残念です。
2016/04/14 URL 編集
憂国のトラッカー
2016/04/14 URL 編集